予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
春
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今日の北海道は春の陽気。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/fine_sim.gif)
四季のハッキリしている北海道では季節の変わり目は特別な感じがする。
今年はとにかく雪が少ない。
いつも通る道路沿いの雪堆積場は例年の三分の一くらい。
3月、4月も気温は高そうだ。
春はといえば、これからは子どもの卒業式や入学式、そしてサッカーチームの
卒団式と、毎週のように行事がある。
子どもにとっては別れと出会いの時期。
一生の中でもとても重要な節目の季節だ。
去年の今頃、何人かの看護婦さんに
「Mさん、お子さん、今年、入学とか卒業とかの行事は有るの?」
と聞かれた。
「いいえ、うちは来年だよ。」と答えたが、そうか、もし去年だったら、
おそらくどの行事も参加できなかったんだろうな、と思う。
一生に一度のもの、病気で失うものの中でも、二度と取り返せないもの。
健康はなんとか取り戻せても、取り戻せないものって有るんだなあ、とつくずく
思う。
今日のこの春のような陽気に触れて、健康の大切さを痛感、今年の春を自宅で
迎えられそうなことに喜びを感じた一日でした。
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恋のマイアヒ
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_hat.gif)
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<・・・一年前>
・・・2005.9月~
K病院では毎日毎日、透析の日々だった。
その所要時間は、通常6時間程、機械の不調で8時間以上にもなった事もあった。
一度始めると、ベッドの上でほとんど身動きができない。
眠るわけにもいかず、トイレにも行けない。
こんな状態でもなんとか一ヶ月間続けられたのは、なんとしてもこの透析で
治したい、移植をしないで済むようにとの、強い気持ちだった。
K病院に転院して間もなく、後に移植手術を行うH大病院のF医師から透析
治療で改善されない場合の説明を受けていたので、なんとしてでも移植手術
を回避しようと必死だった。
この気持ちが無かったら、とても続けられなかった、耐えられなかった、と
思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_uru.gif)
透析中はベッドでテレビを見るのも辛く、唯一の楽しみはラジオ。
しかし透析室の為か電波状況が悪く、空いている片手でチューニングをするのが
大変で、それでも必死になってチャンネルを合わせて、そうやって長い時間と
闘っていた。
♪まえあし~ まえあし~ まえあは~ うっふっふう~~♪
いつからか毎日かかるようになったこの曲、まえあし~、ってなんだこりゃ。
不思議に思いながらも、なんだか心地良い音色にいつの間にか、はまっていた。
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”O-Zone”の「恋のマイアヒ」という曲であること知ったのは、しばらく
してからだった。
苦しいだけの透析、一ヶ月間だったが、この曲のおかげで少しだけ癒された。
今から考えてみると、一年間の入院生活で、一番心に残っているといえば、
コブクロでもミスチルでもなければ、この「恋のマイアヒ」。
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でも、この歌の意味って何???
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/mike.gif)
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父の入院
最近は薬の副作用なのか、夜なかなか寝付けないことがある。
からだは疲れているのに妙に眼が冴える。
病院では9時消灯で、体調が良くなってきてからはその早さが、かなり苦痛
だった。
同室の人も皆同じで、病気のこととかあれこれ考えて寝付きが悪かったようだ。
だから退院してきた時などは、自分のフトンに寝られるだけで最高に幸せだった。
段々と家での生活が当たり前になってくると、考える事も多くなって、フトンに
入ると妄想族になってしまう。
やはり思うの、はこの一年半のこと。・・・・・
・・・移植前、ドナーの説明を受けている時、「私の肝臓じゃ駄目ですか」
と最初に切り出したのは父だった。
結局父の年齢では無理。医師に諭されたわけだが、涙ながらに必死で訴えていた
姿が目に焼きついている。
とにかく昔から今も強い父だ。
自分が小さい頃はものすごく怖い存在だった。
農業と剣道で鍛えぬいた肉体に加え、悪を絶対許さず、といった超頑固な
性格。
自分が物心付かない頃(普通は物心付いた頃なんだろうけど)には、いつの
間にか竹刀を握らされ、星一徹程ではないが、すっかりその世界にはまり
込んでいた。
そんな父なので、自分の入院中は孫達の父親代わりとして、二世帯住宅
である我が家の大黒柱として、大活躍だった。
片道50分程の道のりを、ほぼ一日おきに見舞に来てくれていたりもした。
すっかり親子の立場が逆転していた一年半だった。
父が今日から入院する。おそらく1週間程度のことと思うので、心配する
ことでもないが。
・・・・・いろんな事を思いながら寝つけないでいると、いつの間にか
2時・3時。
病院では、一眠りして、目覚めていた時間になっている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_night.gif)
からだは疲れているのに妙に眼が冴える。
病院では9時消灯で、体調が良くなってきてからはその早さが、かなり苦痛
だった。
同室の人も皆同じで、病気のこととかあれこれ考えて寝付きが悪かったようだ。
だから退院してきた時などは、自分のフトンに寝られるだけで最高に幸せだった。
段々と家での生活が当たり前になってくると、考える事も多くなって、フトンに
入ると妄想族になってしまう。
やはり思うの、はこの一年半のこと。・・・・・
・・・移植前、ドナーの説明を受けている時、「私の肝臓じゃ駄目ですか」
と最初に切り出したのは父だった。
結局父の年齢では無理。医師に諭されたわけだが、涙ながらに必死で訴えていた
姿が目に焼きついている。
とにかく昔から今も強い父だ。
自分が小さい頃はものすごく怖い存在だった。
農業と剣道で鍛えぬいた肉体に加え、悪を絶対許さず、といった超頑固な
性格。
自分が物心付かない頃(普通は物心付いた頃なんだろうけど)には、いつの
間にか竹刀を握らされ、星一徹程ではないが、すっかりその世界にはまり
込んでいた。
そんな父なので、自分の入院中は孫達の父親代わりとして、二世帯住宅
である我が家の大黒柱として、大活躍だった。
片道50分程の道のりを、ほぼ一日おきに見舞に来てくれていたりもした。
すっかり親子の立場が逆転していた一年半だった。
父が今日から入院する。おそらく1週間程度のことと思うので、心配する
ことでもないが。
・・・・・いろんな事を思いながら寝つけないでいると、いつの間にか
2時・3時。
病院では、一眠りして、目覚めていた時間になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_night.gif)
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リハビリに希望
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<・・・一年前>
・・・2005.12月~
ようやく正気を取り戻しつつあった12月初め、リハビリが始まった。
いきなりリハビリをしなさい、と言われても、関節等の体の痛みがあった
というわけではなく、最初はピンとこなかった。
場所と時間を指定され、2階のリハビリ室に行き、最初は問診。
病気のデータは当然届いているので、現在の状態なんかを自分なりに答えた
ような気がする。
いざ始まって何をするのかと思えば、まず歩行訓練。そして階段の昇降練習。
いくらなんでも歩く位は、と思っていたら、真っ直ぐ歩けない。
床のラインに沿って歩こうとするのだが、歩けないのだ。
あっちにふらふら、こっちにふらふらで千鳥足になってしまう。
更にショックだったのが階段。
4段位しかない練習用階段を登るのがつらい。
足が鉛のように重く、1段登るのさえやっとの状態。
周りにたくさん人がいて、先生もずっと見ているので、必死になって
やっていた。
しかもこの頃は、家に帰りたくてたまらなかったものだから、
「Mさん、大丈夫ですか。あまり無理しないで下さいね。」などと言われるも、
結果が外科の医師に伝えられるものと思い、
「全然平気です。思ったより体、動きますね。」なんて強がりを言っていた。
近くでは、70歳以上に見えるお爺ちゃんやお婆ちゃんがサイクルマシンを
こいでいる。しかも軽やかに。
平気な顔をしてこいでいる。
かたや、自分は上がらない足を必死で上げて、階段1段を登っている。
こんなにも筋力が落ちていたことがかなりショックだった。
一応、生まれも育ちも体育会系で、子どもの頃から運動に馴染んできたので、
それなりに体力にも筋力にも自身があったつもりだったのに、この、手術を
挟んだ4ヶ月間で、筋肉のカケラもなくなっていることにハッキリと気付か
され、まだまだ先は長いなあ、とあきらめの気持ちになっていた。
だけど、久しぶりに汗をかいたので、病室への帰り道、飲んだジュースは
格別においしかった。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
<・・・一年前>
・・・2005.12月~
ようやく正気を取り戻しつつあった12月初め、リハビリが始まった。
いきなりリハビリをしなさい、と言われても、関節等の体の痛みがあった
というわけではなく、最初はピンとこなかった。
場所と時間を指定され、2階のリハビリ室に行き、最初は問診。
病気のデータは当然届いているので、現在の状態なんかを自分なりに答えた
ような気がする。
いざ始まって何をするのかと思えば、まず歩行訓練。そして階段の昇降練習。
いくらなんでも歩く位は、と思っていたら、真っ直ぐ歩けない。
床のラインに沿って歩こうとするのだが、歩けないのだ。
あっちにふらふら、こっちにふらふらで千鳥足になってしまう。
更にショックだったのが階段。
4段位しかない練習用階段を登るのがつらい。
足が鉛のように重く、1段登るのさえやっとの状態。
周りにたくさん人がいて、先生もずっと見ているので、必死になって
やっていた。
しかもこの頃は、家に帰りたくてたまらなかったものだから、
「Mさん、大丈夫ですか。あまり無理しないで下さいね。」などと言われるも、
結果が外科の医師に伝えられるものと思い、
「全然平気です。思ったより体、動きますね。」なんて強がりを言っていた。
近くでは、70歳以上に見えるお爺ちゃんやお婆ちゃんがサイクルマシンを
こいでいる。しかも軽やかに。
平気な顔をしてこいでいる。
かたや、自分は上がらない足を必死で上げて、階段1段を登っている。
こんなにも筋力が落ちていたことがかなりショックだった。
一応、生まれも育ちも体育会系で、子どもの頃から運動に馴染んできたので、
それなりに体力にも筋力にも自身があったつもりだったのに、この、手術を
挟んだ4ヶ月間で、筋肉のカケラもなくなっていることにハッキリと気付か
され、まだまだ先は長いなあ、とあきらめの気持ちになっていた。
だけど、久しぶりに汗をかいたので、病室への帰り道、飲んだジュースは
格別においしかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
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臓器移植ということ Part Ⅱ
・
↑ 未確認微生物
・・・・・
先日H大病院で、35時間にも及ぶ移植手術が行われた。
まだ20代の方で、脳死肝移植だったという。
自分の場合生体肝移植で、運良く姉の肝臓が適合し、ドナーとなってくれた。
姉の健康な体に危険と傷を負わせることに強い抵抗を感じていたが、医師達の
努力と最新医療技術によって自分ばかりか、姉もすっかり以前の状態を取り戻
している。
(傷は一生残ってしまうが)
脳死肝移植のことは良くわからないが、また、まったく別の思いがあると思う。
ドナーから臓器の提供を受けるという事は、ドナーの死を意味する。
つまり臓器提供者を待つという事はその人の死を待つこととなる。
結果論かもしれないけれど、生体肝移植を受けられた自分は恵まれているの
だろうか。
ただ、不幸にも命を落とされた方の死を無駄にしない為に、脳死移植はある。
決して、移植を待つ人がいるから脳死となってドナーとなる人がいるのでは
ないことはわかっている。
生体肝移植にしろ、脳死移植にしろ、それによって助かる命が確実にあること
だけは確かだ。
できれば早く、人工肝臓や他の人工臓器が開発されて、移植すれば助かる命が
一人でも多く救われることを願う。
臓器移植を切に望んでいる人が、すぐ近くに、たくさんたくさんいる。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_please.gif)
↑ 未確認微生物
・・・・・
先日H大病院で、35時間にも及ぶ移植手術が行われた。
まだ20代の方で、脳死肝移植だったという。
自分の場合生体肝移植で、運良く姉の肝臓が適合し、ドナーとなってくれた。
姉の健康な体に危険と傷を負わせることに強い抵抗を感じていたが、医師達の
