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楽しむという事

大学時代の友人に言われた言葉で、今までずっと残っているものがあります。

これは、これまで常に大事にしてきた言葉で、自分を楽にさせてきてくれた言葉
でもあります。

彼とは部活動で4年間、共に汗を流し、同郷ということもあり、違う学部ながら、
プライベートでも良く行動を共にした。

卒業し、違う職種に就いていましたが、新卒当時はバブルの真っ只中。
1年目から残業に追われ、毎日、3時(夜中)の帰宅、3か月休み無し、という頃、
電話で何気なく愚痴をこぼしていた時に言われた言葉です。

それ以来苦しい時辛い時、どんなに心の支えになったかわかりません。

でもさすがに、この闘病中、長い入院期間中、できなかった。

ようやく先が少し見えてきた頃、やっとこの言葉を思い出しました。



あのさあ、その苦しさをさあ、それさえも楽しんじゃえばいいじゃん。
悲劇のヒーローにでもなったつもりでさあ。そう考えたら楽になるよ。




ホント、楽になりました。
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バッテリー

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少し前、映画「硫黄島からの手紙」を観に行く約束を次男とした。
ところが仕事が忙しくなかなか時間を取れない。

それと、免疫抑制剤を服用していることで、不特定多数が集まる映画館に
入ることへの抵抗感もあり、いつしか観に行けぬまま上映が終了していた。


そんな中ずっと気になっていたのが去年のこの時期のこと。
2月中旬に半年振りに退院し、さあこれから、と思っていた3月27日、
未明からの腹痛で病院へ直行、即入院。

翌28日は次男の誕生日だった。

お祝いのケーキも予約済みで、当日のメニューは妻が色々と考えていた。

「またか!」と思った。というよりも思われた。
前年8月に入院、10月の妻の誕生日、長男の誕生日、クリスマス、そして
次男の誕生日、全て自分は病室だった。
しかも今回は前日の入院。

楽しみにしていたであろう行事をことごとくダメにしてしまっていた。



そんな事があったものだから、今年こそは、と思いつつ、仕事を調整し
昨日、次男と行ってきました、映画館。
もちろん病気になって映画館は初めて。

看護士用のサージカルマスクとやらで身(口)を固め、いざJRタワーへ。
春休みの為か平日だというのに混んでました、札幌シネマフロンティア。

すれ違う人が皆、菌に見えたりしながら観たのは次男のリクエストで

「バッテリー」

文庫本を読んでいたらしく、映画化されると知って楽しみにしていたよう。

中学野球を題材にしているので、観にきている人は圧倒的に男女中高校生。
子供連れのお母さんも多かった。

小説とは少し内容が違っていたそうだが、かなり面白かった。

家族の絆や、友情や、信じるということ。
そして大人が無くしてしまった色々なものを教えてくれる映画だった。

原作者のあさのあつこさんが「惑う若い人たちにこそ観てほしい」と
書いてますが、「惑おうとしない大人たちにこそ観てほしい」と思った。

自己主張ばかりで自信過剰の”おとな”たちにこそ是非観てほしい映画だった。



【あとがき】
 こうして一年間の入院生活で失った日常を、少しずつ取り戻していかなきゃ。
 結構、周りの視線が厳しいもんで。


                ・・・・・・・・・・・・・・・幕。。
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大阪では桜の開花宣言が出されたそうで、また、昨日は旅行中の闘病仲間Sさん
から、奈良の桜の見事な写メールが送られてきました。

春・・ですねぇ。北海道以外は・・・。

北海道だって春の気配はあるんです。ただ、まだまだ風が冷たい。


「さくら」といえば 桜歌 、たくさんありますよね。
今の流行りだとやはりアンジェラ・アキさんのサクラ色でしょうか。

ワタシはといえば、ORANGE RANGE もいいけれど、ケツメイシの「さくら」が
好きです。

それにしてもこの時期、桜歌を出すとヒットする、というのはやはり日本人、
桜や、桜の咲くこの季節が好きなんでしょうか。


今年こそは満開の桜をこの目で見たいもんです。
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突き付けられた現実

