龍の手に 握りしめたり 初の梅
梅士 Baishi
玉を初梅の花に持ち替えて、龍がうれしそうに冷たい風の中を飛
んでいった。
めでたし、めでたし。
中国では碧玉までが投資対象として高値に湧いていたそうだが、
雹のように地を打ちつけることであろう。
日銀の白川総裁守護霊インタビューを読んだが、リアルな貧乏神
発想に一種のカルチャーショックを受けた。
不景気を理想とする日銀発想が「まじ、リアル」にあるということに
驚いたことであった。
世の中の景気をよくするためにはどうしたらよいか、ということが共
通の課題だとばかり思い込んでいたからである。
世の中の景気が良くなり、活気が出て、年よりもハッピーに働きな
がら死んでゆける世の中を誰もが望んでいるのになぜ、逆のことを
するんだろうという疑問が解けたのだった。
みんなが貧乏になって、年よりは早く死ねば年金問題も解決する
し、人口も5千万人ぐらい減らして質素に暮らすのが理想なのだとい
う思想が清貧の思想であり、それが日銀と政府の思想なのである。
世の中の景気がよくなることは共通の願いではなかったのである。
円を増刷して流通量を増やすことに罪悪感を感じるのだそうである。
兌換紙幣であることが基本であるという価値観である。
金や銀の確かな価値物の裏づけのない紙幣発行は許されるべき
ではないと言うのである。
それで、インフレファイターの姿勢が揺らぎない信念なのだというこ
とが理解できた。
問題はそこか、という驚きである。
亡国・民主党の本質もまたそこにあるというべきであろう。
まさしく、貧乏神を政権に据えてしまったのである。
【 紙幣発行の正当な裏づけ 】
金本位制ではなくなったと言うこと自体が、金の分量では賄えない
価値創造の時代に入っているということの現れである。
金では、もはや貨幣経済のダイナミズムを表現できないほど、経済
の規模が拡大したということである。
価値創造の規模に見合った通貨を供給することが日銀の役割とい
うことになるが、貸して下さいといわれた分だけ出せば良いということ
ではない。
価値の創造は、市場のニーズが活性化しなければ、有用だと言う
ことが分かっていても、創造活動に入れないからである。
生産といい、流通と言い、先行投資がビジネスの習いである。
つまりは、経済の伸びしろをとって実際に通貨が流通する起動力
が必要である。
これが不況期の金融政策のポイントであろう。
市場側に発注するだけのポジティブシンキングが期待できない状
況であるならば、投資価値のあるインフラ整備に公共事業の資金需
要を投げ込むことが有効だということになる。
これがケインズ経済の本旨であろう。
もちろん、これは、大きな政府を必要とするものではない。
病的なインフレの要因となるのは、マネーゲームの資金需要に融
資をする構図であろう。
実需がないのに、やたら建物を立て、投機的な購入を需要として
加熱する投資ブームである。
その意味で、株取引や先物での信用取引は規制するべきである。
空売りも同様である。
それでも、80年代末の日本経済の好景気は実需による賑わいで
あったと見て良い。
日本の企業にせよ、東京の土地建物にせよ、日本の価値が国際
的に高まってきたのである。
これを人工的に叩き潰したのが、日銀(三重野総裁)であった。
鬼平は盗賊を取り締まったのであって、福の神を粛清したのではない。
適正な通貨発行とは、あるべき価値創造に見合った資金需要を見
越してなされるべきものである。
それが確実に担保できるのが公共投資であろう。
民間の資金需要は、市場のマインドが明るくなればおのずと活性
化する。
そのとき、銀行が貸し渋るのがよくない。
そういうリスクをとらない銀行はいらない。
日銀が審査して保証してやればよい。
それをもってキャッシュディスペンサーにカードを入れたら金が出る
と言う仕組みで十分である。
すると、銀行に人はいらなくなる。
日銀保証の貸出金利は2%程度でよい。
インフレという言葉がなじまないならば、「生産資金ターゲット」と言
い換えて、機嫌よくお札を刷るとよいのだ。
いずれにせよ、日銀は廃止して、国家予算と連動する仕組みない
し、「日本バンカー戦略会議」などという金融参謀機関を設立してや
らせるなどの工夫が必要だろう。
日銀白川体制で機能不全に陥った日銀の解体という課題が見えて
きた。
以上が、幸福実現党末端の、ぺーぺーのペーパー党員の認識で
ある。
幸福実現党以外に、国難を救える政党はないということである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi