すぶんろこ!のジャパニーズドリーム 『立憲女王国・神聖・九州やまとの国』・・・仏陀再誕!日本の独立と繁栄が世界を救う!

■ 独立なくして繁栄なし! 日本国独立宣言! 植民地憲法『日本国憲法』無効宣言、痴呆自治廃止、日本軍再構築、核保有宣言

+ 秋雨・・・ 気宇壮大の志『九州やまとの国・建国運動』

2005年11月30日 10時56分48秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 秋雨や   にぎりの海苔を   ぬらしつつ

 
    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

  いよいよ師走、それでなくても忙しいが、師走と聞く

だけで気ぜわしい。

 

 ブログなるものを始めたのは、博多祇園山笠のフィナ

ーレ、追い山に朝5時から出かけた頃からだった。


 夏の到来を告げる力水で博多の町が熱気を帯びる祭り

である。

 その走りから一気に師走になった。

 

  九州独立運動と題して俳諧写真エッセーの形で始めた。

 ミクロな志であるが、そこで訴えたいのは、現代が文

明の大転換期であるということだ。

 そこで大切なことは、物質文明への反省である。

 神聖・九州大和の国にこめた思いである。


 

 九州の果たすべき役割は大きい。

 それはおそらく、官主導ではなく、ミクロの志群によ

って始まるであろう。

 

 気宇壮大な新世界建設の有志が主導すべき夢であると

思う。

 

 新世界建設に当たって、最も大切なことは、独立不羈

の精神である。

 

 自分のふるさとを、地方という言葉で表現したくはな

いものだ。

 おらが国というではないか。

 首都があり、都があってもよい。

 これに対して、おらが国は九州国であり、博多の都な

のである。

 

 だから、地方自治という言葉もやめにしなければなら

ない。

 中央と地方という観念をやめなければならない。

 日本中央政府と日本各国政府でよいのだ。

 

 しかして、各国皇室を設けるべきである。

 それが、国としての要となる。

 また、日本国統合の象徴となるからである。



  J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          

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+ 白き冬来ぬ ゆりかもめ・・・ 人間中心主義批判  所有者責任論  河川護岸工事に見る生命倫理違反

2005年11月25日 14時55分41秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 那珂川に  白き冬来ぬ  ゆりかもめ


   馬糞 Bafun

 

  

 

 

 夏を告げた博多祇園山笠から4ヶ月、中州と天神を分

けて博多湾に注ぐ那珂川の支流に、冬の到来を告げる都

鳥ユリカモメが並び始めた。


 桜並木もすっかり色を染めて秋風に吹かれている。

 あんなに沢山蝉が鳴いていたのに・・・。

 秋の変遷は、諸行無常の哀れと輪廻転生の星のように

遠くかすかな記憶をめぐらせる。



 「あなたのお国は?」

 「冬のふるさとは博多です。」

 

 そんなゆりかもめがこの橋の欄干に4、50羽は並

ようになる。


 そのころにはすっかり、木枯らしが吹き抜ける冬なの

である。

 彼らは、人の手を借りることなく、億万年も生きてき

たであろう。

 それなのに、何も所有せず、地上を潤し、季節を豊か

にして生きている。

 つくづくと、人間の欲深さ、身勝手さ、地上を汚染す

る醜悪さをわれらながらに不快に思う。

 

 

人間中心主義の権利体系批判】 

 社会主義と資本主義に共通するものは、人間の私利私

欲ではないのか。

 自由主義、資本主義といっても、権利主体が個人であれ、

国家であれ、「所有権」の概念に根本的な反省が求めら

れているように思う。


 求められるのは、社会公共のために用いるべき「所有

者責任」というべきものではないか。


 土地所有権の本質は利用権であり、利用の目的方法に

ついては、世のため人のために用いるという管理者責任

があるということである。



 自分で居住しない家屋は、他人の居住の便利に提供す

る責任がある。

 土地について、利用しないで荒地にすることは許され

ない。
 利用目的を持った人があれば貸し出す責任がある、と

いうようにである。



 今日でも、不法行為、法定地役権、そのほか社会政策

な法規制などはあるが、所有権の本質として、否、権

一般に対しても、権利の本質としての「責任」を法と

て具体的に捉える必要がある。


 本来、責任の概念は倫理道徳に委ねられるのが自由の

プライドというべきであるが、プライドなき自由が世の

中を汚染しすぎている。

 教育の本質にも、「敬天愛人」の倫理道徳が根本に再

建されなければなるまい。


 それにしても、天然自然のものであったはずの川岸

は、治水と称して人間の醜悪なコンクリートによって固

められてしまった。

 人間の所有権の排他性は、生き物の環境までも排他し

ているのである。


 これが、役人の文化レベルでもある。

 無責任の牙城をこそ排他したいものである。



 J.D.Subunroco.  

 


 

 

 

 

 

 

 

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+ 鴎らが  旅仕度・・・ 20世紀文明の終焉と課題

2005年11月23日 09時26分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 風呂敷も なき鴎らが 旅仕度

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 どこに渡ろうとしているのか、

 
津屋崎の浜に集まった海鳥たちが何とも美しかった。

 

 

20世紀の責任問題

 20世紀文明の特色は何であろうか。

 自然科学、実証科学、実験科学・・・

 これを知性というのか・・・

 

 その果実は何だったか。

 

 解剖学的医療技術、その究極の「脳死判定」と臓器移

植。

 役に立たない人間の部品をリサイクルしようというの

である。



 生命は偶然に生まれ、偶然を重ねて進化したというダ

ーウィンの「進化論」。それが生物科学なのだと。

 えっ? 偶然論が科学ですって?

 神なんていない、というのが科学の証明だそうな。

 

 便利になった地上生活を一気に消失する核爆弾。

 人類の滅亡だけではない。地球生命を殺す兵器を使っ

ている。

 母なる大地を荒廃する権利を保障するという土地の完

全排他的所有制度。

 権利とは、利用責任でなければならないのに。

 

 大気を汚染し、海洋を汚染し、河川を汚染して恥じな

いチャイナ。

 ごみを大量に海洋投棄して日本の海岸を汚染し続ける

コリア。

 

 恥も道徳も多数決なのか。神も仏もない民主主義。

 「企業とは利潤追求を目的とする団体」と定義して恥

じない拝金主義。車とは給油を目的とする移動体である、

と定義される。 

  

 20世紀までの文明は終わりにしなければならない。 

 地球に生かされ、太陽に生かされ、月に生かされてい

る海鳥たちの美しいことよ・・・。文明の原点は、生か

されているということへの気づきと感謝である。

 

 終わるためには始めなければならない。

 21世紀の新文明をどう作るのか。

 『先例主義、事なかれ主義、給料の機械的配分と制度

的保障』。

 そんな会社があるはずがない。

 ところが、役所とはそんな組織である。

 

 生産しない役所は閉鎖し、納税額に比例した株主によ

る株式会社の新しい役所を作りましょう。

 意外とこれが国づくりの棒銀作戦かもしれません。』 

 

 政治家は、これをやるべきであろうと思う。

 ただし、独裁的改革とならないためにも、民主主義の

精神を尊重すべきであろう。

 すなわち、建設的な討論を尽くして、納得を得た決定

とすることである。


 討論とは、誹謗中傷し、ごり押しするためにあるので

はない。

 限られた時間内に問題点を出し、知恵を出し、理解と

納得の最大限を追求するのが討論なのである。

 

 しかして日本国民よ、新文明を起こそうではないか!

           


 subunroco 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 津屋浜の  鏡が浦に  秋日光り           馬糞

2005年11月20日 16時32分12秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 津屋崎の  鏡が浦に  秋日照り 


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 玄界灘は遠浅の浜を豊かに擁する美しい海である。

 その中でも、津屋崎の浜は神聖にして美しい。

 

 宮地嶽神社からまっすぐに伸びる海の参道は、大島村

の中津宮を経て、海の正倉院といわれる沖ノ島に至る道

なのであろうか。

 神を祀るやぐらが湾の奥に建てられている。

 宮地嶽神社の起源はわからないが、おそらくは大和の

国の日向王(卑弥呼)以前に遡るのではないかと思っ

ている。

 

 宮地嶽の由来に、息長足比売命(神功皇后)が三韓征

伐に出陣るときに戦勝を祈願した地であることが記さ

れている。

 熊襲を助けて大和の調和をかく乱していた新羅朝鮮を

玄界灘ののような海に見据えて祈願したであろう。

 

 息長足比売命(神功皇后)の姿が目に浮かぶ。

 まさに、津屋崎の遠浅の海は、三種の神器の鏡のよう

に神聖でしく感じられるのである。

 

 現代の憂いは、神聖の実在を忘れた傲慢と堕落に起因

すると思う。

 女性の神聖を見失い、男の神聖を見失った者たちが闇

にまぎれ悪魔の罠というべき「ジェンダーフリー」の

毒を、まずは子供たちに注いでいるのである。

 

 狂気としか思えない醜悪なセックスの方法を小学生に

とくとくとして教えている日教組の教師がいる。

 それを見たら親は激怒するに違いない。

 校長は何を監督しているのか・・・

 即刻懲戒解雇すべき国賊である。

 

 国を建てる基は、神を信じて仰ぐ畏敬の念、神聖なる

精神ではないだろうか。

 人が支配する政治は力による政治となる。

 神意を仰ぐという謙虚は、政治のみならず、人生の基

本ではないのか。


 これを忘れるとき、人間の世俗的欲望による堕落が始

まる。

 その最初は、性の秩序が乱れ、女性が女性らしさ見失

うことになる。 

 そのようなことを、小学校の公務員教員が行っている

とは、何とひどい荒廃ぶりである。

 

 国家は家庭から崩壊する。家庭の崩壊は、女性の男性

化、男性女性化というジェンダーフリー現象に起因す

ることを警戒しなければならない。

 

 

  J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 黄金の夫婦竜・・・ パンセ考  

2005年11月11日 11時11分05秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

   アキアカネ  黄金の竜の  雲を追い 

     馬糞 Bafun

 

 

 

 

                

  暁の空は啓示板

 雲が神々しく、今日の初日に輝いている。

 黄金の雲が、夫婦竜のように、東の空を渡っゆく。 

 人は一対、そのように数えられたいものである。 

 

 【パスカルのパンセについて】

 『人は一人で死んでゆく。ゆえに、人は一人である

のようにきなければならない』。


 パスカルの「パンセ」に書かれた一節は少しかっこい

いこともあって、学生時代の未熟な心に一種の諦観を刻

んだかもしれない。

 

 確かに、人生はその目的が死であるかのように死に至

る。

 死とは何か。

 これが問題だ。

 

 人は一人では生きていない。

 人は人間関係として生きている。

 それなのに、一人であるかのようにとはどういう意味か。

 

 死んでしまうと、個人の意識としては無に帰するとい

うなら、いったい生きていることに何の意味があるのだ

ろうかと自問自答していた。


 天空に輝く無数の天体も何万光年も離れているのであ

れば、届かないその星を見ることにいったい何の意味が

あるのだろうかとも思いつつ、星を見ていたこともあっ

た。 

 

 確かに、他人の心は思い通りにはならない。

 期待をすれば裏切られる。

 孤独であると言い聞かせればその分、楽ではあるが、

 孤独な人生に何の実りがあるだろうか。

 枯葉の秋は、収穫の秋でもあるのだ。 

 

 孤独という定義は真実に反する。

 なぜなら、人は、一人では生まれてこない。

 父と母のドラマがある。

 母の苦しみと喜びがあり、父の感動と責任がある。

 そもそも、男と女がいること自体、他人を予定して人

が作られていることを意味する。

 

 死ぬときは、自己責任の人生を問われるが、その人生

は他人の在なしには語れない人間関係のドラマではな

いか。 

 

 死後の世界は神秘のベールにかすんではいるが、死後

の世界導く縁者がおり、やがて霊界での社会生活が始

まるのである。

 魂の兄弟がおり、仲間がおり、出会いもある。

 

 すなわち、存在とは無常ではあるが永遠であるのだ。

 

