すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 洞門の窓・・・ 多数決の本義はリーダー責任にあり 

2007年11月30日 14時10分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  穿ちたる   岩屋の窓の   秋景色

  
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 岩屋はこの世である。 

 青の洞門のように、

 この世の修行の果てに穿った岩屋の窓からは、

 この世のものとも思えない美しい秋景色が広がっていることであろう。

 

 プラトンが言うように、この世こそはとらわれの岩屋であろう。

 岩屋から放たれた魂は、まさに天国の心地して楽しむであろう。

 

 しかし、地獄の心で生きた人間は、窓が開くことはなく、

 暗くて寒い洞窟の地下深くに囚われることとなる。

 

 そんなことがあるものかと小ばかにしながら、

 地獄の心のままに生きている人間の何と多いことか。

 そこにも、ここにも、あそこにも。

 

 秋の落ち葉であるならば、はかなくも美しいものを、

 地獄の魂に、およそ、美しいということはない。

 心のそこから、おぞましいのである。

 

 この世の民主主義が単純な多数決であるならば、それは、弱肉強

食の論理であり、私利私欲の駆け引きがまかり通る地獄道である。

 多数決主義によって、現世は地獄になる。

 

 「狭き門より入れ。狭き門への道は茨の道であるが、命に至る門で

ある。

 これに対して、「滅びに至る門は広く、そこから入る者は多い」。

 多数決が亡びにいたることを意味している。

 

 ゴキブリは、三匹以上の多数についてゆく習性があるという。

 おとりのゴキブリロボットが人目につく明るい方へ行くと、他のゴキブ

リもついてゆくのだという。

 

 こうしたゴキブリ決議を、民主主義だと思い込んではならない。

 多数決とは、最終的には多数が納得して決定できるように、よくよく

議論して決めるということである。

 

 

 

 

 

 

再び、民主主義の本義について


 意のままにならない議案について審議拒否をし、与党が議決

したら、

強行採決だとけなし、「多数派の横暴だ」とけなしてきたのが民主党

だった。 

 その舌の根も乾かないうちに、問責決議とかで、参議院で「多数派

の横暴」を実行して見せた。


 なぜ、政治をそのように貶めるのか。

 なぜ、恥知らずの悪口政治を続けるのか。

 それが、政治というものだなどとは言わせない。

 

 賞味期限切れでも企業は倒産する。

 それよりも重大な、言動に無責任な政治をする政党であれば、解党

を余儀なくされてしかるべきなのである。

 

 民主主義とは、社会の意思決定のシステムの一つである。

 その本質は、多数決にあるのではない。

 意思決定の過程に参加し、反対意見を述べ、比較検討し、多数決

に対して、責任を持たせるところに意義がある。

 

 少数意見であっても、そこに理があれば、多数意見も修正を余儀な

くされる。

 そうでなければ、国民の支持を失うことになるからである。

 

 また、政党は、国政を請け負う企業のようなものである。

 企業は、意思決定のために会議をするが、最終的には、社長が

断する。

 与党が多数派であっても、実質は、首相の決断に決定力があるだ

ろう。

 これによって、滅びに至る多数決が是正されているのである。

 社長の決定が少数意見であるなら、その責任は重い。

 誤った決断であれば、政権交代の責任も負う。

 

 少数野党は少数意見であるが、

 そこに正義があれば、次の政権を任されることもある。

 

 即ち、野党の立場は、与党の責任を問う少数意見を提出するとこ

ろにある。

 その正義を、国民にアピールするところにある。

 それで十分なのだ。

 悪口雑言は、政治家の恥と知れ。

 

 

 しかし、さらに制度的な問題がある。

 審議をする意思決定の会議が参議院で242人、衆議院で480人と

いうのは、会議体の姿ではない。

 あまりに多すぎる。

 代表質問という形式も、会議のディスカッションの姿ではない。

 

 参議院は廃止。

 衆議院は、任期8年の専門議員と解散総選挙もある任期4年の選

挙議員それぞれ50人づつ程度にする。

 ディスカッションは、代表議員によって行い、決議は、全議員で行う。

 

 会議の模様は議会放送部において生中継し、総集編も放送して国

民に知らしめる。

 

 滅びに至る民主主義は、早急に是正されなければならない。

 

 

             立憲女王国・神聖九州やまとの国

              梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 2005年リバイバル(長崎くんち) 

 http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/0af17a474a089a6f1afc4dc630a358db

