すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 芙蓉花・・・ 巨大船舶人工島に、神風エネルギー供給プラントを

2008年08月30日 16時37分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 石畳  陽も涼みたり  芙蓉花

    馬糞 Bafun  

 

  

 

  新鮮な日差しに咲いている白芙蓉には初秋の輝きがあ

る。

 白花は、純粋な色彩を放つ。

 小さな細胞の一つ一つが虹色に輝いているのであろう。

 

 今、芙蓉の花が美しい。 

 

 

 

  

巨大船舶人工島に、神風エネルギー供給プラントを

 

 明日は二百十日である。

 台風の露払いの雨に、東海地方は沈んだという。

 九州は、台風でなければならない。

 

 九州の台風は、神風である。

 この神風が生まれる太平洋で、電気エネルギー供給プ

ラントを作ってはいかがだろうか。

 

 巨大な船舶島を作り、発電プラントと、電池製造プラ

ントを搭載するのである。

 有事の際は、空母としての役割も持ちうる。

 そのような有用の公共工事であるならば、投資も集ま

るであろう。

 公共工事だからといって、すべて公費でまかなう必要

は無い。

 

 巨大船舶島は、GPSを使った位置補正のための動力を備

えれば十分である。

 もちろん電動エンジンである。

 

 日本のエネルギー政策として、防衛政策として、経済

活性化政策として、是非、実現してほしい。

 

 いかがだろうか。

 

                           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 記事リバイバル

 『百済国再建への韓流』 ・・・ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/3eb9e8579a2c5a3d82461fe0605ff4d8

 

 『歴史問題という挑発』・・・ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/3d0ee5c33ef39d2ae6b868a07bd8e87c

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 無骨の茄子・・・ 岡目八目経済学 「市場主義経済における自由という前提」

2008年08月28日 21時58分02秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 ひと夏の  庭に無骨の  茄子下がり  

    馬糞 Bafun  

 

 

 

  やっと、天地の暑さも鎮まるというころ、台風の通り

道に水をまくような前線の雨が降っている。

 まあ、本当に暑かったこと。

 しかし、遂に、エアコンのスイッチは入らなかった。

 地球温暖化の折、なんで自分だけ涼しくしていられよ

うか!

 なんて暑さにうだりながら、氷と扇風機と蚊取り線香

でやり過ごしたことであった。

 

 そんな猛暑に面壁したナスが、達磨のように、無骨に

下がっていた。

 ふーっと一息をつくひと夏であった。

 

  

 

  

 【岡目八目経済学


 法律学というのは、学問というほどの天然自然を見失

っている。

 人為の創作物を文化というのはかまわないが、学問と

いうには値しない。

 ましてや、愚かな憲法学者の「学問」を嫌というほど

みてきて、うんざり感を禁じえない。

 まるで、公務員の暇を仕事に偽装するための、市民に

無益な方式仕事と良く似ている。

 

 では、経済学とは何なのか。

 小室直樹著「経済学をめぐる巨匠たち」の冒頭に、

「経済学の扱う対象は唯一、『近代資本主義』だけであ

る」と書いている。

 ずいぶんと大胆で分かりやすい掴み方である。

 アダム・スミスの「国富論」という古典経済学に始ま

って、マルクスだ、ケインズだという学説の優劣をどう

判断してよいのか、もつれた釣り糸の塊を見るようでは

ないのか。

 

 

 

 

 岡目八目で見るに、経済とは、社会の需給バランス機

能である。

 人間は人間関係として役割分担をして生きている。

 それが社会である。

 産業革命以来、その社会は国際化し、その規模を急拡

大してきた。

 それだけに、需給バランスとしての経済は激動期を迎

え、大きな関心事となった。

 

 この需給バランス方式としての資本主義とは、需給バ

ランスを消費者、供給者の取引自由にゆだねることだと

いえる。

 すなわち、私有財産制度を基礎とする市場主義経済を

意味する。

 

 その対極にあるのが、社会主義、すなわち、国有財産

制度を基礎とする計画経済ないし、国策経済主義である。

 しかし、人は支配されることを嫌う。

 やる気をなくし、生産性を失うから貧乏経済とならざ

るを得ない。

 これが、社会主義経済破綻の原因である。

 

  

 

 

 ところで、市場主義経済は、原則、国家が需給バラン

スを人為に操作することを許さないのであるから、「神

の見えざる手による調和」となるのが本則である。

 

 それはあくまでも取引自由の原則にゆだねるのである

から、自でなければ調和の原理は働かない。

 果たして自由なのかということが問われ続けなければ

ならない。

 世の中は往々にして自由を奪われるものだからである。

 

 市場原理が働く環境保全、そこに経済学の探求すべき

課題がある。

 自由でなければ、計画経済の要素が例外として働く余

地がでる。

 そこにケインズ経済理論の意味があるのではないか。

 

 日本の「バブル経済の崩壊」というのは、不用意に国

が金利操作で需給バランスを権力的に抑制したために起

こった悲劇であった。

 長期不況期におけるゼロ金利政策もあまり功を奏して

いない。

 自由の前提が壊れているところに、自由を当てにした

金利政策をしても効果が出るはずが無い。

 

 借りて何をするというのか。

 起業の自由を持つものがいなくなったのに、低金利で

貸しますよといっても悪い誘惑に過ぎない。

 

