すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 鯉のぼりの風・・・ 生涯スポーツとしての山歩き

2009年04月30日 08時26分38秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  
 鯉のぼり ほーっと一息 つくように  

 

     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 五月の連休に入った。

 鯉のぼりのように、ほっと一息をつくことができる。

  鯉のぼりの一息に吸い込まれるように、人々は五月の風になって、

旅に出る。

 

 やっと休日の気分になって、篠栗の遍路道を散策した。

 シャガや山藤、キツネノボタンや野アザミが満開だった。

 山歩きこそは、生涯スポーツに適している。

 

 ところが、整備されている篠栗の遍路道でさえ、山道は途切れ途切

れで、車道を歩かざるを得ない。

 もっと、林道を整備するべきである。

 

 車道から、自転車道や歩道の整備に公共投資が必要である。

 そのためにも、地主の私利私欲を許さない強制収用を徹底する必

要がある。

 

 公務員社会主義の呪縛、土地所有制の呪縛を解かなければなら

ない。

 

 

                    立憲女王国・神聖九州やまとの国

                     梅士 Baishi

                      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ つつじ花がちり積もる・・・ 国際社会統合のビジョンと日本の使命

2009年04月28日 08時02分34秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

   
 影明かく 散り積もりたり つつじ花  

 

     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 それほどに時間が過ぎていたのだろうか。

 咲き始めたなあと思っていたつつじが、自らの影を花に染めて、

大柄の花を散らせていた。

 

 まぶしいばかりに咲いていたものを、また、次の春へと身を投じて

いったのか。

 

 その花に、寒の戻りの雨が降った。

 一度として、同じ春はなかったであろう。

 

 

  それにしても、この仕事の多忙と、乏しい生産性はどうしたこと

だろうか。

 接客業とはいえ、それだけで終わってよいはずはない。

 隙間をついて、多種多様の仕事が細切れに入り込む。

 仕事の構想が弱いのだろう。

 

  もうすぐ、五月の大型連休である。

 鯉のぼりのように、皐月の空を大いに泳ぎたいものだ。

 そのためにも、一仕事を終えるとしよう。

 

 

 

 

 

 

国家変革の季節風


 伝統的国家観が変容を迫られている。

 伝統的国家観とは、自給自足社会であったろう。

 足りなければ、外に狩にでかけた。

 出かけた先に国や民族社会があれば、戦いになった。

 

 今もそんな国家意識の「常任理事国」があったりして顰蹙ものであ

るが、現代はあきらかに国際社会というべき相互依存・協力の段階

に入っている。

 人間が、人間関係として生きているように、国家もまた、国家関係

として存続しているのである。

 そして、人間関係と同様に、適正な距離を保つことが肝要である。

 

 そのように、体質改善しなければならない。

 日本という国家の国際的役割を自覚しなければならない。

 そのためには、国際社会の問題と対策から、日本の使命を自覚し

なければならない。

 その自覚こそが、国内政治の正統性として求心力を持つことにな

るであろう。

 旧態依然の政治観をイノベーションしなければならないのである。

 

 

 

国際社会統合の権威について


 国際的相互理解、相互信頼、相互協力の段階を進めるためには、

国家の体質改善を図らなければならない。

 国家の標準モデルが必要である。

 

 その雛形となるべきが、日本であろう。

 国際調和の核となりうる国である。

 欧米社会への親和性、影響力、イスラム世界への親和性と信頼性、

宗教の寛大性と伝統的安定性、どれをとっても、他に取って代われ

る国はない。

 

 国家相互関係を秩序有らしめるものは権力の正統性である。

 すなわち、権威である。

 暴力的支配、合法的支配、伝統的支配、カリスマ的支配に分類で

きる。

 

 暴力的権威はアメリカにある。

 しかし、禁じ手というべき核兵器に呪縛されている。

 

 合法的支配というべき権威は国連であろうか。

 しかし、第二次世界大戦の戦勝国連合という矛盾をはらみ、現に

指導力を持つには至っていない。

 日本を敵国と規定する国際連合に依存するという小沢民主党の

反政府、反与党主義は危険な発想である。

 

 国際社会における伝統的支配の権威は、未だ確立されていない。

 国際社会はまだ、始まったばかりである。

 ただ、それに取って代わりうるのは、国家の伝統的信頼である。

 世界でもっとも古い伝統をもつのは、皇統に一貫した日本である。

 「中国三千年の歴史」というのは、地域の歴史であって、国家の歴

史ではない。

 入れ替わり立ち代り、国家の滅亡と創立を繰り返した地域が「中国」

である。

 中国の偉大な歴史は、唐の昔に終わっている。 

 

 そこで、最も重要なファクターは、カリスマ的支配の権威であろう。

 そのカリスマ性を決定付けるものが、宗教ないし、文明である。

 現代における宗教の最大最強勢力は、欧米を中心とするキリスト

教文明である。

 

 ところが、最大の人口勢力を有するイスラム教との歴史的対立に

決着がついていない。

 どちらの勢力も、好戦的な体質をもっている。

 第三次世界大戦が起こるとすれば、イスラエル対パレスチナの紛

争が爆発したときである。

 イランが核武装したときは、核戦争に発展するだろう。

 どちらかが滅亡するまで続くであろう歴史的対立である。

 不条理ないきさつで建国したイスラエルを滅亡させるのが順当だ

と思うが、建国して数十年が過ぎている以上、国家解散しますとは

行かないだろう。

 

 では、どうするのか。

 キリスト教とイスラム教が、さらに上位の新宗教によって統合され

るまでは、戦争を回避することができないであろう。

 その平和的統合の鍵を握っているのが、ほかならぬ日本である。

 

 

 

 

 

 

 その理由は三つある。

1. 世界でもっとも長く、安定した文明と国家継続の伝統があること。

 「三千年の歴史」は、 中国ではなく、世界に唯一、この日本にのみ

ある。

 島国の、単一民族と神道文明が、世界の動乱から日本文明を守っ

てきたともいえる。

 なぜか。

 現代に備える壮大な天の計画があったからではないのか。

 

 

2. 日本文明の核となる宗教は、日本神道であるが、天に恥じない

生き方というシンプルでわかりやすい普遍性をもち、かつ、八百万

の神々や万物自然に感謝をするという寛大で寛容な気風を持って

いること。

 他の神々を排斥する唯一神の考え方は、戦争を正当化すること

になる。

 

 日本は、この神道を基礎として、仏教哲学をその知性とし、東西

文明の融合を実現する懐の深さを持っている。

 今日の日本の繁栄は、その証明である。

 日本こそは、説得力と親和性をもって、イスラム世界にも、キリスト

教世界にも語りかけ、協力し、感謝される働きをすることができる

のである。

 

 

3. 世界の神々を統合することができる新しい世界宗教が日本に

誕生していること。

 今、国際的にも注目され始めている新しい文明哲学、新しい宗

教がある。

 

 それこそは、大川隆法総裁が創始した「幸福の科学」である。

 

 その思想は広大無辺を感じさせるものであるが、仏教でありながら、

東西文明を融合する驚くべき文明思想が語られている。

 神話の国日本が、今、新しい文明を創始する神話の舞台となって

いるということである。

 

 これこそは、世界の福音というべきである。

 日本人は、本物を見分ける目が肥えている。

 多くの日本人が、現代の奇跡というべき福音に気づくはずである。

 

 その福音を読めば、日本が何を使命とするべきか、日本人がいか

に生きるべきかがわかるのではないか。

 もし、それがわからないようであるならば、結局は、2020年代に

は、日本という国はないであろう。

 中国の自治州として、その動乱に巻き込まれることであろう。

 

 使命に生きるのか、奴隷的に生きるのか、その選択が迫られてい

ることに、早く気づいてほしいと願う。

 

                    立憲女王国・神聖九州やまとの国

                     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 春牡丹・・・ スポーツコミュニケーションをビジネスコミュニケーションに!

2009年04月27日 08時04分50秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 
   白牡丹 包みし春を 開きつつ  

 

       馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

   

 春の大輪が、牡丹である。

 冬牡丹のほうが本物かと思っていたが、そうではないらしい。

 冬牡丹は、いわば、温室栽培のスイカを冬に食べるようなものであ

るらしい。

 苦心して咲かせるから、雪よけのかさをさして、大切にするのだろう。

 

 

 久方の休日、春牡丹に、心の洗濯をした。

 白牡丹のように真っ白に洗って、日に干した。

 

 人間社会も、ギリシャ神話のような神々の世界であると思えば、心

の洗濯も造作ないことである。

 

 大輪の牡丹の花で魂を洗濯するとは、自分もまた、無骨な神の端く

れとして、神話の世界を生きているかのようである。 

 

 

 

 

 

 【スポーツコミュニケーションをビジネススタイルに取り込め


 今年の就職戦線は、企業の臆病風のあおりを食って学生には厳

しい逆風になっているようである。

 確かに、自動車業界を筆頭とする海外市場向けの業界は急激な

売り上げ不振に戸惑っているのだろう。

 

 マスコミは、一番苦しんでいる部分ばかりを強調して、不況風を煽っ

ている。

 スポーサー企業を苦しめるような宣伝を繰り返している。

 そんなマスコミに依存する企業の姿は、まさに、独立不振の日本を

見るようである。

 

 さて、新卒人材として、スポーツマン学生は企業に好感を持たれる。

 文武両道は、人材としての理想でもある。

 スポーツは優れたコミュニケーション文化である。

 また、心身を鍛えることで、練習に耐える忍耐力と、自信と、素直

さが養われる。 

 

 スポーツ学生のニーズは、プロスポーツだけではない。

 ビジネスマンとしての、優れた資質であるということなのだ。 

 企業はもっと、スポーツマンであることが、人材の重要なファクター

であることを宣言するべきである。

 

 そうすれば、体育教育の空洞化も歯止めがかかる。

 スポーツをする意義、目的を正すことができる。

 生涯スポーツをビジネス文化として支えることができる。

 

 しかし、企業の入り口だけでスポーツを評価するだけでは十分では

ない。

 スポーツコミュニケーションが、ビジネスコミュニケーションとして活

用されるのでなければならない。

 

 企業間の連携も、営業も、日ごろからのスポーツコミュニケーション

を通して人間関係ができていれば、どんなにかスムーズで、スポー

ツマンシップにのっとった取引文化となることだろうか。

 弱肉強食的な競争ではなく、クリエイティブな競争、楽しめる競争、

絆を強める競争が養われるのだ。

 

 企業活動として、経済力を活性化するための企業交流の場として、

スポーツイベントを日本の新しい企業文化として育ててほしいと思う。

 中小企業も、小さな企業がチームを組んでスポーツチームを作り、

スポーツイベントに参加するのである。

 

 そのようになるとよいと思う。

 

                    立憲女王国・神聖九州やまとの国

                    梅士 Baishi

                      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ ジャスミンな風・・・ 「不幸」とは滑稽である、滑稽は笑える、笑う門に福来る。

2009年04月22日 06時55分25秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 
   ジャスミンを 春一番の 風に入れ  

 

       馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 ジャスミンの花が香りはじめた。

 ジャスミンティーもおいしいが、ジャスミンの風は、この季節ならで

はの楽しみである。

 その春風に、ジャスミンティーを運んで、朝のひと時を音楽で楽し

む・・・。

 そんな、至福の空想に楽しむのもまた、今日の季節の楽しみではないか。

 一日一生が、幸福なジャスミンの風に始まった。

 

 季節は喜びに満ち溢れている。

 だから、人間もそのようであってよいはずである。

 そうならないのは、季節に逆らうからであろう。

 人間の欲張りが、人間の不幸感覚を大きくしている。

 

 不幸と思えば憂鬱だが、こっけいと思えば笑えるのがこの世の『不

幸』なのではないか。

 振り返ってみると、わが人生は滑稽なことばかりである。

 大いに笑える。

 

 貧乏や、いじめや、悪口雑言や犯罪やと、不幸の刃と見えるもの

は尽きることがない。

 しかし、切っても切っても切れないのが水であり、風であり、光であ

る。

 生命の根源は、円満である。

 幸せに始まった一日を、そのように、円満に生きるとしよう。

 

 一切は、思いによって現れ、思いによって変化し、思いひとつによっ

て幸福にも不幸にもなる。

 

 死は賜るものであると思えば、恐れることはない。

 貧乏も滑稽だと思えば、漫画になる。

 死に至る病も、笑い飛ばして、死の勲章を賜ればよい。

 

 全員、明るく生きようではないか!

 したたかで、天晴れな人生を生きよう!

 

                     立憲女王国・神聖九州やまとの国

                     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 仰ぐ光と花と穀雨・・・ 受身の不況から、やる気の不況へ  「不況」を穀雨とするために

2009年04月20日 07時29分17秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 
   仰ぎたる  光と花と  穀雨かな  

 

          馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 今日は、二十四節季の穀雨と記された日である。

 二十四節季といえば、那国のたんぼを基準に定めたのかと思いき

や、黄河中下流域の季節感であるらしい。

 

 輸入した季節感であるならば、なぜ、日本の季節感に読み替えな

いのか。

 農業を奨励し、日本を愛するためにも、日本標準季節をリニューア

ルしてもらいたい。

 

 自然を克服するのが現代の農業かもしれないが、自然の恵みを生

かして働く農業こそは基準である。 

 

 

 

 

 

 

受身の不況からやる気の不況へ


 マスコミの不況宣伝をまともに受け取っていると、不平不満と、不

安と悲観という、ほんとうの不況病に陥ってしまう。

 テレビの議論を聞いていても、政府が何をしてくれるのか、なんぼ

金を出してくれるのか、何に出すのかという議論ばかりである。

 

 そのようなマスコミに情報を依存し、広告を依存する企業に、明る

い未来はないであろう。

 北朝鮮に制裁すべきであると同様に、マスコミにもマスコミ企業離

れという制裁が必要であろう。

 

 不況の本体は、貧乏風というネクラな気分である。

 ネクラは、自己保存からくる排他的な守りの姿勢であり、被害妄

想であり、あらゆる心の毒素から、心に明るさが失われた状況で

ある。

 それを煽るのが、日本マスコミの病理である。

 

 経済の役割は、貧乏を追放し、世の中を豊かにすることにある。

 その主戦力が、公務員によって卑しいとして監督規制されるビジ

ネスである。

 ビジネスによって生み出される豊かさとは何か。

 

 金銭的な利潤は、経済の手段であって、目的ではない。

 

 ビジネスの目的は、仕事のやりがいと、その恩恵に浴した消費者

の喜びである。

 

 やりがいを生み出すこと、それが、仕事であり、経営者の本質的な

責任である。

 スイッチを切り替えるだけで、灯がともり、不況の闇は消滅するので

ある。

 「不況」もまた、穀雨というべき恵みの雨としたい。

 そのために、田畑に出でよ、耕せ、種をまけ!

 やる気の不況を楽しもう!

 

                     立憲女王国・神聖九州やまとの国 

                                   梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 花の衣替え・・・ 不況の根本原因「ネットや携帯によるバブル崩壊」という警鐘について

2009年04月18日 16時16分41秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


  衣替え   まぶしくもあり   皐月花

 

       馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 旧暦の4月1日が、宮中伝統の衣替えのころだという。

 今年は、新暦4月25日がそれにあたる。

  季節感としては、適切だと思う。

 

 花の衣替えを感じさせるのは、桜が散って、新緑がまぶしくなり始

めたころである。

 そのまぶしさを一番感じさせてくれるのが、皐月花(つつじ)である。

 街路に植えられた皐月でさえも、明るい日差しを一段とまぶしく感

じさせるように、うれしそうな花をぎっしりと咲かせ始めた。

 

 もうすぐ五月、旧暦の新年度が始まる。

 さあ、スイッチを切り替えて、日差しに負けない花を咲かせるとし

う。

 

 

 

※ 衣替え参考⇒ http://www.echizenya.co.jp/mini/colum/koromogae.htm

 

 

 

 

不況の根本原因


 不況風は、公務員、教育、マスコミという権力から流れ出す社会

主義的な嫉妬に大きな原因がある。

 しかし、もうひとつ、大きな原因があるということに気がついた。

 

 大川隆法著 幸福の科学出版刊 『日本の繁栄は、絶対に揺るが

ない』を、パケットな10分読書時間に読んでみた。

 難しいことを書いているわけではないのだが、ひらめきや本質的な

示唆に満ちた不思議な著作である。

 一流の知性とは、そうしたものなのだろう。

 

 その中で、今の不況は、根本的には、「インターネットと携帯電話

のバブル破裂不況」なのだという。

 インターネットに貴重な時間を奪われているという不安を感じては

いたが、不況の原因だとまでは考えたことがなかった。

 

