すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 蝶、羽を干す・・・ 環境問題から新しい防衛構想まで

2007年05月30日 07時40分30秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

  さみだれや  モンシロチョウの  羽安め

          馬糞 Bafun

 

 

  

  お花畑には蝶がつきものである。蝶の羽音で花は安

らぎ、野山に初夏が生まれる。

 蝶といえば、モンシロチョウだ。

 珍しくもないが、春に桜、初夏にモンシロ、季節の神

の化身のように、やまとの国を光の国にしてくれるので

ある。

 紋付の白い羽を広げて日に干している姿は持統天皇の

歌、「春過ぎて 夏来るらし白妙の 衣干したり 天の香

具山」の情景のようである。

 

 

 

 

 

 《環境問題にみる日本の時代》

 南極のペンギンが氷の上をよちよちとあるいていたと

ころ、足元がシャーベットになって、頭からポシャッと落

ちた。

 その様子があまりにも滑稽で大笑いだった。

 だが、地球温暖化の影響は深刻だという。


 原因は、大量の二酸化炭素の蓄積だと言う。

 但し、その証明はない。

 仮に、それが本当なら、解決の方法は、人口を減らし、

産業活動を低減してエネルギー消費を節約し、燃料に頼

ないエネルギーが開発されるまで、息を潜めて暮らす

ほかない。

 

 安部総理は、G8の議場で、2050年までに、CO2

を半減する提案を発表するという。

 環境問題を解決する技術力は、日本に依存する。

 日本の時代とならざるを得ない事情がここにある。


 最大の戦略は、原油に依存しないエネルギーの開発と、

経済・産業活動の規制である。


 核分裂によらない、容易に核融合が得られるような物

質の発見、あるいは、水素原子を使った核融合の実用実

験に予算をつぎ込むことである。

 それが、結果的には人類の進化につながるのかもしれ

ない。

 

自衛隊のあり方に発想の転換を

 自衛隊のあり方にも発想の転換が必要ではないか。

 テロ対策や銃撃戦に備える訓練部隊も必要だが、文化

的防衛戦略が必要なのではないかということである。

 もちろん、防衛戦力の更なる充実は欠かせない。

 日本独自の戦力としては、ロボット戦力である。

 宇宙ステーションを使ったミサイル装置もその一つで

ある。


 しかし、さらに重要な防衛戦略は、他国からの尊敬で

あり、師として仰がれる国となることである。

 留学生の受け入れも、戦略として軍事予算から出して

良い。

 こういうものを含めた国防予算は少なくとも8兆円程

は割り当てるべきであろう。

 国費の10%程度である。


 外交と国防は一体である。

 だからこそ、議員数を減らして意思決定を円滑にし、

公務員の数を減らして減税し、産業を活性化する必要が

あるのである。

 公費から支給される公務員人件費を現在の50%以

抑えることだ。

 公務員リストラ法をつくれば、社会保険庁問題も解決

する。

 人を変えなければ組織は変わらない。

 彼らは十分に甘い汁を吸ってきた。

 害虫は駆除するべきである。

 

 

 

 

新・国際戦略とイラク問題

 そのように考えれば、自衛隊を無理してたくさん集

る必要はない。

 優秀な技術者、戦略者、情報部員、国際貢献部隊、そ

うしたところを中心に備えればよい。

 軍隊の観念を転換するべきである。

 もはや、生命を奪い合う戦争の世紀は終わったのであ

る。


 イラクは・・・、アメリカは適任ではない。

 イラクの復興は、イスラム教国にまかせるべきではな

いか。

 日本がその指導をしてもよい。但し、自衛隊ではない。

 求められる智慧と技術を支援すればよい。

 農業を復興し、イラク観光を復興し、教育を復興し、

イスラムスポーツを復興するのだ。


 戦争は時代遅れだと大いに宣伝することだ。

 テロはアラーの神も許してはいないと。


 環境問題が、新しい防衛論、イラク復興論に展開し

しまったが、国際指導力を発揮することが日本の責務

あるということである。

 そのための国防予算を組むべきである。

 アメリカ型の戦力に追随して大金を浪費すべきではな

い。

 

 

     


                    Bafun 

 

 

 

 

 

                                           

  

 

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+ サファイア紫のあざみ・・・ 平成農地改革論  農業自由化から、土地所有制度改革へ 

2007年05月27日 15時19分25秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 サファイアに 風紫の アザミかな 

       馬糞 Bafun

 

  

 

  紅花が咲く季節だという。

 紅花といえば山形である。

 山形は上山温泉の友人が亡くなってからは、かつてな

く遠い所になった。

 まだ、見たこともない花笠祭りの花が紅花である。

 紅花は、ふと悲しくなる東北のアザミである。
 

 

   

 

 

農業・農産物の自由化から、土地所有制度の変革へ


 農産物の自由化とは、関税をなしにしようということ

であるが、農業の自由化とは、農家への補助金や特別の

保護政策を無しにして、農地再分配を容易にすることで

ある。

 やる気のある人に農業ベンチャーの機会を与えようと

いうことである。

 

 自民党も民主党も、農業の自由化には反対している。

 補助金を出そうという。

 一体、なんのための輸入自由化なのか。

 

 身分制が撤廃され、農地改革で土地を分け与えて、さ

らに農家保護政策を続けてきた差別を変だとは思わない

のか。

 農業の政策課題は、農地確保である。

 農地を勝手に目的変更し、あるいは遊ばせることを禁

止することである。

 金のかかることではない。

 

 自由化は、創意工夫して価値を高めることである。

 輸入自由化をすると、離農する者が出る。

 それは、農業再生のチャンスを生むであろう。

 離農を推進すべきである。

 それが、発展的競争社会のルールでもある。


 そして、農業を楽しみとし、農業で起業しようとする

者に分け与えると良い。

 平成の農地改革である。

  

 


 

 

 農地とは、原則として農業以外での収益をしてはなら

ない土地である。

 農地を宅地化するときは、許可と宅地化課徴金を負荷

する必要がある。

 宅地として土地購入するのと同等の公平制度である。

 

 農家を特権階級とすることは、身分制度を廃止した平

等原則の根源に抵触することである。

 新憲法制定の項目として、土地所有制度の改訂が重要

項目としてある。


 そもそも、土地所有は、独占権ではなく、利用権でな

ければならない。

 もともと、物権の本質は、排他的な支配権ではなく、

排他的な利用権であるべきなのである。

 所有権の由来は特殊である。

 近代市民革命に始まる歴史的産物というべきなのだ。


 

 今後、公有地については、従来の所有権の対象から除

外し、民間に譲渡するときは、新しい土地利用権ないし、

地上権として譲渡するべきである。

 このようにして、土地所有制度を薄めてゆくことを提

案する。


 しかる後に、所有権を廃止し、地上権化することだ。

 これは、私が独裁者ならば、命令である。

 所有権こそは、土地を荒廃させる20世紀最悪の財産

権である。

 まさに、自己中心の支配権に堕してしまった。

 

 所有権から活用権に!

