鬼百合や 大雨降らせ どんがらと
中村 梅士 Baishi
今朝も大雨、雷がどんがらと鳴り響いている。
博多の雨季最後の雨降らしであろう。
稲妻に光る鬼百合がいかにも赤鬼のようである。
今日は六月晦日、土曜日である。
明日からいよいよ博多祇園山笠が賑わう。
梅雨が明けると、エアコンなしの猛暑になる。
さて、今日は7時前には家を出て出勤だ。
重要書類を忘れたから早朝仕込みとなった。
なぜ忘れるのか・・・。
雷雨の中を走る羽目になるとは・・・。
やむを得ぬ仕儀ではござる。
文化人類学とは、簡単に言えば人間社会の多様な文化
をフィールドワークと言う体験的調査手法を用いて体得
し、分類するという地理学的学問である。
ここにいう「文化」とは、 精神表現活動としての文
化に限らず、社会生活上のアイデンティティーを構成す
る衣食住などの生活スタイルのことである。
個性としての異文化を知り、人間の本質理解や相互理
解を助けるところに意義があると言えそうである。
異文化潜入冒険レポートが研究成果となる。
そうはいっても、研究者は歴史的偏見やイデオロギー
の色眼鏡で見ているのであって、「文化の相対化」にも
色がついている。
「大東亜共栄圏」とは日本の侵略構想だと言う。
フィールドワークはどうしたのか。
文化に優劣はないのだと言ってみても、文化が接触す
れば、強者が弱者を支配するのも文化であろう。
競争文化である。
異文化の衝突の中で、新しいアイデンティティーを探
らなければならないのである。
ジベタリアン、ながらスマホ族の文化には美意識も、
思いやりもない。
自己中心の「文化」は反社会的である。
アイデンティティーと言うなら、文化と認定すべきで
はあるまい。
文化的個性といって済まされない堕落もあると言うべ
きである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party