すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 秋風・・・ 学生ボランティアのイベント 

2007年10月31日 23時43分36秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 ぴゅうと吹きし 銀杏の風に 色づきぬ


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 時雨のころになって、時雨が降った。

 一陣の風がぴゅうと吹いて、

 銀杏が少し、黄色くなった。

 もう、裸足では、あんよが冷たい。

 

 握り飯よ、秋かもしれぬなぁ。

 

 昼飯のころ、久しぶりに生簀割烹の1000円定食が思い浮かん

で出かけた。

 しかし、その店は、銀杏より早く、散っていた。

 

 遅かれ早かれと思っていたが、早かった。

 潰れる店というのは、自分流にこだわって、客の心をつかむ謙

虚さや知性、品格に欠けるところがある。

 

 何しろ、和食の店なのに、アメリカのうるさいミュージックが耳に

障っていた。

 定食の中身もだんだん貧相になった。

 愛想もなくなっていた。

 生簀の魚が疲れていた。

 これを刺身で食べるのかと思うとぞっとした。

 

 

 場所が悪いのではない。

 店員の心配りが悪いのである。

 プロとしてのサービス精神がなかったのである。

 それが、なかなか分からないらしい。

 

 

 

 

 

  小走りに  風吹いており  秋初め 


    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

学園祭の季節だが・・・】 

 学園祭の季節になった。

 といっても、学生時代の経験はない。

 学生運動が学園祭のようなものだったかもしれない。

 

 学生とは、権力にこびず、天下国家を動かす革命力であると、

いきがっていたかもしれない。

 その心意気だけは、青年らしく、溌剌としていたのではないか。

 

 本来、祭りとは、神事である。

 神聖なものとして、神にささげるものである。

 その神を見失ったイベントでも、社会に対して、問題提起し、提

案し、呼びかけるためにするものである。

 単に集客するのでは、商業イベントでも下である。

 

 さて、九州を盛り上げたい、九州の健康ブランドをアピールした

いという、学生たちのボランティアイベントが、11月3日、アクロス

前の中央公園で開催される。

 福岡県教育委員会の後援に並んで、

 わが、神聖・九州やまとの国も後援することにした。

 

《九州ヒューマンフェスタ2007 e-九州健康フェスタ》


 
 

 学生たちのイベントなら、そうした志がなければ、つまらない。

 学生たちの心意気に出会いたいものである。 

                     

                         J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

  

 

 2005年 記事リバイバル⇒   

 http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/360981ea6b74810d3d25a72b01cf533d

 

  

 

 

 

 

 

 

 

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+ 十三夜・・・ カール・ポパー派を警戒せよ 

2007年10月28日 21時46分46秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 十三夜 古代銀杏の 葉に点り

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 旧暦十三夜の月は、その名からして風流である。

  月の色はすでに秋の色であるが、

  銀杏の葉は、未だ青い。

  生きた化石というべきイチョウのことであるから、

  そんなこともあったと、

  大陸が沈んだ時代の魂の記憶を、

  十三夜の月影に見ていたかもしれない。

 

  

休日の運動不足解消法

 さて、不健康ほど、不快なことはない。

 現代的不快の代表は、運動不足である。

 読書もしたいが、運動不足の不快は休日を蝕む。

 

 そこで、家の中で効率よくできる運動不足解消法があった。

 雑巾を持って、家の中を拭いて回ることである。

 ジンワリと汗をかいて、家の中も快適になる。

 これぞ、掃除力。

 

 職場でも、朝一番に掃除をするのは心地よい運動である。

 汚れた職場には、貧乏神が巣食う。

 汚れた街にも、汚れた霊気が集まってくる。

 ブロウクン・ウィンドウ理論で指摘されていることでもある。

 

 啓発しても、雑巾を持って掃除をしようとする人は少ない。

 腰掛でいる人たちだろうと思う。

 仕事のやりがいは、掃除から深まるものであるのに、

 そうは思えないものらしい。

 

 

 

21世紀の課題は、唯物論の克服にある】 

 その背景にある価値観に、唯物論的合理主義、科学万能至上

主義があるのではないかと思う。

 

 その思想的淵源は、サルトルに代表される実存主義(人間は偶然

にこの世に投げ出された存在、すなわち、偶然の存在ゆえに、何の

ために生まれ、生きてゆくのかがわからない盲目的存在とする悲

論)や、プラトンを激しく非難するカール・ポパーの唯物論に見られる。

 

