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すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 志賀島、万葉の海・・・ 大晦日の御礼 三福経済主義 マイナス×マイナス

2008年12月31日 08時21分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

                                                        志賀海神社

 

 

 万葉の  海荒れており  志賀島shikanosima

    馬糞 Bafun

 

 

 

 縁上のみなさま、激動の2008年も、大晦日になりまし

た。

 この一年、大変お世話になりました。

 来年、2009年は、ピンチをチャンスに変える決断の年

になると思います。


 智慧と勇気が問われます。

 保身は身を滅ぼします。

 愛を与えようという思いこそが、いつの時代にも人の

生きる道であると思います。

 

 「惜福・分福・植福」の三福経済主義の繁栄を、この

日本で、九州国で着手、実現しようではありませんか!

 

 2009年もまた、よろしくお付き合いください。

 

 

 新年 あけましたら

     おめでとうございます。



2009年元旦イブ

梅士 Baishi

 

  

 この年も 九回裏の ツーアウト

    馬糞 Bafun

 

 

 

 大晦日の朝になった。 

  「氣力とは、あきらめない心」。

 

 ドラマ「フルスイング」の印象的な卒業式の言葉だっ

た。

 マイナス×マイナスはプラスになる。

 「マイナス×マイナス」とは、マイナスを逆転するとい

うことである。

 ピンチは、智慧と勇気でチャンスになる。

 今年の最後も、あきらめないぞ。

 そして、来年もまた、がんばろう! 

                                 

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 寒日和・・・ 運動不足解消こそは開運の秘策 

2008年12月30日 17時45分38秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 外に出よ 天日を浴びよ 寒日和

    馬糞 Bafun 

 

 

 今年最後の日曜日、昨日までの風も止んで、穏やかな

寒日和。

 今日こそは、外に出て、運動をしよう。

 

 

 運動不足こそは不幸感覚である。

 思いっきり歩き、思いっきり泳ぐだけで、人間の不幸

の80%は吹っ飛ぶのではないか。

 それが、運動をした後の実感である。

 

 砂浜を歩くだけでも気持ちが良かった。

 一時間歩き、一時間泳いだ。

 ああ、何と爽快な寒日和であったことか。

 

 そして、また、寒くなるという。

 大いに結構、大いに歩き、大いに泳ぐべし。 

 

 

 

 

【2008年健康政策まとめ】


 人間にとって、運動不足という不健康を克服するだけ

で、かなりの部分が幸福に転じるのではないかと思う。

 収入が増えることよりも、いい買い物をすることより

も、成績が上がることよりも、恋愛よりも、運動不足を

解消することが幸福である。

 幸福のボトルネックが、運動不足であると思うのだ。

 

 自分の運動不足、家族の運動不足、社員の運動不足、

国民の運動不足こそは貧乏神である。

 それなのに、運動不足の解消を後回しにし、貧乏神に

身を酸化腐敗させている人があまりにも多すぎるのでは

ないかと思う。

 

 運動不足の解消のために、時間と労力と多少のお金を

投資すべきである。

 国民の錆落としが進めば、それだけで日本は輝かしい

成果を挙げ始めるはずである。

 急がば回れ、不況対策は、まず、不機嫌な運動不足の

解消という政策を最優先するべきである。

 

 そのための国家政策として、次のことを提言する。

① 高齢者向け運動インストラクター処方に保険を適用

する。

② 運動施設について、公設民営化を進める。

 即ち、人件費のみ、企業化し、設備費は公費で賄うの

である。

 病院も同様の方法が妥当である。

③ 平日、昼間の運動促進のために、週一回2時間程度の

スポーツタイムを法律制度としてビジネスルール化する。

④ ウォーキング・ジョギング環境を整備する。

⑤ スポーツ施設と温泉施設を観光の基本戦略要素とし

て、日本の観光地を再生する。

⑥ 九州国は、アジアのスポーツ文化の中心地となるこ

とを目指し、スポーツ留学、アジアのスポーツ大会を促

進するための投資を経済戦略の中心に据える。

⑦ 福岡市は、天神の庁舎をスポーツ施設に提供し、庁

舎は不採算な開発で問題となっている人工島に移転する。

 

 2009年は日本にとって、試練とチャンスの年となるだ

ろうが、運動不足ではチャンスとすることはできないで

あろう。

 健康な動きの中から、自立のチャンスをつかみたいも

のである。 

                                 

梅士 Baishi 

 

  

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 年末の市場・・・ 革命前夜  国民に問われる責任と気概

2008年12月27日 17時47分08秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 年末Tosizue の 市場に餅を 買いに行き

   馬糞 Bafun 

 

 

 思い立って、近くの市場に餅を買いに行った。

 和菓子屋の餅だ。

 ぞうにには欠かせない粘り気のある餅である。

 

 あんこ餅が未練だったが、また買いに戻るのは武士mononofu 

の美学に反する。

 通りがかりに、スーパーよりも安い野菜に引かれて、

ほうれん草、春菊、長ネギと豆の葉っぱのような変な野

菜も買い求めた。


 市場というのは、小説の一場面のような、味のある観

光地である。

 

 今年は、市場の露天でしめ縄を買うことにしよう。

 遊びに来るメジロや鶯を眺める窓際に飾りたい。

 さあ、来年は、さらに激動の年になるだろう。

 

 

 

 

革命前夜

 革命前夜の年、そうなればよいと思う。

 あの穏やかなタイでさえも、市民の行動で政変が起こ

った。

 しかし、この日本に、革命の気概が残っているのだろ

うか。

 

 もはや、日本国憲法無効宣言、日本国独立宣言・新憲

法制定、税の縮小単純化、公務員半減の大リストラ、マ

スコミ解体・・・ 維新革命というべき政変なくしては、

日本の未来はないであろう。

 

 巨大な水タンクと戦闘機燃料を蓄える人工島型空母を

建造し、空訓練を始める気概のある政権の誕生を期待

する。

 

 「日本国憲法」無効宣言をする、気概ある政権を期待

する。

 

 憲法を法律並のフレキシブルな法形式とすればよい。

 全容が固まるまでは、慣習憲法として、弊害の大きな

部分を立法して、成文憲法の全容を次第に固めてゆけば

よいのだ。

 

 未来の構想、危機感、責任感、気概が求められている

のは、政治家だけではない。

 仕事がない、金がないと、国や政治家に責任転嫁して、

あれをくれ、れをくれと、みっともない貧乏社会主義

の不満たらたら・・・。

 

 そんな国民個人や、その不満を煽るマスコミ人間にこ

そ突きつけられている問題である。

 

 今の政治危機を作ったのは、他ならない、有権者国民

である。

 その責任をこそ己に問うべきである。

 

 もはや、小手先の手直しでは済まなくなった。

 日本国の危機をどう切り抜けるのか。

 国民責任が問われる2009年の激動が刻々と明けようと

している。

 お目出度い国民ではなく、お目出度い年にしたいもの

である。                   

       


梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 狐のカラスウリ・・・ 東西文明の融合という挑戦に発展あり

2008年12月26日 18時05分10秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 カラスウリ 狐下げたる 灯りかも 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 篠栗駅から歩いて20分ほどのところに、財政豊かな久

山町が運営する「久山温泉」がある。

 

 年に二三度、思い出したように行くことがある。

 交通不便なので、歩道のない危険な車道を歩いてゆく

か、タクシーでゆくしかない。

 たまに、バスが行くらしいが、ほとんど出会わない。

 車道を歩くだけというのも無粋なので、山越えの道が

ないものかと、横道に入った。

 

 さえずりや羽音で賑やかな柿木があった。

 たくさんのメジロたちが腹いっぱいに柿をつついてい

た。

 その木は、鳥たちのために柿を実らせているのだろう。

 

 藪の中でひときわ目立つのがカラスウリの紅い実であ

る。

 狸というよりも、狐が通う赤提灯のように、怪しい色

で下がっている。

 

 結局、山道は途絶え、引き返すことになった。

 それにしても、山にはちょっとした冒険がある。

 人はあまり藪に入らないほうが良い。

 鳥や動物の住処をこれ以上奪いたくはないからだ。

 

 山を失ったメジロが、今朝もひとしきりさえずった。

 いい歌だった。

 柿の木のかわりに、春までは柿やみかんを提供すると

しよう。

 

 

 

 

東西文明の融合という新文明への挑戦


 諸行無常というこの世の運動法則は、発展をとるか、

退転をとるかの二者択一である。

 退転とは、リスクをとらない安全志向の着地である。

 

 発展とは、リスクと責任を背負ってするチャレンジの

果実である。

 リスクの実現は、失敗ということであるが、退転では

ない。

 発展のプロセスに失敗もまたあるということである。

 

 

 日本の歴史的位置づけは、西田幾多郎の挑戦というべ

き東西文明の合流点として、その融合を目指すべき位置

にある。

 教育も、商品開発も、企業戦略も、この『東西文明の

融合』をキーワードとして挑戦するところに、新時代の

発展が開かれるであろう。

 

 小さな会社であっても、次の一手として、東西文明の

融合ということを考えてみよ。

 かならず、新しい価値を生み出すことができるであろ

う。

 そのための試練が今、後押ししているに違いないのだ。

 

 しかし、文明の核となるのは、信仰である。

 信仰のない者は、残念ながら、文明ということを理解

できないであろう。

 

 欧米文明の核は、キリスト教と地中海文明の核という

べきギリシャ哲学であろう。

 東洋文明は、小乗仏教、儒教、日本神道である。

 その融合したものの一つが「武士道」というべきであ

ろう。

 

 日本になじみの少ないものが、中東文明ともいうべき

ユダヤ教、イスラム教である。

 

 だから学ばなければならない。

 キリスト教文明と仏教文明の思想と歴史を。

 世界史と日本史と東南アジア史を。

 そして、信仰という悟りの境地を。

 

 宗教音痴の日本人とは、国際性のない日本人を意味し

ている。

 国際的に見て、ノーブランドで無教養ということであ

る。

 すなわち、信用できない動物的人間ということである。

 

 だからこそ、宗教の教養と感性を磨かなければならな

いのだ。

 信仰なき文明はない。

 文明とは、信仰を核とする繁栄である。

 正統な信仰がさげすまれるとき、文明は崩壊してゆく

ことになる。

 

 文明の衝突ではなく、文明の融合によるあらたな発展

を目指すには、伝統的宗教を融合する高次の宗教が受け

入れられなければならない。

 おそらくそれが、幸福の科学・仏教ではないかと思う

のである。

 

 新しい宗教理解なくしては、日本のみならず、世界の

あらたな発展も文明創造もならないであろう。

 

 新しい発展の鍵は、ヘレニズム文明よりもはるかに壮

大な東西文明の融合である。

 

 これを進める者は、個人も企業も、新しい価値を生み

出し、あたらしい発展と繁栄を享受することができるで

あろう。

 その発展の前に立ちはだかるものは、大衆的偏見であ

り、リスクを嫌う事なかれ主義という退転思考である。

 

 チャンスをつかむためには、最後には勇気である。

 退転か、発展か。

 発展を取るならば、勇気を持て!

 

 自民党よ、発展をもたらす政党であるならば、大義を

掲げ、リスクをとって、勇気ある行動をとることだ。

 

 今こそ、全ての日本人に、新しい文明のための理想と

勇気が求められているのである。 

                                 

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ サンタの休日、クリスマス・・・ 経済の本義 、『与える愛・資本主義』への反省。

2008年12月25日 09時44分21秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  夢といい 幻と言いし サンタ来て 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 サンタクロースのプレゼントが枕元にあって感激する

朝が明けた。

 えっ、いつきたんだろう?

 ああ、よかった、来てくれたんだ~。

 わあ、すごい、うれしい!

 

 子供の頃を思い出す。

 ほしかったブリキのおもちゃ。

 百科事典。

 サンタの靴下にいっぱい詰まったお菓子・・・。

 

 サンタクロースは本当にいるのかいないのかと考えた

こともあったが、サンタクロースの愛の光が世界中に広

がって、たくさんのやさしいサンタクロースが子供たち

にプレゼントをしている。

 

 その父が、母が、そのおじさんが、サンタクロースで

はないか。

 サンタクロースは人の心の煙突から入る神であり、そ

のとき人は神になる。


 子供たちの喜びがうれしくて、世界中のサンタクロー

スがプレゼントをする。

 それが、商業の豊かさを生む。

 

 与える愛こそは、喜びという無限の繁栄を生む消費で

ある。

 愛こそは、仕事の本義、消費の本義、経済の本義であ

る。

 大いに、愛と感謝のプレゼントをしようではないか。

  

 

 

 

 

不況の年に反省すべきこと】 

 

 この一年、後半の経済の崩れは著しかった。

 そのため、日本でも、自動車工場を中心に大量解雇と

いう失意が暗雲となっている。

 

 貧乏神というのは、自己保身の不安と失意とうらみに

繁殖するウィルスのようなものである。

 

 『与える愛』の観点から、自分の仕事、会社の仕事、

企業の経営を省する必要がある。

 

 自動車業界の想定為替レートが高すぎた。

 どんなに円安にもどっても、一ドル80円レベルで利

益を織り込むべである。

 円安に依存して販売を伸ばすことは、好ましいことで

はない。

 

 販売が落ち込んだ今、販売から賃貸、すなわち、レン

タカーに切りえればよい。

 ラインを止めない工夫をするのが、愛である。

 

 小型電気自動車の生産、電源スタンドの建設、水素燃

料電池の開発・・・。

 電気自動車といっても、電気もクリーンに生産できな

ければ意味がない。

 脱石油のエネルギー、動力開発なくしては、今回の不

況を福に転じることはできない。

 

 日本の活路は、新エネルギー開発、新動力開発、環境

技術開発、新しい農業技術開発に全力を注ぐことをおい

てほかにあるまい。

 

 いかにもうけるかではない。

 いかに救うか、いかに喜んでもらうか、である。

 これが、『与える愛・資本主義』による、あたらしい

繁栄の精神であろう。 

                                  

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

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+ 納めの地蔵・・・ 信仰の本義  クリスマスイヴに

2008年12月24日 18時53分22秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

    

   身代わりの  納め地蔵の  イヴの夜 

     馬糞 Bafun 

 

 

 

  博多の魚屋に行くと、大半売り切れていた。

 クリスマスイヴの夜は、居酒屋も客がなくて、ホーム

パーティに魚を買って行く客が多いのだそうだ。


 どでかい天然鯛のアラとシメサバ、そして刺身のパッ

クを買って2千2百円。

 ケーキよりも安い、充実のクリスマス・さかなに満足

の買い物だった。

 

 そういえば、今日は納めの地蔵、今年最後の地蔵の縁

日になる。

 地蔵さまは、人の災難を身代わりしてくれるという。

 人間の勝手なお願い事を聞いて助けてやろうという、

ありがたい仏の慈悲なのだろう。

 

 仏教というよりも、キリスト教に近い救済型信仰とい

うべきであろう。

 そういう意味では、地蔵もまた、クリスマスイヴは心

ときめく夜かもしれない。

 

 だから、イヴに楽しみのない人は、地蔵に手を合わせ

ると良い。

 神も天使も、人々の悲しみのために涙を流す存在でも

あるのだ。

 

 

 

 愛の神  キリスト馬屋に  生まれたる 

   馬糞 Bafun 

 

 

 信仰の有無は、人生の決断である。

 自分の死は、自分の人生の意義をなんとするのか。

 死の意味こそは、人生の意味である。 

 

 人は何ゆえに苦悩するのだろうか。

 自己保身か、愛か。

 使命のない人生の苦悩ほど、救いのない苦しみはない。

 

 信仰こそは、使命である。

 主と仰ぐは、永遠の師であり、自分の命の在り処であ

る。

 信仰とは、仏神への忠義であり、仏神の愛の一端を担

う修行である。

 

 信仰は死線を越える。

 信仰は愛であり、修行である。

 信仰とは、まさに、生きることの正義であり、正統で

ある。

 

 だから、信仰なき者たちよ、唯物論者よ、仏神に手を

合わせてはならん。

 クリスマスにあやかってはならぬ。

 除夜の鐘に親しんではならぬ。

 初詣をしてはならぬ。

 

 その後もずっと、神社仏閣教会に参ってはならなぬ。

 苦しいときも、仏神に祈ってはならぬ。

 信仰に縁なき者たちよ、

 信仰深き海外のキリスト教徒、仏教徒、イスラム教徒

と無縁であれ。

 

 無神論の者よ、信仰なき唯物論者よ、信仰の蜜を盗む

なかれ。

 

 ああ、その人生の何と灰色であることか。

 その魂のなんと飢えたることか。

 

 自分の人生目的を何と名乗るのか。

 守銭奴か、自己中心者か、独裁者か、放蕩者か、単な

る貧乏人か・・・。

  

 それ故に、自由とは、神からの自由であってはならな

い。

 神近くへの自由であるからこそ、尊いのだ。

 神近くへの自由こそは、自助努力の道、修行の人生に

他ならない。

 

 神の御手に委ねられた命であればこそ、死線を越えた

生きがいを持つことができる。

 

 神こそは愛である。

 神こそは智慧である。

 神こそは許しであり、永遠の時である。

 

 神の偉大を信じることのできる者たちは幸いである。

 その幸いを与えられたことを、神に感謝する。

 この世に一灯を点じて死にたいものである。 

                                  

梅士 Baishi

  

 

 

 

2006年リバイバル
『キリスト教プロテスタントからの発展的信仰告白』

http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/6e1019e6fc4aef558f9bd1d525b9d89a

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 紅葉の指を渡る日・・・ 三福経済主義

2008年12月21日 11時10分29秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

  もみじ葉の  指を渡りて  冬至行き 

    馬糞 Bafun

 

 

 

 今朝は日曜日の冬至である。

 冬至の日は、紅葉の掌に乗って指渡りをするように短

い。

 しかし、今朝は小雨になって、冬の底に小さな水溜り

ができた。

 

 冬至は湯治につながるとか、ゆず湯につかる風習があ

る。

 今日は、ゆず湯で熱燗としゃれたいものだ。

 銭湯に行ったら、ゆずが浮いているかもしれない。

 そして、風呂上りにかぼちゃを買って帰るのだ。

 ああ、なんて贅沢な一日!

 

 いざ、出勤。

 

 

 

 

三福資本主義経済】 

  資本主義の終焉などといわれるが、その資本とは何か。

 私有財産制を意味するであろう。

 即ち、資本主義とは個人の経済活動の自由による繁栄

を目指す考え方というべきであろう。

 今問われていることは、個人の経済活動の自由は、い

かにあるべきかというモラルである。


 資本が、金儲け主義、拝金主義に堕してはいないか、

という問題提起が今日の世界同時不況と言われる事態で

ある。

 

 経済の精神は、『経世済民』すなわち、世のため人の

ためである。

 そこから生まれる経済活動のモラルとして分かりやす

い主義がある。

 それが、三福主義である。

 

 惜福・・・ 稼いだからといって、いい気になって浪

費しないで蓄えること。

 一時稼いでいても、浪費して身代をもちくずした人は

西鶴文学で語られてきたことでもある。

 日本国や自治体の予算は、この惜福ということを知ら

ない。

 

 分福・・・ 富を分け与えること。自分が稼いだよう

であって、そうではない。

 人様のおかげで仕事が成り立ち、支えられている。

 人間は一人では生きていないのである。

 人々が分福ということを行えば、不平不満の福祉政策

などいらないのである。

 

 植福・・・ 将来のために投資をする。あるいは、尊

い人に喜捨をする。

 お金は働き者である。

 お金に尊い仕事をさせるために、投資をし、あるいは、

献金をすることで、大きな富が育つのである。

 

 政治家は教育者でもある。

 政治家として、こういうことも語ってほしい。

 そこに、信頼と尊敬が生まれ、政治の権威が培われる

のである。

 

 『三福経済主義』を資本主義のモラルとして提起した

い。                                 


梅士 Baishi

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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+ 空の骨格、冬木立・・・ あたらしい経済の精神を

2008年12月20日 08時15分57秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 冬木立 空の骨まで 透けて見え

    馬糞 Bafun

 

 

 

 黄金に輝いていたイチョウも、筋雲の風が吹いた数

の間に葉を落とし、すっかり冬木立になってしまった。

 毛細血管のような枝の隅々まで、青空が染み込んでい

る。

 晴れ渡った青空の骨格のようでもあり、空が一枚の葉

っぱになってたっているようにも見える。

 明日は冬至であるが、ほんとうに、冬になったんだな

あと思う。

 

 

 


 【新しい自由主義経済の倫理道徳


 倫理とは、人の和の法則、即ち愛である。

 道徳とは、徳のある生き方、即ち自助努力の修行論で

ある。

 物事の骨格というべき倫理・道徳がたっていなくては、

いかなる方法も、調和と発展のバランスを失う。

 

 社会主義経済には、神への敬虔と道徳を欠いた。

 資本主義経済も信仰を見失いつつある。

 信仰の原点を見失うところから、人間の堕落が始まる。

 さらには、資本主義経済に欠けたのは愛である。

 

 まず、経済にも憲法というべきものをしっかりと打ち

立てる必要がある。

 その根本にあるのが、信仰と愛と修行の精神である。

 

 国家の経済こそは、経済の憲法を貫く木立でなければ

ならない。

 予算制度の根本からの見直しが必要である。

 

 税収の範囲で、公務員人件費を含んだ予算を組むこと。

 公務員人件費は、総予算の5%程度に抑えること。

 従来の公務は基本的に民間委託すること。

 

 政府、自治体は、経営組織としての権限と責任をもつ

こと。

 即ち、公務員の懲戒、解雇、給与決定、決算責任など

である。

 公務員採用情報、人物情報を公開すること。

 

 予算は、GNPの10%以内に抑えること。

 税金を単純化し、所得の10%以内にすること。

 それ以外の支出については、市場原理に基づく国家産

業として創意工夫すること。

 

 予算単年制を廃止し、倹約と資金内部留保を進めるこ

と。

 国家としての蓄財があれば、いざというときに対応で

きるからである。

 

 小さな政府

 大きな貯蓄

 三福経済倫理教育(惜福、分福、植福)

 

 愛と修行の経済に根拠をもつ、国家のあり方を大いに

議論して、新政府を樹立してほしい。

 

