すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 薄花の息吹・・・  黄金の国ジパング  奇跡の時代・仏陀再誕の言霊に気づけ!

2009年09月30日 20時45分19秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 


 

 秋風を  穂に膨らませ  薄susuki 花   

   馬糞 Bafun

 

  

  

 明日から10月。

 旧暦の8月13日、旧暦の旧盆の入りという、鏡の中のア

リスのような盆の入りである。


 薄穂が金色に輝く季節である。

 秋風に揺れる姿は、黄金の国ジパングを航行する帆船

のようでもあり、また、秋の息吹のようでもある。


 息吹といえば、岡本太郎の太陽の塔の顔が浮かぶ。

 黄金の息吹である。

 薄穂もまた、黄金色をしている。

 稲穂も黄金色である。

 秋は黄金の色がよく似合う。

 

 ジパングというのもまた、東にある黄金の島であった。

 仏陀が入滅のときに、弟子たちにテレパシーで伝言し

た内容に、仏陀再誕の約束があった。

 シャブドゥーバという東の国の、のケントマティーと

いう都市に再誕する。


 その街は、ルビーのような輝きを放つ建物が立ち並ぶ

美しい都市である。

 再び相まみえる日まで、私が教えてきた法をよりどこ

ろとせよ、と。

 それが、日本である。

 

 今、仏陀再誕の奇跡のときが訪れている。

 大川隆法著 幸福の科学出版刊『仏陀再誕』は、次の

ような言葉に始まる。


 「諸々の比丘、比丘尼たちよ。

 私の声を憶えているか。

 あなたがたは、かつて私の話を聞いたはずである。

 幾万年、幾十万年、幾百万年の歳月の中で、

 あなたがたは、私と共に地上に生まれ、

 実在界にあって、また我が弟子として、道を学んでき

たはずである。」

 

 諸々の比丘、比丘尼たちよ。

 我はここに再誕す。

 我が再誕に気づけ。

 我が再誕に、その事実に、その時に、気づけ。」

 

 

 なんと美しい詩篇であろうか。

 聖書の詩篇よりも、はるかに広大な世界を見る思いが

する。

 

 その、仏陀再誕が、この10月に全国一斉上映されると

いう。

 ほんとうに、多くの日本人に見て欲しいと思う。

 そして、「仏陀再誕」と言う本を手にとってもらいた

い。

 仏陀再誕の事実に気づいて欲しい。

 

 自分は直弟子ではないと思うが、キリスト教の祈りの

中で、「天にまします我らが父よ」と呼びかけた神が、

実は、仏陀の偉大な魂だったと信ずることができる。

 全ての人類が、父とよぶべき根本の創造主、魂を生み

育ててきた存在であると信じている。

 

 その奇跡の時代に生まれてきていながら、ましてや、

この仏陀再誕の地、日本に、日本人として生まれてきて

いながら、その事実に気づかないとは、なんという不覚

であることか。

 ましてや、仏陀の魂の本質的意識が下生しているとす

れば、本命穴馬どころではない大奇跡である。

 

 看過してはなるまい。


 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 薄穂、秋空を掃く・・・ 聖域を知るアニミズムの貢献  政治家よ、国民の教育者たれ! 

2009年09月30日 20時01分27秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 



 つややかに  薄穂susukiho を立て  空を掃き  

    馬糞 Bafun

 

 

 

 

  

 真新しい尾花が秋風に掃き目をつけて掃きはじめた。

 そこに膳をすえて、団子を盛り、名月を待てば、狸や

狐も尾を立てて寄り添って来るという、なごやかな昔話

しの風景である。

 

 それにしても、山の頂上までアスファルトの車道を通

すと言うのはいかにも無粋である。

 公共工事に税金を使うこと自体が目的で作られた道で

ある。

 自然には、犯してはならない領域がある。

 もっとも、神も仏もないという国の建前からすれば、

自然の聖域など馬鹿らしい話と言うことになるのだが。

 政治、教育から神仏を追放して以来、日本の国はずい

ぶんと荒れた国になってしまったことである。

 

 山神、猪神、犬神などの自然崇拝的なアニミズム信仰

は世界から理解されない低級な信仰だというが、それさ

えも認めない無神論者が日本のインテリジェンスを気取

っている事態は、低級さえもない堕落である。


 宮崎駿のアニメ映画は低級霊界の闘争を描いているか

もしれないが、日本的神秘を伝える限りにおいては、大

いに貢献しているのではないか。

 不便の中にこそ、高級な文化がある。

 文化とは精神修行である。

 

 世俗の公務員よ、税金の害虫どもよ、里の山道を返せ!

 

  

 

 

政治家よ、国民の教育者たれ!


 社会主義政党である民主党が政権をとり、その生みの親

であるしょぼくれた社民党も連立して大臣ポストを配当

された。

 野党といえば、悪口雑言の悪党というイメージがある。

 その悪口雑言の政治家たちが、この仏国日本をどこま

で汚染するのか、実に不快なことである。

 

 政治家は、本来、国民の範として、政治的人間として

の教育をする立場である。

 それが、あの品のない悪口雑言であり、テレビにまで

出て悪口を言い合っているのも恥しらずなことである。

 

 民主党は、反官僚、親公務員労組と言う性格を持って

いる。

 優秀な高級官僚を抑制し、社会主義の本源である公務

員労組を増殖させようとしている。

 高級官僚の仕事は、国家運営の企画提言に本領を発揮

するところにある。

 

 これに対して、公務員労組は、民間に任せればよい仕

事をたいそうに構えて税金でのうのうとして生きようと

いう輩である。

 一日中、松くい虫を数えているという地方公務員もい

る。

 なぜ、公務員でなければならないのか。

 

 教職員も公務員である必要はない。

 むしろ、競争原理の中に身をおくべき仕事である。

 

 民主党の政策は国家破壊以外の何ものでもない。

 それを国民が選んだ。

 「民主主義」とはそうしたものだろう。

 『民』もまた、選ばなければならないのではないか。

 選挙権の国家試験制度、失権制度があってよいと思う。

 

 義務教育が、本来、その資格要件であったはずだが、

今は違う。

 学校は勉学の場ではなくなっているからである。

 何とかしなければならない。

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

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+ 彼岸過ぎの花・・・ 若杉山初歩き  生涯健康基本政策としての山道・遊歩道整備、車道抑制、ヘリコプター等

2009年09月28日 07時24分27秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 彼岸明け  此岸となりし  花訪ね  

    馬糞 Bafun

 

  

 

 真っ赤な彼岸花を見ないままに彼岸が過ぎてしまった。

 彼岸花といえば稲刈り頃の田んぼを化粧する風景であ

る。

 田のあぜ道を補強する植物として植えられたものらし

いが、最近ではめっきり少なくなった。

 一大決心をして奇特なよそ様の田んぼに出かけなかれ

ば見ることのできない花である。

 

 篠栗が終点の電車を降りたところで思い立って、若杉

山を目指すことにした。

 途中のどこかに彼岸花が咲いているだろうと思ったか

らだ。

 若杉山といえば、博多の隣の山だが、頂上まで車道が

通っている世俗的な山である。

 そう思って、一度も登ったことがなかった。

 

