すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 人も花なれ・・・ 「茶碗の活路」 「神仏を信じず、あの世を信じないなら、左翼のほうがましである」

2010年03月31日 07時30分56秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


  花ならば  人もたわわの  花ならむ    


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 気温12℃、花冷えというより、真冬に戻ったかのよう気候が一服し

た。

 日本全体がすっぽりと緩やかな高気圧に覆われているが、バルチッ

ク艦隊を迎え撃った日本海戦の海域は一群の雨である。

 いまだに熱気を帯びて雨を降らせているかのようである。

 今日は花道を歩いて通勤するとしよう。

 

 数日前、歯が骨折した。

 虫歯が欠けたのである。

 ああ、また歯の突貫工事が始まる。

 差し歯をすると5,6万円請求される。

 茶碗で作った義歯である。

 

 「ええ、この歯は柿右衛門なんです」なんて自慢できるならまだしも、

いわば衛生陶器でぼったくるのはいかがなものか。

 保険外ということだが、値段はあってないもので、歯医者が言い値

のぼったくり価格なのだそうである。

 それでも協定価格があるらしく、最低でも5万円だという。

 

 薬糞倍花八倍と言われたが、不景気な茶碗業界もマーケティング

次第では花並みの利益がとれるのではないか。

 茶碗業界は不景気だが、有田焼の歯は世界中で売れるかもしれ

い。

 便器を作ったTOTOは有田から追い出されたが、歯ならば茶碗とも

親しむであろう。

 磁器は、衛生、医療資材分野にも活路があるのではないか。 

 もちろん、茶碗型UFOという活路もあるが・・・。

 

 

 

 

  

   

 

 

神仏を信じず、あの世を信じないなら、左翼のほうがましである


 幸福実現党の街頭PR活動で、私は自民党支持だと言った裕福そう

なおばさんが、受け取ったチラシを見て、「私は宗教は嫌いだから!」

と突き返してきたという。

 幸福実現党は、自民党から見れば本家本社筋である。

 何かがおかしい。

 保守とは言っても、どうも変質して虫歯のようになってはいないか。

 

 ヨーロッパに発した社会主義ないし共産主義は、仏神を否定する唯

物論に始まった。

 すなわち、唯物論者とは左翼社会主義に汚染された人間のことであ

る。

 

 ところが、日本には自民党支持者でありながら、宗教を嫌い、仏神を

嫌う保守というのがいる。

 仏神を信じない唯物的人間ならマルクス系かと思っていたが、資本

主義の中には、仏神を信じない拝金主義というのがあるのだった。

 

 そうした唯物論保守という者たちの「自由」とは、金儲けの自由であ

り、私利私欲の自由であり、弱肉強食の自由であろう。

 これでは、社会主義は間違っていると言っても、自分たちも間違っ

ているのである。

 

 仏神を信じないで、どうして人を信じ、愛することができようか。

 仏神とは、魂である人間の根幹に他ならない。

 根っこを見失った魂は、いわば浮遊霊であり、悪霊なのである。

 愛を見失っているからである。

 

 仏神というべき幹を信じない者にとって他人とは異物であり、信じる

べき根拠の乏しい外敵かもしれない存在である。

 まさにサルトルの世界である。

 すなわち、人間はたよりない偶然の産物であり、ちっぽけで孤独な

存在になる。

 偶然同士が出会っても、理解し、信じあえる根拠がない。

 それが他人だということになる。

 

 そのような唯物論の人間にとっての自由とは、他人に対する攻撃防

御であり、支配である。

 愛ではない。

 

 そんなことならば、左翼のほうが正義を感じる。

 平等を掲げ、貧困を救済する国家を構想し、最終的には国家権力か

らの解放を掲げる社会主義、共産主義のほうが私利私欲を離れて

いる分、善良かつ愛に根ざすものだといえるからである。

 

 神も仏も無い自由とは、おぞましい拝金主義であり、弱肉強食の傲

慢と不幸をもたらす偽物の「保守・自由主義」にほかならない。

 

 ところが、社会主義には致命的な自己矛盾がある。

 愛の発露があるに関わらず、それは個人の努力による発展をゆるさ

ない嫉妬に変質してしまうのだ。

 富裕層を排撃し、貧乏の平等を正当化する。

 その結果、悲惨な貧乏生活を国民党員に強いることになる。

 

 嫉妬はもはや愛ではない。

 そこに社会主義の変質がある。

 貧乏の不満を抑圧するために、また、自由を求める個性の発露を抑

圧するために、社会主義政治は恐怖政治とならざるを得ない。

 結局は、自由主義以上に残虐な国家を作ってしまう。

 それが、仏神を否定した結果であり、愛の自己矛盾の結果なのであ

る。

 

 神は愛である。 

 結局、資本主義ないし自由主義も、社会・共産主義も、仏神を否定

した唯物論であるならば、どちらもおぞましい権力支配をもたらすこと

になるのである。

 それが、今日の不況であり、唯物論社会の末路というべき状況で

はないか。

 

 神も仏もある世の中にしない限りは、明るい未来は見えてこない。 

 では、仏神とは何か。

 それを探求するほかはあるまい。

 ならば、幸福の科学に学ぶのが一番分かりやすく、一番奥深い。 

 手に取った本を読んでみよ。

 そこに、現代日本人が気づかなければならない活路がある。

 

 あなたは、嫉妬の社会主義者なのか、それとも私利私欲拝金主義

者なのか、それが問われる。

 いずれもよしとしないならば、弁証法的第三の道は、仏神への自由

主義以外にはないことに気づくであろう。

 潔く悟るべきである。

 

 少なくとも、個性を愛し、異質な他人を愛し、神を軽蔑しない謙虚な

精神を目指すべきなのではないか。

 日本を愛する日本国民に告げたいことである。 

 
 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 煙り舞う花の下・・・ 自由民主党よ、体系的廃棄をして新生せよ

2010年03月30日 08時03分58秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  
  焼き鳥の  煙kemu 舞い踊り  花の下


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 少し暖かくなった日曜の午後、冷泉公園の桜の下で楽しそうに焼き

鳥の匂いが舞っていた。

 焼き鳥に花見の宴はいかにも楽しそうでいい匂いである。

 出勤の身の上にも、つい一杯といきたい賑わいであった。

 

 寒の戻りが、なかなか北に戻らないが、何とか四月まで花を持たせ

るための天の気圧配置というべきか。

 なぜか。

 四月、われらは別れの杯をカチ割らなければならないからではない

のか。

 いざ、決戦の2010年が始まる。

 

 それにしても、CO2による地球温暖化信仰の民主党には是非半袖

で温暖化防止のCO2排出権輸入政策をアピールして選挙に臨んで欲

しいものである。

 そして、ブリジストンあげて、CO2排出権を買い取って欲しいものであ

る。

 なにしろ、車の足袋を作って儲けているのだから。

 その結果が、亡国の鳩ポッポ政権では、踏んだり轢いたりではないか!

