goo

すべてがリハビリ

ここまで体力が落ちるものか、というくらい、体力が落ちている。

移植から2年、再手術からも1年経つというのに、体力も筋力もなかなか戻
らない。

歩いて5分もすると、酸欠状態なのか耳がおかしくなる。

やっと最近、歩数計など付けて、少しでも歩く事を増やそうと思ったりして
いるのだが、なにせ事務系の仕事の為、忙しい時は朝から深夜まで、椅子に
座ったきりなもんだから運動不足は否めない。

おまけに右肩・腕の痛みはほとんど良くならず、いまだに満足に腕を上げる
事さえできず、ちょっとした事などで激痛が走る始末。


こうなったらもうなんでもかんでもリハビリだ~。

まずは極力車には乗らないで歩く、(これは基本かな)

スーパーでは荷物をたくさん詰めたレジ袋を右手にもって鉄アレイのように
トレーニング、(結構恥ずかしい、でもお構いなし)

入隊を断られても、ビリーバンドを使って右手の強化、(でもほとんど引っ
張れない、悲しい)
(その横で妻は腕をブンブン振り回してる、うらめ、いや羨ましい)

背中に次男に乗っかってもらってスクワット(10回が限度だ)

車より自転車、と思うのだが理由があって自転車には乗りたくない、
だから歩く、(理由は・・・、又今度)


そして今日の歩数計のカウンターは、

「6691」


今の目標は、この冬、3シーズン振りにスキーをする事、家族4人で。
これしかない。
でもあと3ヶ月、難しいかなぁ。
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「ドナーに感謝」

8月にH大病院で行われた脳死移植の患者さんが、退院時に会見されたと
記事になっていた。

心から手術の成功と退院、今後のご健康をお祈りしたいと思う。

患者さんは自分と同じ40代男性ということで、その置かれている状況や
今後の生き方に通じるものを感じてしまう。



それにしても驚くべきは、8月18日の膵臓、腎臓の同時手術から、わず
かに1ヶ月と少しで退院、というその回復力。

部位が違うとはいえ、自分の場合、同じ時期どうだったかというと、脳症
から覚めず、はっきりとした記憶さえ無い。
肝数値もままならなかった。


脳死と生体の違いはあるものの、貴重な善意で救われた命である事は同じ。
面識は無いけれども、お互いにより良い未来が来る事を願います。


そしてこの患者さんが話しているように、移植に対する認知度が少しでも
増加し、一人でも多くの「助かる命」が増える事を願う。



それは、脳死移植だろうと、生体移植だろうと、変わりはない。
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9,564歩足りない!

妻はキャンプイン3日目。
早くに挫折する人が多いと言われる中、結構やるもんです。

どちらかと言うと痩せ型の身体なのに・・・
女の人ってどこまでも更なる細身に憧れるんでしょうか。



ところで、1・2日目、流れに乗りきれてなかった小柄の例の女性、3日目
のビデオから姿を消していたそうな。

一緒にやっていた次男が「脱退したんじゃないの」と言ってました。
そんな馬鹿な。


ビリー隊長に見捨てられ、歩く事に喜びを見出そうとするかんぞう君の今日
の万歩計カウンターは、

436」!!!!


ひぇ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



仕事を切り上げ、散歩でもしてこよっかな、っと。
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腹痛の原因

ビリー隊長に、

「お前にはまだ早い!」

と言われてしまったので、まず歩くことから始めようと、万歩計を付けて
みました。

今日のカウントは・・・

816

1万歩まで、あと九千・百・・八・・・十・・・・四・・・・ぽっ






----------------------------------
<・・・一年前>

・・・2006年 5月15日

最初の退院(2月)の時から気になっていた右脇腹の痛み、それと関係が
あるのかわからない腹痛、その原因がはっきりしないまま廻りで検査・治
療の予定が決まっていく事に、なにか違和感を感じているうちに、放射線
科での治療に方向が向いていた。


