満天の 星降るやうに 積もりたり
馬糞 Bafun
陰暦大晦日の夜、博多は大雪だった。
雪化粧した町は、美しい。
日頃の欲望の露出を消してくれるからだ。
だから、雪国の冬は美しいことだろう。
それでも、人間は便利を求めて格闘する。
人間の便利は、風景としては美しくないものが大半である。
夜の雪もまた幻想的である。
日頃通いなれた公園が、雪山のようにさえ感じられる。
降りしきる雪が、まるで、満天の星の初雪のようである。
その初雪に、かすかな梅の香りが、漂うのである。
【大学改革の根本問題】
現行制度の上で、大学は研究機関としての設立要件が課され、
教育機関としての機能は、研究のおこぼれ頂戴という体裁である。
それも、一定の役割はあるであろう。
しかし、全てがそうである必要はない。
大半の大学で、「研究」とは名ばかり、中身がない。
時間浪費型の論文書式の押し付けに堕している。
役所の書式仕事と同じで、それこそが特殊技能だと勘違いして
いる。
研究の中心は、大方は企業に移っている。
しかも、海外の企業や研究機関に優秀な人材を採られてもいる。
大学の本義は、やはり教育にこそある。
教育機関としての大学を設立しなければならない。
職業人材育成の大学作りである。
学力低下した世間知らずの子供が大学に流れ込んでいる。
これに対応する大学教育が今求められている。
企業社会で通用する人材教育が求められているのである。
だからこそ、大学改革も着手されているのだろうが、うまくは行か
ないだろう。
なぜなら、大学教授陣に社会に通用しない人が多く、人材教育の
適格に欠けているからである。
結局、制度を変えても、人が変わらなければ教育も変わらない。
かといって、新しい大学を設立することは、企業を設立するよりは
るかに困難である。
なぜなら、敷地、建物の自己所有、設備要件、教授雇用条件など、
経営を圧迫する要因が大きすぎるからである。
しかも、教育機関として必然とは思われない要件である。
今一度、松下村塾のような教育の原点に戻って、大学設立の自由
を原則とするべきである。
設備を要求するのであるならば、公設民営化で行くべきである。
学力低下については、大学入学の最低ラインを国家試験として課
するべきであろう。
高等学校においても同様である。
40%~60%にものぼるという推薦入学、AO入試を認めては、勉
強するはずがないのだ。
掛け算の九九ができないような生徒が高卒では話にならないでは
ないか。
現状でも、大学の教育実態が地に落ちている以上、大学の質を維
持するためには、大学卒業共通国家試験を課するべきである。
国家資格を持つ卒業生と、持たない卒業生では差別されて当然で
あろう。
学問の自由とは、学問を怠る自由を意味しない。
学問をする責任を意味するのである。
大学の自由化もまた、不況の時代を乗り切る人材育成と内需拡大
をかねた改革である。
【内需拡大の改革を連打せよ】
内需拡大とは、新しい産業を興すことである。
内需拡大政策とは、そうした環境を提供することである。
その柱となるのが、新産業への投資と規制緩和そして、減税で
ある。
それにしても、人間はどうしてかくも、物事の本質を見誤るもので
あろうか。
期待した麻生総理であったが、 期待すべき改革の目玉は出てこ
こないままである。
ばら撒き給付金は実質的な税金還付として受け止めても、目玉で
はないはずである。
アメリカの景気浮揚対策に80数兆円つぎ込むというなら、日本もそ
れくらいの金をつぎ込んで、新産業に投資たらどうか。
日本の造幣技術は世界一であるはずだ。
ドル円相場が適正化する水準をにらみながら、印刷すればよいの
ではないか。
その金は、銀行への資金提供ではなく、直接投資の資金とするべ
きである。
これほどのアピールチャンスを生かせないでは、自民党の時代は
終わったというべきなのだろう。
だから、新政党を結党してほしいと願う。
梅士 Baishi