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ もみじ錦・・・ 挽歌Ⅱ 

2007年11月27日 23時38分37秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  逝く人も   紅葉錦の   山を越え


     
馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 成人式を前に、錦の振袖を楽しみに選んでいたという娘が、

 日々を楽しみながら、突然に去った。

 紅葉舞い散る季節だった。

 

 美しい大和の秋を楽しんで行くが良い。

 美しい日本に生まれ、錦絵のようなその秋に空を飛べるのだ。

 よい国に生まれたのだった。

 美しいもみじ錦を、魂に描いて、

 あなたらしい、楽しげな村に還るが良い。

 そこにも、あなたの仲間がお祝いに集まってくれるのだ。

 

 あなたの仲間たちが、たくさんの折鶴を持ち寄ったが、

 今度は、花束を添えに行くのだという。

 幸せな人生だったね。

 

 突然に霊にかえってしまったけれど、

 寂しい顔をしないで、

 いつものように、元気良く、

 お世話になった人たちに、

 あなたの光をキャンドルサービスしてください。

 もうすぐ、クリスマスですからね。

 そして、新年の朝に、天に昇ると良いと思う。

 

 『みなさん、明けましておめでとうございます。

 良い一年をお迎えくださいね。

 私は、めでたい気持ちで天に帰ります。

 ごきげんよう。

 また、お会いしましょうね。』

 

 

 

 

 

  春を待つ   花は桜と   散りぬれど


   彼岸の春を   花盛りせむ 

 

           白川 馬草 Magusa

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 書の奥道・・・ 仕事の本質

2007年11月24日 12時48分58秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


  旅もあれど  書の奥道に  行く秋もあれ 

 
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 紅葉の奥山に分け入りたいとも思う。

 温泉を訪ねて、憩いたいとも思う。

 しかし、心の扉をこそ開こう。

 書を開いて、知をたずねよう。

 やり遂げなければならないことが山ほどあるのだから。

 

 人の心はままならない。

 結局、仲間か否かを選別している。

 仲間は同時に、師としての品格も求められる。

 しからされば、人は離れるものである。

 

 人は、力量に優劣があり、

 その仕事に優劣がある。

 謙虚でなければ、連鎖が途切れる。

 

 仕事の劣等は、愛の強さと、

 反省と学びの素直さによって贖われる。

 

 ボランティアであっても、その仕事の質が問われる。

 してやっているという仕事は、手抜きであることが多い。

 仕事は与える愛である。

 

 仕事は人間関係である。

 誠意が問われ、他人の幸福に責任を負っている。

 

 だから、商品は目的に対して最高の価値を提供するもので

なければならない。

 目的が同じなら、値段によって品質が変わるべきではない。

 

 価格はいかに決定されるべきか。

 結局は、仕事を安定して継続発展するための資源の公平配分

である。公平とは、愛の想いの広さを推し量るべきである。

 想定した人々がそれを望むなら、買い手がつく。

 判断するのは、市場の人々なのだ。

 

 仕事は、市場への問いかけである。

 先行投資である。

 与えきりであることの覚悟がなければならない。

 

 愛とは、共感を呼び、協力者を呼び、尊敬を呼ぶ。

 それが、信用である。ブランドである。

 だからこそ、仕事とは愛と智慧と勇気の結晶であるのだ。

 

 人材の基礎教育もまた、

 この愛と智慧と勇気を育てるものでなければなるまい。

 人々の目標となるプロフェッショナルよ、

 人々に、その愛を語れ。智慧を語れ。決断を語れ。

 

 新たな発展のために、

 仕事の原点に返って反省すべきときが来ている。

 

 

             立憲女王国・神聖九州やまとの国

              梅士 Baishi                            

 

 

  

 2005年リバイバル(黄金の国ジパング・・・ 神功皇后の系譜)

⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/683f65a7cdd96b61f56234b8db1bae41

 

 

 

 

 

 

 

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+ 冥福を祈って・・・ 八女の娘への挽歌

2007年11月24日 08時40分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  もみじ葉に   あらざるものを   散りて逝き

 
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 挽歌

 活発だった八女の娘が、見守る親の悲しみの中で、

 心停止した体の霊子線を切ろうとしている。

 バイクによる交通事故だった。


 