 アスファルトの車道の登り道を30分ほど歩くと、山里

の秋があり、念願の曼珠沙華にも出会えた。

 色あせた曼珠沙華の群生の中に、まだ若い花が混じっ

ている。

 一週間は遅れたという感じである。


 しかし、彼岸花が盛りの頃は、色あせて生気を失いつ

つある父の脳障害に動揺していた時期だった。

 仕方がなかった。

 まさに、諸行は無常である。

 

 それにしても、若杉山とてもなめてはいけない。

 トレッキングシューズに武装した一群の年寄りとすれ

違ったときは、を大げさなと思ったものだが、都合4時

間の行程で疲労困憊の山登となった。

 しかも、頂上には至らなかった・・・。

 

 

  

 

マニュフェストメモ・・・ 山道開発基本政策】 


 生涯スポーツ、生涯健康のために、身近な山の遊歩道

を整備したい。

 ただし、車道は通さない。

 携帯電話が使えるよう、電波局を増設整備する。

 自治体は、遊歩道、登山道などの情報公開を充実し、

HPにも掲載する。

 

 観光産業基本政策として、生涯スポーツ観光というコ

ンセプトで情報と交通の利便を充実する。

 ヘリコプター交通を推進する(まずは、自衛隊の営業

活動としてでもよい)。

 

 自衛隊の民間サービス転用は、平時の活動として欠か

せない。

 有事と平時の接点を定めて、民間サービスによる軍事

費の捻出と言う努力もまた必要である。


 今後、有事の機動力に優れたヘリコプターの充実のた

めにも、民間交通手段としてのヘリコプター交通サービ

スを事業化するべきである。

 

 幸福実現党が結党された今、空しい政治批判や行き場

のない政策提言ではなく、マニュフェスト提案としてア

イデアを蓄積するというやり甲斐ができたのではないか。 

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 秋風に色を塗る・・・ 佐賀バルーンフェスタ2009  アナログ思考の優越性  日本語の使命

2009年09月27日 11時40分46秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 秋風に  色を塗りけり  熱気球   

   馬糞 Bafun

 

 

 

 佐賀のバルーンフェスタが10月30日(金)~11月3日(火)

まで開催される。

 そのデモンストレーションなのか、福岡市役所前に風

船を持ち込んで佐賀キャンペーンが今日まで行われてい

る。

 そのとなりのアクロス前中央公園では、筑後の物産展

が行われているから、お茶や野菜の買出しにはよい機会

である。

 

 佐賀バルーンフェスタは佐賀平野にふさわしい、夢の

あるイベントだが、一度も行った事がない。

 上昇気流をつかむ縁起のよい大会でもある。

 

 『わたしたちは上昇気流です!』というキャッチコピ

ーはいかがだろうか。

 幸福実現党も、全国でバルーンを上げたいものだ。 

 

 

 

 

コンピュータの限界、アナログ思考の優越性


 希望の大国・日本の可能性『新しい資本主義』(09年5

月初版PHP新書)を読み返してみて、改めて、日本の国際

貢献はいかにあるべきかについて考えてみた。

 

 コンピュータのデジタル技術同様、資本主義にも次の

世代に取って代わられるべき根本的な限界があるのだろ

うと思う。

 

 原氏のコンピュータへの見切りの理由として、二つあ

るように思われる。

 一つは、アナログ発想のできないコンピュータの致命

的な欠陥が使い勝手の悪さとなり、機械が人間に迎合さ

せようとする本末転倒の状況になっていること。

 もう一つは、マイクロソフトの手段を選ばない寡占的

支配戦略に嫌気がさしたことである。

 

 まことに、コンピュータとは道具として使いたい機能

はあるが、道具に振り回されるような、使い勝手の悪い

道具である。

 デジタルの効率の悪さをCPUの演算スピードで賄って

いるともいえる。

 

 しかし、人間の思考はデジタルではないだろう。

 デジタル発想と言うが、それはブレーンストーミング

のような連想的発想を言うのであって、デジタルではな

い。

 

 そして確かに、ウィンドウズOSの支配、ワード、エク

セルの支配は、政治的支配と言うべきであって、技術の

優越によるものではないと思う。

 日本の優れたOS技術やCPU技術、そして、一太郎のよ

うな日本語ワープロソフトなどがマイクロソフトに駆逐

されたことが無念でもある。

 

 

 

 

日本語の海外普及を推進することが最大の国際貢献になる


 同じような状況が、日本語にもある。

 日本語は、海外から見れば最大の障壁だというが、逆

に言うと、日本文明というべきものを擁する難攻不落の

言語なのである。

 日本人の欧米コンプレクスは卑屈でさえある。

 

 日本の高度の思想や技術は、日本語とセットだとも言

える。

 だから、日本語にもっと自信を持つべきである。

 日本の若者の識字率は著しく低下しているが、これは

公教育の劣化による一大事である。

 海外援助活動についても、日本語で行うべきであり、

日本人の漢字能力、文章能力をこのまま退化させてはな

らない。

 

 最大の後進国支援活動は、日本語教育にあるといって

もよい。

 日本語をマスターすれば、日本の技術、日本企業への

門が開かれるのである。

 ましてや、仏陀再誕の日本であってみれば、日本語は

仏陀の言語でもある。

 日本語に誇りと使命感を持つべきである。

 

 ジャパニーズドリームとは、外国人に与えられる夢で

ある。

 そのためにも、日本語の海外支援事業が欠かせない。

 

 英語は、義務教育レベルでよい。

 若者たちは日本語を携えて、アジア諸国、アフリカ諸

国に出かけてゆくべきだ。

 アジアに行ったら、身振り手振り、現地の言葉と、日

本語で対話するべきである。

 

 今度、外人に道を聞かれたら、堂々と日本語で答えた

いと思う。

 


立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi 

 

※ 原丈人氏の国際ボランティア活動『アライアンス・フォーラム財団』
⇒ 
 http://www.allianceforum.org/index.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 千の虫、万の草・・・ 独立不羈の精神  日本航空労組は自力倒産すべきである

2009年09月26日 08時07分57秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

    

 千の虫  千々鳴いており  万の草

    馬糞 Bafun

 

  

 

 旧暦八月六日の夜は、心地よい、少し暖かな夜だった。

 千の虫というほどにたくさんの虫の声が、一段と元気

よかった。

 それほどたくさんの虫の声も、その姿を見たことがな

い。

 万の草に庵を結んでいるのだろう。

 稲穂のように、草が主役の秋である。

 

 さて、2009年の秋、息をひそめているわけにはゆか

い。

 千の虫、万の虫がいようとも、一匹の虫が人生をかけ

て歌っている。

 その合唱が、さわやかな秋を感じさせてくれている。

 

 数が減ってこようとも鳴く。

 一匹にても鳴く。

 この世にある限り鳴く。

 それが虫の生きがいであり、役割であると、鳴いてい

る。

 

 千の虫でも、独立不羈に生きている。

 

  

 

 

日本航空は自力で倒産すべきである】 


 自由主義の市場原理は、フェアプレイの精神による競

争の原理で成り立っているはずである。

 競争の原理は、独立不羈の精神と向上心が求めた、や

る気の経済原理である。

 競争原理に敗れた場合は、会社は倒産する。

 倒産することによって、あらたな再生資源としてリサ

イクルされるものである。

 

