すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 初満月の小正月・・・ ブランドの本質  日本ブランドはMade in JAPANにこだわれ。

2010年02月28日 10時09分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

    初春や  初満月を  膨らませ   

    馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 快晴、外気温12.5℃、微風。

 なんとも光あふれる日曜の朝である。

 

 ところで今日は旧暦の小正月である。

 すなわち、初春に迎える初満月のめでたい日である。

 小正月は別名、女正月ともいい、正月行事で多忙だっ

た女将さんたちをねぎらう正月納めでもあるが、現代に

は絶滅した種ということかもしれない。

 商人たちは、もっとこうした伝統の旧暦行事を活用して

はいかがなのか。

 旧暦あってこその味わいではないか。

 安売りデーだけが商業イベントでもあるまい。

 

 さて、この一年をいかに輝かせるか。

 満開の梅の花に、見事な初満月を描きたいものである。

 日本の若者に必要なやる気、これを引き出す、挑戦し

てみたくなる夢を描いて見せたいと思うのだが・・・。

 


 

 

家電製品を買いあさる中国人観光客が教える観光的ブランド】 


 99%が反日であるといわれるシナ人であるが、大挙し

て観光客が来て、家電店に押しかけ、家電製品を買いあ

さる。

 決して安いわけでもない福岡のベスト電器にでさえも

シナ人観光客が買いあさっていたと聞いて、秋葉原のシ

ナ系家電店「ラオックス」だけではないのかと驚いた。

 それほどに、本物に憧れているらしい。

 Made in JAPANの日本の家電製品は、観光みやげとし

ての憧れの的になっているということである。

 

 ところで海外旅行というと、「坂の上の雲」ブームで

旅順観光が人気だそうである。

 そこでは、空母が建造されているという。

 是非出かけたいと思う。

 ということは、外国人観光客を呼びたければ、日本で

がんばった外国人のドラマを大いに海外で宣伝すること

だ。

 

 あるいは、日本経由植民地ツアーを企画して、西洋人

による植民地の悲劇を大いに宣伝すると良い。

 アジアの独立精神を鼓舞する日本のリーダーシップと

もなろう。

 観光業者は海外に向かって、もっと日本の素晴らしさ、

アジアの時代を訴えるビジネスを展開するべきである。

 

 海外のTOYOTA車も、結局はMade in JAPANではな

い。

 それなのに、TOYOTAブランドで販売するのは一種ま

やかしである。

 ブランドものでも、Made in Chainaでは話にならない

のと同じである。 

 ブランドとは、だれが作ったのかという品質表示でも

る。

 日本のブランドは、Made in JAPANであるべきである。

 

 海外で生産するのであれば、その国のブランドとして

売り出すべきである。

 それが礼儀でもあろう。

 自動車のリコール問題を機に、ブランドのあり方を反

省すべきなのではないか。

 単なる被害者意識では不足である。

 

 日本人は誠実でありたいものである。 

          


立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 梅祭り・・・ 「宗軍経協同」という国家論  日本を愛するという旗印を立てよ

2010年02月27日 12時11分55秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

    我が宿の  めじろ遊びぬ  梅祭り   

 
     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 どうやら春一番が吹いたものらしい。

 少し下がったとはいえ、外気温12℃の朝である。

 ニワトリのメジロも遠出をするようになった

 満開の梅である。

 元の絵におさまらねばなるまい。

 

 さて、我が家のメジロは何処。

 梅を見るのも楽しみである。

 とはいっても、出かけるわけにも行かない。

 「坂の上の雲」第八巻に突撃しなければならないからである。

 凍土の奉天の春は、未だ遠い。

 

 われ未だ日露戦争にあり・・・。

  

 

 ■九州の梅祭り
⇒ 
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/ma0011/ume/aria-10.htm

日田大山梅祭り(3/21)
⇒ 
http://map.livedoor.com/event/d/11527/%E7%AC%AC30%E5%9B%9E%E6%97%A5%E7%94%B0%E3%81%8A%E3%81%8A%E3%82%84%E3%81%BE%E6%A2%85%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A/

人吉梅祭り(~3/7)
⇒ 
http://www.welcomekyushu.jp/event/?mode=detail&isEvent=1&id=9999900001628

牛尾梅林
⇒ 
http://www.sagasubanta.com/sagayoyo/yokatoko/ushinoobairin/

 

  

  

 

 

 

  

 

宗軍経協同】 


 「宗軍経協働」とは、国際競争社会における国家のあり方について、

宗教と軍事と経済が愛国心と日本の使命に心を一つにして、それぞ

れ教え、守り、発展するという役割を持って力を合わせるという考え

方をいう。

 ちなみに、軍とは政治でもある。

 「宗軍経協働」とは、祭政一致、軍経一致、祭経一致を基本要素と

する。

 

 祭政一致とは、「民主主義といえども仏と法の下にあり」という天意

を問う政治のあり方を言う。

 

 軍経一致とは、政経一致といってもよいが、政治とは軍事でもあると

いうことを強調すべき意図から、軍という言葉を用いている。

 軍事力なくして経済の自由はない。

 軍事力なくして政治的友愛もまたないというべきである。

 

 さらに、経済は国家を離れて自由なのではない。

 経済もまた、愛国心(国益)に沿って、日本の使命を果たすべく行動

するべきである。

 日本に核ミサイルを向けているチャイナに尻尾を振って金儲けをする

ことが、果たして国益に沿うことなのか。

 日本を辱めても朝貢すべきなのか、良く考えることだ。

 売国奴となってはならないのである。

 

 そして、「祭経一致」ということも大切である。

 神も仏も無い経済とは、弱肉強食、拝金主義の経済を意味する。

 日下公人氏の「道徳なくして経済の花は咲かず」という主張も同様の

趣旨であろう。

 

 経済活動のインセンティブは豊かさの追求ないし自己実現というとこ

ろにあるであろうが、人間存在自体が人間関係として存在しているこ

とを考えても、豊かさとは人間関係の豊かさであり、他人を豊かにす

る活動に他ならない。

 マズローの「自己実現」も、社会貢献という役割意識を実現すること

にこそある。

 自己とは、他人との関係を離れてはありえないことであり、それは

使命に他ならなくなるのである。

 

 こうした国家のあるべき原点に立ち返っておおいに反省すべきである。

 反省なくして発展はないのであるから。

 

 

 

 

 

 

日本を愛するという旗印を立てよ

 鳩ポッポ政権は高等学校学費無料化政策の一環として、反日を貫

く朝鮮高校(北朝鮮系ナショナリズムの民族学校)も例外ではないと

している。

 実はそこが目的なのかもしれない。

 地方自治については、中国人や朝鮮人にも選挙権を解放するといっ

ている。

 実は、これが彼らの「愛国心」なのかも知れない。

 