 天上界の七色の光が注いで、傷ついた霊体を癒していた。

 肉体も蘇るのではないかと期待したが、

 肉体生命を回復することはできなかった。

 

 これから、CGデザイナーとして育ってゆくはずだったのに・・・。

 「人前で話せなかった私が、こんなに話せるようになりました」

とはしゃいでいたのに・・・。

 日本の黄金時代がその人生だったはずなのに。

 

 若い人の死は、痛ましい。

 人生で計画された死ではなかっただろうに。

 親の悲しみはいかばかりか。

 

 

 

 

 

 

 

 秋山の   紅葉を茂み

 迷いぬる   妹を求めむ   山道知らずも        

   柿本人麿の挽歌

 

 

 

 

 しかし、心を乱してはならない。

 全ては、自己責任なのであるから。

 夢から覚めて、いったいどうしたのだろうと思うのだろうが、

 

 肉体を失ったのだから、

 わが身に起こったことを理解して、反省をし、

 父母にお詫びを申し上げて、

 あの世に還るが良い。

 

 

 

 

 

 

 

 仕方がない。

 この世の修行は、出直しである。

 次の時代には、もはや、交通事故ということのない世の中になっ

いるであろう。


 

 現代の交通は、誰にも慣れない危険な道具だった。

 そういう私も、ひき逃げに遭って、命を落とすところであった。

 後ろから迫ってくるライトは、暴走していたように思う。

 その者たちの罪は、魂に刻まれて地獄の苦しみに裁かれるこ

とであろう。

 

 そのような理不尽が、現代の交通便利の代償なのだ。

 

 娘よ、安らかに旅立つことが、今世の親孝行である。

 

 

                           J.D.Subunroco. 

 

 

 2006年の挽歌

⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/1d5cdda4f558a80012e569ab713a20e1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ もみじ葉の夏を染め・・・ 全体食のすすめ

2007年11月23日 16時29分04秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  繁みたる  もみじの夏を  染めており

 
      馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 温暖化の熱を冷ましてくれるならありがたいが、

 暦の小雪の方が出遅れた感じの厳しい冷え込みである。

 東北は積雪70センチの大雪だという。

  

 紅葉は最後の見ごろを迎えている。

 かといって、もの思いの季節に、

 ゴールドラッシュのような観光でもあるまい。

 ここはやせ我慢、やせ我慢。

 

 ちょっとした出先の裏山にも、見事な紅葉があった。 

 一枚一枚が、この一年を物語りしているかのようだ。

 この一年も、天地の恵みに生かされてきたが、

 世の中の出来事は、

 葉っぱにも書きつくせないことである。 

 

 

 

全体食のすすめ

 全体食という考え方がある。

 食べ物を精製して食べるのではなく、生き物としての全

体をいただくというものである。

 皇室の食事も、全体食を取り入れているという。

 米は玄米、大根は、皮も葉っぱも食べる。

 

 これによって、バランスの取れた栄養が健康を支える力

を与えるのだという。

 

 食物の栄養というのは、その生き物の生命力を反映して

いるという考え方もある。

 
 確かに、健康食品などは、生命力の強いものが選ばれて

いる。

 びわの葉、よもぎ、どくだみなどの漢方に使われている
植物もそうである。

 

 現代の食事で全体食がどれほど残っているだろうか。

 せいぜい、尾頭付きのメザシ、秋刀魚というところか。

 

 まずは、主食を玄米食に切り替えたい。

 これが特に良いらしい。

 日本の野菜は、国産というブランド価値が上がっている

が、さらに全体食ブランドで売ってみてはいかがだろうか。

 

                

                立憲女王国・神聖九州やまとの国

              梅士 Baishi

 

 

 

  

 

 2005年リバイバル

http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/f7f6771f3d8c6f05c06403d2230f69c1

 

 

 

 

 

 

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+ 木枯らし・・・ エネルギー革命への原油価格高騰

2007年11月22日 08時06分11秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  木枯らしの 花はいろはに 散りて咲き   


     馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

  11月22日Thur. 7AM  

 

 室内気温は、16℃。 

 あれだけの記録的な残暑だったのに、

 手のひらを返すように、夏から冬になった。

 博多の秋場所は、冬場所になった。

 


 う~ん 寒い!

 が、11月ごときにストーブなど、ありえないことである。

 九州の美学が許さない。

 

 

エネルギー革命へ!

 原油先物取引価格が一時、1バーレル98.8$。

 アラブのお大尽は、札びらを切って遊んでいるらしい。

 イスラムの教えとは一体何なのか。

 緑の募金に協力を・・・。

 

 しかし、原油はもっともっと高騰してほしい。

 それほどに、石油離れが求められているのだ。

 エネルギー革命への必然を迫っている。

 

 とりあえずは、大型太陽電池タンカーというのはどうか。

 すると、造船と発電プラントが繁盛する。

 航空機も電池で飛ばないのだろうか。

 究極は水素を使った核融合エネルギーなのだが・・・。

 

 砂漠には、人工葉緑素を使って酸素を発生させるというプラントも開

発されたいものだ。

 これを発明すれば、アラブの王様が高値で買ってくれるだろう。

 

 何とも、面白い時代である。

 さて、次の一手は。

 

                       J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 2005年 リバイバル

⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/62724841f8fdd0fde6c81ac5c3c47308

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ ヘリコプターの嵐・・・ 身近な航空機として  

2007年11月19日 07時23分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  枯葉舞う  ヘリコプターに  賑わいて


     
馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

11月19日Mon 7AM  室内気温18℃

 

 今朝は、メジロに混じって、珍しいお客さんがあった。

 ホオジロである。

 メジロよりがっしりして見える。

 

 ぐっと冷え込んで、みかんがおいしそうだったのだろう。

 にぎやかになりそうだ。

 

 

 枯葉舞う秋は、もの思いの季節であるが、

 たまたま遭遇したヘリコプターの着陸実験に舞う枯葉は、

 ちょっとしたイベントだった。

 

 ヘリコプターを知らないものはないだろうが、

 身近に見る経験は少ないだろう。

 舞い上がったところでも、突風のような風が吹き付ける。

 

 

 

 

ヘリ交通の魅力


 バス並みの40人くらい乗れる旅客ヘリが
もっと身近に運行されたら

良いのにと思う。

 全員窓際席の細長いヘリは観光向きである。

 

 都会のど真ん中でも、紅葉の温泉地でも、小さなヘリポートで離発

着できる。

 ジェットヘリを作れば、離発着はローターで、走航はジェットで効率よ

く使い分けられる。

 

 いずれは、反重力装置が交通革命をもたらすであろうが、それまで

は、嵐を起こすヘリコプターの騒々しさを楽しみたいものだ。

 

                        J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

2005年リバイバル(仮の世の花・・・激動時代のチャンス)

⇒  http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/7d4ce25a1e0c8de7bb6f12c83ded00ae

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 壇ノ浦の風・・・ 多地域少量交通・革命の提案 

2007年11月19日 06時30分38秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  壇ノ浦 渡りし風の 落ち葉かな


     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 門司から関門橋を渡ると長州である。

 橋の辺りの海峡が、安徳天皇を沈めた壇ノ浦である。

 人望を失った平氏は彦島に孤立し、壇ノ浦の春に滅亡した。

 

 ちなみに、安徳天皇は、現皇太子の過去世だという。

 美智子妃殿下が安徳帝の母、建礼門院子である。

 今世に転生して、わが子の即位を見届けるのが、

 美智子妃の魂に刻まれた宿願であろう。

 

 平氏の本拠地は九州であるが、

 その勢力も、さして力にはならなかった。

 奢れる平氏も久しからず、

 秋波は四面楚歌の冷たい風であったろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多地域少量交通・革命の提案

 

 毛利再生の地、長州に渡ると、

 紅葉が一段と鮮やかだった。

 下関を過ぎると、もう、都会がない。

 

 この地は九州と関西をつなぐ海道なのだと思う。

 往来を発展させるためには、

 九州が発展しなければならない。

 海運工業や小型航空機産業を発展させ、

 小回りの利く、多地域少量交通革命を起こす必要がある。

 

 九州、中国、四国は、

 小型航空機専用空港を、

 観光諸地域や主要都市部に開港することである。

 

 田舎や小都市は、多様性を求める時代の、

 新しい資源という自覚を持つことである。

  そこには癒しがあり、もてなしがあり、変化を構成している。

 

 多様性と手軽さこそが、新しい発想となるであろう。

 

                        J.D.Subunroco. 

