雨上がり 雀も晴れて あちこちと
梅士 Baishi
なんとなく降っていた雨が、なんとなく上がって、夏至の明るさが
戻ってきた。
今日は定休日だったが、明日の授業の仕込みに追われた。
東京の自由が丘に、産業能率大学がある。
明日は、そこの受講生のサポート授業である。
十分に時間があるわけではないが、できるだけ通学部の授業の
質以上のものを出したいと工夫をする。
そのためには、かなりの準備時間が必要なのである。
何年も同じ講義ノートを朗読して終わりの授業にはうんざりした
ものだが、それに比べればはるかに充実した授業だろうと思う。
ところが、そうした仕事はなかなか評価されない。
時間給で働かせようとする。
授業時間の1時間を生み出すために、どれほどの時間を割いて
いるかなど、勉強しない教育無責任の人間には分かるまい。
教育ほど、手抜きがしやすい仕事はないが、逆に本物志向でや
るとこれほど手間のかかる仕事はない。
産業能率の理にかなわない教育マネジメントには失望する。
自分で創学しなければ、本当の教育はできないのであろう。
産業能率大学は、その名の通り、産業能率という生産性向上の
創意工夫を科学した上野陽一の創立にかかる大学であり、独自の
経営理論と実践をベースに持つ大学である。
経営学部に相当する能率科を持つ単科大学であるが、そのテキ
ストはかなり充実して実践的である。
上野陽一は、なんと、長崎で写真術を創始して、貴重な坂本竜馬
や高杉晋作などの写真を世に残した上野彦馬の甥にあたる。
つまりは、長崎に縁を持つ人物である。
産業能率というと、心理学でも行動心理学系の唯物論をイメージ
するが、意外と宗教的である。
すなわち、無駄、無理を生むムラをなくすための仕事の標準化
を探求することで知られる。
中道の経営学と言われる。
上野陽一の指導を受けて、経営効率を上げた会社として、現在
のライオンや福助が知られる。
ライオンは戦前から歯磨き粉のメーカーだった。
また、足袋が必需品だった当時の福助の存在感は、今では想像
できないほどである。
こうした生産管理技術は、日本の製造技術と働き甲斐を生み出
す原動力だった。
モダンタイムスのような奴隷的生産効率の強制ではないのであ
る。
そうした実績ある上野陽一の創立した産業能率大学は、人間
性の経営学の府として、ブランド価値を上げたいものだと思う。
これが、大学のブランド競争に負けて、斜陽傾向にあることは
残念なことである。
生きがいの経営学として再生する方法はないものか。
やはり、原点に戻って、実践的なコンサルティングの実績を上
げながら、その思想や方法を教育するという形態に立ち戻るべ
きだろう。
メーカーだけではなく、サービス系の企業や企画型の企業など
さまざまな企業形態が生まれているが、それぞれに対応する産
業能率を探求し、生きがい、やりがいをもって、かつ、健康に死
ぬまで働ける産業能率を探求することが求められている。
これまでまでの大学の既得権益を守ろうとする教授会に支配
されているようでは産業能率の名が泣くであろう。
彼らは、現場に立って実績を上げた人材ではない。
そうした机上の空論を集めた大学になり下がっているのが衰
退の原因ではないのか。
しかし、時代はさらに、信仰と経営の時代に転換しようとして
いる。
京セラの稲盛氏の経営哲学は仏教に由来する。
残念ながら、パナソニックは松下幸之助の経営哲学を捨てた
から、衰退するほかはないだろうが、それに代わって、これから
は幸福の科学系の企業が大いに生長するだろう。
さて、産業能率の中道の理論を媒介に、神の産業能率の思
想に到達できるだろうか。
神ほど偉大な経営者はないのであるから。
そこが、時代の最先端として問われているのであるが・・・。
日本独立宣言・九州本部・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党