 

 

 

 

 

 

 

自由民主党の危機


 現代日本ほど、体系的廃棄によるイノベーションという考え方が求め

られる状況はない。

 「日本国憲法」「地方自治」「公務員制度」「学校法人制度」「農地法」

「建築基準法」「公職選挙法」・・・、そして、自由民主党である。

 自由民主党は、マスコミによって政権を奪われ、小沢鳩ポッポ政権

の不始末にもかかわらず、やっぱり自民党とはならず、むしろマスコミ

のシカトが続いている。

 

 もはや、イノベーションは避けられないのだ。

 その名前さえも捨てるべきときなのだ。

 組閣の前に、解党して新生しなければ、政権政党としての信頼は得

られないであろう。

 政権を失ったのは、そうしたイノベーションのチャンスでもある。

 

 マスコミと一緒になって幸福実現等をシカトするのではなく、幸福実

現党に学び、新保守としての理念を立てるべきである。

 もう、これ以上、売国奴政権、民主党・社民党連立政権に蹂躙させ

るわけには行かないではないか。

 

 自民党の心ある政治家よ、幸福実現党と並んで、『日本国自由繁栄

党』とでも改名し、政党理念を刷新し、出直して欲しい。

 政治資金調達の方法も考えなければならない。

 株式政党にしてもよいのではないか。

 配当の変わりに、情報や政策研究会議での電子投票権を与えると良

い。

 

 そして、よくよく、マスコミ権力が自分たちにどういう仕打ちをしている

かを観察しておくことだ。

 マスコミに支配されない政治環境を練っておくことである。

 マスコミの民主化、自由化である。

 

 民主党の心ある政治家よ、脱藩せよ。

 

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 花鳥の風の旅・・・ 学校法人制度の不条理を解消せよ

2010年03月28日 06時47分33秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 
 

 

 


  風の旅  花に宿りて  鳥も行き  


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 庭のメジロが留守がちになった。

 八分九分に咲く花に引かれて、次第に山に帰ってゆくのだろう。

 新緑の頃には、父と最後に行ったその奥山を訪ねてみようと思う。

 親を亡くすと、あの世への垣根が低くなる。

 人生の体系的廃棄、イノベーションが必要になったと思う。

 

 ああ、何か新しいことを始めたいものだが・・・。

 そろそろ海外に出なければなるまい。

 日本はこの世の天国のような気分なのかもしれない。

 あるいは「ゆで蛙」の釜湯である。

 異質なものが交じり合いにくい。

 危機感がないから、愛国心もない。

 もちろん、売国奴にとっては愛国心ほどの異物はなかろう。

 

 日本が自己保身的な豊かさの中にあるならば、やはり海外に出る

べきであろう。

 海外の貧しさに立ち向かうべきであろう。

 海外の国家独立問題に立ち向かうべきであろう。

 侵略と必死の抵抗という戦乱に立ち向かうべきであろう。

 

 貧困も、侵略も、独立戦争も、徴兵も、日常としてある。

 それを、「日本国憲法」に違反するから許されないと「正義」を振りか

ざされても、「日本国憲法」などという植民地的平和を希求するバーチャ

ル世界に生活しているわけではないのである。

 

 社民党も民主党も共産党も、どうぞ、PCの中のバーチャル日本で大

いにアバター政治をお楽しみください、と申し上げたい。

 

 さて、人生修行のために、日本独立のために、幸福の科学文明の

確立のために、人生の体系的廃棄を如何に進めるべきか。

 

 革命が真のニーズとしてあるならば、それが起業のソースとして具

体化できるはずであるが・・・。

 ベンチャー的創業とはそうした考案から始まるのではないか。

 

 

 

 

 

     

学校法人制度の不条理を解消せよ


 正論は何度も繰り返さなければならない。

 それが、この世の習いであり、政治的念力というものであろう。

 そうした念力項目の一つに、教育改革問題があり、学校法人法の不

条理という問題がある。

 

 学校法人には、法人にも学生にも一定の差別的特典が与えられる。

 そこで、学校と認められなければ、学校と学生ではなく、企業と顧客

という一般扱いになる。

 問題は、学校か否かの判定基準に差別合理性がなく、いじめという

べき差別を生んでいるということである。

 

 法人への補助金の有無は企業努力の問題で、株式会社でもかまわ

ない。

 しかし、会社勤めしながら習い事とはいかない全日教育を受けなが

ら、文部科学省の定める基準を形式的に満たしていないという「無認

可」学校の学生は、あらゆる行政サービスで学生の特権を認められず、

学割定期も受けられないのである。

 

 授業時間数、自前の設備要件に合理性があるとは思えない。

 教育内容や質は、授業時間や所有物件で計られるものではないか

らである。

 教育に対する官僚支配を排除しなければ、教育改革が阻害される。

 私学の自由こそが教育に先進性を生むのである。

 そこに学ぶ苦学の学生に一定の行政サービスをするのは国家の責

任であろう。

 行政が厳格な基準で学校を定義するから、コストに縛られ、補助金

に縛られ、教育改革が進まないのである。

 

 ましてや、文部科学省認定の学校崩壊が著しく、教育を粗悪化して

いる現状を見ても、また、日進月歩の技術や変転万化の状況変化に

対応するの高度教育が求められている現代で、教育投資をサポートす

ることは重要な国家政策でなければならない。

 

 文部科学省の学校認定権は無用である。

 学校への補助金も無用である。

 学生保護、学生支援があれば十分であろう。

 学校設立運営は、公設民営化を進めるべきであろう。

 

 過渡的処置として、学校法人法の合理的拡大解釈ないし特例解釈

をすすめ、文部科学省の縮小と、学校法人制度の抜本的改革を進め

て欲しい。

 教育も福祉も、体系的廃棄が求められているのである。

 
 

               立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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+ Nippon的な風景・・・ 社会主義官僚組織NHKの理不尽・不公平  NHKを解体民営化せよ!

2010年03月27日 09時18分15秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

  日本Nippon の  花に朧oboro の  月見して    


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 気温5℃、一層寒い朝になった。

 寒の戻りとはいえ、久々に水がジンとしばれて冷たいこと!

 しばらくは花見の宴もあるまいと思っていたが、縛れる冷え込みの

中で円陣の背を丸めて騒ぐでもなく、花見酒を食らっている会社があっ

た。

 先陣というのは何かと苦労であるが、それが既成事実となって時代

を作るのであろう。

 花の下にも辛抱というものがあるものだ。

 

 花の中に月が上がっていた。

 「まあ、花に月なんて日本的ねぇ~」と、立ち止まる、しばしの花見

月見の人垣ができた。

  日本的という感慨が、日本的なものを失ってきたことを思い出させる。

 そのようにして、亡国の道を落ちたくはないものである。

 

 日本人よ、気概を持て!

 坂の上のUFOというのは困るが、坂の上の月くらいはめざしたいも

のである。

 

 

 

 

  

 

 

  

NHK解体民営化を急げ!


 NHK福岡の内情に憤慨する人は少なくない。

 福岡だけのことではなく、NHKの体質に対しての憤慨である。

 NHKの現場は、契約社員や入札出入り業者によって安いギャラで

賄われているが、社員は東大出が多く、結構な身分であるらしい。

 業者は品質を落とさないために赤字でやっているところが多い。

 

 NHK内部は視野の狭い事なかれ主義の役所そのものであるという。

 女は大奥気取りであり、男は事なかれ主義の視野狭窄。

 ちょっと変り種で、できるかなあという人がいると、すぐに東京に引

き抜かれるという。

 残っているのは木っ端役人というわけである。

 

 「内部には民放ではリースでしか持てないという一台7,8千万円のテ

レビカメラが3台もある。キャビネットの台だけでも4千万円はする。大

型スタジオカメラや取材用の業務用中型ビデオカメラなどはごろごろと

している」という。

 いかに贅沢で無駄に金を使っているかということの一端である。

 

 NHKは官僚組織であり、その運営は「NHK視聴料」という税金で賄

われている。

 なのに、国家行政機関としての責任も、民主的統制もない。

 役所同様、だれが責任者かわからない煙幕制度が張り巡らされて

いる。

 レプタリアン仕込のステルス装置を組織に施しているかのようであ

る。

 

 にもかかわらず、独自の番組編成の自由を守り・・・なんて抜かして

いるのである。

 「公平な報道をこころがけ・・・」なんて嘘抜かせ!

 2016年福岡オリンピック誘致運動の大イベントを無視して、4、5人

のオリンピック反対の左翼グループをニュースに流していたではないか!

 幸福実現党の鮮烈デビューほどのニュースを無視したではないか!