 民主党の鳩もオザワもカンも社民党のフクシマ党首も元党首ドイも

在日朝鮮系なのだそうである。

 もちろん、帰化しているのではあろうが、母国は変えていない可能

性が高い。 

 その筋から「友愛」といわれても困るのである。

 たしかに、日本が外国人に解放され、他国の領土となれば、中国も

北朝鮮も韓国も喜ぶことであろうが、それを「友愛」というならば、きわ

めておぞましい売国奴政権の思想というべきではないか。

 

 NHKなどのマスメディアも民主党も自民党も、金で買収される権力

団体である。 

 しからば、信用することはできないであろう。

 

 買収されない者というのは、国を愛することにおいて純情である。

 田母神氏に代表される軍人も純情である。

 幸福の科学や幸福実現党は純情と叡智に輝いている。

 

 これに対して、愛国の旗印を立てていないものは、ましてや国旗を

二分してつなぐ民主党や、国旗に敬礼することを拒否する日教組公

務員やその母体というべき社民党、共産党は、まさに獅子身中の虫

にほかなるまい。

 

 国益を損なう者を上に立てれば、国は貧しくなり、滅亡するに至る。

 亡国の選挙の愚を二度と繰り返してはなるまい。 

 

          立憲女王国・神聖九州やまとの国

           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 緋寒桜の雨・・・ 傀儡志願、亡国左翼政権の小沢・鳩ぽっぽ民主党を追放せよ!

2010年02月26日 07時55分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

    寒桜  見上げし空の  小雨かな   

    馬糞 Bafun 

 

 

 

 えっ、もう桜?

 満開の梅をまだ待たせているというのに・・・。

 しかし、寺のソメイヨシノは枝のまま張り付いている。

 

 「これは緋寒桜というんですよ。釣鐘みたいに花が下

向きに咲くんですがね。宮地嶽神社の桜が一番大きいで

しょう。」

 珍しそうに空を見ていた私に、交通整理の警備員の紳

士が教えてくれた。

 「日曜日には咲くでしょう。そんとき見に来ればいい

ですよ。」

 その桜の木のように話しかけてくれた。

 

 春一番が吹いたのか、ここ数日生暖かい。

 そのうち、松葉のような小雨が頭皮をかすめた。

 もうそろそろ、桜なのか・・・。

 

 季節というのは、毎年が新鮮である。

 

 

 

 

チャイナ傀儡政権志願の左翼民主党政権を追放せよ】 


 「反省から発展へ」。

 あるべき姿への確信は問題意識を持ち、反省から軌道

修正を促す。

 あるべき姿を目指す未来とは希望に他ならない。

 未来とは発展への努力であり、その努力こそは希望に

他ならない。

 

 ところが、小沢・鳩ポッポ左翼民主党政権の描く未来

には段階的中国領土化という日本滅亡への暗雲ばかりが

広がる。

 小沢といい、鳩ポッポといい、その資金源には希望の

輝きがない。

 国民の希望が託された資金ではない。

 その泥水のような資金源を徹底的に究明する必要があ

る。

 癌検査に手を抜いては命取りだからである。

 

 国民よ、撒き餌に群がる雑魚のようにばら撒き政治を

ありがたがってはならない。

 それは浅ましいことである。

 やせ我慢をしている独立者のほうがよほど美しい。

 

 「福祉」というばら撒き政策のためには消費税を上げ

ても仕方ないなどと思ってはならない。

 税金はまず役人を上から潤し、その権力誇示のために

「福祉」がば撒かれる。

 神も仏もない政治・行政であるならばなおさらのこと

である。

 権力依存に真の自由はないのである。

 すなわち、亡国に至る。

 

 ああ、春を呼ぶ緋寒桜を、悲観桜などと間違っては欲

しくないものである。 

 

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 緋牡丹ジャンヌ・・・ 諜報戦争・情報は仕掛けられる

2010年02月25日 08時16分08秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

    緋牡丹の  ジャンヌと申し  オルレアン     

 
     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 牡丹の花は、色彩豊かな日本画風でもあるが、ルノアール風でもあ

る。

 ルノアールの絵に牡丹の花は描かれてはいないだろうが、凛とした

少女のように描かれているようなイメージがある。

 緋牡丹の真紅は気高さの中にも燃え立つ純粋を感じさせる。

 それが、「壺振りの緋牡丹お蝶」というよりも、オルレアンの少女ジャ

ンヌダルクを連想させる。

 

 ヨーロッパとは、北方の野蛮な地域であり、ローマによって開拓され、

文明を得たが、王家の密接なつながりを見ても、群雄割拠した日本の

戦国時代のようでもあり、ついには天下統一されることがなかった。

 今それが、ヨーロッパ連合として統合を試みているが、幕府も統合

の王家もないヨーロッパ諸国が統一する求心力はどこにもないように

思われる。

 

 もともとの野蛮な未開の民族たちは、キリスト教と武器を得て急速

に行動範囲を広げ、有色人種の国々を騙し、脅迫して隷属させた。

 その解放軍というべきが日本であった。

 その日本は、ジャンヌダルクのように原爆に晒され、魔女でもあるか

のように貶められたが、仏陀再誕の魂を得て、今甦りつつある。

 

 

 何をしたらいいのか、何がしたいのか、何のために生きているのか

分からないと言うならば、幸福の科学に学び、幸福実現党に注目す

ると良い。

 維新の志士たちが次々と既成概念をやぶり、輝いている姿を見る

であろう。

 

 人生はこれ修行である。

 しからば、試練をおそれることはないであろう。

 「信じられない」といわれていることを探求することだ。

 それが試練であるとしても、そこにこそ希望があるであろう。 

 

 

 

 

  

 

  

 

情報戦争】 


 「坂の上の雲」がやっと7巻に至った。

 これから奉天の会戦からバルチック艦隊との対決に至ろうとする場

面である。

 戦では相手の勢力、陣形、戦略、動きが見えにくい。

 それを読み間違うとたちまち危機に陥る。

 指揮官の内部抗争、取り越し苦労、臆病が自滅の危機を招く。

 そればかりではない。

 日露戦争の勝因の一つに明石元二郎の諜報活動があったという。

 すなわち、ロシア革命分子を支援することで内部崩壊を進める活動

である。

 

 そうした諜報活動は今日はさらに激しさを増しているだろう。

 一人日本だけが無防備で無策であるように思える。

 獅子身中の虫に金とミッションを与える情報工作が行われて当然で

ある。

 その標的の筆頭に上げられるのが、小沢民主党であろう。

 

