すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 初の梅・・・ 「女形人類」の登場に反省せよ

2006年02月28日 08時12分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

    

 初恋の  ほのかに香り  初の梅

      馬糞 Bafun

 

 

  

 咲き始めた梅の花一輪をまじまじと見る。

 淡い恋を感じさせる女の子のような精霊が見える・・・。


 そんな淡い恋なんて、現代の「女の子」たちには分か

るまい。

 

 タイにはニューハーフという改造女が沢山いるらしい。

 日本には、女形人類というべきものが性別をわかりに

くくしている。

 彼らには、ジェンダーフリープログラムがセットされ

ているらしい。

 

 彼らに言わせれば、淡い恋心なんて「そんなもん似合

う男なんていないでしょ」てなぐあいなんだろうなぁ・・・。

 

 なにしろ、野獣に淡い恋なんて考えられないことだか

ら。

 淡い恋には禁欲の美学があるによって、野獣や新型人

類には高根の花なのである。

 

 

 男もつまらなくなったってことか・・・。

 せめて陸海空自衛隊ぐらい、武士道に目覚めて男って

もんを見せてほしいものである。

 

 「武士道とは、死ぬことと見つけたり」。

 最近流行の自殺ではない。

 葉隠れ精神である。

 己への執着を断ち、いったん事あれば国家のために一

命を惜しまずという美学である。


 恐怖心が心をくじく。

 恐怖心の克服は、役割に生きる潔さから生まれる勇気

である。

  

 男どもよ、世に女がいないというなら、そのような男

もまたいないと言うことである。

 智慧と勇気ある男の生きざまを取り戻そう。

 

 

 くじけそうで、自殺がふっと脳裏をよぎるならば、死

を恐れず、人のために生きてみようではないか。 

 武士道の男、武家の女として生きてみようではないか。


 

 人生は一冊の問題集。

 感動する人生でありたい。

 泥に咲く蓮の花のように、美しく生きたいものである。

                       
                          

 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 梅の苑・・・ 盛者の敗因、恵比寿さまの失敗

2006年02月26日 22時03分25秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

  梅の苑  メジロの後を  娘らも追い   

   馬糞 Bafun

 

 

 2006年、2.26は一雨降って暖かかった。

 フィリピンではクーデター騒ぎで、2.26事件を想

起させるが、南方の国でもあり、鮮烈な印象はない。

 しかも汚職がらみということでもあるから、日本とは

ずいぶん違う話である。

 フィリピンは、出稼ぎに頼る国であり、反日的な国で

もあるから、今世紀の繁栄はない国である。

 

 

 さて、博多区千代の東公園の一角に、梅園がある。

 白梅に続いて、紅梅も満開だった。

 一年一度の花である。

 春三月の陽気で、開いた花が桜のようだった。

 小鳥のような娘たちが携帯電話を花にかざしていた。

 

 一年一度といえば、公園の隣にある十日恵比寿神社は

さらにあっけない。

 十日恵比寿の大祭が夜店とともに賑わう一月十日が終

わると、夢から覚めたように人気がなくなる。

 そして、春夏秋冬の遠い年越しを待つのである。

 

 

 恵比寿様といえば、商売繁盛の神様であり、その化身

と言われるのが豊臣秀吉である。

 その秀吉にして、天下統一の後は、わが子かわいさか

らか醜態をさらした。

 臣下に与える恩賞となる土地がなくなったから、朝鮮

に拡大しようとしたとも言われる。

 

 キリシタン弾圧も信長以上に残酷だった。

 神様級の人間でも、己心の魔というべきこの世への執

着は強敵だったようだ。

 

 花鳥風月・・・ はかなき花にも、執着はすまい。


                      

 Bafun 

  

  恵比寿様⇒ 今は台湾にいらっしゃるそうですが・・・

http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/butuzo/7god/ebisu.html

http://tenjin.coara.or.jp/~tatsu/kidoai/2001/ii5.html

http://www.otomiya.com/fishing/sea/16-god.html

 

 

 

 

 

 

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+ 磯遊び・・・ 長崎長太郎の思い出

2006年02月25日 09時21分25秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国


 如月の  潮干をたどる  子のはしゃぎ

      馬糞 Bafun

 

  

 