 

 ふざけるな!

 

 なぜ、こんな無法がまかり通るのか。

 反日放送局の筆頭であり、日本の左翼勢力に牛耳られた組織である。

 なぜ、こうした左翼勢力に税金を納めなければならないのか。

 

 NHKも、民営化されなければならない。

 有料放送にするか、CMをとって経費を賄うべきである。

 また、放送権の独占を許すべきではなく、公平な分配をしなければ

ならないだろう。

 

 公設民営化して、施設は国有に、運営は複数の民間企業の競争に

委ねるということでなければならない。

 そうでなければ、「表現の自由」などとは主張できないことである。

 表現の自由には、公益、国益の責任を問われる。

 しかも、独占放送権者として、「表現の自由」はより大きな制限を甘

受しなければならない。

 

 放送権の自由化、NHKの特権剥奪と民営化を進めるべし。

 これは、日本の戦後民主主義を健全化し、公正選挙を実現してゆく

ためには欠かせない焦眉の急である。

 


         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ シベリア気団・・・ NHK視聴料徴収は違憲・違法である  リスクを求めるサービス

2010年03月26日 08時16分10秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 


  シベリアの  気団見舞いし  桜かな


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 気温7℃、久しぶりの西高東低の気圧配置で、寒い朝である。

 シベリア気団の花見のようである。

 シベリアの春はまだまだ極寒のようである。

 

 さて、多忙のうちに彼岸が明けた。

 八分咲きの花の下をくぐる数秒の至福を感じつつも、せわしなく赤信

号をせきたてながら職場に駆け込んでゆく。

 花のころ凡人は、己の優柔不断に切羽詰っていることが多い。

 改革の前に立ちはだかるものは身近なものである。

 

 「組織だから」、「~が決まりだから」、「今すぐにはできませんが・・・」。

 大川隆法著 幸福の科学出版刊『社長学入門』は、実に重宝な経営

バイブルであるが、そこにイノベーションについての教示がある。

 Pドラッカーの定義では、「これまで成果をあげていた古いやり方を体

系的に廃棄すること」とある。

 しかも、スピードの時代である。

 

 それができないところに、イノベーションの難しさがある。

 鳩ポッポ政権のように、資本主義を体系的に廃棄して社会主義独

裁制に挿げ替えようというのはチェンジではあっても邪道であるが、従

来マニュアルにすがるのも自滅への道である。

 

 シベリア寒気団の寒の戻りに、時代状況の危機感を持ちたいもので

ある。

 

 

 

 

 

 

 

リスクを求めるサービス】 

 

 Webモール楽天市場を創業した三木谷氏の創業当時のことがテレ

ビ東京でドキュメントドラマとして放送されていた。

 売れない創業前の苦しいときにも安売りの誘惑に屈しなかった判

断力は非凡だった。

 人間は楽な方法を求めるが、商売の利便を提供するサービスにも、

リスクという試金石をお客様にも求めるということは信念というべきこ

とである。

 考えさせるところの多き良い番組であった。

 

 ちなみに、芸能人にバカさわぎさせる軽薄番組ばかりの『只』テレビ

だが、たまには良い番組がある。

 他方で、有料だが、無駄と亡国の悪意をもったNHKのようなテレビ

局もある。

 国家機関でもなく、政治責任をとらない放送会社に税金を取られる

理不尽はなんとしてもなくして欲しい。

 NHKの視聴料徴収制度は、法律をしても理不尽であり、理不尽の

法律は、それ自体が違法である。

 マスコミの性格を考えれば、思想良心の自由を侵害し、権力の民主

的統制の原理に違反し、財産権を侵害する憲法違反の法制というべ

きであろう。

 

 

 本題は、リスクの創造的価値というテーマである。

 ビジネスは先行投資であると分かっていても、リスクを避けたがるも

のである。

 しかし、 先行投資というリスクがあるからこそ、その成果を出そうと、

一所懸命に努力するものでもある。

 只だから良いというものではない。

 

 公立高等学校の学費を只にするというが、先行投資を見失った教

育に一所懸命という要素はさらに見失われることになるだろう。

 勉強もまた先行投資なのだ。

 

 われわれは、只という誘惑に警戒しなければならない。

 ばら撒かれる餌は、えてして自滅の罠にはまることになるからである。

 餌をばら撒くものの魂胆をよくよく見定めなければならない。

 ただのお人好しのバカなのか、魂胆を持った危険人物なのか。

 

 リスクは努力と創意工夫を求める。

 だからこそ、そこに発展のチャンスがあるのである。

 リスクの無いところに発展は無い。

 そう考えると、リスクこそが価値を生み、リスクがないように仕組まれ

ているところには意図的な仕掛けがあると考えたほうがよさそうである。

 

 もっとも、只(FREE)という利便が意図する仕掛けは、サービスとい

う本質を持つ。

 うまい話には罠があるが、サービスはお客様のより高次の目的に

奉仕する親切である。

 うまい話と、サービスを識別する思考が必要である。

 

 さて、自分の仕事にリスクという成功の種を仕込んでいるだろうか。

 この世にあって、修行の身であることを忘れてはならないと思う。

 

 

        立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi


 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 花傘さして・・・ レプタリアン族よ、謙虚に学べ  科学技術は愛に仕えなければならない

2010年03月24日 08時08分37秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 


  今日の雨  花傘さして  咲いており  


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 外気温10℃、小雨

 寒気の春と暖気の春が日本海を押し合っている。

 今日は寒気が優勢に押し込んでいる。

 咲き始めた花は大樹の花傘をさして天晴れに咲いている。

 この日本も花咲かなければならない。

 

 

 

 

 

 

レプタリアン族よ、謙虚に学べ


 「宇宙の法」によると、レプタリアンという爬虫類型宇宙人がかなり

密接に地球人類に影響を及ぼしていることが分かる。

 しかし、科学技術をちらつかせることによって人類をテストし、裁こう

としているかのような意図を感じる。

 裁きとは、人類への介入と地球への合法的な支配である。

 

 しかし、愛なき者が他人の愛をテストし、裁く資格はあるまい。

 謙虚に愛を学び、地球人類よりはるかに高い愛の悟りをこそ目指す

べきでは無いか。

 カルマというべきその傲慢を恐れ、反省すべきである。

 そのために地球に来ているのではないか。

 

 レプタリアン族よ、愛を学べ。

 政治は愛である。

 経済は愛である。

 経営も愛である。

 教育は愛である。

 人間関係もまた愛によって結ばれている。

 愛は、科学技術によっては得られないものである。

 

 愛とは何かが知りたければ、幸福の科学に学べ。

 日本は今、まさに日出る国になろうとしている。

 科学技術を支配の道具としてはならない。

 愛の文明を助ける道具としなければならない。

 科学技術は、愛の神の前に植福すべきことである。

 

 地球人類がおぞましく見えるというなら、それは、科学技術のせい

ではないか。

 そのうぬぼれが信仰を見失わせたからではないのか。

 自らが誇るその科学技術の用い方を反省すべきことである。

 科学を覇道の道具にしてはならない。

 他人を幸福にする道具でこそあれ、私利私欲に用いてはならない

のである。

 

 競争とは、切磋琢磨である。

 競争を、弱肉強食にしてはならない。

 人間たちも、弱肉強食の企業活動を反省すべきである。

 弱肉強食が経済の安定した発展を阻害し、鬱を広げているのでは

ないのか。

 

 愛の星地球の住人が武器をとるというなら、そこに武士道がなけれ

ばならない。

 思いやりと礼儀を見失った侵略は悪である。

 M&Aという企業併合の手法も、そこに愛がなければ悪業となろう。

 