努力と最新医療技術によって自分ばかりか、姉もすっかり以前の状態を取り戻
している。
(傷は一生残ってしまうが)
脳死肝移植のことは良くわからないが、また、まったく別の思いがあると思う。
ドナーから臓器の提供を受けるという事は、ドナーの死を意味する。
つまり臓器提供者を待つという事はその人の死を待つこととなる。
結果論かもしれないけれど、生体肝移植を受けられた自分は恵まれているの
だろうか。
ただ、不幸にも命を落とされた方の死を無駄にしない為に、脳死移植はある。
決して、移植を待つ人がいるから脳死となってドナーとなる人がいるのでは
ないことはわかっている。
生体肝移植にしろ、脳死移植にしろ、それによって助かる命が確実にあること
だけは確かだ。
できれば早く、人工肝臓や他の人工臓器が開発されて、移植すれば助かる命が
一人でも多く救われることを願う。
臓器移植を切に望んでいる人が、すぐ近くに、たくさんたくさんいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_please.gif)
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きのうの晩ごはん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/76/393a884b298cc8f64d0dc93cbce0c402.png)
・・・バレンタインデイ・キ~ッス♪バレンタインデイ・キ~ッス♪
----------------------------------
<・・・一年前>
・・・2005.暮れ~
「それじゃぁいつものやりますか。100から7を引いていって下さい。」
「100、93、86、75、・・・あれ?」
回診の時のいつものやり取りだ。
透析治療でK病院にいた頃から、Fせんせいが来るたび、やっていた。
H病院での移植手術後も、いつからか復活していた。
この病気の外見的な指標として、こういった脳の働きを診るのが有効らしい。
今考えるととても不思議だが、いつも86、79と言えない。
必ずといっていいほど、79で引っ掛かってしまう。
たまに79、72、65と順調に言えても、頭の中で本当にいいのかな、と
悩みながら答えている。
そして、それにも増して答えられなかったのが、「きのうの晩ごはん」。
「Mさん、きのうの夜の食事は何食べました?」
「え~~~~~~~?」
「たしか、魚か。」
「いや、肉だったかな」
いくら思い出そうと思っても思い出せない。
医師や看護師や、周りにたくさんいて、「あ~ぁ」ってな顔をして
こちらを見ているので、悔しいやら情けないやら。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
あまりに悔しいので、意味が無い、と思いつつも、その時食べたものを
メモして残しておくようになった。
そして回診の直前に見直して、バッサリ答えてやるのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/silver.gif)
すると、「オー良く思い出せたね」 などと言ってくれるので、その時だけは
気持ちがいい。
その事を妻に話すと、「全然意味ないっしょ」 と言われ撃沈。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_shock1.gif)
しかしながらこのメモ、その後結構役にたったりするのだ。
外泊や一時退院の時など、食べて良い物、だめな物に迷った時、このメモの
おかげで、食べて良い物だけはハッキリとわかる。
病院食として出ていた物は安心して食べられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
そんなこんなで2005年も暮れていき、年末で入院から4ヶ月半、
体調は良いものの検査値は高め安定。
医師達も思ったような改善が見られず、退院の予定も立たないまま、
「Mさんの場合、何かが引っ掛かっているんだよね」
とか言われながら、2006年を迎えようとしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/sayonara.gif)
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臓器移植ということ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/25/489006659cf1478cc18b8e629b81e909.jpg)
・・・・・
最近、猛烈な仕事の忙しさと、毎晩、ペイントでお絵かきしていたので、
すっかり更新をサボってしまいました。
ということで、まりもっこり!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/buta.gif)
・・・・・
先週金曜日(9日)は定期検診の日。
おまけに午前中、泌尿器科の診察もあったものだから大変だった。