 冬の海は意外と暖かい。

 津屋崎の夕陽が浜は、穏やかな遠浅の浜である。

 夕陽が落ちる海であり、万葉時代から愛されていた浜

である。


 つけっぱなしだったテレビから、たまたま俳句の番組

が目にとまった。

 次のお題は、「磯遊び」だという。

 懐かしい光景が浮かぶ。


 通っていた高校の目の前は磯遊びに格好の浜だった。

 潮溜まりにはタコがいた。

 どんぽがいた。

 イソギンチャクやカラス貝、ワタリ蟹・・・。

 そういえば、わかめが採れる季節になったろうか。

 探しているのは子供心の自分かもしれない。

 

 高校の裏山にアル中の爺さんが一人庵を結んで住んで

いた。

 ボロ小屋だ。

 長崎長太郎と名乗っていた。

 授業を抜け出して遊びに行くと、夏みかんをくれたり

した。

 隠れ家だった。

 

 唯物論がどうの、史的弁証法がどうのとわけの分から

ない単語をしゃべっていた。

 授業よりは刺激的であった。

 落ちぶれたりとはいえ、知的片鱗に誘われた。 

 ふと、思い出の石をおこして走り出す蟹の子のように。


 あの世でも酒をかっくらっているのだろうか。

 「人生は一冊の問題集」。

 逃げてはいけなかったのだ。

 それでも、思い出に残された長崎長太郎である。 


 人生、捨てたものではないのだ。

 磯遊びのように、去年の俳句をひねりなおしてみた。

 馬糞俳諧はリサイクルにむいているのである。

 

 

⇒ 【記事改訂】 

虫下しの思い出

敵は己の内にあり

獅子身中の虫、己心の魔

⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/a05ff9ff3f26c62f3576b0da910afb64

 

                           

 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 真冬に突っ立つ爆心碑・・・ 被爆した地球の碑

2006年02月24日 06時53分51秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  冬空に  突っ立っており  原爆碑 

   馬糞 Bafun

 

 

  

 原爆といえば、季語としては夏ということになるのだ

ろう。

 それ以外の季節には特に話題になることがない。

 

 それにしても、核爆弾を人の住む都市に投下するとは、

60年をた今でも恐るべき罪である。

 

 否、それ以上に、母なる地球に核攻撃をしたのである。

 その後も、水爆を、中性子爆弾を、次々と地球に投下

し続けた。

 

 原爆投下の碑は、地球被爆の碑であることを忘れては

ならない。

 

 アメリカ合衆国そのものを滅亡に追いやるであろうほ

どの「原爆症」というべきである。


 それは、日本人の恨みというのではない。

 神の裁きというべき禍根である。

 人を殺さなかったにしても、地上において核爆発を行

った国もまた、裁きを受けることになるだろう。

 それが、地球生命の免疫作用でもある。

 地球もまた被爆したのである。

 

 

 生命をもって人類を育んでいる母なる地球を、ことも

あろうに核撃し、地上に大量に配置するとは、仏神に

刃を向けているようなものであり、親殺し以上の重罪で

ある。

 

 民族挙げての家庭内暴力、それ以上の非行である。

 その狂気を畏れないとは、愚かな民族である。

 

 

 チャイナ、ロシア、北コリア、イスラエル、イギリス、

インド、パキスタン、フランス、アメリカ、そして、イ

ランが新たに加わろうとしてるのか。


 これらの国々には、もはや明るい未来はないであろう。

 

 超えてはならない一線が核爆弾である。

 

 日本が、世界の未来を支えるべき責任を負っているこ

とがここらも分かろうというものである。

 

 だから、毅然とせよ。

 子らを鍛えよ。

 信仰の崇高を教えよ。人間を最高位においてはならな

い。

 

 『民主主義といえども、神と法の下にあり』と知るべ

きである。             

                              

 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

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+ ヒヨドリとの遭遇・・・ 「ゆとり教育」は国家の大罪  競争社会教育にスポーツマンシップ教育を

2006年02月21日 07時54分46秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 ヒヨドリの  ヒヨコさんと  目を合わせ

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 季節は雨水(ウスイ)、水ぬるむ雪解けの頃である。

 立春は生きているが、雨水は忘れられた季語になった

のではないか。


 日本語から、土に根を下ろした季節感が失われつつあ

る。

 子供たちには、農作業を教えてほしい。

 時間をかけて自然の恵みを受けて育てる喜びは、意図

して教育すべき事柄になったことを自覚しなければなら

ない。

 

 同様に、学校の体育教育を立て直す必要がある。

 「ゆとり教育」という勤勉と競争原理を否定した国賊

的教育行政の被害はまだ復旧していない。


 競争なくして発展はない。

 競争はやりがいを生み、トレーニングに耐える努力の

喜びを生み、友情と生き甲斐を生む。

 それが自立心を促しもする。

 

 過酷な受験競争というが、文武両道の教育と入学試験

を工夫すればよい。

 切磋琢磨する競争を教えてやればよい。

 ルールつくりの問題である。

 競争社会は発展するやりがいのある社会である。

 スポーツのように、友情を育てる競争こそが、現代競

争社会に求められている。

 企業倫理の基礎ともなる。

 スポーツマンシップを文武両道教育の柱にしなければ

ならない。

 

 

 国賊というべき文部官僚らは本来処刑されてしかるべ

きである。

 子供たちの成長を阻害し、荒廃させた罪は国賊級の重

罪である。

 公平な競争を否定した教員は教育の現場から排除され

なければならない。

 それが、学校経営である。


 教育現場に緊要なことは、人材を選定排除する権限の

確立、教育経営権の確立であろう。

 

 平等とは公平を意味するのである。

 切磋琢磨する競争努力を意味するのである。その結果

としての貧富の差は問題ではない。

 格差が問題ではない。

 堕ちこぼれた貧民の救済、慈悲の精神が必要というこ

とである。 


 較差が問題だというのは嫉妬心である。

 社会主義の感覚である。

 思いやりを悪平等にすりかえる悪魔の手法にほかなら

ない。

 

 学校教育に農業とスポーツを戦略的に導入したいもの

である。

 そして、「ゆとり凶育」や「ジェンダーフリー狂育」

の輩を教育現場から排除し、その反社会性を制裁するこ

とが求められる。

 法改正が必要なら、毅然として行うべきである。

 これが国家百年の計であり、競争社会のけじめであろ

う。

                          

 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 如月の木に ヒヨは鳴き・・・ 野鳥も都市に住める緑化政策を  企業は利潤追求団体という公務員の偏見  「公益団体」を僭称する反公益団体

2006年02月19日 13時19分43秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 何喰わむ  如月の木に  ヒヨは鳴き

   馬糞 Bafun

 

  

 

 

 今年は気合の入った雪の女王がよく駆け抜けた。

 地球温暖化のぬるんだ空に雪の刃が走ったかのようだ。

 

 未だ早春の如月であるが、公園の白梅が満開になって

いた。

 メジロが喜んでいるだろう。

 若葉のように艶やかな羽をきりっと閉じて、ヒヨドリ

が鳴いていた。

 森の中に住んでいるような、力強い声だった。

 

 

 街の自然といっても、野良猫以外に野獣も見かけな

い。

 狸でも出れば大ニュースである。

 野鳥といっても烏と鳩ではうんざりする。

 『野鳥が冬を越せる街づくり』という価値観を、官も

民も持ってほしい。

 

 都心ではマンション建設が進んでいるが、資産価値の

ない手抜き工事物件が安売りされている。

 心無い砂漠化というべきか。

 安全でないばかりか、ハートがない。

 潤いがない。

 

 ベランダや屋上に庭木を植えて野鳥が憩えるようなビ

ル建設、マンション建設を推進してこその政治ではない

のか。

 緑化推進条例くらいは提案して欲しいものである。

 屋上緑化の工夫をする企業も現れているが、ある程度

強制しなければ緑化は進まないだろう。

 

 都市に緑を!野鳥にも都市の緑を!

 議案提出していただきたい。

 

  これからの日本は、国際的に尊敬されるような文化国

家のモデルを示す責任がある。

 ヨーロッパよりも優れた街づくりの美学があることを

示したい。

 恥知らずな公害国家であるチャイナをアジアのイメー

ジとしてはなるまい。

 

 公益実現の責任主体は国民にある。

 民間企業にある。

 それを助けるのが公僕たる公務員の役目である。

 私企業とは、営利追求団体ではない!