 日本航空の敗因は、日本航空の貧乏神というべき労働

組合にある。

 分不相応の高額な人件費、殿様商売をしてきた無駄の

多い企業体質が禍している。

 デフレに対応しない体質こそが問題なのだ。

 その責任は、国にはないのではないか。

 例外的に救済すべき事情は見当たらない。

 

 地方の航空路線が切り捨てられるとか言うが、日本航

空は必要ない。

 活力をもった体質の企業が出てきて、都市間小型航空

の時代を築く方が時代の要請と言うべきであろう。

 受け皿となる航空会社はHIS、スターフライアー、ス

イネットアジア航空など、九州からも生まれている。

 

 パイロットが高給取りで優遇されるべき必然はない。

 同様に、プロスポーツ選手が高給取りでなければなら

ない必然性はない。

 その価値を決めるのは、やはり市場の支持である。

 

 日本航空は、日本航空労組とともに、自力で倒産すべ

き会社であろうと思う。

 GMのようにではなく、リーマンのようにである。

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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+ 野辺送り・・・ 悲しみとは何か、優しさとは何か  愛についての考案  日高義樹の警告

2009年09月24日 07時47分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 羽を合わせ  野辺送りせむ  虫の声  

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 九月二十三日(水)


 今日はお彼岸。

 虫の声も、心境によってさまざまに聞こえるものであ

る。

 歓喜の歌にも聞こえ、煙立つようにも、あるいは、野

辺送りの経文のようにも聞える。

 草場に立つ托鉢の僧でもあるかのように数珠を切る虫

の声に聞こえる今朝は、少し悲しい気分である。

 

 この、悲しいと言う気分は一体何なのだろうか。

 終わりを迎えるとき、別れるとき、人の苦しみに接す

るとき、人は悲しく思うものだ。


 呆然と立ち尽くす無力感が悲しみなのだろうか。

 悲しさが明るくなったとき、優しさになるのかもしれ

ない。

 悲しさが、ただいたたまれない悲しさのままでは不幸

である。

 

 優しさとは何か。

 思いやりと言う言葉が分かりやすい。

 人の悲しみが分からずして思いやることは難しい。

 

 だが、優しさとは、もっと奥が深い。

 大川隆法著『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版

刊)という、20年ほど前の本を紐解いてみた。

 女性には必読の書である。


 イエスキリストの霊指導による文集とあったが、聖書

の香りがする。

 しかし、家庭愛の大切さが語られているのは、現代的

である。

 

 やはり、優しさとは、愛の姿なのである。

 ただ、悲しみに打ちひしがれていてはいけない。

 所詮、人は魂の揺らぎの中で、試行錯誤しながら無様

に生きる修行者なのだ。

 修行者同士が、その無様を裁いてはならないし、嘆き

悲しんでばかりもいられない。

 

 修行が許されていると言うことは、過ちを正す時を待

ってくれているという、神の愛である。

 地獄の存在もまた、悪霊の抹殺ではなく、反省して正

しくなるための修行場として与えられているということ

でもある。

 

 修行者同志は、やはり、思いやり、助け合いつつも、

一定の距離をとることが大切だと思う。

 悲しみとは、その距離のことかもしれない。

 愛の観点から見るとき、自由とは、悲しみを伴うもの

であることよ。

 

 しかし、愛なくして自由なし。

 愛なくして学びなし。

 愛なくして修行なし。

 愛なくして発展なし。

 

 愛こそは全ての始まりであり、全てが目指す方向であ

る。

 あの山に登ろうという「志し」というべきか。

 

 

  

 

日高義樹の警告】 


 日高義樹著『不幸を選択したアメリカ』(PHP出版)

は、今年二月に出版されたものであるが、日本を取り巻

く危機的状況が的確に指摘され、警鐘を鳴らしている重

要な一冊である。

 にもかかわらず、日本国民もまた、オバマの二番煎じ

を選んでしまった。

 不幸を選択したのである。

 

 そこには、重大な政治環境の変化が警鐘として指摘さ

れている。

 アメリカの政治家との唯一の接点ともいうべきロビー

ストが駆逐されていること、韓国の優秀な実戦部隊が撤

退していること、陳水扁前総統一とする台湾独立派30名

以上が拘束されたこと等々である。

 

 アメリカの人々は国家というものを重視しなくなって

きている、という指摘もこわいことである。

 

 「オバマ大統領を選んだことがそれを証明しているが、

アメリカが世界の責任者として世界を動かして行くため

には、戦争を避けることはできない。外交の先には常に

戦争が存在しているのだ。」

 

 「国家の最も大事な任務は、国民を守ることである。

戦争も辞さないと言う覚悟がいる。安全保障政策はその

根幹になるものだが、その担当者にまったく戦争を知ら

ない人物を置くことは危険極まりない。アメリカ国民の

意識が変わったとはいえ、戦争を知らない大統領の登場

もまた国際社会にとっては恐ろしい出来事といえる。」

 

 一読を奨める。 


 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 ※失われた9月23日原稿の再興。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ つくつく法師、経を読む・・・ 企画の時代~ どう変える、政党再編・マスコミ解体後の日本

2009年09月22日 15時07分23秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  

 彼岸入り  つくつく法師の  経を聞き 

    馬糞 Bafun

 

  

 

 蝉もすっかり、姿を消したと思ったが、どっこい、つ

くつくぼうしがつくつくと鳴いた。

 「つくつくぼ~し、つくつくぼ~し」、と法師の名前

を連呼していた。

 つくづくと、嵐のような夏を思うことである。

 くよくよなど、していられるものか!

 

 つくつくぼ~し、

 つくつくぼ~し、

 つくつくぼ~し。

 あれわいさ~そ、あ~しょんがね~。

 

 法師さん、私の台湾総統腑の帽子、知りませんか。

 「それもね~え、しょ~んがね」・・・ か。

 

  

 

  

企画の時代~ どう変える、政党再編・マスコミ解体後の日本


 さて、自民党が下野し、お勉強を始めたことであろう。

 自由民主で未来が語れるものか。

 党名から考え直してはいかがか。

 あるいは、派閥を政党化して、ホールディングス政党

を上においてはどうか。


 ホールディングス政党は、立候補ではなく、傘下の政

党の調整と政策研究、広報活動、マスコミ活動をする専

門家集団とするのだ。

 幸福実現党こそは、その役割に最もふさわしいのでは

ないか。

 

 保守再編を目指したはずの離党グループは、民主党左

翼政権に堕してしまった。

 ミイラ取りがミイラになったという始末である。

 同時に、自民党の時代も終わった。

 毅然とした勇気がなかったからである。

 

 マスコミに負けない政党を再編して欲しい。

 

 そのためには、公職選挙法改正、選挙制度の改正が求

められる。

 もはや、憲法改正のために小選挙区制を導入した意味

は失われた。

 再び、中選挙区制に戻すべきである。

 小選挙区制は、民意を忠実に反映する選挙制度ではな

い。

 正常化するべきである。

 

 「憲法改正」については、無効宣言総選挙、新憲法制

定総選挙でけじめをつけるべきであろう。

 これが、「日本国憲法」の正しい扱いである。

 太平洋戦争は終わったのだ。

 

 また、企業も、マスコミとの付き合い方を反省すべき

である。

 日々のニュースと読み物を分ければ、新聞に依存する

必要がない。

 もう、新聞はいらない。

 コンビニエンスが、これに取って代わればよい。

 