 科学技術の上に立つのが愛であることを、肝に銘じるべきである。

 愛の星地球の人類は、愛という光を発して、それが宇宙文明の権威

であることを確信して、宇宙の人類を指導するのだという自信と気概

を持つべきである。

 エルカンターレという最高権威の救世主が、この日本に降臨してい

るのである。

 

 技術後進国の人々よ、そこに偉大な愛の教育と実践の文明がある

ならば、最も進んだ文明国なのである。

 技術先進国と思い上がっている日本は、愛を見失ってはいないか、

傲慢になっていはいないか、大いに反省すべきであろう。

 

 愛とはえさをばら撒くことではない。

 餌づけをすることではない。

 愛とは、自助努力を助ける啓蒙と教育にこそある。

 人生とはこれ、修行なのであるから。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi


 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 春山笠の花咲きぬ・・・ 国難に活路を開く決死の課題と覚悟 

2010年03月23日 10時37分25秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  

 

    

  博多部に  春山笠の  花咲きぬ  

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 気温11℃、雨

 花冷えのここ数日、禅寺の花が一気に五分咲き、七分咲きの花を

いている。

 花の客人たちも、花に染まる。

 「もう、満開でしょうかね~」

 「いやあ、まだ七分咲きというとこでしょう」

 

 毎年の正月がめでたいように、毎年の花のめでたさに花詣でをする。

 今年も実に、素晴らしい花が咲いた。

 いやまさに、春山笠の花姿ではないか。

 さあ、いよいよ、決戦の年が始まったのである。

 

 

 

 

国難に愛・知・反省・発展の血路を開くための標的課題


 その真意を知っている者は、天上界の高級指導霊のほかは、幸福

の科学に学ぶ者たちと米中のトップエリートのみであるかもしれない。

 幸福の科学に学ぶ者たちは、預言者と救世主に指導されている。

 預言を信じる者は、いつの時代も少数者である。

 

 その少数者が時代を変えるためには、その少数者が権力を握らな

ければ世の中は変わらない。

 それほどに切羽詰っていても、国民大衆は熱いだのぬるいだのと文

句ばかりを言う大浴場の「ゆで蛙」のようである。 

 その様相は、明治維新を無にしているのであり、維新の状況ではない。

 西郷隆盛が嘆き、日本の滅亡を預言するように、ラムディア末期の

うであり、アトランスティス末期のようであろう。

 

 宇宙時代を迎えようとするとき、人類は文明滅亡の愚を繰り返して

きた。

 確かに、高度の科学技術は信仰心を失わせる性質を持っているで

あろう。

 心は騒がしく、貪欲に紛れ込む夾雑物で心を汚染する。

 異次元空間さえ移動できるようになると、すぐに鼻高々になり、粗悪

な「神」が生まれるのだ。

 粗悪な神とは、愛の化身ではなく、支配欲のいびつな塊である。

 しかし、こうした同じ過ちを繰り返すわけには行かない。

 

 先進科学技術を持ち込む死の商人のようなエイリアン達が暗躍して

いるようである。

 その売り込み先が、今やチャイナに向けられているという。

 その武器をチャイナが手にすることになると、もはやアメリカも安泰で

はなくなる。

 日本はとっくに植民地に落ちてしまい、流浪の民となるであろう。

 その亡命移住の地として、インドを準備しているとまで言われたので

は日本神道の面目が立たないであろう。

 

 危険な国はチャイナ一国である。

 日本にとってのみならず、人類を滅亡せしめるほどの騒乱源となる。

 これに付随する傀儡の国が、韓国・朝鮮、そしてイランである。

 今、その一番の傀儡国になろうとしているのが、小沢・鳩山政権に他

ならない。

 これを選んだのが、日本の国民多数である。

 民主党政権を選んだ国民多数の選択は亡国の選択であった。

 選挙で選んだ結果であるが、その実質はマスコミの誘導による。

 朝日、NHK、毎日、読売、日経の連合が作り上げた選挙結果である。

 この売国奴マスコミ連合を葬り去る戦いは早期に決着をつけたいと

ころである。

 これこそは、日本独裁の権力だからである。

 独裁にNO、というならば、マスコミは自滅すべきなのである。

 

 マスコミこそは、選挙を通して政治を支配する非民主的独裁権力に

他ならない。

 だからこそ、マスコミの民主化制度を構築しなければならなかった

のだ。

 自明のことであるのに、日本の憲法学者はこれを無視した。

 むしろ、政治権力からマスコミを守らなければならないと説いてきた

のである。

 芦部信喜はその筆頭であったろう。

 それに翻弄された自分の無教養も情けないことであった。

 

 チャイナより先に、アメリカと同等の先進的宇宙科学技術を移入し、

中国の侵略的野望を封じなければならない。

 そのためには、獅子身中の虫であるマスコミ、社会主義の残党勢力、

売国奴的拝金主義企業を封じなければならない。

 そのためには、アテナイのように、「ミネルバのふくろう」を用いなけ

ればなるまい。

 新たなマスメディア勢力を編成し、新たな啓蒙メディアを組織し、地

球文明計画に関わっている善玉宇宙人とも連携した情報網を確立す

る必要がある。

 さらには、植林のように新しい産業を生み出さなければならない。

 未来人材を育成する教育革命を起こしてゆかなければならない。

 

 未曾有の国難が理不尽とストレスを生んでいるであろう。

 自殺勢力3万人は全員幸福の科学に入会し、決死隊を結成し、敵と

いうべき国難から日本と人類の未来を救え。

 自殺するくらいである、一切を捨てることに何の躊躇があろうか。

 自殺願望者は、幸福の科学にきて宣言せよ、「私、死にます」。

 現代の脱藩者となって、死に甲斐を果たすのだ。

 

 同様に倒産しそうな企業主よ、活路を開くのは金策ではあるまい。

 血路を開くのは、従来の商売を捨てて、日本の国難を救う活動を宣

言することではないか。

 そんなことは、普通の企業にはできないタブーであろう。

 だからこそ、必要とされている。

 そこに命をかけて社運を投じ、後世に名を残すべきである。

 どうせ倒産するならば、天晴れに倒産するほうが良い。

 活路とはそうしたものなのではないか。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi


 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 花嵐・・・ 植民地型・国家社会主義政権(民主党)撃退の情報戦略

2010年03月21日 09時40分59秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

 

  春嵐  花も嵐の  桜かな    


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 春分の嵐が吹き荒れている。

 秋分の頃に吹く風は野わけというが、春分に吹く風は花嵐というべ

きか。

 梅の花はとっくに散りすぎているが、コブシの花も白波を立てて散っ

てしまった。

 

 花の嵐に咲いて吹雪くのが桜の花である。

 同じ嵐でも、これからますます光が強くなる嵐である。

 なんともわくわくとする春分の嵐であることか。

 いよいよ、幸福実現党の「日本海戦」が迫っている。

 泥舟を混えた「バルチック艦隊」を如何に粉砕するか。

 新旧分け目の戦いが始まっている。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

植民地型・国家社会主義政権撃退の情報戦略


 ブリジストンという企業が生み出した資産が、こともあろうに社会主

義の残党と手を組み、反米親中国の植民地型国家社会主義政権とい

うべき民主党政権を作り、日本を蹂躙しようとしている。

 国家社会主義は、国民が選挙で選ぶものである。

 多数の国民が少しでも金がもらえる亡国の道を選択したのである。

 しかし、多数決で亡国の道を行くわけにはいかない。

 

 亡国政権を選んだ多数の国民とは、反日亡国のマスメディアの傀儡

である。

 明治維新の幕府は老朽化したとはいえ、国家の滅亡を望んだので

はなかった。

 敵も味方も、強大な海外の帝国の侵略から如何にして日本の独立

を守り抜くかということで競ったのである。

 

 ところが、現代日本はそうではない。

 「反戦」の名の下に社会主義から日本国家の政権をチャイナに「大政

奉還」しようというのが多数派を占めてしまったのである。

 