 さらにはNHKやチョウニチ新聞、マイニチ新聞などのメディアである。

 もしかしたら、全てのマスメディアが買収されているかもしれない。

 それでやっと経営を維持しているというべきかもしれないのである。

 それが、マスコミ支配の実態であると考えたほうがわかりやすい。

 傀儡政権工作である。

 

 情報とは意図をもって仕掛けられているということを考えておかなけ

ればならない。

 その中にあって、買収されない維新のメディアが幸福の科学出版で

ある。

 純度の高い情報こそは、維新革命に欠かせない信頼の源である。

 

 だからこそ、幸福の科学が日本の希望なのである。

 

          立憲女王国・神聖九州やまとの国

           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ また一歩咲き・・・ ハウステンボス改革案Ⅲ  

2010年02月22日 08時09分25秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

    春一歩  また一歩咲き  次の空   

 
     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 外気温8℃、無風の中を朝陽が上がっている。

 バンコクの朝のようだと思う。

 今頃はバイクがバンバンとあふれて走っていることだろう。

 バンコクにも幸福の科学の精舎ができているのだろうか。

 そうであれば、訪ねてみたいものだ。

 

 暖かくなってくると、一歩づつが小走りになって駆け出すようにむず

むずと冒険心が台頭してくるのを感じる。

 この春、海外に出たい。

 タイ、インドネシア、ミャンマー、インド・・・、そういうところの寺院とマー

ケットを訪ねてみたい。

 

 

 

 

 

 

ハウステンボス改革案Ⅲ 】

 

 ハウステンボスはオランダのコピーというところに基本コンセプトを

くのではなく、異文化体験入門というところに置けばよいのだ。

 

 中国をのぞくアジア諸国政府に土地を提供して、代表的な寺院を建

造してもらうとよい。

 政府の西日本出張所を兼ねると良い。

 大村空港からの東南アジア空路を充実すると良い。

 アジアに行くときはハウステンボスから、という入り口にするのだ。

 

 寺院には坊主も派遣してもらう。

 そして、その国の伝統技能を教える教室を開講すると良いと思う。

 タイ古式マッサージなどは人気が出ると思う。

 

 春というのは、アイデアの花もむずむずとして咲くものらしい。

 さて、旧暦の十日恵比寿、神社はひっそりとしているが、東南アジア

にも十日恵比寿の祭りを広めると良いなあ。

 恵比寿さんは東南アジアは大好きのはずだ。

 発展繁栄の時代を繰り広げたいものである。 

 

  

          立憲女王国・神聖九州やまとの国

           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 白牡丹を命日に・・・ 潔い戦い、潔い生き方の美意識  ハウステンボスは本当に必要なのか。 

2010年02月21日 22時31分10秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

    白露shiratuyu の  命日なりし  冬ぼたん

 
     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 父が亡くなったのは彼岸花の終わり頃、10月21日だった。

 今日は小月命日である。

 すでに霊界に帰って研修中であろうが、あの世の存在を得心してく

れているだろうか。

 幸福の科学が言っていたことが真実であることを確認してくれている

ろうか。

 

 夢か現かというように、あの世もまたリアルな現実である。

 夢と現の違いは、この世であれあの世であれ、他人に影響を与えた

か否かの違いというべきであろう。

 霊の自覚のない霊が、これは悪夢を見ているのだと思ったところで、

他の人格との接触がある限りは現実なのである。

 そうすると、夢とは限りなく状況的現実であり、現とは紙一重である。

 

 物事が実現するということは、自分の描いた夢を他人が受け入れる

ところから始まるといえる。

 自分勝手な夢を受け入れることがあるのは、そこに脅迫があるから

である。

 打算的妥協があるからである。

 しかし、幸福を生み出す実現とは、やはり共感するという形での夢

の受容ないし共有によるというべきであろう。

 

 真善美という価値観があるが、日本に伝統的な価値観は「美」であろう。

 武士道もまた美意識を持った死に甲斐の人生観である。

 潔く生きる人生観である。

 

 オリンピック選手たちにも言いたい。

 潔く戦えばよいのだ。

 それが、限界を何度も超えた努力が放った矢であり、一世一代の勝

負の心境でありたい。

 それこそは死線を越える戦い方であり、日本人選手の使命となすべ

きメッセージではないのか。

 

 父の無欲もまた、幾多の戦闘とシベリア抑留という死線を越えてき

た無邪気な心境であったかもしれない。

 無欲の戦いの前に、自分の限界を越える努力が積み重ねられなけ

ればならない。

 肉弾で突撃するしかなかった兵士であっても、そうした限界を越えて

鍛錬してきた突撃であったことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハウステンボスは本当に必要なのか】 


 ハウステンボスの野村證券グループ経営破綻を受けて、結局は条

件付ながらHISの沢田社長が引き受けることになった。

 しかし、赤字会社を黒字化する算段もなく引き受けることのツケは、結

局は株主や消費者が分担することになる。

 九電も出資するというが、独占価格の電気代が支えることになる。

 

 経営再建のシナリオはあるのだろうか。

 従来型のテーマパークやイベントでの客寄せという古い手法では長

続きはしないだろう。

 むしろ、都市の再生計画をもって分譲したほうが、良い街が生まれ

るのではないか。

 

 それでも継続するというなら、東京の幕張メッセのような国際展示会

会場として、あるいは国際会議場として再生してはいかがだろうか。

 ロシアや中央アジアとの貿易の拠点にするという考え方もある。

 いわば、現代陸のシルクロード都市にするのである。

 そういうビジネス観光という考え方に活路があるのではないか。

 

 幸い、交通の便があり、ホテルもある。

 ないのは、宗教施設である。

 いわば、画龍天晴を欠くという欠点である。

 幸福の科学精舎、神社、寺院、ロシア正教教会、イスラム寺院など

世界の人々が巡礼に訪れることのできる寺を備えると良い。

 開拓伝道の拠点を提供すればよいのである。

 

 大村湾の海上交通を整備すれば、空港からのアクセスもある。

 高速艇を導入して、長崎へのアクセスを海上観光付で利便提供する

とよい。

 そのように、新シルクロードという東と西をつなぐ商業と文化と宗教

の拠点都市という構想が欲しいところである。

 

 そうした新しいアジアの時代を築きたいというような志がないならば、

ハウステンボスは時代遅れの田舎芝居として寂れざるを得ないであろ

う。

 

 マネーゲームのあぶく銭をつぎ込んだ野村證券グループの敗退を繰

り返して欲しくはないものである。

 

