goo

なんかムカつくんですけど。

2005年の、A元一級建築士らによる「構造計算書偽造問題」。



一般住民はもちろん、建築界に騒乱を巻き起こしたあの大事件を、脳症から醒めるか醒めないかの
状態の頭で、病室のTV画面をぼうっと見ていた。



あれから8年、今も違った形で影響を受けている。

3年ごとに受けなければならなくなった「建築士定期講習」。

建築事務所に所属する建築士は必ず受けなければならなくなったのだ。



あの事件後。




一昨日、朝の9時10分から17時まで。

疲れ果てた。

最後には60分の終了考査まである。

試験のおまけ付きだ。

疲れる。





あの事件、TVで騒がれなくなってからも、そりゃぁもう右往左往、喧喧囂囂、本当に色々あった
ようだ。

こっちはそんな事にかまけている余裕も無かったから詳しくは知らなかったが。




結果、どうやら公判では「A元一級建築士による“個人犯罪”」だった、と結論付けられている
ようだ。

なに~ぃ!そんなわけないべ、と腹の中では思うものの、あまりここでは言えない言えない。




当時、いくらぼうっとしている頭とはいえ、「あ~なるほどね。」なんて思っていたもので、
何がなるほどっていうのも、言えねぇ言えねぇ。




利益と安全性、要するにそれをいかに両立させるかってことだけど、その方法がちょっと間違って
いた。

この二つ、これを突き詰めると国家的な話しになってしまう。




今、ほかの設計事務所経由で役所の仕事をさせてもらう事があるが、はっきり言って、儲からない。

っていうか赤字。

こっちはボランティアでやっているわけではない。

ただ、付き合い上のことだけでやっている。



構造的に、どう考えてみても割に合わないのだ。

これが何を意味するか。



あ~、なんかぶっちゃけたい。



役所の仕事の原資は国民の税金で、それがいろいろ仲介して最後に国民に戻る。こともある。

2005年の事件も政・官・財をも巻き込んで話しが複雑化したようだ。



でもちょっと待て。

あの事件を「A元一級建築士による“個人犯罪”」だと認定するなら、今の更新講習は必要無い
のでは。

だって個人犯罪なんでしょ。

なんで関係無い”一般の”建築士が、影響を被らなければならない?

個人犯罪なんだから、って堂々としていればいいんでないの。



矛盾すると思うんだけど。



それとも国、お役人さん、何か後ろめたいことでも有るんですかい?






いくつまで講習受けられるか、体力に、全然自信無いんですけど。

なんかムカつくんですけど。


一生折れない自信のつくり方
クリエーター情報なし
アチーブメントシュッパン



↑「地震」と「自信」をかけてるつもり。
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリギリ

手足先の痛みは、膠原病関係の検査を受けたものの原因を特定できず経過観察中。



足は、とりあえず歩けるので不自由はないけれど、最近、手は指の付け根全体が痛くなってきて、昨日
などは右手で車のハンドルを握るのが辛かった。

手首の腱鞘炎と相まって右手はかなりピンチ。



日常生活でも痛みは現れ、サポーター無しではいられない。

PCで作業するのも、サポーターは必需品。




幸か不幸か仕事はできる。

普段は、38度くらいの熱があるような感覚で、しかも頭が常に痛い状態でいるのに(慣れたけど)、
椅子に坐って机に向かうと、できてしまう、仕事。

仕事マシーンか!




ただ、先日、ある仕事で某マンションの現地調査に行ったのだけれど、これはダメ。

雨降りだったこともあり疲れは倍増、やはり外仕事は無理か。





思えば、病気が発症したのは、8年前、道東の現場廻りから戻ってきた直後。

あの頃は、車で何百キロも移動して、現場を一日中走り周って、夜は夜でデータ整理して、また朝早く
起きて、って元気一杯だった。





今、身体はやっぱりキツいなぁ。

贅沢は言ってられないけれど、愚痴の一つもこぼしたくなる。


なんか、細~い線の上を、微妙にバランスを取りながら、やっとこさ渡っている感じ。

このギリギリ感が・・・


線が揺れたら、ポコッと落ちてしまいそうで。
コメント ( 2 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生日には

いくつになっても記念日は記念日、特に誕生日は、今、自分が生きていることを再確認する日。



妻と知りあって27年、人生の半分以上が妻と過ごした日々になる。

学生時代から一人暮らしを始めた妻にとっても、ご両親と共に過ごした日々よりはるかに長い時間、自分
と、子供たちと、過ごしてきたことになる。



そういったことを考えていると、さて、どうしたものかと思う。

元はアカの他人、どうかでどうにかなっていたら(お互い)知り合うことさえ無かったのに、となると、
さて、自分で良かったのか、と。




もっとお金持ちと、とか、もっと地位も名誉も有る人と、とか、もっと(少しだけ)自分よりもイケメン
と、とか、きっと考えているんだろうなぁ。





その妻の、今日が四十ん回目の誕生日。



これまでの時間を苦楽で考えると、間違いなく



<苦!