不二家のペコちゃん、復活おめでとうございます。
不死やのペコちゃんとなりますように・・。



----------------------------------
<・・・一年前>

・・・2005.12月


大晦日、雪道だと1時間かかる自宅への帰り道。
長かった。

入院中、「自動車が内臓(肝臓)に一番良くないんだよね。」
という話しは良く聞いた。
本当だった。
自動車の揺れが丁度肝臓あたりに響く。

きつかったし、自宅に着いた時は調子が悪くなってしまった。


12月、一瞬だけど退院の話しもあることはあったのに、結局、正月の一時
外泊が精一杯の状態だった。

10月の移植手術以降、思ったよりも検査値が良くならなかった。

体調は、悪いなりに安定していて、回診の時などは、医師に状態を聞かれても
早く病院を出たいものだから、いつも「調子いいですよ」なんて答えていた。


たぶんこの頃だったのか、検査値が良くならない(=肝臓が思ったより大きく
ならない)原因として”シャント”の話しをされるようになった。

移植手術時、肝臓への過大な血液の流入を防ぐ為、バイパスを作り、血液の
流れを分散させる方法をとった、との事。

その為、その後、落ち着いてから逆に肝臓への血流が不足しているのでは
ないか、という事。

結局これが8月の再手術につながるのだが、この時点では、どうやってこれを
改善するのか、具体的にまったく決まっていなかった。
案はいくつか説明されたが、どれも決定的なものではなく、必ずしも手術を
すれば良い、というものではないらしかった。

せっかく移植までしたのに、また手術をしなければならないかもしれない、
そして必ずしもうまくいく保障がない現実、この時あたりから手術を回避
すべく新たな闘いが始まった。

肝臓くんシャントマン
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どうにもならないこと

どうにもならないことってやはりあるんだ、と思う。

頑張って、我慢して、痛みに耐えて、希望を持って、明るく振る舞って、
努力して、それでもどうにもならないこと・・・

ホント不公平な世の中だ。

生きたくて、生きたくて、もがき苦しんで、それでも助からない命もあるんだな、と。

ならば気楽に生きていきますか。
達観したって仕方がないけれど、不公平に立ち向かうにはそれしかないのか、と。

せっかく多くのパワーに救われた命、

「頑張らず、あきらめない」

病人の究極の目標はこれですね!
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昭和

つ・つ・つらい!
何が辛いかって、ブログが更新できない。
今月こそはって思ったのに。毎日の更新。

なんてったて仕事の性格上、今が一番多忙な時期。
それでも仕事は仕事、ブログに限らず仕事以外の事も無理をしてでも続けてい
こう、と思っていたのに。(そうじゃないとやってられませんよね)

とか愚痴をこぼしつつ・・・。



先日TVで小椋佳さんのコンサートの模様を放送していた。
「俺たちの旅」や「シクラメンのかほり」の作者の小椋佳さん。

懐かしかった。
懐かしいと言ったって、現在も過去もずっと活躍されているので、何をいまさら、
と思われてしまうかもしれないけれど、三十○年前、記憶が定かではないが、
小学生か中学生の頃、当時の自宅の白黒テレビで、小椋佳さんのNHKホール
で行われた初コンサートの模様を、真剣に見ていたのを思い出して、懐かしさ
を感じたのだ。

数ある曲の中でも好きだったのが「めまい」。
歌声と外見に開きがあるが(つのだ☆ひろ程ではないかな)、透明感のある
歌に、子供ながら引き付けられて、真剣に聞いていたことを覚えている。



最近、昭和が気になる。
古き良き昭和の時代、と言われるが、歌だけでなく生活習慣や風情、風景
いろんなことが懐かしく思う。

特に1970年代は青春時代でもあり、流行っていた歌と共に、当時の流行や
事件などがはっきりと思い出される。(手術の頃の事は全然思い出せないんだ
けどね)

前は良く自分の名前の漢字をきかれると「昭和の辞典だ」などとえらそうに
言っていたが、今はきっと通じないだろうね。
(昭和の辞典といったって、昭典とか和辞とかではないですよ)

昔のことを懐かしむということは、歳をとったってことだろうか。


今の時代に欠けているもの、いろんな物や心情や自然・・・
飽食の時代と言われる現代なのに、何かが足りない、と思いませんか。

いろんな”モノ”が溢れ過ぎて、大事な、大切な”もの”がこぼれ落ちて
いる、と思いませんか。

そんなこんなが、昭和の時代には少なくともあった。
もしできたなら、若返ってたくさん取り戻してきたい。



こんなことばかり言ってると、「勝手に言ってろ」という息子たちの声が
聞こえてきそう。

でもそんな彼らに言ってやるんですよ。

「お前たち、廻す電話知らないだろ、廻すんだぞ、すごいだろ、押すんじゃ
ないんだぞ、黒い色でな、廻した指はそのまま離すのか、廻して戻すのか、
意見が二つに別れてな、・・・」

「バ~カ」という子供たちの心のつぶやきが聞こえたような気がする・・・


チクショー~~~~~~~~~~~!。
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2006年の正月

一昨日、UFOの様な物体を見た。
夜、子どもをサッカーに送って行く途中。(当然、子どもも一緒に見ています)

北方面の上空で数種の色を放ち、ゆっくり移動したかと思えば、急に停止。
翌日のラジオでも話題になっていたが、いったい何だったのだろう。



----------------------------------
<・・・一年前>

・・・2005.12月

12月28日、Kさんが退院していき、また4人部屋に一人になってしまった。

それまでも何度かあったが、さすがにこの時期でのこの状況は辛いものがあった。

自分は退院のめどさえ立たず、あとはそれから迎える正月に、なんとしてでも
外泊すること。

さすがに医師・看護士も外泊に向けて最大限の努力をして下さった。
26日には、肝生検・超音波・循環器科受診・4回採血、そして薬指導、と
一日にこなすハードスケジュール。

けっして良い状態だったわけではないので、これも仕方のないことと割り切って
いたが。

なんとしてでも帰宅しようと必死だった。


クリスマスにも帰れそうで帰れなかった、ということもあり、そんな気持ちを
察してくれたのか、看護婦さん達も一生懸命協力してくれた。


そんなこともあり、ようやく大晦日、4ヶ月半振りに帰宅できる事になった。
期間は1月3日まで。
しかも、採血の為、元旦はもちろん、全日、早朝の採血に通院しなければならない
という条件付き。

思ったのは、相当その時の状態が不安定なんだ、ということ。
医者からすれば少しでも目を離せないんだ、ということだった。

それでも久し振りに帰宅できるというという喜びで、すぐ不安は吹っ飛んだ。



12月31日、大量の薬一式を携えて、やっと、やっと我が家に帰宅する。

あんなに望んで、待ち焦がれた帰宅だったが、いざ着いて、家に入ると、ホッと
するよりも、なんともいえない違和感に包まれた。

まるで他人の家に入ったような不思議な感覚だった。
たった4ヶ月半空けただけと思っていたのに。

すっかり病室にいるのが当たり前になってしまっていたこともあるが、少し前まで
脳症の為に、何度も引っ越していたのだ。(想像の中で)


脳症とはいえそれはすっかりリアルな世界。

引っ越した家のデザインから間取りまで、すべて頭に残っていたものだから、
真の我が家が我が家として受け入れることができぬまま、正月を過ごすこととなる。
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今日こそホワイトデイ

今日の札幌は吹雪模様。まさに ホワイトデイ です。
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ホワイトデイ