 その公益性を市場に問われ続けている公益事業体に他

ならない。

 企業とは公益の創造と提案と供給という公益事業を推

進する組織である。

 


 法人を、公益法人と営利法人に区別する法の価値観が

間違っているのである。

 

 経済とは経世済民である。
 営利は、活動継続の資源としていわゆる「公益法人」

であろうとも営利は本質に反するものではなく、必要な

資源である。

 ただ、営利は目的ではなく、活動継続の手段に過ぎな

いということである。


 「営利法人」であっても、営利は手段であって、目的と

してはならない。

 これこそが企業倫理の根本である。

 

 公共放送を名乗るNHKは、民間企業名を出さないこと

が公共性の要だ思っているらしい。

 その公共の出来事は、民間企業の創意工夫で発展して

いるのである。


 トリノオリンピックの女子スノーボードクロスで7位入

賞の藤森由香選手の報道でも、その出身学校については、

新潟の専門学校としか出さなかった。

 大学なら出すのだろうに。


 犯罪者なら名称公表するのに、社会貢献の場合は民間

を利するという理由で企業名を出さないというのがNHK

の「公共性」という解釈である。 

 どういう価値観なのか。

 

 公務員よ、公共性の主体は個々の企業である。

 公務はその僕としての働きである。

 世のため、民間企業のために尽くすことを信条とせよ。

 

 民間企業よ、目指すのは利潤ではない。

 公益増進である。

 それが経済活動である。

 それが民主主義である。

  


 Bafun 

 

 ヒヨドリ⇒ http://www.gt-works.com/yachoo/  

 

 

 

 

 

 

 

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🐤 殉教の鶴港、長崎・・・ 神への信仰と人の政治

2006年02月15日 07時33分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 殉教の  如月に鳴き  鶴港

    馬糞 Bafun

 

  

 

 

  やまとの美意識は鶴を好む。

 縁起のいい鳥である。

 日本の商標と言ってもよい。

 JALも、鶴を商標とする。

 

 長崎の港は奥に深く入り込んでいる。

 それが鶴の首のようだというので、鶴の港という。

 

 福岡には舞鶴公園があり、唐津には鶴が翼を広げた姿

といわれる鶴翼の虹ノ松原がある。

 もっとも現在は片方の翼がもぎ取られた形になってし

った。

 鶴に由来する地名は全国に豊富である。

 

 長崎の開港はポルトガル船が寄港した室町期に遡るよ

であるが、それ以前は良く分からない。

 万葉の時代は、バイキングの港のように、寒村に過ぎ

かったのではないか。

 溺れ谷にような平地のない交通不便の地形である。

 

 その港の奥の砂浜で伴天連の処刑が行われた。

 平戸にも隠れキリシタンを処刑して、湾全体が血で赤

染まったと言われる場所がある。

 鶴の港も、一鳴したであろう。

 

 キリシタンの遺伝子には、殉教と征服が裏腹をなす残

潜んでいる。

 為政者が恐れたのも無理からぬ。

 愛の教えは普遍的だが、それが民族や国を侵すグロー

リズムになっては本末転倒である。 


 愛は与えるものであって、奪うものではなかったはず

ある。

 イエスは、愛の普遍性ゆえに、政治の権威を離れた救

主だった。 

 

 信仰は文明の中核であり人間の命というべきものだが、

信仰の誤解は悲劇を歴史に刻むものである。

 そうした悲劇を、イスラム教徒が刻みつつある。 

 政治に反映すべき信仰は神の愛であり、神の愛は憎悪

連鎖を断ち切る正義ではないのか。

 

 国を奪ったイスラエル、その用心棒のアメリカは憎い

あろう。

 しかし、憎悪や戦争の正統を宗教に求めてはなるまい。

 政治は徳と力のバランスなのだ。

 正義を通すには、徳による尊敬の確立が優先である。

 

 イスラエルという国が、神の権威によって正当化され

とは思えない。

 それを許す神があるならば、さらに上なる神によって

かれることになろう。

 同じ過ちを、イスラムの信仰者がアラーの名の下に侵

べきではない。

 それは神への冒涜である。


 防衛戦争は、あくまで人間の責任において、政治の智

をもって、最後の手段とするべきである。

 時を待たなければならないことである。

 

