すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 冬牡丹・・・ 必死の志に生きる

2008年02月29日 22時47分54秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 冬牡丹 こころのままに 咲いており

   馬糞 Bafun

 

 

 

 今日は四年に一度の二月二十九日、閏日である。 

 ありがたく生きたいものである。

 

 沢山あると思うと無駄をする。

 だらける。

 しかし、死を覚悟して潔く生きる人もいる。

 

 伝説の打撃コーチ、高畠導宏さんの最後の高校教師

代を描いたNHKドラマ「フルスイング」を見た。

 必死の人生の感動が伝わった。

 

 

 「フルスイング」 ⇒ 

http://www.nhk.or.jp/dodra/fullswing/html_ful_midokoro.html

 

  

 人間は必ず死ぬのであるが、ずっと先のこととして生

きるのが日常である。

 必ず死ぬが、いつ死ぬかは分からない。 

 だから、人間は志半ばで死ぬ覚悟が必要である。

 

 人事を尽くして、天命を待つ、日々、そうではければ

ならないと思う。

 

 武士道精神もまた、そうであった。 

 刀はその戒めであったろう。 

 花もまた、潔く、必死に咲いている。

 

 人生百歳の志とともに、道半ばに倒れようとも可なり、

という覚悟が必要である。 

 必死を重ねて、百歳までの志に生きたいものである。

                                

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+新聞配達奴隷制度・・・ 豊かな時代こそ、苦学奨励と苦学支援の名乗りを

2008年02月27日 07時35分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 苦学する  武士mononofuに咲き  梅の花

       馬糞 Bafun

 

 

 

 

 午前二時、日経新聞の販売所の集配作業が始まるのだ

という。

 200件近い配達が終わると、寝てしまう。

 また、午後2時から夕刊の配達作業が始まる。

 「授業には出られないし、もう、学校に行く自信があ

りません」

 

 新聞奨学生ということで配達要員を集めても、授業を

受けられないような仕事を強いている。 

 苦学を助けてやるというのなら、もっと配慮があるだ

ろうに。

 そんな、奴隷制度のような新聞奨学生に依存するとは、

なんという罪作りな新聞であることか。

 

 新聞が、苦学生をサポートする教育制度として明白な

意味を持つなら、応援したいと思う。

 

 苦学というのは、学問を逞しくする。

 苦学を制度として支援する社会的仕組みは豊かな時代

にこそ必要なことである。

 

 兵役のない日本であるならば、学問の兵役として、苦

学の習慣があってもよい。

 

 アルバイトに依存し、青年に依存する業界は、奨学生

制度を是非考えて欲しい。

 

 ワタミ奨学生、ローソン奨学生、楽天奨学生、NTT.

Docomo奨学生、Yahoo.BB奨学生・・・

 

 苦学を奨励し、苦学を支援する企業は名乗りを上げて

欲しい。

 消費者一堂、苦学支援企業を応援するであろう。

 それが、「経済」、経世済民の本義である。

                           

梅士 Baishi

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 福寿草の光・・・ 哀れな青年に贈る

2008年02月25日 07時00分09秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 福寿草  冷たき朝に  輝きぬ

       馬糞 Bafun

 

 

 

 福寿草といえば、雪の上に花だけを咲かせる不思議

な花である。

 

 昨年、長野から福寿草の鉢を取り寄せてしばらく楽し

んだ。

 しかし、暖冬の博多には育たなかった。

 寒さの厳しい雪国の希望の花なのだろう。

 希望とは、逆境に耐えて努力する者に与えられる光で

ある。

 

 今年の冬も、大して寒くもなく過ぎようとしているが、

人生の冬は、温暖化などしてはいない。

 

 希望の光は、福寿草のように輝きだす。

 雪を割ってあふれ出る。

 早春の希望の光である。

 

 

 

 

哀れな青年に贈る

 努力もしないで退転していった哀れな青年よ。

 その先に、希望などありはしないものを。

 

 退転とは、福の神を離れることをいうのだ。

 哀れな青年よ。

 不幸はお前だけでは終わらない。

 不幸とは疫病のように感染して行くというのに。 

 

 それとも、お前一人で生まれ育って生きてきたとでも

言うのか。

 お前の恩ある人たちを苦しませ、悲しませる不幸を

 その人たちの責任だとでも言うのか。

 お前に退転する権利などないのである。

 

 死んだほうがましだというか。

 死を望むなら、

 試練と戦って討ち死にするほかはあるまい。

 命を張って、名誉の戦死を遂げてみよ。

 

 哀れな青年よ、

 お前には、英雄になる道しか残されてはいないのだ。

 それがお前に下された罰であり、慈悲である。

                  

 

      

  福寿草   冬をもたげて   雪を割り

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 人生の冬に生きる人々よ、

 早春の花を咲かせよう。

 希望の花をさかせよう。

 

 希望は、冬に与えられる特権である。

 人生の冬こそは、希望の人生にほかならない。

 

                          

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 花兜の梅・・・ 閏月の一日もうけ  学校の荒廃と不登校  学校人事の大掃除を!

2008年02月24日 17時33分23秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 しゅんと立つ  上り梅かな  花兜  

   馬糞 Bafun

 

 

 

 しゅんと立ち上がった梅の枝を見上げていると、兜

飾りのような勇壮と風流を感じる。

 やはり、武士mononofu の花である。

 

 今週は、二月が逃げる週である。

 といっても、閏年であるから、貴重な29日がもらえる。

 一日少ないと思えば損をしたようだが、一日もらった

と思えば、貴重な一日をもらって得をしたのである。

 

 人の命も、人が作ったわけではない。

 もらった命である。

 生まれながらに得をしているのだ。

 ならば、思い切りチャレンジして、恩返しの人生を生

きたいものだ 

 

 

 

  

不登校の背景について

 不登校の子供たちがたくさんいる。

 病気でもなく、いじめられたわけでもなく、登校して

も保健室に引きこもる子も少なくないようだ。

 学校に行く意味があまりないと感じている。

 

 確かに、学校は勉強するにしても効率の悪いところだ。

 自分でやっていたほうがいいし、塾に専念したほうが

どんどん進める。

 自分のレベルよりはるかに低い授業につき合わされる

のもいやだと思うのももっともなことだ。

 

 結局、何のために学校に行くのかというと、形式的学

歴を取得するためと、友達付き合いと部活のためという

ことになる。


 大学も同じだろう。

 入試で選別された人脈と入試学歴に意味があるのであ

って、授業の魅力でも、教授の魅力でもない。  

 「遊びに行く大学」現象が、義務教育にも広がってい

るのである。

 

 学校は、文武両道の学習のためにある。

 その目的を持った競争社会であり、その試練があるか

らこそ友達もできる。

 

 ところが、その目的が見失われ、堕落と犯罪の巣窟に

成り下がってしまった。

 そのしわ寄せが、通信制高校という高校教育の空洞化

の制度化が公認されているのである。

 ならば、通信制小学校からつくったらどうなのか。

 学校とは何ぞやが深刻に問われている。

 

 公立学校の地獄化・無法化は、未だ制度的な対策が採

られていない。

 改革までの学校の治安維持が急務である。

 是非、派出所と監視カメラの設置などを進めて欲しい。

 

 同時に、教師リストラ、教職資格制度と採用制度の抜

本的な改変が不可欠であろう。

 

 

 学校の不合理と淀みと不条理に足をとられた子供たち

を助け出さなければならない。

 勉強をさせなければならないのである。 

                            

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 今は昔、女学生・・・ 女性美の原点

2008年02月23日 20時44分01秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 冬牡丹  まぶしきような  傘の下   

   馬糞 Bafun 

 

 

 

 まだ、学校が神聖だった頃、男子学校と女子学校が分

かれていた時代があった。

 日本が日本らしい誇りを持っていた時代である。

 

 女学生は紺袴に絣の着物、長い髪をリボンで結んで、

ああ、どんなおしゃべりをしているんだろうと、青年が

遠くからあこがれていた時代である。

 

 傘の下の牡丹を眺めていると、ドラマに描かれるそん

な女学生の姿が重なる。

  

 

 

 

女性美の原点

 この世の人間は、野獣としての肉体と、仏性をもった

神聖な魂の二重構造を持っている。

 

 獣性と神聖が並列的に同時存在しているのではなく、

魂の神聖が肉体の獣性を統御する関係である。

 

 ところが、現代憲法の下で神聖が危険視されるように

なってからは、肉体人間中心主義が主流となった。

 野獣的オス・メスの日本人が大勢を占めるようになっ

たのである。

 

 その結果、シャクヤクや牡丹のような女性は稀になっ

た。

 まことに、残念なことである。

 

 