 そのカール・ポパーの信奉者が、ジョージ・ソロスや、ミスター・エン

とあだ名された榊原英資である。

 現実論としてなるほどなということもおっしゃるが、本質的にはポパー

派として警戒すべき人物ということにる。

 

 いやな感じがしていたが、なるほどなと合点がいった。

 

 仏神や転生輪廻の思想を排除するその思想は、神も仏もないとい

う不遜で、無明の考えなのである。

 

 まさに、拝金主義に開かれた地獄思想であると気づくべきである。

 それに気づくまでは、魂の入っていない、危険人物である。

 

 唯物論、

 拝金主義、

 

 これこそが、21世紀が克服しなければならない、地獄思想である。

 神も、仏も認めない暗黒思想であるが故に。

 

                        J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

月に星 金木犀に 十三夜

  黄金に香り 月の明かりに

   
     白川 馬草 Magusa

 

 

 

 

 

 2005年 記事リバイバル⇒   

 http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/e1068107d0e2265029a829e435f3f7d3

 

  http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/24492262ebc9308060be6461c3c4d7d4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 香り咲く金木犀・・・ 仕事考(プラトンの国家を読んで) 

2007年10月26日 12時25分15秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 羽衣を  金木犀に  掛けてゆき

     馬糞 Bafun

 

 

 

  金木犀の季節になった。

   金色のにおい袋をたくさんつけて

   香りが咲いた。

   淡い香りが高貴である。

 

 

 

 

文科と理科の違いについて


 渡部昇一の「文科の時代」を読み返している。

 理科離れが進んでいるらしい。

 これから文科の時代だといって喜んでいるのではない。

 むしろ、嘆いている。

 

 文科が興隆したのではなく、論理的鍛錬を学生が怠るようになった

ということではないか。

 もう一つは、エンジニアが優遇された時代に停滞感が出てきたとい

うことか。

 

 収入に引かれてエンジニアや医者を目指すものが多かった時代が

変わってきたという意味では好もしいことだが、マネーゲームのほうが

楽に儲かるということで文科が人気だというのであれば、好ましいこと

ではない。

 

 

 それにしても、文科と理科の違いが今ひとつわからない。

 数学が得意であれば理科系であろう。

 数学は抽象的な論理学である。

 

 では、文科に論理がないかといえば、論理がなくて思考は進まず、

体系もできないのであるから、文系といえども論理である。

 結局、記号論理が好きか、文章論理が好きかの違いではないのか。

 

 あるいは、プラトンとアリストテレスを対比して区別するというなら、

霊界を知っているか否かの違いだといえる。

 

 結論が見えている論理学がプラトンであり、結論がわからず手探り

で論理思考を巡らすのがアリストテレスである。

 また、プラトンは演繹法であり、アリストテレスは帰納法である。

 

 手探りの論理手法を自然科学というなら、無明といわざるを得ない。

 理系であっても、よく、プラトンに学ぶべきである。

 

 プラトンは、ルネサンスに再評価されて思想的中核に祭り上げられた

ギリシャの哲人である。

 後世にヘーゲルとして転生したという。

 ちなみに、アリストテレスは近代日本の代表的哲学者で知られる西田

幾多郎として転生したという。

 

 

 

 

 

 

 

仕事と報酬は別の仕組み


 そのプラトンの代表作「国家」の第一章を読んだだけでカルチャー

ショックを受ける。

 その中で、もっとも新鮮な思考が、「仕事と収入の仕組みは別のもの

である」という分析であった。

 

 たとえば、医術は他人の病気を治すことを目的として努力するもの

である。

 しかし、その対価として利益は、仕事とは別の、報酬獲得の技術に

よるものである、と。

 

 政治家にしてしかり。

 政治の仕事は、国民、国家のための働きであって、お金や、名誉を

目的とするものではありえない。

 政治家は金に汚いという理屈には、論理の飛躍がある。

 

 「金持ちになるために仕事をする」という発想は、プロフェッショナル

の仕事観に矛盾する。

 

 正しい職業観を持つことは、学生にも、政治家にも、企業家にも問わ

れていることである。

 仕事と報酬獲得の技術を区別して、正しい職業観を立て直したいも

のである。

 

 しかして、仕事とは、他人のお世話をすることである。

 他人のために利益を生むことである。

 そのための修業であり、創意工夫である。

 まさに、仕事とは、すべからく、聖業である。

 

 われわれは、あらためて、拝金主義を戒めなければならない。

 

         J.D.Subunroco.  