         けっこうステキですよ!これ↑



去年のホワイトデイ・・・。
妻はもちろん、義母や義姉にもバレンタインに貰っていたのに、入院中の為、
結局お返し出来ずじまい。(収入も無かったけど・・・)

そんな訳で今年は去年の分まで、と張り切っていたが、仕事が忙しいまま時間
ばかりが過ぎ、どうしようかと迷っていた。(そんな時、ラジオで、一番貰って
うれしくない物のNO.1がクッキーだというアンケートを紹介していた)
(悩みは一層深まる・・・)

少し前、そんなワタシの心を見透かしたかのように妻が、
「土曜日、街に行くから何か見付けてこようか?」

義母や義姉の物だけでも、と考えたが、「自分のも見付けてこようかな」と妻。

どんどん妻の罠にはまっていく。

「予算はどのくらい?」「う~~ん、去年のこともあるから○○くらいかい?」

そんな会話をしつつ、土曜日、妻はしっかり買ってまいりました。

義母と義姉は、annasuiとやらの化粧品入れ、そして妻のは上の写真。
しっかりとVUITTONの小銭入れを買わされ、いや買ってさし上げました。ハイ。

まあでも結構ステキ。
VUITTONっぽくなく色も鮮やかでオススメですよ。


なんたってこういう物にはとにかく貪欲、いや敏感な妻。
子どもがまだいない頃、pink houseリカちゃんを買いに店に並ばされた、おっと
一緒に並んだこともありましたっけ。

ワタシもこういうの結構嫌いじゃないんですけどね。

でもでも、一年間さんざん妻には苦労をかけたので、こんなことで少しでも
喜んでくれるならそれに越したことはありません。

やはり母(妻)はいつも笑顔でいないと、ね。


そして14日には、子ども達にipodの皮ケースを買わせよう、イヤイヤイヤ
買ってもらおうとしています。(あくまでも子ども達の意思で・・・)

母さんパワー恐るべし・・・です。


ちなみにワタシの小銭入れは、病院の売店の100円コーナーで買ったやつ。
(2月4日のブログのアレです。)

今、妻に勝てるのは小銭の重さくらい、かな
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前向きに!

今日は定期検診。
移植外来と泌尿器科も。

結果は・・・良好でした。
ずっと続いていた血尿もとりあえず落ち着き、血液検査の結果も前回と同様、
特に心配するようなものではありませんでした。

唯一貧血気味というので、少し食事に注意しなければならないかもしれません。

去年の今頃の事を思えば、夢のよう。
こんなに早く、ここまで回復できるとは思ってもいませんでした。


とはいえ、まだまだいろんな不自由があるのも事実。
特に最近は色々と考え悩むことがあって、精神的にも晴れやかというわけでも
ありません。

なんとかそれでも仕事の忙しさで紛らわしているところです。



いまだにたくさんの人に励まされます。
回復を素直に喜んでくれる人がいます。

ブログを通しても、同じように苦しみ、悩み、乗り越えてきた方達と知り合う
ことができ、この上ない勇気をもらいます。

辛い時、思い出します。これらのすべてを思い出します。
自信と勇気とチカラをたくさんの人にもらって前向きに生きていきます。
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さよなら、ほのぼの君。

北海道新聞連載漫画、「ほのぼの君」1万3千14回での勇退、御疲れさまでした。

・・・

明日は定期検診。どんな結果が待っていることやら 



----------------------------------
<・・・一年前>

・・・2005.12月

この年の師走、寂しいばかりの年末となった。

意識が回復してきて、リハビリも開始。
退院に向けて、気持ちも徐々に高まっていた。

薬の副作用で血糖値が高くなっていたが、インスリン注射も自分で打てるよう
訓練も始めた。

しかし、一度「退院」という言葉が医師から聞かれたのだが、相変わらず検査値
は好転せず、クリスマスに外泊することさえできなくなってしまったのだ。

残された目標は、正月に外泊できるようになる事。
まだまだ退院できない状況にあるということに段々と気付かされ、ストレスは
溜まっていった。

12月22日、大部屋に移って以来、自分にとっての最大の理解者だったSさん
が退院する。
何度目かのきつい手術を乗り越え、黙々と廊下で歩行訓練を続けていたSさん。
理解者であると共に、最初の目標となる方だった。

