すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 露の虫・・・ チンピラライターの出る幕はない。 大相撲「八百長事件」の本質

2008年10月28日 09時04分55秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


 問う歌も 答えしありや 露の虫

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 外気温14度。

 秋の虫の問答歌も、まばらになった。

 秋冷の候である。

 

 放生会以来、久しぶりに筥崎宮に出かけた。

 七五三の準備ができていた。

 これほどの由緒のある宮でも、鎮守の杜はすでになく、

父のはげ頭に残る毛一本の体ではあるが、手入れの行き

届いた庭園が四季の楽しみを提供してくれている。

 

 しかし、その庭園も、めっきり花が少なくなり、冬牡丹の植

え込み現場になっていた。

 冬支度である。

 

 その中で、桔梗が一輪挿しのような花を咲かせていた。

 桔梗は夏の花であるが、「秋には桔梗」というように、花が

少なくなった秋には楚々とした趣で咲いているものだと感心

した。

 

 かくして、夏衣の花が冬の花に衣替えして行くのである。

 

 

 

 

 

 

大相撲の神聖を汚させるな


 一日の仕事を終えた帰路は、中州を横切って行く。

 いつもは足を丸裸にした水商売の女がいそいそと出勤し

ているのだが、昨日は、駆け出しの力士がめだっていた。

 九州場所の季節らしい。

 

 それにしても、伝統の大相撲も、小汚いチンピラジャーナリ

ストや性質の悪い出版社に翻弄されている。

 

 社会は人間関係であるから、名誉を汚す表現は、裁判の

手続きで証拠を示してなされるべきものを、「表現の自由」

とは性質の悪い出版社を守るためにあるらしいのだ。

 モラルなき国家、亡国の憲法解釈が、殺伐とした世の中

に貶めている。

 

 だから何度も言っている。

 「表現の自由」ではない。

 「表現の責任」こそが人権である、と。

 

 社会的価値のないもの、社会的価値を貶めるものを人権

といってはならないのである。

 

 

 

 

 

 お金のやり取り、勝負の駆け引きがあったとしても、勝負

の明暗をわけるものではなかろう。

 ガチンコというが、本気で戦わせたら、死傷者がでるだろう。

 そこに、相手に怪我をさせないためのフェアプレイの技能

があるはずである。

 それは八百長ではない。

 

 上位の力士が、対戦相手に祝儀を送ることがあるとしても、

下位を育てる資金提供の風習かもしれない。

 滅多に横綱と取り組むことがない名誉な取り組みなので

ある。

 まして、その相撲を汚そうなどとは思うまい。

 薄汚いちんぴらライターの出る幕ではないのである。

 

 大相撲にとって大切なことは、神聖な土俵で、神に奉納す

る神事であるということだ。

 

 これを汚すことは断じて許されない。

 

 ましてや、チンピラライターや悪魔的な出版社が相撲界を汚

すことは断じて許されないことである。

 

 それが、「八百長相撲」事件の本質というべきではないか。

 

 相撲協会よ、この災難に襟を正せ。

 鎮守の、神聖な奉納相撲という原点に戻って、単なる興

行に堕してはならないのである。

 

                            梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 野鳥、里庭にもどる・・・ 医師不足とは何か 医療改革論

2008年10月26日 19時49分24秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

                                              カリガネソウ
                         雁草  http://homepage2.nifty.com/hanapapa/kariganesou.htm



 

  里庭に 顔見知りたる 鳥渡り

   
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 半年振りに顔見知りの野鳥たちが戻ってきた。

 一番早かったのが鶯、そして、ホオジロ、ヒヨドリ、メジロ

たちである。

 これで、全員がそろった。

 みんなが、窓際まで来て、にぎやかにさえずって行く。

 冬の家族がそろったうれしさがある。

 

 人間の都合で、山を切り開いたのだ。

 人間の小さな庭でも、山里の代わりをしなければ、申し訳

がないではないか。

 

 これが大義名分であるが、冬の間を幸せにしてくれるか

わいい鳥たちである。

 

 ウェルカムモーニングに、柿をさした。

 気づいてくれるかな。 

 

 

 

 

 

 

 

 

深刻な「医師」不足問題】 


 医者の頭数の問題ではない。

 日本の医者の数は、2006年で約25万2千人。

 1万人当たり25人、病気率が20%とすると一人当たり

のお客さんはおよそ100人から80人というのが単純計算

になる。

 全員が、医療全般について一応の処置ができれば、医

師の数は過剰である。

⇒ http://memorva.jp/ranking/unfpa/who_2006_physician.php

 

 

 

 問題の本質は、本当の医者が少なくなったという問題で

ある。

 専門医である前に、全般医でなければならない。

 人間は、部品組み立て品ではない。

 生命体であり、機能統合体である。

 

 医者というなら、外科、内科、産婦人科、小児科・・・何

でも一通りの処置ができなければならない。

 その上での専門医でなければ人助けはできない。

 人助けを志す者のみを医師として育てなければならな

い。

 

 公務員の安定を求めるかのように、安定高給職として、

地位のある職業として医師を目指すものがあまりにも多

すぎたのだ。

 医師不足というのが医師の何が足りないのか、よく調査

すると良い。

 また、緊急でなければ、検査相談病院を作って、「患者」

の分配をする工夫も必要ではないか。

 患者に最も適切な病院に分配する受付総合院である。

 

 さらに、産婦人科における堕胎は、出産相談、できちゃっ

た婚相談ということも重要な任務であって、堕胎医に成り

下がってはならない。

 

 

 

 

 

 生命の倫理を犯すものは、法の目を潜り抜けても避け

られない地獄の不幸がその人生に染み込んでくる。

 医学は、唯物論に偏しすぎているのだ。

 医学もまた、神を畏れるべきである。

 

 医学は、あの世への橋渡しでもある。

 生命の倫理、魂の本質を知ってこその医療であることを

悟らなければ、学校崩壊同様に、医療崩壊を免れないの

である。

 

 ふさわしい医師を育てるためにも、生命倫理ないし魂教

育と、公設民営の医学学校を整えるべきである。

 私立医大の年間学費が1千万円前後の値段では、医師

にふさわしい人材は得がたいであろう。

 

 医療の矛盾は、結局は医療社会主義ともいうべき保険

制度とも絡んだ特権と規制の歪みから来ているのではな

いか。

 

 つくづくと、日本社会主義からの脱却を本気で考えなけ

ればならないと思う。


                           馬糞 Bafun

 

                     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 源氏物語1000年のムラサキシキブ・・・ 神を畏れぬ亡国の中絶   医者の職業倫理

2008年10月24日 19時11分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

     
  荒れ庭に ムラサキシキブは 紫光して 

 

     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

   今年は、紫式部の『源氏物語』千年の記念年とされている。

 紀元1008年には、源氏物語が一部流布していたことからの定めの

ようである。

 

 職業人生を走っていると、平安の恋物語に没頭する気はなれな

いが、紫式部はとてもかわいいと思う。

 いかにも紫のスカートが似合うキュート才女のイメージがあって、

千年もこの世を留守にしている女性とはえない。

 

 紫式部としては、新しい文学作品をめざしてか、この世に転生す

はずだったらしい。

 ところが、妊娠中絶に遭って、現代日本に転生する計画がふいにな

ってしまったという。

 この世としても、惜しいことだと思う。

 

 

 

 

 

神を畏れぬ亡国の中絶大国・日本


 亡国の中絶国日本の堕落は、「どげんかせんといけん」ちゃけど、結

局、教育から宗教教育ば排除したことが根本原因ですばい!

 神を畏れぬ愚か者の国に成り下がっているということですたい。

 

 中絶は女の権利などと、馬鹿なことを言わせるな!

 そんな遊びを権利だなどとは厚かましい。

 男にしてしかり。

 「据え膳食うは男の恥」と改めよ。

 

 中絶は貧乏の権利だなどと横着なことを言わせるな。

 見よ、アフリカの子沢山を。

 

 妊娠責任は、胎児の生まれる権利なんですから。

 

 公務員から感染して、人人感染型に変異する責任転嫁の毒はファ

ンデミックよりも恐ろしか人災というべきじゃなかですかね。

 ああ、少子化といいながら、環境が悪い、金がないなどと責任転嫁

して、年間100万とも300万ともいう数の胎児を中絶殺しているらしい

態はなんともおぞましい限りですばい。

 

 

 

 

 

 

 

医者の職業倫理

 

 産婦人科医も、中絶なら得意なんだろうけど、出産となると、「君子、

危うきに近寄らず」なんですかね。

 川で溺れている人を見て、飛び込んで助けようとするのが人情だと

思っていたが、医者もまた、人ではないらしい。

 

 医者の心得るべき倫理とは、裁判が怖くて医者になるな、医者は生

命倫理を重んじ、人の受け入れるべき運命をサポートするのが使命、

人助けに殉ずべし、ということです。

 但し、脳死を口実に、特に他人の心臓を移植することを人助けと考

えてはならない。

 単純に、人の臓器を部品のように考えてはならない。

 それが、生命倫理として神から下された法というべきでありましょう。

 

 病院も公設民営化し、医者も看護婦も、信仰心に篤い海外の人材

を大量に受け入れるべき状況じゃなかですかね。

 

 

 どうも、紫式部ちゃんの気持ちを代弁したようです。

 

                                 梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 秋の蝶、末期の蜜を吸う・・・ 公務員社会主義を粛正せよ  公務員教職員制度の教育腐敗

2008年10月23日 08時09分15秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 秋の蝶   末期 matugo の花を   渡りつつ 

   馬糞 Bafun

 

 

 

   運動会の陽だまりにヤマトシジミがせっせと蜜を吸

っていた。

 良く見ると、羽が擦り切れ、破れかかっている。

 運動会のにぎやかさと、晴れ渡った日差しの下で、と

ても心和む風景ではあったが、花鳥風月の世界は無常の

世界でもあると思う。

 無常であるから美しい。

 

 人間もまた無常であるが、無常観を持った人は多くは

ないだろう。

 無常とは、この世の地位も名誉も財産も、とどめおく

ことができないままに、流れ去っているということであ

る。

 流れ去るものの存在感こそは美意識ではないだろうか。

 武士道もまた、死を決した人生哲学として、武士らし

しい美意識を心得ていた。

 

 武士道は、かつての武士だけのものではあるまい。

 滅私奉公こそは、仕事のやりがいとなり、生きがいと

なる。

 奉公とは、世のため、人のためである。

 

 

 

 

公務員と民間企業との決定的な違い

  それは、不都合な結果責任を潔くとるか否かにきわ

まる。

  企業も、企業人も、市場から責任を問われる。

 ところが、公務員は、誰が責任者なのか不明のまま

に、あやふやにして誰も責任をとらない。

 事故米に公費を浪費し、食用米として何十年も流通さ

せたのは公務員である。

 責任転嫁をして、見てみぬふりをしてきたのである。

 なのに、誰も法的責任をとらない。

 

 社会保険庁の詐欺、横領、背任というべき犯罪行為に

ついて、社会保険庁の元公務員まで含めて処罰すべきだ

ろう。

 なのに、誰も責任をとっていない。


 自分たちは、たんまりと退職金や年金をもらって左団

扇で税金を貪り続けるのである。 

  公務員に、かつての武士道といわれた美意識などは微

塵も感じられない。

 武士道というなら、政治家にこそある。

 政治家は、過剰なほどに責任を取らされる立場にある

からだ。

 

 公務員は、生活の安泰と楽な仕事で権限もあるという

ことで人気である。

 しかし、政治家が人気で、政治家になりたいなどとい

うことはない。

 死んでも本望という覚悟と志なくしては政治家になろ

うとは思わない。

 

 もっと、政治家を尊敬してしかるべきではないか。

 ましてや、マスコミ人間に、政治家を批判する資格な

どないのである。

 

 

 

  

公務員教職員の非常識とずるがしこさは悪魔的である

 学校崩壊は、否定できない事実である。

 ところが、「おまえが経験してきたことか」、と逆に

開き直られた。

 問題のすり替えは、公務員の特技であるらしい。


 では、お前が批判する世の中のことで、自ら知見した

ことがドレほどあるのか、自分の体験の範囲でしか批判

していないとでも言うのか。

 

 小中高の教員、90万人のうち、まともな仕事ができ

ない教員は5%以上、5万人はいるといわれている。

 さらには、教師たるべき倫理観念と、子供を暴力や犯

罪から守ろうという正義観念と、社会常識を持った教師

がどれほどいるか。


 教員免許に教師たるべき資質を認めるという権威はな

いのである。 

 教員としての仕事ができない教員や、さらには子供に

悪い影響を与えている問題教員が各学校に相当の確率で

いることに対して、それは例外的であって、しかも、

最近の子供は大人の理解を超えていて、いわば世代

ャップなのであって、仕方がないことなのだ」と


 国会答弁も舌を巻くほどにうそぶくのである。

 しかも、子供の方に問題があるかのように責任転嫁す

るのである。

 まさに、天性のすりかえ、責任転嫁能力というべきで

はないか。

 

 

 

 

 厚かましさと、話の筋をすり替えるずるがしこさには

うんざりとする。

 「所詮、公務員だからね」というあきらめや軽蔑で、

地獄のドブに流すことになる。

  

 公務員社会主義社会のいやらしさが、もはや国家崩壊

の腐敗レベルに達している。 

 企業だったら信用を失って倒産する。

 責任の所在は明確だから、個人として責任を取らされ

る。

 いかに、公務員教師が世間知らずで、社会常識にも、

市場経済にも無知無理解であるかと驚かされるのである。

 

 つくづくと、教員は、公務員であってはならないと思

う。

 企業の原理が働かなければ、教育が腐ってしまう。

 責任の所在のない仕事は世の迷惑である。

 コスト意識のない仕事は、公費を浪費する背任である。

 だから、「公務」の自由化、民営化を進めなければな

らない。

 

 教育は、『社会の公器である企業』にこそ委ねられる

べきである。

 但し、学校インフラは、公費で賄われたほうがよい。

 公設民営化を教育の柱とするべきである。

 

 以上、心ある国政の士に提言、要望する。 

                                 

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

                                 

 

 

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+ 虫、物語して鳴く・・・ 機嫌良く生き、機嫌良く死ぬ  積小為大の極意  大志なくして積小なし