 ネットは情報洪水の濁流である。

 そこに飲み込まれるのは、良質の情報と、思考し創作する時間で

ある。

 あるいは、花鳥風月を楽しみ、人生を味わう時間かもしれない。

 人と対話し、新しい仕事を推進する時間もまた、濁流に飲み込ま

れる。

 

 その結果、情報操作され、大衆心理に健全な経済を見失い、文化

的な豊かさや、創作的で多様な時間の消費と投資機会失ってきた。

 ブラックホールに引き込まれるように、世界が一様になり、リスク源

に引き込まれ、経済の活力を弱めた。

 

 たしかに、不況とは、いつの時代にも、知性と思考力を見失った結

果であるといえる。

 現代においては、携帯やインターネットによる知的貧困こそが、貧

困救済を使命とする経済の役割ということになる。

 

 たとえば、読書環境、思考環境を生み出すサービスを提供するビジ

ネスである。

 ゆっくりと読書を楽しめるところは、都心にも、観光地にも、意外と

失われているのである。

 

 出版不況というが、読書環境が失われていることに気づかなけれ

ばならない。

 

 

 

 

 

 

 

 文化の豊かさも、経済の豊かさも、多様性をもっている。

 個性的で多様であるということは、一人考える時間の作品が多く

生み出されているということである。

 

 では、どうすれば、不況を反転することができるのか。

 

 結局、知的生産力が落ちたことによるバブル崩壊ということであ

るから、限られた持ち時間を有効に使い、考えるという創造的な知

性を確保することが必要だということになる。

 

 時間の消費以上に、生産性を高めなければならない。

 かといって、インターネットや新聞・テレビの有用性も否定できない。

 適材適所の時間配分が必要である。

 ネット情報をろ過し、適性規模に蛇口を調整し、適切な距離をとる

ことである。

 

 四六時中、携帯でつながっていなければ不安だというのは明らか

に病的な携帯依存症というべきである。

 そのような子供や若者が増えている。

 携帯の鎖につながれ、思考停止した携帯奴隷は、自分らしさを見

失い、文化の豊かさを見失う。

 

 同様のことが企業の中でも蔓延している。

 その最大の時間浪費が、メールの濁流である。

 

 確かに、一堂に会し難い職場で、情報を共有する方法としてメー

ルは便利である。

 しかし、適性距離を見失うと、共有する必要のないメールであふ

れかえる。

 

 具体的な提案も、目的を明らかにした情報提供もなく、無責任に発

信される垂れ流しメールは、迷惑メール以外のなにものでもない。

 

 管理職や経営者までが、メールチェックだけで仕事をしているよう

な気になっている。

 深く考えもせず、「なんかの役に立ちませんか」という安易な発信

と返信のガラクタメールを見るにつけ、これで業績があがるわけが

ないと思う。

 

 その結果、生産性のある仕事時間が見失われているのだ。

 報告にしても、だから何なのか、といいたくなるような思考しない

メールである。

 

 われわれは、情報の濁流から創造的、文化的な時間を見失わな

いように、倫理観と思いやりをもたなければならない。

 大半がガラクタであることを踏まえて、適性距離を保ち、あるいは、

良質な情報だけを取り込むためのろ過装置と蛇口を備えなければ

ならない。

 

 良質な情報はコストがかかる。

 

 安易な情報には、安心、安全、信用がない。

 そのことを、再認識すべきである。

 雑多な情報の物知り人には、知的生産能力が欠けているもので

ある。

 

 

 静かな時間、連続する時間を取り戻すだけで、経済は再び活性

化し、豊かさを生み出すようになるに違いない。

 そういうことを呼びかけることも、政治家が果たすべき経済復興活

動なのではないのか。

 

 政治家よ、死に甲斐に生きる、武士(もののふ)であれ!

 

                            梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 竹ぐみや桜ぐみらが手を引かれ・・・ 景気予測、経済予測とは何か DIWの予測断念について

2009年04月16日 19時14分40秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


  たけぐみや 桜や桃が 手を引かれ  

 

       馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 通勤途中、博多の禅寺の中を通ってゆく。

 石畳や季節の庭木が、朝の深呼吸をさせてくれる。

 お寺には幼稚園がある。

 

 この季節、小さな園児たちの姿がかわいらしい。

 花の形に模られたプラスチックのバッチを胸につけて、母さんに手

を引かれて登園するのだ。

 

 そういえば、自分は竹組みだった。

 担任は、少し年輩のミヤバラ先生だった。

 不思議と、その先生の顔まで覚えている。

 

 初夏のころだっただろうか、絵を描いていたときのことを思い出す。

 船の絵を描くのが好きだった。

 

 船の真ん中に大きな煙突があって、もくもくとした煙を勢いよく描く

のが得意で、楽しかった。

 煙は画用紙からも飛び出して、隣の女の子の画用紙まで流れて

いった。

 

 

 

 

 

 

経済予測とは何か


 ドイツも輸出産業が苦戦しているらしい。

 ドイツの経済研究所DIWの経済予測について報道されていた。

 

 今年の経済成長率の見通しについて、1.1%マイナスの予測をさ

らに下方修正して、4.9%のマイナス成長になるとの予測を示した。

 下期になれば持ち直すが、先行き不透明感が強く、2010年度の

予想は断念したというのである。

 

 受身の予測であるならば、今年の下期予想でさえも、馬券売り場

の予想屋と大差ないことであろう。 

 予測とは、未来ビジョンを一足先に描くことであるが、未来はどうな

るか、ということが、果たして予測なのだろうか。

 

 そもそも、何のために予測を出すのか。

 政策提言のためにか、とりあえず仕事の体裁を取り繕うためにか、

国民への警告のためにか、激励のためにか・・・。

 