晴れやかな表情で去っていく姿に「本当にありがとうございました。くれぐれも
体に気を付けて下さいね」と必死に涙をこらえて言ったものの、正直なところ、
心は複雑だった。

そして、23日には気のいいKさんが退院し、28日には今も付き合いのある
Kさんが退院していった。

自分はというと、年末の外泊に向け検査に次ぐ検査。

しょうがないから年末だけは帰らせるか、といった感じで、着々と、事務的な
感じで事が済まされていった。

そうして、ようやく大晦日に、4ヶ月半振りに帰宅できることとなる。
そう、なかば強引に。


2005年は悪夢の様な一年になった。


そして2006年、さらにさらに、混迷と泥沼、痛みと苦しみの年明けとなる。
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目標

今朝妻が、「私って何したいんだろうね。」 とポツリと言った。

そういえば最近、お互いに仕事の忙しさに紛れる中で、自分自身を見失う
ような、そんな感覚がしていた。

何しろこれまで激動の一年半だった。
普通ではありえないような、それこそ「ドラマ以上のドラマ」の連続だった。

それも今はやっと落ち着きを取り戻すことができ、しかしふと気付くと、費や
した時間とお金と、そして何よりも精神的な負担が残ってしまっている。

これからは前だけを向いて、と思ってみても、現実は甘くはない。



子ども達が小さい頃、いろんな所に行った。
遠くは沖縄、近くは三井グリーンランド。今は無きカナディアンワールドにも。
市内の公園巡りをしていたこともあった。

次男が生まれてからは、夏はキャンプにはまり、道具にもこだわった。
(おススメは三石海浜公園。キャンプについてはいつかブログで紹介したい
と思ってます)

冬はスキー。
そもそも家族4人で山のてっぺんから滑ってみたくて、子ども達にも教えた。
今は子ども達の方が達者だ。

そして夫婦共通の趣味は物を創る事。
木工製品からドール等々、一時は毎日のように何かしら作っていた。

他にも家族揃ってカラオケ、サッカー、コンサドーレ、ファイターズ・・・
ブログにホームページ。

それなりになんでも楽しんできたけれど、じゃあこれから本腰を、と思ったら
いったい何を?

今年から二人の息子は中学生。
週末のサッカー応援も無くなる。

一緒に遊びに行こう、って言ったって「俺はいいわ」などと言うに決まっている。

一年半、ほったらかしにしていたので、今更無理強いするわけにもいかないし。


妻が言った一言。自分も考えていたこと。
ありえないような体験をして、苦しみ抜いてようやくここまでたどり着いた今、
夫婦でエアポケットにはまり込んでしまったか。


この本で、先行きの見えない時より
新たな癌が見つかって、それから作者がむしろ生き生きとした、という下り
があり、とても共感した。

人間にとって辛いのは目標がハッキリしないこと。
それがあまり良くないことでも、一つ向かう先が決まれば、思いっ切り前向き
になれることを、この病気を通して身をもって知った。


まだまだ先は長いし、せめて子どもが親離れするまでは頑張らねばならないので
夫婦で目標見付けて楽しんでいこうと思う。

でも・・・ウチノカミサン、近い内、勝手に一人でぶっ飛んでいそうな気がする・・・
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インフルエンザとタミフルと脳症