PTBDの予定が24日に決まり、脇腹痛は常にあるものの、その痛みに
は波があり、主に夜中に強い痛みがあった。

15日、夕方から痛みは強くなり、翌朝まで続いた。
それまでで最も強い痛みだった。


16日、痛みはやや軽くなるものの発熱もあり、改善する様子も無さそう
なので、コーディネーターさんに連絡、緊急外来で病院に向かう。

採血、X線の結果は肝機能、腎機能ともに問題無し。

診断は、手術後、肝臓摘出部にできた空洞部に大腸が入り込み、その大腸
の動きによって起こっているではないか、という事だった。

便秘も一因として考えられたが、結石の疑いはこの時は無かった。


この日はこのまま帰宅したものの、翌日、翌々日も痛みは治まらない。


19日は定期検診だったが、23日入院の予定を繰り上げ、そのまま入院
する事になってしまった。

そして絶食が又始まる。
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2×3連休=仕事

2週続く3連休、でも又今日も仕事。
仕事ができないと胃が痛くなる様な不安を覚え、休みが無いと遊び心が
ふつふつと湧き出てしまう、そんなかんぞうです。


そういえば昨日、妻がブートキャンプに入隊しました。
思ったよりメニューに付いていっていたので少しビックリ。

一つ気になったのが、ビリー隊長の後ろの人達の中で、一人だけ明らか
に流れに乗り切れない小柄な女性。

どこかのCMで美女達に混ざる、南キャンのシズちゃんの様な役割でし
ょうか。
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~発症・移植・再手術・そして現在~

・B型肝炎ウィルスにより劇症肝炎発症、そして移植手術を経て再手術、病気
との闘いはこれからも続く。
そして闘病ブログである以上、このブログも一生続けるつもりでいる。

この辺で発症から現在に至るまで、一度整理してみようと思う。


【前兆】

・2005年6月
 肩(背中上部)から後頭部にかけなんとも言えない重だるさを感じる。
 
・2005年7月4日・5日
 全然改善せず、むしろ酷くなってきたので、近所の整骨院に掛かる。

・2005年7月6日
 少し耐えられなくなってきたので(嫌な予感もあり)、今度は近所の内科に
 行く。
 特に血液検査をするでもなく、からだを診るでもなく、内科的なものではな
 いだろうと言われ、直ぐにK脳神経外科へ。CT検査等の結果、特に問題は
 無いとの診断。

 ・・・もしこの日、採血をしていれば何か違った結果になっていたような気
 がする。

・2005年7月
 この後、仕事が忙しく、重だるさを抱えながらそのまま過ごす。
 除々に食欲が無くなってきていた。

【発症】

・2005年8月13日
 過度な疲労。午前中動けなかった。
 ただ、前日までの地方出張の疲れと夏バテの為と考えていた。

・2005年8月14日
 朝から不調、ついには吐いてしまいう。
 さすがに普通ではないと感じ、一番近くの休日当番内科に掛かる。採血。

・2005年8月15日
 胃カメラの結果は異常無し。

・2005年8月16日
 血液検査の結果判明、入院勧告を受ける。

【入院・転院】

・2005年8月17日
 SH病院に入院。B型肝炎の疑い。

・2005年8月19日
 K病院に転院。
 入院中、B型肝炎ウィルス感染が判明、透析と血漿板交換治療始まる。

・2005年8月末
 H大病院のF医師が来院、生体肝移植について初めて説明を受ける。
 姉2人がドナー候補となり、適性検査を受ける。
 
・2005年9月20日
 透析治療限界の為、H大病院に転院、第一外科移植部門に入室。

【生体肝移植手術】

・2005年10月4日 
 9月末、生体肝移植手術決定、この日施術。

・2005年10月10日
 ICUから一般病棟の個室ヘ。ICUから続く長く辛い肝性脳症との闘い。

・2005年11月
 末頃から脳症の症状が薄れ始め、3ヶ月近く続いた絶食も終了。
 25日からは自己管理表を付け始める。
 しかし、血液検査の結果、肝数値は思ったより改善しない。