          立憲女王国・神聖九州やまとの国

           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 白衣の冬牡丹・・・ 日本核武装宣言

2010年02月20日 20時36分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

    冬ぼたん  白き衣を  振り返り   

 
     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 つい、子供の頃の初恋を振り返ってしまうような真っ白の冬牡丹の

の花だった。

 今はもう、大輪の花になり、あるいは散ってしまったのかもしれない。

 美しさとは一体何なのだろうかと不思議に思う。

 

 移ろうものの一瞬に永遠の輝きがある。

 その一瞬のために生まれ、去ってゆく。

 老醜というならば、それは形にとらわれた偏見であろう。

 その一瞬の永遠こそが魂というべき本質である。

 

 老いたりといえども、その魂は輝いたその花のままでよいのではな

いか。

 枯れた花弁から漏れ射す輝きは、やはり若々しい輝きの片鱗という

べきものであろう。

 諸行無常の悲しみはあれ、永遠という輝きを忘れまいぞ。 

 

 

 

 

 

 

 

 日本核武装宣言 】 


 「日本を核武装する。その目的は、日本に核ミサイルを向けている国

への核抑止である。照準は、中国主要都市と核ミサイル拠点、および

北朝鮮主要拠点とする。」

 

 核兵器使用についての抑制が弱い国が核武装している状況を考え

ると、先制攻撃して核兵器を使用不可能にすることまでを視野に置い

た核抑止的核武装は、必要であると考えるに至った。

 中国首脳に問うてみるがよい。

 中国は、日本に核ミサイルを向けていますが、それはどういう魂胆で

すかと。

 

 

 もちろん、鳩ポッポ政権に望んでいることではない。

 この左翼売国奴的政権こそが、アメリカを敵に回し、中国や北朝鮮

引き込もうと画策している獅子身中の虫だからである。

 その虫に国政を任せたのは、マスコミの奴隷というべき日本国民の

多数であった。

 もはや、アメリカは日本の守護神ではありえないこととなった。

 アメリカとは敵対することもある同盟国にまで落とさなければなるま

い。

 オバマ政権の決断でもあろう。

 それが、今日の状況である。

 

 日本を護る神々があるならば、マスコミ人には天誅が下るであろう。

 彼らは、地獄の亡者となるであろう。

 それが彼らの自己責任ではあるが、日本を滅ぼすわけには行かな

い。

 

 神々が核兵器の所有を許さないというならば、四川省にある核施設

や北朝鮮の核施設を、天変地異をもって壊滅して欲しい。

 国際政治の議論によって核廃絶をすることはもはや望めないことで

ある。

 むしろ、実際の使用をもくろむ北朝鮮やイランなどの危険な核拡散が

進んでいる。

 核保有国が利権を貪っている。

 

 日本が核兵器を許さないというならば、なぜ、日本にまで核ミサイル

を実装配備している中国や北朝鮮と付き合うのか。

 核廃絶を声高に主張する左翼団体ほど、中国の傀儡であり、北朝鮮

のチンピラ子分のようではないか。

 犯罪者にも友愛なのか、悪魔にも友愛なのか、どすを突きつけてい

る脅迫者に対しても友愛なのか。

 全てを持ち去ってもいいですよというのが友愛なのであろう。

 しかし、独立国家日本としてはそういうわけには行かないのである。

 

 日本を中国に解放しようとしている小沢民主党政権を許してはなる

まい。 

 

          立憲女王国・神聖九州やまとの国

           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 梅かおる袖衣・・・ 会議力 断定的議論を受け止めよ  日本は核武装すべきか

2010年02月18日 07時45分24秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

    袖衣  残り香行きし  寒の梅   

 
     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 恋心というのは既に空想である

 しかし、恋心というのは本来空想かもしれない。

 否、さらに心という実在が空想し、その空想に生きているのが人間

なのかもしれない。

 

 では現実とは何か。

 おそらく、空想と空想の関係が生み出す状況なのであろう。

 恋心の空想は、梅の香りのようにかすかな風のようであったほうが

趣き深い

 美しいという感銘もまた、目には見えないものであるようだ。

 

 さて、気温5℃、突風が吹く朝となった。

 今を盛りと咲く寒梅は嵐にも咲きほこる。

 そのようでありたいものだ。

 時代が嵐であろうとも、上司が嵐のようであろうとも、凛として香り立

ちたいものである。 

 

 

 

 

 

 

 

 会議力を鍛えよ 】 


 断定的だと批判されることがよくある。

 論は正しいが強烈で意見が出なくなるという苦情である。

 大正デモクラシーのようには行かないらしい。

 

 意見とは、「~なのではないでしょうか、~と思うのですがいかがで

しょうか」という問いかけ形式が受け止めやすいのかもしれない。

 しかし、断定もまた強い形式ではあるが、覚悟のある意見である。

 他面、問いかけの意見形式は、ある意味冷たい言い方である。

 

 断定的意見を傲慢だという受け止め方はいわば、試合放棄であり、

負けた悔しさの捨て台詞である。

 確信を伴う意見に対しても、「確かに~、しかし~」という評価と反論

で受け止めなければならない。

 

 真剣な議論というのはある意味試合である。

 力技があり、肩透かしもあるであろうが、それで勝敗がつく。

 断定が通るとは限らないのである。

 断定が負けるということは、その論理と実現可能性にいたるプロセ

スが判定負けしたということである。

 結局、断定に至るのである。

 

 断定だからとりあげないのでは、確信を排除する迷走会議であり、

休むに似たりということになろう。

 いつでも取り下げますよという議論を好感するようでは、試練の時代

を克服することはできない。

 

 反論せよ。

 しかし、反論とは、別の提案である。

 批判に終わっては無責任なのである。

 そうすれば、断定的意見であろうと、それへの批判であろうと、建設

的な議論となるだろう。

 

 アイデア会議はわきあいあいがよいだろう。

 しかし、決定会議は格闘技的議論もあってもよいと思う。

 民主主義の戦力は、いわば会議力である。

 会社の組織が直接民主制をよしとするなら、会議力なくして行動力

もまたないということになる。

 有言実行という訓練が必要である。

 

 明治維新の志士たちを想起せよ。

 丁々発止の激論の中から、近代日本の礎を築いてきたではないか。

 ほんわか議論ではなりたたなっかたであろう。

 天下国家の問題を自分に突きつけられている問題として立ち向かう

ことこそは仕事に立ち向かう気概でなければならない。

 

 

 

 

 

 

