すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ とびは舞い・・・ 「宇宙の果」に壁を立てる心  ビタミン愛欠乏症

2006年05月29日 08時13分08秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 夏立ちぬ   空と海とを   風に干し

   馬糞 Bafun 

 

 

 

 とんびを見たのは久しぶりのことであった。

 芦屋の磯に沢山のとんびが舞っているのを見て、感動

した。

 ああ、とんびが生きていてよかった。

 人もまた、心の空に翼を広げて悠々と飛ぶことができ

る。

 

 欲張りだから、失望する。

 欲張りだから自信をなくす。

 身一つで空を舞う鳶のように、壁さえも捨てて、身軽

になればよいのだ。

 壁の向こうには、心配そうに壁をみつめている面壁の

人がいることくらいは気付いてほしいものだ。

 

 

 

 (五月病)

 春だというのに、五月病というのか、引きこもる子供、

引きこもる大人が増えているという。

 壁を立てて引きこもっても、その心の宇宙はさらに無

限であるのに。

 

 空海のように、一人小さな洞窟に座して、眼前に広が

る無限の空と海を突き抜けてゆく、壮大な心の宇宙を見

つけてほしいものだ。

 あの小さな鳥さえも、身一つで無限の空を舞っている

ではないか。



 (瞑想)

 大銀河を座布に敷いて瞑想するに、「宇宙の果」とは、

形に囚われる間の認識力の壁である。

 三次元宇宙の人間の意識が、形にとらわれているだけ

ことである。


 形とは、いうなれば壁によってできている。

 大宇宙への旅を夢見る一方で、我と宇宙を隔てる壁

堵しているにすぎない。

 冒険なくして発展はない。
 

 存在の本質が意識であるならば、意識の在りようが宇

の果てともいえる。

 目に見える形としての壁はありえない。

 壁の向こうを思った途端に意識はその壁を越えてゆく

からだ。

 

 宇宙を有らしめている根源の意識存在とは何か。

 ああ、そんなこと想像だにできない。

 それもまた、壁の理論と同様、追いかけられない思考

の自己矛盾に陥るのである。


 灯台下暗し、根源の意識を知りたければ、己の心に問

え。

 それが最も真実に迫るヒントではないだろうか。

 

 それにしても、八方塞がりの壁を作っている子供や大

の多いことよ。

 光も差さないほどに壁を四角く立てて、それでも、自

分が分からないで苦しんでいる。

 形に囚われた者である。


 その形が自分であるなら、牢獄を作ったのも、牢獄に

己をつないでいるのもまた、自分であるのだ。

 

 (ビタミン愛の欠乏)

 囚人となって形にとらわれているその心には、おそら

く愛が見失われている。


 愛という光をほしくてたまらないが、思うように得ら

れないので、得られない理由を自分で作ったのが、自閉

の壁であろうと思うのだ。


 愛とはほしがるものではなく、与えるものである。

 光は放たれるべきものである。

 存在の本質は、創造してやまないエネルギーに他なら

いからである。


 考えてもみよ。

 エネルギーを消費するエネルギーは考えられないでは

いか。

 考えられるとすれば、奪おうとして狂喜する地獄の意

識であろう。


 地獄とは、存在の自己矛盾として一時的に現れている

のようなものであろう。

 四方に立てているその壁は、楽しくない幻想、わがま

まで、自己中心の壁ではないか。


 雨戸を開けて、清々しい光を心に入れよ。

 清々しい、春風を心に入れよ。

 自分のことが知りたければ、与えるべきものを創造す

ることにチャレンジすることだ。


 志と学び、そのために人生がある。

                     

 Bafun 

 

 【参考文献】

『希望の法』 ⇒ 
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4876885419/503-8452397-2773514
http://www.robraille.com/sub2/222m.html
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031643331&Action_id=121&Sza_id=B0


『幸福へのヒント』 ⇒
http://www.robraille.com/sub2/184m.html

http://www.irhpress.co.jp/book_H0202.shtml
http://www.bk1.co.jp/product/2366789

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 奥山のさつき花・・・ 「日本人もどき」の始末について

2006年05月27日 23時15分16秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

        

  奥山の  木漏れ日照らし  さつき花

    馬糞 Bafun 

 

 

 

 つつじといえば、公園や道沿いに丸や四角に刈り込ま

れた姿であることが多い。

 だから、山に咲いているつつじを見ると、意外な気持

ちがする。

 山に放たれて気ままに咲いたつつじは、鶏が山に放た

れたような新鮮な野生を感じて、風流である。

 

 野生は厳しいが、風流とは、解き放たれた危うさの中

にこそ、自生するものではないか。

 やまとの国もまた、ムーから放たれた人々が生化し、

さらに自生した国ではなかったか。

 その意味で、風流な国というべきである。

 

 ところが、敗戦を境に外来種猿人が寄生する「国も

どき」に変質した。

 やまとの面影を残しつつも、愛国を邪道とする戦後侵

略教育によって、悪徳はびこる地域になった。

 

 ああ、人間の顔をして、下品に道路にタバコを捨て、

ゴミを捨てる危険外来種猿人の多さよ。


 もともと日本にはいなかった人種であるから、これこ

そ、危険外来種人類として排除されるべきであろう。

 いまや、在来のやまと民族が滅びかねない、危険な状

況である。

 

 さて、「日本人もどき」の危険外来種の始末であるが、

チャイナや北朝鮮に親和性を特色とするものがある。

 これらの危険外来種人類は、母国に帰すべきであろう。

 拉致しているわけではないからである。

 

 知性や品格を欠いた「日本人もどき」はどう始末した

らよいのか。

 小学校、中学校でも、退学処分にするべきである。

 退学処分を受けた子供の義務教育として、防衛小中学

校に移送するのはいかがか。

 教育は、徹底されなければならない。 

                               

 Bafun 

 

 ホスピタリティー特集
 http://www.asa21.com/tb2/hospi.html
 http://www.hospitality-jhma.org/
 http://www.mitsue.co.jp/column/backnum/20040130a.html

 

 侵略的外来生物
 http://www.env.go.jp/nature/intro/
 http://bio-diversity.hp.infoseek.co.jp/zakki/law.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

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+ 芦屋の磯に茶釜寂ぶ・・・ 藤紫  芦屋の水軍  諸行風流の悟り

2006年05月24日 22時59分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 山藤や  芦屋の磯に  茶釜寂び 

       馬糞 Bafun 

 

 

 

 玄界灘に歴史を漬け込んでいる芦屋は、水軍の歴史を

浜の錆に残しているが、風流の湯を沸かす茶釜の名産地

でもある。

 万葉の香りと茶釜の風景は、さすが九州やまとの国な

らではの趣であると悦に入る。

 

 その芦屋の海に垂直に足を入れた岩山には、海を見下

ろしながら、山藤が紫の滝をなしていた。

 藤袴というが、なるほど、紫の濃淡はいかにも日本的

であると感心した。

 

  実に実に、やまとの国は懐深く、美しい。


 それにしては、現代日本人の精神性の貧しさよ!

 貧しささえも風流に楽しめたものを。

 

 あれをくれ、これをくれ。

 不満足は国が悪いからだ、政治が悪いからだ・・・

 

 カラスのようにごみをあさる、「反日・残留日本人」

の闇。

 

 そうかとおもうと、心が病んだ自縄自縛の日本人・・・

 風流じゃぁないねぇ~。

 

 

諸行風流の悟り

 風流というのはいいもんじゃぁないですか。

 風流に笑ってあの世に帰りたいもんです。

 そしたら、死ぬまで風流に生きられる。

 

 逆境も風流、

 悪戦苦闘も風流、

 寂びてゆき、老いてゆくのも風流。

 

 「諸行風流」というのは、

 日本的な悟りではないでしょうかね。 

                              

 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 阿吽の拒魔・・・ 使命感とは、天命を感じて世に貢献せんとする決意である。

2006年05月21日 16時16分52秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 春雨や   阿吽の拒魔は   晴れて立ち

   馬糞 Bafun   

 

 

 

 靖国の門を、一対の狛犬が護っていた。

 背筋を伸ばしたその後姿がかわいかった。

 
狛犬とは魔よけの獅子である。

 右は「阿」と口を開き、左は「吽」と口を閉じている。

 阿吽とは、呼吸であり、始めと終わりを意味している

らしい。

 

 日本に獅子が伝わるというのも不思議な話であるがア

ジアの草原にも獅子がいたのであろうか。

 それとも、龍のように、あの世に実在する獅子を霊視

して描いたのであろうか。


 まさに犬のように忠実に、獅子のように逞しく、やま

との国柄を護っているように見える。

 

 この狛犬のように、凛として立つことのできる日本人

は、少子化のごとくに減少している。

 わがままで欝になり、わがままにニートになり、わが

ままに堕落している。

 