 財産権の本質は変わらなければならない。

 まして、土地は、人間の生産物ではないのだから。

 

                          梅士 Baishi

  

                      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 女神の峰のミヤマキリシマ・・・ 新しい国の形草案  

2007年05月26日 06時36分06秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 天照す  女神の峰に  ミヤマ咲き  

     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 誇り高き九州の高天原は、高千穂なる霊峰、霧島、

阿蘇、九重、由布の山々を連ねて、その豊かな稜線に高

山つつじ、ミヤマキリシマを高貴に咲かせている。

 九州を、高貴な国としたいものである。

 新しい日本のために。 

 

 

九州国・選挙制度、教育基本、等の構想

1. 立憲女王制

 九州から日本国独立運動を起こす。

 立憲女王国とする。

 女系国家である。


 女王は、国家の統一を象徴する人格的ブランドである。

 女王は、政治的決定をしないが、公布をする。

 政治的決定は、議会制民主主義による。

 各地から、女王となるべき者を選出し、以後は女王の

系から女王を定める。

 直系がないときは、女王が後継を指名する。

 

 地方自治を廃止し、伝統的一体性を考慮しながら中央

政府の行政区を定める。

 行政区を選挙区とする。

 

 国家の初代女王は、シャーマンに相応しい素質のある

者を選出し、周知させたうえで、統一選挙で定める。

 選挙権は、兵役を務めた教養ある愛国者に与える。

 納税の比率により、複数の投票価値を与える。


 女王は終身制であるが、その意思により、後継を指

することができる。

 

 


 

 

2. 立憲民主主義

 独立憲法を定める。

 憲法は、国家の調和と発展の基本精神および、統治の

基本精を定める。


 憲法改正は、議会定数の過半数の発議により、国民投

票の総数の過半数で決議する。

 正当な理由なく投票しなかった者は、その投票権を失

権させる。


 軍隊を置き、日本国統一軍としてその指揮下に入る。

 憲法は、聖徳太子十七条憲法を伝統憲法として認める。

3. マスコミの報道責任の厳格化

 マスコミの番組は、番組の制作者(ディレクター、記

者、編集者等の表現責任者)の名前を公表して放送しな

ければならない。

 新聞もまた、同じである。


 選挙権のないものは、マスコミ報道、番組制作、出演

に関わってはならない。

 不適切な報道については、審議委員会を議会に設け、

報道責任、表現責任を追及する。


 刑事罰については別途定める。

 

 

 

 

4. 教育基本制度

 義務教育については、学校を公費で設立し、教職員は

公務員とはしない。


 教育の目的は、選挙民の育成を一義とする。

 教育科目は、選挙民となるために必要な、倫理道徳・

宗教、国史、憲法・刑事法・民法などの基本法律学、政

治、宗教、体育、国語、数学、を必修科目とし、議会の

教育戦略室において、ガイドラインを策定する。

 

 宗教は、自助努力、転生輪廻、心の毒、反省の大切さ

と方法、人間関係調和の法、発展の法などを基本的内容

とする。


 また、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教などの世

界宗教をはじめ、異文化の理解を深める。


 体育教育の目的は、生涯スポーツの基礎としての楽し

さと、健康体力、発展と調和のある競争社会の基本精神

として、スポーツマンシップ教育を充実する。

 教員は、体育教育の専門的能力を有し、かつ、他の学

科についても教える文武両道の教員でなければならない。


 スポーツの内容としては、伝統武道ないし、護身術の

指導を含める。

 民間設立学校であっても、二年以上の教育カリキュラ

ムと授業実施をする学校としての事業である限り、広く

学校法人として、教育推進の便宜を享受する。 

 

 

 

 


6. 財政基本

 納税額は、名目の如何を問わず、公務所が強制して徴

収するものを言い、その額は、収入の一割を超えてはな

らない。 


 但し、風俗営業、暴力団の指定を受けた団体およびそ

の構成員については、売上金の20%を課徴徴税する。

 指定に意義があるときは、裁判所に異議を申し立てる

ことができる。

 予算単年制は廃止する。公務所も貯蓄と資産運用に努

めなければならない。


 低所得者対策の福祉事業は、基本的に雇用促進と最低

賃金法による。

 企業は、雇用責任を果たすために、付加価値の高い商

品開発等、経営努力に努めなければならない。


 企業の本質は、公益経済事業であり、雇用と消費の必

要を満たす責任を負担する。


 公務所は、企業活動促進のために便宜を提供しなけれ

ばならない。


 赤字企業は、国家コンサルティング組合の指導を受け

ることができる。

 但し、経営者の交代などの勧告を受けることがある。

 コンサルティングの対価は、事業の成功報酬として、

分割納付することができる。

 

 

 


7. 都市計画の基本

 都市の緑化、効率化、美化を基本政策課題とする。

 家屋の緑化を建築基準として採用する。

 都心部の建築物の高層化をすすめ、体育施設、高齢者

住宅なども、都心部に配置する政策を進める。


 道路の整備は、水はけのよい素材を用い、緑化の妨げ

とならない配慮を行う。

 駐車、駐輪のスペースを備えた道路建設を進める。



 必要な土地収用は、強制収用による。

 土地所有制度は、都市計画推進の妨げとならないよう

に別途定める。

  土地所有権は、利用権とする。


 エネルギー供給は、国策会社によって事業推進するこ

とができる。

  新エネルギーの開発と、発電設備の多重化、地域分散

化を推進する。

 

 ・・・ 本日は、このあたりで馬糞切れです。

 

 みなさん、新しい国の形を提案しましょう。

 もう、公務員社会主義、マスコミ独裁主義はいやで

す。                                                                                                                   

                                                                                                       

梅士 Baishi

                             

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 桜子の初夏・・・ 高校野球特待生問題とスポーツマンシップ

2007年05月21日 22時58分47秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 桜子の  小さき姫が  葉傘さし 

   馬糞 Bafun 

 

 

 

 