 

 

  

 

  2005年夏リバイバル 

⇒  http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/44c7a5abaa759d1c433f6d1fade2f9ce

  http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/ba85156f656f4b40aa7a70bf810e612c

 

 

 

 

 

 

 

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+ 秋の桜色づきかねて・・・ 教育改革論

2007年10月21日 15時11分11秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  散る桜  秋にも散らせ  葉も桜 

  馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 秋桜といえばコスモスであるが、秋の桜もまた、秋の趣である。

 今年は残暑が厳しく長かったから、桜も秋を待ちかねている。

 地球温暖化という人の熱気に、秋も思案に暮れているのであろう。

 

 それでも、今朝の外気温は15℃を下回った。

 風の冷たさがすがすがしい。

 金木犀の季節になった。

 

 

エネルギー革命が未来を開く


 環境問題は、現代人の責任である。

 エネルギー革命に、日本人の叡智を集中させねばなるまい。

 その技術が、あるいは、核兵器の無力化に成功するのかもしれ
ない。

 若者よ、企業よ、エネルギー革命に力を注げ!

 

 

 

 


  滝の瀬を  紅に染めたき  もみじかな  


     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

現代的身分制度と学歴社会

 

 日本には、世襲の身分制はなくなった。

 世界的に見てきわめて均質な中流市民社会である。

 

 身分制とは、実力に関わらない序列が維持される仕組みである。

 その典型が生まれながらに定められた序列だといえる。

 これは、日本からはなくなったが、これに近い形での序列はある。

 これを現代の身分制と言ってよいかもしれない。

 

 本来、人は一生努力して自己変革をしてゆくことが尊ばれるべきであ

るから、固定的な序列は、社会的な偏見ともいえる。

 身分制は、努力を正当に評価しない領域であるから、好ましいもので

はないだろう。

 いわば、既得権益を排他的に確保したいという自己保身の社会心理

というべきであろうか。

 

 そうした、現代的身分制の典型が学歴である。

 

 小・中・高12年間の初等教育の結果として問われる20歳前後の大学

入学試験で、学歴という人生のブランドが確定するのである。

 それは、日本だけのことではないだろう。

 有名大学の存在が、学歴身分の存在を推定させる。

 

 確かに、一定の知的優秀性を推定する証拠ではあるだろう。

 確率的に見て、高卒と大卒では人材としての価値に開きがあること

が多い。

 有名大学卒は、知的に優秀な人材が多いだろう。

 

 しかし、個人単位で見ると、学歴は努力を認めない偏見そのものに

なる。

 学歴は、知的鍛錬の履歴であるが、知的鍛錬や仕事能力は、30代、

40代となるにつれ、順位が入れ替わるものである。
 

 実力の序列は学歴どおりではないということだ。

 それは、マラソンに似ている。

 短距離で優れても、長距離に通用するわけではない。

 ところが、学歴という一時の選別は、企業ブランドによる身分制に引

き継がれ、さらに、社内人事として引き継がれてゆく。

 

 かくして、学歴支配型の現代身分制が事実上の社会システムとなっ

ているのである。

 もちろん、社会は序列によってできている。

 競争なくして発展はないからである。

 

 しかしながら、学歴の過大評価が、好ましくない受験勉強を強いて

いる。勉強の目的が受験合格であって、変質した知的探究に劣化する。

 受験に関係ない科目が軽視され、国民教育から空洞化される。

 加熱した受験競争が心に歪を作る。

 

 その反動で現れたのが「ゆとり教育」という、いわば教育放棄、勉強

放棄の学校制度となって、学校崩壊を招いた。

 受験勉強をしているほうがまだ、まともだったという結果である。

 

 教育のあり方が反省を迫られている今、学ぶことの意義を問い直さ

なければならない。

 

 文武両道の原則。

 一定の基礎体力テスト。

 スポーツ能力。

 スポーツマンシップ教育の中に、競争の倫理がある。

 フェアプレイ精神の中に、公明正大に生きる道徳がある。 
 

 健康学としての体育理論も問われてよい。
 

 

 国民主権教育の原則。

 日本の歴史、文化の理解は欠かせない。

 法治国家の基本原理の理解は欠かせない。

 政治学の基本も欠かせない。

 

 受験科目の多様化を工夫する必要がある。

 

 一回限りではなく、数次の試験の総合点で選別することも検討され

てよい。

 

 ブランドは、競争社会の必然であるが、ブランドは個性であることを

忘れてはならない。
 
 競争の中身が再検討されるべきである。

 

            J.D.Subunroco. 

 

 

 

  

 

 リバイバル 2005年の追い山 追句 

⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/acef9073f2c3cbb9e823682b69a9e46a

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 九州の神原・・・ 私利私欲を離れたところに企業の生命線がある

2007年10月19日 11時59分23秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  神おわす  やまとの国よ   秋桜    

      馬糞 Bafun

 

 

 

 千本桜の都やいずこ

 桜といえば奈良の吉野山だが、九州国の桜はいずこか。

 千本桜は国の象徴である。

 九州国にも、日本一の桜の名所を作りたい。

 その名所は、都になければならない。

 

 やまとの国の都を何処に定めるべきか。

 現代の九州に定めるのであれば、

 湯布院がよい。

 九重と由布岳と由布高原を三方に配するのがよい。

 

 湯布院は、神聖さを保ったありがたい土地だと思う。

 九州やまとの国の聖都、湯布院。

 ここに、春と秋の桜の名所を作り、世に知らしめたい。

 

 

 

 

 

 

    神降りし  紫山の波濤  秋桜

      馬糞 Bafun  

 

 

 

 

 

神の国の気概を

 

 九州は神の国である。

 そのようでなければならない。

 そのような気概を持って、国づくりをしなければならない。

 

 理想を持たなければ、新しい文化文明は興らない。

 九州の政治家に、神の国九州の気概を持っているものはいる
だろうか。

 神の国という理想は、私利私欲を離れたところに生まれる。

 

 国も企業も社会である。

 社会とは人間関係である。

 人間関係とは、私利私欲を離れたところに成り立つものである。

 

 他人の私利私欲に協力したいとは思わないのが人間である。

 私利私欲とは、自己中心、排他的、不道徳だからである。

 

 だから、いかに私利私欲を離れた理想を仕事の中に描いている
かは、企業の生命線といえるだろう。

 無私を偽装した集団は、自滅する。

 

 日本の理想とは何か。

 九州国の理想は何か。

 この企業の理想は何か。

 

 常にそれが、人間関係の絆として問われている。

        

                            J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 風の川・・・ ブランドとは何か 

2007年10月16日 21時37分56秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 風の川 コスモス畑を 流れたり  

    馬糞 Bafun

 

 

 

 万物は流転する。

  風も流れ、コスモスも流れて行く。

  人も流れ、人生も水平線に流れてゆく。

 

  その水平線の向こうは無なのか、闇なのか、滝なのか。

  

  人生行路を望遠鏡でのぞいたら、

  人生は丸かった!

  人生に果てはなく、

  無限に神の周りを公転している。

  それでこそ、万物は流転する。

 

  万物はすべからく生成流転の法則の下に、

  大宇宙の音楽を奏でながら流れてゆく。

 

  秋風が高原に生まれ

  風の川が流れ

  コスモスの銀河に

  吹いて流れた。

 

  風の川 コスモス畑を 流れたり

  

   

ブランドとは何か

 ブランドとは、消費者の信頼の根拠である。

 ゆえに、誠意であり、志であり、気概でなければならない。

 人で言えば、人徳に相当する。

 

 意なくば、信ならず

 信ならざれば、事ならず

 

 ブランドは、愛でなければならない。

 ブランドは、知恵でなければならない。

 ブランドは、決意でなければならない。

 ブランドは、行動でなければならない。

 

 ブランドは、人々から愛され、

 尊敬されるものでなければならない。

 

 ブランドを私利私欲としてはならない。

 ブランドを、自己顕示欲としてはならない。

 

 ブランドとは、使命である。

                     J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                        

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+ 秋草の絵・・・ 歩くことが楽しい街づくりを  

2007年10月14日 10時27分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 秋草や  絵筆の先の  風に揺れ

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 秋草の細い線は、絵心を誘う。

 まるで、屏風絵のような風景もある。

 秋には、枯れた美しさがある。

 

 四季の美しさがあると、歩くのが楽しくなる。

 歩くことは、健康の基本である。

 歩くことが楽しくなる街づくりを目指したい。

 

 

 ちなみに、健康の要素には4つある。

 ① 食事(バランスよくほどほどに)