 議論の自由を確保するためには、マスコミに気取られ

ないようにすることが肝要である。

 現代政治には、言論の自由がないということを、再認

識することだ。  

                               

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

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+ 天の蔵・・・ 喜捨という、公務員向けマネーロンダリングのすすめ

2008年12月19日 10時56分15秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  援けする 年の瀬もあれ 天の蔵

 

      馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 この一年を振り返ると、縁ある人たちとの死別があった。

 それぞれに驚き、辛いものがあった。

 サブプライムローンの破綻が報じられつつ始まった2008年であっ

たが、前半は楽観的に人手不足の勢いであった。

 ところが、後半は一転して不況の嵐に世界が凍りついた。

 年の瀬が押し詰まる中、連日、自動車産業の危機や大量解雇が

報道されている。

 

 貪瞋癡という心の三毒の中でも、貪欲が市場経済のバランスを壊

したのである。

 収入以上に支出することこそは浪費である。

 借金してでも、価値を生み出す支出であるならば、不況にはならな

い。

 そのために融資するのが銀行の役割である。

 私生活のための消費であるならば、貯蓄内融資が妥当である。

 それを超えた融資で消費を誘っては、どこかで破綻する。

 

 欲望の経済であってはならない。

 

 

 

 

 

 

公務員よ、働かざる賞与の半分を失業者のために喜捨せよ


 年の瀬になって、マスコミは得意そうに世の中の不景気風をかき

集めている。

 暖かい部屋のガラス戸越しにみる厳寒の風景は、映画を見ている

ように楽しめるのかもしれない。

 

 そうではないというなら、国の責任だという前に、運をよくするため

に、失業する人々のために、「公務員よ、その過剰な収入を喜捨し

ましょう」と呼びかけてはいかがか。

 

 財政赤字もどこ吹く風、上場企業並に賞与を受け取る公務員の収

入は正当とは言いがたい。

 どんなに景気が悪いといっても、たくさんの人が失業しているといっ

ても、自治体の赤字が増えたといっても、公務員は平均して60万、70

万の賞与をもらっているのだ。

 

 市場経済ではありえないことである。

 

 15-60歳までの労働人口は、およそ5500万人ほどだという。

 その中で、公務員という市場経済を無視した異質な特権身分が400

万人ほど、どんよりと横たわっている。

 

 しかも厚かましいことに、自分たちを「労働者」などと称して、賃金闘

争を訴えてもいる。

 労働者とは、市場経済に身をおく働き手を言うのである。

 

 公務のロボット化、情報化を進めなければならない。

 価値を生み出さない凡庸な特権階級を作ってはならない。

 そうでなければ、経済バランス回復のための解雇が理不尽になる

ではないか。

 公務員よ、その収入のせめて10%-20%を喜捨せよ。

 国民を助けるために歳費を受けている立場を忘れてはなるまい。

 

                                梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 楽しげに山茶花咲く・・・ 食品詐欺、 非国民公務員教員、 良識なき判事、 公務員リストラなき増税

2008年12月16日 21時41分47秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  楽しげに 山茶花咲きぬ 鳥鳴きぬ  

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 山茶花は日本原産の花だという。

 日本伝来の花を中国原産などとケチがつかない分ほっ

とする。

 冬だというのにきれいな花を咲かせるのだから、不

議な花である。

 山茶花にとっては、わが世の春なのであろうか。

 咲く花は、どの花も楽しげである。

 

 楽しげなのは、花だけではない。

 庭に遊びに来るメジロの歌の楽しげなこと。

 巣立ちした雛鳥も、羽を震わせてキュルキュルと甘え

ている。

 

 雪が降れば楽しく、寒いといっては楽しく、冬には冬

の楽しみがあるものである。

 そう思うと、賃金カットで懐が冷えても、楽しい冬で

あることだ。

 

 

 

 

食品詐欺・非国民公務員教師を注意で済ますのか】   

 
 モラルを通り越して、詐欺に該当する食品偽装がまた

発覚した。

 これだけ問題になっても、詐欺がなくならない。

 単なる行政指導の問題ではない。

 詐欺と認定し、刑事責任を追及するべきであろう。

 

 なぜ、このようなことがなくならないのか。

 おそらくは、慣習的に、偽装が黙認されていたからで

あろう。

 見つからなければ、たいした問題ではないという価値

観があるからに他ならない。

 

 同様に、黙認されてきたことがある。

 公務員教師が、式典において、国歌斉唱・国旗掲揚に

従わない人権があるというのである。

 思想信条の自由だというのだ。

 

 これに対して、たいした懲戒も行われなかった。

 例外的に軽微な懲戒がされて法廷で争われた結果、処

分は許される範囲だとの判決なのだが、そういう問題で

はあるまい。

 公務員の分際で、国歌、国旗に反対する権利はありえ

ない。

 即刻解雇が相当である。

 

 裁判所の心得違いもまた、はなはだしいといわなけれ

ばならない。

 裁判官の任用についても、根本から見直す必要がある。

 良識のない法律家があまりにも多すぎる。

 

 判事も教職も、社会経験のないものを任用するべきで

はない。

 

 こうした、寒々とした国家を、楽しいとは思えない。

 この寒さは自然のものではないからである。

 ぬくぬくとして、国家を愚弄する不自然なる者たちを、

許すことはできない

 

 最後に、自民党よ、なぜ、公務員をリストラすると言

えないのか。

 これこそは、公務員労働組合に依存する民主党にはい

えないことである。

 公務員社会主義の解体こそは、革命に匹敵する国民の

願いである。

 それが言えない自民党であるならば、解党やむなしと

いうべきであろう。

 