 気概なき国民の内訳を知りたいところである。

 その主力が公務員労組であり、自動車労組であり、兼業農家であり、

主婦であるのかもしれない。

 政治を私物化し、不平不満をいうのが政治であると勘違いしている

のではないのか。

 政治とは、献身的正義であり、理想国家をつくろうとする使命である。

 政治の神聖を私利私欲で汚してはならない。

 

 気概なき国民とは、政治を私物化して、国や企業を滅ぼしてでも安

売りに走り、給付金に群がり、個人の不平不満をもって亡国を正当化

する付和雷同の輩である。

 私利私欲を煽り、不平不満こそが政治参加のごとく偽っているのがマ

スコミである。

 国家権力が国民を苦しめているのだと偽っているのである。

 このマスコミを討たなければこの国難は救えないであろう。

 

 そのためには、愛国のマスコミを味方につけ、海外のメディアを味方

につけるほかあるまい。

 日本の植民地化は、中国以外の外国にとって好ましいことではある

まい。

 ロシアもインドも台湾もアメリカも困るであろう。

 

 海外の理性的なメディアを味方につけるメディア戦略が欠かせない。

 日本のマスコミは、自分たちが作り上げた民主党政権の社会主義

政策によっていよいよ不況倒産に追い込まれることになるだろう。

 新聞記者による取材ではなく、現場の心ある人々が情報を提供する

ようにならなければならない。

 ブログのリンクが新聞テレビに取って代わる新しいマスメディアに育っ

てゆくであろう。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi


 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 明治維新の椿かな・・・  株式制度改革案  企業定義の改訂案  平成の大政奉還を進めよ

2010年03月20日 11時38分11秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 


  花椿  明治維新を  絵に画いて        


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 昨日は天気晴朗なれども波高しという快晴であったが、今朝はなん

と、気温19℃、何か事が起こるのではないかと思えるほど異様に生ぬ

るい風が吹いている

 CO2の巻き返しか、UFOの熱気か、彼岸の風か・・・。

 

 さて、これから何が起ころうとしているのか。

 危機感なくして、頑張ろうといってみたところで、旧態依然の事なか

れ主義が続くばかりであろう。

 そこに改革も変革も革命もない。

 政治も教育も伝道もあらゆるビジネスも、得体の知れない危機迫っ

ているという危機感なくしては「ゆで蛙シンドローム」の鍋の中ゆで

あがるばかりである。

 

 であるから、「天気晴朗なれども浪高し。」「皇国の興廃、この一戦に

あり。各員一層奮励努力せよ」なのである。

 

 座して死を待つよりも、なんとか負けないための最善を尽くこと以外

にはないのである。

 死をもたらそうとしている勢力は、拝金主義の金融独裁勢力であり、

歯止めの利かない侵略主義におかされたチャイナ共産帝国であり、も

しかしたら、肉食恐竜型異星人レプタリアンのUFO艦隊かもしれない。

 

 その侵略の危機から日本を護り、地球を護るのだというミッションと

覚悟が、心の傷ついた子供たちを奮い立たせ、不況風を言い訳にし

ていた企業が毅然として本領を発揮せしめるに違いない。

 決死の覚悟で立ち向かわなければならない国家的な危機が迫って

いるのである。

 

 公教育の荒廃と大学の空疎化、マスコミ支配の現代選挙制度と亡

国政権を選んだ投票者のエゴと無責任、日本に核ミサイルを実戦配備

しているチャイナ共産帝国主義、地球侵略の隙と口実をさがしているレ

プタリアンなどの悪玉エイリアン・・・。

 それをどこまで危機として実感しているのか。

 実感しているならば、Z旗の意味を理解するであろう。

 決死のミッションを知るであろう。

 

 

 「仕事のミッションに気づいたならば、不況は新規発展のチャンスであ

、われらには発展と繁栄しかないのであります。

 祝いめでたの精神で頑張ってまいりましょう。

 それでは参ります。

  博多手一本。

 よ~おパンパン、ま一つパンパン、いお~てパパンパン!」。

 

 

 

 

  

 

  

 

拝金主義から企業を守れ!株式制度改革案


 EUもUSAもチャイナも日本も、金融危機の波乱の中に揺れている。

 一握りの金融業界が世界経済指標を左右する支配力を持っている

以上、金融業界だけの危機では収まらない。

 

 危機の原因は拝金主義にある。

 金が目的で、価値創造をないがしろにしていることへの報いである。

 経済の空洞化による経済収縮というべきであろうか。

 企業を食い物にしてきたことことが産業壊死を招いている。

 

 日本の企業を護るためには、株式取引のルールを改訂しなければな

るまい。

 そこで、以下の三つを提案する。

 ① 議決権を制限する株式譲渡規制。

 ② 新株発行の迅速容易化。

 ③ ネット通販等による私募債発行制度の整備。

 

 合わせて、企業の定義改訂と、平成の大政奉還について提案する。

 

 

 ① 議決権を制限する株式譲渡規制

 株式譲渡は自由であるが、五年以上継続保有しなければ議決権を

行使できないというような制限である。

 そうした譲渡制限を株主総会で決定することはできないであろうから、

法規制として制定しなければなるまい。

 

 短期的な大量売買で会社の経営権が乗っ取られるというのは、明

らかに拝金主義的マネーゲームの餌食にされざるを得ない。

 そうした売買を投資とは言わないであろう。

 その代わり、企業法人の所得税を最大純利益の10%ととし、さらに、

株式配当も、原則、純利益の10%とするなどの配慮が必要であろう。

 それ以上の配当をするときは、株主総会に諮るようにすればよいの

ではないか。

 したがって、利益が出ていないときは、総会決議を待つまでもなく当

然無配となる。

 

 

 ② 新株発行の迅速容易化

 また、新株発行をもっと迅速容易にしなければならない。

 新株発行をするとなるほど、単純計算すれば持ち株比率が下がり、

株式の価値が下がるように見える。

 しかし、企業の資産評価の実質は財務体質の健全であり、安定し

た営業成果であり、成長可能性であり、国家としての必要にある。

 

 そうであれば、新株発行で財務が強化され、市場の支持が集まり、

更なる投資を可能とするのであれば株主利益に反するとはいえない。

 であるから、新株発行は経営判断事項として取締役会の権限に委

ねられるべきである。

 

 

 ③ ネット通販等による私募債発行制度の整備

 さらには、企業の資金調達を容易にする方法として、業務内容と財

務諸表の銀行等による公的審査と公表、資金調達の目的の公表等を

条件として、株式のネット販売を認めるというような私募債発行の便宜

を図る必要もあるだろう。

 

 

企業は公益活動団体であるという定義改変

 企業活動の目的は公益活動にほかならない。

 利潤獲得は、公益活動継続の方法として妥当な範囲で正当化される。

 企業が公益団体であるならば、その経営健全化や資金調達方法の

健全化は国家の支援すべき事柄である。

 

 企業は利益追求団体であるという規定であっては、貪欲な企業活

動を規制しなければならないという発想で経済発展を阻害する法規制

と行政許認可の肥大を招いた。

 企業の定義を根底から変えなければならないのである。

 

 

平成の大政奉還を進めよ


 合わせて、経済発展を阻害し、税金のゴクツブシとなっている公務

員の大リストラを敢行しなければならない。

 現代の大政奉還は、地方自治の廃止、国家公務員制度の廃止を敢

行し、合わせて、行政の民営化のための仕分けと、人事を経営者団

体で組織する公務員人事局に委ねるなどの民主化と企業化を柱とす

る新国家公務員法制定による新組織構築を進めるべきであろう。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 初桜、花の羽衣・・・ 『宇宙の法』入門のインパクト  教育革命は学校の公設民営化から

2010年03月18日 22時59分37秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  

 

  羽衣は  さくら色なり  初桜  


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 今朝は9℃、花冷えというべき一日だった。

 最近、脳内のCPUがフル回転で過熱気味である。

 教育改革最前線にいながら、どうも市場のニーズをつかみきれてい

ない。

 

 子供たちを、荒れた学校生活やヒステリックな家庭で傷ついた若さ

から何とか救ってやりたいが、その憑依した悪霊をぶっ飛ばして護っ

てやりたいが、心の世界は手術をするようにはゆかない。

 若いんだから、と思うけれども、どうしてそんなに悲しくしているのだ

ろうかともどかしくなる。

 愛国心一つで救える魂なのだろうにと思うのだけれど、愛国心を習

いに学費を投資する人も稀であろう。

 

 ああ、坂の上の雲よ、われに叡智を与えたまえ!