日本は核武装すべきか】 

 
 そこで、日本は核武装すべきかという問題がある。

 核兵器とは政治の道具である。

 そう考えると、確かに、『坂本竜馬の霊言』で坂本竜馬霊が申される

ように、日本も独立国家として対等の国際政治をするために核武装し

て核廃絶を主導すればええ、という考えはなるほどと思う。

 警察がピストル武装するのと同様である。

 国家が軍隊を持つということと同様である。

 

 とりあえず、ロシアの核兵器を輸入するという竜馬案に賛成したい。

 核戦力は、ミサイル技術の優劣である。

 核は輸入品でも、ミサイルで長ずればよい。

 

 中長期的には、核兵器を無力化する新兵器を開発することだ。

 国際政治で対等の実力をつけることは必然である。

 核廃絶のための核武装という逆説である。

 そのような議論が国会で封殺される状況は打破したいものである。

  

 

          立憲女王国・神聖九州やまとの国

           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ メジロの風・・・  咲くやこの花   現代の王仁博士たちへの希望

2010年02月16日 08時14分19秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

    梅の花  メジロの風に  はしゃぎたり   

    馬糞 Bafun 

  

 

 

 梅の花がメジロの産毛にくすぐったそうである。

 くすくすという笑い声が聞こえてきそうなほどにうれ

しそうである。

 メジロが来ると、梅の花に花が咲く。

 幸せな風景である。

 

 今日は初春三日、少し寒くなるというが外気温8℃と

暖かい。

 何のもてなしもない月暦の正月であるが、春の新鮮さ

が心地よい。

 

 

 

 

現代の王仁博士たちへの希望

 雛人形のように、毎年梅の花に飾る歌がある。

 『難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと咲

くやこの花』

 王仁博士が詠んだ言霊の歌である。

 応神天皇崩御のあと、兄弟で皇位を譲り合って難波に

引っ込んでい大鷦鷯尊oosazaginomikoto に呼びかけた予言的

な歌とも言われる。

 後の仁徳天皇の皇位継承を梅の花のようにうたったも

のである。

 

 人材とはその花の香りを放って咲いているものなので

あろう。

 智慧のある者は、その高貴の花を天下に推すのが役割

であろう。

 王仁博士のように、人材を天下に推すという役割を、

日本の知恵者たちは果たしているだろうか。

 

 今こそ叡智を結集して、日本を護り発展させるべき人

材を天下に推すべき使命を果していただきたいと願う。

 師と仰ぎつつも、まだまだその使命が足りていないよ

うに思うが如何。

 

 渡部昇一先生、竹村健一先生、岡崎久彦先生、矢沢永

一先生、日下公人先生・・・、まれに見る日本の叡智と

権威をもつ諸先生方の最後の使命に「咲くやこの花」と

いう希望を託したい。  

 

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 初春元旦に・・・ 初春の新月  青年よ愛国者たれ!  独立自営の精神と公に生きる気概を持て!

2010年02月14日 10時07分37秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

   初春のお慶びを申し上げます。

   
     平成22年 初春元旦

 

 

 

 

  梅の花が香りたっております。

   初春のお慶びを申し上げます。 

              

          
    那乃苑 梅士  Baishi

 

 

 

 

 

 

  初春や  めでたき翁と  おみなかな   

 
     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 旧正月が明けた。

 土曜が大晦日、日曜が初春元旦となった今年は、アジアの正月と共

にめでたい休日となった。

 

 初春元旦は新月である。

 月齢の正月であるから、お月様は何処と探しても、新月であるから

見えない。

 元旦の今日は、11時過ぎに新月が正中するようである。

 新月とは、月が地球と太陽の間に直列する位置にある。

 だから、夜空には月がいないが、日中はお天とさんと一緒に初春の

月が拝めるということになる。

 

 めでたき春よ、民主党政権を終わりにして、新政権を生み出して欲しい。

 その新政権には、幸福実現党と、旧正月休みとを加えて欲しい。

 アジア諸国の人々と共に、初春を祝いたいものである。

 

※ アジアの休日
 ⇒
http://www.nacglobal.net/2009/04/2010-holidays-in-honkong/

 

 

  

 

 

 

 

 青年よ、愛国者たれ! 】 

 


 「何をしたいかが分からない」という。

 それで、仲間と共に遊びものにする。

 手を切ったり、体のあちこちに穴を開けたりもする。

 

 

 これが、堕落した家庭教育と義務教育の禍であると思う。

 目指すに価値あること、努力して価値あることをなんと教えているか。

 スポーツに夢中になれる子供は幸いであるが、いざ仕事となると路

頭に迷うのである。

 ほんとうに、公務員教師の罪深いことよ、日教組の悪魔的なことよ。

 

 国民としての生きがいは、国を愛する思いである。

 国民とは、自分の国を愛する人々にほかなるまい。

 日本はその筆頭であったものを、今やその対極に堕落した。

 愛国とは、公に生きるということである。

 

 愛国など、国民を戦争に駆り立てる危険思想であるなどと言うが、

植民地になりたくない、日本という国を滅ぼしたくない苦渋の選択とし

て戦争をしたのではないか。

 そうでなければ、どうするというのか。

 植民地になっても生きて行けるから良いとでも言うのか。

 ならば、敵国に帰化するが良い。

 敵対して戦おうぞ。

 

 貧しい暮らしがなくして、どうして自立心が芽生えようか。

 しかし、貧乏克服だけでは公のために生きるという尊さを持たない。

 愛国心こそは、独立自営の精神と公のために生きるという尊いやる

気を養う原点である。

 国を愛する思いの先に、貧しい国、戦争に苦しむ国を助けたいとい

う思いが成り立つ。

 日本国民の強さ、優秀さの原点はまさにこの点にあったと思う。

 

 独立自営の精神と、公のために生きるという気概を育てることこそが、

宗教の本義であり、教育の原点である。

 

 

          立憲女王国・神聖九州やまとの国

           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

    初春や  明けたる空の  月拝み   

 
     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 今は昔の大晦日・・・ 信仰と信心の違い  師と仰ぎつつも、日下公人批判  成功者よ信仰に目覚めよ

2010年02月13日 18時35分37秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

    今昔imamukasi   大晦日ootugomori  下駄の音

 
     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 「良いお年を」、そう言って金曜日の職場を辞した。

 今日はおおつごもり、旧暦の大晦日である。

 アジア諸国は世間胸算用よろしく、あわただしく土煙をたて、荷物を

引きづって新春の大詰めを楽しんでいることであろう。

 

 そんな伝統の新春元旦が日本から失われてしまったことは、なんと

も残念のきわみである。

 寺社こそは、伝統の正月行事を伝えるべきではないか。

 如何、旧暦の除夜の鐘を打たないか。 

 月には月齢のけじめがあるのだ。

 

