予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
肝炎の前兆
退院して以来、人と会う機会が多くなった。
そして、ようやく病気のことを振り返って話せるようになってきた。
そこで良く聞かれるのが、発症する前のこと、病気の前兆である。
よくよく話しを聞くと、自分自身がのキャリアであったり、家族や知人に
キャリアの人がいたりと、B型肝炎ウイルスのキャリアが結構多いので驚
いた。
やはり自分と同年代、過去の注射針の共用など何か共通事項があるのだろ
うか。

----------
いつからこんなことになってしまったか。
2005年、直接のきっかけは8月14日、嘔吐してしまい、休日の当番
病院にかかったことから始まる。
確かに腹部の違和感と強い疲労感はあったのだが、その時は前日までの道
東への出張の疲れが出たのだろう、程度にしか考えていなかった。
もちろん自分がB型肝炎ウイルスを持っていることなど知らなかった。
だから、きっかけを聞かれても 「いや~それがさ~、ほんと急にさ」
と答えてしまうのだが、今冷静に考えてみると、関係あるかないか分から
ないが、前兆といえるものがあるにはある。
① 肩痛と頭痛
2005年7月初旬、肩から背中にかけてのひどい痛み。
すぐ後頭部にも痛みが広がったので近くの内科に行く。
内科では特に血液検査をするでもなく、脳外科への紹介状を渡される。
その足で脳神経外科へ行くが、やはり異常無しの診断。
その後10日程で少し良くなったので、仕事の忙しさに間切れてしまっ
た。
この時、血液検査をしていたなら、というのが今にして後悔しているこ
と。
② 低炭水化物ダイエット
文字通り、炭水化物を控えるダイエット。
上記の頭痛の後、健康も考慮し低炭水化物ダイエットを始めた。
結果は当初70kgが66kg と-4kg減量。
米飯類は食べられないが、野菜などは食べ放題なので空腹感はほとんど
なかったが、食事の全体量は減っていたのかもしれない。
これは全然関係ないのかな?
他に考えられる、前兆というようなものは思い浮かばない。
とにかく去年の夏、いきなり頭を打ちのめされ、秋・冬・春・夏と四季を
感じることもなく、一年ワープしてしまったような、夢のような感覚なの
である。
そして、ようやく病気のことを振り返って話せるようになってきた。
そこで良く聞かれるのが、発症する前のこと、病気の前兆である。
よくよく話しを聞くと、自分自身がのキャリアであったり、家族や知人に
キャリアの人がいたりと、B型肝炎ウイルスのキャリアが結構多いので驚
いた。
やはり自分と同年代、過去の注射針の共用など何か共通事項があるのだろ
うか。

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いつからこんなことになってしまったか。
2005年、直接のきっかけは8月14日、嘔吐してしまい、休日の当番
病院にかかったことから始まる。
確かに腹部の違和感と強い疲労感はあったのだが、その時は前日までの道
東への出張の疲れが出たのだろう、程度にしか考えていなかった。
もちろん自分がB型肝炎ウイルスを持っていることなど知らなかった。
だから、きっかけを聞かれても 「いや~それがさ~、ほんと急にさ」
と答えてしまうのだが、今冷静に考えてみると、関係あるかないか分から
ないが、前兆といえるものがあるにはある。
① 肩痛と頭痛
2005年7月初旬、肩から背中にかけてのひどい痛み。
すぐ後頭部にも痛みが広がったので近くの内科に行く。
内科では特に血液検査をするでもなく、脳外科への紹介状を渡される。
その足で脳神経外科へ行くが、やはり異常無しの診断。
その後10日程で少し良くなったので、仕事の忙しさに間切れてしまっ
た。
この時、血液検査をしていたなら、というのが今にして後悔しているこ
と。
② 低炭水化物ダイエット
文字通り、炭水化物を控えるダイエット。
上記の頭痛の後、健康も考慮し低炭水化物ダイエットを始めた。
結果は当初70kgが66kg と-4kg減量。
米飯類は食べられないが、野菜などは食べ放題なので空腹感はほとんど
なかったが、食事の全体量は減っていたのかもしれない。
これは全然関係ないのかな?
他に考えられる、前兆というようなものは思い浮かばない。
とにかく去年の夏、いきなり頭を打ちのめされ、秋・冬・春・夏と四季を
感じることもなく、一年ワープしてしまったような、夢のような感覚なの
である。

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何も無いことの幸せ
病室に居ると、特に入院生活が長くなればなるほど、
家に戻れたらあれもこれもやらなきゃと考える。
ところが思うほどできるものではない。
どこかここか痛みが有ったり、体中からチューブが出て
いたり、疲れやすかったり。

昨日、一昨日の週末は特にすることも無く、ゆっくり
過ごすことができた。
人間誰でも色々な欲が有るが、一年間病気と闘ってきて
みて「何も無いことの幸せ」を痛切に感じる。
仕事もままならない、家の事もろくにできない、今はそ
んな自分であるし、情け無さで落ち込むことも多いが、
妻を中心に、支えてくれる人達がいる。
「何も無いことの幸せ」を感じさせてくれるたくさんの
人達が、自分の周りにはいっぱいいる。

----------------------------------
<・・・一年前>
・・・2005.8.13(土)
身体中に妙な疲労を感じる。
しかし、丁度一週間の出張から帰ったばかりで、その疲
れが出たかな、という程度の認識しかなかったと思う。
・・・2005.8.14(日)
疲労感は強まり、午前中吐いてしまう。
翌日からの仕事の事もあり、さらに休日だった為、当番
病院を調べ胃腸の様子を診てもらう。
採血し、翌日の胃カメラが決定。
出張中の仕事の整理が有る為帰宅後も仕事。
正直きつかったのを憶えている。
・・・2005.8.15(月)
昨日の当番病院(S医院)での胃カメラ。
特に以上は無い、ということで一安心。
・・・2005.8.16(火)
どうやらこの辺りから雲行きが変わってくる。
午前中S病院で診察を受ける。
採血の結果が相当悪いらしく、入院勧告を受ける。
帰宅すると、留守番をしていた息子がS病院から電話を
受けていて、入院に関して大事な話が有るという事。
今直ぐにでも入院してほしいとのこと。
でもやはり、自分の中では状況を良く把握できず、「仕
事の区切りをつけるので、もう少し待ってくれ」と言っ
ている始末。
しかしそうも言ってられず翌17日には、S医院の医師
に紹介された、SH病院に入院。
妻に連れられ家を出る時には、家族に「じゃあちょっと
行ってくるわ。」と言ったのを今でも憶えている。
この時はまだ、本当に「ちょっと行ってくる」という感
じしかなかったのでです。 ・・・この時はまだ。

家に戻れたらあれもこれもやらなきゃと考える。
ところが思うほどできるものではない。
どこかここか痛みが有ったり、体中からチューブが出て
いたり、疲れやすかったり。

昨日、一昨日の週末は特にすることも無く、ゆっくり
過ごすことができた。
人間誰でも色々な欲が有るが、一年間病気と闘ってきて
みて「何も無いことの幸せ」を痛切に感じる。
仕事もままならない、家の事もろくにできない、今はそ
んな自分であるし、情け無さで落ち込むことも多いが、
妻を中心に、支えてくれる人達がいる。
「何も無いことの幸せ」を感じさせてくれるたくさんの
人達が、自分の周りにはいっぱいいる。

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<・・・一年前>
・・・2005.8.13(土)
身体中に妙な疲労を感じる。
しかし、丁度一週間の出張から帰ったばかりで、その疲
れが出たかな、という程度の認識しかなかったと思う。
・・・2005.8.14(日)
疲労感は強まり、午前中吐いてしまう。
翌日からの仕事の事もあり、さらに休日だった為、当番
病院を調べ胃腸の様子を診てもらう。
採血し、翌日の胃カメラが決定。
出張中の仕事の整理が有る為帰宅後も仕事。
正直きつかったのを憶えている。
・・・2005.8.15(月)
昨日の当番病院(S医院)での胃カメラ。
特に以上は無い、ということで一安心。
・・・2005.8.16(火)
どうやらこの辺りから雲行きが変わってくる。
午前中S病院で診察を受ける。
採血の結果が相当悪いらしく、入院勧告を受ける。
帰宅すると、留守番をしていた息子がS病院から電話を
受けていて、入院に関して大事な話が有るという事。
今直ぐにでも入院してほしいとのこと。
でもやはり、自分の中では状況を良く把握できず、「仕
事の区切りをつけるので、もう少し待ってくれ」と言っ
ている始末。
しかしそうも言ってられず翌17日には、S医院の医師
に紹介された、SH病院に入院。
妻に連れられ家を出る時には、家族に「じゃあちょっと
行ってくるわ。」と言ったのを今でも憶えている。
この時はまだ、本当に「ちょっと行ってくる」という感
じしかなかったのでです。 ・・・この時はまだ。

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