 アメリカのITバブル崩壊からサブプライムローン崩壊

に至る経済危機の原因も、市場主義経済のアンバランス

ではなく、市場のバランス機能を十分に見極めないで、

官僚的な頭脳プレイで権力干渉したために引き起こされ

たアンバランスだったといってよいのではないか。

 

 市場主義経済における資本とは、個人の生産意欲と価

値創造活動がその原点である。

 だから、貧乏人でも市場経済を通して豊かになれる。

 労働によって得られた利潤を蓄積することによって、

資本力を高め、借金に依存しないで先行投資をすること

ができるようになる。 

 

 

 

 

 ちなみに、経済活動は先行投資である。

 対価を得る前に仕入れたり、コストをかけて生産した

りしなければならないからである。

 先行投資であるからこそ、最初に資金が十分でないこ

とが多く、融資が必要となるのである。

 

 お金はないが、価値生産をしようとしている者に融資

するのが銀行の本質的な役割である。

 その役割を忘れたのが、現代の横着な銀行であり、だ

からこそ、市場主義経済の反作用として銀行倒産の危機

を迎えているのだといえる。

 

 原丈二氏やムハマド・ユヌス氏のようなベンチャーキ

ャピタリストこそは、本来の銀行の精神を持つ経済人で

ある。

 経済には貧困追放の目的意識がある。

 

 経済には、人々を豊かにしたいという願いがある。

 経世済民ということを忘れてはならないのである。

 現代の銀行は経済の精神を忘れた拝金主義者、最も忌

み嫌われるべき守銭奴といってよいであろう。 

 

 市場主義経済にあって、権力は不用意に干渉してはな

らない。 

 国民が本当に自由という前提を持っているのかをよく

よく観察した上で、必要悪というべき市場干渉の政策を

考えることである。

 

 現代に求められているサポートは、お金の無い価値生

産者に十分な先行投資ができるよう、本来の金融の選択

肢を与えることではないのか。

 また、そうした経済の本質を教える教育も、国民教育

として求められているといえる。

 

                                       

梅士 Baishi


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 処暑の雨・・・ スポーツ用品・用具の技術革新とスポーツ文明の視点

2008年08月25日 08時08分57秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 


 博多ごと 行水したり 処暑の雨 

 

   馬糞 Bafun  

 

 

 

  

 

 

  処暑を前に大雨が降った。

 汗だくの街ごと行水したような、熱さましの雨であった。

 処暑の日は豪雨かもという予想だったが、降らなかった。

 雨は降らなかったが、ずいぶんと涼しくなった。

 

 来週は二百十日、台風シーズン到来というカレンダーである。

 台風で行水すると、焼け石の街もふっと、われに返る。

 地球温暖化ではあるが、太陽の傾きは確実に秋に向かっている。

 

 

 

 

 

 

【道具の開発もスポーツか】

 

 スポーツに道具は欠かせない。

 その道具の出来、不出来で競技成果に差が出ることもある。

 スピード社の水着着用で新記録が続出し、オリンピックでも予想通り、

記録ラッシュとなった。

 

 選手の努力なしにはありえない成果ではあるが、水着の影響はあき

らかであろう。

 陸上でも靴の技術革新、ウェアの技術革新、エネルギー補給ドリン

クの開発などが記録を押し上げてきたことは疑いようも無いことである。

 

 すると、よい道具を使った選手とそうではない選手とでは、努力以外

の要素で結果が左右されるとすれば、不公平ではないかとも思える。

 

 では、一切、道具を使わないか、同じ道具で競技をさせるかというこ

とになる。

 

 しかし、そんなことが可能なのか。

 体質はともかくとして、どの選手も同じ条件で競技に臨めるわけでは

ないからである。

 

 すなわち、選手の肉体と精神と努力の成果だけで純粋に競えるのか

というと、そうはゆかない。

 4年間のトレーニングは、どれほどの人とサービスと道具のお世話

なったことか。

 素っ裸で走ったとしても、選手一人の成果ではないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 このように考えると、スポーツとは、競技選手のパフォーマンスを通

して発揮されるさまざまな文化や科学技術の結集として競われている

のだと考えるべきであろう。

 

 かつてのオリンピック競技は、音楽などの芸術を含めて競われてい

たという。

 そういえば、運動会でも単なる運動競技で構成されていたわけでは

なかった。

 一堂に会して、運動競技を中心として文化を競い合う祭典であると

考えれば、おおいに道具の科学的・芸術的開発競争を楽しむことが出

来るのではないか。

 

 

 

 

 

 

 道具の開発の話に戻そう。

 北京オリンピックの競泳でメダリストとなった選手のすべてがスピー

ド社の水着であったわけではない。

 逆に、400、800のフリースタイルをスピード社の水着で臨んだ柴田

選手は体を締め付けられたことが返ってマイナスだったのではないか

とも言われている。

 

 道具の開発は、スポーツに可能性と楽しみの幅を与えてくれる。

 それはおおいに推奨されるべきことである。

 しかし、道具が主役なのではない。

 スポーツは文化である以上、精神的価値の創造にこそ本質があると

いうべきである。

 

 日本チームとして戦うという意識が道具についてもあったならば、ス

ピード社の人気に左右されることなく、わがチームの技術力を代表して

戦うという姿勢があってもよかった。

 それも、気概であり、美意識である。

 

 道具についてまでナショナリズムにこだわるべきかは問題かもしれな

が、そうした仲間意識による気概もまたオリンピックの醍醐味という

きではないかということである。

 

