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ない

天板の研磨までは何とかしたものの、その先が一向に進まないテーブル作り。


もっと前なら、ほんの30分の時間を見つけて切ったり削ったりしていたものだが、今はそうもいかない。




気持ちの、余裕が無い。

体力が、無い。

そもそも、時間が、無い。



3無い状態ではなかなか進みようが、ない。




仕事第二、趣味第一、が理想としても、理想は理想のまま。




理想を現実に変えられる瞬間って、一生のうち、何度も味わえるものではないだろうけれど、それこそ
最近、仲間うちで交わされる将来設計の中では、仕事に関する転換点は自分で決めざるをえず、でもそこが
理想を現実にする一つのチャンスなのかな、とは思う。





まぁでも世の中のお父さん方、いつまで働けばいいのだろう。

働きながら、趣味とか、何か他の楽しみとか、うまく並行してできている人って、何割くらい居るのだろう。


考えてもみれば、

この世に生まれて、親が元気のいい頃に大きくなっていって、自分の家庭を持ってからは子育てに忙しく、
子供が親離れする頃には弱り始め、弱った頃に定年を迎え、運が良ければ少しの老後が待っていて、
もっと運が良ければ子や孫に看取られながら旅立つことができる。

人の一生、平均寿命とのバランスは抜群ではないか。



それもこれも健康であればこそ。



その、肝心の、健康が、無いんだなぁ、これが。
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また今年もこの日が

いろいろなことを考えさせられる貴重な日、今日10月4日は、第二の命を戴いた日。


今年で肝臓移植手術から9年目。



さすがに9年も経つと、当時の記憶は薄れつつある。

そもそも当時の記憶が、かなりの範囲で欠落しているのだけれど・・・




男44歳、妻と子供、両親、祖母、いろんなものを背負って、一番頑張らねばならない時期での脱落。

絶対的危機で迎えた移植手術だった。



後に冷静に振り返ってみると、移植までに死ななかったことが奇跡、移植できたこと自体が幸運、もっと
言ってしまえば、社会生活に戻れたどころか、仕事復帰できたことが、本当に幸運だった。






たくさんの人に心配と迷惑をかけた。

移植手術は自己完結できないところに大変さがある。


そこに、手術に至るまでの、本人のみならず、医師、看護師、そして家族を巻き込んでの葛藤と苦悩がある。






移植手術というものが、いかに高度な手技を必要とするもので、それに携わる医師が、想像を絶する経験と苦労をしていること

医師と患者をつなぐコーディネーターが、昼夜を問わず、知力、精神力を駆使して連携を計っていること

術前術後の患者に対応する看護師、専門技師が職務がどれだけ苦労するか

保険の問題、病態の問題、金銭的なこと、どの程度の復帰が可能か、など、関わる課題がどれほどのものか

移植に向き合う、患者も、ドナーも、それぞれの家族も、みんなの人生にいかに影響が大きいかという現実

生体移植でのドナーが味わう恐怖と心体の負担は・・・それこそ患者には想像すらできないこと

知らないところで、家族中が多くの人に支えられていたこと

知らないところで、たくさんの人に復帰を願って頂いていたこと


生き長らえた意味

その後の暮らし方

できることとできないこと

感じていること、感じられないこと

伝えること、伝えられないこと、伝えなければならないこと

知っておくこと、知るべきでないこと


そして、何よりも、ドナーを始め、感謝してもし切れないたくさんの人がいること





これらは、

恥ずかしいけれど手術前にはわからなかったことだ。


自身の余裕の無さは、命の危険を見て初めてわかる。

だからこそ、知っておいてほしいことは伝えなければ、と思う。




いい部分も、負の部分も、「ありのままに」。





術前術後、自分が一番知りたかったことは、移植の手技でも無ければ費用のことでもなく、患者さん自身の
心の持ちようであり、ドナーさんの思い、家族の関わり、そういったことだった。



もう一度、あの経験をしろと言われると、もう・・・絶対に。




だからこそ、これからも伝えられることは伝えていこうと思う。

どれだけ生きられるかわからないけれど、どうせ一度失くした命、いつかは訪れる最期の時まで、精一杯お伝えしていこう
と思っています。



きっとブログの最後は、妻に託します。
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長~いテーブルを作る.その1

自宅新築とともに購入したソファー、さすがに21年も使っていると、座面のバネは凹み、背板は陥没、表面のカバーに至ってはボロボロで、既製品のカバーをかぶせて
使っている現状。


子供たちがまだ小さかった頃は、ソファーは格好の遊び場で、その上で飛んだり跳ねたり、もうトランポリン状態。




そのソファーを見るにつけ、妻の

「もう、誰もウチに呼べない。テーブルと椅子、早く作って。」


我が家の場合、買って!ではなく作って!




子供の教科書棚も





TV台も





そんなこんなで、自作する羽目になったものだ。

とは言うものの、デザインやサイズなど、既製品では絶対手に入らないものが、格安で(材料費と自分の手間賃だけで)手に入るの
だから、時間さえあったなら、自分で作るに限る。



で、問題は時間。

時間が、ない。



テーブルと椅子を、しかもどうせなら長いテーブルを作ろうと、思い立ってから早や 3、4年。

妻に尻を叩かれながら・・・




で、

つい先日、ある事情があって、椅子の方だけ買ってしまった。

ずっと二人で気になってたヤツ。

でも家に届くのは1ヶ月後。


ならば、ということで、せめてテーブルだけでも作ってしまおうと、できれば椅子が届く前に、と。




時間見つけて、

材料、買いました。



長尺材が多いので結構高く、それでも全部で19本、しめて15000円強。



買えば14、5万はするだろうから、1/10程度か。




さてこれから、やすり掛けに切り出し、接続部の加工、着色、組み立て、仕上げ、とやることはたくさんある。

特に、8フィート材は、車庫から2階に上げるのに、単材のままでないと上げられないので、真っ先にサンダー処理。

で、上げてみた。バラバラのまま。居間に。







で、でかい。
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内定式

今日、長男くんの就職内定式が東京のホテルで行われている。

グループ全体での行事。



いわゆる「大企業」という所で働いた経験の無い自分としては、それだけでも羨ましい。

ただ、それだけ責任も大きいはずで、大変な事も辛い事も、これから父をはるかに上回っていくことだろう。



長男くんのこれまでの人生の半分は、父の大病と共にあった。

それを通して見聞きしたこと、感じたこと、たくさんあっただろうし、反発もしたし、受け入れてもくれた。



そんな中で、少しでも何か感じられることがあったなら、それを今後の人生に役立ててほしい。




本当のスタートは来春、でも社会人への心構えは、もう始まっている。
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