2008年10月21日 21時43分18秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 虫の夜の  儚き恋を  弾き語り

     馬糞 Bafun

  

 

 

 朝方の外気温は17度、室内は25度、湿度60%

という季節になった。

 ああ、しかし、秋も冬も、春も夏も、実におおらかに

生き物たちをはぐくんでいることよと思う。


 冬が間近に迫っていても、虫たちは機嫌よく、恋物語

を奏でている。

 人間たちも、機嫌よく生き、機嫌よく死ぬべきである

と思う。

 

 

 

 

 では、機嫌よく生き、機嫌よく死ぬためにはどのよう

な心の構えが必要なのだろうか。 

 精一杯、世のため、人のために尽くすことではない

ろうか。


 それでも、たいしたことはできないのが人間である。

 まだ、何億年かの宿題がこの地上に残されているはず

である。

 長い道のりの努力は「積小為大」、こつこつと日々の

努力を積み上げてゆくことである。

 幾転生も積み上げて行くものであろう。

 

 しかし、小を積んで大となるためには、大を志さなけ

ればならない。

 大を志しながら、積小を怠ることを戒めた言葉であっ

て、大志なくして積小なし、積小なくして大を為さずで

ある。

 

 積小とは、自己鍛錬と日々の仕事である。

 為大への志を教えるものが、宗教であろうと思う。

 宗教の選択こそは、人生成功のチャンスとなろう。

 

 大を知らずしては積小もないということを、重大に受

け止めなければならない。 

                              

梅士 Baishi

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

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+ 伯父逝きぬ・・・ 彦島の長老の伯父哀悼歌一題  哀悼句二題  

2008年10月20日 08時16分41秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 彦島の  長老の伯父  逝くという

 あっけらかんと  海峡を飛び

    

 

 


 哀悼句二題

 親しみし  伯父みまかりぬ  秋の空

 

 

 

 葬送は  彼岸の花の  畦に立ち 

     馬糞 Bafun

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 秋の虫のオペラ・・・ 雨の日に傘をかえせという銀行 徳のない銀行を潰すチャンスがきた

2008年10月17日 15時56分10秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 虫の声  夜風に冷えて  ちりちりと

   馬糞 Bafun

 

 

 

 温暖化とはいえ、夜風はめっきり冷え込むようにな

った。

 虫の声もめっきり少なくなった。

 オペラのソリストのように、甲高い声を震わせている。

 悲しい愛の歌なのか・・・

 

 

 

 

銀行救済への反感

  アメリカの深刻な金融危機に株価も先物取引も、パニ

ックのような乱高下の醜態をさらしている。

 

 ブッシュ大統領は緊急かつ強制的に銀行への資本注入

を決めたが、ずいぶんと反感があったらしい。

 なんで、銀行や証券を助けるのかと。 

 このままでは、さらに厳しい経済恐慌になるというが、

預金保護をすれば済むことである。

 銀行を破綻から救済する理由にはならない。


 ところが、その点の報道はないし、実際、反省され

いるわけでもない。 

 気概のない銀行、思いやりのない銀行、私利私欲の銀

行・・・、それをなぜ助けるのか。

 アンフェアな競争の果てに破綻状況を招いているのだ。

 退場するべきが競争のルールであろう。


 

 

 

 景気が悪くなると、途端に貸し渋りの自己保存を図る

のが銀行である。

 雨に日には傘を貸さず、晴れた日に傘を押し付けるの

が銀行のやってきたことであった。

 

 それが、資金運用に失敗して経営危機に陥ったら、国

民の負担で資本を注入したのだ。

 それで、銀行が変わったか。

 相変わらず、晴れの日に貸した傘を、雨の日には返せ

というのである。

 

 自分たちは、雨の日に、多大な金額の資本投下を受け

ているにもかかわらずである。 

 企業は一日も早く、銀行に依存しない経営を目指さな

ければならない。

 雨の日に傘を貸して、自立した企業が倒産しないよう

に支える銀行を作らなければならない。

 

 徳のない銀行を潰すチャンスが来ている。 

                               

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ ペルシャの野良猫・・・ スポーツタイム制  健康スポーツ観光戦略

2008年10月17日 09時15分02秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 ペルシャ猫 家路を知らず 秋の野良

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 変な野良猫が、妙になれなれしくついてきた。

 どろどろの長い毛にメタボなボディー。

 ああ、飼い主も家も忘れたペルシャ猫か。

 軽蔑すべき野良猫だったので、追い払った。

 「三味線にするぞ!」 

 

 

 

 

 

 

スポーツタイム制度の導入を! 】 


 国家の基本政策として、生涯スポーツ、国民皆スポーツの推進が

ある。

 自殺や鬱がひろがり、アメリカまがいのメタボリックな体形がだぶつ

き、子供にまで生活習慣病が蔓延する運動不足社会である。

 ああ、何という不健康!