 さて、大晦日の土曜日、たまりにたまった借金のような本の山を、遠

くシナ寺の除夜の鐘までにはなんとか工面しなければなるまい。

 それが、わが胸算用である。

 そして、明日の元旦には、めでたく新春初出社である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信心は利己であり、信仰は利他である】 


 信仰と信心の違いが分からない人が多いように思う。

 「神様の世話にならんでも、ちゃんと成功してゆけますけん」という

問題ではないのである。

 

 信仰とは、仏神に誓う使命の自覚というべきものである。

 ならば、志ある者、一家をなしたる者こそは、信仰に目覚めるべ

あろう。

 まして、現代日本に仏陀が再誕しているのである。

 「太陽の法」「黄金の法」「永遠の法」という、古典とも言うべき三部作

を読んだだけでも、その奇跡とも言うべき叡智を認めざるを得ないと思

うのだ。

 それがわからんようでは、成功は表向きの虚栄にほかなるまい。

 

 

 日下公人氏の「日本人の覚悟」を読んでいて、彼の宗教論にさしか

かると、論旨を理解しつつも読むに耐えなくなる。

 氏は物事の本質に簡潔ずばりと切り込む人であり、愛国の啓蒙家で

ある。

 しかし、どうも育ちが良すぎるせいか、信仰ということが分からないら

しい。

 

 理性に偏ってはいけないのだといいながら、「理屈っぽい」という理

性が、信仰の理解を妨げているのだろう。

 尊いという感情がわからない人なのだろうかと懐疑的にもなる。

 

 そもそも、氏が神仏という存在を認めていないことは確かである。

 信仰ではなく、道徳までしか分からないようなのである。

 その道徳のルーツを日本人の優れた伝統文化でごまかしている。

 だから、政治批判でもあるかのようにキリスト教や仏教を軽口で論評

しようとするのだ。

 惜しいことだ。

 

 確かに、坊主の解釈に帰依することは嫌だという気持ちは分かる。

 しかし、哲学とて坊主のレベルにおける仏心神意の解釈なのだ。

 そもそも仏陀の直説金口の法であれば帰依するに不足は無いは

ずである。

 だが、再誕の仏陀を認めようとはしないようなのだ。

 

 煩悩なのであろう。 

 悟性においては二流どまりということなのであろうか。

 師と仰ぐ人物ではあるが、仏陀再誕の時代にその存在に気がつか

ないとは愚かである。

 氏が、「精神」論の殻を破って信仰に目覚めることを願う。

 

 そのときこそ、氏の知性と直観力が翼を得て本来の死に甲斐を見出

すにちがいあるまい。

 そうでなければ、使命を果たしたとはいえないであろう。

 仏陀再誕の時代に、宗教論で小理屈をこねるのはみっともないです

よとご注進申し上げたい。

 

 

 「同様に、知性の時代に財を成し、名を上げた多くの成功者のみなさ

ん、いざというときの今こそ、再誕の仏陀の奇跡とも言うべき偉業に

素直に驚いて帰依すべきではないですか。

 貧者の一灯とはいえ、世の中を広く照らすには頼りないものです。

 成功者の「成功」とは使命ゆえの人々の賛同あればこそとではない

かと謙虚に考えていただきたいと願います。」

 

 幸福の科学の「出家」は、このトップ伝道をこそ必死に努めることだ。

 仏陀自ら獅子奮迅しているときに、儀式坊主に安住してはなるまい。

 

 どうも、口が過ぎましたようで・・・。

 

 最後に、「貧者の一灯」とは、富者がどうあれ、信仰とは自分の生き

様であり、命の輝きであるという意味である。

 富者の不信仰を口実に植福、分福、惜福を怠ることは、不信仰に他

ならない。

 

 信仰とは、貧しさを言い訳に怠ることを得ない魂の問題である。

 信仰とは利他に生きる覚悟である。

 信仰は、聖書にもあるように、他人と比較して不公平だと文句を言う

べきことではない

 信仰の純粋を清清しく受け止めたいものである。

 

 

          立憲女王国・神聖九州やまとの国

           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ かまめ立ち、梅かおる・・・ 建国記念日に  ナショナリズムの基本  リコール問題の本質

2010年02月12日 08時05分52秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

    かまめ立ち   梅香り立ち  やまとかな 

    馬糞 Bafun 

 

 

  

 今朝は雨である。

 このところ、頭の中は日露戦争の硝煙と血しぶきが上

がって騒然としている。


 顎の蝶番が痛いと歯医者に言ったら、「ストレスで、

夜歯軋りをしているせいではないかと思われます」と、

意外な説明があった。

 「マウスピースを作ったほうがよいかもしれません」と。

 まるでボクサーのようだと思った。

 

 ストレスがたまる体質ではないが、もしかしたら「坂

の上の雲」の日露戦争、しかも痛ましい旅順攻略の胸突

き八丁に差し掛かっているせいだろうか、とも思った。

 司馬遼太郎も、書きながらずいぶんと歯軋りしたので

はないか。

 そんな悔しさが歯軋りのようにうなっている。

 それが多少うつったかも知れない。

 

 そういえば、今日は建国記念日であった。

 紀元節を喜ばない亡国の左翼公務員労組を筆頭とする

偽装「市民」たちが日本の伝統をののしり、建国をのの

しる小集会を開き、NHKが誇大広報するという茶番の日

でもある。

 おろかなことだ。

 

 そうした雑菌に温床を与えてきたことについては、大

いに反省すべきことではないか。

 歯垢はかき出さなければ虫歯になる。

 少なくとも、公務員として公費で養うべきではない。

 

 国家に忠誠を誓わない者に公務員の身分を与えてはな

らない。

 日教組を公務員教員としてはならない。

 そうしたけしからぬ公務員を解雇することが、彼らの

亡国の「思想良心」を保障する寛容というものであろう。

 

 さて、建国記念日である。

 当分、獅子身中の虫、亡国の輩を駆逐消毒する日でな

ければなるまい。

 

 八百万の神々よ、その総力を結集して、仏陀再誕の国、

日本を清めたまえ、掃き清めたまえ。

 まさに、仏陀はムーの時代に遡る日本神道の親神、ル

ーツにほかならない。

 大和の国の政maturigoto を神も仏もない政にしてはなら

ない。

 万世一系とは、大和のクニタミが、仏に連なる仏神一

体の子々孫々であるという伝統と精神を言うのである。

 

 やまとの梅は、チャイナから伝来したものではない。

 やまとの神々もまた、チャイナから伝来した神ではな

い。

 ナショナリズムこそは、今最も大切な国際体力であり、

国際健康であり、国際秩序である。

 

