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運命

junseokさんに「最近の家族のやり取りで奥さんが良く出てきます」と言わ
れて確かにそう思った。


特別意識をしていたわけでもないが、確かにその通りだ。





最近、隣にいる妻を見て、「どうしてこの人なんだろう」と思うことがある。

もしかしたら全然違う人が隣に座っている可能性だってあったわけで、そう
考えるとこれも「奇跡」の一つなのかもしれない。

で、いつも考えるのは、もし自分と一緒になっていなければ、ここ数年の妻
の苦労は無かったんだなぁ、ということで、違う人生を歩んでいればもっと幸
せな将来が待っていたかもしれないということ。



そんなことを考えることが多くなって、ブログに登場する機会が多くなった
のかもしれない。



そもそも元々は赤の他人なわけで、しかも職場で知り合ったので、お互いが
それぞれ何処かでほんの少し道を変えていれば、めぐり合うことも無かった
と思うと、人生ってホント運命的だと思う。
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再手術ヘ向かって~入院

「田舎に泊まろう」のギャル曽根ちゃんを見て、泣きそうになっていた
かんぞうです・・・。


----------------------------------

・・・2006年 8月 18日



10時までに入院することになっていたが、元々第2内科と泌尿器科を受
診する予定になっていたこともあり8時には家を出る。



入院当日にもかかわらず、病院に着いてからは入院手続きを済ませてすぐ、
普通通りに第2内科を受診、更に午後からは泌尿器科も受診。

第1外科とは別に予定をこなさなければならない。


この時の入院は6回目、でもそれまでの入院と違い手術を控える。


シャントの閉鎖と胆管拡張の手術。



思えば移植した時点から決まっていた手術だったのかもしれない。

ずいぶんと回り道をしたけれど、行き付くところはここしかなかった。



「こんなことならもっと早く」とか、

「あんな痛いおもいをしなくても」とか、

「移植手術でもっと違う方法があったのでは」とか、

不思議と、この時は考えていなかった。


なんて言うか、妙に落ち着いた、というか、今考えるとなんだか変な感覚
だった。


今だから笑っていられるが、この時の時点では、伸るか反るか、一か八か
的な手術だったというのに。
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記憶より記録

このブログを始めてまもなく2年になる。

再手術の直前から始めたので、再手術からも2年経つことになる。



ブログを始めた当初は前年の移植前の頃からを記していたのが、いまでは
再手術の頃、今から2年近く前のことを振り返っていることになる。




S内科からSH病院に移り、更にK病院に転院してからも仕事用の手帳を
持ち込み、自由の効かなくなってきた手で日々の出来事を記していた。

でもそれは一週間後に途切れている。


透析と血漿交換が始まり、その辛さをひしひしと感じ始めていた頃だ。


精神的にも肉体的にも「字を書く」という行為が相当の苦痛となってきた。


それでもなんとなく「何か記録に残しておかないと」といった妙な使命
感にとらわれ、何かの紙切れなんかに検査のこと、診察のこと、先生に
言われたことなどメモってみたが、字がまともに書けず断念。


手帳も妻に自宅に持ち帰ってもらった。



なので移植手術後の同年11末までの記録は無い。

しかも脳症のため、記憶も無い。(断片的にはあるけど)

お金も無い。(これは関係ない)




記憶を取り戻した(普通に戻った)頃、N看護師の勧めで自己管理表の記入
を始めて(リハビリを兼ねて)ようやく記録が復活した。

最初は体温と水分と排便を記入するだけの簡単なもの、でもこれさえも苦痛
で苦痛でたまらなかったが、今では内容も充実し、ノート2冊分位になって
いる。(今はほとんど記入してません)



そして最初の退院以降、手帳が復活し、仕事用手帳がスッカリ闘病記録手帳
になってしまっている。
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無駄な抵抗