・2005年12月9日
 リハビリを開始する。4段の階段をやっと登る。

・2005年12月21日
 薬の副作用の為か高血糖、インスリンを打ち始める。

・2005年12月31日~2006年1月3日
 入院後初の外泊。

・2006年2月3日
 アミノレバンENの服用開始、肝数値に改善がみられる。

・2006年2月
 インスリンの自己注射開始。たくさんの問題を残しつつも17日退院。

【入・退院】

・2006年3月27日
 腹痛の為、2度目の入院。

・2006年4月22日
 2度目の退院。

・2006年5月19日
 激しい脇腹痛の為、当初の予定(23日)を繰り上げて3度目の入院。

・2006年5月24日
 PTBD、右脇腹に穴が開く。胆管ドレン生活の始まり。

・2006年5月30日
 3度目の退院。

・2006年6月1日
 わずか2泊で4度目の入院。ずっと続く右脇腹通。

・2006年6月16日
 4度目の退院。

・2006年6月27日
 さらに続く激しい腹痛の為、5度目の入院。

・2006年7月12日
 放射線科でのPTCDに失敗、再手術決定。

【再手術】

・2006年7月14日
 8月中旬以降の手術に備え、一時退院。5度目。

・2006年8月18日
 6度目の入院。手術準備。

・2006年8月22日
 再手術。胆管と門脈の同時手術となる。

【退院、元の生活ヘ】

・2006年9月2日
 6度目の退院。

・2006年11月17日
 最後の胆管ドレン外れる。

・2006年11月22日
 GOT、GPT、γーGTP共に上昇、肝生検の為入院、翌日退院。

・2006年11月30日
 本格的に仕事復帰。

・2007年
 二週毎の採血、四週毎の検診。

・2007年7月13日
 胆管炎にて8度目の入院、抗生剤の投与。19日退院。現在に至る。

【現在】

・二週毎の採血、四週毎の検診は変わらず。
 肝臓の数値はほぼ安定。

 ・直近の数値・・・

 T-ビリルビン ~0.9 (通常0.2-1.2)
 GOT ~23 (通常5-40)   
 GPT ~18 (通常4-45)
 γ-GTP ~20 (通常7-77)
 HBs抗体  ~0.1 

・再入院の可能性
 1)胆肝炎
 2)HBs抗原の発生(再発の可能性)
 3)尿管結石
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移植患者にとってドナーとは、

手術後、昔のように笑えなくなったことの一つは病気と仕事の関わり
った。

そしてもう一つ、多分一生頭から消えないことが、ドナー(臓器提供者)
との関わり。


ドナーになってくれた姉。
生体肝移植はもちろんドナー無しでは成り立たない。

健康な体を危険にさらしてしまう生体肝移植。
その施術について是非を問う声もある。

もし患者であるレシピエント(移植患者)が健康を取り戻すことができ
ても、万が一にもドナーに身に何かあったら、移植手術自体が意味の無
いものになってしまう。


ワタシの場合、ドナーである姉は幸い順調な回復をみせてくれた。

術後は痛いだの辛いだのの言葉は、姉の口から一度も聞いたことがない。

それでも大手術に変わりはないわけで、何も問題が無いはずがない。


姉にだって夫もいれば、二人の娘もいるわけで、「姉と弟」のみの問題
では片付けられない。
まさに家族全体を巻き込んだ大問題になるのだ。

もし姉の身に何かあったなら、その責任まで負うことは到底できない。



それでも移植後、自分の状態が良くない期間は、やっぱりドナーはドナー
だから回復も早いし、そんな大変でもないんだろうな、なんてことを恥ず
かしくも思っていた。

今思えば本当に恥ずかしいし、申し訳ないと思う。


一年間の入院中、ドナーさんとも何人の方とも同室になった。
確かに手術から退院まで早かった。

でも皆、術後の痛みは相当なものだった。
そして何よりも気になっていたのは、ドナーさんに対する病院の対応だ。

レシピエントと比べるべきではないのかもしれないが、医師にしろ看護師
にしろ、あまりに冷たい。(そう感じただけなのかもしれないが)

痛みを訴えたまま数日で退院させられた人を何人も見た。


移植患者にとってドナーとは、そう考えるとその重さがひしひしと感じら
れてきてしまう。



レシピエントである自分がドナーより幸せな生活を送っても良いのだろう
か、とか、もし万が一、ドナーである姉が他の病気になってしまったら、
いったい自分は何かできるのだろうか、とか色々な想像が働いてしまうの
だ。

何も心配させない姉、その本心を伺い知ることはできないが、ドナーとし
ての心情はとても気になることである。

NOKINさんのブログに出会い、ドナーとしての思い、考え方、痛み、苦労
などを率直な意見として知ることができたのは、とても良かったと思う。


ドナーにはドナーとして、レシピエントにはレシピエントとしての独自の
思いは当然あるはずで、移植という大事を通して、共有すべきは共有して
いかなければならないのだと思っている。



「移植患者にとってドナーとは」、というより、むしろ今後は、

「ドナーにとって移植患者はどうあるべきか」

を考えて生きていかなければならないのかもしれない。
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かぐや

アポロ計画以来の月探査機「かぐや」、打ち上げには見事成功した。
あとはしっかりその目的を果たして欲しい。

「かぐや姫」といえば、その作者も作られた時代もはっきりとしていない
ということからして、夢がある。

色々と想像もできる。


月の調査によって何がもたらされるのかはわからないが、「未知」という
こと自体に夢がある。



宇宙開発には莫大なお金がかかるようだ。

きっと将来的にはそれが重要な役割を果たすことになるのかもしれない。

もちろん宇宙に目を向けることを否定するつもりはない。
ただ、今一番見つめなければならない足元にも、もっと細やかな目と、
お金を注いで、安心して月を見られる世の中になって欲しいと思う。




何があっても、満天の星が輝く中に、漆黒の夜空に、下界から見上げる
「月」が一番良い。
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機能性胃腸障害

安倍ちゃんが「機能性胃腸障害」というならば、ワタシはこの2年間、
ず~っと「機能性胃腸障害」だ。

本当の「機能性胃腸障害」の人に申し訳ないので、安易に病名を付けない
で欲しいと思う。


安倍元首相、朝青龍とかぶって見えるのは・・・ワタシだけ?
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仕事ができる!