 道具を開発する立場からは、選手と一体となって戦っているという

チームの意識と責任感が欠かせない。

 

 道具は最終的には選手の美意識とニーズを読み取って開発する

とが今後の課題となるであろう。

 道具開発者にも、選手と一体となってオリンピックに参加しているの

だという信頼関係が問われている。

 

 

 

 

 

スポーツ概念の文明化

 スポーツファッション、スポーツ倫理・哲学、スポーツ音楽、スポーツ

政治学、スポーツ経済学、文武両道の教育制度論、スポーツ心理学・・・

 
 スポーツの神聖を認める必要がある。

 スポーツを文明として再構築する必要がある。

 スポーツは強さをアピールするだけではない。

 スポーツは自分を表現する文化でもある。

 スポーツは自分らしさの表現でもあるのだ。

 

 総合文化・総合科学・総合産業・総合教育としてのスポーツの見直

しが今後の課題となるであろう。

 

 スポーツの概念は今後も多様な広がりを見せることであろう。

 そうなってこそ、生涯スポーツの楽しみもまた、単なる健康のためだ

けではなく、文化として国民に浸透するのではないのか。

 

 「これが自分色のメダルです」と言った、競泳バタフライ200銅メダ

リストの松田選手の言葉が印象的だった。

 競争の喜びは、単なる勝利にあるのではない。

 勝負に負けても、そこに敗利というものもある。

 敗利とは、自分らしさの発見であり、人事を尽くしたという達成感で

あろう。

 

 自分らしさの表現という競技の精神こそは、他に比較されがたいス

ポーツマンシップというべきではないか。 

 

           

                                梅士 Baishi    

    

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 処暑のせみ・・・ 北京オリンピックの波紋

2008年08月24日 08時18分08秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  ひと夏を  鳴き過ごしたり  処暑のせみ 

 

     馬糞 Bafun  

  

 

  

 

 

  猛暑の日々にも、一息をつく涼しい朝になった。

 クマゼミも、ねじが切れたかのように鳴き止んだ。

 夏仕舞いの処暑である。

 

 

 

 

 

 

北京オリンピックの波紋


 ついつい観戦してしまった北京オリンピックであったが、今日の男子

マラソンでフィナーレとなる。

 まるで、映画撮影のためのオリンピックだったと思う。

 その間、北京経済は息を止めて真っ赤になっているのであろう。

 

 観客さえもがエキストラではないかとさえ思える。

 仕組まれたドラマ「北京オリンピック」。

 

 消される「聖火」は、中華社会主義帝国の偽装された繁栄の火が

消えてゆく姿でもあろう。

 

 「帝国の最後を飾るイベントとなった。」

 そのように歴史に記されるのであろうか。

 

 市場の力学をだましながら肥大化したチャイナ経済。

 天知る、地知る、子知る、われ知る。

 崩壊は必然である。

 

 だますとは、権力側の一人儲けのために、その他大勢を犠牲にする

画策である。

 

 偽装国際都市、北京。

 虚栄経済都市、上海。

 

 そのときの、市場原理の反動はいかばかりであろうか。

 もちろん、偽装に組した国々も、連座することになる。

 

 オリンピックのあとも、偽装の波紋が残る。

 それが、ドーピング問題のさざなみですむのか、帝国崩壊の津波に

なるのか。

 いずれにしても、歴史的なオリンピックになるのだろう。

 閉会式に長居は無用である。

 

                                梅士 Baishi           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 露むすぶ露草の青・・・ オリンピックついつい観戦記2(ソフトボール)

2008年08月22日 16時25分36秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

   
  露草に  青の雫を  結びたり 

 

     馬糞 Bafun  

 

 

 

  

 

 

  盆が過ぎると、急に朝方が冷え込むようになった。

 もう、タオルケット一枚では寝ていられないほでである。

 日暮れあとの草むらからは、秋の虫が、中洲の喧騒にも負けない

くらいに大きな声で鳴いている。

 がま蛙のように、一日中汗を流して座っていた猛暑も露と消えたか。

 

 残暑の朝露とともに芸術的な花を咲かせるのが露である。

 朝露をためて、青の水源となって咲いている。

 

 一年の花は梅に始まるが、四季折々の花のなんと神秘であることか。

 

 

 

  

 

オリンピックついつい観戦記2


 ソフトボールで遂にアメリカに勝っての金メダル!

 日頃ソフトボールには無縁でありながら、感動的だった。

 良く投げ、良く守り、良く打った。

 

 その勝敗を超えて、表彰式後のメダルチーム三国の選手が集まった。

 黄色のボールで2016と書いていた。

 できれば、2016の下に、TOKYOと書き加えてほしかった。

 

 オリンピック競技への復活をアピールしているのである。

 そんな友情が感動的であった。

 ソフトボールが大好きな仲間なんだなと感じさせられる。

 

 競争を超えた仲間意識をスポーツマンシップとも言うが、本当の仲

間意識というのはなりたつのだろうか、と思わないでもない。

 

 しかし、友情には、生死をともにした友情と、ライバルという友情が

あるのではないだろうか。

 

 競争社会は生きがい社会でもある。

 しかし、その生きがいは一人では成立しない。

 仲間という人間関係と、ライバルという人間関係によって生まれる幸

福感ではないか。

 

 ソフトボールがオリンピック競技種目からはずされるという共通の危

機を前に、彼らはライバルでありながら、それを超える仲間であった。

 