 

 

 

 

 

 

 

 

『宇宙の法』入門連想


 「宇宙の法」入門を読んで、もう一冊買った。

 書店に積み上げられていたはずの本が、もう数冊しか残っていな

かった。

 まあ何とも不思議な感じの本である。

 牽引ビームで吸い込まれるように、宇宙人の密度が一気に高まっ

た。

 

 ビールはシュメールの飲み物、ということはレプタリアンの好物とい

うことか・・・。

 そもそも、シュメール文明がレプタリアンに淵源があったなんて、びっ

くりである。

 最近、ビールからワインに嗜好が変わったが、アッカド系になったの

だろうか・・・。

 なんてことで、楽しめる話題が満載である。

 これを読まない手はあるまい。

 ギリシャ神話どころのスケールではないのだから。

 

 しかし、宇宙人に求めるものは何かと考えてみると、高度の科学技

術と珍しさくらいではないかと思う。

 精神的な文化文明を教えてもらいたいという関心はそれほどにはな

い。

 確かにエネルギー創出技術、エネルギー統御技術、異次元旅行の

技術は知りたいが、聞いたところで自分にはちんぷんかんぷんだろう。

 しかし、その応用はできる。

 たとえば、介護技術への応用、都市計画への応用、海洋資源開発

への応用、農業への応用というようにである。

 技術に目的や応用を与えるのが文系の役割である。

 

 技術以外のところでは、彼らが住んでいる星のことや、宇宙旅行の

こと、食文化やお茶のことや言語や音楽などのことは知りたい。

 宇宙人と恋ができそうなら付き合ってもみたい。

 そりゃあもちろん、レプタリアンではなんぼきれいに化けていてもい

けない。

 好かれるのはいいが、好物のように食われてしまっては死に甲斐が

ない。

 おとめ座のベガ星人の乙女が良かろうと思う。

 きっと、梵天・松下幸之助氏もそう思うのではないか。

 

 もっとも、交通革命や資源革命やエネルギー革命が求められる20

世紀型経済からの転換期にある現代にあって、先進的科学技術は

欲しいところである。

 資本主義経済の基盤にあるのは先進技術とそこから生み出された

品の供給にほかならないからである。

 

 その意味では、宇宙人の先進的な科学技術は産業源として欲しい。

 しかし、それを欲しがることが、中国に尻尾を振って国を奪われか

ない日本企業のようではいけない。

 中国チャイナは、日本に核ミサイルを数十発実戦配備している国で

ある。

 その中国に友好的とはどういうことなのか。

 安全装置をはずした実弾入りのピストルを自分に向けて、そのトリガー

に指をかけている相手に対等な友好ができるというのか。

 それとも、その核弾頭ミサイルが蠟でできているとでも言うのか。

 そんなことさえも気にならないらしい日本人の多いことに唖然とする。

 

 技術移転の見返りに地球侵略基地を提供するようなことであっては

ならないということである。 

 やはり、宇宙人にも尊敬される精神文化、宗教的権威こそが必要な

のだと思う。

 彼らの地球人類への関心は、豊かな住環境としての地球と、人類

のもつ「愛」の精神文明である。

 「愛」の精神文明への尊敬が低ければば、地球侵略の欲望が強くな

るであろう。

 だからこそ、幸福の科学に学ばなければならないのである。

 

 

 ところで、元校長までしたご仁が、わが積み上げた職場の蔵書を見て、

「大川隆法?ああ、創価学会かあ」なんて言うもんだから驚いた。

 「違いますよ。幸福の科学ですよ」。

 「まあ、似たようなもんやろう」。

 「なんがですか、ぜんぜん違いますよ」、と少しむきになってしまった。

 教育者ともあろうものが、幸福の科学を知らないとは情けないことで

ある。

 まあ、ともかく、積んどく功徳ではあった。 

 

 ちなみに、続く第二ラウンドは教育関連であった。

 「もう、国には頼らない」というワタミの渡邊社長の本を手にとって、

「ワタミの社長が教員をリストラして訴えられとろうが」、というので、

「辞めさせたくなる教員が多かですもんね」と切り替えしたら苦笑いを

してふわふわと去った。

 郁文館夢学園での教員解雇問題の真相は知らないが、「素人が学校を経営

して裁判沙汰になった」ということを嘲笑する態度に対する一般論としての皮

肉である。 

 

 学校の公設民営化は教育改革の根本である。

 宇宙人の学校はどうなっているのだろうか。

 本や文具はいかがなもんなのだろうか。

 ちょっと興味のある事柄である。

 

 ともかく、心と宇宙をテーマとする新文明の草創期に、その生みの親

というべき再誕の仏陀が現在進行形で法を説いているこの日本に居

合わせているという奇跡の、なんとありがたいことか! 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 花咲じじい・・・ 「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」  伝道も選挙も若者に照準を合わせよ

2010年03月16日 08時06分17秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


  花咲かせ  爺の念仏  一喝し 

    梅士 Baishi

  

 

 

 外気温10℃、天気晴朗なれども風強し

 福岡のどこぞやのソメイヨシノが開花したそうである。

 たしかに、数日前の桜は、マトリクスの枝にも花咲か

爺の念仏が臨界点に達しようとしていた。

 初花の出を、わが基準桜に訪ねてみるとしよう。




 

 

 咲かざれば  散る花もなし  春嵐

 咲かせよ花を  籠りし春に

    馬草 Magusa

 

 

 

 

   

伝道も選挙も若者に照準を合わせよ

 幸福の科学の教えは新しい。

 再誕の仏陀は新文明を開こうとする新太陽である。

 幸福実現党の発想も斬新である。

 既成の政党がすすけて見える。

 

 この新しい精神を受け止めて国を創るのは、現代の若

者である。

 ソクラテスもプラトンも、先哲たちは若者に法を説い

た。

 新時代の精神を呼吸したくて、若者たちはパクパクと

口を開けている。

 伝道も、選挙も、若者たちに熱く訴えたいものだ。

 

 「うっせーんだよな~」といいつつ、彼らが先頭に立

っているはずなのだ。

 うれしくてうれしくて、彼らが時代を変え始めるのだ。

 一度は死んだかもしれない彼らが、得体の知れない新

しいもののために、もう一度死んでみようと思うに違い

ないのだ。

 

 日本というのは、なんと素晴らしい国であることか。

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi


 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 日だまりの猫・・・ 若者たちは、心の時代と日本独立の新勢力である。

2010年03月15日 08時17分19秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 


  日だまりの  猫も婆やも  眠くなり  


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 外気温17℃、今朝は暖かい

 博多は雨が降りそうな雲行きだ。

 日本は春ということで、そのあたりのステージばかりがあわただしい。

 ああ、今週は胸突き八丁、どうなることやら忙しい。

 仏法をプライベートブランド化しようとするが、待機説法的な難しさが

ある。

 

 しかし、善玉菌のように増殖して、国家社会の体質を理想国家型に

整えなければならない。

 いわば、ノーブランドの中身勝負である。

 それが奏功することによって、ブランドルーツが浮かび上がってくる

であろう。

 教育の中身を替えなければならない。

 