 それを知っただけでも、自殺という無への願望の過ち

を悟るでろう。

 死ぬことが無に帰することを意味しないなら、

 自殺をしても、死後もなお自殺の状況は継続すること

を意味する。

 場所を変えて、更なる自己責任を問われることになる

のだ。

 
 死後に問われる自己責任とは何か。
 

 借金を払えないことではない。

 倒産したという敗戦でもない。


 自殺するという『逃避』の罪である。

 さらには恨みであり、失望である。

 自ら土俵を割るやる気のない力士を人々はどう思うだ

ろうか。

 

 21世紀に突入して5年余になる。

 文明転換の端境期に生きているのである。

 1万年続いた知性の文明が終焉を迎え、新たな文明草創

の時代入っているのだ。

 

 多くの奇跡とも思えることが連続することであろう。

 そうした変改の時代にあっても、帰るべき原点がある。

 変化の時代には原点回帰が大切である。

 

 知性の文明がなぜ終わったのか。

 その自己責任とは何か、反省しなければならない。

 何を何のために知ろうとしたのか。

 その知性が、人間中心主義、脳みそ中心主義に陥って

しまったとに死因があったのではないか。

 

 立花隆とかいう「知の巨人」を気取った長崎出身の

「偉大な思想家」もその一人であろう。

 唯物論の袋小路施工者が偉大であるわけがないではな

いか。

 それをありがたがっている愚かな放送局NHK。

 これを公共放送というなかれ。

 罪作りなことである。

 

 やはり、人は一人で死んでゆくのではない。

 人間関係を、この世からあの世にシフトするというこ

とである。

 

 この世にあって、せめて、夫婦の縁は大切にしたいも

のだ。 

 離婚率40%超の日本・・・。


 

  喝!!!                            JD.Subunroco.

 

 

 

 

 

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+ 歌姫よ・・・ 自治の精神は独立九州の精神にある

2005年11月03日 20時10分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

                                  

                        宮崎出身の歌姫黒澤ミキさん

 

 歌姫よ  博多の秋の  天照らせ

   馬糞 Bafun

 

 

        

 

 

 福岡の異業種交流パーティーで、黒澤ミキさんの歌を

聞いた。

 カーペンターズナンバーを歌っていたが、すばらしか

った。

 宮崎でライブ活動をしていたが、メジャーになりたい

と福岡に出てきたのだという。

 声質は、美空ひばりを思わせる。

 中洲のメンバーズ・サラというクラブで歌っているそ

うである。

 来年は、アメリカに行こうかと考えているともいう。


 九州国では歌姫を育て、活躍させることができないの

かと、残念だった。

  

 

 

 

 

 九州は日本文明発祥の国である 

 九州文明のルーツは、今から一万五千年ほど前に海没

したといわれるムー文明の流れを汲む。

 太陽の文明というべきものである。


 太陽の光をエネルギーとして実用し、かつ、太陽を神

の化身として、人もまた太陽のごとく、人々の心を照ら

せという教えを根本に持っていた。

 学芸、武道、そして心の鍛錬をして人格の向上を目指

す文明であったという。


 文明とは天意を汲む政治、天意を受けて自助努力する

人生観、与えることを幸福と考える価値観をその本質に

持っている。

 その文明が没落するのは、感謝を忘れ、傲慢と弱肉強

食に堕落したときである。

 それは、神を否定する人間至上主義に他ならない。

 科学が、自助努力と与える愛を説く神をないがしろに

するとき、文明は闇を招き、自滅する。

 

 果たして日本文明はどうなのか。

 その原点にある九州文明はどうなのか・・・。

 

 九州やまとの国は、太陽の文明を原点に持つ。

 九州の男は向上心をもって文武両道に優れる。

 九州の女はまさに天照す明るさと優しさを持っている。

 それが九州の誇りであった。

 伝統を見失うとき、社会はまた一からやり直すべき試

練に立たされることになる。

 

 これからやらなければならないことは、国づくりであ

る。

 独立・九州国の建国である。

 それが、自治の精神でもあるはずである。

 

 待望される歌姫とは、天照歌姫、時代を照らす歌姫、

よきことを招かんとする歌姫、神を賛美する歌姫である。

 そのような高貴な歌姫を、誰が放っておくものか。

 

 アーティストを志すものは、その天命に感じてうたっ

てほしいものである。


 J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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