すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 花の純粋・・・ この世の人生は決死である

2008年03月31日 22時39分49秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 あふれ出る 涙のごとき 花もあり


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 しずくのような花のつぼみの下で宴会が始まった。

 花と言えば、やはりうれしさがあふれているようであるが、その

つぼみは涙のようであるかもしれない。

 

 その花に、涙があふれることもあった。

 その花に、決戦のときを感じていたこともあった。

 その花に、命を散らせた戦闘機もあったではないか。

 

 その花は、享楽の花ではない。

 その花は、魂の花である。

 

 梅は武士、桜はやまとの心意気。

 

 そうした心意気が政治に感じられなくなったのは残念なことである。

 そうした、気概を青年に感じられなくなったのは残念である。

 

 人がこの世を生きると言うことは、決死なのである。

 

 桜の純粋が、武士の決死を、大和魂を呼び覚ます。

 

                           梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ サクラサク・・・ 潔い挑戦とは何か

2008年03月30日 09時29分02秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 春雷に   目覚めし空の   さくらかな


   馬糞 Bafun

   

 

 

 

 

 博多のサクラが一斉に咲き始めた。

 春雷の季節、今日はあいにくの雨だが、そんな季節になった。

 

 長いこと枯れていた山椒も柿もアジサイも緑の芽をふき始めた。

 心もとなく水をやっていたものだが、いよいよ、忙しくなる。

 新生した目覚めの空には、見事に桜が咲き始めた。

 

 「サクラサク」

 桜は必ず咲いてくれるものである。

 合格、不合格電報というのがあった。

 「サクラチル」

 咲いてもいない花を散らして欲しくはなかった。

 ドンマイぐらいのほうが良かった。

 

 人生とは、潔く挑戦することである。

 不合格もまた、その挑戦の勲章である。

 最良の人生とは、最良の挑戦によって刻みだされるものである。

 

 挑戦しなかったという悔いを残してはならない。

 

 但し、挑戦すべき時期と、期限を心得なければならない。

 

 それが、潔く挑戦するということである。

 

                              梅士 Baishi

 

 

 

   2008年3月29日Sat. 天神中央公園のサクラは2分咲きだった。

 

 

 馬糞リバイバル(サイゴンの春) 

⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/7258570dfc5a3ad80ff4fbf2c7c9ebc9

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ なごり梅・・・ 試練を楽しめる組織のブランドは何か

2008年03月29日 19時57分23秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 なごり梅 平家の姫は 手を振りて


   馬糞 Bafun

   

 

 

 

 

 花の季節を見届けて、梅の花はその花の季節を終えようとし

ている。

 

 点々と咲くなごりの梅を見ていると、去り行く平家のうしろから、

紅いうちかけを羽織った姫が振り向いて、手を振っている姿が目

浮かぶ。

 梅の花と共に来たり、梅の花と共に彼岸の都へ去ってゆく。

 

 梅の花は早春の花、都の花、武士の花である。

 

 

 熊さん、八っつあんの花といえば下町の桜である。

 上野ではもう満開だそうである。

 観測史上三番目の早さだと言うが・・・。

 

 博多は、乳峰寺の桜が一気に五分咲きになっていた。

 天神の桜はまだ、しんとしている。

 

 そういっている間に、春爛漫に咲き始めるのが桜である。

 

 それにしても、その桜の下で、実際に縄を張り巡らす下等な輩

がいる。

 如何に町人とはいえ、江戸っ子にはあるまじきことであり、博多っ

子にはなおさら、ありえない恥知らずなことである。

 もちろん、博多っ子ではあるまい。

 

 

 

 

 

 理想なき組織は混迷する

 この世の不安や不満を寄せ付けない法力は理想実現への使命

感に発する覚悟である。

 

 組織が、世のため、人のため、国のための理想を見失うとき、

逆境に耐えられなくなる。

 逆境を不平不満の塊にするのか、やりがいにするのか、そこに

使命感が問われるのである。

 

 理想を共有していない組織は、順境のときは仲良し集団であっ

ても、環境が変わると途端に瓦解するものである。

 赤提灯をくぐって同僚の悪口を言うようになったら終わりなのだ。

 