 経済研究所というならば、現状を踏まえたイノベーション政策提言

のためにこそなすべき積極予測であるべきなのではないか。

 先行き不透明だから予測できませんなどということは、無能だと弁

解しているだけのことである。

 

 経済学が役立たずの学問であるのも、未来予測の考え方に問題

があるからではないのか。 

 

 未来とは、現在が原因となって結果するものである。

 問題は、現在の何を主要原因とするかである。

 

 経済成長とは、結局は人間の活動であるから、経済活動をする人々

の感情、気分、空気、信念など、心に原因がある。

 思いが変われば行動が変わり、未来が変わる。

 

 経済学は、この最も重要な原因要素について捨像している。

 だから、株価予想程度にしか至らないのだろう。

 未来は暗い、もっと悪くなると予測すれば、買い控えや設備投資を

やめるというデフレ不況に誘引することになる。

 暗い気持ちを原因に持ち込むことに他ならないからである。

 

 DIWや日銀や、経済アナリストだけのことではない。

 マスコミも同じ過ちを犯しているのである。

 不況宣伝をしてはならない。

 

 経済予測とは、どうなるべきか、だから、こうすべきであるという

望ましい未来への道筋を示すことを言うのである。

 原因結果の関係を明確にして、未来に道を開く予想こそが、予想

であって、警告以上に、失望が予測予想であってはならない。

 

 現代の経済不況こそは、経済革新を仕込む、未来作りのチャンス

であることを忘れてはならない。

 その柱になるのが、社会主義からの決別、道徳資本主義というべ

き責任至上主義経済という柱を立てることである。

 

 社会主義とは、横並び志向、嫉妬を根底に持つ。

 駆除すべき社会主義の温床は、膨らみすぎた公務員であり、大

学であり、日教組をもつ公務員教職員であり、マスコミである。

 こうした、貧乏神を駆逐すれば、経済は劇的に好景気へと転換す

ることは間違いない。

 

 これが、経済予測総論である。

 

 他力本願、傍観者予測に終わってはならないということを肝に銘ず

べきである。

 
                                 梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 花のあとのさまざまの花・・・ 漢検バッシングにみる社会主義的嫉妬の狂気

2009年04月15日 07時48分00秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

   梅のあと 桜のあとの さまざまに  

 

       馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 季節の循環は、同じことの繰り返しのようでありながら、いつも新鮮である。

 万葉の春も、現代の春も、新鮮な感動を生み、歌を生み続ける。

 

 梅の花も、桜も、今年は早く咲き、少し長く楽しませてくれた。

 花を散らせる雨も風もなかった。

 

 しかし、その花を楽しんだのは、通勤途中の風景だけだった。

 海ノ中道公園の桜は、見事だっただろうなぁ・・・。 

 かつてない多忙の中で、今年の花の季節が過ぎていったようである。

 

 

 

 

 

 

 

【 (財)日本漢字能力検定協会の社会主義的受難 】 


 日本人の漢字能力が著しく 劣化している。

 子供たちは、とにかく漢字が書けない。

 文章の作法も知らない。

 それで、義務教育を終えたというのだから、教員たちは、教育をし

ていない子供たちを多数卒業させている。

 国語能力は、コミュニケーション能力であり、日本人としてのブラン

ド力である。

 

 これに歯止めをかけているのが、財団法人 漢字能力検定協会で

ある。

 ところが、ここが重大な犯罪を犯したらしい。

 文部科学省の誰がやっているのか、漢検を摘発した。

 お金を儲け過ぎているというのだ。

 ああ、やっぱり、日本の官僚は社会主義の権力をふるって、「清貧」

を強制しているのだ、ということが再確認される事件であった。

 

 これほどに、収益を上げられる漢検の創業者は、すばらしい社会

貢献をし、かつ、すばらしい経営手腕を発揮してきたということにほか

ならないのに、その経営手腕が犯罪だというのである。

 マスコミ社会主義も一斉にバッシングを続けている。

 このようなバッシングを、狂気だとは思わないのか。

 

 過去三年間で23億円の利益をあげていたことが、財団法人として

儲けすぎだというのである。

 しかし、その利益と蓄積のおかげで漢字教育の勢いが復活し、か

つ、世界の舞台にも拡大しようという力がついてきたのではないのか。

 バッシングをするような犯罪ではあるまい。

 

 財団法人として税制上の優遇は受けているだろうが、だから儲け

てはならないという理屈にはならない。

 

 

 

 

 

 

 利潤は事業継続、発展の資源である。

 

 これ以上儲けてはならないという基準があるわけではない。

 しかも、年間11億円程度の利益で極悪人のようにバッシングさせ

ているのである。

 いったい、文部科学省の誰なのか、公務員の名前を公表し、弁明

させるべきである。

 日本国の獅子身中の虫として、見せしめに断罪してもよいほどで

ある。

 

 漢字教育がみなおされ、漢字が産業になり、漢字が世界に広がろ

うという流れをせき止めてしまった文部科学省やマスコミの不見識

は重大な犯罪というべきである。

 

 儲けてはならない、金を蓄積してはならないという公務員社会主

義体質こそが、日本の発展繁栄を抑制する元凶にほかならない。

 その象徴が、予算単年制である。

 あるいは、仕事をしない公務員の無責任・堕落体質である。

 

 

 

 

 

 

 企業とは、私利私欲の営利団体ではない。

 営利は、発展の手段に過ぎない。

 目的は、公益活動である。

 公益なくして営利は実現されないものである。

 

 公益法人と営利法人という区別は間違っているのである。

 公益性は目的、営利は手段であって、分類基準が違っている。

 事業体は、みな、公益目的を持ち、営利の手段をもっている。

 