 ああ、日の丸の国旗のなんと純粋で美しいことか。

 仏神一体の国家、「君が代」のなんと壮大であること

か。

 早春の梅の花のなんと純情であることか。

 そのクニタミや如何。

 

 しかしてそのクニタミは、仏と共にこの大和にあると

知るべきである。 

 

 

 

 

 自動車リコール戦争の教訓 】 


 海外展開している日本の自動車メーカーが「リコール」

を口実に袋叩きにあっている。

 きっかけはあっただろうが、大半は言いがかりであろ

う。

 民主党政権までが「消費者庁」を使って追い討ちをか

けている始末である。

 左翼政権を選んだ報いというべきかも知れない。

 

 さて、今回の日本車リコール問題は、日本に対するク

レーム問題というインパクトがある。

 そこから反省すべき最大のポイントは二つあるように

思う。


 一つは、他国の市場で勝ちすぎてはならないというこ

とである。

 経済のナショナリズムの問題である。

 もう一つは、日本のブランドを冠するならば、部品も

また日本国産を用いるべきだということである。

 

 戦わなければならないが、太平洋戦争のような勝ち目

のない戦をしてはならない。

 しかし、侵略ほど民族的反感を買うものは無い。

 ビジネスにおいても、ナショナリズムの感情を無視し

てはならない。

 日本車メーカーは、日本のブランドで勝ちすぎたので

はないか。

 

 もう一つは、ブランドの実質を問う問題である。

 現地で部品を供給し、現地の人間が組み立てる車は、

既に日本のブランドを掲げるべき実質がないのではない

か。

 現地経済に貢献することによって市場に浸透しようと

したのであろうが、韓国同様、日本ブランドそのものが

拒絶反応をもたらすのである。

 海外部品で製造する車に日本車のブランドを用いるべ

きではない。

 

 

 グローバル経済というが、企業経済にもナショナリズ

ムが基本でなければならないのではないか。

 現に、これほど現地経済に貢献してきたメーカーでも、

日本車排除のヒステリーにあっているのだ。

 

 日本車の部品供給は日本の部品を用いるべきである。

 電子機器についても同様である。

 海外現場主義で企画、デザイン、組立をするのはよい

が、部品まで渡すべきではなかった。

 それは、拡張主義からは足かせかもしれないが、侵略

的拡大は、結局反感を買うのである。

 

 日本車メーカーは、メーカーをもたない地域でこそ、

教育的ものづくりを進めるべきである。

 先進国市場では、個性を買ってもらえればよいのだ。

 他国のメーカー以上に売り上げるべきではない。

 それ以上に市場拡大を狙うべきではない。

 他国のナショナリズムを害するからである。

 

 政治も経済も、国を愛する感情(ナショナリズム)を

無視することはできない。

 そのことを今こそ十分に反省して戦略を見直すべきで

あろうと思う。

 

          

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 花咲かせ夢咲かせ・・・ 西日本が「中国領東海省」にされる。 月刊Libertyの重要性。

2010年02月10日 07時45分48秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

    花咲かせ  夢を咲かせよ  梅の花   

 
     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 梅が咲き始める頃、じじいもばばあも花咲かじじい、花咲かばばあ

になる。

 それも、まだ寒い立春ころに花を咲かせ始めるから、応援する人が

現れるのだ。

 何かを始めてがんばっていると、それを応援する人が現れる。

 始めなければ、一厘二厘の花を咲かせなければ、花咲かじじいは

現れない。

 梅の花のように、試練のときに夢の花を咲かせたいものである。

 

 まだ2月であるが、昨日今日と、まるで台湾に来たかのように生暖

かい。

 また出かけてみたいとおもうが、何をしに行くだろうか。

 観光旅行から食欲をとれば、大半の楽しみがなくなる。

 旅の目的は、勉強や仕事でありたいものだ。

 一汁一菜主義から眺めると、食欲にかすんでいた物事の本質的魅

力が見えてくるような気がする。

 

 旅行社は、ゴルフ練習ツアー、乗馬練習ツアーなど、スポーツ短期留

学ツアーや、ビジネスマッチングツアーなどをもっと仕掛けると良い。

 逆に、日本の観光地は、海外向け商品として、茶道や禅、舞踊や盆

踊りなど、日本ならではの日本文化学習短期留学ツアーやリサイク

品仕入れツアーなどをしかけたらよい。

 食欲主導の観光業から目先を変えるべきである。

 

 不景気なんて、どこ吹く風のことやら・・・。

 「にほいよこせよ夢の花」である。

 

 

 

 

 

 

 

 西日本は中国東海省になる? 】 

 台湾併合に始まる中国の日本侵略計画として、西日本が中国東海

省に、東日本が日本自治区になるという政府内部情報が話題になっ

ているという。

 月刊 Liberty3月号の記事である。

 だからこそ、危機感をつのらせ、なんとかしなければという使命感と

智慧がわく。

 ところが、この重要なメッセージが、「宗教」という偏見によって遠ざ

けられている。

 

 

【書店の鎖国政策から開国させよ】

 このリバティーは仕事上の秘密兵器というべき情報誌である。

 あるいは先行き不透明な激動の海の確かな海図であり、気象地図

である。

 独占したいほどの智慧の泉である。

 

 あっという間に売り切れてしかるべきものであるにかかわらず、書店

では幸福の科学書籍コーナーに隔離されている。

 いわば、書店の中の出島のようであろうか。

 オランダ貿易のように、憧れの異文化として評価が定まれば分かり

やすい場所といえるのであろうが、鎖国政策の反映でもある。

 書店までが、幸福の科学の書籍について鎖国政策を採るのか。

 それは、書店がWeb時代に飲まれてゆく自滅政策となるであろう。

 

 書店の鎖国政策を解かせ、一般書籍としても配列するようにしどうし

なければならない。

 

 また、Web直販の仕組みもとってゆくべきである。

 これを東販や日販などの問屋大手が圧力をかけるなら、書店指導を

させるべきである。

 通販を強化すべきである。

 

 幸福の科学への鎖国政策から開国を迫る「黒船」戦略は、Web通販

や電子書籍への転換であろう。

 幸福の科学出版営業よ、宗教鎖国を打破するべく、奮励努力せよ!