それでも付いてきてくれたことに感謝。

おっと、病気をしてからは、付いていかせてもらって感謝。







福山雅治さんの 「誕生日には真白な百合を」、

福山さんはこの歌の歌詞と同じ、自分の誕生日には毎年お母さんに百合を送っているそう。



だから妻のご両親にも感謝。

妻のご両親がいなければ今の自分の家族も無いわけだ。






10月10日、妻に感謝する日、ご両親に感謝する日。




コメント ( 2 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

移植8年目にして

ムスッとして、どこを見つめるでもなく、「俺には関係ないよ」とでも言わんばかりの無表情を
貫くことで自分を保っていた長男くん。


お調子もののキャラクターを生かして、いつもと変わらず周りを明るくすることで平静を保とうと
頑張っていた次男くん。




病室に来た時の2人の様子は決まってこんな感じだった。


今になって考えてみると、というか、もし自分が子どもの立場だったら・・・


きっと、どう振る舞っていいのかまったく分からなかったと思う。





きっと、移植後、初めて自分の父親を病室で見た時は、話すことさえできなかった時期。

ICUには子供は入れてもらえなかったのだから、移植後何日も経ってのことだ。



小5と中1、当時、もしあのまま死んでいたら、その後の生活はどうなっていただろう。

妻の実家に帰って転校していただろうか。

自分の両親と一緒に、孫として子として育っていただろうか。




あれから8年・・・

8年前の今日が移植手術の日。




長男にとっても次男にとっても、そりゃぁもう、色んな事が有り過ぎた8年だったに違いない。

なのに、この8年は自分の中で自分中心に回ってしまっていたような気がする。

二人とも思春期。


長男の受験年には、激しくぶつかり合い、次男の進路では、かなり悩ませてしまっていたが、今思うと
それらは全部、自分の気持ちの余裕の無さがさせるものだった様に思う。

本当に申し訳ないことをしたと思っている。


今だからこそそう思えるが、必死でやり過ごしてきた8年だった。





病気で得られるもの、基本的には無い、と思っている。

明らかにメリットよりデメリット。


人の優しさとか思いやり、人生の価値観の変化、そんなことを気安く言う人もいるけれど、たしかに
それはあるけれど、でもそれって結局、自分自身の中だけでのことだ。



少なくとも、妻や子や、周りの人間には迷惑でしかないだろう。







だから今、必死でイキている。

手術なんてできない。長期入院なんてできない。

もうこれ以上迷惑はかけられない。


でもそれが生きるパワーになる。

家族があったから生きられたし、家族がいたから頑張ってこられた。


仕事をしなければならない環境が、逆に回復に繋がったと思うし、これからもきっとそう。




そしてなにより、すごく感じるのは、子供たちを成長させる為に、あの時、生かされたのだろうと
さえ思えること。

奇跡と奇跡のつながりはそんな感じなのかな、と。






来年、長男くんは就職活動の年になる。人生を決める年になる。

次男くんは運命の受験の時、悔いてはならない年になる。


まだまだ楽はできそうもない。

肉体的にも精神的にも、金銭的にも。




楽ができる時、それは・・・






コメント ( 4 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

劇症肝炎

ある件で、移植当時のデータを取る必要があって、昨日H大に行ってきた。





気持悪くなってしまった。






当時の血液検査データを見たまではいい、まだ。

標準値外を示すHとLが並んだデータ。

それでも、前院で透析と血漿交換を1か月続けてきたのでアンモニア等の数値は落ち着いている。




気持悪くなったのはMRIの断面画像。

移植時に、執刀医に「今まで手術してきた中で一番小さかった」と言われた肝臓。

その肝臓、形を成していない。

殆どが壊死した肝臓の写真を見て気持ち悪くなってしまった。





改めて、よく生きていたものだと思う。




劇症肝炎、まさに劇症って感じで、あの夏、あっという間に人生が変わってしまった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする