敗戦の 六十年や 半夏生
馬糞 Bafun
半夏生の季節となった。
カラスビシャクの葉が半分白くなるらしい。
田の雑草というが、目にしたことがない。
ただ、夏草がめきめきと繁茂する。
今年の夏は前後六十年である。
終戦の多感な15歳の兵も、今は75歳になって、再び死
と向き合う晩年を迎えている。
60年前の若き兵士よ、チャイナ、コリアに侮辱された
まま、この世を去ってよいものか。
日本の歴史を侮辱されたまま、亡国の民としてこの世
を去るのか・・・。
もう一仕事、やるべきことがあるのではないか。
己の敗戦の恨みを解くことである。
自ら希望を語ることである。
敗戦は、日本が世界の中心ではないことを知らしめた。
日本の神々といえども、戦うことがあり、負けること
があることを知らしめた。
それは、孤高に生きた日本が、国際化の時代に甦るた
めには、やむをえない試練であったかもしれない。
世界の中の日本として、新しい神話となる国づくりを
するほかはないではないか。
希望に満ちて力強く、国家を建て直すほかはないので
ある。
【商業による国づくり】
若者よ、国づくりを志して、仕事を構想せよ!
金儲けに夢中になることもあるかもしれないが、それ
は商業の本質ではない。
産業を育て、国民の豊かさに一歩を進め、さらに同朋
となるべき国を育てるのだ。
独立無くして商業なし。
志なくして商業なし。
文化なくして商業なし。
良きものを拡大し、豊かさを拡張してゆくところに商
業の役割がある。
世の中に、良質の血管をめぐらせよ。
市場を育てること、他国を豊かにすること、感謝され
ること、そこに商業の醍醐味があるのではないか。
ライフスタイルの提案、そこに新しい商業のやりがい
がある。
【企業とは公益事業団体である】
国家建設にとって、営利法人か非営利か、私益か公益
かという法律概念に惑わされるべきではない。
公益事業ではない企業を誰が支持するだろうか。
企業こそは公益事業団体に他ならないのである。
むしろ、税金を浪費し、無駄に人件費を浪費する公務
員こそは、私利私欲団体の職員というべきである。
営利は、その活動を支持する市場の意思表示に他なら
ない。
増税に反対するのは、公務員の仕事を市場が支持しな
いからに他ならない。
戦後六十年、国づくりの主体が、国民にあり、企業に
あることを自覚したい。
もはや、官主導の時代が終わったことを、自覚したい
ものである。
Bafun
半夏生⇒
http://nonohana.blog.ocn.ne.jp/nonohana/2005/07/post_5be7.html
半夏生の白くなった葉は、やがて緑に戻るらしい。その頃は半夏生の
ことを忘れている。夏至の前後は湿度が高く、気温の変化も不安定な
季節である。体調を崩しやすい季節柄か、半夏生は厄日とされている。
いよいよ、夏に向かう。