  小満という季節である。

 木々はどの木も枝いっぱいに新鮮な葉っぱを広げて、光を深呼

吸している。

 葉を重ねて日差しに緑の濃淡をつけている葉桜もまた、初夏の

趣である。

 その葉っぱを日傘にして、かわいらしいさくらんぼが赤く染まっ

ていた。

 


  散る桜は男の潔さであるが、その後に育つさくらんぼは、坊主と

 

いうより、桜子というべき小さな女の子たちのようである。

 

 

 

 

 

高校野球特待生問題

 高校野球といえば、爽やかな甲子園野球を思い浮かべる。

 何が爽やかなのかというと、まだ幼さの残る選手たちが、必死に

全力で戦う姿に感動するのである。

 


 礼に始まり、泣きながらも礼に終わる。 

 負けても声援を送りたくなる。 

 そこに、「スポーツマンシップ」を感じるのではないか。 

 

 ところが、特待生問題で、高校野球の真髄が問われている。

 高校野球連盟憲章 「選手または部員であることを理由として、

学費、生活費その他の金品を受けることができない」という条項

違反の責任を厳しく問われた問題である。

 

 いわゆる「裏金問題」で公式戦出場辞退、野球部解散などの処 

分が予想以上に広がった。

 選手たちにとっては不意打ちであり、動揺も大きかろう。

 今年の夏の甲子園は、総崩れという印象でもある。

 

 

特待生問題の本質はスポーツマンシップにある

 

 高野連憲章の狙いは、三つあるであろう。

 1. 教育的見地からの、文武両道の精神。

 2. スポーツマンシップからの利権抑制。

 3. プロ野球の金権主義的選手争奪戦の抑制。

 

 今回は、簡潔に要点を書く。

 「野球さえうまくなれば、プロ野球で活躍できる」というのでは、偏っ

た人間になる。

 野球だけではない。

 勉強ができなくてもよいという風潮があるのは事実であり、大学

も推薦や特待生として、学力問題を避けているが、これは文武両

道の精神に反している。

 

 スポーツマンは勉強が苦手では困る。

 本来、スポーツマンは、頭が良いはずなのだ。

 そのようなスポーツ文化をめざしてこそ、スポーツ本来の教育効

果を発揮することができる。

 


 スポーツこそは、本来の健全な競争社会のあり方を世に示すべ

 

き使命があるのである。 

 

 スポーツマンシップの本質は、競争のルールとしてのスポーツ

倫理・道徳を意味する。ゆえに教育が必要である。道としてのスポー

ツである。

 武道は、スポーツマンシップの真髄を伝統とする、世界に誇るべ

きスポーツ文化の最高峰である。

 

 利権が絡むと倫理道徳が失われるというのでは、企業倫理も問

うことはできなくなるであろう。

 プロの世界にこそ、倫理・道徳は厳しく問われるべきものである。

 それも教育である。

 

 プロ野球そのもが、拝金主義的選手争奪戦を反省するべきであ

るのだ。

 選手には、容易に買収されるようでは恥ずかしいということを教

育しなければならない。

 それが、スポーツ指導者の責務である。

 

 今回の問題提起は、高野連の憲章を反省すべきと同時に、ス

ポーツの精神である、スポーツマンシップとは何か、また、プロス

ポーツはいかにあるべきかについて、重大な問題提起をしてくれた。

 そのことを、感謝すべきであろう。 

 

    Bafun 

 

 (参考HP)

 http://number.goo.ne.jp/baseball/npb/geppo/20070516-2-1.html

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070418/shc070418001.htm

 

 

                            

 

   Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ ゆで蛙・・・ 不採算から飛び出せ! 

2007年05月19日 19時45分21秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 野いちごの あかき子供の 頃のこと


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 野いちごが赤い実をつけて、「昔の子供たち」を楽しませ

てくれる季節になった。


 「今どきの子供」は野いちご摘みを楽しむということもない

だろう。

 可哀想というか、自分の子供時代が幸せだったと感じさせ

てくれるのが、野いちごの赤い実であった。

 

 もったいなくて、そのままにとも思ったが、「昔の子供」に食

べられるというのも、野いちごにとっては本望ではないか。

 そう思って、三粒のイチゴをいただいた。

 そのうちの二粒は、年老いた両親の口にも懐かしい味を広

げてくれた。


 みずみずしい、宝石のような野いちごであることよ。

 

 

 

 

 

 

 

ゆで蛙

  五月も中旬になると、田んぼには水が張られ、蛙たちが

一斉に合唱を始めたことであろう。


 蛙の合唱は「6番田園」というべきかも知れない。

 その蛙をとろ火の鍋に水から入れておくと、いい湯加減を

過ぎても、その緩やかな変化が致命的な変化であることに

気付かないまま、ゆであがってしまうのだそうである。


 激動の時代とはいっても、日々の生活感覚からすれば、

習慣化する緩やかな変化に過ぎない。


 そして、死は突然にやってくるのである。

 やはり、激動であるのだ。

 

 ゆで蛙の心理は、その場しのぎですまそうとする問題先送

りの優柔不断と事なかれ主義と言えるであろう。


 先進性に欠けているのである。

 自己保身の心理であり、使命感が弱いともいえる。

 

 企業は、多かれ少なかれ、従来の花形だった不採算部門

をどうするか、という経営問題にぶつかっている。

 

 人々が何を求めているかではなく、何を求めるべきかを教

えてやらなくてはならない。


 資本主義から個性を資源とする経済主義に変換すると考

えれば、個性を生かす技術や経営の手法を提供しなければ

ならない。


 消費財の提供から、手工業的生産財の提供に転換しなけ

ればならない。

 副業的であっても、自分の作品を生産し販売するところに、

オリジナルな未来が粘土細工のように形作られてくるのでは

ないか。

 小さな、ベンチャーの時代が、消費ニーズの中にも芽生え

ているはずである。

 

 長い不況だったが、悪いことばかりではない。

 逆境は、人間を鍛えるものである。

 そこに育ちつつあるものは、自立心ではないだろうか。


 何とかしてくれるはずの国、自治体、企業、親でさえも頼

りにならなくなってきた。

 もはや、自立するしかない。


 そのとき、自立独立の方向性には、サラリーマンにはない

希望があることに気付き始めた若者たちがいる。

 個性を生業とすることが、夢中になれる楽しい仕事のビジョ

ンであることに気付くのである。

 