 営利を卑しいことだとみなし、これを処罰し、規制する制度となって

いるのが、累進課税による高率の税金である。

 その上がりで食っているのが公務員である。

 卑しいのは民間人の努力による営利に寄生する公務員であろう。

 

 文部科学省は、解体し、廃止しなければならない。

 これに変えて、優秀な人材による、幼稚園から大学までの教育レ

ベルを向上させるための、標準テキスト制作チームと、学力検定実

施チームと、学校の公設民営化を進める教育設備企画チームであ

る。

 それ以外の無用の官僚は、リストラし、省を解体するべきである。

 

 そうした教訓を残した、漢検バッシング事件であった。

 

 

                                 梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 花のあと・・・ ストレス養鶏への警告  警察機能を持ったOS技術開発を  独立の要件 

2009年04月14日 07時48分41秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

   新しき ことをはじめむ 花のあと  

 

     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 博多の花は、新緑に枝を譲った。  

 

 日本人は幸せである。

 国の栄を花に見ている。

 かくして、2009年度が動き始めた。

 

 庭を楽しませてくれたメジロも、鶯も、ヒヨドリも、蜂蜜をたっぷりと

残したまま、いなくなった。

 彼らもまた、新しい家族を連れて、山開きをしているのだろう。

 本当に楽しい越冬と早春であった。

 

 北海道では、鳥インフルエンザをおそれて、白鳥を見に行く案内が

なくなったという。

 町には、鳩やカラスがあふれているというのに。

 

 鶏を、卵製造機械のように扱うストレス養鶏をこそ、恐れるべきで

はないのか。

 

 病原は、ウィルスである前に、自然破壊とストレスに起因するのだ。

 人ばかりではない。

 人のために生きてくれている家畜も、自然を奪われつつある鳥獣

も、ストレスに辛い思いをしていることに、いたわりの気持ちを持つべ

きである。

 

 

 

 

 

 

 

ネット社会に警察機能をもったOSの技術開発を


 繁栄とは、一人ひとりが次々と成功を収め、蓄積と投資によって、

その波紋を広げてゆく姿である。

 独創は、コピーによって広がってゆく。

 さらに、量から質へ、質から次の独創へと展開してゆく。

 

 マイクロソフトの成功は、コピーによる世界的拡大によって世界標

準を獲得したことにあるとも言われている。

 マイクロソフトのOSも、そろそろ、解放されるべき時期に来ているだ

ろう。

 

 日本の技術が、新しいPC時代を開くOSを世界に披露する時期に

来ているかもしれない。 

 IT時代は、技術から倫理の時代に入りつつある。

 倫理を技術に織り込む時代である。

 法を機能に織り込む技術である。

 

 無防備は、犯罪を誘発する。

 安全・公正とは、単なる信頼によってもたらされるものではない。

 そうでなければ、権力は無用のものであろう。

 

 インターネット社会の法と権力をいかに確立するかが、新たな経

済繁栄の鍵となっている。

 ネット社会が通信技術社会であるならば、その技術の中に、警察

機能を組み込む必要がある。

 そこに、新しいOS技術の課題があるのではないか。

 

 

 

 

 

国家独立の要件】 


 安全と公正は繁栄に欠かせない社会の要件である。

 安全と公正は、単なる信頼によってもたらされるものではない。

 

 権力と武力は、国家社会の安全と公正保持のためにある。

 権力と武力の統制は、神への敬虔と信仰によって保持される。

 

 民主主義国家といえども、権力と武力による独立の気概と、仏神

への信仰を見失えば、自滅するであろう。

 

 まず、仏神への敬虔は、権力に対する信頼と公正には不可欠である。

 民主主義のルーツといわれるマグナカルタを見よ。

 英国の「法の支配」の精神は、「国王といえども、神と法の下にある」

というものである。

 すべからく、人が担当する権力というものは、「神と法の下」あるいは、

「仏と法の下」になければならないのである。

 

 

 次に、権力と武力は、独立国家の気概であり、責任である。

 偽装憲法である「日本国憲法」前文こそは、日本国家OSに潜むウィ

ルスというべきであろう。

 

 『・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全

と生存を保持しようと決意した。・・・』

 「平和を愛する諸国民」とは、チャイナや北朝鮮や、韓国や、ロシア

やアフガニスタンやイスラエルやイランやパキスタンや・・・という国々

のことである。

 

 その代表組織が「国連」である。

 アメリカではなく、国連に依存しようというのが、小沢民主党の「平

和主義」である。

 

 日本領空を通過した北朝鮮の『飛翔体』は、MADE IN ロシア、発

売元には○○公司の商品だったのだろう。

 

 こうした国々に信頼して、国家国民の安全と生存を委ねるというの

であるから、若者に気概を持てといっても無理な話である。

 

 これが、憲法9条の前提である。

 国家独立放棄、植民地国家宣言に他ならない。

 独立精神なくして教育なく、教育なくして繁栄なし!