 女性リーダーたちよ、牡丹の花の前で現代女性の品の

なさを、知性の乏しさを恥じ入るが良い。

  

 ああ、フォービズム・・・ 傾城の色香よ、警世のあ

だ花よ。

 

 世界に誇る日本伝統の女性美は、着物文化によって育

ち、着物文化の衰退とともに失われてきたのではないか。

 

 着物と髪型の美しさこそは、時代劇の魅力である。 

                             

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 咲くやこの花・・・ 中高年者の転職について

2008年02月22日 08時15分31秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

    

 散る花も  咲くやこの花  いや次に

    馬糞 Bafun

 

 

 昨日は、旧暦の小正月、名月だった。

 花鳥風月は尽きることなく、日々に美しい。

 お互いが引き立てあっている。

 これが、大宇宙の法則なのであろう。

 

 名月とは、仲秋ばかりではない。

 早春の風が清めた空に、凛とした名月が咲いている。

 

 

   

 月や  牡丹の花の  傘の上

  馬糞 Bafun

 

 

 

 「自由」を与えれた人間関係は何のための自由かを

れてギクシャクとする。 

 花鳥風月に感銘する感情は感慨となる。

 美しくない人間を見ると、感情はすぐにぶれてしまう。


 感慨にならない感情はひと時のhe、お互い様の雲散霧

消に任せるほかはあるまい。  

 もちろん、人時所をわきまえなければ礼儀に反するの

であるが。

 

 

 

  

 人間が学習や経験を積み上げて成長し、年齢を重ねる

とどうなるのであろうか。

 仕事の経歴にも役職がつき、実績が記され、それなり

のプライドと貫禄がつくのだろう。

 

 ところが、畑のちがう転職の面接に立ち会っていると、

過去の実績は諸刃の剣となる。

 別の畑にこだわっていると、新しい畑の耕作はできな

い。

 

 そのような中高年の実績者に比べると、未熟だがネア

カな青年が輝いて見える。 

 専門分野に熟練しても、ネアカで伸び伸びとして、無

邪気な柔軟さといものを失いたくないものである。 

 

 若さを見失ったのであれば、自分が培った専門分野に

とがって勝負をするべきである。 

 そうでなければ、魅力がない。

 

 合格、不合格はあるが、それでも、人は生かされてい

ることに変わりはない。

  

 他人からの評価は教育的評価である。

 その評価を悪い方に悪い方にとらえてふてくされる人

がいるが、

 不幸に安住する人である。

 

 しかし、自分一人不幸でいられるわけではない。

 周りの人を巻き込まないではいないものである。

 だから、人には、不幸になる権利はないということを

知らなければならない。

 

 早春は春の嵐、今年も、良い花を咲かせたいものであ

る。 

                              

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 月下の牡丹・・・ 革命の論理

2008年02月21日 07時59分40秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 


 しんしんと   月明かり降り   寒牡丹

   馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 今日は旧暦正月の15日。満月である。

 

 月下の牡丹というのもさぞや風流なことであろう。

 百花王ともいわれる牡丹花であるが、その大きな花を楽しめる

のも、もうわずかである。

 

 

 

 

 

 

教育革命論


 学歴社会に安住して、大学の価値が劣化している。

  学歴とは何か。

 国家から与えられた資格である。

 即ち、学歴社会とは資格社会を意味する。

 学歴上位は、入学が困難な人気の大学の学歴である。

 

 人気大学とは、受験秀才が集まるところであって、優れた教授

や研究者が集まっているから人気というのではない。

 国家の保護によって形成された伝統的権威である。

 しかし、大学の大半は堕落しているといってよい。

 その研究といい、教育といい、果たして「大学」なのか。

 


 それが、青年の時間を蝕み、国力低下として現れている。

 銀行も、マスコミも、政治・行政も、教育も、経営者も、明らかに

その競争力とモラルを劣化している。

 それが、戦後教育の劣化と大学の堕落に由来しているというこ

とも明らかであろう。

 

 ところが、憲法同様に教育改革、大学改革も公務員制度と学校

法人制度にきつく縛られて容易に改革できない。

 

 そこで、学校法人に代わる教育事業、大学に代わる大学教育事

業を創意工夫する必要がある。

 そうでなければ、時代の変化に対応できないからである。

 改革ではなく、新しく創る革命である。 

 