 子供たちは、心の時代を迎えている。

 心が傷ついているからだ。

 だから、霊的な話への違和感もあまりない。

 UFOを目撃したといって大騒ぎしていたこともある。

 

 子供たちの春の嵐はかわいらしくもあり、いじらしくもあり、時に小憎

らしくもあるが、総じて青春ドラマの夢がある。

 「太陽の法講義」をしたときは、「今までで一番面白い授業でした」と

感激していた学生もいた。

 「黄金の法」読後レポートを課題にされた学生は、世界観が広がりま

したと感想していた。

 

 ああ、そんなこともあったなあ、という青春の時期があった。

 かつては、永遠の仏陀のスッテカーを貼って車を走らせてもいた。

 会社でも、営業先でも伝道していた。

 屍になる前の兵士の頃があった。

 今は、少し臆病になった。

 

 現代の子供たちは、意外と素直な、新しい時代のために生まれた

大勢力かもしれない。

 教育改革と軍事立国政策は、急がねばならない課題である。

 それが、生きがい、気概、誇り、自信、使命感、新産業と経済復興を

生んでゆくのだ。

 

 国民は、ばら撒き政治に飼いならされてはならない。

 家畜のようになってはいけない。

 誇りがあるように思いつつも、鶏のようになってはならない。

 

 日本は再び独立国家として、太平洋の雄として立ち上がらなければ

ならないと思う。

 

 

       立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

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+ 菜の花と味噌汁・・・ 国民主権とは何か

2010年03月14日 10時28分23秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 


  味噌汁の  香れる鄙hina の  黄花かな  


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 気温14℃、日曜日。

 朝からメジロの独唱が素晴らしかった。

 みかんと久しぶりの蜂蜜を用意した。

 その目の前にメジロが来てのぞいて行った。

 雀ではまずありえない接近だった。

 

 さて、菜の花が満開に咲き出した。

 川土手にも、畑にも、真黄色の花が心を浮き立たせる。

 菜の花は、味噌汁にして食べてしまいたいくらいにふっくらとした野

菜に春の花が咲くのである。

 農村のほっとする風景である。

 

 『坂の上の雲』を読んだ後、日露戦争の余韻がずっと残っている。

 それは、秋山好古にしても、真之にしても、日露戦争から生き残っ

た兵士もそうだったのではないか。

 太平洋戦争となると、敗戦という辛さが尾を引いたであろう。

 しかし、いつまでも戦闘モードではいけない。

 死に甲斐とは如何に生きるかということであるから、クリエイティブで

なければならない。

 創造的であるためには、未来志向の愛があふれるようでなければな

らない。

 

 心の中にも、希望あふれる菜の花の、土手や畑の春景色を広げる

としよう。

 

 

 

 

 

   

国民主権とは何か


 国民とは、国家クリエーターである。

 国から何をしてもらうかではない。

 国家のために、何をなすべきか、いかなる国家としてゆくべきか、そ

の国際的使命は何か、新しい文明のために何ができるか、そうした

天下国家を論じるべきが国民でなければならない。

 そうであってこそ、国民のための国家が成り立つのである。

 

 自由とは、世のため人のために学び、創意工夫し、活動する自由で

ある。

 自由とは、仏神への自由である。

 なぜなら、天意を表すのが人間の誇りある使命だからである。

 人間心で天下国家を支配しようとしてはならない。

 それを独裁というのである。

 

 政治とは天意を汲み取って国家を運営する役割である。

 その政治に対して、国民主権というならば、国民が天意を諮り、それ

をどうやったら実現できるかを真摯に考え、提案し、自助努力しなけれ

ばならない。

 政党は、そうしたことを、国民に訴え、啓蒙する責任がある。

 真実は自然と人の心の奥底に信頼の言葉として響くものである。

 

 幸福の科学リーダーは、世俗のリーダーに伝道するトップ伝道者で

なければならない。

 リバティーのセールスに、書籍のセールスに、経営者にサンプル配

布して営業するべきである。

 そうしているのかもしれないが、「各員一層奮励努力せよ」である。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 木蓮の空・・・ 感情とは何か  現成の仏陀教団・幸福の科学、三宝帰依のすすめ 

2010年03月13日 12時52分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

  木蓮の  花散っており  空の下  


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 外気温14℃、曇り時々雨の土曜である。

 さて、木蓮の花である。

 青空に大胆に咲く花であるが、春の嵐を呼ぶ花でもある。

 先日の大風で満身創痍、すっかり大振りの花を落としてしまった。

 

 それに代わって、今はコブシの花が満開である。

 コブシの花は、卒業式の季節に咲く。

 節目の花である。

 港を出航する白帆のように、旅立ちの花を風に膨らませているので

ある。

 

 

 

 

 

  

 

  天空の  万の舟よ  コブシ花  


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 「天気晴朗なれども波高し」。

 今年もまた、多くの舟が帆を揚げて旅立ってゆく。 

 

 

 

 

 

 

 

感情とは何か


 人間を不幸にするものについて幸福の科学では心の三毒、五毒と

いう教示がある。

 再誕の仏陀の直説金口の教えである。

 

 貪瞋癡慢疑という感情の毒である。

 貪りという限りない自己保存の欲望、感情的怒り、邪見に犯された

愚かな心、慢心する無教養、愛のない疑心暗鬼である。

 仏弟子といえでも、そこから解放されているわけではあるまい。

 まして無頼の在野にとって、心の毒素はまさに獅子身中の虫であ

る。

 

 自分にとって最大の毒虫は、怒りの心である。

 裁き心である。

 他人の違法、不条理、怠慢に接すると激しい怒りが炸裂する。

 怒りがよくないのは、そこに愛がないからである。

 売り言葉に買い言葉という報復も同様であろう。

 

 それも理屈では分かっていても、別原理で動くのが感情であろう。

 かといって、感情が無いと、機械的になる。

 そもそも感情とは何なのか。

 心の表面のざわめきだというが、自分に関わってくる悪や敵対に対し

てどう対処するべきなのか。

 是が問題である。

 

 感情とはいわば大衆というべきかもしれない。

 そのリーダーというべきが理性であり、さらにその根源にあるのが仏

性というべきものかもしれない。

 感情の統制が取れないというのは、大衆騒乱の状態で、リーダー

の統率力が足りないということなのであろう。

 

 では、リーダーというべき理性とは何かという問題である。

 いわば、大衆的感情に対する外務大臣であり、大統領である。

 敵対する外国に対して、いきなり大統領が戦争を仕掛けたのでは政

治にならない。

 

 感情とは即時的であって、そこに手続きというものがない。

 裁き心というものは、やはり、手続きを踏まなければ正当とはいえ

ない。

 手続きとは、相手に不意打ちを与えず、感情ではなく理性に訴える

べきものであろう。

 感情はいわば現象であり、相手の感情現象を直接抑制しようとすれ

ば力ずくでということになる。

 

 話し合いの相手もまた感情であってはならない。

 それは内政干渉に近くなる。

 管轄違いである。

 話し合いの相手は、やはり相手方の理性であろう。

 同様に、相手と交渉する窓口も感情であってはならない。

 やはり理性でなければならない。

 

 理性とは、紳士的であり、マナーを重んじ、忍耐強い。

 しかし、理性は、覚悟を決めたら戦争も辞さない正義を持つ。

 いわば、武士道精神というべきものが、理性に求められる。

 

 相手の攻撃的な感情に対しては、悪天候のように耐えるほか無いの

だろうか。

 やはり、感情はよく教育されなければならない。

 裁いてはならないのである。

 裁きは、仏神の許しが必要である。

 そのように教育すべきである。

 

 市民警察が必要である。

 市民警察とは市民の市民による市民のための警察である。

 民間警察への権限委譲ができる部分があるはずだ。

 ボランティア警察でもよい。

 資格試験と権限とを与えると良い。

 

 

 

 

 

 

現成の仏陀教団・幸福の科学、三宝帰依のすすめ


 幸福の科学の正会員になるということは、キリスト教でいえば洗礼

にあたる。

 信仰が問われる。

 三宝帰依が仏弟子の誓いとして求められる。

 三宝とは、仏、法、僧である。

 僧帰依というのは難しい。

 現状の仏陀の下で、帰依を受けるべき僧とは何か、問われているこ

とであろう。

 信仰は命がけであり、死に甲斐である。

 決死の覚悟で仏を護り、手足となって働いている者が僧というべき

であろう。

 

 仏弟子と認められたら、正心法語という根本経典を拝受することがで

きる。 

 真理の言葉、菩提心の言葉、智慧の言葉、目覚めの言葉、解脱の

言葉、無限の言葉、正義の言葉という奇跡の法が言霊として許され

るのである。

 そのほかにも、祈願文という祈りの言葉が授けられる。

 その中には、病気平癒祈願や悪霊撃退の祈り、守護指導霊への祈

り、結婚のための祈りなどもある。

 これほど力強い法剣はない。

 

 しかし、幸福の科学はご利益信仰ではない。

 仏に護られ、仏と共に新文明を起こそうとする奇跡のサンガであるか

らこそ与えられた祈りである。

 仏に帰依し、使命に生きる修行者として、一定の法力を伴う祈りや

修法を与えられているのである。

 

 私のように、支部組織に帰属しないへそ曲がりの在野的人間もいる

が、現成の仏陀をいただき、そのことに気づくということがいかに誇ら

しいことか。

 日ごろは草のようにしているが、「いざ鎌倉」を心に決めている。

 魂には金の羽で書かれた金の文字が刻まれている。

 

 その仏陀に敵対することのなんと罪深いことか。

 敵対せずといえども、これを信じず、気づきもしないということの何と

いう慙愧であろうことか。

 感情も理性も仏性も総動員してこの奇跡の事実に気づいてほしいこ

ものである。 

 そして、日本という、仏陀をいただいた聖なる国の国難を克服し、愛

と正義と繁栄を実現する日本の使命を果たそうではないか。

 

 人は全員死亡する。

 故に、死に甲斐こそは人の安心立命であり、喜びである。

 

 経営者よ、幸福の科学に集え。

 学生よ、幸福の科学に集え。

 老境の人よ、幸福の科学に集え。

 

 日本神道の氏子らよ、幸福の科学に集え。

 僧侶よ、幸福の科学に集え。

 キリスト教徒よ、幸福の科学に集え。

 

 神の国九州のクニタミよ、幸福の科学を支えよ!

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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+ さげもんのひな祭り・・・ 国家事業としての交通革命  愛国の人よ、幸福実現党を支援せよ!

2010年03月12日 08時15分17秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

  さげもんに  大正干せり  筑後川    


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 気温8℃。天気平穏。

 1ドル90円、1ユーロ123円、日経平均10665円、ニューヨークダウ

10611ドル、こちらも一服しているという感じである。

 民主党と公明党の接近に政局の安定を読み込むという観測もあるら

しいが、こちらは胡散臭い天候予報というべきである。

 

 さて、仕事ではあるが、久しぶりに柳川を訪ねた。

 ほんの少し、川舟が見えた。

 仕事の後、菊水という老舗の、鰻のせろを馳走になった。

 実にうまい鰻であった。

 

 筑後にはほかにもエツ料理やなまず料理まであるらしい。

 エツというのは晩春に筑後川に産卵のために遡上するカタクチ鰯科

の深海魚だそうである。

 珍しい魚で、筑後でしか味わえないという。 

 

 柳川の町には、あちこちに「さげもん」がぶら下がっていた。

 筑後川界隈のひな祭りには「さげもん」というぶら下げ飾りを縁側や

軒下やに吊るすのである。

 その風情は、大正ロマンの時代を干しているというふうであった。

 明治といい、昭和といい、激動であった。

 その間に挟まった大正時代というのは、ほっと一息をつく、束の間の

安らぎのように思える。

 

 さげもんの昼下がりは、ほ~~っと長く時間が昼ねをしているかのよ

であった。

 

 

 

 

 

 

  

 

交通革命としての高速道路無料化について


 幸福の科学が提唱した高速道路無料化を盗用した民主党であった

が、所詮上っ面のコピーだったために大幅に後退してしまった。

 高速道路の無料化とは、交通革命としての投資として徹底すべきも

のである。

 

 マスコミは、バスや航空機の需要が減って大打撃だと、いかにも不

況に追い討ちをかけるかのように言うが、では、バスや航空機の交

通企業に交通革命を起こす気があるか。

 所詮、革新的努力をするでもなく、企業の既得権益を主張している

だけのことではないか。

 

 都市部の発展は鉄道駅を中心に、その沿線に人々が集まってきた

のではなかったのか。

 既存の都市に交通の利便を提供したのではない。

 交通の利便が都市を作り、産業を起こし、経済発展の核になったの

である。

 

 山中といえども、都心部に30分でアクセスできる高速交通のステー

ションをつくれば、そこに都市が生まれるであろう。

 新しい、需要が生まれるのである。

 しかし、既存の交通会社は、既存の需要に応じてどんどんと交通利

便を後退させてきた。

 そして、過疎地が拡大した。

 新しい街の機能と利便を生み出そうとは発想しない。

 そのような企業の利権を守る必要はあるまい。

 

 国家の事業としても、国富を生み出すための投資として交通革命投

資をするべきであって、道路商売をしようという発想では所詮殿様商

売の無駄遣いになるだけのことである。

 国家の商売とは、税金ではないか。

 国民が豊かになることが国家の商売なのである。 

 

 ただし、税金は、純利益の割合ではなく、売り上げの0.5%という売り

上げ課税方式にしないと、脱税、節税という逃げ道を作らせることにな

る。

 税制の公平化は欠かせない。

 そうすれば、実質的に、所得の10%税制という理想が実現できる

のではないか。

 

 税金をばら撒いて雑魚あつめの選挙活動をしても経済発展は望め

ない。

 先行投資が必要なのだ。

 その一つとして高速道路を無料化せよと言ったのである。

 

 ただし、高速道路の無料化にあわせて、料金所を撤廃するだけでは

なく、出入口を増やさなければならない。

 一般車道への出口で混雑しては渋滞するからである。

 また、入り口を増やすことで、あらたな土地需要を生み出すことがで

きる。

 道路沿いにはパーキングエリアに物産市場を充実すると良い。

 

 続く交通革命プランは、地方空港を活用する小型航空網の整備と、

高速艇海上交通網の充実である。

 これが民間でできないなら、自衛隊にやらせれば良い。

 

 戦略というものは、徹底しなければならない。

 不退転の決意あってこそのイノベーションである。 

 こうした斬新な政策は、こすっからい利権政治の民主党にも、旧自

民党にもできないだろう。

 「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れよ」、である。

 

 その新しい皮袋としての幸福実現党は、天意である。

 天上界の諸天善神が一致して支援する唯一の政党である。

 坂本竜馬の霊言、松下幸之助の霊言を一笑に付してはなるまい。

 

 パナソニックは松下幸之助の霊言を真摯に受け止めるべきである。

 坂本竜馬を尊敬する人々よ、幸福実現党に集ってほしい。

 保守の原点には神がおり、仏がいる。

 日本は神国であり、仏国土である。

 その神々が立ち上がり、仏が獅子吼しているのである。

 国民の愚かな選択が亡国の政権を立ててしまった責任は大きい。

 自招危難の責任と禍を転じる覚悟が求められている。 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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