 チラシも、デジタル時代には、テレビチラシで十分で

あろう。

 

 マスコミ再編が始まった。

 マスコミ支配の時代が終わろうとしている。

 電通の時代が終われば、芸能界も変わる。

 スポーツビジネスも変わる。

 一層、多様な文化が花開くことであろう。

 マスコミは、多くの人の自由を縛っていたのだという

ことに気づかされることであろう。

 

 さて、どう変えるか。

 これからは、企画の時代である。

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 煙立つ虫の声・・・ 仕事と愛  介護職と送り人の愛  個別指導教育と送り人の愛

2009年09月22日 11時10分27秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

  羽をこすり  煙立ちたり  虫の声  

 
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 すっかり、秋になった。

 虫たちが、煙が立つのではないかと思うほど羽をこすって、秋の世を

奏でている。

 

 紅葉には早いが、秋の今朝は小雨である。

 博多の左右に、停滞前線があって、秋場所に夏と冬とががっぷり四

に組んでいると言う格好である。

 

 そういえば、そういえば、今日は、大相撲秋場所十日目である。

 朝青龍が快調のようだ。

 朝青龍、白鵬というモンゴル力士のおかげで、大相撲が甦っている。

  このように、日本の未来は、アジア諸国の優秀な青年たちに発展の

チャンスを与える国でありたいものだ。

 

 そのための基礎作りとして、マンツーマンで教育できる留学生基礎

教育スクールを開設したいものだ。

 言葉だけではない。

 日本の秩序と文化、世界の情勢、未来のビジョン、そうしたことを教

えて日本の教育で伸びるように下ごしらえをしたいと思うのである。

 そこで、英語教材に手を出そうとした。

 しかし、思いとどまった。

 「これで解決!」というのが、昔からの英語教材のキャッチコピーで

ある。

 

 何事も、楽しめなくてはならない。

 言葉は、文化を楽しむためにある。

 そこで、安くなった昔の名画DVDを楽しみながら、英語に慣れようと

思う。

 海外に行ったことがなく、映画だけでTOIEC900点という先生がいた。

 日本語も、映画を通して勉強してもらうのがいいのではないか。 

 

 

 

 

 

 

 

仕事と愛~ 介護職の使命感 


 父に、介護の真似事をしていて思ったことがある。 

 不自由な患者をきれいにしてやり、少しでも快適になるよう、一人ひ

とりにかまってやる仕事には想いがこもるものである。

 生活してゆけない安い賃金で、過重な労働日々が続く介護職なのに、

それでもやろうとする人がいるのは、使命感にも近いやりがいがある

からだろう。

 それなのに、賃金を見ると、仕事としては認められていない状況であ

る。

 せめてに、20万円の手取りを保証してあげたい仕事である。

 

 昨日、たまたま、「送り人」という映画の最後のあたりを見た。

 思いを込めて、鮮やかに着替えをし、身を清め、納棺する様子は、映

画とはいえ、感動的だった。

 

 介護の仕事もそのような仕事だ。

 看護士の仕事も同様である。

 本来、医者の仕事もそのようでなければならない。

 

 患者も遺体も、物のように扱ってはならない。

 そこに求められているものは、愛にほかならないからである。

 

 仕事とは、人を相手にするものである。

 物を製造する仕事であっても、それを使う人の姿を思い描いて作る

ことが仕事である。

 

 大川隆法著 幸福の科学出版刊『仕事と愛』という書籍がある。

 仕事の本質を「愛」という言葉で語るものは、それまでなかったので

はないか。

 とても新鮮な印象だったことを覚えている。

 人に優しく接すると言うことが仕事の原点にあるということである。

 

 ちなみに、これからの仕事について、「医者や理工系の博士号さえ

も惜しげもなく捨てて、違った世界に転出してゆくケースが出てくるで

しょう。自分の資格にふさわしい素晴らしいという世界に行くのではな

く、自分の技能を生かしつつも、あまり日のあたらないところをあえて

選んで、パラシュートで落下して行くようなチャレンジの時代が来ます」

という趣旨の記述もある。

 これからの仕事を考える上で、学生必読の名著であろうと思う。

 

 

 

 

 

 

仕事と愛~ 個別指導教育と送り人


 教育もまた、一対多のスタイルだけではなく、患者と接するような、

心のこもった一対一の個別教育の学校が必要だと思う。

 教育もまた、旅立ちへの送り人というべきかもしれない。

 

 大学の講師とも話したことだったが、今の学生の学力の低さは、も

はや大学のものではないと。

 少子化の学生を確保しようとして、学力のない推薦入学という制度

も禍している。

 少子化だからこそ、子供はしっかりと育てなければならない。

 しっかりと鍛えて、世界で通用する仕事能力を養わなければならな

い。

 

 「そのためには、大学よりも、しっかりとした専門スクールに入れたほ

うがいいと思う」とその講師は言っていたが、そうだと思う。

 

 四苦八苦は、この世の人生を火宅の世界にする火種かもしれない

が、人に、愛の本質を気づかせるための仕掛けであるかもしれない。

 

 光明なき人生など、ありえないことである。

 さあ、新しい世界に落下してゆこうではないか!

 

 

              立憲女王国・神聖九州やまとの国

               梅士 Baishi      
              

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 彼岸の空・・・  魂の自由  父の人生にみる人生修行  父よありがとう 

2009年09月22日 09時10分52秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  

 身を抜けて  飛びたちてもみよ  彼岸晴れ    

    馬糞 Bafun

 

  

 

 病床ならずとも、肉体の身は不自由である。

 出かけること自体が億劫である。

 東京は、いろんなイベント、展示会、研究会、名所が

あちこちに花咲いて、まさに花の都である。

 しかし、いざ、東京に住んでみると、壁一枚、敷居一

段隔てた外界は、近くのスーパーでさえ遠くに感じるも

のだ。

 

 まして、病床にあれば、手足でさえもままならず、言

葉もろれつがらず、体というものがかくも人型の壁で

あることかと情けなく思うことであろう。

 肉体とは、スポーツ選手やダンサーのように躍動する

ものかと思えば、諸行無常、いつしか錆び付いて、動か

なくなるものである。

 

 しかし、魂は自由である。

 肉体につながれているときでも、閉じ込められている

わけではない。

 するりと抜け出して、魂の自在を得ることも可能であ

る。

 それが、眠ると言うことであろう。

 催眠療法があるように、人は眠ることによって、魂の

自由を回復することが可能となる。

 

 富士の高嶺に座することもできる。

 太平洋上に禅定することもできる。

 月面に瞑想することもできる。

 

 風となり、吹き渡ることもできる。

 彼岸に渡って、故郷の人たちと会うこともできる。

 だから、病床にあって嘆くことはない。

 魂は、自由自在である。

 いつでも、夢の裏木戸からするりと抜け出すことがで

きる。

 

 魂を縛っているものがあるとしたら、間違った考え方

である。

 この世の目に見えるものだけが全てであり、神も仏も

ありはしないという唯物論ほど魂の自由を奪う邪見はな

い。

 魂は、物ではないからである。

 魂は、肉体を離れることができる異次元の生命エネル

ギーの本体だからである。

 

 

 


 シベリアの  兵は彼岸に  還らんと

    馬糞 Bafun

 

 

 