 

 

 

 

 

 その危機はなぜ訪れたのか。

 観客を動員するほどの魅力が無かったから。

 多くの国々で伝統ないし親しみがなかったから。

 プロスポーツへの違和感が残っているから・・・。

 たしかに、野球オリンピックよりもプロ野球や高校野球のほうが面白

い。

 ソフトボールはなじみが少ない。

 国際的な広がりが無い。

 プロ野球リーグも休戦してのオリンピックではない。

 

 

 

 

 

 

新しい国際ソフトボールルールの提案


 では、どうすれば人気が出るのか。

 プロ野球としては、あまりやる気も無いのだろうが、やるのだったら、

国家のプライドをかけた戦いをする以上、プロリーグ戦も休戦にして

オリンピックを応援すべきである。

 

 また、オリンピック競技にいたるまでの国際大会が必要である。

 さらに、比較的短時間に変化に富んだ競技とする国際大会ルール

が必要なのではないか。

 

 たとえば、オリンピック候補に名乗りを上げている国を開催国としての

IOC主催の国際ソフトボール大会を実施する。

 ゲームルールとして、予選は6回戦のトーナメント制とし、投手は3人

が1イニング以上の継投制とする。

 敬遠ないし、ノーストライクのフォアボールは、2塁進塁とする。

 

 いかがだろうか。

 

                                梅士 Baishi  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 雨宿りのトンボ・・・ 国づくりの長老組織づくりと、公務員リストラ法制定を

2008年08月20日 21時51分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  にわか雨  トンボの羽を  軒に干し 

 

    馬糞 Bafun  

 

 

 

 

 

  軒先でトンボが雨宿りをしていた。 

 生き物はお互い様。

 とてもきれいな羽根だった。

 トンボは、いつまで見ていても飽きない美しい生き物である。

 

 いつものように、たくさんのトンボが空を舞っていてくれるが、水辺

が激減している昨今のこと、どうしていることかと気にかかる。

 生き物に思いやりのある街づくりをしてほしいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 国づくり、街づくりを誰がするのか。

 現状は、公務員なのである。

 ここを何とかしなければならない。

 

 公務員はリーダーなのではない。

 公務員間に出世競争はあるだろうが、市場に問われる生存競争は

ない。

 国とり合戦のような命がけの競争もない。

 

 税金をバーゲンのように分捕り合戦する税金浪費競争が制度化さ

れたような組である。

 そこに、国のリーダーは育たない。

 その資格も権威も無い。

 

 社会のリーダーOBが街づくりの中心的役割を果たすべきなのだ。

 いつまでも、経営者団体の名誉職に安住しないで、世直しをして、

リーダーの仕上げをしてほしいと願う。

 

 公務担当は、定年退職の愛国者がもっともふさわしいと思う。

 与党は、民間リーダーを中心とする国づくり執行団体を組織する

ことだ。

 

 大衆的公務員は税金の浪費である。

 国づくりは主権国民の権限であり、責任である。

 

 公務員リストラ法を制定せよ。

 生き物たちが豊かに暮らせる国づくりのために!

 

                                梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 盆の蟹・・・ 長崎はハイテク軍需産業の街として目を覚ませ

2008年08月19日 21時00分49秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 


  送り火を 水面に揺らす 渡し舟


  待つ人もあり 浄土の岸に

 

     馬糞 Bafun 

     馬草 Magusa

 

   

  

 

 

  八月十五日は原爆後の敗戦記念日、長崎精霊流し・・・ 

 長崎の精霊流しは、爆竹三昧のにぎやかな祭りである。

 しかし、精霊流しの爆竹を一度も聞くことがなかった。

 

 西方浄土に勇壮に送り出すのも悪くは無いが、

 涙川に精霊の笹舟を浮かべる精霊流しのほうが風情がある。

 久しぶりに川蟹を見かけて、「蟹の精霊流し」を空想したことであった。

 

 

 長崎は、浦上川や西山、鳴滝などから流れ込む川に沿って狭い平

地が削りだされている以外には、溺れ谷のような深い地形になっている。

 鶴の港といわれる天然の良港、長崎湾は、かつて上海やオランダ、

ポルトガルにもつながっていたが、その背後には急峻な峠を越えなけ

れば、日本「本土」には渡れない、ボトルネックのような地形なのである。

 

 長崎と本土を結ぶ峠道に長崎街道が細々と通じていたが、その峠を

越えてやっと長崎の町に入る入り口のところに、蛍茶屋という一服の町

がある。

 昔は「ああ、やっと着いた」という安堵の旅人と、「ここでお別れします」

という旅立ちの人が入り混じった茶屋があったのだろう。

  長崎街道とチンチン電車の終点であり、始点である。

 

 

                                      長崎駅前の通り

 

 

 

 長崎街道がどのように通じているのか、たどったことは無いが、い

る所に蜘蛛の巣が張っているような細い道が通じているようである。

 

 この蛍茶屋から長崎に別れを告げる最初の難関が「君が手も 混じ

なるべし 花すすき」の句で知られる日見峠である。

 長崎大水害のときは、山津波で道路が谷に崩れ落ち、集落が押し

されるなど、多くの犠牲者が出た地域でもある。

 

 このような住みにくい溺れ谷の僻地に人が住むのは、戦略的地形の

ためであろう。

 バイキングのような土着の街があったのだろうか。

 古代の歴史というべきものは無いに等しいであろう。

 長崎という街は、多民族の町であり、外来文化の町であり、今は三

菱重工業という企業城下町である。

 