札幌も今日はあっつ~い一日でした。



その暑い一日は本当に熱い一日だった。


半年に一度の「特定疾患医療受給者証」の更新の為、朝からH大病院へ。

事前に申し込んであった申請書(診断書)を受け取り区役所へ。


いつも通り手続きを済ませ、あとは又、来月中旬にでも直接、北海道保健
福祉部に電話をし、催促するだけだ。

ちなみに、区の担当者に、直接本人が道庁の方へ申請できないのか聞いて
みたが、「区が仲介する事になってますので」と、予測した答えが。

わかっていたことではあるが・・・。




で、6月といえば納税が始まる。
国民健康保険の支払いも始まる。

一昨年はほとんど収入が無かったので、昨年は道市民税は非課税で、しか
も減免措置の為、国民健康保険もわずか数万円(一年分)だった。



昨年、なんとか仕事ができる様になり、それでも体調が優れない中、入院
もし、でも頑張って働いた結果、ある程度の収入を得られた。


国保料も道市民税も、そう、前年の収入から計算されるんです、前年の


そこには前年の数字だけが存在する。

一年半、まともに働けなかったという歴然とした事実はそこには存在しな
いんです。



ルール、規則、法律、決められたこと・・・

今日、役所でその辺の話しを職員とする中で何度言われたか。

仕事がしたいのにできない、たくさん納税したいのにできない、なのに
一個人のおかれた環境などは国の決めた「ルール」の上では何の意味も
持たない。




健康保険、今となっては自分にとって頼みの綱、ないがしろにはできない。

国民健康保険は特に低所得者の加入が多い。

だから札幌市の場合、一世帯当たりの平均保険料は年額、14万6329
円で、月換算すると約1万2000円になる。これならねぇ・・・なんと
か・・・


でも、
「去年はある程度仕事できたから道市民税もそうだけど、保険料も今年は
結構高いよ」

って妻と話していたが、”結構”なんてとんでもなかった。


平均額の数倍も・・・、だって最高限度額が65万で、年収ん千万の人も
65万で、たったの、ん百万の人も限度額に近いなんて・・・



住民税については税率など、全国一律という。

不平不満を言っても、国レベルの段階でないとどうにもならない。

窓口でなにを言ってもダメ、決めるのは政治家であり中央官僚、でもって
その政治家を選んでいるのは国民、となる。



特定疾患医療制度で助けられているのも事実で、すべてを国におんぶに
抱っこするつもりは毛頭無い。

むしろ働けるなら精一杯働いて、しっかりと収めるものは収めたいし、今
までもそうしてきたつもりだ。


だからこそ、苦しい時、困った時、年老いた時、病気の時、そんな時にこ
そ「思いやり」のある国であってほしいし、そんな制度であってほしい。




こんな話しを夕食の時に家族で話していたので、次男に


「もうこうなったら○○○(次男)が大きくなったら偉くなってさ、日本
の色んな事決められるようになってさ、いい日本にしてよ」


って言ってやったなら、口の立つ次男は、


「う~ん、じゃあまず生徒会活動からだ!!」だってさ


がんばれ!!若者!
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川の流れのように

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19年の前の今日、新婚旅行からの帰りのバスの中で訃報を聞いた。

うかれ気分もすっ飛んだ。


慢性肝炎や肺の病気と闘いながらも「不死鳥コンサート」などで何度も
復活を果たしつつも、「川の流れのように」を発表した同年、52歳の
若さで亡くなった。


今日はそんな美空ひばりさんの命日だった。

・・・心から合掌




♪デコボコ道や曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生♪

~そう、今は完全に人生に翻弄されています~



♪生きることは旅すること
終わりのないこの道♪

~苦難の旅です~



♪雨に降られてぬかるんだ道でも
いつかはまた晴れる日が来るから♪

~そう信じてなければ生きていけません~



♪ああ 川の流れのように
おだやかに この身をまかせていたい♪

~究極の目標です~


(秋元康作詞、『川の流れのように』より)
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何ができる?

ロッキー・ザ・ファイナル (特別編)

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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GWから続いた風邪もようやく最近咳が治まった。