 事を急いで、若者を自爆テロで死なせてはなるまい。

 それは、イスラムの未来を弱くする悪政に他ならない。

 まずは、今ある資源を大切にして、豊かな国づくりを

てほしい。

 

 

 天命は、人知を超えて働くであろう。

 それが信仰ではないか。 

 「和をもって尊しとなす」というやまとの憲法精神を

りたい。

                             

 Bafun 

 

 

 ※ 26聖人⇒ http://park10.wakwak.com/~cdc/nagasaki/26seijin/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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🐤  銀河なす椿・・・ 行政改革を阻む、「公」というごまかし

2006年02月12日 14時41分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

   銀河なす  宇宙の深き  椿かな

     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

  登れども登れども出口が見えず、果てしない宇宙にも

 えた山中にハッとするような満開の山椿だった。

  まさに、椿の銀河であった。

  不思議な花だ。

  人知れず山中にあって道を究めんとする剣客の花とい

 べきか。

  椿は、山中に楽しむ花である。

 

 

 

 

 

 

行政改革を阻む「公」というごまかし

  「官」の民営化が急務となっている。

  その対勢力の表言い分は、「公」の役割は「民」にふ

 さしくないということであろう。

  本音は公務員の既得権を奪うなということである。

 

  果して、民は公共・公益的ではないのか。

  「公」というが、生産せず、日本国を発展しない彼ら

 不労所得的存在のことなのか。

  米びつの虫のような彼らの既得権益は保護されなけれ

 ならないのか。

 

  彼らの予算権力を守らなければならないのか。

  増税してまでも。

 

  官僚化した組織は、既得権で肥大化した組織である。

  肥満は国の病気につながる。

  ゆえに、スリム化しなければならない。

  行政組織だけではない。

  事実上の税金を徴収して運営されている組織は他にも

 る。


  NHK、電力会社、医師会勢力・・・。

  いづれ、早急にメスを入れなければならない。

 

  こうした国家的肥満問題は、郵政民営化を皮切りに

 されたばかりであるが、県庁、市役所、その外郭団体など

 はさらに見苦しく肥満している。


  行政肥大の原因は、「福祉」という口実である。

  その象徴が、保険事務所であろう。

  暇つぶしを考えるのが日々の仕事という有様である。


  ありの巣のような市役所、しかし、沢山の巣穴にいる

 は働きアリではない。

  暇アリというべきか。

  役人の数だけ市民サービスの部署プレートを創作して

 り当てているのだろう。

 市役所の看板の多いこと!


  罪の意識を感じないだろうか。

  誠実に忙しく働いている役人もいるだろうが、果たして、

 役に立つ仕事か、役人のする仕事か、反省すべきことであ

 る。

 

  NHKもまたしかりである。

  悪徳ディレクターは、反日的番組制作も織り交ぜつつ、

 「公共放送」だから、視聴料の強制的徴収によって守ら

 なければならないというのだが、「公」を何と理解してい

 るのか。

  CM価値のない番組を作ることか。


  確かに、民放は思考停止型、雑念型の馬鹿番組が多い。

  CMもギャーギャーとうるさいばかりの文化性のないも

 が多い。

  それは「民」だからではなく、放送事業自体が既得権

 守られた独占事業体だからである。

  権力者団体である。

 
  結局はここまでメスを入れなければならない。

  この点、ホリエモンはいいところを突いたのだ。

  もっとも、彼が考えた戦略ではなかったのだろうが。

 

  まだある。

  国や地方の施設利用についても「公」を盾に有効活用

 抑制されている。

 

  「民」を汚らわしいといわんばかりの「公」とは一体

 なのか。

  「民」とは公益性・公共性と異質なのか。

  これをこそ、本質的に問い直す必要がある。

  そうでなければ、今後も増税型の財政は重量を増し、

 本経済の本格的な発展は抑制され続けるだろう。

 

  今回は、問題提起にとどめたい。

  ああ、「公」によって、椿の銀河が枯れ果てませんよ

 に・・・。 

 

 Bafun  

 

 

 

 

 

            

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+ 都鳥の白い息・・・ 人生は、けなげな努力  逆境こそは人生の財産である 

2006年02月10日 07時20分59秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 かもめらの  吐く息白き  出会い橋

     馬糞 Bafun       

               

 

 

 