 長崎も佐世保も、軍需産業を集積すると、その現代的意義がはっきり

とする。

 軍用ロボット、小型航空機、ロケット、空母、レーザー・・・。

 そうした製造業を集積するのである。

 

 長崎は、やはり最先端のハイテク産業で豊かな街にならなければ好

きにはなれない町である。 

 左翼「市民」と暴力団が暗躍する「原爆と平和への祈り」などという貧

くさい呪いは、早くお払いしなければなるまい。

   

                                 梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

  送り火の  川辺の蟹の  走りけり  

 
   馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 盆の入り・・・ 品格のあるスポーツ競技を

2008年08月13日 18時05分41秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  提灯も   ぶら下がりつつ   盆の入り

 

     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 狭い路地の軒下に、それぞれの家紋の入った提灯が下がるよう

になった。

 うちに下げる提灯は無い。

 仏壇も無ければ、行きつけの墓も無い。

 およそ、家の格式とは縁が無い。

 

 今日は13日、盆の入りである。

 関門海峡では花火大会というが、数日間続いた雷で堪能した。

 海峡の船の行き来をみていると、少しも飽きることが無い。

 

 その海峡で花火大会というのも、よい景色だろうなあとは思う。

 泊まりがけで見るのはよいが、日帰りの混雑を思うと、家にいたほ

うがよい。

 

 盆の入りは静かである。

 

 

 

 

 

 

オリンピックついつい観戦記 】  


 期待のかかったバトミントン女子ダブルス準決勝は、韓国チーム

との対戦だった。

 見ていて不愉快になった。

 あれでは、対戦している日本チームもしらけるだろう。

 

 ルール違反ではないというが、審判にいちいち文句をつけ、なんと

も嫌な顔をする。

 汚いなあと思う。

 違反ではないのだからというが、違反にすればよかった。

 

 スポーツは、清清しい戦いをしたいものである。

 あのようなしつこく厚かましい試合をするのは、それが、韓国人気

質なのだろう。

 嫌われるはずである。

 人相も悪かった。

 

 今後、バトミントンのルールとして、1試合中2回づつくらいのタイ

ムを認めるべきだ。

 本当に不愉快な選手だった。 

 

 日本人選手はおっとりとしている。

 さわやかなのはとてもいいが、もっと強くなってほしい。

 

 それにしても、韓国人選手やチャイナの選手のプレイは品が無く

て、見ていて楽しくない。

 国民が不幸なのだろう。

 

 競争社会にあっても、気品は大切である。

 気品には、圧倒的な強さが必要である。

 厚かましさを恥じ入らせる強さが必要なのだ。

 

 欧米のスポーツは貴族の特権であった。

 それが「アマチュアリズム」と称して正当を装った。

 しかし、単なる身分制とばかりもいえない。

 

 それが、スポーツ文化としての品性というものではないだろうか。

 文化とは、精神世界の個性的な表現であり、心の豊かさを創造

することだからである。

 

 今回のオリンピック水泳で、初めて黒人スイマーを目にした。

 アメリカの成熟を感じさせる光景だった。

 反面、チャイナ、コリアにはまだまだ、品格がたりない。

 文化的に成熟しているとはいえないということだ。

 

 やはり、アジアのリーダーは日本でなければならない。

 

                                梅士 Baishi  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 盆の瓢箪・・・ 兵役ないし労働奉仕+武道教育を成人の条件に!

2008年08月12日 22時20分16秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  瓢箪を   一本下げて   盆に入り


     馬糞 Bafun 

 

 

  

 

 

  暑さとオリンピックで読書もままならない。

 昼飯抜きの午後、プールに出かけた。

 少し動くと、空腹感が出てくる。

 

 オリンピック競泳を見た後のイメージで泳ぐと、50m50秒を切

れなかった最近の運動不足にかかわらず、軽く50秒を切っていた。

 ただ、選手のように距離が続かない。

 すぐに乳酸がたまって水の神経が麻痺してしまう。

 彼らの鍛えられた心肺機能と筋肉はただものではない。

 

 

 

 

 

 

専門スポーツをもてる体育教育を!】

 

 「あなたのスポーツは何ですか」

 「・・・パチンコ?」

 「パソコンゴルフ?」

 

 スポーツとは、身体運動を要素とし、健康ないし身体機能の向上、

または競技能力の向上を目的とする文化である。

 このように定義したいと思う。

 

 国民すべてが、自分のスポーツを定め、親しむようにしたいもの

だ。

 そのための体育教育でありたい。

 スポーツがひとつのアイデンティティーとなることは、生涯スポー

ツ推進の具体化というべきであろう。

 

 

 

 

兵役に代わる武道教育と労働奉仕を

 いじめをなくすためにも、当分は兵役に代えて、古武道や柔道を

必修とすべきであろう。

 兵役ないし、労働奉仕は、スポーツ併修で2年間ほど課してもよ

いだろう。

 20歳までの必修としてはどうか。

 これを終えたものを成人と認めるのである。

 

 与党健在の今のうちに、こうした国民教育の基礎を確立したい

ものである。

 

                                 梅士 Baishi

 

 

 

 

  

  2006年リバイバル『商業の本義』

 http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/baff8188d92cfc3d41d54140f63a8c25