 ② 睡眠(8時間が基本。心を浄化している時間である)

 ③ 運動(歩くことが基本)

 ④ 生きがい(向上心、貢献奉納の志)

 

 観光地も、歩くことが楽しい街づくりをすることだ。

 せっかくの温泉地も、歩いて楽しい所は少ない。

 

 黒川温泉は、この楽しみを取り入れていると思う。

 湯布院は比較的歩ける温泉町であるが、車が多すぎる。

 嬉野も武雄も、いい温泉があるのに、歩く楽しみが少ない。

 

 歩く環境は、都会にこそ求められる。
 
 都会の中に、草の生える遊歩道を作ってはいかがか。 

 建物も、壁面緑化、屋上緑化を義務付けるべきである。 

 砂漠のような町だからこそ、犯罪が多くなるのだ。

 子供たちが殺伐としているのだ。

 

 花鳥風月の街づくりを、九州やまとの国の基本政策としたい。 

 

                         J.D.Subunroco. 

 

 

  


   
サルビアの 緋色に燃えし ロミオかな  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 中洲のシギ・・・  管理会社にのっとられた、アクロス前中央公園  

2007年10月12日 21時39分37秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

※ 博多と福岡を分ける、那珂川の中洲

 

 

  秋走る 中洲のシギが 魚を捕り


     
馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

  日本から、干潟がめっきり減った。

  そのために、干潟の渡り鳥が住処を失い、

  旅に疲れて、絶滅に向かっている。

 

  公務員の仕事を作るために、

  土木業者の利権のために、

  使い道のわからない予算のために

  多くの干潟が失われ、

  川岸が失われ、

  多くの河川の生き物が絶滅していった。

 

  だからこそ、公務員を半減しなければならない。

  この地上は、人間だけで生きているのではない。

  他の生命に思いやりがないのなら、

  人類もまた、

  絶滅するほかはない。

 

  官僚は、国家の役人ではなく、

  政治家に雇われるという形をとるべきではないか。

  そうすれば、

  政治家とともに、選挙で選ばれた役人の性格を持つ。  

  

  官僚の人事権は、政治家が握る。

  よい仕事をしていれば、安定して引き継がれるであろう。

  公務にも、市場原理が必要である。

 

 

 

 

  イオンゼライトという管理会社にのっとられた形のアクロス前中央公園                       

 

 

公務民営化の落とし穴

 公務員の半減、公務の民営化は迅速に進めなければならない改

革課題である。

 しかし、従来の公務を単純に民間に委託すればよいというのでは

ない。

 権力作用の性格を残したままでは、社員が恣意的に権力を行使す

るからだ。

 


 そのよい例が、福岡県のアクロス前中央公園である。

 公園は自治体の資産である。

 しかし、管理費用を削減するために、民間に管理権を委託すること

になったそうである。

 

 

 福岡県の公園管理は、イオンゼライトという会社が管理事業を落札

して、事実上、公園使用許諾の実権を握っている。 

 その実権は、窓口のネクラな女性社員に任されている。

 

 その結果、公園の使用が厳しく規制され、芝生を養生するための

場所になってしまった。

 芝生の植えられた部分には半年近くロープが張られ、立ち入りが

禁止された。

 その後も、歩くこと、寝ること意外は禁止された。

 スポーツ禁止、イベント禁止という具合である。

 

 所有権が移転されたのだろうと思っていたら、そうではないらしい

のだ。

 つまり、一企業が、公園利用に関する実質的な行政権限を握って

いるという状況なのである。


 「公園は、災害に備えてそこで眠るための芝生を養生するためにあ

る。

 だから、スポーツもさせない。イベントもさせない」というのだ。

 もちろん、造園会社も同じである。

 

 その背景には、落札した管理料から利益を出すためには、管理費

用を抑えたい。

 そのためには、使わせないのが一番という打算があることは明白

である。

 

 

 そうした打算によって、公園は芝生を育てるための場所になり、広

場のない天神で、昼休みのバレーもできなくなってしまった。



 公園が、芝生のためにあるなんて・・・。

 

 公有資産の管理権を民間に丸投げしてはならない。

 公園は、管理会社や造園業者のためのものではない。

 彼らに、実質的な使用許可権まで与えてはなるまい。

 

 福岡県には、反省を促したい。

 

                          J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ コスモスの風・・・  歌心に遊ぶ  

2007年10月11日 08時05分50秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 


 