 理想実現は試練の道である。

 不平不満は、他人や組織に依存した怠慢にほかならない。

 

 組織は、心を一つにする理想と使命の共有をこそ求心力としな

ければならない。

 

 組織の自尊心とは、その理想実現の使命感でありたいものである。

 これこそは、組織ブランドである。

 

 各組織が、その自尊心のブランドを問われている。 

 個人もまたしかり。

 自尊心とは、己の役割、使命の確信に他ならない。

 

 潔く、試練を楽しむ時代にしたいものである。

 

                              梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ れんげ草は仕事をしている・・・ 農業革命⇒ 田の草取りロボット構想

2008年03月27日 20時37分47秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 土肥やせ れんげの花は 仕事して  

 
   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 れんげ畑をみることはめっきり少なくなった。

 昔は、田んぼの春はれんげ畑だった。

 銀河のように紫の星が集まってふわふわの布団のようだった。

 れんげの花は土の下に根瘤菌を養って土を肥やすと言う仕事を

しているのである。

 れんげの花は、本当にえらいのである。

 

 

 

 

 

 減反だなんてバカなことしないで、どんどん作って海外に輸出

しましょう。

 日本の米は高いよ。

 だけど、これが本物なんだな。

 

 米の草取りロボットを作りましょう。

 合鴨と一緒に、田の草取りをして、ドジョウが昼寝をして、ミズス

マシも泳いで、メダカも復活して、そんな昔のきれいな田んぼを作

りたいものですね。

 それが、日本の米のまねできない付加価値になるんですよ。

 

 だから、ロボットなんです。

 問題はエネルギー供給なんですよね。

 バッテリー革命が必要です。

 三洋電機さん、世界一の小型強力電源開発をしてください。

 同族経営なんてやめてください。

 会社は株主のものではないんですから。

 株式公開したら、もう、会社は創業者の者じゃあないんですよ。

 物言う株主なんて、迷惑です。

 

 むかし、シャープと言えばさえない家電メーカーでした。

 ところが、液晶技術で大化けした。

 

 むかし、北九州の安川電機といえば、いつ倒産するか分からな

いほどさえなかったんです。

 ところが、今は産業用ロボットでトップレベルの企業になっている。

 すごい!

 

 九州の半導体工場だって、エネルギー開発のチャンスがある。

 ロボット用の電源開発、田んぼで働けるロボットの心臓を作りま

しょうよ。

 

 サイボーグまではまだ数百年先の話ですけど、田の草取りロボッ

トくらいだったら、遠隔操作のゲーム感覚でやれるんではないで

すか。背中曲げるのはロボットなんだから。

 ゲーム好きなニートをプレイヤーに雇って、草取りをするんですよ。

 虫取りロボットは、害虫をトリモチで捕獲してゆく。

 

 こんな面白いゲームはないってぐらいにコントロールルームは

にぎわうでしょうね。

 都会にコントロールルームを置いてもやれますよ。

 インターネットを使えばいいんですから。

 ゲームセンターが、農業をやっているなんてことになります。

 

 どうですか。

 やれそうな気がしませんか。

 私の馬糞俳諧エッセーも、れんげ草のように、ちゃんと仕事をし

いるのです。

                             梅士 Baishi

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 日だまりの菜花・・・ 農地解放、新政党結党の時節

2008年03月27日 07時52分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  菜畑に 日だまりており 鄙の春

 
   
馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 菜の花というのは、鄙の春というにふさわしいほのぼのとした

春である。

 この季節、電車に乗ると、線路脇の菜の花がひときわ明るく春

めいている。

 

 菜の花と言うのは、二宮尊徳が植えたあの菜種油の花か・・・

と、あらためて思う。

 それほどに、野菜や植物の知識が遠のいている。

 

 農耕民族であったはずの日本人だが、野菜を育てろと言っても、

まずはホームセンターに種を買いに行くところからして、自給力を

失っていることに気がつくのである。

 

 農業技術教育も義務教育の必修科目に入れてしかるべきである。

 

 日本人は、あらためて生活の原点に戻って物事を考え直すべき

ときに来ているのではないか。

 

 お金で何でも解決しようとするが、生活者としての自助努力を忘

れてはならないのだ。

 一見非効率であるが、独立と言うのはそういうことではないか。

 

 食糧自給力が問われている日本であるが、その前に、国民の食

料自給力が危機感を持って反省されるべきことである。

 そのためにも、農地解放の時が迫っているというべきである。

 

 農業への過保護、ゆとり農政は、農業の実力低下を招く悪政で

ある。

 農地解放を!