 こうしてみると、晴れ晴れとした強さの秘訣は、使命

感であることを確信する。

 しかし、わがままな人間に使命感はない。

 使命感とは、天命を感じて世に貢献せんとする決意で

ある。

 そのために己を鍛えんとする努力である。

 

 人は、神のためなら命を惜しまない。

 見よ、商売とは無縁の修行者の歴史を。


 人は、国のためなら命がけになれる。

 見よ、今日も続く独立戦争の志士たちを。


 凛として生きる喜びの根源は、信仰と、愛国にあるこ

とを知るべきである。

 

 教育基本法改正問題で国会論議がなされているが、時

には国会を出て、靖国の狛犬の前で議論してはいかがか。

 日本の領土は靖国と皇居に辛うじて残っているという

ことに気付くとよいが・・・。

 

 オリンピックの原点同様、国会もまた、神聖な御前会

議であることを忘れてはならないのである。

                                

 Bafun 

  

   

狛犬⇒
 
http://blue.ribbon.to/~komainudou/akara1.htm
 http://www10.plala.or.jp/comainu/
 http://oguri.cside1.jp/
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%9B%E7%8A%AC
 http://www.eonet.ne.jp/~minoh-kankou/MVG/minoh- komainu/komainu.htm

阿吽⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%90%BD
 
教育基本法改正問題⇒   
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/fundamental_law_of_education/

http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/data/index.htm
http://www.worldtimes.co.jp/wtop/education/main5.html

 

 

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+ 愛国の靖国・・・ 反日イデオロギーの反省と現代の反日への警告

2006年05月17日 08時13分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 愛国の   靖国に降り   皐月雨

       馬糞 Bafun  

 

 

 

 東京にいた頃、愚かにも左翼的であった。

 共産党、社会党に親和し、反政府、反日の丸であった。

 左翼とは、反日・反政府であり、それを反戦で正当化

するイデオロギーである。


 学生運動の頃、共産党と敵対していた過激派でさえも、

日本をソビエトにしようとしていた。

 すなわち、日本を破壊しようとして国家に反抗した。

 日本軍国主義こそは人類の恥、人類の忌み嫌うべき支

配の象徴であった。


 それが、日本と同義であった。

 その頃、靖国神社は敵地であった。

 しかし、それは「文化大革命」というチャイナの狂気

に煽られたかのような、淀んだ空気だった。

 

 そんな愚かな考え違いが、いまだに命脈を保っている

ことにおぞましささえを感じる。

 

 

     

 大の字に  靖国は立ち  五月雨

   馬糞 Bafun



  

       

 公式に   靖国の春に   参拝す

   馬糞 Bafun   

 

 

 

 独立日本国の主権国民として、戦後60年の春、靖国

神社に公式参拝した。

 二礼し、チャイナやコリアにも響き渡る無垢の二拍手を

し、一礼をして拝殿を後にした。

 

 心がじんとした。

 

 個人としては、キリスト教の洗礼を受け、原始の仏教

に帰依しているが、主権国民としては、愛国の士である。

 

 日本を守ってきた日本の神々を尊崇し、国を守らんと

して散っていった250万の独立の英霊に御霊安かれと拝礼

することは、総理大臣の公式参拝以上に公式かつ至上の

参拝であろう。

 

 チャイナよ、コリアよ、この神聖な愛国の公式参拝を

愚弄するか。

 再び大日本帝国を目覚めさせ、チャイナ、コリアへの

実効支配を望むか。

 バスを連ねて、日本国民は日々参拝の列を連ねている

ことを恐れよ。

 

 国家の神聖を冒涜するものたちよ、

 まず、天を恐れよ。


 日の本の国を恐れよ。

 朝日(チョウニチ)新聞よ、この警告をこそ、その帰依

する異国に伝えるがよい。

                               

 Bafun 

 

靖国神社⇒ http://www.yasukuni.or.jp/index2.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
http://www.ne.jp/asahi/iidabasi/sanpo/rekisi/yasukunizinzya.htm

 

大村益次郎⇒ http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/38.html
 http://www.geocities.jp/bane2161/oomuramasujirou.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E7%9B%8A%E6%AC%A1%E9%83%8E

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ あぜの田奈・・・ 神仏もない北京オリンピックの不都合

2006年05月12日 08時12分14秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  春光も  千々に咲いたり  あぜの田奈     

   馬糞 Bafun   

 

 

 

 田奈とはたんぽぽのことである。

 タンポポとは言っても、蜂の目から見たら太陽のよう

にさんさんとして映ることだろう。

 