2ヶ月がかりかぁ~




移植の説明を受け始めた頃、話しの中によく出てきたのが、肝臓移植を
経験しながらもオリンピック出場を果たしたスキー選手のこと。

「あぁ、こんな人もいるんだ」程度にしか思っていなかったが、最近の
自分の体力の無さを痛感するにつけ、思い出す。



せっかく助けてもらったこの命を有効活用すべく、色々と考えてみるの
だが、「何がやりたいか」ではなく「何ができるか」と考えてしまう。

自分で自分の可能性を狭めてしまっているのだ。


立ちはだかる壁は大きいものの、やりたいことはたくさんある。




そんな中、先日、EURO2008のニュースを見ていて驚いた。

このニュース は腎臓移植手術から復帰したクロアチアのFW
クラスニッチ選手のゴールを伝えていた。


このクラスニッチ選手、重い腎臓病で命が危ぶまれ、母の腎臓を移植した
にもかかわらず拒絶反応を示し、更に父の移植を受けて助かった。

一度ならず二度の移植を経ての活躍が凄いところ。

体力の低下も相当だったはずだ。


腎臓と肝臓の違いはあっても、少なからず打撃系のスポーツであるサッカ
ー選手として活躍する姿を見て影響を受けないはずが・・・ない。

持って生まれたものが違うだろう、とか、年齢が違うだろう、とか、そん
なことはさて置き、やりたいことはたくさんある。



じゃあまずは11月の「アレ」に向かって頑張るしかないかなぁ。
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看護師さん

おたんこナース (1) (Spirits healthcare comics)
佐々木 倫子
小学館

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今、妻が読んで(見て)いるのがコレ↑

「なに!看護師さんでも目指しているの??」っと思わず聞いてしまった。



おたんこナースではないが看護師さんにも色々な人がいる。

今年の春からは、ドナーになってくれた姉の、長女も看護師一年生だ。



・・・
環境の良かったK病院からH大病院に転院した時は正直かなり戸惑った。

建物の古さに加え病棟の雰囲気が一変した。

内科と外科の違いはあるだろうが、やっぱり厳しい世界だった。



当然の事ながら看護師さんもK病院の落ち着いた雰囲気から、まるで戦場
を思わせるような(戦場を知らないけど)緊迫感を感じたものだ。

入院中は、「ナースコールしても全然来てくれないんだよね」と嘆く患者
さんが多かった。


人手不足だった事もあるだろうけど。


そんな中で看護師さんに気に入られるのも、長く入院生活を送る上で重要
なことだ。


私は、担当になってくれたNさんやTさんが本当によく話しを聞いてくれ
て、こちらの気持ちが前向きに向かうように努力してくれたのが幸運だっ
た。


他の患者さんの中には、かわいそうだな、と思う人も居たような、居ない
ような・・・



今でも定期検診に行くたび、7階の病棟では皆どうしているんだろう、と
思う。
きっと忙しくしているんだろうな、と。


時々顔を出してみようかと思うが、そういう時に限って自分の身に何か起
こって入院なんてことになりかねない。



結局8回の入退院を経験したことになるが、退院時にいつも言われるのは、


「かんぞうさん、今度は元気になって、元気な姿を見せに来て下さいね」


何度も約束を破ってしまったが、9回目は・・・いつだろう??
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どうなのかな

本当はどうなんだろうって、ずっと思っている。


病気による長期入院で生活が激変、それまでできていた事ができなくなり、
お互いに考えていた事や将来の夢も実現困難になった。

それでも今は必死に生きている。

たまに不満は口にするがそれも精一杯働いて、全力で子育てして、少し
ネガティブだが俗に世間でいう、愛想尽かして出て行く、なんて兆候は無
い。(と思う。いや思いたい。)


妻のことです。


結婚して19年、楽しい事ももちろんあったが、苦労をかけている事の
方がずっと多い。

結婚一年後には転職、更に四年後には独立、その間子供が産まれ家を建て、
夫の両親と同居、しかも婆さん付きだ。(白寿のねっ!)


それでいて自分の実家には昨年帰省するまで6年程帰っていなかった。


本当は一昨年の病院生活の時に愛想を尽かされても文句は言えない状況
のはず。


だから病気になってから、ずっと思うんです、どうなのかなって。
これで本当にいいのかなって。



明日(18日)は、19回目の【結婚記念日】です。


生まれ変わったら・・・絶対結婚してくれない・・・だろうな。。
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HOME

home
木山裕策,多胡邦夫,米田浩徳
エイベックス・エンタテインメント

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「家」というと自分達建築に携わる人間にとっては「住む為の建築物」と
してのHOUSE。