 だから父よ、病床にあって、安らかに羽ばたいてくだ

さい。

 あなたは立派に生きた人である。

 家族の縁薄く、養子に出された。

 しかし、養子の母は心から愛して育ててくれた。

 「禍福はあざなえる縄の如し」である。

 

 唐津商業を卒業すると、やがて母に反抗して満州に渡

った。

 満州の電電公社で技術者として奉職した。

 しかし、戦争に借り出され、朝鮮人の兵を指揮したと

言う。

 部下思いの父は慕われていたようだ。

 敗戦の色が濃くなった末期、ロシアの思いがけない参

戦で、カチューシャ砲がヒュンヒュンと音を立てて頭上

を飛び交って恐ろしかったと言っていた。

 

 日本の敗戦で、帰国できるかと思いきや、部隊ごとと

どめられ、そのままシベリア抑留の惨劇に引きずられる

ことになる。

 食べるものがないそのわずかな食べ物を掠め取るロシ

ア兵もいたと言う。

 道端の食えそうなものは何でも食って、飢えをしのい

だとも言った。

 過重な労働と飢えと寒さで、次々に戦友たちが死んで

いった。

 朝起きてみると、となりの戦友の顔に霜が降りていた

と。

 

 作業現場から落下して怪我をしたり、ついには、アメ

ーバー赤痢で死の淵をさまよった。

 三年後の帰国は、奇跡のようなものだった。

 帰国しても、待っている人はいなかった。

 育ての親は、医療ミスによって亡くなっていた。

 腹の中に、注射針が折り込まれたままになっていたと

いう。


 その上、仕事もなかった。

 なじみの薄い育ての親を頼って島原の実家を訪ねたが、

そっけなかったと言う。

 お国のためにと言う大義名分がなくなると、みんな貧

乏で、地獄のような生存競争が始まったというべきなの

か。

 

 残された資産は、見知らぬ田舎の親戚が持ち去ってい

た。

 相続した造り酒屋の大きな家も、やがて生みの親から

移転登記されていた。

 残ったのは膨大な固定資産税だけだった。

 家族を養うために、炭鉱にもぐって働いていた時代で

ある。

 それでも、幸せな暮らしがあった。

 島の高台に小さな家を建てた。

 五球スーパーの父の手作りラジオで、母はラジオ番組

を楽しんだ。

 なぜ、ラジオができるのか、不思議だったが、私がパ

ソコンを組み立てているのと同じ感覚だったのかもしれ

ない。

 

 ある日突然、知らない男たちが数人、住居侵入して、

箪笥にも、火鉢にも、次々に赤札を貼っていった。

 そして、鶏やヤギと仲良く暮らした小さな自宅も失っ

た。

 それでも、父は、炭鉱が閉山になるまで、切り端に立

って危険な炭鉱夫を続け、家族を養い、子供を大学にま

で出して養い続けた。


 その間、大怪我をし、胆のう摘出手術を受け、直腸が

ん摘出手術を受けて人工肛門となり、まさに、満身創痍

の人生であった。

 なんという難行苦行の人生であったかと思う。

 しかし、家族の喜びもまたあった。

 

  父の人生は、ほんとうに荒修行というべき人生だった。

 だから、帰るべきところは天国である。

 病床にあっても、肉体を抜け出て羽ばたき、巣立ちの

練習をし、自由を楽しんでもらいたいと思う。

 父よ、ほんとうにありがとう。

 

 父以上に苦労をした人々も多いだろう。

 老いて報われてよいものを、老いの苦しみ、病の苦し

み、死の苦しみは理不尽なほどに覆いかぶさってくるの

だ。

 しかし、それも、この世へのとらわれであろう。
   

 

             

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 彼岸前・・・ 父への鎮魂歌  死苦八苦の時は死なない時であり、悟りへの時である

2009年09月21日 21時53分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  彼岸前  かすかな父の  手を握り 

    馬糞 Bafun

 

  

 

 7月24日の誕生日、おめでとうと、電話で話したのだっ

た。

 8月13日には、雲仙に泊まりにゆくのが楽しみだと話し

ていた。

 ところが、時々弱気になって、 もうだめかもしれな

いとも言っていた。

 突然動けなくなって、緊急入院してからも、宿のキャ

ンセルに反対した。

 

 それから、一ヵ月半で、父は正気を失いつつある。

 夜は縛られ、昼に意識がもどると、縛られているから

と、「おかあさん、はさみ!」ともどかしそう叫んだ。

 そのときの顔が、地獄に落ちているであろう祖父の顔

とダブって見えた。

 

 父を養子に出し、シベリアから戻ってきた父から、そ

の相続財産をすべて奪った祖父が、その父を憑依するこ

とは、許さない!

 悪夢の夜と現とが分からなくなってきていた。

 歯を磨き、鼻毛を切ってやると、ありがとうと、手を

合わせた。

 

 これが、父に見る、生老病死の現実である。

 人はみな、この儚さから逃れることはできない。

 生老病死は定めである。

 

 しかし、何ゆえに狂気に陥らなければならないのか。

 脳溢血か、脳梗塞か、物理的な事件が起こったのかも

しれない。

 それでも、狂気に陥るいわれはない。

 

 なぜ、助けるのかと抗議しているのだろうか。

 なぜ、病院から出してくれないのかと、抵抗し、どう

しようもなく、失望しているのか。

 それならば、なぜ、退院するその日に暴れたりしたの

か・・・。

 母は、お赤飯を用意して、病院に行ったのに・・・。

 

 自由だったそのときに、父は理性を失い、抵抗し、退

院をふいにしたのだ。

 だから、その責任は父にある。

 

 父には霊的世界の真実を信じてもらいたかった。

 キリスト教は、罪である。

 キリスト教は、父の魂に引導を渡すことができない。

 なぜ、霊的世界を語らず、転生輪廻を否定するのか。

 

 何も恐れることはないのだ。

 愛するわが子が、貧しく老いて死ぬのだとしても、哀

れではない。

 何も案ずることはないというのに、それを案じて、己

の死を恐れて、

それで体の自由を奪われたときに、放せ、放せと、暴れ

るのか。

 

 父よ、暴れるな。

 父よ、観念せよ。

 父よ、家に帰ろうではないか。

 

 あなたが暴れれば、母がかわいそうだ。

 だから、理性を取り戻して欲しい。

 安らかに、現実を受け入れて欲しい。

 

 生老病死を四苦という。

 苦しいのか。

 たしかに、腸炎を患ったときは、死ぬほど苦しかった。

 風邪を引いて、咳が止まらなかったときも、死ぬほど

苦しかった。

 もう、ずっと治らないのではないかと思えるほどに長

い間の苦しみだった。


 確かに、病は苦しい。

 しかし、理性を失うほどではなかった。

 苦しいときは、死なないときだ。

 

 ひき逃げで意識を失い、右半身骨折という重症を負っ

たときは、苦しくなかった。

 死んでいてもおかしくはなかった。

 ところが、回復して骨折を抱えた数ヶ月は苦しかっ

た。

 

 高熱で5日間、一人臥せっていたときも、苦しくなか

た。

 ところが、それから回復して、ふらふらと買い物に行

くときは苦しかった。

 そんなものだ。

 

 父の苦しみに取って代わるわけにはゆかない。

 それは、父の修行である。

 父よ、その修行が苦しいか。

 苦しいのならば、あなたは助かっているのだ。

 その苦しみを喜べ。

 

 何ゆえに狂気になるか。

 その怒り、その憤懣、その恨み、それは、あなたのわ

がままである。

 キリスト教に信仰を得たのであるならば、愛を忘れて

はなるまい。

 あなたは、まだ、死ぬべき時にはないから苦しいのだ。

 

 悪霊などに、その正気を奪われてはならない!

 あなたには、守護霊が助け、キリストの愛が護り、家

族の祈りが護っているではないか。

 今こそ、あなたの信仰が問われているのだ。

 

 悪霊などに負けてはならない!

 あなたの平安が、周囲の人々の願いであり、救いである。 

 ああ、父よ、完全なる狂気に陥る前に、平安が訪れま

すように!

 

 父の不幸は辛い。

 しかし、悩んでどうなるものではない。

 父の修行である。

 父よ、もはや、あなたは平安の内にあることを忘れるな。

 平安こそが、あなたの最後の修行である。

 

 

 上級者の修行は、正しい信仰によってのみ、苦しみを

悟りの喜びに至らしめるであろう。

 だから、幸福の科学という、奇跡の法門をたたくべき

である。

 それは、選ばれたる者ではない。

 選びし者である。

 

 信仰者は、毅然として生き、毅然として死ぬ。

 微笑んで。

 再会Saichen 、左様なら、また会いましょう、と。

  

              

立憲女王国・神聖九州やまとの国   

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

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+ 紅日出る曼珠沙華・・・ 痴呆撃退! 人生所詮無様なり。 寿命とは目出度いことである。

2009年09月19日 20時48分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  日出る  その紅kurenai の  曼珠沙華    

    馬糞 Bafun

 

  

 

 

 田に紅の彼岸花を、今年はまだ見ていない。

 田に真っ赤な彼岸花の光景は、神秘である。

 あの鮮烈な紅色が、大好きである。

 

 しかし、今日は、一歩も外には出なかった。

 心が重かった。

 電話で聞く、父の病状が、日に日に正気を失っている

からである。

 

 シベリア帰還兵の父が、せっかく楽しみにしていた夏

休みのグランドゴルフの旅の直前に歩けなくなり、夏の

間にみるみる正気ともいうべき気力さえもが衰えてし

まった。

 交通事故よりは緩やかであるが、突然という戸惑いが

ある。

 

 母は、入院先で毎日付き添い、老いた手でマッサージ

までしてやっているという。

 それでも、今は反応がなくなっているらしい。

 悲しいことだ。

 何れ、去るべきこの世であり、母もその覚悟はできて

いるであろうが、死ぬ直前まで、心の幸福を見失なわな

いで欲しいものだと思う。 

 

 

 

 

痴呆撃退!


 家族の寝たきりや痴呆症ほど、悲しいことはない。

 こんな悲しいことを、もっと辛い痴呆症の看病の苦し

みを、身近な人々が背負っていたことを、その励ましの

言葉から気づかされる。

 

 おもえば、亡くなった友人も、痴呆の母親の看病に活

路を見失い、どうしようもないよ、と電話をしてきたの

が最後だった。

 

 父が、思いがけずこのようになってしまったのは、糖

尿病と、悲観的な考え方に誘引があったのではないか。

 たしかに、人生はままならず、悲しいほどに未熟で、

悲しいほどに貧しい。

 しかし、悲しくも、滑稽ではないか。

 

 人生に悲観などいらない。

 笑いながら、この世を旅立つことができるのだ。

 人間は、所詮、無様に生きているのだから。

 その無様がおかしくもあり、楽しくもある。

 

 生活力が乏しく、老後が不安であっても、食えなくな

ったら安らかにねばよい。

 最後まで努力してやまなければ、それもまた、寿命で

ある。

 だから、老後に不安を抱く必要はないのだ。


 寿命とは、目出度く、毅然としてこの世の命が尽きる

ことである。

 

 祖母は、洗濯物をたたみながら、眠くなったと言って

横になったまま往生したのだと言う。

 その祖母の面影の残る父のことである。

 安らかに、旅立って欲しい。

 

 明日は、かすかな父の正気に会いに行こうと思う。

 

 全国の痴呆の老人たちよ、毅然として生き、笑ってこ

の世を去りたまえ!

 あなたたちは、「生きがいがない、誰にも期待されて

いない、もう終わっている」などと悲観したに違いない。

 その結果として、痴呆を招いたのではないか。

  

 

 

  

 しかし、衰えて寝たきりになった老人であっても、他

人に何の貢献もできないのではない。

 死に臨んで、その伴侶が、その子が望むのは、その安

らかな境地である。

 慈眼愛言というが、最後まで輝きつづける、与える愛

の最大というべきではないか。

 人間の存在とは、いかにも大きいのである。

 

 痴呆とはいえ、魂は 正常に考えているはずである。

 よくよく、反省することだ。

 寿命の目出度さを悟ったならば、寿命尽きるまで、毅

然として生きると誓え。

 その寿命尽きることを悟ったならば、潔く、この世を

去るべきである。

 

 あの世こそは、本来の住処である。

 帰るところがあり、待つ人がいる。

 人間は、永遠の生命であるということを信じよ。

 

 そして、再び、地上に生まれるときが来るのである。

 

 生命が永遠であること。

 この世を去ったところには、あの世と言われる心の世

界があること。

 心の世界とは、幻ではなく、実在の、人間本来の世界

であること。

 そして、魂修行のために、転生輪廻を繰り返している

存在であることを信じることである。

 

 彼岸の入りに、悲しい人々に、愛と勇気の引導を渡し

たい。  

             


立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 曼珠沙華、田の端を染める・・・ 老後の幸福について  仕事と宗教の役割  

2009年09月19日 12時01分18秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  

 曼珠沙華  目を閉じし田の  端を染めて  

    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 今日は新月、午前3時44分頃、月が地球の黄道に入

り、直列した。

 潮は大潮である。

 新月というのは、事を始めるという目出度い日だとい

う。

 

 明日は彼岸の入り、頭をたれた稲田には、真っ赤な彼

岸花が咲いていることだろう。

 日の出の勢いの彼岸花を見たいものだ。

 彼岸花は、田んぼのおしゃれである。

 

 だから、農作業も、思い切りおしゃれをしてやったら

いいのだ。

 豊穣の田の神を招く稲刈り祭りを定めて、思い切りお

しゃれをして農作業をするのはいかがか。

 そんな田んぼ祭りを春と秋の年二回やるとよい。

 

 春の田祭りには、田に水を引いて、どじょうを放ち、

田植えの儀式をする。

 秋の田祭りには、彼岸花の赤でおしゃれをして、稲刈

りの儀式をする。

 農業は、もっとおしゃれを楽しむべきだと思う。 

 

 

 

   

幸福な老後と仕事

 老後とはいえ、人生は修行であり、社会貢献の生きが

いがなければ不幸である。 

 仕事に恵まれ、経済に恵まれた不自由のない老後であ

るならば、余生を日々安穏と暮らす縁側の猫のような暮

らしもよいのだろうが、それが10年、20年と続くことが

果たして幸せだろうか。


 まして所在無く、病院やパチンコ屋にたむろする老人

の姿は情けないことである。

 元気なうちは、マイペースでもよいから、仕事をした

いものである。 

 