 

 コスモスの  楽しげに吹き  幸えり


    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

  時代劇が最終章に近づいてきた。

  同じ若者ドラマであっても、

  現代ドラマとちがって、

  美しく、絵になるのである。

 

  現代人の生活は幸福なのだろうか。

  自由という無秩序が、そんなにも居心地がよいのだろうか。

  男も、女も、時代劇に見る美しさを失っていると

  つくづくと思う。

 

  イワネという、

  その主人公の心情を散文詩にしてみた。

 

  詩を創作する時間は、心に潤いをもたらす。

  俳句をひねる時間は、心の旅路に遊んでいる。

 

  芸術の秋に遊ばないだろうか。

 

 

 

 

  

  『コスモスブルーの空に』

  HIMUKA

 

 

  憧れの地を

  やがて去ろうとする

  その一瞬が まばたく時がある

  

  これほど近いことが

  無限の距離を秘めて

  手に届くその時を 振り切って行く

 

  だからと言って

  もてなしの地に 甘えたくはないと

  再び、自らの戦いの地に戻ってゆく

   

  運命の星は また巡り会って

  背中を合わせた その時を

  遠い時空に 放つのか

 

  秋の桜は 気高く咲いて

  すれ違う 風の狭間に

  精一杯に 微笑みながら

 

  こらえた涙が

  空のきらめきのように

  風に揺られて 咲いている

 

  コスモスよ

  コスモスブルーの  

  空の花よ

 

  銀色の 

  寒露の涙を 散りばめよ

   

  空の上には 永遠の銀河が流れ

  きらめく星の 涙をためて

 

  潔く あり続ける

  潔く あり続けている

 

 

 

 

 

 

 

                                J.D.Subunroco.  

 

 

 

 

 

 

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+ 天使の花、朝顔・・・ 笑顔について 

2007年10月08日 07時49分09秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  朝顔の 好き朝もあり 笑みて行き


     
馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

  朝顔はすがすがしい。

  咲いている間は、朝である。

  我が家の朝顔は秋に咲く。

 

  今年はあまり咲かなかった。

  貴重な一輪が咲いた朝は、めでたい朝である。

  その朝はすがすがしく、笑顔で始められる。

  

  朝顔は天使の花である。

 

 

 

 

 

 

 【笑顔について

 

 かつて、人前で笑顔ばかりでいる自分が、とてもつまらなく思えた

ことがあった。

 普段は笑顔のない人の方が、しっかりして見えた。

 それで、笑顔を例外にすることにした。

 

 しかし、笑顔がないときは、強い自分を正面に出しているのかもし

れないが、他人に対する優しい気持ちが引っ込んだ。

 

 それで、自然体の笑顔でいることのほうが優れているのだと納得

した。

 

 「顔施」とは、笑顔を施すことである。

 

 外国の映画を見ていると、めったに笑わない。

 それどころか、怖い顔をして顔を付き合わせる。

 キリスト教徒文化の悪いところだ。

 

 この点は仏教が優れている。

 天照大神の国日本も笑顔に優れている。

 笑顔の少ない人は、サービス精神の少ない人である。

 この点、ユーモアの国イギリスではどうなのだろうか。

 

 微笑みは福をもたらす。

 微笑は、百薬の長である。

 微笑は、最高のもてなしである。

 

 微笑んで死ねるように、努力したいものだ。   

                        

                         J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 渡来の風と秋の月・・・  ネアカとネクラ

2007年10月07日 09時38分39秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 渡来する   博多の風に   月浮かべ

 
   
馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 芸術の秋である。

 博多の風は、韓から渡って来る。

 そのせいか、多少異国情緒の月である。

 

 長崎はめずらしく暖かなおくんちであるが、

 行けそうもない。

 長崎は、今日から雨が降るという。

 郷土の祭りというのは、懐かしくなるものらしい。

 行けたらいいなとおもいつつ・・・

 

 

 

 

 【ネアカとネクラ

 

 「ネアカ 伸び伸び へこたれず」

 元ダイエーの中内功氏のお話を一度だけお聞きしたことがある。

 大人物にかかわらず、白髪の小柄な方であった。

 