 

 NHKは、さかんに憲法9条擁護の番組を制作し、放送し続けている

が、許されるべきことではあるまい。

 表現の責任を問われるべきである。

 

 

 

 

 

 新しきことへのチャレンジとして花が咲き、大いに散った。

 その気概は独立の精神にあり、

 その統制は、仏神への敬虔にある。

 

 死に甲斐こそは、生きがいである。

 すなわち、奉仕の精神こそは、生きがいであり、生かされる理由に

ほかならない。

 

 そうであるならば、自己保身に恐れることなく、他人のために生き

ようではないか。

 

 国家存立の根拠も、防衛の本質も、国際社会への奉仕にこそある。

 

 軍事力は不可欠であるが、それを感じさせない奉仕・貢献こそは、

政治の努力でなければなるまい。

 

                                  梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

   

  

 

 

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+ 春月と黒猫の尾のさざなみ・・・ 政治の本質は妥協と方便か  政治の神聖を思い出せ

2009年04月09日 22時53分19秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 

 

   春月を 黒ねこの尾は さざなみて 

 

     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 今夜は満月だった。

 満月の夜に、取り付けの悪い自転車かごが車輪に挟まって転倒し

て大怪我をしたことがあった。

 額を切って、どぼどぼと血が流れた。

 みるみる歩道が血に染まり、歩道を汚したことにあわてたほどだった。

 

 近くの酒屋さんが、救急車を呼び、歩道を掃除してくれた。

 とてもありがたかった。

 それから二、三年して、その酒屋は店を閉めた。

 

 それ以来、満月を見ると、気をつけなければならないと思うように

なった。

 満月は美しいのだが、ドラキュラが出るのではないか、というよう

な不吉さ感じてしまうのである。

 

 そんなことを思い出しながら、フィットネスのように自転車を漕いで、

帰宅した。

 家の近くに黒猫が尾を揺らしながら、のんびりと近所のおばさんに

ついて歩いていた。

 そのぴんと立てた尾っぽが、さざなみのようにゆれていた。

 

 黒猫というのは、満月によく似合う。

 春の満月の、なんと、のんびりとしたことか。

 今夜の満月も、無事でよかった。

 

 

 

  

  

 

 

政治の本質は妥協と方便なのか


 クロムウェルは、急進的な改革で恨みを買って骸を晒された。

 それ以来というべきなのか、いつまで駆け引き、妥協、票を買うた

めの方便のような政治が続くのだろうか。

 それとも、それが政治の本質だというのか。

 

 いつまでも、公明党と連立し、愚かな公金ばらまきを景気対策だと

言って度重ねていることには、さすがに憤りを感じる。

 食用米からの転作に奨励金を支払うという、農家優遇政策は、一

体、何事か!

 

 他方で、贈与税について、家屋取得のための生前贈与500万円

について非課税にするという。

 家屋取得だったら、3000万円から、5000万円を非課税とするべ

きであろう。

 そもそも、生前贈与と相続は非課税にしてよいのだ。

 

 そうでなければ、中小企業の企業承継も農業承継も、大きな負担

を受けることになる。

 「金持ち優遇だ」などというが、なぜ、そんなに嫉妬するのか。

 金持ちから金を取ろうなどというのは、社会主義の本質にある嫉

妬そのものである。

 

 誰のおかげで仕事にありついているのか。

 能力と努力で起業し、あるいは、経営している資産家のおかげで

はないのか。

 金持ちに嫉妬して、なぜ、景気をよくすることができるというのか。

 社会主義は不況マインドを本質に持った、貧乏の平等主義にほか

ならないというのに。

 

 ただ、かつても主張したように、土地所有制度は廃止すべきである。

 土地利用権に一本化するべきなのだ。

 利用しないものに、利用権を認める必要はない。

 耕作放棄した農地は、利用権を停止すればよい。

 利用料の徴収が、国家の収益源ともなる。

 

 土地は国家の領土である。

 利用権の売買は財産権として認めてよいが、国家の領土を、私有

させるべきではあるまい。

 

 これは、社会主義ではない。

 道理である。

 土地は、人間が生産したものではないのだから。

 

 こうした、社会主義政策や不公平な公金ばら撒き政策を「景気浮揚

策」というなら、ミサイルを「衛星打ち上げロケット」とぬかす北朝鮮も、

ミサイルを「飛翔体」とぬかすマスコミや政治家も、同じ穴の狢という

べきではないのか。

 

 

 狢の政治であるならば、大衆民主主義はやめたほうがよい。

 政治もまた、神聖でなければならないことを思い出すべきである。

 

                              梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 八百万の花祭り・・・ 人、神人と観る世界観

2009年04月08日 06時46分31秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

   八百万yaoyorozu 人も祭られ 花の道 

 

     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 神々の世界であればこそ、かく花は咲くことであろう。

 68億の神々が、その修行の途上にある。

 個性豊かな神々である。

 ギリシャ神話とは、そうした人間観ではなかったか。

 酒飲みの神もあり、メビウスのような恐ろしい女神もいる。

 色気のある女神もあれば、泥棒の神もある。

 

 悪い神様は、結局懲らしめられるのであるが、それでも神としての

尊厳をもっている。

 人間の尊厳とは、神性にほかなるまい。 

 人間とは神の原石にほかなるまい。

 もてないと嘆いている娘もまた、女神である。

 不細工にタバコをふかしている女もまた、女神である。

 

 おそらくは、それが真相というべきであろう。

 まして、この日本において。

 人はみな、神の自覚を持つべきなのである。

 花の季節に、人は、その本質にある神性に目覚めるべきである。

 他人を神と見るべきである。

 

 その上で、神々の関係を考え、国々の関係を考えたいものである。

 

                                   梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 花の吹雪を伊達に行き・・・ 人生の散り際  小沢民主党の散り際

2009年04月07日 08時20分38秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

   花渡る 花の吹雪を 伊達に行き

 

      馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 風もなく、はらはらと舞う花道のころになった。

 白波五人男のようだと思いながら、伊達男の気分で花道を行く。

 

 人生の花道とは、この花道ほどの道なのであろうか。

 知らぬが仏、本物の花道に、しばし至福の伊達男となる。

 

 決死のときに、人生の花道も開かれることであろう。

 いずれ去り、いずれ死ぬのがこの世の定め。

 さて、いかに死すべきものか・・・。

 