 

 

 


※ 正面から見るメジロは、達磨さんのようである。

 

 

 

2005年リバイバル(Sun Rise)

⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/91316650f672683be4e8ebce25437fdf

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 九州場所の大銀杏・・・ 力士よ、神聖なる繁栄を地に植えよ

2007年11月18日 08時29分35秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  大銀杏   九州場所に   栄えたり


    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 博多の大相撲九州場所が七日目を終わった。

 引退がかかった角番大関、魁皇は4勝3敗。

 2007年九州場所が引退相撲となりそうだ。

 

 気になる相撲ではあるが、

 現場の相撲を一度も見たことがない。

 

 かつて勤めたことのある会社の創業者は在日韓国人だったが、

 大の相撲ファンで、いつも最前列に陣取ってみていた。

 テレビにも映るのである。

 相撲桟敷にも、階級が歴然としてある。

 しかし、その会社もいつの間にか倒産して、姿を消した。

 

 

 子供の頃から、相撲は好きだった。

 横綱輪島の時代、こぶしに汗をかきながら、

 がっぷりよつの力相撲を見ていたものである。

 ところが、失脚。廃業である。

 

 その後、北の湖や千代の富士に魅了された時代もあった。

  

 ちなみに、千代の富士の過去世は、田力男之命だという。

 岩戸隠れをした天照女王の大岩をこじ開けた、

 強力の神で知られている。

 まさに力士である。

 

 千代の富士は、現代相撲中興の祖と見えた。

 しかし、これを継ぐはずだった貴乃花以降は、

 すっかり、しらけてしまった。

 

 今は、テレビも見ない。

 朝青龍の相撲は時々見ていたが、

 モンゴルサッカーで姿を消した。

 

 モンゴルでサッカーをしようというツアーがあれば魅力だ。

  

 モンゴルの草原でサッカーをし、馬に乗りたいものだ。

 朝青龍が指導してくれたら、最高だ。

 

 相撲の原点が見失われてしまったようである。

 

 

 

 

 

 相撲は、神聖であることを忘れてしまったかのようである。

 そのマワシに下げたしめ縄を忘れてしまったのか。 

 九州場所では、神の力士であることを忘れるな。

 

 力士たちよ、神のごとくあれ。

 

 九州は神の国である。 

 海外巡業を、エンタテーメントにしてはならぬ。

 やまとの神を伝えるのだ。

 神聖であることのすばらしさを伝えるのである。

 

 九州場所に栄えあれ!

                          J.D.Subunroco.  

 

 

 

 2005年リバイバル(秋津島)

 http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/3b71c8bee075988afd77a7b8f12c5c00

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 鎮守の神と秋祭り・・・ 亡国への道を回避せよ

2007年11月17日 08時19分38秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  秋祭り  鎮守の神に  手を合わせ


     
馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 今朝の水は、じ~んと痛かった。冷え込んだらしい。

 11月も半ばを過ぎて、秋祭りも列の最後あたりに来た。

 土曜、日曜は、福岡農水産祭りがアクロス前中央公園である。

 秋の実りが楽しめる。

 

 

アクロス前中央公園の独断偏見管理に異議あり


 ところが、芝生の中にテントを立てるなどもってのほかと禁止した管

理会社が、農水産祭りには、全面開放を許可した。
 

 使うのが当たり前だが、実際は使用禁止権を振りかざすのである。

 なぜ、そんな許可権があるのか。

 

 管理会社であるイオンデライトと都市造園の担当者の独裁と、筋の

通らない管理は許しがたい。

 

 「草を踏んだ跡がある」とまで文句をつけた管理会社である。

 

 公共の公園を、こうした、不条理な権力をふるう民間企業に任せても

らっては困る。

 「自分たちは県の委託を受けている。」というのだ。

 即ち、行政権限で公園使用の許諾権を持っていると。

 

 もしそうなら、県の委託に違法性がある。

 実に許し難い。

 

 都心に必要なのは、芝生のための公園ではない。

 運動公園であり、イベント公園である。

 普段使わせない公共施設前の広場も、開放すべきである。

 

 公務員の仕事は、国民、住民の健康、安全、幸福のために奉仕する

ことにある。

 すなわち、現場発想でなければならないということである。

 現場に出て、市場調査を継続し、分析し、問題点を発見して対処し、

 早急に議会に報告して、根本的な対応を図ることである。

 

 行政の堕落、税金浪費こそは、日本最大の疾患というべきである。

 

 病巣を切除する手術なくしては、増税などはもってのほか、政治の

根本精神である正義公平原理に反する罪である。

 