 

 

 

 

 農業の独立、農地解放。

 これができる政党はなかろう。

 ならば、この手詰まりの政局を打開するためにも、政党再編の

時が来ていると見るべきである。

 自民党を解党し、民主党を解党して、行政改革、農政改革、

新憲法制定を断行できる政党を再編するべきであるのだ。

 

 追い出された新党ではなく、ベンチャーの志を持った新党結成

を進めて欲しい。

 

                             梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 純白の八重椿・・・ 犯罪理論の有責性を再考せよ

2008年03月26日 21時01分29秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 純白の 八重の椿を 過ぎてゆき  

 
    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 一輪の花に、「開花宣言が出ましたあ」と、東京のテレビ局が九

州のテレビ局に先駆けた。

 東京の温暖化は深刻らしい・・・

 そんなバカ放送をみていると、ヘソが曲がる。

 

 深山に分け入って、山桜のしたで花見の宴をしたいものである。

 

 あるいは、花咲けじじいいの宴を開きたいものだ。

 

 『こら~っ、はなさんかじじ~』

 

 欲張り爺さんたちよ、後進にその席を譲りなさい。

 あなたには電車の優先席があるのだから。

 

 第二の人生は、世のため、後進のためにボランティアベンチャー

に精を出して欲しい。 

 

 

 

 

責任無能力と言う過ち

 

 さて、今年の流行は「無差別殺人」なのか。

 なにしろ、殺した後でなければ逮捕できないし、殺した後も、

責任能力がないから無罪だ、と言うのだから、この流行は長続き

しそうである。

 

 

 犯罪に対する法的責任論が責任能力に関する議論である。

 

 無差別殺人という常軌を逸した凶悪事件が度々起こっているが、

 弁護士ともあろう者が、責任能力がないとして無罪を訴える。

 確かに、刑罰の主観的根拠である責任要件として責任能力が

問われるが、刑罰の本質と科罰根拠については見直されるべき

である。

 また、暴行罪や詐欺・窃盗の反社会性は、従来の扱いよりもは

るかに大きく重大である。

 これに対する刑罰も、再教育刑として選択の幅を広げる必要が

ある。

 

 責任の本質については、社会防衛の観点から、正常な信頼関

係を継続できない行為の客観的責任であり、その目指した危険性

にこそ、問われるべき責任があると考えるべきであろう。

 精神障害型凶悪犯罪が増えてきた現代にあって、社会防衛の

観点が見直されて良い。

 

 社会防衛論に対しては、官憲によって政治犯をでっち上げられ

る危険があるなどという批判があるが、権力に対する被害妄想は、

無政府主義の危険な傾向性を示す議論であろう。

 いかなる場合も、冤罪は許されるべきではない。

 

 そもそも、正常な自制心を失っているからこそ人を殺し、自殺し、

暴力を振るう

 正常な自制心が責任能力であるとしたら、凶悪犯罪は無罪とな

らざるを得ない。

 

 これは不都合であるとして、団藤重光氏は、そのような人格に

堕落したことが責任能力であるとして、人格形成責任論を提起し

たが、妥協できるぎりぎりの線ではないだろうか。

 

 

 

 

 刑罰は、人格的非難ではなく、基本的には社会防衛にこそ、

本質があるというべきである。

 社会防衛論は、もはや時代遅れの流行だったかのように扱われ

るが、人が人を裁くという不道徳も回避できる。

 正論ではないか。

 

 人格的非難ではなく、信頼関係を害した者の責任として、社会

から距離をおくべき矯正期間ないし、けじめである

 

 改めて、木村亀二氏の新刑法理論が再評価されるべきであろ

うと思う。

 

 責任とは、信頼関係との距離であり、客観的な掟を甘受すべき

立場と考えなければ、罪のけじめはつかないであろう。

 

 いずれ地獄に堕ちるべき人間かどうかを考えれば、腑に落ちる

ことなのである。

                            
                            
梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 星の数ほど花は咲き・・・ 罪を犯した他人の責任

2008年03月25日 20時26分10秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 太陽の 星の数ほど 花も咲き

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 星座といえば、何と言っても冬のオリオンである。

 ベテルギュウスという赤色巨星とリゲルという光の強い青い星

にはさまれて三ツ星と小三ツ星が特徴的である。

 馬頭星雲やアルデバランという星のゆりかごなど、話題に事欠

かない魅力のある星座である。

 

 その冬の星座を惜しみつつ、春の星座の季節になっている。

 春の星座のよりどころは、春の大曲線と春の大三角形とがある。

 春の大曲線とは、おおくま座のひしゃくを伸ばしてゆくと、うしか

い座のアルクトゥルス、さらに曲線を描くとおとめ座のスピカとい

う一等星を結ぶ大きな曲線である。

 春の大三角星を構成する星は、上の二つに加えてしし座のデネ

ボラとい2等星の明るい星である。

 

 それにしても、銀河系だけでも2000億個もの恒星で構成されて

いるという。

 星座の小さな光が、数千億個の恒星で構成された大銀河だっ

たりする。

 

 太陽だけでも偉大だと思うのに、それが200万体もあると言わ

れる大銀河のそれぞれに数千億個もあると言うのだから気の遠

くなるような風景である。

 

 そんなことを考えながら眺めているから、星空と言うのは夢中な

のである。

 

 

 

 

 

 

 

無責任な他人に対する処方

 

 さて、他人の罪は他人のものという話をしたが、それは、他人の 

罪に対する裁き心は不幸であるということでもある。

 

 しかし、責任を取らない他人に対していつものように一緒に生活

し、仕事をすることができるかという問題がある。

 

 人間関係は信頼関係である。

 信頼を破った者が、その責任を取らないままに、信頼関係を維

持することはできない。

 けじめをつけないままに、信頼関係は修復はしない。

 ではどうするか。

 

 距離をとらざるを得ない。

 組織にあって、けじめなく付き合うものがいたら、そこもまた、

信頼関係の破綻部分となる。

 事なかれ主義は、結局、破綻せざるを得ないのである。

 

 そうしたけじめもないままに組織を運営しているところは、破綻

することになるだろう。

 そこに、新たな対立軸が生じるのである。

 

 これが、現代の無節操な組織の堕落の原因である。

 信頼関係のほころびは、そのつど繕うべきなのだ。

 

 現代日本の企業は変な仲間意識からモラルを見うしなうことに

よって、脆くなっているのではないか。

 

                                 梅士 Baishi

 

 

 

 

 

                             

 

 

 

 

 

 

 

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+ 白梅の雪・・・ 人間関係の引力「愛」

2008年03月25日 08時19分05秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 吹くたびに   淡雪散らし   残り梅 

  
   馬糞 Bafun

 

 

 

  

 

 彼岸もあけ、東京に続き博多でも開花宣言が出された。

 その一週間も前に、博多桜は咲いていたのだが、にぎやかな花

の季節になった。

 今年は梅の花が長持ちだった。

 とはいえ、風が吹くたびに白雪のように花吹雪する。

 梅は一足先に新緑の季節に入るのである。

 

 常緑の繁みの中では、みかんで育ったメジロやうぐいすの雛が

育っていることだろう。

 いよいよ、新生し、繁栄する春である。

 

 

 

  

 

理想の共有、役割の分担、責任の独立


 新社会人や新入学生たちが、あらたな人間関係の中に入って

ゆく。

 緊張と期待の新たな人生である。

 

 人は一人では生きていない。

 自分とは無限に連鎖する役割を持った人間関係として存在して

いる。

 これは、愛の原理であり、勇気の原理であり、希望の原理である。 

 

 これは、自分を理解し、人間関係を調整する鍵となり、さらに発

展を生み出す力となるであろう。

 

 自分という完結した存在はない。

 空気がなくては生きてゆけないように、他人と言う存在なくして

は自分もまたないのである。

 孤独と言うのは、愛という人間関係を求めている自意識であろう。

 