結果は良好。
再発防止薬のヘブスブリンを中止して2ヶ月弱経つので、少し心配だったが、
肝臓の血液検査の結果も前回より良くて安心した。
GOT=33
GPT=33
γ-GTP=62
T-ビリルビン=0.9
アンモニア=45
どれも標準値に入ってきた。
CTの写真も見せてくれたが、昨年6月の時点よりかなり大きくなっていた。
移植手術以降、ずっと不安定な状態が続き、一生このままかな、などと
考えたりもしていたので、こうして仕事ができている状態が夢のようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/abanzai.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/abanzai.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/abanzai.gif)
この日は採血の時、同じ病室だったKさんと再会。
Kさんも移植経験者で、自分より4ヶ月後に手術しているにもかかわらず、
すっかり元気だ。
ただ、現状では2週間おきに通院しなければならず、長期地方出張のある
前職を辞めたとの事。
やはり大きな病気。その人の人生を変えるだけでなく、家族や周囲の生活
にも多大な影響を与えることを、あらためて知らされた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_cry.gif)
そして第一外科の診察の後、これもまた以前同室で、現在入院中のSさん
のお見舞いに。
Sさんもこれまで2度の手術を経験。
今は抗癌治療で入院中だ。
移植の道を探りつつ、ドナーの問題、金銭面の問題、いろんな問題を抱え
ながら前向きに明るく生きている。
いつも元気をもらっている。
自分のように移植によって助けられた者にとって、想像もできないような
思いを抱いているだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ang.gif)
そいえば移植手術前、移植手術を受け入れられず、悩んでいる時、
移植コーティネーターの方に 「移植を受けられる、ということだけで
幸せなのよ」 と言われたことがある。
その時は「他人事だと思って、簡単に言えるんだ」などと不謹慎にも考えて
いたが、今にして思えば、臓器提供を待ち望んでいる人達がたくさんいる
現状を考えれば、本当に幸せなことだったのだ、と思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
最近いつも考えることがある。
いったい、この病気は何だったのか、と。
別世界だった(はずの)臓器移植なんていうものが、ほんの1年ちょっと前、
何で自分の身に起こってしまったのか、と。
この思考錯誤は一生続く・・・・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock1.gif)
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結果!
今も病院。
尿検査の結果は大きな病気は無さそうということで経過観察。
右腕の痛みは相変わらず。左足のむくみも、良くもなく、悪くもなく。
でもって、この後、肝臓の診察待ちのかんぞう君でした◆☆!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_please.gif)
尿検査の結果は大きな病気は無さそうということで経過観察。
右腕の痛みは相変わらず。左足のむくみも、良くもなく、悪くもなく。
でもって、この後、肝臓の診察待ちのかんぞう君でした◆☆!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_please.gif)
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結果は?
今は病院。
血尿の検査の日。
IVP撮影が終わって診察を待つ身だ。
いつもそうだが診察前のこの時間はなんとも言えない気持ち。
どうしても悪い事を考えてしまう。
その分、結果が良いと思いっ切り安心するけど。
しばらくはこうやって一喜一憂する毎日が続く…
まだ呼ばれない…。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_z.gif)
血尿の検査の日。
IVP撮影が終わって診察を待つ身だ。
いつもそうだが診察前のこの時間はなんとも言えない気持ち。
どうしても悪い事を考えてしまう。
その分、結果が良いと思いっ切り安心するけど。
しばらくはこうやって一喜一憂する毎日が続く…
まだ呼ばれない…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_z.gif)
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