 「であい橋」というのは、中洲の那珂川河口にかかる

橋の一本である。

 夜の街中洲から天神に抜ける裏通りでもある。


 であい橋は、寒い夜だというのに、ストリートミュー

ジシャンや大道芸の駆け出しが夢を架ける橋でもある。

 

 その賑わいとは裏腹に昼間は暇人と人見知りしないユ

リカモメが日向ぼっこをしている。

 それにしても、今年の寒さは鼻にじんとしみる寒さで

ある。


 カモメの細い足がしもやけしないのかと思うほどに赤

くてかわいそうに見える。

 目の前を横切る鳥も、きっと白い息を吐いて飛んでい

るのだろう。

  

 

 人生はけなげな努力でりたい。

 冬の寒さは生きていることの実感である。

 試練の日々は、人生に切実な実感を与える冬の季節と

いえるであろう。

 しかし、冷たい風も花咲く春の始まりと思えば、一刻

一刻を生きるけなげな努力に希望を持って見守ってやれ

るのではないか。

 

 死を選ぼうとする逆境の中の人々よ、裏切られた悲し

みの中いる人々よ、挫折の痛みに耐えている人々よ、

生きていることは、けなげな努力である。

 そういう冬の人生をいとおしく、愛してやろうではな

いか。

 

 痛みに付き添って、ともに春を迎えようではないか。

 痛みの中にいる自分を殺すべきではない。

 それが、人の道ではないかと思う。

 

 九州という国も、日本の国も、新世紀の早春の寒さの

中にいる。

 だからこそ、国を愛する気持ちが大切である。


 戦後60年が過ぎたが、戦争の痛みを自虐する人々がい

まだにいる。

 深い痛みを理由に、人であることをやめようとしたり、

国であることをやめようとする安易な選択をしてはなる

まい。

 失望の選択こそは、地獄への道に他ならない。

 

 日本は大国であるが、欧米からの伝統的な人種差別の

意識の中にある。

 ロシアやチャイナ、コリアからの執拗な敵対意識の中

にある。

 いわば毒素である。

 毒は薬にはなるが、大量に摂取してはいけない。


 病気でないときは、安易に手を出してはならない。

 チャイナがうまそうだからと、素人料理をしてもいけ

ない。

 

 逆境は自覚しなければならない。

 しかし、その自覚にいじけてはなるまい。

 逆境は生きていることの実感である。

 人生の食料である。

 

 好き嫌いをしないで、豊かな人生を楽しもうではない

か!


                                
  

梅士 Baishi

 

 

 

 便利なGooglの地図⇒ http://maps.google.co.jp/

                       

 

 

 

 

 

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+ 凧糸の稲佐山・・・ 長崎のちゃんぽん文化  偽被爆者の恥、 ケロイド被爆者の恥さらし

2006年02月07日 08時14分42秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 凧糸を  伸ばしてながめ  稲佐山           

   馬糞 Bafun

 

  

 

 俳諧には旅心がある。

 花鳥風月は旅のたのしみである。

 時には遠くに足を伸ばしたいものだが、ままならない。

 2007年問題というが、あれもしたい、これもしたいと

いう夢の始まりをカウントダウンしているだろう。


 馬糞のように、旅の道草に俳句をたれる楽しみはいか

がだろうか。

 俳句の心は旅心である。

 上手に詠む必要はない。

 馬糞俳諧の気楽さで道端にたれればよいのだ。

 

 

 稲佐山は長崎駅前の背景にある山である。

 ロープウェイがかかっていて、夜景の名所を提供して

いる。

 しかし、何度行っても飽きないのは、グラバー邸から

見る長崎港の景観だ。

 

 望遠鏡で港の海を見ると、「太陽がいっぱい」のよう

な映画の趣がある。

 オペラ「お蝶婦人」をつい歌いたくなる。

 そういうリアルな異国情緒が好きだ。

 もっとも、お蝶婦人がいたのはグラバー邸ではなく、

もう一つ奥の海星高校があるあたりらしい。

 

 

 長崎は自分の生まれ故郷ではあるが、好きではない。

 淀んだ古井戸のような、鉄錆と線香のにおいが混ざり

合ったような、古ぼけ写真のような・・・。


 オランダ貿易の時代は長崎の花の時代である。

 その恩恵で、カマド銭という特別給付金のようなもの

が住民に配られていたらしい。

 

 それが現代では特別被爆者給付金として配られている。

 被爆者でもない者がカマド銭代わりのように受給して

いる。

 しかし、正真正銘のケロイドが売り物の被爆者代表と

か言う連中も見苦しい。


 かつて米軍代表が慰霊に来てくれたのに、アメリカの

国旗をテレビカメラの前で踏みにじって見せた。

 番組ディレクターの指示なのか。

 実に醜く、日本の恥さらしであった。

 

 まことに、長崎というのはちゃんぽんなまちである。

 アチャさんが住む中華料理のチャイナタウンや中国寺、

オランダ貿易の名残、ヤソクロ十文字と子供達が悪たれ

口をたたいた隠れキリシタン文化、そして、派手派手し

いおくんち。

 

 おくんちには、庭見せというのがあるが、うちは隠れ

キリシタンではないですよ、と見せる意味があったらし

い。

 さらには軍需産業の三菱重工と原爆・・・。


 

 原爆反対を口実に社会主義、共産主義、反日主義のメ

ッカになるような愚かな西の都市であることは、もう止

めてもらいたい

                            

 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 箕於が浦の春干潟・・・ 人工林公害  山林所有者責任  官僚社会主義を解体して民主政治の植林を

2006年02月05日 08時53分42秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

  波形に  千鳥は遊び  春干

     馬糞 Bafun    

                                                                             

 

 旧正月の津屋崎浜は大潮の干き潮とあって、めったに

見ない砂浜が広がっていた。

 しばし拡大したやまとの国土で、浜千鳥たちが初

海を楽しんでいた。

 

 津屋崎の浜は万葉の時代には「箕於が浦」と詠われて

いる。

 海路の寄港地として旅情をさそう浜であったろう。

 このあたり一帯は魏志倭人伝にある「不弥国」ではな

いか、という説がある。

 古代から由緒ある都市国家であったとしてもおかしく

はない。


 もっとも、魏志倭人伝は著者の探訪記ではない。

 いわば手抜き伝聞報告書であろうと解釈されている。

 著者が想像で書いたものなので、大和の国の所在をは

かる決め手とはなり難いであろう。

 

 最近、防風林の松林が気になる。

 落ち葉で土が肥えて広葉樹が入り込み、松が枯れてゆ

くのだ。

 自然の成り行きのようでもあるが、松林の景観は失わ

れてゆく。

 虹ノ松原でも深刻な問題になっている。落ち葉を除去

しないといけないらしい。

 

 森の都でもある日本が、杉植林で山を弱らせ、さらに

間伐などの手入れもしないで放置しているためにスギ花

粉問題が全国に広がっている。

 人口森林の公害である。

 山林所有者責任を追及すべき問題でもある。

 

 しからば、「健康シルバー人材派遣の森林保全株式会

社」に全国の森林保全事業を委託してはどうか。

 資金の確保としては、農水省を廃止して、関連役人を

雇するだけでも相当の財源となる。

 予算を組んでも、国民の批判は受けないであろう。

 

 

政治家養成のシステムを

 因みに、民主党が社会主義政党でないならば、自民党

を凌駕するぐらいの行政リストラ政策をシリーズで打ち

出すべきなのだ。


 ところが、相変わらずのケチ付け国会の主役ぶりを見

ると、おぞましい社会主義政党の末期がんの苦しみにも

見える。 

 党首は若いのに気の毒なことである。

 

 やはり、政治家も、育ててサポートしないと、公害源

になる。

 こうした政治家を育成・サポートする母体として、責

任官僚制、経済団体、教育機関に役割があるのではない

か。

 そのためにも、無責任官僚制を解体し、官僚社会主義

を解体しなければならない。

 

 身分保障があって安泰だから公務員になりたい、とい

う公務員志向を排除し、国を守るために公務員になりた

いという状況を作らなければならない。

 そのためにも、公務の民営化と高級官僚の解雇制度、

責任制度を進めなければならない。

 

 官僚社会主義を解体し、民主政治を植林したいものだ。

                                

梅士 Baishi

  


※津屋崎浜⇒ http://www5f.biglobe.ne.jp/~tetsu2k/page037.html

                             

 

 

 

 

 

 

 

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+ 三池の春・・・ よみがえれ、炭鉱yama の誇りよ  大牟田を有明観光の首都に!

2006年02月02日 21時51分28秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

  墨染めし  三池の月の  旧の春

  馬糞 Bafun

 

  

 

 

 かつての炭鉱町はにぎやかだった。

 男たちも、その家族も、危険と隣り合わせて働いてい

たから、 祭りはエネルギッシュでにぎやかだった。

 三池炭鉱も、そんな町であったろう。

 

 三番方の男たちはキャップランプをつけて夜の地底に

もぐり、朝方、フーッと深い息をして地上に上がってく

るのだ。

 墨染めの顔は、いかにも労働者であった。

 

 粗いセメントの大浴場で人心地にもどり、眠りにつく。

 「お父さんが寝ているからね。静かにしなさい」

 三番方の月は、家族も心配だった。 

 一日中、男たちのドリルやツルハシが地底で炭を削っ

た。

 

 閉山の町は寂れ、スフィンクスのように風化した立鉱

跡がその生涯を終えてたたずんでいる。

 

 

 よみがえれ、炭鉱yama の誇りよ

  三池の観光資源は、何と言っても炭坑節である。

 クロダイヤは特産の歴史的土産である。

 それでも足りぬというなら、三池の上に出る月もつけ

てやろうではないか。


 日本の高度経済を支えた繁栄であった。

 悲惨な事故もあった。

 労働争議もあった。

 それでもにぎやかに繁栄した時代ではなかったか。 

 一時代の繁栄を、汗と涙の繁栄を刻んだ都である。

 このまま、衰退させたのでは申し訳なかろう。

 

 さあ、また元気を出して、炭坑節の都、有明観光の首

都として、新しい繁栄の時代をつくろうではないか。

 

 大牟田の80歳たちよ、あの世の土産に、もう一花咲か

せましょう。

              

 Bafun 

 

 

 

 

 

⇒ 炭坑節 

http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/nihon-minyou/sound/tankou_k.htm

http://www.joho.tagawa.fukuoka.jp/furusato/tanko2.htm

 

 炭坑節の始まりは田川の選炭唄と言われている。
田川の正調炭坑節では、『三井炭鉱の上』に月が出る。
旧産炭地は、九州の繁栄を願って炭坑節の盆踊りを盛
大にやってもらいたいものである。

 

万田鉱アルバム⇒

http://nonta.fc2web.com/miike/titi.htm

 

 

 

 

    

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+ 三池炭鉱・大蛇山・・・ 三池に石炭掘削ロボットを!  資源開発ロボットを活用せよ

2006年02月02日 21時44分47秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国


 大阿蘇に  やまびこかえせ  大蛇山

     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 大牟田の7月下旬、大蛇山という勇壮盛大な夏祭りが

ある。

 炭鉱時代以前からの伝統の祭りではある。

 三池炭鉱の男たちのワ~ッという熱気と無邪気な活力

が伝わってくるが、ツワモノどもが夢の後という言い知

れない無常を感じさせもする。


 炭鉱の時代とは、一体なんだったのか。

 一夜の夢か・・・。

 

 大蛇を石炭掘削ロボットに見立てて、再び石炭を掘り

出してはどうか。 

 日本の炭鉱が閉山したのは、石炭が枯渇したからでは

ない。

 海外炭とのコスト競争に負けたのだ。

 地底にも海底にも、希少鉱物や微生物がいる。

 そうした、資源開発ロボットの技術を開発してはどう

か。

 国策として進めるべきである。

 

 宇宙開発と海底開発は、新しいエネルギー開発の起動

力となってゆくはずだ。

 炭鉱の町が、未来エネルギー開発拠点として生まれ変

わるというドラマは、未来九州にふさわしい新世紀の夢

である。

 

 21世紀の繁栄は、エネルギー革命と交通革命と農業革

命とい三大革命に委ねられていると思うのである。 

 そうしたことを、国家の夢として宣言する政治を期待

したい。

 政治家よ、夢を語れ!気宇壮大の夢によって、若者が

成長もすのである。



梅士 Baishi

 

 

大蛇山

http://www.ajkj.jp/ajkj/fukuoka/omuta/kanko/daijyayama/daijyayama.html

 

 

 

                      

 

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