 大阪の橋本知事のほうが、よほど、日本の「大統領」

にふさわしかうではないか。 

                              

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 落ち葉の隙間風・・・ 私利私欲の先物政治ではなく、地球規模の政治貢献を

2008年12月14日 14時51分27秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


   青空の 隙間の風に 葉を散らし

 
    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

  何を目指した一年だったのだろうかと、多忙の隙間にふと思う。

 多忙とは言っても、貧乏暇なしという雑用的な忙しさではなかった

か。

 そもそも、めざすべき山があったのだろうかと、ルーチンワークに

終始した空しさが年の瀬に濃縮し始めた。

 

 時代は遠大な時を刻んでいるのではあるが、遠大とても小事の誠

実な積み重ねである。

 その小事の中に、遠大な時を刻むことが肝要である。

 

 本質とは小さな核ではない。

 遠大な理想を小さな部品に凝縮するということである。

 

 部品をどのように組み合わせるかという仕上げの問題であるならば、

残り二週間余の年の瀬に、意義を見出すことができるかもしれない。

 もはや、その発見に全力を尽くすとしよう。

 

 借金取りから逃れおおせた元旦のめでたさもあるのだろうが、仕事

の展望を得ておめでとうといいたいではないか。

 

 

 

 

 

先物政治ではなく、歴史作りの政治を


 最大の政局課題は「ねじれ国会」の解消と強い政治力を持った政

権の再編である。

 しかし、政権交代のための先物取引政治であってはならない。

 小沢・鳩山・菅の民主党政治であってはならない。

 日本独立という大転換を織り込んだ国家建設でなければならない。

 

 政治とは、国家的使命の遂行責任である。

 国家は各人の自己満足の集合体ではない。

 国家とはあるべき未来を構想し実現しようとする組織であり、歴史

作りの主体でなければならない。

 

 人類としての発展繁栄を目指すところに、国家としての誇りがある。

 誇りなき国家は不満の温床である。

 

 ところが、国際政治の世界でも、先物取引のような私利私欲の政

治が横行しているようである。

 世界中の農地囲い込みに韓国、中国が露骨な動きをしているとい

うのだ。

 人口百億人時代の先物希少資源を狙って、資源争奪戦が始まって

いる。

 

 

 

 

 

 

砂漠の『電源開発・水製造・農地化』プロジェクトを!

 

 争奪資源の代表は、水資源争奪戦である。

 水がなければ、農作物も育たない。

 水を制する者が経済を制するのかもしれない。

 そうした水不足、食料不足、エネルギー不足を予想した先物投資

が始まっている。

 

 水資源の争奪戦ではなく、水生産技術の開発競争であるならば、

大いにやるべき競争である。

 農地争奪戦ではなく、砂漠の緑化、農地化こそは、日本が国家的

プロジェクトとして取り組むべき国際貢献事業となるであろう。

 

 佐賀大学理工学部研究室の海洋温度差発電プラントは、発電と

水作りを同時に実現する未来技術として国際的な投資を受けてい

るという。

 水製造プラントの開発は日本産業の責務というべきかもしれない。

 

 さらには、海底には、油田ならぬ水田が埋蔵されているかもしれ

ない。

 石油よりも、水に価値がある時代の構想を、先物取引的な投機で

はなく、開発的な産業投資として取り組むべきなのだ。

 

 こうした未来構想こそは、国家統合の誇りとなり統合の力となるの

である。

 不況対策は、福祉的な資金手当てではなく、未来構想を持った投

資であるべきなのだ。

 中小企業も、自動車産業に一存するするのではなく、未来構想を

織り込んだ部品開発、小さな技術プロジェクトに着手することだ。

 そのための開発投資を政府に要請するべきだ。

 

 理想を実感できる多忙でありたいものである。


                              梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 木立ダリア・・・ 政界再編に奔走せよ

2008年12月10日 22時11分54秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 秋の句に  木立ダリアも  入りたく

    馬糞 Bafun

 

 

 

  秋の陽を  木立ダリアに  高く干し

     馬糞 Bafun

 

 

 ずいぶんと大柄な花があるもんだと珍しく、朝陽に透

かして眺めてみた。

 花が枯れた頃、木立ダリアという花の名にたどり着いた。

 背の高いコダチダリアが、やっと、秋の句のにじり口

をくぐった。

 これで、秋の句のつかえが取れたような気分である。

 

 

 

 

 

政界再編に奔走せよ


 政局にも、喉につかえるとげが刺さったままである。

 マスコミの怨霊どもが、朝日からフジまで、口をそろ

えて麻生内閣の支持率が下がったの、政権交代選挙を早

くしろのとキャンペーンを張っている。

 それに政治家が踊らされる。

 なんとも愚かなことである。

 

 心ある政治家は出演をするな。

 出演するなら、キャスターを非難せよ。

 何様かと。

 国民の一人ではあろうが、代表ではない。

 その見識も実績もない。

 思い上がるな、と。

 

 問題は、いわゆる、ねじれ国会である。

 これは解消しなければならない。

 そのためには、自民党が連立を断って、民主党の切り

崩しを図ることだ。

 そこに、麻生首相の戦略が求められる。

 

 一か八か、公明党との連立解消を条件に、心ある民主

党若手議員の取り込みを衆参両院で急ぐことだ。

 そのための大義が、ねじれ解消である。

 そうでなければ、どうして、この困難な時代を切り開

くことができようか。

 

 ビジョンを示せ。

 世界戦略の大義を語れ。

 オバマ大統領は、世界のアメリカ大統領ではない。

 一アメリカの首相というべきレベルに萎縮した代表で

ある。

 

 アメリカはもはや中国を抑える力を失う。

 アメリカは4年間の間に、萎縮する。

 暗殺でもされない限り。

 

 日本と中国との覇権争いになる前に、日本の制海権を

確立しなければ手遅れになる。

 ねじれ国会ではどうしようもないのである。

 この、日本の国難のときに、政権に執着する小沢民主

党というわけには行くまい。

 だからこそ、心ある政治家を結集しなければならない

のである。

 

 麻生総理よ、こころせよ。

 自民対民主の戦いではない。

 切り崩し以外にはないのである。

 

 日本の大義を熱く語っていただきたい。

 それが、日本を救い、アジアを救い、中国の侵略を止

める。

 麻生首相には、その智慧と勇気があるはずである。

 

 大義なくしては、人は動かない。

 理想なくしては、力は結集しない。

 フィヒテのごとく、日本国民に告げていただきたい。 

                            

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 冬至前の朝・・・ 「社会学」入門書にみるまやかし  不信仰の罪

2008年12月09日 19時16分40秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 明けがたき 夜yo に配達の 音走り 

    馬糞 Bafun

 

 

 

 キーという自転車の音、プルプルプルという新聞配達

のバイクの音。

 冷たく沈殿した深い夜に、朝の気配がした。

 しかし、起きるにはまだ早い午前4時半だった。

 

 冬至前の朝は明けがたく、明けてからでは遅刻する。

 あわただしく家を出ると、冷たい空気の中を、宇宙遊

泳のようにかたまったまま、人々が流れてゆく。

 分厚いコートが宇宙服のようなのである。

 

 連日、名前を書いた看板が朝刊のように真新しい葬祭

場前を通る。

 今朝は、めずらしく休刊のようだ・・・と思いながら

自転車を走らせる。

 厳しい年の瀬になったが、ここで踏ん張らなければな

らない。

 

 今日は、掟破りの不倫がばれた若い社員が懲戒解雇さ

れる。

 性のモラルはいったいどうなっているのだろうか。

 日教組にたずねてみたいものだ。

 「いやあ、ジェンダーフリーですから、不倫というこ

と自体ありえんでしょう・・・」

 

 

 

 

まやかしの偽学問に注意!

 

 有斐閣から出ている社会学入門書をぺらぺらと読んで

みた。

 「社会学とは・・・」というコンセプトを読み取ろう

と思い立ったからである。

 いったい何を探求しようとする学問なのか、そもそも

学問なのかという疑問があった。

 

 共著であるから独りよがりのテキストではないだろう。

 それで分かったことは、マルクスやカールポパーとい

う社会主義ないし唯物論の価値観を基準に、差別的社会

現象を批判するという内容であった。


 貧富の格差、男女の格差(ジェンダー論)、企業の搾

取支配構造・・・

 ずいぶんと時代遅れの問題意識である。

 それを社会学とは恐れ入った。

 

 社会学とは詐称というべきであろう。

 社会主義による差別の研究とでも改めるべきである。

 同じようなことが人権論にみられる。

 

 人権とは、国家の基本理念として尊重すべき、国民の

公益活動の自由と、国民の自己統治責任の自由を根本と

するものである。

 

 ところが、「人権」というのは「差別」を批判し

反省するという学なのだそうだ。

 わが、キリスト教の恩師も、そのホームページを見つ

けて覗いてみると、問題研究の著作をライフワーク

と決め込んでいるらしい。


 キリスト教が、弱者保護を美徳とするのは悪くないが、

なぜ、共産主義のプロパガンダやイデオロギーに囚われ

るのか。

 

 迫害を期待し、繁栄に背を向ける。

 貧困こそが正義と決め込んでいるらしい。

 若いときから少しも進化していない愚かさに、キリス

トも匙を投げていることであろう。

 もはやわが師ではなくなっていたことは、残念なこと

である。

 

 

不信仰の罪

 新文明を切り開こうとするわれらにとって、今最も対

決すべきは日本的嫉妬合理化社会主義、ヒューマニズム

化合唯物観であろう。

 これを一言で言えば、不信仰の一言である。

 

 新文明の方向性は弁証法的宗教の合一、高次元宗教に

よる信仰文明であろう。

 なぜ、世界宗教の神仏が人類を指導してきた伝統的神

々であることを、優れた師であることを、だからこそ、

排他的ではないことを理解しないのか。

 

 神にも階級がある。

 序列がある。

 神にも師がある。

 

 それが、無限に発展すべき宇宙の法則というべきでは

ないか。

 一神教は、師事する誠実ではあっても、排他であって

はならない。

 道を求める者は、謙虚でなければならないからである。

 

 キリスト教も、イスラム教も、その排他的な傲慢を反

省すべきであろう。

 しからざれば、遺恨を残し続けるであろう。

 そのような罪を、信仰する神に押し付けてはなるまい。

 

 しかし、もっと恥ずべきは、不信仰なる者たちである。

                                 

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 木枯らしが吹く・・・ 平成維新革命立国論

2008年12月05日 21時34分05秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 年の瀬の 暦koyomiをめくる 落ち葉かな

   馬糞 Bafun

 

 

 

 台風が来なかった年の冬は寒いという。

 大陸の勢力が強いということなのか。

 日本も、大陸からの北風に吹き払われているかのよう

である。

 

 美しい日本も、紅葉のように散り積もって吹き払われ

ることであろう。

 美しいとは言っても、それは風前の灯火のような伝統

と自然のことである。

 もはや、日本人のことではない。

 

 しからば、この冬は荒れてくれたほうが良い。 

 かつてないほどに厳しい寒波に吹きさらされたほうが

良い。

 神々よ、この、大和の穢れを祓い清めたまえ!