ついに、というかやっと、というかインフルエンザが流行りだした。

免疫抑制剤を服用する者にとってはまさに脅威だ。

札幌市内や近所の小学校まで、学校閉鎖や学級閉鎖が相次いでいる。
小学生と中学生の子の居る我が家も他人事ではない。

今何かと話題のタミフル。
このサイトにもあるように、絶対的な薬では決してないようです。

治す薬ではなく、ウイルスの増加を抑えるだけとのこと。

人に依って考え方はさまざまでしょうが、しっかり自分の目で見て、耳で聞いて、
自己判断していきたいと思ってます。

それよりも怖いのが、中学生に多くみられる異常行動。
亡くなられた方もいるので大変なことです。

タミフルとの因果関係はまだはっきりしていないようですが、いずれにしても
インフルエンザ脳症の事もあり、薬の処方時には、一日二日、目を離さないよう
指示されるようです。

脳症といえば、肝性脳症とはまったく異質のものでしょうが、それを踏まえた
上で、どんな状況かというと、少なくとも自分の場合は、脳症という意識は
まったく有りませんでした。

お見舞いに来てくれた方とも普通に会話し(妻に言わせれば、普通ではなかった
ようですが)、自身の意識もはっきりしていて、良くドラマであるような、
大声を出して叫ぶ、とかそういう幻覚とか妄想とは全然別のものです。

頭の半分は冷静(のつもり)で、もう半分の頭では北朝鮮からミサイルが飛んで
来るのです。
そんなバカな、という思いと、「ありえない事」が真実となっている思い、が混
在しているのです。

色々な「ありえない事」があった中で、ずっと言い続けていたのが、病院の
屋上で花火が見れる、という事。

これはまさにありえない真実。妻にも看護婦さんにも何度も話し続けていた
事です。
感知センサーを敷かれ、病室のドアは施錠され、屋上に上がることはありませ
んでしたが、もし抜け出して屋上に上がっていたら、と思うとゾッとします。
もちろん屋上のドアも鍵がかけられ出ることはできなかったでしょうけど。

他の人から見れば異常でも、本人はいたって普通。
また逆に本人が異常と思っても他の人から見れば普段と変わらない、という
こともあったと思います。

現実に今、異常行動をする人がいるのですから、注意し過ぎて困ることは
ありません。

自分は勿論、最大限の注意は払います。
皆さんも、「まさか自分が」とか、「そんな事って」とか思わずに、くれぐれも
注意して下さいね。
自分にも家族にも!


でもインフルエンザに罹らないことが一番。
そしてもし罹っても安静にして、寝ていることが一番のようですよ。
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ドラマ以上のドラマ。

昨日は次男の所属するサッカー少年団の卒団式。

低学年の頃から苦楽を共に、共通の目標に向かって汗を流してきた仲間との
お別れの日。

Jくんと共にサッカーを始め、運動会の時、Sくんのおうちに声をかけてもら
い、少年団でのサッカーが始まった。
次男の小学校生活は、少なからずサッカー中心の生活だった。

体も小さく、上手でもないので、なかなか試合にも出られず、試合で負けて泣
き、勝って喜び、という経験があまりできなかったことが少し残念だったが、
それはそれで、とても良い経験をしたと思う。


本当にステキな仲間達に恵まれた。

いつも明るく、一番のムードメーカーのJや。Jやとは幼稚園の時からの付き合い。
チームに対する愛情はJやが一番のように思う。
クラスメートでもあるSと。少し照れたような、一見クールのように見えるけど
秘めた思いを強く感じる。
プロの道に一歩踏み出したYと。圧倒的な存在感だった。でも瞳が優しい。
パワーのHろ。人懐っこい表情が印象的。
細身でおちゃらけなKEとどっしりタイプのKOの双子コンビ。二人に次男は
弟のように可愛がってもらった。
おとなしそうでも、出る試合はキッチリシュートを決めていたTしゅん。
元気一杯でガッツポーズの似合うKっすう。
試合では厳しさ全快でも、弟を見る目が暖かいHにゅう。
センスバツグンでもなかなか試合に出られなかったTらん。物怖じしない性格は
これから。
すでに大人の雰囲気のあるKゆう。ゴールと共にチームをしっかり守っていた。
お調子者でも頭脳派のMら。文武両道を目指して。
いつもさわやかHせ。でもサッカーをしている時はオーラを発していた。
笑顔のNこう。これから背もサッカーも伸びそう。
そして紅一点のMちゃん。ポプラカップで見せたガッツはすごかった。
男の子に混じって本当に良く頑張ったと思う。