 花の表現の神秘性は人知を超えた芸術である。

 芸術とは、意思をもった魂によって創造されるもので

ある。

 タンポポの妖精もまた、創造された生命である。

 花鳥風月の神秘は創造主の存在を感じさせる。

 その感性が、芸術の心というべきであろう。

 

  

 

  

神なき北京オリンピックの不都合

 オリンピックにあっても、神にささげる祭りであるこ

とを忘れてはならない。

 バール(悪魔ベルゼベフ)に支配された支配欲、名誉欲、

快楽欲、欲欲欲の堕落したまつりとしてはならないので

ある。

 北京オリンピックはそのようになるだろう。

 仏神を封じた国であるから。

 

 そのような国で開催するようになった近代オリンピッ

クは、その原点を忘れていると思わざるを得ないのであ

る。

 

 人間中心主義の傲慢を反省しなければなるまい。

 人間は、神の芸術の前に謙虚でなければならない。

                                

 Bafun 

 

 

 

 

 

             

 

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+ どんたくにクーベルタンの聖火ゆき・・・ オリンピック招致の意義を承知せよ 

2006年05月09日 07時56分32秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

      

 どんたくに   クーベルタンの   聖火往き

   馬糞 Bafun  

 

 

                  

 博多は、突然のオリンピック招致宣言に、招致、不承

知で今ひとつぱっとしない。

 

 市民の盛り上がり期間をおかない決定に、「自分たち

のオリンピック」というプライドがへそを曲げていると

いう状態だろう。

 たしかに、市長の政治手法の先走りというそしりは免

れない。

 

 しかし、いつまでもひねくれないで、「まあしかし、

よいことではないか、九州の心意気を見せてやろう」と

さっぱりすればよいのだ。


 市民が政治的に大人になるべき問題であろう。

 よいチャンスをもたらしているではないか!

 

 戦後60年の節目である。

 その節目に、世界平和を願うオリンピックの原点回帰

を訴えて、シンプルなサプライズを提案する資格が、貧

乏地方都市福岡にある。

 逆境にあってなお、気概を失わないのがやまとの魂で

はないか。

 後進のアジア諸国に声を上げる勇気を与えることもで

きる。

 

 大国主義のオリンピックは、本来のオリンピック精神

ではあるまい。

                                  

 Bafun 

 

古代オリンピック⇒
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

近代オリンピック⇒
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 由布高原・・・ 公設民営化によるプロスポーツの普及を。

2006年05月04日 07時57分27秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

                 由布岳の   すすきの原を   馬走り

        馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 由布高原は、九州におわす神々が、守り抜いてきた聖

域である。

 現代の高天原というべき神聖な高原は、清らかさを感じ

させる。

 その高原の一角に乗馬倶楽部があった。

 

 ところで、九州北部にはこうした乗馬倶楽部が少なく

ない。

 因みに、福岡県は全国でも有数の乗馬倶楽部集中地域

であるらしい。

 誇るべき文化ではないか。

 
もっと気楽に乗馬を楽しめる国にしたいものである。

 

 最近、競馬、競輪がはやらなくなってきて、公営ギャ

ンブルが閉鎖に追い込まれているらしい。

 日本の公営ギャンブルは、エゲレスと違って、貴族が

楽しむという優雅さに欠ける。


 いかにも女房泣かせで貧乏ったらしの博徒が集まった

とい品の悪さが定着している。

 まさに丁半賭博の雰囲気である。

 

 最近、公営カジノを作ろうという案が自民党の中で追

込みに入っているらしい。

 本来は、政治からギャンブル性を除去して、安定を追

求してゆかなればならないのだが、どうも、博打好き

が身に染み付いているらしい。


 

 そこで、ギャンブル立国論ではなく、スポーツ建国論を提唱したい。

 

 生涯スポーツを推進することは国家政策であるから、

推奨されるべき身近なスポーツを普及するという役割が、

プロスポーツには期待されている。

 

 すなわち、野球やバレー、バスケットなども視野に入

ってくる。
 

 そこで、こうしたプロスポーツを発展させるためには、

まず、公設民営化の方式で、プロスポーツを自治体ご

に立ちあげるのである。

 選手の手当ては、公務員に準じて支払う。

 入団、退団は、監督の権限事項である。


 生涯公務員というような社会主義なのではない。

 そこで、実績を積めば、地域スポーツクラブの指導と

いう仕事にも就くことができる。

 スポーツの職業化はもっと、推進するべきなのだ。

 

 さらに、入場料にも、勝敗によって、一定の払い戻し

があるような楽しみも工夫してよいのではないか。

 万馬券のような賭博性のあるやり方は品格を失うので、

やるべきではないが、収益確保と楽しみのためには妥当

な範囲があるであろう。

 

 たとえば、入場券のほかに、ひいき投票券を販売して、

勝てば一定の配当がついて、郵便局で賞金がもらえると

いうような仕組みである。

 ただし、一人3万円以内という制限を設けるべきであ

ろう。

 観客が増えれば、収入も増えるという程度の効果に留

めるべきだからである。

 

 賭博罪は刑法犯だが、賭け事を一切禁じるというのも

実効性がないし、必ずしも有害というものではない。

 法定の範囲を超えた賭け事は、勤労意欲を害する実質

的違法性を帯びると考えて、処罰してよい。


 公営にしたからといって賭博罪の違法性が阻却される

という考えは妥当ではない。

 実質的にバランスを考えるべきである。

 

 さらに、プロスポーツ選手は、一般人のスポーツ指導

という役割を持たせるべきであろう。

 

 スポーツの職業化、プロスポーツの普及を重要な国家

政策として推進していただきたいと願う。 

                               

 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 玄界灘の春蝉・・・ 「日本国憲法」無効、不文憲法記念の茶会

2006年05月03日 22時28分09秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

     

 春蝉や   玄界灘の   波に添い

  馬糞 Bafun  

 

   

 

 雲仙春ゼミというのは知っていた。

 ジージージーと、蝉にしては思い切りの悪い鳴きかた

なので、本当に蝉なのだろうかと疑ったが、珍しいハル

ゼミなのだという。

 雲仙にしかいないのかと思っていたが、何と、芦屋の

海岸沿いに延々と続く松林で鳴いているではないか。

 二十数年ぶりに聞くハルゼミの鳴き声だった。


 夏は山笠で明けるものだが、鯉幟の季節に初夏を告げ

るハルゼミに、少し、得をした気持ちであった。

 

 因みに、芦屋は芦屋釜で有名である。

 砂鉄を多く含んだ砂浜であるらしい。

 三日からは芦屋釜の里という、日本庭園と日本建築の

座敷で、茶会が開かれているようである。

 茶をいただくと、きりっと背筋が伸びて、瞑想の境地

になる。

 茶の湯の魅力だと思う。

 

 ところが、茶道となると別のようである。

 一体、現代の茶道とは何だろうかと不思議に思ってい

たが、数年前の芦屋での茶会でだったか、ふと合点がい

ったことがあった。


 即ち、茶道具自慢というのが茶道なのだと。

 もちろん、骨董に通じていなければならないし、金が

ないと揃えることもできない。

 茶会とは、道具自慢と骨董目利き自慢の集いであると

納得したことだった。

 

 まあ、それも優雅な文化人の楽しみではあろうが、本

来の茶道ではないとも思う。

 茶道は、やはり禅に通じる清々しい瞑想の楽しみに本

分がある。

 悟りの境地で語る究極のコミュニケーション空間であ

る。

 一人で楽しむ茶のお相手は菩薩であり梵天である。

 あるいはエンジェルである。

 禅の茶道には、芦屋の釜はふさわしい。

 実に無骨である。

 

   さて、5月3日は『憲法記念日』である。

 日本国憲法が施行された記念日ということではあるが、

以前にも述べたように、『日本国憲法』は、自国の領土、

国民の生命財産を自国で守る権利を放棄するという「独

立放棄」を趣旨としている。 憲法とは人権宣言の前に、

独立宣言に本質がある。


 「日本国憲法」なるものは、憲法の本質に矛盾してい

る。

 ゆえに、憲法としては無効である。



 ただ、不文法憲法の時代に入った記念日ということに

して、ともかく、国民的連休の一助となっていることは

高く評価されてもよいだろう。

 これからの憲法記念日は、「日本国憲法無効論」「不

文憲法論」の集会を開いてはどうか。

 

 それにしても、法曹に愛国者はいないのか、と情けな

くなる。

 それとも理性に欠けるといことか。

 犯罪者の人権を過度に重視する刑法理論にしても、利

益追求が会社の目的だとする営利法人論を基礎とする商

法にしても、どうも法の精神というのが分かっていない。

 法の世界もイノベーションが必要である。

 

 憲法無効の憲法記念日に、博多はどんたくに大賑わい

であった。

                               

 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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