 自立しようとしている人に何が必要であるか、これを考案

することが、ビジネス教育の使命である。


 花形から不採算に陥ったということは、一代の役割が終わ

り、自己変革が求められているということである。

 ゆで蛙になる前に飛び出して、楽しい

未来を描いてみよう

ではないか。

                              Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ この世に生まれてきた理由・・・ 母の日に

2007年05月13日 13時45分06秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 母の日の  感謝も遠き  町に住み

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 母に日はいつも心苦しい。

 かつては、司法試験短答式試験の日が母の日だった。

 合格したときはうれしかったが、結局は果たせなかった。


 五月の風の微妙な肌寒さと、日差しのまぶしさが切ない日で

あった。

 今となっても、母の日になすべきことを知らない。

 庭の赤いバラに感謝の気持ちを託すことにしよう。

 

 

この世に生まれてきた意味》 

 偶然この世に生み出され、投げ出された孤独な存在という人

間観(実存主義)が芸術を気取り、哲学を気取っているが、その

論理的帰結は無頼の人生観にほかならない。


 その自然な帰結として、自己中心という倫理に反する人生観

を提供している。

 唯物論の信条でもある。

 

この世に生まれてきた意味などあろうはずがないという根無し

草の人生観である。

 享楽的な人生であってよいということでもある。

 

 偶然生まれたという人生観に立てば、母の日を祝いたい人ば

かりではない。

 

 「なんで、勝手に自分を生んでくれたのか」と逆恨みする子

に返す言葉もあるまい。


 偶然ということに、約束のあろうはずもない。

 自己都合が根拠もなく連鎖する人生、それが、実存主義の人

生観である。

 これに自分勝手な理由をつけるあつかましい「哲学者」や「芸

術家」が多い。

 それが現代であろう。


 まさに、邪見(間違った考え方)の徒が暗躍しているのである。


 

 存在にはすべて理由があり、目的がある。

 生まれてきたことにも自己責任がある。

 あの世からこの世に生まれるにあたっては、母と子の約束が

あってのことである。

 お願いして生んでもらったのである。

 だから、生まれてきただけでも、母に感謝しなければならない。

 母は、約束を守ったのであるから。

 転生輪廻の目的は、魂の修行にある。

 わずか、数十年の人生で完結できようはずもなく、天国に行っ

て終わり、地獄に落ちて終わりというのでは希望もない。

 それは不合理である。

 

 おもえば、不思議なことである。

 気宇壮大な多次元宇宙であることよと感心する。

 生命の永遠性にありがたいと感謝する。



 失敗先行型の人生であったが、来世につながる仕込みのため

に残りの人生を努力する意義がある。

 実にありがたい。


 何がありがたいのかというと、認識が広がり、成功体験を積み

上げてゆくことができるということである。


 

失敗は成功を知る重要なヒントであり、成功は真理を知る

手がかりである。


 この世に生まれてきた目的は、魂の学習、進化のためで

ある。

 
そのための課題は、試練という形で与えられる。

 「人生は一冊の問題集」というのはそうした真理を見事に語る

悟りの言葉である。

 だから、試練から逃げてはいけない。

 大変だと思う苦手意識に惑わされてはならない。

 そう思える所にこそ、人生の宝物が埋もれているのである。

 そう考えると、人生とは、宝探しのようなものではないか。

 他人が取って代わることのできないのが人生の試練である。

 そこに、格差などあろうはずがない。

 貧しさに苦しんでいるのであれば、そこに宝物が埋もれている。

 苦の原因が、臆病であったり、傲慢であったり、怠慢であった

りするのだ。

 貧苦と思うなら、そこに試練がある。

 

 苦にならないが、裕福ではないとすれば、金持ちになるべき必

然性がないからなのであろう。

 金持ちになることが、自分の人生の宝探しに合理的関連性を

持たないからであろう。


 この世の人生に居心地のよさを求めてはならない。

 あの世に帰れば、地獄に落ちない限り、居心地の良い人生が

まっているのだから。


 この世は、修行をすること、トレーニングをして強くなることに本

来の目的がある。

 たまに、一休みする居心地があればよい。

 

 これに対して、救世主は大変である。

 修行というより、人類救済をすることに目的責任があるのだから。

 まさに苦杯である。

 だれが望んで救世主の人生を求めるだろうか。

 そのような方が、かつての仏陀であり、イエスキリストであった。

 孔子様であり、科学の世界ではアルキメデスでありニュートンで

あった。


 母に感謝をし、仏神に感謝を捧げたい。

                               Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 立夏の動輪・・・ 新生倫理 序論 

2007年05月13日 10時31分00秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


 蛙らも   忙しくなり   夏は来ぬ

    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 (5月6日)

 今日は立夏。

 いよいよ、夏が始まる。

  蛙たちも、田植え準備が始まった田んぼで、忙しく鳴き始めるのであ

ろう。

 蛍が舞い始め、蝶や、トンボももうすぐ舞い始める。

 

 忙しくなるのは蛙ばかりではない。

 連休が終わり、いよいよ動輪が高速回転を始める。

 その最終調整なくしては、明日を迎えることができない。

 機関車のように、もくもくと煙を吐き、ボイラーの圧力を高め、最終

点検をしなければならない。

 

 さあ、汽笛を鳴らせ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最新倫理 序論 

1. 倫理道徳とは、やる気の原理である

・・・ 新しい時代の責任こそが、仕事であり、人の道である。

 

 いつの時代にも、チャンスは逆境の顔をしてやって来る。

 逆境に立ち向かう精神とは、修行の精神である。

 私利私欲ではない。

 そこに成功哲学としての道徳がある。


 

2. 新しい時代の倫理道徳

    『自己中心の戒め』

    『
嫉妬の合理化の戒め』

    『人生修行の精神』



 新しい時代が始まっている。

 戦後の空腹は満たされた。

 使命に目覚めて自分の人生を開拓できる時代である。

 20世紀までのゲームは終わった。

 新しいルールで、新しいゲームが始まった。

 20世紀型戦争ゲームが、楽しくなくなったのである。

 
 20世紀は団体ゲームだった。

 21世紀は、個性と多様性を競い合うゲームである。

 登場人物がたくさん出て、新しいドラマを展開する時代である。



 「物から心へ」

 「規格大量生産から消費者企画型・多品種少量生産へ」

 「所有者中心主義から利用者中心主義へ」

 「大衆から個性へ」

 個性の時代に求められる倫理道徳とは、自己中心への戒めであ

る。

 「格差社会」という嫉妬を跳ね飛ばす人生修行の精神である。

 『自己中心』と『嫉妬の合理化』が現代の悪魔の本質であり、最も

戒められるべき『邪見』である。

 邪見を原因として結果するものは、禍であり、不幸である。


 