 公務員は、神の許さざるところを犯しすぎた。

 権力とは、神の意思を行うところに正当化される。

 民主主義といえども、神の理に反することはできない。

 

 故に、権力を行う者は、謙虚に畏敬して行うべきである。

 民主主義である以上、国民もまた、この理を知らなければならない。

 

 亡国への道を回避したいものだ。

 

 

             立憲女王国・神聖九州やまとの国

              梅士 Baishi

             
                    

 

                    

  

 純粋の空

⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/775db935d5c3cd667fc5f9a6737b4ad2

 

 

 

 

 

 

 


 
 

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+ 枯葉散る・・・ クリシュナの門

2007年11月15日 07時58分24秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  枯葉散る 桜吹雪に 舞いたるを


            馬糞 Bafun   

 

 

 

 

 

 

 春の桜吹雪は青春の嵐のようであるが、

 秋の桜吹雪は枯葉の舞である。

 

 

思索の秋に 

 死ぬことは、この世の人生のゴールである。

 それで、全てが終わりではないが、

 一仕事終わった、という到達点である。

 

 だから、人生には、到達地点の目標がなければならない。

 社会への貢献、魂に刻む努力、

 知的鍛錬、チャレンジ、そして悟り・・・。

 人生には、死に至る計画がなければならない。

 目標と計画がなければ、

 行き当たりばったりになってしまう。

 

 人は、何百回、何千回と、さまざまな死を体験している。

 過去幾転生して、死を訓練してきている。

 死を恐れることはない。

 

  

******* 過去世幻想 *********

 それは、紀元前4700年の頃の古代インド、

 偉大な王、クリシュナが生まれた。

 天才だった。神の降臨といってもよい。

 愛の人であった。

 そして、理想的な都市国家を作り上げ、

 輝いていた。

 

 しかし、民の不平不満を恐れた周辺国家の連合軍に

 包囲される事態が訪れる。

 

 クリシュナは言った。

 生きて戻ることはない。

 妻子ある者は、村に残って逃れよ。

 われと死を共にする者は、

 クリシュナの最後の兵となってくれ。

 

 私には、妻も子もなかった。

 ・・・過去、妻子を持ったことがあるだろうか。

 そうしたこととは、縁がなかったように思う・・・。

 

 出撃の日、城門を閉じて、いっせいに出撃した。

 その砂埃がよみがえる・・・。


************************

 

 

 

 

 

 

 クリシュナは、インドのクリシュナ神として祭られている。

 紀元前4700年頃に理想郷を作り上げ、優れた軍事技術とともに、

 周辺諸国から恐れられた英雄である。

 

 それが、イエスキリストの過去世の一人と伝えられる。

 古詩、バガバッド・ギータや

 インドの聖典「リグ・ヴェーダ」

 「ウパニシャド」などに語られている。

 

 愛には、智慧と勇気が必要である。

 その死さえもが、人々を守り、

 「愛」というものを後世に伝えるためのものであったクリシュナ。

 

 かくして、黄金の枯葉散る秋とはなった。

 

                         J.D.Subunroco.    

 

 

2005年リバイバル

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+ 照葉の椿・・・ 高校生に教えたい仕事のこと

2007年11月14日 20時33分46秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  照葉の  椿の冬の  つぼみかな


    
馬糞 Bafun

 

 

 

 

 11月14日(水) 7AM

 外気温12℃、室内気温20℃。

 足には布団を巻いているが、背中から体温が逃げてゆく。

 真冬になれば、

 室内20℃というのはストーブの火を緩める温度だ。

 まだ、寒さに慣れていないらしい。

 

 この寒さが好みの椿は、花のこぶしをぎゅっと握っている。

 武士道の一厘花、ここにあり。

 

  

高校生に教えたいこと

 高校生向けのビジネスセミナーを頼まれた。

 仕事のこと、営業のことを体験的な授業を交えて、

  50分でやってほしいと。

 50分で、ビジネス体験までさせるのか?

 

 営業の基本は、できませんとは言わない。

 

 手伝ってほしいといっているのだ。

 与えられたチャンスの中で、

 どのように応えたら感動してもらえるか、

 これが勝負である。

 

 リンカーンは、3分のスピーチを歴史に刻んだ。

 

 一見無理と思えるのは、表現に無理があるだけのことだ。

 真に何が求めれているかを解釈することが大切だ。

 

 仕事の本質は、

 与えることによって、人間関係を豊かにすることである。

 

 そのことを、体験させることは可能である。

 それが、営業でもある。

 

 商品の販売でも、

 お金をもらう約束なしに、

 どれほど与えられるか、

 お客様を豊かにしてあげられるか、

 それが、問われているのである。

 

 そして、仕事は、歴史に根を下ろしているものである。

 日本の土を離れては、仕事は育たない。

 だから、少しでも、日本の歴史を語りたい。

 

 猪瀬直樹著『空気と戦争』(文春新書710+)は、

 一読に値する。

 

                       J.D.Subunroco.    

   

 

2005年リバイバル

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+ 博多川の朝・・・ 携帯世代、ロボット世代の行くへ

2007年11月13日 21時26分18秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  きらめきて 朝は満ちたり 博多川

     馬糞 Bafun

 

 

 

 博多川と詠んだのは、中洲に流れる那珂川である。

 毎朝自転車で通る。

 満潮の朝は、「出会い橋」がきらきらとしている。

 鳥たちにとっても、うれしい朝であろう。

 

 今では、博多湾全体の海水が褐色に汚濁している。

 工場地帯でもないのに、海底にはヘドロが堆積している。

 都会の排水が、環境の血液をどろどろに汚濁したのである。

 

 かつては、鮎があがり、鮭があがっていたであろう。

 中洲の砂地には、アサリやハマグリが

 透明な海水を吹き上げていたことであろう。

 出世したスズキが日向ぼっこをしていたことであろう。

 ぼらは、もっと楽しそうに飛び跳ねていたことであろう。

 

 博多川の朝のきらめきが、一瞬の幻想を見せてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲーム世代の行くへ

 「ああ、よかった、無事に生まれたよ!」

 おじいちゃん、おばあちゃんの誕生が、携帯電話から伝えられ
る。

 

 現代18歳は平成生まれ、

 その誕生が携帯電話で伝えられた世代である。

 彼らは、携帯電話を見ながら歩き、自転車をこぐ。

 危なくてしょうがないが、

 彼らの人間関係は、携帯メールでつながっているのだ。

 

 同時に彼らはゲーム世代である。

 

 軟弱に思える彼らだが、

 チャレンジ精神の9割をゲームに投下する。

 

 困難に立ち向かう精神がないのではない。

 ゲームに夢中にさせているのである。

 

 危惧されるのは、その困難がバーチャルなゲームであって、

 自分の人生を開拓するチャレンジではないということである。

 むしろ、現実生活から見れば、逃避者であり、引きこもりである。

 

 どうしようもないないと思えるが、

 無意味にゲーム世代が育ったわけでもないはずだ。

 しかし、ゲームプレーヤーに生産性はない。 

 

 ところが、このゲーム能力が現実味を帯びてきた。

 

 ロボット操作である。

 ロボットと人は、携帯無線でつながっている。

 メールでやり取りをするようになるかもしれない。


 

 雲仙岳の防災工事に無人ロボット建設機械が使われている。

 映像を見ると、

 ゲームのような画面の先に、整地される現実があった。

 

 将来、海底資源発掘も海底建造物も、

 林業も、農作業も、戦争も、ロボット化され、

 そのオペレーターは、ゲーム世代の戦士たちなのではないか。

 

 新しいものづくりは、ロボットである。

 船舶輸送も、トンネル工事も、宇宙飛行も・・・

 海底工事は、蟹型ロボットである。

 これで、海洋牧場を建設する。

 海底ドームと海底道路、そこを走るリニアモーターカー・・・。

 

 ロボットのエネルギー開発も不可欠だ。 

 

 ゲーム世代の若者よ、

 大好きなゲームの先に、

 あなた自身となってくれるロボットを作りたいとは思わないか!

                          J.D.Subunroco. 

 

 

 

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+ さなぎの冬ごもり・・・ 九州スポーツ立国論

2007年11月13日 07時13分39秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  冬ごもり みかん葉食いし さなぎかな


     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

  長い棘を伸ばした夏みかんの木だったが、

  芋虫には返って身を守ってくれた。

  腹いっぱい食って、常緑の葉っぱは爪楊枝のようになった。

 

  その芋虫が、さなぎになって、冬を越そうと静止した。

  来春、蛾になるのだ。

  せめて、蝶になって欲しいものだが・・・。

 

  

 

 

 

 

プロスポーツ興隆時代を迎えるに当たって


 九州は、これからの時代、

 多彩なプロスポーツが生まれる原動力となるであろう。

 

 文武両道を基礎にすえたスポーツ教育、

 教育とリンクしたプロスポーツリーグの形成、

 これを核とした総合型地域スポーツクラブへの展開、

 そして、健康スポーツ観光というビジョンが見えてくる。


 

 これが、九州スポーツ立国論のコンセプトである。

 

 実際、大分に続き、福岡にもプロバスケットリーグが生まれた。

 四国からは野球リーグが育ち、九州に広がりを見せ始めた。

 
佐賀や福岡ではプロ・フットサル誕生の動きが始まっている。

 

 今後は、インターネットテレビの普及や、

 テレビ番組の高品位化、多チャンネル化に伴って、

 見るスポーツとしてのプロスポーツが多様化し、

大きな産業に育ってゆくべき時代である。

 

 

 しかし、プロスポーツの企業戦略も、経営基盤も弱い。

 これまでのやり方では拡大成長はできないだろう。

 興行収入だけに依存することはできない。

 多様なビジネス展開が求められる。

 

 教育、映画・写真・雑誌などの著作権ビジネス、

 スポーツクラブ経営、コンサルティングビジネス、

 ニュースポーツ開発、ボランティア活動などである。

 

 選手構成にも問題がある。

 おらがチームというファンの帰属意識に答えていないからである。 

 

 せっかくのバスケットチームだが、選手の大半は外国人である。

 日本人選手でも、福岡人や大阪人で編成されているわけではない。

 

 ナショナルチームのルールが考えられるべきである。

 


 アクシオン福岡で行われた大阪エベッサ vs ライジング福岡の公式戦 

 

 

 

 見るスポーツは、本物志向である。

 本物の魅力は、体験しなければわからない。

 テレビ観戦する前に、

 現場で迫力のある試合を観戦する体験が不可欠である。
 

 与えよ、さらば、与えられん。

 ファンを生み出すマーケティングの工夫が欠かせない。

 

 たとえば、ファン会員にインターネット登録したら、

 三回分の無料チケットを家族分プレゼントするとかである。

 

 生で楽しむためには、会場が便利なところになければならない。

 

 九州はスポーツ立国を目指すべきである。

 そのためには、

 都心部に、公式戦ができるスポーツ施設をつくるべきなのだ。

 

 だから、市役所、県庁などを明け渡し、

 役所はこれから開発したい地域に移転することだ。

 

 さらには、練習場所の確保である。 

 たとえば、ライジング福岡の選手は、

 ホームグラウンドというべきコートを持たない。

 あちこちの公共の体育館を借りて練習しているのだ。

 

 アマチュアと隣り合わせて練習するのは、刺激的ですばらしいことで

ある。

 だが、地域スポーツクラブとしての練習コートを保障してやるべきなの

である。

 

 フットサルは、屋内サッカーとして身近に楽しめる魅力がある。

 ところが、フットサルのできる体育館があまりにも少なすぎる。

 

 

 九州スポーツ立国論。

 これを本気で考えてはいかがか。

 

 

             立憲女王国・神聖九州やまとの国

              梅士 Baishi            

 

 

 

 

 

 

 

 2005年リバイバル

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+ 川舟年の瀬に寄る・・・ 与えることの幸福消費運動

2007年11月11日 21時03分13秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  川舟を   年の瀬に寄せ   中洲川

 
     
馬糞 Bafun

 

 

 

 

   11月11日Sun. 

 今年も残すところ50日となった。

 向寒の候というが、今朝はついに、室内気温も19℃だった。

 

 メジロが冷たい風に羽毛を逆立てながら、

 首をすくめて丸く膨らんでいた。

  

 今年はみかんが凶作だそうだが、

 チュンコのために仕入れなければなるまい。

 

 与えることの幸福は、 至福の時をもたらすものである。

 

 今年のクリスマスには、

 海外の子供たちへのプレゼント運動を仕掛けてはいかがか。

 

 送り先を教えてくれたらいいのだ。

 運賃もまとめれば安くなるのではないか。

 

 外務省や企業家の皆さんに提案したい。

 幸せな内需喚起となるであろう。 

 

                          J.D.Subunroco.    

 

 

                            

 

 

 

 

 

 

 

 

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