 その切り口は、企業による、学校法人ではない学校を創始する

ことが求められている。

 優れた教育人材を教育現場に投入するためである。

 これは、学校法人ではできないことである。

 

 

 

 

 

 

 現在の学校法人制度は、官僚社会主義の所産である。

 官僚は変化を嫌う。

 改革は権限外であり、自分の仕事を失わせかねないからである。

 公務員の自己保身が、停滞と腐敗を招く構造である。

 

 公務員に武士道精神が失われて久しい。

 これを縮小しなければ禍となる。

 

 官僚社会主義の殻から脱皮できなければ、日本国は滅びるこ

とになるだろう。

 

 公務員によって国家を滅ぼさないためにも、国の補助に頼らな

い企業の独立不羈の精神による革命が求められているのである。

 

 その意味でも、さまざまな行政補助に依存しようとする起業家は

本当のベンチャー企業家ではない。

 

 革命とは、官僚に依存しない制度改革の決意というべきであろう。

         

                                            梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 佳き花・・・ 最終講義『幸福責任』  「愛を与えることの幸福」  全員死亡の幸福論

2008年02月19日 08時14分44秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 佳き花の  その面影や  冬牡丹

   馬糞 Bafun

 

 

  あふれるほどに、次々に花開いている。

 その花に鳥が歌い、その歌に風もぬるむ。

 今日は、「雨水」である。

 

 ああ、いよいよ卒業の季節、巣立ちの季節となった。 

 その最終講義。

 

 「不幸になりたい人いますか」

 「・・・ 」

 「不幸って、どういうものですか」

 「・・・ 」

 「・・・死ぬことでしょうか」

 

 「う~ん、確かにご不幸といいますね」

 「しかし、人は遅かれ早かれ全員死亡します」

 「ご愁傷様です。先にお悔やみ申し上げておきます」

 

 「ということは、われわれは、不幸になるために生き

ていることになりますが、納得できますか。」

 

 

 

 

 「自分だけが幸福、自分だけが不幸ということはあり

ません。なぜなら、人は一人では生きていないからです」

 

 「不幸な人は、必ず周りを不幸にしています。傷つけ

ています。しかし、他人を傷つける権利などありません

よね」

 

 「自分一人が不幸になることは勝手でしょうが、他人

を巻き添えにする以上、不幸になる権利はないというこ

とになります」

 

 「ということは、幸福になるしかない。自分だけが幸

福ということもありえませんから、周りを幸福にするし

かないということになる」

 

 「即ち、人は、幸福になる責任、幸福責任があるとい

うことです」 

 「では、幸福になるということはどういうことでしょ

うか・・・」

 

  

 

 

 

 人は意外と、幸福になる責任があることに気づいてい

ない。

 しかも、幸福とは何かということをよく理解していな

い。


 マズローは「自己実現」を説いた。

 キリストは『隣人愛』を説いた。

 仏教は仏との一体の境地『無我』を説いた。

 幸福の科学は『愛を与えることの幸福』と説いた。

 

 死を避けては通れない幸不幸の問題を、学校でも教え

てはいない。 

 政治も、教育も、正しい宗教に学ばなければならない

ということに気づかねばなるまい。 

                                   

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 雪まじりの春風・・・ 平成維新の大政奉還・十七条憲法の原点 

2008年02月17日 17時50分51秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 雪まじり  花もまじりて  春重ね

     馬糞 Bafun

 

 

 

 外気温は5度ほどか。

 雪まじりの北風が真冬のように吹いている。

 しかし、もうそれを冬だなどとは思わない。

 早春の梅を散らす北風は、日々にぬるみ、春を織り込

んでいる。

 

 窓の外で、メジロと鶯が入れ替わり立ち代り枝渡りし

ている。

 北風が吹いていも身をすくめてなどいない。

 本当に忙しい季節の真っ最中なのである。

 

 お天とさんの仕事も長くなった。

 昨日のうぐいすの帰宅は5時53分、日没10分前だった。

 お疲れさんでした。

 

 今日の博多の日没は18:04。

 明日の日の出はちょうど7:00である。

  

 

 

 まんまるく   土俵に立ちぬ   花めじろ

  馬糞 Bafun   

 

 

 

 めじろの緑の羽根は日にあたるととても美しい。

 朝に、夕に、よく歌う。

 ほんとうにかわいい小鳥である。

 