  

3. 目覚めの原理・・・ 善因善果・悪因悪果の法則

 原因結果の法則からは逃れられない。

 「天知る、地知る、子知る、我も知る」という四知の意味するところ

でもある。

 善悪の基準は何か。

 善悪は、人間関係として現れる。

 人間関係の不調和をもたらす自己中心の思いと行いが悪に他なら

ない。

 逆に、人間関係に発展と調和と感謝をもたらす思いと行いが善で

ある。

 自己中心こそは悪の根源である。

 なぜならば、自己中心の思いは、他人を排斥し、害する原因だか

らである。

 結局は自分をも害する所行に堕落する。



 人を殺すな

 人を傷つけるな

 盗むな

 ふしだらな男女関係(不倫)をするな

 嘘をつくな

 自己中心は、人間関係の調和を乱す禍である。

 自己中心の欲から離れるべし。

 自己優先の欲は禍に優先される。

 

 
 善とは、利自即利他である。
 

 愛と慈悲の心で、福の浪費を惜しみ(惜福)

  福を感謝奉納し(植福)

 福を他人に分け与えること(分福)
 
 福を育て、提供し、分け与え、無駄遣いをしない。

 それが、この世の人生の偉業となってゆく。

 

 

4. 修行の原理・・・ 苦の思想と転生輪廻の人生観

 この世は、自分の思い通りにはならない。

 四苦八苦は避けがたい。

 しかし、その原因は、間違った価値観にある。

 肉体人間が自分だと錯覚すること。

 この世限りの人生だと勝手に思い込むこと。

 そのために、自己中心になり、努力を厭うようになる。

 人生は永遠の修行である。

 そのために転生輪廻しているのが人間である。

 だから、人生は一冊の問題集といわれる。 

 


5. 嫉妬が自助努力を阻害する


 修行の邪魔をするのが、嫉妬である。

 「格差社会」がいけないと喧伝されているが、巧妙な嫉妬の合理

化にほかならない。

 「差」という考え方そのものが、個性を否定し、自助努力を否定して

いるのではないか。



 かつて、「バブル経済」批判が喧伝されて、年間3万人を超える自

殺者を出し続ける長期不況の原因も、「格差社会」批判論であった。

 やっと、デフレ脱却の光明が見えてきたら、またぞろ「格差社会」

批判が台頭している。


 現代の悪魔たちをよく見ておくがよい。

 悪魔は反省できないものである。

 
 愛と智慧と反省から発展をめざすこと。

 「貧富の差」という嫉妬心を反省すること。



 これが、道徳のエッセンスであろう。

                            梅士 Baishi 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 青春の青梅・・・ 福岡市役所を人工島に移転せよ  《公設民営化・革命論》

2007年05月11日 12時13分32秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


 青春と 言うほど青き 青梅かな

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 冷たいの早春の風も、気高い紅梅白梅も、忘れて久しかった。

 桜の花も久しく、すっかり緑の葉が茂っている。

 振り返ることもなかった梅の木だったが、青梅をたくさんつけて

いた。


 あの花が・・・。

 

 武士の花ともいうべき気高い梅の花だったが、実をつけた東公園

の梅に近寄ってきたのは、あつかましい「おばさん」連中だった。

 棒で梅の枝を叩きつけて実を落とし、あらかた持ち去ったらしい。

 

 ああ、気高き梅の花よ、その青春よ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

公設民営化・革命論


 公務員の弊害は目に余る。

 もはやアンシャンレジームというべき公務員社会主義政体の弊害

である。

 ざっくりとリストラ革命しなければならない。

 

 かつての武士は貧しくも高潔であった。

 だからこそ、維新革命の原動力となったのである。

 しかし、現在の公務員に武士道はなく、公費を貪るばかりである。

 

 地位を保障して職務に専念すべき公務員は、軍隊、警察と、武士

道を心得た優秀な少数の公務員でよい。

 それ以外は、民間雇用の収益事業形態で十分である。

 人件費として節約できる金額は数十兆円規模になるであろう。

 しかも、仕事の質も効率もよくなる。


 

 これは革命であるから、新憲法を制定し、新生しなければならない。
 
 従来の公務員保護法は無効になる。

 革命主体は、安部内閣を中核とする自民党である。

 

 革命形式のメリットは、まず、公務員社会主義体制を廃止できるこ

とにある。

 行政公務員をリストラして新生させることができる。

 従来の社会主義的法体系を抜本的に変える方法である。

 何より、「日本国憲法」の呪縛を断ち切ることができる。

 

 行政公務の体制は、内閣府を中心とした少数で優秀な専門官に

調査企画させ、その実施は民間行政職員に処理させることである。

 民間行政職員は、業務上の守秘義務はあるが、公務員ではないか

ら、身分保障はない。

 契約と市場原理によって、職責を問われる。

 

 警察業務も、交通警察等は、民間警察に委託してよい。

 争いがあれば司法手続きが実質的に保証されれば正義公平を確

保できるはずである。

 

 地方自治行政を含めて、教職、社会保険業務、大学、税務、通常

交通取締り・・・こうした公務について、専門の派遣会社に業務委託

する形でも良い。 

 

 

福岡市役所は人工島プレハブ庁舎に移転せよ】

 たとえば、福岡市役所は、最も地価の高い天神のど真ん中にある。

 ごくつぶしというべき公務員のために無駄な仕事とスペースと公費

を浪費しているのである。

 音楽だ、国際交流だ、観光だと、民間企業の仕事のまねをして、

保護指導しているつもりでいるらしい。

 公務員同士が交流しているだけのことではないか。

 

 市役所前広場は、市民がイベントをするには格好の場所であり、

数少ないイベント広場でもある。

 ところが、市職員の判断で、一般市民、企業への貸し出しはしない。

 生涯スポーツ振興をテーマにしたイベントをしたいと申請したが、

「企業は、公益性がないし、一般に使用を許せば、収拾が付かなくな

る」というのが、不許可の理由だ。

 市の資産をくだらない市公務員企画のイベントにしか使えないの

が現実である。

 つまりは、公務員が市民の公益活動を妨げている。

 「市民」とは、「愚民」のことである。

 

 しかし、地方公務員の大半は、税金に巣食う「ごくつぶし」である。


 そこで、要求する。

 『市役所は天神に必要ない。人工島問題の責任をとって、プレハ

ブ庁舎に移転せよ。 跡地は、イベント広場と、体育館に改造して、

市民の情報交換と健康のために活用する。


 身分保障すべき公務は少ないから、市職員は三分の一に減らす。

 市長の最重要業務は、リストラ解雇と市の財政再建、市役所の縮

小移転であることを誓約せよ。』

 