 色即是空、空即是色。

 運動不足の肉体に健康な精神は宿りがたいであろう。

 

 健康運動、健康スポーツの推進は、経済問題以上に最重要の国

家政策でなければならない。

 

 そこで、提唱しているのが、平日スポーツタイム制度である。

 国が推奨し、企業が取り入れればよいのだ。

 それでもだめなら、労働基準法に定めればよい。

 

  平日の勤務中、3時間のスポーツタイムを認める。

 そのかわり、3時間分の残業時間と相殺する。

 健康管理も仕事のうち、手付かずの企業戦略ではなかったか。

 社員は健康になり、仕事の効率と働き甲斐が増し、スポーツクラブ

も病院並みに賑わって経営も軌道に乗る。

 

 三方一両得の健康推進法ではないか。

 

 健康運動は難しくない。

 ウォーキング、ジョギング、縄跳び、水泳・・・

 もっと気軽に運動を楽しめる空間をつくるとよいのだ。

 

 さらには、気軽な健康スポーツを楽しめる温泉観光地つくりに取り

組むと良いのだ。

 温泉だけではなく、歩く環境、泳ぐ環境、一人でも球技を楽しめる

環境。

 たとえば、バスケットゴールをたくさん設置した公園や体育館でも

よい。

 武雄温泉や嬉野温泉も、そうしたスポーツ観光に取り組むと、か

つて以上の賑わいを取り戻すに違いない。

 ハウステンボスでも、軽くスポーツを楽しみ、お湯につかり、食事と

散歩を楽しむというコンセプトで作り直してはいかがか。

 

 『健康スポーツ観光』は、九州の観光産業復興のコンセプトである。

 

                               梅士 Baishi                                

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

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+ 虫の声の夜景・・・ 人間の自業自得か インフルエンザと秋の虫

2008年10月14日 20時48分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 眠りたる 世のあちこちの 虫の声

  
   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 次第に夜の空気が重くなり、冷え込んできた。

 それでもまだ、虫たちは羽をこすり合わせて鳴いている。

 都会の中で、こうして虫の声が聞こえるだけでもありがたい。

 

 

 

 

 

インフルエンザの正体と人間の破壊想念の因果関係

 

 虫の声もスピリチュアルであるが、結局は、存在の本質はスピリチュ

アルなのだ。

 

 大川 隆法著『心と体の本当の関係』をぱらぱらと読んでいると、

風邪やインフルエンザを広げている意外な正体として、秋に大量に

死ぬ虫たちの集合霊が原因となっているとある。

 感染の過程が、霊的な憑依現象とよく似ているというのだ。

 

 この著書には、現代的なストレス問題、癌の問題、鬱、性同一性障

害、アトピー、自閉症、リウマチ、どもり、看護の心得など、興味深い

健康問題の真相とアドバイスが書かれている希少な本である。

 

 確かな人物の、学ぶところの多い著書の記述である。

 きっとそうなのだろう。

 スピリチュアルな真相について、科学はまったく無知無能、傲慢

ある。

 だから、唯物論的な発想で考えてはならない本質的因果関係論の

領域の問題である。

 

 しかし、虫の声を楽しんでいる俳諧師としては、なぜ、秋の虫たち

が成仏しないのだろうかと不審に思う。

 虫でありながら、この世への執着があるのか、死を認識するのに

時間がかかるというのか、なぜ、ウィウルスに憑依して、病原体とし

て禍を起こすのか。

 ファンデミックもまた、虫たちが原因となって鳥や人間を襲おうとし

ているというのか。

 

 もし、そうだとしたら、自然環境に感謝せず、破壊を続ける人間た

ちへの自然霊の反作用というべきか。

 結局、人間の業(ゴウ)が、虫たちの成仏を妨げているのだろうか・・・。 

 虫たちが成仏しにくい環境、あるいは人類の悪想念があるのかもし

れない。

 

 機嫌よく、素直に鳴いている虫たちの声を聞きながら、この虫たち

やがてウィルスに憑依してインフルエンザになってゆくのかと思う

と、切ない気持ちである。

 

 人間が、謙虚に素直に反省して自然を愛するようになれば、疫病も

またやむのではないか。

 しからざれば疫病もまた、人間の自業自得の禍と謙虚に受け止め

ねばなるまい。

 

                                    梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 垣根越しの金木犀・・・ 特殊才能に対する障害という偏見

2008年10月13日 13時04分59秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 垣根越し 金木犀の 香りして

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 恋心は鬼ごっこ

 そのままいなくなったりするけれど

 そこにいるんでしょ

 

 垣根の向こうに咲いている

 君の香りが

 手を振って

 一番先に駆けてくる

 

 目を閉じると見えてくる

 いつも子供の恋心

 時の垣根の向こうにも

 金木犀の香りして

 

 

 

 

 

 

 

 