 しかし、一回り大きくて足の長いうぐいすが来ると、

追い払うのはメジロである。

 今年はヒヨドリが近寄らないので、一番強いのは、メ

ジロである。

 そうしてみると、メジロちゅんこが強そうに見えてく

る。

 

 

平成維新の大政奉還

 みんな、潔く生きている。

 上手にバランスをとって生きている。

 だれも恨まず、だれも裁かない。

 

 企業の中で逆境に踏ん張っていると、いろんな確執が

生まれるが、ああ、いけないなと反省する。

 

 聖徳太子、十七条憲法の原点に戻らなければならない。

 篤く三宝を敬い、仏国土ユートピアを建設しなければ

ならない。

 

 平成維新に求められていることは、政教分離・人間中

心主義のおぞましい「日本国憲法」体制を覆して、十七

条憲法の原点に大政奉還することなのではないか。 

                             

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

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+ ぼたん雪・・・ 筥崎宮の花庭園  著作権とコピーのバランス

2008年02月16日 15時35分01秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  初雪に   蓑傘さしぬ   冬牡丹

     馬糞 Bafun

 

 

 

 筥崎宮の花庭園に、牡丹が見ごろをむかえている。

 入場料500円だが、惜しくはない。

 一周目は写真をとり、二周目は鑑賞した。

 

 蓑傘が牡丹の花を引き立てる。

 蓑傘は雪よけであるが、その日は日傘になっていた。

 夕陽の牡丹も絵になるものである。

 

 その翌日、博多にも雪が降った。

 初雪はぼたん雪だった。

 やっぱり、牡丹の花には雪景色が美しい。


 

 

 

著作権の保護と活用のバランスについて


  著作権とは個性が生み出す文化的価値を持った表現を

保護する法律上の地位をいう。

 なぜ保護するのかというと、文化的表現に利用価値が

あり、かつ、それが、個人の投資と努力によって生み出

された創造物だからである。

 

 創造者に利用の対価を保障することにより、創造の意

欲と資源の供給を確保する意味がある。

 

 ところが、多大な投資と才能と努力によって生み出さ

れた表現物も、無断で大量にコピーされ、出回っている。

 映画も音楽CDもデザインも、まんがも写真もWeb

著作物もである。

 

 かといって、現行の著作権法を厳格に強制したら、著

作物の活用は大幅に制限され、教育も、著作活動も停滞

してしまうだろう。

 すなわち、表現や教育という精神的自由を失わせるこ

とになる。

 創造とは連想でもあるからだ。


 特に、教育現場では、学校法人か否かに関わらず、広

くコピー活用を認めるべきである。

  

 

 

 

 初雪や  嫁入り前の  牡丹かな

         馬糞 Bafun

 

 

 

 本来、表現は創造者単独の創造物ではない。

 他人の表現や教育によってはぐくまれたものである。

 さらには、インスピレーションという形で霊的な世界

から無償で下された価値だともいえるのである。

 

 著作物を独占させることは、理にかなっていないとい

うことである。

 

 では、表現者への対価保障と文化的活用のバランスを

どのようにとるべきか。

 

 取り締まるべき違法コピーとは、コピー物を商品とし

て、不特定多数の者に有償配信ないし、販売する行為に

限定すればよい。

 紹介、参照、参考として使用されている場合にまで厳

しく禁止すべきではあるまい。


 ただで使わせてもらう以上、コピー物について金を取

るべきではない。

 それが道理である。

 その程度でよいのではないか。

 

 結局は、コピーを禁止することではなく、コピーより

も正規品を購入したほうが結局は満足度もコストも経済

的だという環境を作ることだ。


 実際、本の場合、部分的なコピーはともかく、数十ペ

ージものコピーは、コストも手間もかかるから馬鹿らし

い。

 予想される購入者が少ないものであれば、コピー禁止

技術を使って高額商品にすればよい。

 市場性とコストのバランスを著作者側でも問われるこ

とになる。

 

 コピーは味見のようなものである。

 広く味見が行き渡ると、それだけ、購入動機も広がる。

 コピーは、CMと同様の効果があると考えて、活用す

るべきなのではないか。

 

 

 

 

 もっとも、チャイナの違法コピーは目に余る。

 映画館で映画をビデオ撮影して流出させるのだからた

ちが悪い。

 

 しかし、そもそも、チャイナが法治国ではなく、自由

主義経済の仲間にしてはならない闇の国である。

 にもかかわらず、付き合うというのであれば、無法な

振る舞いも計算のうちというべきであろう。

 