 如何。

                               

                                    梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

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+ 菜の花鉄道・・・ 倫理道徳演習~ なぜ、自殺はいけないのか

2007年05月06日 19時32分32秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 鉄道に  沿う菜畑の  春走り   

   馬糞 Bafun 

 

 

  

 

 いつまでも春なのではない。

 咲き乱れた菜の花も、今は、三途のお花畑に帰ったこと

であろう。


 あの世に帰るとき、色とりどりの花畑の上を、風のように

渡ってゆくのだろうと思う。

 感動の風景である。


 春は去った。

 そして、力強い夏へと向かってゆく。

 この世の菜畑は、今は二宮金次郎を助けた菜種となっ

て、新緑の川辺に緑のさやをみなぎらせている。

 菜種のさやが、八十八と書き綴っているようにも見える。


 
 夏も近づく八十八夜、緑を楽しめる季節になった。

 

 

 

 

 

 

《倫理道徳・演習1》

  自殺はいけないことか。

  なぜいけないのか。

 子供たちにはどう教えたらよいのか。

 倫理道徳の授業として、あなたの見解を述べなさい。

 

① 年間三万人という異常な自殺者を出している日本。

 小学生までが「いじめ」を苦にした自殺をしている。

 法治主義さえ維持できない学校から、自殺を止める教育力が失われて久しい

ことである。

 それが、戦後日本教育のなれの果てである。

 だからこそ、教育改革は最重要の国家政策課題となっている。

 

② 子供たちを自殺にまで追いやる無秩序な学校に正常な法治主義を取り

す事は急務である。

 緊急には警察を入れてでも、安全に安心して学べる環境を確保する必要が

ある。

 学校に警察の関与を拒否すべき治外法権はない。

 学校の秩序を回復するためには、外部の視察、調査、監視を入れなければ

ならない。

 

 教師の質を改善するには、教師の人事に市場原理を入れることである。

 すなわち、公設民営化である。

 教職を公務員とすることは止めなければならない。

 問題のある大半の学校は、全員解雇の上、再雇用で選別して学校を作り変え

る必要がある。

 



 さらには、倫理道徳教育にも同時に着手しなければならない。

 人を殺すな、傷つけるな、盗むな、嘘をつくなということに加えて、自殺もまた、

人間として許されないことだという教育指導が必要である。

 

 

 

③ 自殺の目的は、苦しさから逃れるためと、自殺によっていじめ犯罪を訴え、

糾弾したいという思いがあるであろう。

 しかし、自殺は、そのいづれの手段としても許されない行為である。

 なぜか、これを教えなければならない。

 

④ この世の原理で説明するならば、自殺もまた、弱い自分を殺すという殺人

にほかならないという説明である。

 弱い者を殺すということは、自分もまた、いじめをする側と同じではないか。

 それは、卑怯である。

 

 しかし、それが、自分に対するいじめであり、殺人だとしても、死んだらその責

任を問われるべき自分が消えるとするならば、根本的な説明にはならないであ

ろう。

 家族が悲しみ、苦しむことになるとしても、それ以上に自分が切羽詰って苦し

いときには説得力に欠ける。

 まして、人間が偶然に生まれているなら、他人との関係も、家族との関係も、

偶然のものに過ぎない。

 所詮一人なのだという、孤独観を否定することはできないだろう。

 

⑤ 根源的な説明が必要である。

 人間がなぜ生まれてきて、何のために試練の人生に耐えて生き通さなければ

ならないのか、死んだらどこに去ってゆくのか。

 この根源的な問を避けては、倫理も道徳も、法さえもがその根拠を示すことが

できない。

 

 人はいづれ、全員が死ぬことになる。

 貧乏人も金持ちも、悪人も、善良な人間も最後は死ぬのである。

 人生の意義を問うてみても、その行き着く先が死であり、それが無を意味する

なら、人生の意義もまた、無に帰することになろう。

 ならば、面白おかしく生きたほうがよいという、享楽的な人生観を否定すること

はできないであろう。

 犯罪をおかしても、太く短く生きるさ、という考え方も成り立つではないか。

 

 すなわち、この世限りの人生観では、道徳が根拠を持ち得ないのである。

 ましてや、人間は偶然にこの世に生まれ出たのだというのである。

 頼みもしないのに、生まれさせられたというのが日本の常識であるらしいのだ。

 救い様のない話である。

 

⑥ 仏神の存在がなければ、社会は、少数支配者による暴力的支配装置にな

らざるを得ない。

 しかし、それでは、世の中は治まらない。

 「王といえども、神と法の下にあり」という英国の不文憲法の趣旨でもあろう。

 霊存在としての人間の本質については、仏陀の教えが最も詳しい。

 日本は仏教によって国を治めてきた伝統がある。

 世界で最も治安のよい国であり、美意識と道徳が国民に浸透した国であった。

 

⑦ 人生は、この世限りではない。

 否定しがたい事実であり、多くの霊現象も記録され実験されてもいる。

 人は永遠の魂修行をしている存在である。

 人間の本体は、肉体ではない。

 肉体は、三次元世界で活動するための宇宙服のようなものである。

  

 自分とは、肉体を操縦する心、ないし霊としての意識体である。

 人は、霊実在界といわれるあの世にこそ、本来の住処がある。

 しかし、霊格次元の差を乗り越えて異質の魂が出会えるのが物質世界である

ところのこの世である。

 この世は、時間の制約と物質法則の制約を受けるために、思い通りにならない

荒修行のステージではあるが、波長の異なる異文化や異質な人に出会うことが

できる。

 あの世では会うことのできない優れた師、大天使の教えにも出会える。

 

 平穏無事なあの世の生活では進歩がない。

 そこで、魂を鍛えるために、一定の期間をおいてこの世という三次元世界に生

まれ変わっているのである。

 そして、心機一転、人生の問題集を与えられながら数十年の人生修行をして、

一試合を終えるように舞台の幕を引いて、再びあの世に帰るのである。

 そのようにして、何万年も、何十万年も、何千万年も、転生輪廻を繰り返してい

るのが人間なのである。

 

 自分という意識生命は死なない。

 人間は永遠の生命体である。

 肉体を離れた死後の世界にこそ、本来の自在な世界がある。

 「苦しいこの世であるならば、死んで楽になる選択もあってよいではないか」と

いう疑問もあるだろう。

 しかし、あの世は心のままの世界である。

 悪いことをしたら、悪い心のままの世界に行くことになる。

 それが、地獄といわれる世界である。

 悪夢が現実となった世界である。

 