障害か個性か


 識字障害というのがあるそうである。

 文字を読み取ることが難しいという。

 その代わり、ずば抜けた空間認識力を持っているらしい。

 ずば抜けた能力を発揮しやすいように、情報処理システムが組ま

れているというべきではないのか。

 

 脳が人間の精神の所在という、一種の唯物論がまともな科学でも

あるかのように大手を振っている。

 左翼唯物論の普及に力を入れているNHKはその代表的な宣伝

組織である。

 人間は猿から進化して、その過程で、識字障害という発達障害が

起こったというのである。

 猿の化石を人間の先祖だと決め付けるのが科学であるらしい。

 そういうのを識学障害というのではないのか。

 これは、脳の情報システムの問題ではなく、精神的劣悪の問題で

ある。

 

 さて、人間には、左利き、右利きがあり、文字思考型と耳思考型な

どの特性がある。

 あるいは、アスベルガー症候群とか、自閉症とかが一種の障害と

して扱われている。

 しかし、それも特性をもった情報システムの型の違いであって、個

性というべきではないのか。

 

 そのように考えると、障害者として扱っていた人たちが、実は特殊

才能を持って生まれた使者なのではないかとも思えてくる。

 そのような人々の特殊な能力を発見して、時代の進化のために働

く場所を提供する必要があるということである。

 

 障害者という偏見を大いに反省し、人材を再発見するべきである。

 

                                梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ ハマゴウ再発見・・・ Panasonic の危険な賭け

2008年10月12日 12時21分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 浜荊hamagou の 浜の晩夏の 風の跡

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 まだ夏休みの浜の賑わいの中で、砂漠緑化運動のように浜の

砂漠に密集している草が、浜に咲く蘭の花のように、紫の花を咲か

せていた。

 しかし、それが何という花なのか、分からなかった。

 植物図鑑まで買ったが、探す手がかりがないと探せないのが植物

図鑑だった。

 

 それが、たまたま、植物ネットサーフィンで見つかった。

 ハマゴウというのだそうだ。

 しかも、草ではなく、低木であるらしい。

 浜の荊(いばら)という名だが、蔓のように丈夫な茎なのであろう。

 

 名前が分かると、仲間が増えたようなうれしさと、安心感があるも

のである。

 

 季節はもう、浜で泳ぐには冷たくなった。 

 浜には、おびただしいくらげが打ち上げられている。

 重装備のウィンドサーファーたちが風を楽しんではいるが、夏はも

う終わったのである。

 

 

 

 

 ハマゴウ・・・ http://www.hana300.com/hamago.html

 

 

 

 

 

ブランドの大切さ・・・ Panasonicの危険な賭け


 ブランドとは、商品の姓名というべきものである。

 ブランド価値というとき、名前が社会的信用として広く知られた名

前を意味する。

 名前には、家族名があり、固体名がある。

 名は体を現す。

 体とは、優れた個性である。 

 家族名は、社名であることも多い。

 

 名前が広く知られ、親しまれ、信用を確立するには継続的な実績

と長い時間を要するものである。

 

 最近、松下電器産業㈱が、社名からブランドまで「松下」「ナショナ

ル」という伝統的なブランドを捨てて、「パナソニック」にブランド統一

したことで話題となったが、出世名というべき改名であったかどうか

は疑わしい。

 

 松下電器、松下幸之助、ナショナルというブランドは、日本では伝

統的信用と親しみと、高い評価があった。

 これを捨てたということは、大きなマイナスであることは間違いない。

 それに変わる「パナソニック」という名前には伝統がなく、名前の由

来も知られておらず、ただ、横文字の名前をつけたというくらいにしか

思われていない。

 パナソニックというと、ああ、ナショナルの製品ね、と翻訳して認識

される別名程度に過ぎなかった。

 これを本命に改めて、一本化したのである。

 

 これに対して、SONYは、すでに海外戦略として1955年から使用

され、その信用を世界で築き上げてきた。

 その名の由来は、音を意味する英語のSonicと、男の子を意味す

る英語のSonnyを合成して命名したといわれる。

 そこには、海外戦略と戦略商品が明確にされていた。

 

 これに追随したのが「Pana-Sonic」という音響ブランドの使用で

あった。

 

 今回の松下電器のパナソニック化は、SONYを強く意識したもので

あろうが、海外ブランドとしても確立されておらず、かつ、海外戦略

が明確にされているわけでもない。

 すなわち、ブランドに欠かせない個性を見失う危険な賭けとしか

思えない。

 

 本来は、松下のブランドを核とするべきであったと思う。

 松下幸之助のカリスマ的企業哲学をこそ、海外にアピールするべ

きであったと思う。

 『MATUSITA』  『KOUNOSUKE』   『LUKE』

 ルカとは、松下幸之助の過去世、キリスト12弟子の一人であるル

カのことである。

 海外戦略にはアピールするのではないか。

 

 勝負はこれからではあるが、論理的に考える限り、パナソニックグ

ループの衰退が予想されるのである。

 

 ハマゴウではないが、荊の道となるであろう。

 

                              梅士 Baishi  

 

 

 

 

 ※ ハマゴウの大群生(津屋崎浜)

 

 

 

 

 

 

 

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+ 残り香・・・ 神聖・ジェンダー論  女性の気高さについて 

2008年10月12日 08時24分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

 残り香を 金木犀に ふと思い


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

  若い女性とすれ違うと、かすかな香水のにおいがする。

 いったいなんという香水を使っているのかと、不思議に思うことがある。

 シャネルではない。

 夜間飛行でもない。

 うっとりするような香りもある。

 湯上りの娘っ子のようなにおいもある。

 

 香水には色気がある。

 そんな風に、夜に香る金木犀にも、女性のかすかな残り香のうよ

うな色気があるものである。

 一時は、トイレを連想させる香料であったが、本当の金木犀はか

すかに上品に香るものである。

 

 

 

 

 

 

 

男女の気高さについて


 香水の香りは、女性の気品をあらわすものであるが、 獣の臭いを

けすためのものとして使っているのかもしれない。

 しかし、本来は、気高さを表現する道具である。

 

 先に、ジェンダーフリー論の不道徳について論じたが、本来のジェ

ンダーとは、男神、女神に象徴されるように、気高さが追求されてい

るのである。

 

 男も女も、同じ人間ではあろうが、その肉体は野獣のようかもしれ

ないが、しかし、その肉体には男の魂が宿り、女の魂が宿っている。

 女は、気高く、美しく、神秘な美しさを感じさせる不思議な存在であ

るし、そのようであるべきでもある。

 香水は、女性にふさわしい表現を持っていると思う。

 

 人間の本質は魂である。

 魂とは神秘の生命エネルギーであり、高貴な表現であり、深遠であ

る。

 人は、その生来の魂の神秘な気品を見失ってはならないと思う。

 

                                梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

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+ 金木犀のそんな時・・・ ジェンダーフリー論 の 不道徳 について

2008年10月12日 08時01分10秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 そんな時 金木犀の 香りして

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 ふと金木犀が香って、ああ、秋なんだなと思う。

 大変な時代を生きているが、

 いい香りがする。

 

 人生、そんなにかっこよく生きることはない。

 関西風に笑える人生でよいのではないか。

 不恰好な人生でも、秋には金木犀、銀木犀のいい香りがする。

 

 人生は、結局、幸せなのである。

 

 

 

 

 

ジェンダーフリーの不道徳


 どうしても言葉が思い出せなくて、少々寝不足になった。

 それが、ジェンダーフリーという言葉だった。

 ひき逃げにあったとき、脳内出欠があったが、そのせいだろうかと

疑うほどに、全くもって、記憶の糸口が見つからなかった。

 どうも、脳みその記憶回路が劣化しているらしい。

 

 ジェンダーとは、文化としての男女の役割区分観というべきもので

ある。

 男らしさ、女らしさといってもよい。

 この、男らしさ、女らしさの観念を否定して違いはないと言うのがジェ

ンダーフリーという考えである。

 いわば、男女を分けた神に対する抗議であり、神の否定という心情

を含むであろう。

 あるいは、男女を闘争関係と捉える考え方である。

 

 男女を協力関係としてみる伝統的ジェンダー観によれば、男性優

位社会とは、女性が守られ、保護されている分野を意味している。

 そのようにして、子供が育まれてきたのである。

 

 そういうジェンダーフリー論者が、「女らしい」とされる社会的選択

行動をとるのだから、抗議する論者としては不道徳なことである。

 すなわち、ジェンダーフリー論は、そうした自己矛盾、不道徳から発

しているというべきであろう。

 あるいは、「女の浅知恵」と揶揄されるような短絡的な発想という

べきであろう。

 その結果、女性の社会進出が殺伐とした闘争的ジェンダー社会を

広げている。

 さらには、家庭が崩壊し、子供が殺伐にさらされるようになってい

るのである。

 ジェンダーフリー論は悪魔の罠というべきであろう。

 

 

 そのような軽蔑があったからか、記憶の糸口を見失ってしまった

のである。

 実に、迷惑な話である。

 

 学校から、日教組教職員を懲罰し、ジェンダーフリー教育の汚染か

ら子供たちを守らなければならない。

 日教組とは、教員倫理に反し、公務員倫理に反し、職業倫理に反

して公務員報酬を受け取っている不逞の輩である。

 懲罰事由には事欠かないであろう。

 また、懲罰を怠ることもまた、職務怠慢である。

 

 「らしさ」、という役割意識、責任感を立て直そうではないか!