 基本は、コピーが市場を大きくするという効果を活用

する工夫に力を注ぐべきであろう。

 

 Webの世界も闇の世界であり、法治社会ではない。

 そのことをこそ、問題とするべきである。

 

 経済は欲望の手段ではない。

 経済を私利私欲の闇にしてはならない。

 経済とは世の中を豊かにし、人々を貧困から救う愛で

あるのだから。 

                              

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 鶯とメジロとみかん・・・  議論はメジロのように、鶯のように

2008年02月14日 08時11分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

  奥山の   うぐいす来たり   風の先

    馬糞 Bafun

 

 

 

 博多温暖化の冬であるが、昨日は博多にも初ぼたん雪

が舞った。

 手をいっぱいに広げて降りてくる雪が、通勤の眼鏡に

積もった。

 儚い名残り雪である。

 

 桜のころ、山に入ると、鶯の練習にあわせてホケキョ

とまねたりする。

 口笛でホケキョと鳴くのは難しい。

 それでも、鶯がつられて歌ってくれるので楽しくなる。

 

 しかし、これまで、鶯の姿を見たことはなかった。

 その幻の名鳥鶯が、窓越しに姿を見せてくれた。

 瀬戸内の輪切りのみかんでのどを潤している。

 

 よくよく観察していると、鶯は、メジロよりも一回り

大きい。

 くちばしから目にかけて一筋のアイラインがある。

 そして、梅の枝のように足が長い。

 

  

 

 

 山にも花が咲くようになると、一冬を楽しませてくれ

た鳥たちも、次第に姿を見せなくなるのである。

 

 

 

 

 国会論戦の人々よ、メジロのように語り、鶯のように

春宣げをしないか。

 

 カラスのような、烏合の衆であってはまるまい。 

                           

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

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+ 九十九島をあとにして・・・  美の世界観について  「白雪の梅」一首

2008年02月12日 23時27分21秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

  早春の   九十九島の   松青く

   馬糞 Bafun

 

 

 

  

 星の王子様の小さな星のように、小さな島をちりばめ

た九十九島。

 小さな星の岩山に、松の木が小さな山を作っている。

 透明な、よく冷えた海には、名物のカキと真珠貝が育

っている。

 西海の島々のなんと美しいことか。

 

 

 美しさをめでるということはどういうことなのだろう

か。

 とって食べるでもなく、所有するでもない。

 美しさというのは、五感に感じるもののようでありな

がら、五感でわがものにできるということでもない。

 

 宝石の社会的意義は値段による高級感のアピールにあ

るが、美しさについては、自分のもののようでありなが

ら、自分ではないのである。

 

 人は、何かと自分のものにしないと心残りなものであ

るが、五感では支配できない領域にあるのが、美しさと

いうことではないだろうか。

  

 

 

 

 女性に対する憧れもまた、それに似たところがある。

 自分のものにしたくて結婚したり、愛人にしたりして

も、あらたな悩みを抱えてうんうんと苦しむことになっ

たりする。

 

 支配したつもりでも、それによって得るものは、美し

さとは別のものであって、かえって、美しさから遠くな

ってしまうことにもなりかねない。

 

 五感の外のものを、五感で支配しようとする矛盾に苦

しむのである。

 

 九十九島の美しさは、佐世保近海から逃げるわけでは

ないが、その美しさは、五感では触れることもできず、

置いて帰るほかはない。

 

 

 

 

 美しさというものは、愛するということでしか得られ

ない価値というべきか。

 

 実は、五感で感じるものではなく、霊感で感じている

というべきかも知れない。

 

 心に美しさを住まわせることが、美しさの真価である

と悟るのである。

 美くしさというものは、この世に現れた霊的心象風景

なのである。

 

 

 この世にあっては、心は穢れやすい。

 疲れた心を癒すためには、花鳥風月の美しさを心眼で

楽しむことだ。

 

 芸術とは、心眼で見た美しさを写実する表現である。

 

  

 

 

 去る人に   白雪香る   梅の花

 去りつつ積もる   白雪の花

   馬草 Magusa




梅士 Baishi



 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 神々の紀元節・・・ 憲法制定派の台頭を願う

2008年02月11日 10時27分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 神々の   紀元の国を   委ねられ


  
馬糞 Bafun

 

 

 

 