 戦で死ぬのは、武士の誉れであった。

 しかし、死にがたいのが現代である。

 猪突猛進とはゆかないのであれば、思いを尽くし、智慧を尽くして、

あるべき未来のために働き続けるほかはあるまい。

 食うためではない。

 死を賜るためにである。

 健康管理を怠ることなく賜る死こそが、誉とされるであろう。

 

 

 

 

 

 

 

小沢民主党の散り際】 


 与党を罵り、政権奪取に貪欲だった小沢民主党が、同じ血刀で

自傷した。

 それでも政権奪取に執着するさまは、まさに無様であり、政治を貶

めるものである。

 社会主義を温存する民主党を解体してこその誉れというべきであ

ろう。

 伊達男らしく、散り際を潔くしていただきたい。

 それでこそ、日本も安堵するであろう。

 

                                   梅士 Baishi

 

 

                                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 春爛漫の花吹雪・・・ 信じる力で花は咲き  人間神の子の風景

2009年04月03日 08時21分10秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

   爛漫の 春は花道 くぐりつつ 

 

      馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 風もなくはらはらと花が舞う花道のころになった。

 王のように、天使のように、花に祝福される花道を通る今であるこ

とよ。

 

 冬枝をさらすばかりだった風景が嘘のように爛漫と咲いた花もその

盛りを散らしている。

 事が成就するとは、そのようなのであろう。

 

 目に見なければ信じられないという人こそは貧しく、思いを実現す

る力の弱い人である。

 それを科学と言うべきでもない。

 本来の科学とは、目に見る前に信じて探求する、研究の精神で

ある。

 

 見た目で失望して、その場を辞してゆく人の楽しみとは一体何の

なのか。

 その人の人生に咲く花は、あっという間に咲かせようとするあだ花

であろう。

 

 この世に咲かずとも、あの世で咲かせて花見をしようという人生も

一興ではないか。

 それ以上に気の長い大宇宙の夢物語を生きているのに違いない

のだから。

 

 

 

 

 

 

人間神の子、仏の子の風景


 人間の不幸とは、他人との関係に対する不幸感覚である。

 他人が悪いと入っても、許せないといっても、人を憎む気持ち、人

を恐怖する気持ちは不幸に他ならない。

 自分の心の持ちようで、裁き心を克服し、不幸感覚を捨て去ること

ができるなら、それこそは幸福である。

 

 裁き心とは、実に厄介な不幸感覚である。

 

 ところが、人とは、神である、という見方をすると、まったく新しい感

覚で人を見ることができることに気がついた。

 神とは言っても、修行の途中であり、未熟の状態であり、自らを汚

す神もある。

 それでも、もともと、女神なのだ、もともと男神なのだ、と思ってみる

と、ただの嫌悪ではなく、犯すべからざる神聖な感覚が前提にある。

 

 人間神の子、仏の子と教えられたが、本当には従っていなかった

のだと思う。

 もう少し、このような人間観を磨いてみたいと思う。

 

                                梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 新年度元旦・・・ 「不況風を追い風にせよ」  「マスコミスポンサー企業の不況責任」

2009年04月01日 09時29分00秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 満開に 花吹雪して 四月かな

 

     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

  春爛漫  新年度  明けまして

 
         おめでとうございます。


                       四月元旦

 

 

 

 

  

 

 今日は四月元旦。

 新年度の元旦である。

 春の嵐が吹き荒れている。

 新鮮で劇的な一日になりそうだ。

 

 青息吐息の年度末も、年度末の除夜の鐘を合図に一息ついて、

年度を迎えているのであろう。

 仕事に追いまくられた一年だった。

 休日も休みがたく働いて、収入は減ってしまった。

 しかし、病院には一度も行かないで済んだ。

 健康保険に貢献した。

 

 今日からは、新年度である。

 新年度元旦を祝いたいものだ。

 

 そんな、豊かな企業文化を始めたいものだ。

 それが、日本でありたいと願う。 

 それが、世界の楽しみになるとよいと思う。

 

 

 

 

 

 

不況は貧乏神の気分


 世の中は、不況なのだという。

 不況とは何のことなのだろうか。

 アメリカの虚業とも見栄ともいうべき金融にみんなで騙されて、マ

ネーゲームをしていた大企業が大変なことになった。

 

 虚栄の波及が、負債の波及になった。

 それだけのことではないか。

 モラルが欠けていたのだ。

 

 堅実な経済はゆるぎない大部分を占めている。 

 不況というべきではあるまい。

 それを不況というなら、そういう気分をマスコミが不況風として扇い

でいるということであろう。

 

 結局、実体経済といっても、人々の気分である。

 経済繁栄によって恩恵を受けるべきマスコミ企業が、経済を萎縮

する不況風を吹きたてているのである。

 まさに貧乏神というべきであろう。

 

 

スポーンサー企業の不況責任


 それでも、気分であるならば、景気風を吹かせるマスコミ活動を創

始するべきであろう。

 企業は、そういう縁起のよいマスコミにCMを委ねるべきである。

 新しい放送局、新しいメディア活動を支援することが、より直接的

な景気浮揚政策となるということでもある。

 

 マスコミの新旧交替を促進する改革が求められる。

 

 そして、企業では、マスコミによる不景気気分に染まらないことだ。

 売れないのは、消費者が貧乏神に萎縮しているからだ。

 であれば、景気のよい気分を発信すればよい。

 それが、マーケティング活動である。

 

 マスコミに大金を払い続けている企業や広告代理店は、この不景

気を煽っている背徳の責任を取るべきである。

 すなわち、世間に謝罪し、マスコミ広告を差し止め、自ら新しい放

送局を作ってでも、あるいはフリーペーパーを発行してでも、新しい

繁栄のマスコミを新設するべき責任があるというべきである。

 

 不況風を追い風に、新しい繁栄を作りたいものである。


                           

                                梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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