犬のお父さんだって頑張っているんです??


忙しく仕事をしていると体調が気になったりする。

終わるまで体が持つだろうか、とか、病院に呼ばれないだろうか、とか。

他に何もできなくなり、毎日精一杯生きていこう、と思う気持ちから遠ざ
かっているのではないかと思ったりもする。

でも良く考えてみると、今、仕事が普通にできていることが、どんなに喜
こばしいことか。


闘病中ずっと考えていたのは、

「他に何もいらないから、元のからだに戻して」

そして回復してくると、

「せめて少しでも仕事ができるようになれば」



そう、少しでも仕事ができれば、と思っていた。

一時退院時、自宅に戻って仕事場を見ても、そこに座って仕事をしている
自分の姿を全然イメージできなかった。


だから少し不思議な感じがする。

今、その席に座ってコンピューターに向かっていることが、なんだかとて
も不思議なんです。


さて、っと、また頑張ろうっと。
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仕事が・・・

仕事が・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・終わらない。

明日までなのに。


「駄目だ」

「駄目って言うな!」

「どうして?」

「あの犬だって頑張っているじゃないか!」


俺は犬か!!
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再発

・・・といっても、肝炎が再発したわけではありません。


今日は採血と薬の処方の日。
もう既に抗体はゼロと同じ状態(ずっと前からそうみたい)なので、あえて
数値は確認しないで帰ってきた。

連絡がこなければ、抗原は-であるということ。
「便りのないのは良い返事」ということだろうか。

抗原が-である限りまず再発はしないと思うが、逆に言えば、抗原の状態に
一喜一憂しなければならない、というのは、常に再発の可能性の心配をしな
ければならないということ。


最近では政治家や官僚の不正が続々と発覚し、その原因究明と再発防止が
叫ばれているが、自分の自覚で防げるものはしっかりと取り組んで貰いた
いものだ。

病気の再発は、自分の努力だけではどうすることもできないもの。
癌など、死に直結するものは、日々その恐怖との闘いだと思う。

移植患者にとっても、再発、再移植となれば限りなく辛い道のりとなる。


どうしようもなく絶望的な病気の再発、私利私欲を満たした結果の不正の再
発、同じ「再発」でも全然意味合いが違う。

共通しているのは、両方共、あまり耳にしたくない言葉だということ。
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59例目の脳死移植

1日、国内59例目の脳死移植が行われ、北大病院では肝臓の移植手術が
行われたそう。

11時間半程度で終了、肝臓は順調に機能し、一ヶ月位で退院できる見通
しだそうで、改めてその技術に驚かされます。

患者さんは自分と同じ劇症肝炎だそうで、無事回復し健康を早く取り戻さ
れる事を願うばかりです。
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PTBD(経皮的胆道ドレナージ) ~その1

今も痛いんですよ。右脇腹に開けられた胆管の穴の跡が。



----------------------------------
<・・・一年前>

・・・2006年 5月10日


2度目の退院中、放射線の外来日。

4月の「内視鏡的逆行性膵胆管造影検査(ERCP)」に続く長い名前の
検査説明だった。

PTBD(経皮的胆道ドレナージ)。
胆道の閉塞にともないビリルビンが上昇、黄疸症状等の改善の為、強制的
に胆汁を体外へ排出する為の処置だ。



この処置、この時はあまりにも漠然としか理解できていなかった。

失敗だった。

この段階ではどうしても必要な処置だという説明だったが、後で振り返っ
てみると、もし良く理解できていたなら、もっと違う方向に向かっていけ
たかなとも思う。

結果的にこの後更に数ヶ月の入院と、最終的に再手術までしなくてはなら
ないことになるのだから。



取りあえず胆管を挿入、胆汁を強制排出して様子を見ることになり、この
処置の日程は移植外科で決定する、ということで帰宅する。


この頃、函館から通院中のKさんと病院ホールで出会い言われた一言が、
すごく気になりつつ、まさにそれが現実のものとなる。

「胆管入れるのかい?あれ、物凄く痛いよ。大変だね。」


手術後にはたくさんの管が体中から出ていたが、それはそれ。
この後に及んで、まさか簡単な麻酔だけで横っ腹に穴を開けられるとは思
いもしなかった。



翌11日、H大病院から連絡があり、23日入院、24日PTBD施術が
決まる。
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