 日本文明のルーツというべき八百万の神々。

 その国づくりを語るかのような沢山の島々がちりばめられた佐世

保の九十九島は、海から見ても空から見ても美しい。

 日本とは、なんと美しい国なんだろうと、ほっとする大和の国の

風景である。

 

 しかし、日本人にとって、海は遠いところになった。

 博多にいてさえも、海の風景は日常にはない。

 港は交通機関が整備されず、不便なバスか、高いタクシーか、

自転車かである。

 陸と海とが疎遠になっているのだ。

 

 道路作りに反対が多いのであれば、海の交通と陸の交通をつ

なぐ海陸交通整備に予算を取って欲しいものである。

 

 高速艇と運河と港鉄道と土地強制収用法の強化である。

 交通整備の最大の障害は、土地所有制度である。

 

 

 

 

 


  
八百万yaoyorozu 九十九島の 春は明け

 

 そらみつやまとの  海に栄えり

 

   馬草 Magusa

 

 

 

 

 交通革命、都市計画のための土地所有制度変革論

 

 以前にも書いたとおり、不動産所有制度には高度の公共的責

任がある。

 土地家屋の市場価格は、その利便性によって変動するが、利便

性は個人の努力によるものではない。

 公共投資による利便向上の利益を個人が得るというのは、公平

ではあるまい。

 

 したがって、土地所有制度は廃止し、土地利用権とするべきである。

 即ち、土地は常に自治体に属する。

 利用権者は、利用料を自治体に支払う。

 自治体の独立の基本制度ともなるであろう。

 

 結局、所有という概念を借地権化することによって弱め、固定資

産税に相当する部分を借地権相当に転換することを意味する。

 土地の資産価値は公益利用による規制を大幅に受けることに

なる限りにおいて、下落することになる。

 

 公益を貪っていた土地所有権を正す革命である。

 

 

 

 

 

 

 さらに一歩を進めて考えれば、所有権の本質は利用権であり、

利用責任がある法的地位というべきである。 

 そもそも、資産の本質は生産努力による付加価値増大にある。

 

 こうした所有概念に潜む行過ぎた自由主義を是正することは、

あらたな発展を生むための交通整備や都市計画には欠かせない

革命である。

 

 その結果として、過密な都会が緩和され、住みやすい住環境が

整備されることになるであろう。 

 

  

 

 

 

 九十九の   さざれ巌 iwao の    紀元より  



 八百万の神   国を造りぬ

 

    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 では、その革命を誰が断行するのか。

 外患による危機が明治維新を生んだように、

 今、チャイナの属領化の危機に直面して、大胆な防衛体制と都

市改革、交通革命の必要に迫られている。

 

 幕藩体制に相当するのが、現体制の「憲法護持&改正派」である。

 「日本国憲法」を有効と認める戦後派というべき現勢力である。

 

 これを転覆するべき維新派とは、日本国憲法の無効を宣言して、

新憲法を制定する「新憲法制定派」というべきであろう。

 21世紀日本の維新派である。

 

 しかし、日本伝統の象徴である天皇の下での原点回帰を模索す

る革命であるから、明治維新と同様の性質を持っているといえる。

 

 こうした、維新改革派が台頭してくることを望む。

 

 残された時間は、10年余である。

 台湾を守り、日本を守らなければ、日本という国家はチャイナに

よって滅亡することになるであろう。

 

                             梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 九十九島・・・ 紀元節の意義と国籍の実質

2008年02月10日 14時00分35秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 それぞれの   九十九島の   春は明け

       馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 紀元節

 明日は建国記念の日である。

 日本書紀の記述に基づく紀元節に由来する。

  

 世界一古い伝統を継承する日本の起源となると、定かではない。

 神話に語られるところである。

 

 日本を統一したという意味では、九州やまとの国から出陣して、

橿原付近に都を定めた日本武尊の頃ということになるが、神話に

伝わる国家としてのやまとの起源は紀元前9世紀に遡るであろう。

 高天原の由来というべき高千穂の国の頃のことである。

 

 天照女王、その弟スサノオノミコトは紀元前8世紀頃の人物で

あろうか。

 

 その国づくりを祝ったのは、元旦のことであろう。

 だから、旧暦元旦を「日本建国感謝の日」と定めればよいのだ。

 2月11日は、旧暦正月頃のことであるから、それでも良いので

はないか。

 

 

 

 

 

 

 

 日本国民でありながら、左翼反日の非国民どもが建国記念日

反対を唱えている。

 日本という国家にたいする忠誠心も愛国心も持ち合わせない連

中であるから、日本国籍を維持すべきではないのである。

 独立放棄を宣言した「日本国憲法」を支持する輩でもある。

 

 ならば、その憲法の保障に基づいて、国籍離脱し、北朝鮮か

チャイナに帰化するべきである。

 

 

 「主権者たる日本国民」としての最低条件は、日本国家に対す

る忠誠と愛国を誓うことである。

 外国人の帰化の条件でもあろう。

 

 しからざるものは、日本国民の実質をもたない。

 国籍を返上するべきである。

 そうすれば、非国民呼ばわりされることもない。

 外国人ないし、無国籍人である。

 

 

 

 

 

 

 

 成人式の意義は、自分の意思で日本国民としての誓いをたて

か、国籍離脱するかの選択をする日とするべきであろう。

 

 離脱者については、強制送還の船を仕立てて、国家の費用で

国外に輸送してやることくらいは保障するべきではあろう。

 

 これが、国籍の本質に基づく、ものごとの道理である。

 憲法というべき道理なのではないか。

 

 

※ 紀元節・・・ http://iroha-japan.net/iroha/A02_holiday/03_kenkoku.html

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ ことはじめの梅・・・ 転職の心得

2008年02月08日 08時15分40秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 こと始め   真白き梅を   開きたる


   
馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 今日は、こと始め、針供養。

 旧暦の新年も新しいページを開く。

 ことの始めに、新しい花を開いた梅の花があったろう。

 今朝も、メジロがひとしきり朝の歌をうたった。

 

 それにしても、旧暦の春が、日常の多忙に埋もれてしまったの

が、いかにも残念なことである。

 

 

 「あけまして おめでとうございます」

 

 唐突で、革命的であった。

 

 さあ、新旧の新年が明けたところで、一年のこと始めとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 転職こと始めの人へ

 

 日常に埋もれた旧暦正月、

 日常の瓦礫の下からも香りたち、

 花鳥風月を愛する者に、

 めでたい新春の伝統を伝えてくれる。

 

 そのめでたい新春早々、

 転職活動に足を運ぶ人々も少なくない。

 

 上昇型の転職ならばめでたいことであるが、

 失業による転職、食べてゆくための転職となると、厳しい現実に

晒される。

 

 逆境にあるときは、

 物事の原点から発想して

 成功するべき活路を切り開くチャンスでもある。

 

 転職、これは営業である。

 

 古ぼけた技能や経験であるならば、古道具かガラクタ扱いにさ

れるが、磨きのかかった現役の叡智であるならば、誰も捨て置き

はしないだろう。

 その叡智が利益をもたらす仕掛けとなるならば、

 それに見合った報酬を求めても拒否はされないだろう。

 

 安売りの時代ではない。

 本物志向の時代である。

 

 

 

 

 

 営業には仕掛けが要る。

 提案がいる。

 相手が発展するための仕掛けがいる。

 それが、ビジネスモデルにまで完成されているならば、競って求

めるはずである。

 

 面接をしていて、こちらまで暗くなることがある。

 

 救済してあげたいほど厳しいのだろうなあと思うが、それを切り

開くことが、その人に求められている人生の問題である。

 

 失業、転職という問題が、人生の問題集に入っているのであれ

ば、自ら工夫してその問題を解かなければならない。

 他人が解答してやってはならないのである。

 

 不採用通知を、平気で出す採用担当者は少ないのではないか。

 

 できることならば避けたい「貧乏」という人生の難問に直面して

いる志士たちよ、最も大切なことは、新人としての明るさである。

 

 過去を誇ることよりも、未来への道筋を提案することである。

 

 

 新卒で就職活動するときも、過去の学歴を誇るのか。

 過去の学歴を恥じるのか。

 

 それが、未来への原因であるならば、過去に支配されるか、

あるいは、過去の恩恵を消費するだけのことだ。

 

 明るく、決然と公約せよ。

 きっと役に立って見せますと宣言するのだ。

 

 明るく発展する未来を、自らの責任において宣言することこそ、

若者の就職戦略の要諦である。

 

 初老の兆しが見え初めてなお転職の門をたたくことは決して恥

ずかしいことではない。

 それが、人生である。

 

 新春のこと始めは、

 周りの人々を明るく、幸福にすることを誓い、

 気持ちよく宣言することから始めたいものである。

 

                              梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

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