 

 日本全土がシベリアのように凍りつくが良い。

 北方の国の、背後に迫る大陸の侵略がいかなるものか、

思い知ったほうがよいのである。

 ただ同然に国を売られるよりは、神々によって滅ぼさ

れたほうが良い。


 その、最後の願いに至らないように、さて、心あるく

に民よ、われらは何をしたら良いのだろうか。

 

 

 

 

平成維新革命立国論


 クーデターか。

 民主主義が秘めたる伝家の宝刀である。

 その剣を抜き払うべき時が近づいている。

 

 偽憲法『日本国憲法』の無効を宣言し、一旦天皇に政

権を返納して新政府を樹立し、独立国家としての新憲法

を発布することである。


 そのための公務員体制、自治体体制を準備し、新しい

立憲君主制国家日本として再生することである。

 もちろん、天皇は日本の伝統であり、日本国統合の象

徴としての権威である。

 

 九州・中国は、鳩山邦夫氏の政権として立国させれば

よい。

 四国・関西・中部政権は安倍氏か・・・。

 関東中央政府は石原都知事か・・・。

 北陸北海道政府は・・・。

 

 そのように、国づくりのリーダーを定め、水面下で準

備をすることだ。 

 そうすれば、アメリカ人も、オバマ氏も、少しは日本

を見直すことであろう。

 北京政府も恐れることであろう。

 台湾人も奮い立つであろう。

 

 アメリカ経済を救うためにも、早急に空母を発注する

ことである。

 航空隊を編成することである。

 退役米兵を雇って、訓練指導を依頼するとよい。

 彼らも、誇りを持って任務を遂行するであろう。

 

 日本が仏国土となって、アジアの神々の拠点となる。

 そのように宣言すればよい。

 それが、日本の使命であり、国家の存在理由となるで

あろう。

 

 神々の心が一つになるアジアの聖地となろうではない

か。

 それが、新しいやまとの国づくりである。 

                              

梅士 Baishi 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 朝顔ちぢむ・・・ 内需拡大策  国策映画『リバイアサン』制作の提案

2008年12月02日 08時59分58秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 朝顔の  その朝寒く  縮みたり
       馬糞 Bafun

 

 

 

 朝顔が一輪の望みをつないでいたが、咲かせることが

できないままに枯れてしまった。

 自慢の大きな葉も縮んで、大きな隙間になった。

 

 秋が終わった。

 師走である。

 

 あっという間に忘年会になり、クリスマスの電飾が賑

わう。

 クリスマスの灯が消えると普通の日に戻るが、すぐに

大晦日から正月になり、2009年が始まる。

 年内に年賀なんて気分にはなれない。

 重たい何かを引きずりながら、無理やり正月になって、

なんとなくそういう気分になる。

 

 「ああ、いい一年でしたねぇ」

 年内に目出度い気分になる方法はないものか。

 全力を出し切った、という達成感で、一年を終わりた

いものだ。

 

 トラックに入場して、一年のマラソンのゴールが見え

てきたのだ。

 順位なんて関係ない。

 よたよただったけど、ゴールまでの一周くらいは颯爽

と全力で走ろう。

 そうしたら、すごくがんばったという気分でゴールす

ることができるかもしれない。 

 

 

 

 

使命と人生観、その原点にある信仰心について】 

 
 使命感こそは、人を強くする。

 底知れない力を発揮する。

 使命感とは、信仰心の発露である。

 

 信仰とは何か。

 それは、人は何のために生きるのかというテーマにつ

いての、神とのコミュニケーションである。

 

 神を否定する者には、使命感という人生観は得られな

い。

 使命とは与えられるものだからである。

 与える者、それが神としての神聖を持たない者である

ならば、使命とは脅迫のようなものとなるであろう。

 

 神への敬虔は、人々の危機、国家の危機を感じ取った

とき、使命感に変わる。

 このままでは大変なことになるというリアルが、使命

を照らし出す。

 使命への挑戦が人生の達成感であり、感動を生むのだ。

 

 発展のプロセスは、常に堕落衰退の危機と、無限の発

展への苦難困難にはさまれた険しい道である。

 その道を行くのが、人間に与えられた使命である。

 

 人は、使命なくしては、生きる目的を持ち得ない。

 

 子供たちは、その使命を見つけるために勉強している

のだ。

 人生の危機、人類の危機、国家の危機を教えるのが教

育である。


 教育の堕落は、教育から危機意識が失われているから

にほかなるまい。

 教師から信仰心ないし、神への敬虔さが失われている

からにほかなるまい。

 

 

 

 

 国策映画『リバイアサン』制作の提案 

     ・・・危機管理は未来をリアルに描くことに始まる 

 日本は今、未曾有の危機に瀕している。

 ところが、マスコミにも、政治討論にも、その危機に

ついてはタブーとされているのか、リアルではないのか

のどちらかである。


 しかし、未曾有の危機である事を国民が知らなければ、

禍転じて福となすこともできない。

 巨大国家日本を動かしているのは、国民の意識と努力

だからである。

 

 最大の危機は、日本国家の独立が失われようとしてい

ることにある。

 すでに、中国は空母を手に入れて、訓練も実施してい

るという。

 オバマ次期大統領は、アジアの制海権を中国に委ねる

つもりである。

 

 さて、このまま、手をこまねいているとどうなるか、

日本が瀕している危機を、リアルに見せるためには、映

画がよい。

 内需拡大策としても、近未来の危機をリアルに見せる

映画を製作してほしい。

 国策映画でもよい。

 政治には必要な手法である。

 

 タイトルは『リバイアサン』。

 ムー文明に生まれたリバイアサンの危機を描く。

 太平洋を治める竜、リバイアサン日本は、このまま絶

滅するのか・・・。

 

 是非、ご検討いただきたい。

                                 

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

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