建築の中でも職種柄、色んな建築物にかかわる。
学校から病院、マンション、事務所ビル、美術館、空港、そして神社にも。

でもやはりこだわりがあるのは住宅。
自分が住むから、というのは当然で一生付きあっていかなければならない
ものだから。



でもやはり建築物としての「HOUSE」よりも大事なのは「HOME」。

「HOME」には「住まい」としての意味もあれば、「家庭」「家族」と
いう意味がある。

「生国」「故郷」という意味もあり、要するに「戻るべき場所」と理解し
ている。


入院中はこの「HOME」が遠かった。

帰りたくて何度も訴えても帰れず、やっと帰ったと思ったら、病院へ逆戻
りで、「じゃぁ、病院へ戻るわ」と言って、「戻るのは自分の家でしょ、
戻るじゃなくて病院へ「行く」でしょ」って妻に怒られたものだ。



「home」を歌う木山裕策さんも私の肝炎と同じ頃、甲状腺に腫瘍ができ、
甲状腺を全摘出。
医者からは「声が出なくなる危険がある」と告げられながらも「絶対もう
一度歌ってみよう。」と決意し、リハビリの末、声を取り戻したという。

そしてこの木山裕策さんも普通の会社員であり、子供4人の父親でもある。

昨年、この木山さんの歌う「home」をTVで初めて聞いた時、泣きそうに
なってしまった。








今の世の中に一番必要なもの、「家族愛」をテーマにしたこの曲、どんな
不安、悩み、怒りがあったとしても、単純に人を好きになって、帰れる場
所があるならそれでいいじゃないですか。

そんな一番大事で、一番忘れていることを思い出させてくれる一曲です。
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悲しい

昨日、ふとTVを点けるといきなり信じられない映像が・・・。

秋葉原の無差別殺傷事件の映像だった。

地下鉄サリン事件以来の衝撃だ。


「無差別」=「差別をしない」って本来いい事だろうと思うが、無差別
殺傷だけは断じて許す事のできない行為だ。

なんだか怒りを通り越して悲しい気持ちになった。




容疑者が「人生に疲れた」って話しているというニュースを聞いていた
妻が、


「健康な体を持ってさえいれば、何よりも幸せなのにね。」

ってつぶやいていた。


自分に言い聞かせるように。
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過程

今日の検診、心配だった血液検査の結果は感染等の兆候も無く、まず
は一安心だった。


頭の鈍痛や体のだるさはやはり風邪からくるものだろう。

一応せき止め薬も換えてもらい、状態が悪いようだと連絡する事にして
帰ってきた。

HBs抗体は100以上をキープしているのでヘブスブリンは次回検診
時に投与する事になった。



検診の間隔が長期になってくると、楽は楽だが心配な期間が長くなり、
とはいっても少々のことでH大病院まで通うのもなんだか大変で・・・

何かあったら連絡するように、と言われていながら、前のように真剣に
対応してくれていないような気もして気が引けてしまう。



移植から時間が経つにつれ、自己責任の比重が高くなってきた。

母親から産まれてくる赤ちゃんと同じ成長過程なのかもしれない。


今年10月、3歳になる。
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KAT-TOU

特急田中3号 DVD BOX

メディアファクトリー

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KAT-TUN(カトゥーン)の田中くん、いい味出してますねぇ~

って,KAT-TUNでなくてKAT-TOU(葛藤)。


最近、仕事の依頼があるたび一瞬戸惑う。


信頼して仕事を依頼して頂けるというのは、本来、大変ありがたい事で
喜ばしい事のはずなのに、体調が優れないと果たしてやり切れるだろう
かと考えてしまう。

このご時勢、うだうだ言ってる場合ではないと思いつつ・・・



昨年、胆管炎で緊急入院した時も、一度受けた仕事を断らないといけな
いことになってしまっている。

だからついつい、「ぁ~あ、前のような体力がほしいなぁ~」と
こぼしてしまう。


以前の仕事を受ける判断基準は

・徹夜してできるものなら受ける

だったが、さすがに今は無理。


楽をしたいとは全然思わないし、できるものならたくさん仕事をしたい。

できるかできないか、体は大丈夫か、日々葛藤だ。
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昨日はボーっと

昨日は目覚めた瞬間から頭がボーっとしていた。

それでも仕事は待ってくれず、朝からPCに向かうも一向にはかどらない。


ちょうど移植入院前と同じ、背中から後頭部にかけての鈍痛があるので、
非常に嫌な感じだ。

風邪薬の副作用だったらいいんだけど・・・。


今週末は定期検診、それまでに目前の仕事を片付けておかないと。
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