中学は別になってしまうけれど、きっとみんな忘れないと思う。
高校に行っても、社会人になっても、とてもいい思い出としてずっと残ると
思う。

卒団式では泣く子が多かった。
みんなそれぞれの思いがたくさんあったのだろう。

同じ目標、価値観を持てる仲間の集まりって素晴らしい。それが大人であっても
子どもであっても。
特に子どもは純粋だからなお更だ。

死ぬ目に遭ってみて、今更ながら昔が懐かしい。
我が子を通して、子どもの頃の、何にでも一生懸命だったことに気付かされる。

周りに気を使い、他人の視線を気にしてしまう自分がいる。反省だ!


少年団の父母は皆、子どもの心を維持している。
「一生懸命」さがある。

昨日の卒団式にはそんなみんなの「一生懸命」が溢れていた。
だから感動する。

作られた演出や、出すぎた演技などは一切無い。
全てがありのままだ。

ドラマ以上のドラマがあるから面白い。


先日の試合。一日目、次男が水疱瘡の疑いで行けなかった。
でもJとS、こんな会話をしていてくれたらしい。

こんなところに、このチームの、チームメート全ての最高の思いがあるように
思う。



PS:病気になって以来、涙もろくなってしまったけど、昨日も号泣か、と
思っていたけど、なぜか泣かなかった。
この一年半で涙が枯れ果ててしまった訳ではない。
色々考えてみたけど、理由が分からない。
ただ、そういったものとは異次元の(超越してしまった、と言ったら大袈裟
だけど)何かが今、自分の中に有ることだけは確かなんです。

まだ違う世界にいるような。(脳症ではないですよ)

Jママ、泣かなくてごめんなチャい。
 
はたして、20日の卒業式はどうかな~?
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♪ もしも~ 夜なべが~ できたなら~ ♪


やっと今、一つ仕事が終わりました。

いや~さすがに疲れます。
でもまさかこんなに早く、ここまで仕事ができるようになるとは・・・

学生の頃、部活の先生に言われました。
「無理はしても無茶はするな」と。

無理と無茶の境目が良くわからないまま、ここまで45年間、無茶ばかり
してきたような気がします。


でもさすがに、今回の病気には参ったので、これからはくれぐれも無茶をしな
いで生きていこうかと思います。



今回の仕事、インターネットを通じ、ホームページを見て下さり頂いたもの。
今までにも何社か、本州の会社とお付き合いをさせて頂いてます。

見ず知らずの者に仕事を依頼して下さるのは不思議な感じがしますが、
本当にありがたいことではあります。


何しろ今や、メールと宅急便とFAXでやり取りできてしまう為、札幌に
居ても、全国各地とお付き合いさせて頂けるのです。

2002年に初めてホームページを開設して、カテゴリーの違った、三つの
サイトができました。内容は乏しいですけどね。

それでも、病気の為更新もままならない状態ですけど、作っておくもんだな
とつくずく感じています。

忙しいとはいえ、仕事の作業量は病気になる前の6割くらい。

いろいろとご迷惑をお掛けしたりもしていますが、もう少し体が動いて
くれたら、と自分自身も葛藤の日々です。

調子の悪い時などは、悲しくなったりもしますが、そこは体調第一。

気持ちのコントールはまだまだ難しいですが、これからこれから。

仕事ができる、というだけで幸せを感じることができるとは思わなかったです。
病気になるまでは。


さてっと。明日も早いので・・・みなさん
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