 人は、自分と言う意思を任されていはいるが、人類と言う生命の

宇宙を形成し、不可分一体に生きている。

 一人一人が星のようでありながら、星団をつくり、星雲をつくっ

ている。

人類をつないでいるもの、それが、愛である。

 

 愛は、心を一つにできる理想を描き、役割を分担する。

 しかし、さらに重要なことは、愛を見失って罪を犯したとき、その

責任は、それぞれの責任として独立であると言うことだ。

 

 他人の罪は、一人では生きていないという人間関係の引力の範

囲で、自分の罪でもある。

 他人の罪を裁くのは、その他人の責任である。

 責任の独立もまた、人類をつなぐ愛である。

 許しの愛というのは、人類をつなぐ愛の中でも、きわめて高度の

ものである。

 

 人間は、人間関係という愛に生きている存在なのだ。

 愛と智慧を持って、クリエイティブな人生を生きてゆけ!

 

                            梅士 Baishi

 

 

 


  

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ たんぽぽの花・・・ 心の憂鬱を吹き払え

2008年03月23日 14時04分42秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 春の野に タンポポの花 日を照らし

  
   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

心の憂鬱を吹き払え

 人の心に広がった憂鬱とは何か。

 崇高なる自尊心が傷ついて心が萎えてしまったというのか。

 それは、役者の勘違いである。

 

 あなたの崇高なる自尊心は、あの月であり、太陽である。

 だれが、その輝きを傷つけることができようか。

 偉大なる魂のルーツを忘れてはならない。

 

 なかなか笑えないいじめと言うものもある。

 ならば、不登校を宣言して塾でたのしく勉強しよう。

 図書館に行って、沢山本を読もう。

 

 いじめの学校に行く義務はない。

 

 人生は、漫画のようである。

 陰湿はいやなものだが、屈託のない太陽のごとくあれ。

 そんなふうにしてこけても、屈託なく笑えるものである。

 アッハッハと、みんなも笑ってくれるのである。

 

 さあ、七転び八起きの楽しい漫画人生を始めよう!

 

 憂鬱だと思っている諸君、人生は滑稽でできているのだ。

 人生は不屈であるが、滑稽である。

 試練の人生を楽しもう!

          
                            
 梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 残り梅・・・ 世界のリーダー国、新生日本をめざせ

2008年03月22日 10時28分26秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 残り梅 春の星座を 結びつつ

 
   
馬糞 Bafun

 

 

  

 

 

 梅か桜かそれとも桃か、木肌をみながら、やっぱり梅かな~と、

その一厘の花を眺めた。

 残り梅の点々と咲く花が、春の星座のようであった。

 

 

 

 

 

 

日本滅亡への自滅的カウントダウン

 

 さて、世の中はどうなっているのか。

 良い醗酵をしているのか、腐れているのか。

 これほどに日本の政治力のなさがあきれ果てられているのに、

 政権闘争こそが政治だと勘違いしている面々には、どんな批判

も国難も、蛙の顔にしょんべんなのであろう。

 

 日本滅亡へのカウントダウンには、自滅要因も大きく貢献してい

るようである。

 

 円高が急速に進み、株価は下落を続けている。

 しかし、実質的にはまだ円安なのだそうだ。

 確かに、基軸通貨を誇っていたドルが高すぎたともいえる。

 アメリカの衰退とともに、ドルの割高感は高まるであろうから、

基本的にはさらなるドル安の方向に向かうのだろう。

 同時に、他の通貨に対しても円高に向かうはずである。

 

 なぜ円安、株安なのか。

 日本外交に気骨がないからである。

 世界に対する日本の使命感が示されないからである。

 武士道精神も、毅然とした美意識もない。

 投資する張り合いがない国、それが、今の日本である。

 

 

 

 

 

 

 

日本よ、リーダー宣言をせよ

 

 商売人が小銭をばら撒いて「どうぞよろしゅうに」と頭を下げて

回っているのが、日本の国際協調主義である。

 世界中がいろいろと困っているのに、「大変ですなあ」と他人事

のあいさつをしているばかりである。

 

 

 いつまでもオリンピックではあるまい。

 もう、オリンピックの役割は終わった。

 アフリカでの開催も、南米での開催もない三輪大会に国際平和

の祭典というのも空々しく思える。

 

 ならば、日米英が共同して、「太陽のスポーツ祭典」を創始すれ

ばよいのだ。アフリカや南米のスポーツ教育、アスリート育成支援に

役割を果たすと良い。

 

 地球を救うというリーダーシップ宣言もあってよい。

 環境技術大国として、核兵器廃絶リーダーとして、世界をリード

すると宣言することである。

 

 使命のない国の繁栄は好ましくない。

 日本の株安は、期待はずれの日本に対する世界の意思表示で

ある。

 

 日本よ、毅然とせよ。

 

                             梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 彼岸の木蓮・・・ 散策随想

2008年03月22日 10時14分11秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 木蓮の 白き千手を 合掌し 


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 今日は彼岸の満月。

 はるかなる星が、かすかな引力に引かれて回転し、数億年もの

間地球生命を養い、その引力のリズムを生命に与え続けてきた。

 はるかなる月が、満々たる光を涙のようにたたえて、その廃屋の

屋根にかかっている。

 

 木蓮の白い花は、なだれのように吹く春風に傷ついているが、

その折れた手を口元に当てて合掌しているかのようである。

 

 その木蓮の下に立って、長いこと合掌していたい気もするけれ

ども、木蓮の花をわが手に代えて、また新たなる境地を創始する

としよう。

 

                                   梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+山茶花無残・・・ 彼岸の鎮魂歌

2008年03月21日 08時14分24秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 山茶花の 春の生命を 鋸で切り      

   馬糞 Bafun

 

 

 

  

 

 太陽が真東に正中するその春分の朝に、博多にもほかにあ

るまいと思うほどの見事な山茶花の大木を、そして、寄り添うよう

に咲いたばかりの桜の木を、土木業者が根こそぎにして切り刻ん

でいた。

 今を盛りに咲いていたその花の春を、せめて近くの公園に移植

しようとさえも思わなかったのか。

 

 物でもあるかのように、その白い木肌を切り刻んでしまうとは・・・。

 それが、やりがいのある仕事だとでも言うのか。

 

 

 あまりのショックに、電車を一本乗りそびれてしまった。

 次の電車を待つ20分ほどの間、その衝撃が点々とした。

 春分の、雨上がりの空が、呆然として空いていた。 

 

 

 

 


 

 

 倒されて 彼岸の春に 咲き続け

 
    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 これほどまでに美しく咲かせたというのに・・・

 

 他人の罪も自己責任であると思い至ったが、

 

 自己責任のその他人の罪を自己責任として悔い改めるために

はどうすればよいのか。

 

 まずは、博多の誇りとも言うべきだった山茶花の命に詫びよう。

 そして、神に詫びねばなるまい。

 

 申し訳ございません。

 

 反省し、人間の道徳の一ページとして、この悲劇を伝えよう。

 

 天にあって悲しんでいる山茶花の精霊たちよ、私もまた悲しん

でいる。

 

 経済とは救いであるべきものを・・・

 

 土地所有に愛がないならば、その所有は地獄に登記されてい

るのだ。

 

 その花さえも、人の罪を背負って、この世に委ねた命のこととし

たのである。

 その満開の花のままに、まだこれからの春を彼岸に咲かせ続け

てほしい。

 

                            梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 黒猫の梅・・・ 彼岸に渡す、この世の理不尽への処方

2008年03月20日 10時50分29秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 梅が枝に 独立不羈の 猫を置き 
   
 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 今日は春分の日、嵐のような風が渦巻く彼岸の仲日である。

 

 ・・・世の中は理不尽である。

 そんなこと、珍しくもない。

 「大人なんだから」とたしなめられるが、理不尽は好かぬ。

 こともなげに、理不尽の輩と仲良くしている輩も好かぬ。

 

 「大人なんだから」ということが、偉大なる許しの境地なのか。

 

 愛には発展段階がある。

 愛する愛。家族愛であろう。

 生かす愛。指導者の愛である。

 そして、許しの愛。加害者をも許せる悟りの境地である。

 

 理不尽のままであることを、私は許せない。

 理不尽のままに、その者と付き合う周りの者も好かない。

 どうやら私は、一匹野良猫の剣客のようである。

 

 

 

 

 罪深い人によって家族を失い、自ら傷つき、

 罪深い国家によって国を奪われ、国民が傷ついている。

 

 そうした被害者にとって、何ゆえに己を害する罪人を許せるのか。

 その許しにいかなる徳があると言うのか。

 それこそは事なかれ主義ではないのか。

 

 それとも、許しとは、裁きを神に委ねるという忍耐か。

 神の時間は気が遠くなるほど緩やかである。

 

 たしかに、他人の罪はその他人の物である。

 裁くと言うことは、他人の罪を奪うことなのかもしれない。

 被害者になる前に、罪を犯させない工夫こそが自分の責任領域

であったかもしれない。

  

 ああ、愚かなるその他人よ、花束に包まれたその罪を抱いて、

立ち去るが良い。

 

 私の許しとは、お前のその罪を奪わなかったという無欲である。

 しかし、お前の受けるであろう罰を、私は喜こぶであろう。

 お前の不幸は、理にかなった正義だと思うからである。

 

 

 

 

 しかし、その不幸を喜ぶこともまた、他人の幸福を妬む気持ちの

裏返しのようにも思う。

 

 それは、私の美学に反する。

 ならば、私とは縁なき衆生である。

 視界から消え失せよ。

 

 ところが、そのような理不尽と出会うことが、この世の修行であ

るらしいのだ

 

 世の理不尽を我が物とするべきではあるまい。

 猫のように、独立不羈の高貴を貫きたいものである。

 

 理不尽が黄砂のように飛んでくる。

 ああ、理不尽よ。

 しかし、その中にこそ、正義のヒントが隠されているのか。

 

 正義とは一体何なのか。

 直ちに裁き、制裁することではなさそうである。

 最大の裁き、絶対の制裁とは、四知の逸話にヒントがありそうだ。

 『天知る、地知る、子知る、われ知る』

 

 魂に刻まれたその罪は、彼岸のかなたまで逃れることを許さな

い業、天の裁きの刻印でもある。

 

 

 

 

 いやしかし、その罪がその者の物であり、その者に課せられた

魂の手かせ、足かせであったとしても、その罪人は何事もないか

のように、この世をのし歩いているのである。

 恨み心を抱くなと言っても、裁き心を抱くなと言っても、その呪縛

から逃れるには不足である。

 

 自分を襲い、自国を襲った他者の罪が、自分の、あるいは自分

側の責任というのでなければ、到底、納得はゆくまい。

 

 その唯一の手がかりは、「人は一人では生きていない」という、

忘れがちな事実にある。

 

 その罪人を含めて、欠かすことのできない一部として、自分もま

たその制約と可能性の中に生かされている。

 人類の罪の中に自分もまた所属している。

 そこに、自己責任としての、他人の罪がある。

 

 他人の罪もまた、自分の中に秘められている罪なのだ。

 他人の罪を、関わらざるを得なかったわが存在の罪として自認

できたときに、許しの愛の境地に入ったと言えるのではないか。

 

 彼岸の日にあって、人間の業ともいえる裁き心、恨み心からの

放を祈って止まない。

 

                   
                
立憲女王国・神聖九州やまとの国

                     梅士 Baishi 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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+ 春爛漫の嵐・・・ 侵略国家チャイナの破綻 

2008年03月19日 21時33分24秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 波を打つ   しだれの梅は   しぶきして


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 明日は彼岸の仲日、春分である。

 春雷を呼ぶぬるい雨が、しとしとと降っている。

 

 雨の中、遠出もままならないメジロチュンコやうぐいすチュンコ

たちが朝早くから、半切りのみかんをつついている。

 無口だったうぐいすが、歌い始めた。

 また一つ春になった。

 

 

 地上げの跡か、廃屋の庭に、見事な山茶花の大木がある。

 その山茶花に交じり合って、桜が満開だった。

 

 一週間後の来週26日が博多の開花予想日である。

 そのころ、桜の真打が咲き始めるのだろう。

 

 早春が、水かさを増した彼岸に、渦を巻いている。 

 

 

 

 

 

 

 早春の 花は彼岸の 渦となり

   
   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 今日はおもいっきり春雷が鳴ることであろう。

 そのほうが清々しい。

 思いっきり一掃して欲しいと思うことが鬱積している。

 

 チャイナが侵略したチベットで暴動が起きている。

 80人とも言われるチベット人が殺戮され、逮捕された多くの人々

が毎日のように銃殺されるのであろう。

 

 国際社会といっても、それを見てみぬふりをする。

 それは信頼ということではない。

 チャイナとの付き合いは、拝金主義にほかならないであろう。

 

 拝金主義は禍の元である。

 見よ、この経済の混乱を。

 この政治の混乱を。

 精神の荒廃を。

 

 

 そのような国で、オリンピックをするという。

 オリンピックも拝金主義の商売に堕落したというべきであろう。

 他国を侵略し、自治区と称して恐怖政治で支配する。

 神もなく、法もないがごとき国が、スポーツマンシップの旗を掲げ

るオリンピックを主催するというのである。

 

 おそらくは、すごい記録が続出するのであろう。

 ドーピングなど、国家侵略と虐殺に比べればたいした問題では

ない。

 そんなオリンピックを、オリンポスの神々は許すと言うのか。

 各国の神々は賞賛すると言うのか。

 愚かなことである。

 

 

 日本もまた、こうしたオリンピックを支持しているのだから、チャ

イナだけを批判してのことではない。

 

 しかし、日本もまた、次のねずみ年の頃はチャイナの餌食となっ

て、チャイナ国の日本自治区となることであろう。

 否、日本という名すら残さないであろう。

 東倭自治区とでもするか。

 

 

 台湾がチャイナに併合される日に祝福するようなことだけはし

て欲しくないものである。

 せめて、日本の憂愁の美は失いたくないからである。

 

 私は、日本自治区のときはこの世にないであろう。

 国防の戦士、それ以外にはないからである。

 チベットの僧もまた、戦うべきときを心得ている。

 

 天変の雷よ、北京を討ち給え!

 

                          梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 融けてゆく冬・・・ 和の精神とは何か  事なかれ主義との違い  自尊心とは高貴なる精神

2008年03月18日 08時03分56秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 白梅の  散る一花に  冬は解け

   馬糞 Bafun

 

 

 

  春は嵐、変転する時代にあって発展を望む人間の本性

は平穏に朽ちてゆく水溜りにはない。

 寒暖渦巻く季節の変化をこそ望むものである。

 朽ちてゆく平穏を和の精神とは思うまい。

 これこそは滅びに至る事なかれ主義である。

 

 和の精神とは、試練に立ち向かってゆくチームの結束

であり、仲間に対する信頼である。 

 試練に立ち向かう組織にあって、自尊心が傷ついては

ならないが、自尊心もまた鍛えられなければならない。

 

 自尊心とは、自分の尊厳性にある。

 内にこもって、しがみつくものではない。

 引きこもって守られるべきものでもない。

 他人を攻撃して守られるものでもない。

 

 自尊心とは外に打って出て、役割を果たそうとするチ

ャレンジ精神である。

 やる気のある自分である。

 

 やる気とは何か。

 向上心であり、修行の精神であり、使命感であろう。

 それは、希望に満ちている。

 不可能ではなく、実現されるべき未来だからである。

 

 自尊心とは、自己中心、自己保身であってはならない。

 自尊心は責任感でもある。

 自助努力して止まない精神である。 

 本来、自尊心を支配し、傷つけることなど誰にもでき

ないことである。 

 

 自尊心を強く持て。

 自尊心を鍛えよ。

 人は、仏神と同根の偉大な力を秘めているからこそ、

自尊心に目覚めるのだ

 肯定的な自分こそは自尊心である。

 

 人は生まれながらにして善である。

 しかし、善なる停滞はない。

 発展を望むところに善がある。


 戦いの中で、傷つくことがある。

 活路を見失うことがある。

 そのとき、悪夢を見、地獄に迷うことがある。

 

 経営とは、社員の自尊心を支配管理することではない。 

 社員の自尊心を尊重し、伸び伸びと活躍できる環境を

護ことである。

 社員の自尊心は、会社の使命を共有する仲間意識でも

る。

 

 組織の使命と理想を高く掲げよ。

 一蓮托生、死をも恐れぬ自尊心の旗印として! 

 マズローの『完全なる経営』に学んだことである。

 

                          梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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