 自殺した者は、自分の存在を消そうとした心のままに、自殺を繰り返す地獄で

延々と苦しむことになる。

 まさに、地獄の苦しみがさらに鋭く増して繰り返されるのだ。

 死にたくなる苦しみであっても、自殺では逃れることができないということである。 

 

 まして、恨み心で恨みは解けない。

 恨み心が行く先もまた、恨みの地獄だからである。

 それは、おぞましい世界である。

 自分の心を見ればそれが分かるであろう。

 

 

 いじめた子供は、この世で罪に問われなくても、その愛のない邪悪な心を正

さない限り、地獄の殺し合いの世界に堕ちることになる。

 阿修羅地獄である。

 結局は、魂の裁きを逃れることができないのだ。

 天下は公正、公平な法則で貫かれているということでもある。

 

 だから、「人生は一冊の問題集」と心得て、努力し、学び続けることである。

 心を正し、明るく、誠実に、世のため人のために努力して生きることが、死後の

世界にも通じる幸福への道である。

 

         Bafun

 

 

 

 

 菜畑は   八十八夜の   鞘重ね

  悪事重ぬる   鬼討ち取らせ

 

     白川 馬草 Magusa    

 

  ※ 参考文献: 大川隆法著『永遠の法』幸福の科学出版ほか

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 端午の節句・・・ 子育ては「愛」を育てる人生の目的である  

2007年05月05日 15時23分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

            

 

  耕せる 棚田の風に 鯉は舞い

     馬糞 Bafun

 

 

 

        

 端午の節句である。農家にも漁師町にも、鯉のぼりが豊作旗、

大漁旗のように、盛大に泳いでいる。

 子供たちが育っているのだろう。

 五月の風は気持ちがよい。

 あのように、腹いっぱいに呼吸して、大空を泳いで見たいものだ。

 

 5月5日の今日はあいにくの雨だが、水を得た魚のごとく、鯉は

雨空を上るであろう。

 

 かつて、「千成瓢箪に黄金のうなぎのぼり」を構想したこと

があった。

 ここぞという勝負どころで、かつての馬印を掲げるのも元気が

出て楽しいではないか。

 

 うなぎ同様元気印ではあるが、異なるものが、どじょうである。

 川にも田んぼにもどじょうがいなくなったが、意外にも、ど

じょうは鯉の仲間であるらしい。

 ならば、田植えの季節、無農薬栽培の旗印として、鰌のぼり

を立ててはいかがか。

 

 

 

  

 

 

《子育ては人生の目的でもある》

 幼児は、過去世の記憶もなく、まっさらな天使の心でこの世の人生

を始める。しかし、あの世の自由はない。何事もままならないのである。

 親にすがっていきるほかはない。

 

 人は、親に全てを託してこの世の人生を始める。

 親の愛情が深ければ、子供はそれほど物を欲しがりはしないだろう。

 愛情薄く育った親であるならば、理想の愛を与えることで、傷ついた

己の子供心を修復することができる。

 人生とは、子供を育て、人を育てるためにあるといってもよいのでは

ないだろうか。

 

 子を育て、人を育てる工夫として、さまざまな産業、商業が発想され、

営まれているといってもよい。

 そのように、新しい企業を発想してみるとよい。

 人を育てるというコンセプトである。

 

 だから、子育ては、人生の目的にすっぽりとはまる大事業といって

よいのである。夢中になってよい聖業であり、幸福の在り処である。

 生きがいである。


 

 しかして愛とは、自分の喜びとして、生きがいとして、死に甲斐として、

人を受け入れ、最良の励ましを与えることである。

 支え、育てようとすることである。

 

 それなのになぜ、与えられた命を中絶し、遺棄し、虐待する女がいる

のだろうか。

 男と女が力を合わせて、育てようと立ち上がらないのだろうか。

 だから、不倫はいけないのである。

 だから、無責任はいけないのである。

 子育ての責任は母親にある。

 

 それを助ける責任が男親にある。

 それを見守る責任がその身近な社会にある。

 男よ、女を愛するなら、その人生を受け入れよ。

 男は女に対して誠実でなければならない。

 

 女よ、別の女を不幸にしてはならない。

 未熟な男を誘惑してはならない。

 女は慎み深く、賢くなければならない。


 これが、端午の節句に思い浮かぶ言葉である。

                          Bafun 

 

 

 

 

  父母や   子や孫もおり   鯉のぼり

    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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+ 茶畑連想・・・ 人格ブランドの時代

2007年05月04日 08時13分48秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

                

 

  茶畑の   八十八夜を   明けにけり

    馬糞 Bafun

 

 

 

 4月2日は、満月の八十八夜であった。茶摘の季節になった。
 茶畑が新茶色に輝いていた。

 「鬼も十八、番茶も出端」というが、十八の娘が、茶摘歌を
歌いながら茶を摘む姿を演出してみたいものだ。
 「茶摘十八娘」を看板に売り出す八女特別新茶。
 きっと、茶飲み爺さんのひと時に色を添えることであろう。

 

《ブランドの本質は人格である》

 農作物のブランドが、それを育てて収穫した人の姿や人柄
でアピールするようになった。
 善良で熱心な人柄が伝われば、信用はさらに高まる。
 人の信用が、作物や製品の価値として反映するようになった。
 これは重要な変化である。
 消費者がいよいよ価値の本質に目覚めてきたのである。

 これからの価値は、個性化してゆく。ブランド化する。
 ブランド価値とは、生産者や製造者の人柄、人格だというこ
とである。
 農家といえども、人生観や倫理道徳の観念を磨くことが大切
である。
 農作物を全面的に自由化しても、人格ブランドを磨いておけ
ばさらに大きな繁栄をもたらすことになるだろう。

 だからこそ、そうした倫理・道徳教育が必要である。
 誠実な心、善良な心を育てる家庭教育、
 よい習慣を身に着けた知性と幅広い教養が大切である。
 そうした勉学と修行鍛錬をすることが経済繁栄に欠かせない
時代に入ってきたということである。


 個性化、多様化の時代とは、ブランドの時代であることを
意味する。
 商品の選別が、ブランドによってなされ、価値を大きく左右
する時代に入る。
 ブランドとは、誰が、どういう思いで作ったのかという人格的
信頼性である。

 これからのCMも変わらなければならない。
 商品のことばかり、その新規性や機能性ばかりを説明してい
るようではいけない。
 だれが、どういう思いで発案し、製造し、販売しているか、
その人間性をアピールできるところが成功者となってゆく。

 本来、商品の価値とは、それを手がける人の心で決まるもの
である。
 大量生産大量消費という「空腹満足」の時代からやっと、
我に返って、「精神的消費時代」に目覚めてきた。
 それが、新世紀の状況というべきであろう。

 

 心無い生産、心無い営業、心無い商売になってはいないか。
 その反省から、新しい発展繁栄の時代が開始する。

                           Bafun 

           雲仙小浜のじゃがいも畑

 

                       

 

 

 

 

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+  5月3日は、新憲法制定について考える日・・・ 「日本国憲法」無効

2007年05月03日 23時38分22秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 棘青く  庭の山椒が  芽を伸ばし

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

  山椒は邪気を払う香木である。庭に植えていると、家が
栄えるとも言われる。木の実和えで知られる食材でもある。
 春に、山椒が芽を出すとうれしくなる。
 水をやると、ふ~っと香り立つのだ。
 春というのは、若葉がまぶしくて、山がはなやぐ季節である。

 

《「日本国憲法」は憲法ではない》

 今日は五月三日、憲法施行記念日である。しかし、ほん
とは、博多どんたくの日である。行楽日和で大変な賑わいで
あった。

 「日本国憲法」施行とは、一体なんだったのか。
 
 本来であるならば、戦後日本の独立記念日とするべきとこ
ろである。新生記念日でもよい。
 しかし、「日本国憲法」は、日本の独立を放棄した殖民地法
であった。
 平和憲法などと、いい加減なことを言い続けた左翼政党の
罪は重い。

 「日本国憲法」は、まさに精神的仮死状態にあった日本の
生命維持装置というべきであったかもしれない。
 しかし、憲法ではない。
 そこを間違えてはならない。
 国民の生命、安全、財産を政府の行為によっては守らない
というのだから、あきれた前文である。

 国家の安全を、戦勝連合国に委ねることが、なぜ、名誉あ
る地位なのか。
 名誉どころか、いわば免疫システム不在の病人のようなも
のである。
 緩やかなペストというべきエイズの病原菌。
 それが「日本国憲法」前文と9条、20条等の正体である。

 以前にも書いたが、憲法とは独立国家の根本法である。
独立宣言である。独立放棄の前文を持つ「日本国憲法」は明
らかに憲法の本質を持たないエイズ法である。
 ゆえに、無効である。

 日本は、敗戦によって、不文憲法の国になった。憲法法源
は、十七条憲法、明治憲法、そして、実際に憲法のごとく扱
われてきた「日本国憲法」の一部である。
 ここに法源といっても、日本の憲法を知る手がかりという
意味である。

 したがって、「憲法改正」論議というのは、間違った考え方
であって、成文憲法の制定についての論議でなければなら
ない。

 明治憲法は、すでに死文化されており、実効性がない。
 「日本国憲法」は無効である。
 ゆえに、新・成文憲法制定手続きは、立法によって定めれ
ばよい。「日本国憲法」改正手続きの制約は受けないという
ことである。

 

 「憲法改正」などというまやかしを、今後は使わないでい
ただきたいものである。
 内容の議論以前に、この点が最も肝要なことである。

 今後、5月3日は、「新憲法制定について考える日」と改名
することを提案する。少し長いだろうか・・・。

 

                          Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 昭和の役割・・・ 太陽の国『NIPPON』の建国をめざして

2007年05月03日 09時04分26秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  太陽を 父よ父よと 花は呼び

  
       馬糞 Bafun

  

 

 

 

 

 ジャスミンが満開で、いい香りである。

 植物の成長は湧き上がる雲のように勢いがよい。

 梅も桜も、普通の木のように、葉を茂らせている。

 

 4月29日は昭和の日であった。 まさに激動の昭和であった。

 昭和5年の金融恐慌、そして、昭和16年12月の真珠湾攻撃に始

まる太平洋戦争突入、昭和20年8月の原爆投下と敗戦、国家占領

という惨憺たる敗戦にいたった。

 

 フィリピン植民地憲法を下敷きとした植民地憲法「日本国憲法」の

発布と施行。

 5月3日は、植民地憲法施行記念日であるが、何を祝うのか・・・。

 「日本国憲法」は憲法ではない。



 昭和25年から28年まで続いた朝鮮戦争。

 おぞましい国、北朝鮮が発症したのである。

 しかし、朝鮮戦争特需から経済復興が勢いを得た昭和30年から

は神武景気にわいた。


 続く昭和33年からの岩戸景気、東京オリンピック後の昭和40年か

ら始まるいざなぎ景気と、経済成長を遂げてきたのだった。


 その牽引ともなった自動車産業は、いまや、三河武士団とも言う

べきTOYOTAがGMを抜いて世界一の売り上げと利益を誇るまでに

なっている。

 しかしそれは反面、「空虚なる発展」であった。

 

 

 経済大国となった日本ではあるが、独立国家としての意識を喪失

したままである。

 その弊害は、家庭崩壊、学校崩壊、道徳崩壊に現れている。

 世界に誇るべき日本の美徳は遺産とはなったが過去のものとなっ

てしまった。


 

 だから、九州よ、今再び、日本を創始しなければならない。

 九州やまとの国を独立国家日本の原点とするのである。

 

 国家独立の精神とは、文明を担う民族の自立である。

 文明とは、宗教を核とするものである。

 日本はもはや、やまと民族の神々を超えた役割を果たさなければ

ならない。

 八百万の神の上に、再来の仏陀を戴く建国の時期に来ているの

ではないか。

 そのために、空虚な発展というべき戦後61年があったのではな

いか。


 日本は、あらたな建国の時期を迎えているのである。

 歴史的に言えば、ムー帝国の新生というべきかもしれない。

 未来に向けて言えば、新文明を創始する太陽の国『NIPPON』が

目覚める時である。

 

 ああ、この日本は、智慧の国でありたい。

 豊かさを広げる国でありたい。

 そして、使命をもった潔い国でありたいものである。

 

 太陽の国『NIPPON』の建国。

 それが、九州やまとの国の使命である。

 

                              梅士 Baishi

 

 

  

 

 太平洋戦争・・・ 
 http://ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-1sinjyuwan.htm

 終戦・・・ 
 
http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/50nen.html

 朝鮮戦争と捕虜シベリア強制労働の新事実
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/korea/48023/

 

 

 

 

 

 

 

 

              

 

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