 

 

          立憲女王国・神聖九州やまとの国

           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 福寿草・・・ 少年よ、再誕の仏陀に目覚めよ  就職活動の学生たちに「自己PRとは何か」

2010年02月08日 08時18分17秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

    
  目覚めたる  人の数ほど  福寿草
   

 
     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 地面からいきなり花が飛び出してくるのが福寿草である。

 まるで地面から光がさしているかのような花である。

 地上の人が、次々と目覚めて光を放っち始めている光景を連想させる。

 その数はまだ少ないのだろうが、たのもしい風景でもある。

 そのめでたさが、福寿草とい命名になったのだろう。

 

 目覚めるとはどいういうことだろうか。

 それは、生き甲斐をみつけることもあるだろう。

 さらに、死をおそれない死に甲斐を見つけるという段階がある。

 最強の目覚めは再誕の仏陀に気づくことであろう。

 

 日露戦争の旅順攻略で数万の兵卒が愚かな参謀、伊地知幸介の

頑迷のために、いたずらに掃射されて死んだ。

 死ぬことが分かっていて、敵弾の豪雨の中に突撃するのだ。

 彼らの死に甲斐とは一体なんだったのだろうか。

 おろかな参謀の命令のままに、掃き捨てられたのである。

 

 彼らも死に場所を得て戦ったのであろう。

 現代の若者には到底できないことであろうか。

 そうではないと思う。

 現代の若者たちにも、自分が何者かが分からず、何を目指してよい

かが分からず、悶々としているのである。

 彼らが仏陀の存在を知ったならば、どんなに頼もしいことであろうか。

 

 福寿草のように、まだ冷たい地面から小さな光を放ち始めることを

わが喜びとしたいものである。

 少年よ、再誕の仏陀にめざめよ!

 

 

 

 

 

 

 

自己PRとは何か~ 就職活動の学生たちに


 

就職活動で学生たちが苦慮するのが、自己PRである。

 「私の長所は・・・、そして短所は・・・」

 「責任感が強く、リーダーシップがあります。部活では部長を務めまし

た・・・。」

 インパクトのないPRでは意味が無い。

 

 誰に対して、なんの目的でPRするのかによって、PRすべき自分の

表現は変わるはずである。

 いわゆるブランド政策がPRのマーケティング戦略になるはずである。

 

 では、就職活動における自己PRとはどのように考えるべきなのか。

 相手企業の、あるいは自分が求めるあるべき企業の人材採用基準

がどこにあるかを考えなければならない。

 語るべき自分とは、人材としての自分の個性(とんがった部分)であ

る。

 

 個性こそは自分のブランドあり、それは仕事に対する「夢」であってよ

い。

 新卒人材に求める企業の最大ニーズは、若者の未来であり成長性

である。

 羽ばたこうとする若鳥のその夢と希望とやる気である。

 学生たちよ、その青臭い夢を語れ。

 しからば、企業人もまた目覚めることがあるであろう。

 

 成長性は、素直さであり、学習意欲と努力の履歴である。

 仕事に対するミッションを考えている人材は少ないがそれだけ希少

価値がある。

 「仕事を通して、ひいては日本のためになりたいです。」といった女

学生がいたが、そう思って仕事をしている経営者であればうれしかろ

う。

 

 どうすれば日本の国難を克服できるか、どうすれば「不況」といわれ

ている悲劇的な状況を脱出できるか、どうすれば尊敬される国、誇り

高い企業になれるか、そうした気宇壮大な志をもって何をなすべきか

をたどる中に、なさねばならない自分の使命が見えてくるであろう。

 それこそが、もっとも確信に満ちた自己PRとなるであろう。

 

 だからこそ、少年よ、大志を抱けという言葉は今も生きているのだ。

 その大志を知る最大の手がかりが、大川隆法著 幸福の科学出版

刊のおびただしい書籍群の中にちりばめられている。

 そうした叡智を、若い時代から学ぶことができれば、それはなんとい

う幸運であろうか。

 

 素直さとは、優れたものを愛し、信じ、感化される力でもある。

 福寿草のように、青年たちが光を放ち始めることを祈って止まない。

 

 

          立憲女王国・神聖九州やまとの国

           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 冬牡丹の花道・・・ 旧暦のクリスマス  在日キリスト教徒よ、幸福の科学に学べ  

2010年02月07日 20時04分01秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

    冬牡丹  甘酒うまき  土曜かな   

 
     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 土曜日はとてもいい天気だった。

 底抜けの青空にうずうずとして梅を見に行った。

 ついでに筥崎宮庭園に足を伸ばした。

 

 冬牡丹が見ごろを迎えていた。

 入場料500円も惜しくない花道である。

 梅といい、牡丹といい、春がいよいよ華やいできた。

 庭園を一周して心が花畑になったところで甘酒をいただいた。

 ああ、至福なり。

 

 

 

 

 

 

在日のキリスト教徒よ、幸福の科学に学べ

 

 さて、今日は旧暦のクリスマスイヴ。

 とうとう、多忙のままに何の仕掛けもできなかったが、ホワイトクリス

マスには、やはり旧暦のクリスマスがよいと思う。

 ところが、期せずして一大イベントがあるという。

 

 この博多に再誕の仏陀『大川隆法』総裁が講演に見えられるという

のだ。

 場所はサンパレスだという(本当はその隣の国際会議場でした)。

 博多での講演会は始めてのことである。

 旧暦のクリスマス発祥の地博多には最大級のプレゼントではないか。

 しかし、今日は仕事である。

 

 会場近くのサンパレスはかつて、『愛、無限』というイエスキリスト降臨

の講演会の衛星放送会場となった場所である。

 「愛・無限」のチラシを外人の修道女に渡したら、おおいに反感を食

らったことがある。

 ふざけんなって感じであった。

 修道女といっても、意外と不寛容で品がないんだなと思ったもので

ある。

 

 一度復活したイエスが、現代に降臨しないはずがないではないか。

 がせねたでも、集うべきがキリスト者の責務というべきであろう。 

 再誕の仏陀とは、救世主に他ならないものを・・・。

 キリスト教徒は、救世主と聞いても、一度は裏切らないと分からない

という習性を持っているとでも言うのだろうか。

 

 キリスト教徒よ、異邦人の預言に耳を傾けよ。

 主が現れたと聞いたならば、何をおいても集うべきである。

 イエスキリストは今、幸福の科学を指導している大霊なのだから。

 

 キリスト教は、民族的旧約の伝統を破って人類救済の法を説いた。

 十字架にかけられて処刑されるほどの異色のデビューを果たした救

世主である。

 ならば、現代にもまた伝統を破り、新しい法を流布する仕事をするの

が自然であろう。

 キリスト教の旧弊にとらわれてはならないのである。

 

 在日キリスト教徒よ、幸福の科学に学べ。

 ローマ法王よ、あなたは救世主ではないのである。

 救世主の声に耳を傾けるべき僧である。

 偉くなりすぎてはならない。

 あなたも博多サンパレスにおいでなさい!
 

 

          立憲女王国・神聖九州やまとの国

           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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