 

                                梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 金木犀の風・・・ 市場経済の調和には自由とモラルの確立が課題

2008年10月10日 13時33分25秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 すれちがう 金木犀の 夜道かな


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 金木犀が香る、ほんのわずかな季節になった。

 夜道にかすかにいい香りがしてあたりを見回したが、女性の姿は

なかった。

 ああ、金木犀か・・・

 

 最初の金木犀は、香りだけの出会いであった。 

 金木犀の黄金のにおい袋が、今、盛香の時を迎えている。

 

 

 

 

 

 

 

市場経済の調和には自由とモラルの確立が課題】 


 今朝も、株式大暴落が止まらないというニュース。

 日本航空機のダッチロール墜落を見ているようであり、航空機が

突っ込んでニューヨークの摩天楼が燃え盛り崩落するまでを見ている

ようであるかもしれない。

 とにかく、落ちてゆく。

 

 ニューヨークダウはつい最近まで、どこまで上がるのだろうかと1万

3千ドル台を推移していたのに、一気に8500ドル台に暴落し、さら

に渓谷を覗くような怖い風景が展開している。

 日本でも、大和生命が破綻して日経平均は一気に千円近くも下げ

て、8千円割れ目前まで暴落している。

 不安心理の空売りマネーゲームの動悸が聞こえるようである。

 

 こういう金融商品の価格の乱高下をみていると、価値とは何かとい

うことが、不審に思えてくるのである。

 価値とは、欲望密度である、というべきなのか。

 はやいところ、欲望の経済から足を洗わねばなるまい。

 

 賭博禁止の趣旨に照らした投機的取引規制を設けるべきであろう。

 空売りの原則的禁止、株式保持期間のルール、先物取引参加資

格の制限などである。

 

 

 

 

 

 モラルなくしては自由主義経済は成り立たない。

 投機的取引は自由主義経済のモラルとして警察規制することはや

むをえないのではないか。

 

 結局、『神の見えざる手による調和』という自由主義経済の完成こ

そは、ユートピア経済の確立を意味するのであろう。

 そのプロセスにあって、自由を過信することは、社会主義経済の

平等主義による破綻と同様にプロセスを無視して自滅することにな

るであろう。

 神の意に恥じない経済活動をモラルとして確立するリーダーシップ

と教育が求められる。

 

                                  梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 陽だまりの蝶・・・ 経済恐慌の本質・・・ 倫理なき欲望の破綻

2008年10月09日 08時10分50秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

   


 陽だまりに 一時すわり 秋の蝶

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

  安易にアカテハとおもっていたが、ツマグロヒョウモンという蝶で

あるらしい。

 豹柄が、秋の日差しによく映える。

 

 俳優の緒形拳が亡くなったそうである。

  俳優に徹したいい役者だった。

 

 ゲートウェイ21という留学サービスの企業が顰蹙をかいながら倒

産したそうである。

 この時期のことである。

 ファンドのように、マネーゲームに手を出していたのではないか。

 憶測に過ぎないことではあるが。

 

 アメリカの株価が大暴落、もともと上げすぎとは思っていたが、一万

円われ・・・

 なぜか調子よく見えたユーロ圏の経済が一気に下落してきた。

 ユーロの観光客が来なくなるが、日本からヨーロッパへの買い物

ツアーが復活するかもしれない。

 

 相変わらずの激動の時代であるが、秋の陽だまりには、ほっとする

時間がすわっている。

 

 

※ ツマグロヒョウモン蝶

 http://homepage3.nifty.com/ueyama/shubetsu/tateha/tsumagu/tsuma.html

 

 

 

 

 

経済恐慌の本質・・・ 倫理なき欲望の破綻

 

 アメリカの金融危機が、ヨーロッパの金融危機を招き、世界同時不

況から史上最大の経済恐慌に陥るのではないかという不安心理が

右往左往している。

 ITファンドの崩壊からアメリカ住宅金融の崩壊、そして、世界金融

危機から経済恐慌へと連鎖する危機に立っていることは間違いない。

 それにしても、なぜ、こうした経済恐慌が起こるのか、これが、経済

学の研究課題でもあるはずである。

 

 これにたいして、どういう洞察をしているのであろうか。

 金利政策にせよ、公共投資にせよ、いわば小手先の対症療法のよ

うなものである。

 

 

 

 

 

 こうした経済危機を招く原因は、結局は、自己中心の欲望経済が

根拠を見失って破綻するところにあるのではないか。

 『道徳という土なくしては経済の花は咲かず』という洞察を受けて

新しい経済の倫理と法を発見するべきではないのか。

 

 経済繁栄の単純な理屈は、一人の生み出す幸福化価値が高くな

ればなるほど、全体としても幸福で豊かになるということである。

 経済学の探求課題は、実は、経済倫理であり経済の道徳であり、

神の意にかなった経済の法なのではないか。

 

 反省から悟ることがないままに、今回の経済危機を単なる不幸に

終わらせるということになってはなるまい。

  

                                    梅士 Baishi

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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