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 夏雲はじけて落雷す・・・ 日本とチャイナの違い

2008年08月11日 23時46分49秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

   

  
    大花火   夏雲はじけ   落雷し 
     

      馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 うだるような暑さがその姿を積乱雲に変えて、

 ついには午後3時、入道雲が破裂する。

 一陣の風が吹き、

 雷鳴がとどろき、

 一気に、暗雲空を覆って、土砂降りとなる。

 そしてついには、落雷・豪雨のドンチャン騒ぎになるのである。

 

 おかげで、しおれていた草木がしゃんとなる。

 その調子。

 ちゃんと、水播きしてください。

 

 一粒二粒つまむ花壇の巨峰が新鮮においしい。

 この暑さを天然にやり過ごしてこそ、Cool なのである。

 

 

 みなさま、もうしばらくの暑さを、涼しい顔でお過ごしください。

 暑中、お見舞い申し上げます。

 

 

 

 

 

  【日本とチャイナの違い


 北京オリンピックには反対である。

 しかし、世界のトップアスリートが国の名誉と人生をかけて戦う競技

である。

 旧式ブラウン管アナログテレビとはいえ、水泳競技が映り、柔道が

映り、バトミントンが映り、クレー射撃が映れば、日本ナショナリズムの

目が釘付けになる。

 時代劇を見なくても生きてゆける。

 

 水泳ブレスト100mの北島の泳ぎは世界新での金メダル、まさに最

高であった。

 これに対して、JUDOの試合は、どうも歯切れが悪い。

 反則点を付け合うスポーツでは、面白くも無い。

 背負い投げって、畳にひざをつけて転がす技になったのか・・・。

 チャイナ選手と観客の一体感も不愉快だ。

 

 オリンピックとはナショナリズムが激突するスポーツの祭典である。

 国民の名誉心を背負っているのである。

 国際大会とはそいうものだ。

 日本国民として、チャイナやコリアには絶対に負けたくない。

 

 チャイナと日本とは、まったく異質の国柄、国民性の敵対関係にある。

 日本はここのところずっと押され気味である。

 何が違うのか。

 

 まず、10倍の人口。

 多民族国家。

 帝国主義で広げた広大な領土。

 共産党一党独裁の中華・反日強権政治体制。

 そして、日本の数倍に及ぶ軍事予算と核武装。

 

 

 

 

 オリンピックで活躍しているアスリートは、共産党員として、国策と

しての任務を遂行しているのであろう。

 いわば、公務員である。

 日本公務員は社会主義本家の公務員アスリートに恥じ入るべきで

ある。

 

 こうした違いを分析した上で、スポーツといえども、やはり、チャイ

ナに負けない手を打たなければならない。

 国費を投入してアスリート育成に力を入れるべきである。

 ナショナリズムなくして、国家は成り立たないのだから。

 

 圧倒的な強さで勝たなければならないと思う。

 武士道の精神で美しく勝たなければならないと思う。

 

 チャイナ選手のように、女が坊主頭で戦ってはいけない。

 男は男らしく、女性にほれられるようでなければならない。

 女は女らしく、男に憧れを感じさせるようでなければならない。

 

 そういう意味で、負けたらどうしようという恐怖は捨てるべきである。

 勝っても負けても、正々堂々、思い切って戦うことだ。

 

 JUDOは、大いに反省すべきところがある。

 いったい、柔道って何なのか。

 レスリングとは違うはずだ。

 一本勝ちにこだわって積極的に戦ってほしかった。

 

 子供たちは、必ず、自分の専門競技を持たせるべきだ。

 スポーツの裾野を広げる教育政策、体育教育の充実を国策として

とってほしいと思う。

 

                             梅士 Baishi

 

 

 

 

 2006年リバイバル

① 亡国日本、背太平洋の陣 

 http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/27273b9d1c5c5735b30121bcb61ec40f

 

② 独立国家九州の着想

 http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/cff1470e4f5f9dd7aa48aebba8c8c17c

 

③ 信仰なくして善悪なし

 http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/1fc42ed620523dafe2fb0473b2171d2e

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 日田のすいか・・・ 台湾のこと

2008年08月10日 21時25分50秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


 

 

   十キロの   日田の西瓜を   盆に据え

       馬糞 Bafun 

 

  

 

 

 正月は鏡餅だが、盆には西瓜を据えるのがさまになる。

 日田の畑から採れたての西瓜を二つ手に入れた。

 小さいころは、行商に来る長崎県西彼町あまのくぼの西瓜が

夏の風物であった。

 が、今は手に入らない。

 

 それにしても、夏場はやっぱり西瓜の季節である。

 朝、起きぬけの楽しみが、西瓜なのである。

 そして、桃である。

 

 夏は、西瓜と桃に感動を与える。 

 

  

 

 

 

中華思想に組するな


 とうとう、北京オリンピックが始まってしまった。

 泣きたくなるような苦しいトレーニングを何年も積み上げてきたその

一瞬の勝負を北京でやらせるべきではなかった。

 

 朝貢貿易でもあるかのように、北京に跪かせるためのオリンピック

という印象をどうしてもぬぐえない。

 胡錦濤主席の手腕に期待するところは大きいが、大きな流れは、

中華思想に沿って氷河のように流れているのである。

 

 やはり、非民主的な手法で、戒厳令の下にオリンピックは行われて

いる。

 

 戦後、なぜ、台湾を中華民国亡命政府の手に渡してしまったのか。

 