 だから、労働力としての高齢者の活用こそは最大の高

齢者福祉といってよい。

 企業にも、その役割と責任の一端があるであろう。

 

 高齢者の自立的職業の道として、職人になるという道

がある。

 3年から5年修業すれば、ある程度やれる伝統工芸やも

のづくりがあるはずである。

 手工業的ものづくりを一から始めてはいかがか。

 

  

 

 

幸福な老後と宗教の役割

 収入を得る必要のない高齢者にとって、最大の生きが

いと平安な死を迎える方法は、宗教活動にある。

 信仰こそは、生きがいの根源である。

 

 キリスト教、仏教、神道、イスラム教、そうした伝統

宗教、宗派は、幸福の科学の宗教理論に学ぶべきである。

 宗教は、幸福な生き方を教えるのがその使命である。

 だからこそ、幸福とは何かを原点から考え、学ぶ必要

がある。

 まさに、『幸福の科学』とは、宗教のあるべき姿を教

えているといえる。

 

 『幸福の科学』とは、宗教界を指導する最高権威の教

団である。

 世界の宗教を統合する権威である。

 この秋、一般公開される映画『仏陀再誕』を観れば、そ

の権威の一端を感じることができるのではないか。

 『幸福の科学』に学ぶことは、宗教、宗派、教団の恥

ではない。

 教育指導する者として、誠実な求道心である。

 

 キリスト教教会は、本気で高齢者の生きがい活動をす

るべきである。

 日曜日に教会に集まり、牧師の平凡な説教を聴いて、

同好会のようなおしゃべりをして帰るというのでは宗教

の役割を果たしているとはえない。

 

 日常的に、高齢者信者が活動できるように工夫するべ

きである。

 介護ボランティア、保育ボランティア、教育ボランテ

ィアなど、いくらでも高齢者信者によってなされるべき

役割がある。

 

 活動継続できるだけの対価は求めてもよいのではない

か。

 プロのレベルは企業活動として、そこに至らない素人

仕事はボランティア活動としてやればよい。

  

 キリスト教だけではない。

 天理教や神社、立正佼成会や寺院なども正統派宗教団

体として、高齢者の生き甲斐の仕事に取り組んで欲しい。

 信仰と職業の統合は、高齢者の至高の幸福である。

 その拠点が、宗教団体であると思うのである。

 

 ただし、邪教にあっては、『幸福の科学』の経典に触

れて、よくよく反省をし、その教義や活動を正すべきで

ある。

 そうしないと、そこの信者を不幸にしてしまうからで

ある。 

 

 SG、桐山(アゴン)、真如、統一、ものみ、エホバの、

GL系などは、邪教である。

 霊界や転生輪廻を否定するような浄土宗系の寺も葬式

詐欺というべき邪教である。

 

 信仰が正されなければ、高齢者の幸福な道筋が見えな

いではない

 生きがいについて考える人、生と死について考える人、

老後の生き甲斐について考えている人は、『幸福の科学』

に学ぶべきである。

 月刊誌『リバティー』が、そのよすがとなるであろう。

 

 修行者として、天寿を全うしたいものである。  

 

              

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 放生会のやまと・・・ 日本の美意識、赤と白をデザインせよ  只政策の功罪 

2009年09月18日 21時51分35秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  放生会  神主たちが  絵のように  

    馬糞 Bafun

 

 

  

 およそ一週間の放生会が、今日で終わる。

 放生会の賑わいは、日本が大好きな賑わいである。

 神主や巫女さんの姿に、美しい大和が今も続いている

ことに安堵する。

 

 クリスチャンディオールの色は、修道女の黒と白であ

る。

 ヨーロッパ色というべきか。

 巫女さんの色は、日の丸の赤と白である。

 ああ、なんとかわいらしく、清らかに感じられること

か。

 この、赤と白のブランド色をデザインし、世界に発信

してもらいたいものである。 

 

 

  

 

高速道路通行料無料化の明るい波紋


 民主党+社民党左翼政権の入り口は、ロハ政策である。

 大方は、ばら撒きと言われる邪道であるが、高速道路

の無料化だけは景気浮揚の上策である。

 

 高速道路通行料の無料化は、幸福の科学出版の月刊誌

『リバティー』誌上で早くから提言されていたことであ

る。

 その後、自民党に対抗する切り札として借用したのが

民主党だった。

 幸福実現党を起源とするマニュフェストといってよい。

 だから、そこには合理性がある。

 

 すなわち、本来、道路インフラは国民全体に恩恵を及

ぼす、いわば大動脈であって、国家予算で賄われるべき

性格である。

 交通の高速化を伴う便宜を交通革命というが、交通革

命は経済の活性化をもたらす。 

 これは、産業革命によって証明された。

 結果、国家の税収が増える計算である。

 

 通勤圏、生活圏が広がることによる、住宅需要を考え

ただけでも大きな経済効果が予想される。

 観光地へのアクセスもよくなる。

 観光産業の活性化も、住宅需要に負けないくらいの広

範な経済波及効果をもたらす。

 

 しかし、これは、民主党起源のマニュフェストではな

い。

 幸福の科学起源の、叡智によるものである。

 自民党が、こうした大胆な政策を掲げられないほどに

老朽化していたことは間違いない。

 だから、死んだ。

 そこから、生まれ変わることができるかどうか、生死

の境をさまよっている状況と言うべきか。 

 

 

 

  

公立学校授業料無料化の暗い波紋

 民主党+社民党左翼政権の、幸福の科学起源を持たな

いロハ政策は、邪道である。

 まさに、社会主義政策であるが、その穴埋めは国家財

政破綻にいたるか、重税政策、特に、企業に対する法人

税や所得税の強化と言う形をとらざるを得なくなるだろ

う。

 すなわち、日本の経済が一段と沈むことを意味してい

る。

 「金持ちから取れ」という政策である。

 

 しかし、公立学校の授業料無料化は、さらに教育崩壊

による国力低下をもたらすことが懸念される。

 只と言うのは、ありがたみがないものだ。

 価値がないのである。


 公立学校が、価値のない学校になるということである。

 学校運営としても、経費削減のために、留年もさせら

れないであろう。

 

 只でも質を保つためには、入学試験を困難にし、教師

に、尊敬される資質と、規律を正す権威があるならばよ

いが、そうなると、貧乏人の子供は入学が難しいだろう。

 

 結局、暴力がはびこる無法地帯になるにちがいない。

 そんなところに入学させるぐらいだったら、有料でも

私立高等学校に入れるだろう。

 あるいは、通信制高校を選ぶだろう。

 

 教育は、自己投資であり、先行投資である。

 只では、投資効果がない。

 それでも只にするというなら、入学試験に一定のレベ

ルを求め、ハードルを高くするべきであろう。 

 

 

  

 

 楽になることが、かえってマイナスになるものが、教

育である。

 大学生といっても、ろくに漢字も書けないという学生

も少なくない。

 推薦入学制度のせいである。

 推薦とは、優秀だからではない。

 割り当てられた枠内での権利行使みたいなものである。

 

 高等学校は、高等なのであって、低等なのではない。

 大学とは、学問をするところである。

 それなりの学力が試験されなければなるまい。

 少子化だからといって、入学を楽にするべきではない。

 

 自民党は勇気がない。

 民主・社民は、知恵がない。

 マスコミは、勇気のないもの、智慧のないものを篭絡

して金を稼ぐ悪徳商人である。

 

 今のところ、日本国を何とか保つ力は、官僚しかない。

 官僚よ、智慧と勇気と、そして、何よりも武士道精神

を持つべきである。

 武士道精神こそは、選挙以上に、敬意と信頼を得る徳

である。

 

 官僚よ、武士道を持って、国難を持ちこたえよ。

 されど、悪徳を尽くした厚生官僚よ、潔く腹を切れ! 

 

            

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 毛布に入る虫の声・・・ 釣れない潮目に竿を置く  日米、考慮時間に入る

2009年09月17日 08時06分08秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 毛布など  かぶりても聞き  虫の声 

   馬糞 Bafun

 

  

 

 釣れなくなった潮目に、雑魚の戯れを斜にながめつつ、

釣りの仕掛けを考えるという時間があるものだ。

 その潮目に民主党左翼政権が勢い込んで糸をたれても、

雑魚しかかかるまい。


 プロの政治的釣り人がギャラリーが注目する中、来年

にも竿を投げ出さざるを得なくなるだろう。

 その後をどうするか、幸福実現党の新・日本国憲法草

案を含めて、分に噛み砕いておかねばなるまい。

 

 ドル円は1ドル90円われを伺う展開、原油は70ドル台、

金相場が驚きの最高値更新、ニューヨーク株価は景気よ

く上げて9800ドル近辺まで来ている。

 アメリカの時代が終わったかのように言われているが、

それを望む人々の「楽観」というべきなのではないか。


 オバマ政権時代の潮目の悪さはあるが、衰退している

のではない。 

 日本もアメリカも、今は、竿を置いている時期であろ

う。

 その竿で遊んでいる人々からは目が離せない。

 まあ、いろいろとやってみるがいい。

 大衆は危ない目に合わないと分からないところがある。

 

  

 

  

 今週は、新・日本国憲法草案をじっくりと読み込んで

みたい。

 私の立場は、日本国憲法無効論であり、聖徳太子の十

七条憲法を筆頭とする日本の良識を基礎とした不文憲法

状況にあると考えている。


 憲法無効宣言⇒総選挙⇒新憲法制定の流を望んでいる。

 改正手続きまで、GHQの亡霊に縛られるべきではない

とも考える。

 

 読書の秋でもある。

 病床であれ、牢獄であれ、今は、学び、構想をねるべ

き時であろう。  

 

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

            

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 秋の五線譜・・・ 『企業とは私利私欲の営利追求団体』  武士道経営の気概を求める

2009年09月15日 20時42分39秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 虫の声  五線の風の  鈴になり

    馬糞 Bafun

 

 

 

 夜風が冷たくなった。

 秋風が五線譜のように流れて、こおろぎや鈴虫をリン

リンと鳴らす。

 虫たちも、あんよが少し冷たかろう。

 タイタニックの楽団のように、命定めて奏で続けるの

だろう。

 夏が、ゆっくりと沈んでゆく。

 

 しかし、日本をタイタニックのようにしてはなるまい。

 未来への船旅は、危険な海域に入った。

 崩壊した氷山が鋭利にとがっている。

 しかも、見えない水面下に危険が潜んでいる。

 

 その氷山とは、朝鮮と中国である。

 その氷山を引き寄せているのが、社民党と民主党の社

会主義政権、それを操っているつもりの亡国のマスコミ、

そして、公務員社会主義勢力である。

 本当に危ない航海が続いている。

 

 そうした、危険を語らないマスコミに取り込まれて、

国民の多くが安全な航海だと思い込んでいるかのようで

ある。

 その安全の中に、一体何の情熱がわくというのか。

 修行の人生に、比較的安全という状況への努力はあっ

ても、安全と言うことはない。

 安全ではないから生きがいがある。

 

 生きがいを感じていない人は、安全と言う妄想にとら

われているのだ。

 安全と言う思い込みが、何とかしなければ、愛する人

たちを護れないという危機的状況を見る心眼を曇らせて

いるのである。

 

 人は、危険に直面したときに、恐怖を覚える。

 しかし、そのまま、恐怖感を深めるのは、自己保身の

思いが強いからである。

 恐怖や不安に悩まされている人は、自己保身の虫が腹

の中にとぐろを巻いているのだ。

 自己中心の不幸な考え方からきていることを反省する

べきである。 

 

 愛する人たちを護ろうとする人には、智慧と勇気が生

まれてくる。

 

 人生は命がけである。

 命がけとは、勇気のある生き方をいうのだ。

 

 人生を不安と恐怖の海に沈めてはならない。

 人生には、武士道のような愛が必要なのである。

 武士道とは、「与える愛」の修行であり、美学の追究

である。 

 

  

 

  

企業経営に武士道はあるのか


 「企業とは、営利追求を目的とする団体である。」と

いう情けない定義がまかり通り、まじめに勉強をした大

学生もそのように定義してくる。

 金儲けが企業の目的とは卑しいことである。

 

 政治家は金儲けが目的、教師は金儲けが目的、医者は

金儲けが目的、マスコミは金儲けが目的、官僚は金儲け

が目的・・・、たしかにその通りと思えるものばかりで

はある。

 しかし、法律で、企業とは、営利追求団体と定義され

て異議もないのだから、文句は言えないし、それに甘ん

じてその通りでもあろう。

 欲望の経済にしたのは、企業活動でもある。

 

 ここに金儲けとは、私利私欲と言うことである。

 公務員は、地方自治体の木っ端の分際で、私企業に自

治体の利便を与えない。

 最近は、経費調達のために、役所のエレベーターなど

に広告スペースを設けて、「卑しい私企業」の広告を有

料で許可しているが、差別意識は露骨である。

 その公務員こそは、税金にたかるゴクツブシどもでは

ないか!

 

 自治体主催のイベントなどはひどいものである。

 民間でやれば数百万でやれるものを、数千万円という

規模でやってきた。

 その、どこが公益活動なのか。

 

 企業人よ、それでも役所にすがるのか。

 

 外国人の日本に対する敬意は、武士道にある。

 その武士道というべき美学が、経営理念の中にあるの

か。

 九州の食品会社の多くが、賞味期限を偽装し、産地を

偽装し、品質を偽装して問題となった。

 問題となっていない企業でも、偽装は慣習となってい

たはずである。

 しかも、公務員が責任を負わない形で、産官共同の偽

装だったと言ってよい。

 

 実に情けない話である。

 

 現代は、不況なのだそうである。

 だから、社員をリストラしても、求人はしないそうで

ある。

 今年の後半、あらたな求人が出てくるのかと思ってい

たが、そうではないらしい。

 来年までは手控える傾向なのだそうである。

 

 ああ、そうなんですか。

 

 何の気概もない。

 何の感動もない。

 何の美学もない。

 智慧も勇気もない。

 

 それが、現代日本の企業の姿である。

 現代経営哲学である。

 

 企業とは、やはり、金儲け団体という定義は、企業の

実態をおおよそは言い当てているというべきか、そのよ

うに育てたというべきか。

 

 自己保身の経営者たちよ、企業人たちよ、たいしたこ

とはないということである。

 かつての武士ほどの気概もないということである。

 真なる武士(もののふ)を募集するという企業はない

のか。

 

 『もののふ(武士)を募集する!』

 それが、企業人のなすべき教育であり、示すべき気概

なのではないか。  

 

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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