 阪神大震災のときは、自治体が優柔不断に考え込んでいたとき、

真っ先にヘリを飛ばして、救援物資を現地に運び込んだ。

 中内氏の自宅も崩壊していたというのにである。


 その大胆さは感動的であった。

 愛の人であったと思う。


 「土地バブル潰し」という日本的嫉妬政策によって、ダイエーも潰さ

れてしまった。

 それでも、中内氏はへこたれたわけではあるまい。

 最後は潔く身を引いた。

 

 進もうとするとき、逆風は強くなるものである。

 そのとき、ネアカとネクラの違いが鮮明になる。

 

 人間には明るさがある。

 肉体が光るはずはないから、

 心の本質が光であることを現しているだろう。

 

 自分より力があり、優れた人が現れたとき、

 ネアカは興味をもち、いろいろと教えてもらおうとする。

 これに対して、ネクラは嫉妬をする。  

 

 難しい問題が生じたとき、ネアカはやりがいを感じ、あれこれと解

決の方法を工夫する。

 

 これに対して、ネクラは他人を批判し、やれない理由を悲観する。

 

 試練の時代は、発展の時代である。

 心のワット数を上げて、新鮮な仕事のやりがいを楽しもうではな

いか。

 

                         J.D.Subunroco. 

 

 

  

 

 

 

  半月を 秋の葉に置き 禅の寺

     
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 脚下照顧、瞑想の一時をもとう。 

 

 

             立憲女王国・神聖九州やまとの国

              梅士 Baishi

 

 

                  

 

 

 

 

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+ 四面楚花? 

2007年10月06日 08時06分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

 猛暑たり  太平洋に  ざんぶりと  


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 記録的な猛暑も約束の彼岸を境に太平洋に引いていった。

 しかし、その夏の体温は異常だったと思う。

 ぴりぴりとした暑さに、誰しも地球生命の異変を感じたのではない

か。

 

 地球生命以前に、人間の心に異変が起こっている。

 その原因は、

 身分制の廃止と、科学の発達による人間の傲慢化、物質化、

れに反比例した信仰心の減退、そうしたところにあるのではないだ

ろうか。

 

 日本民族も質的変化を起こしている。

 肉体のDNAは維持されているととしても、背が高くなり、太り、ひ

弱になり、顔立ちも変わってきた。

 何よりも、心変わりが激しい。

 

 愛国心は失われ、

 民主主義といっても、政治に無関心か、政治をきたいないと思い込

んでいる。

 その結果、国家に対して無責任で、自己中心的である。

 

 愛国心がないから、ビジョンも提案もない。

 マスコミが第一権力なのに、民主的統制を受けず、

 独裁権力を変だと思わないかといっても、ただのマスコミ嫌い、極

端な考えに過ぎないといわれる。

 ましてや、チャイナの自治区に編入されて、日本ではなくなる危険

を言っても、何を突拍子もないことをと一笑に付される。

 

 さまざまな問題提起をし、ビジョンを示し、提案や、警告を発しても、

口先だけだと揶揄される。

 言うのは簡単だが現実ではないと言われる。

 理屈ではなく、感情である。

 

 四面楚歌というほど勢力を張ったわけでもないが、改革を志すと、

そういう感情的不条理が立ちはだかるものらしい。

 

 しかし、命がけで志を貫いている政治の世界ではそれが日常茶飯

事のことである。

 英雄であっても、問責され、処刑されることもある。

 

 

 和ということも、一歩間違えば、衆愚制になる。

 

 変革を志せば、和を乱していると非難され、捨て台詞や、陰口といっ

たつむじ風が埃を立てる。

 それが、先頭だって走っているときの空気であろう。

 

 季節は巡り、異変止むことのない地球であるが、あるいは、大宇

宙の先頭を突き進んでいるからなのかもしれない。

 

 今、そのような時代を生きている。

 

                           J.D.Subunroco. 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 午後4時に咲くオシロイバナ・・・  経済力を落とし続ける日本 

2007年10月05日 09時19分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 おいでませ  おしろい花に  日が暮れて

     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 夕方に咲くオシロイバナをFour-o'clockの花ともいうそうである。

 そういえば、オシロイバナにたどり着いたころは午後4時過ぎで

あった。

 小ぶりの花だが、大輪の真紅の花だった。

 

 

 

 

 

 

日本の伝統か悪癖か

 「報道2001」で竹村健一氏が、日本経済の縮小傾向に警告を発

していた。

 日本がどんどん経済力を落としている。

 社会主義ないし、共産主義の方向に進んでいる。

 即ち、貧しさの中の平等である。


 問われているのは、 平分社会と嫉妬体質という、日本型共産主

義の国民性であろう。

 国レベルでの名目GDPは、アメリカの37%規模、世界の10%規模

で、かろうじて2位を確保しているが、世界のGDPに占める割合は半

分近くに縮小している。

 これに反比例して伸びているのが、無神論、拝金主義の国チャイ

ナである。
  

画像1

出所:内閣府「国民所得統計速報」

 
 
☆国内総生産、名目GDP
 1位 米    12兆3979億ドル
 2位 日本    4兆5545億ドル、547兆円
※世界GDPの10.3%で、94年18.0%から下落基調。
 
 3位 ドイツ   2兆7869億ドル、
 4位 中国    2兆2343億ドル
 5位 イギリス 
 
 
☆1人当たりの名目GDP(OECD30カ国順位)
 1位 ルクセンブルク 7万9565ドル。96年以来首位
 2位 ノルウェー   6万3961
 3位 アイスランド  5万5517
 4位 スイス     5万0489
 5位 アイルランド  4万8289
 6位 デンマーク   4万7718
 7位 米国      4万1574
 8位 スウェーデン  3万9535
 9位 オランダ    3万8577
10位 イギリス    3万7310
・・・・・・
14位 日本      3万5650ドル(約400万円)
(04年11位)
 

 

 

 経済指標は、国や人の活力を表す。

 信用と期待、尊敬と支持を表す。

 チャイナはどうか。

 帝国主義による力の支配で伸び続けるか、破滅するか、どちらか

であろう。

 

 日本は・・・。

 経済の好調が見えてくると、格差批判で潰される。

 急速に伸びてくるものは荒っぽい。

 モラルを欠いていることもある。



 これに対して、教育的指導ではなく、潰すのが日本の国民性であ

るらしい。

・・・経済も、政治も、スポーツさえもが、おかしな競争社会になって

いる。

 競争のあり方を教えるスポーツも、郷土愛を忘れた選手の買収合

戦に始まる。

 格差社会論は、嫉妬の合理化論である。

 拝金主義、自己中心主義、嫉妬主義・・・。

 心の砂漠化が日本に広がっている。

 

 道徳が衰退し、信頼や尊敬を失う国は衰退する。

 神が尊敬されない国、宗教や政治が悪いものでもあるかのように

扱われる国は、堕落し、衰退する。

 

 そうした危機感を感じざるを得ない。                   

                     

 

 

 

 

 夕暮れに   おしろい花が   紅をさし

      馬糞 Bafun

 

 

 

 

                       立憲女王国・神聖九州やまとの国

                       梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 本の山と秋の空・・・ 学ぶことの喜び

2007年10月01日 07時48分21秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 積む本の  未踏の智慧の  山の秋 

 


      馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 福澤諭吉は実学の精神を説いた。

 しかし、学問の本質は、ただ学ぶことの快感である。

 

 そのような教養が養われていないことに貧しさを知る。

 

 海面下の巨大な氷山とは、歴史であろうと思う。

 人は、歴史を学ぶことによって、学びの喜びと、水面下の不動の

安心を覚えるのである。

 

 そうでありながら、一冊の本も読み終わらない。

 たどる道程と空想の道草に一日が暮れてゆく。

 

 この世の悪霊ともいうべき愚かな者どもが人の形をして生きている

この世にあって、これに憤っている時間も惜しくなるほどに無限の思

想に触れ、驚き、感動し、そのように、本に埋もれて命尽きることは、

一人の至福である。

 

 知るということは、それだけで感動であり、満足である。

 

 そのような、純粋な知性が、巨大な銀河の恒星の輝きのように、

無限大に渦巻いている。


 それは、人の偉大さなのではない。

 神の偉大と恵みの片鱗を感じるのである。

 

 神の叡智の一端に、その裾野の一糸に触れて、巨大な感慨に打

たれるのが、知ることの喜びであろう。

 

 知ることは考えることであり、考えることは行うことである。

 

 学び、考えることは、伝播することによって、時代を変えてゆく。

 

 人の最大の行動は、感化し、共感することである。

 

 知ることは、巨大な行動の波を起こす力を秘めている。

 

 

 外気温20℃、室内26℃。

 今年の秋は、それほど長くはあるまい。

 

 

 

                          

                          

 

                立憲女王国・神聖九州やまとの国

                  梅士 Baishi

                  

 

 

 

  

 

 

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