 黄文雄著「台湾は中国の領土になったことは一度もない」を読みな

がら、あまりにも台湾のことを知らなさ過ぎたと改めて思う。

 台湾が中国語の国であることに何の疑問ももっていなかった。

 

 では、台湾を手にしようとした徳川家康の派遣した軍を一蹴した台

湾人の正体は誰だったのか。

 そのころの言葉は何語だったのだろうか。

 台湾人は、中国人ではないわけだが、何語をしゃべっていて、今は

どうなっているのだろうか。

 

 いままで思いもしなかった疑問が次々とわいてくる。

 領土問題で反日行動をとっている台湾人とは、おそらくは中国系の

「外省人」なのだろう。 

 台湾は、戦後どさくさで本土を追われた蒋介石亡命政府の植民地

となったのだ。

 これも、アメリカの台湾についての無知、無理解の罪である。

 

 そのために、1947年の2.28虐殺事件に代表されるような辛酸

をなめてきたのだ。

 そうした国民党による台湾人支配から、いまだ、完全には独立し

ているとは言いがたい状況にあることが伝わってる。

 

 チャイナの植民地ではないが、タイも、インドネシアも、シンガポー

ルも、おそらくはマレーシアも、実質的には政治経済を華僑に支配さ

れているのではないか。

 

 これこそ、解消しなければならない社会的身分制というべき格差社

会になっているのではないか。

 

 そういうことに関心を持って、貢献するのが日本の役割ではないか。

 支配によらない、『新・大東亜共栄圏』なのではないか。

 

 オリンピックは国際貢献のイベントである。

 だからこそ、国威発揚するのである。

 クリーンハンドでなければなるまい。

 

 アスリートよ、政治問題はスポーツの外のことではない。

 スポーツマンシップは、現代競争社会に正々堂々の戦いをもたらす

精神である。

 その自覚を持って、世界最高のアスリートを目指してほしい。

 

                                  梅士 Baishi                                    

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 戦争の空・・・ 核保有国でのオリッピックを禁止せよ

2008年08月09日 19時43分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


 爆心碑   日時計めぐり   鐘を打ち

 
     馬糞 Bafun 

 

  

 

 

 

 今日は、63年目の長崎原爆忌であった。

 しかるに、日本政府はいまだ、核兵器廃絶に向けた行動を起こしていない。

 非核三原則は殖民国家日本だけの問題であって、世界に要求するものでは

ない。

 

 核兵器保有の罪を認める国際連合を組織してはいかがか。

 日本を中心に、経済発展の同盟を結んではいかがだろうか。

 英国にも、核兵器廃絶を決定してもらってはいかがか。

 

 核兵器保有国関税を課したらどうか。

 核保有関税は、核兵器廃絶運動と後進国の教育のために用いる。

 理由のある関税であるならば、無制限に自由化すべきことではない。

 そうした、毅然とした行動をとるべき時に来ている。

 

 因みに、農業保護政策をとるくらいなら、農業を国営化したほうがよい。

 民間に任せるなら、自由化すべきである。

   

 

 

 

  

 そもそも、オリンピックを核保有国で実施することには反対すべきである。

 

 オリンピック開催期間であるにもかかわらず、戦闘行為を続けるロシア、グル

ジアにも制裁があってしかるべきである。

 

 

 神々にささげるオリンピックであればこそ、核兵器廃絶のための祭典でありた

いものだ。 


                                 梅士 Baishi    

 

 

  

 

 

 昨年8月9日のリバイバル記事

⇒  http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/7ff36fdf817296da6f1836002361da57

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 大東亜の夏・・・ 北京オリンピック異変

2008年08月08日 16時51分55秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


 

 

  秋津島 東亜の海の 暑さかな


     馬糞 Bafun 

 

  

 

 

 

 大東亜共栄圏の志が破れた太平洋戦争から63年・・・。

 

 大東亜共栄圏の夢が帝国主義であってはならないが、かつてのムー文明の

繁栄を新文明に受け継ごうという気宇壮大が感じられる夢であった。

 

 少なくとも、欧米の支配を受けないアジアを作ろうという志があったであろう。

 中華思想とは決定的に異なる夢であった。

 

 環太平洋アジア共栄圏を構築したいものである。

 英霊への鎮魂とともに、新たなる日本の夢としたい。

 

 

 

 

 

 その前に立ちはだかる拝金主義の帝国チャイナ。

 その巧みな利権と口先でオリンピックも篭絡したが、神までも篭絡したわけで

あるまい。

 今日、オリンピック開幕ということだが、博多は時ならない雷と大粒の雨が一

騒ぎしている。

 花火大会など線香花火ほどにも思える迫力で落雷した。

 

 テロリストを阻止したとしても、天災までは阻止できまい。

 開会式に朝貢した要人たちよ、天を恐れよ。

 

 チャイナにゴルバチョフほどの解体師が現れるのか。

 それが、胡錦濤なのか。

 チャイナクラッシュの開会式が始まる。


                                  梅士 Baishi    

 

 

 

  

 2006年リバイバル《オリンピックのカルタゴ化・・・ バールの祭り》 

 http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/960f867f93e5b1f7e5406e4db1f98d20

 

 

 

 

 

  

 

 

 

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+ 七夕・・・ 小型航空機よ、原油高騰の上昇気流に乗れ

2008年08月07日 21時30分29秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 七夕を 酒sasa  に結びて 暮れてゆき


     馬糞 Bafun 

 

  

 

 

 今日は七夕の日である。

 立秋の星が、美しかろう。

 七夕飾りを見たかったが、どこにも飾られてはいなかった。

 

 小さい頃は、家族で大きな竹を切ってきて、いっぱいに短冊やスイ

カの飾りを結びつけたものだった。

 

 七夕の夕方、空腹の末にたどり着いた居酒屋で酒を飲んだ。

 七夕のササである。

 サザエやいわしの刺身やらがササの飾りになった。

 

 やっぱり、太い竹にいっぱいの短冊を結んで、町中に飾りたいものだ。

 もうすぐ、お盆である。

 

 

 

 

 

【小型航空へのシフトを】

 

 原油高騰の影響は地方航空便の廃止という動きになっている。

 原油高騰は、エネルギー革命から交通革命へと転換させる原動力

である。

 航空機の大型化が進んでいたが、日本ではかなり前から小型航空

網のすすめが提言されていた。

 今こそは、そのチャンスである。

 地方航空を中心に、小型航空機輸送システムを普及させるべきで

ある。

 

 この時代は特に、禍転じて福となす好機である。

 国産小型旅客機の時代が訪れようとしている。

 

                                 梅士 Baishi    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 津屋崎のハマユウ・・・ ミカエルに物申す、広島原爆忌

2008年08月06日 19時49分54秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 浜木綿hamayuu の   白き木綿の   風が吹き

     馬糞 Bafun 

 

 

  

 

 

 

 国家にはこれを主導する神がいるという。

 

 人類に直接かかわって指導する神には、起源において人間ではない、一種の

星の生命体として作られた原始的神と、人間として高度に成長した高次元人霊

の二種があるという。

 信仰の対象となるのはこうした神々である。

 

 原始的神として人類にかかわっているのは、仏陀、キリスト、孔子、ゼウス、

モーゼ、マニ、マヌが知られる。

 いずれも、歴史に残る宗教指導者である。

 中でも仏陀は、人類を地上に現した神であり、地球起源の人類にとっては創

造主の性格を持つ。

 

 今、日本を指導し始めているのは、仏陀、最高の神、すなわち、仏である。

 この仏陀を父と呼んでいたのが、キリストであるという。

 

 仏陀の弟子というべきが、日本神道の神々である。

 日本文明のルーツにかかわる師弟関係が結ばれている。

 ムー文明の時代に起源を持つという。

 日本神道の神々は、神格を与えられた人霊である。

 

 詳細は、大川隆法著「太陽の法」「黄金の法」(幸福の科学出版刊)に出典する。

 

 そうした神の世界を認識するには、信仰心が欠かせない。

 信仰があると、信仰のない人々とは一線を画する世界観が得られるものである。

 信仰とは、知識でも妄想でもない。

 一種の悟りである。

 悟りがなければ、信仰は成り立たない。

 

 

 さて、なぜ、こうしたことを前置きとしたかというと、アメリカを指導する神、ミカ

エルに対する異議申し立てのためである。

 

 ミカエルも人霊ではあるが、地球起源の人ではない。

 もともとは、異星人である。

 しかし、七大天使長として、長く人類の指導にかかわってきた神である。

 近くは、ルターとしてキリスト教改革を指導した。

 その弟子ともいうべきピューリタンたちが作った国がアメリカである。

 

 そのアメリカが世界一の統治国となった。

 アメリカの動向は、人類の運命にかかわる大事である。

 その責任を感じて、ミカエル自らがアメリカの指導に関わっているのであろう。

 

 今日は広島原爆忌である。

 日本は唯一の核兵器被爆国である。

 アメリカは唯一の核兵器戦争国である。

 そのアメリカと日本が、世界1位と2位の実力で並んでいる。

 

 ミカエルは、核兵器を許すというのか。

 それも政治の手段だというのか。

 もし、そういうのであれば、ミカエルよ、地球を去れ!

 

 それほどの怒りを感じて、アメリカを見ていることを忘れてほしくない。

 

 ミカエルは、堕天使といわれるサタンと対決した神でもある。

 その対決を、核兵器でやることは絶対に許されないことである。

 神々の事情からしても、核兵器を地上から一掃することは、急務である。

 

 イエス・キリストもまた、同じ思いではないか。

 

 新世界に心躍るミカエルの魂であるが、科学技術に溺れてはならない。

 心を失いがちな科学技術のことである。

 技術の先に、神がいることを忘れてはならないのだ。

 

 科学は、単なる道具理論に過ぎない。

 しかも、現代科学は、物の形にとらわれた愚かさを伴っている。

 現象は結果であって、真の原因ではない。

 現代科学は偶然論に逃げざるを得ない「科学」なのである。

 

 現象科学には、精神の領域がない。

 人が磨かれないでは、科学は凶器となる。

 その象徴が核兵器である。

 

 そうした危険を、未熟な科学の責任として自覚しなければならない。

 

 

 

 

 

   七夕の   短冊飾れ   浜の木綿yuu

  

  

 

 

  明日は、七夕祭りである。

 そして、立秋。

 ハマユウのような細さではあるが、秋風が縦糸を入れたかのようである。

 ハマユウは、彼岸花の一種である。

 浜立秋花と呼ばれてよいのかもしれない。

 

 

                                 梅士 Baishi    

 

 2006年6月リバイバル《東条英機の霊言に思う》

⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/e265404d7fdfc26a08cd850de7b27119

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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