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感謝の日

朝、普通に起きて顔を洗い、普通にごみ出しして普通にヨーグルトを食べ、新聞を一通り読む。

仕事前のいつもの日常。



毎日こうして暮らしていると、かつて、限りなく死に近づいたことを忘れる。

腹のベンツマーク状の傷を見ない限り、大手術をしたことを忘れる。


日々、体調がいいかというとそうでもなく、不自由なく暮らせているかというと、そうでは決してない。

でも、死や大手術までは意識しなくなっている。



これが今の現実。


ところがいつも頭の片隅にあるのは、不思議な感覚。

生きているのが不思議、と思える感覚。


昔、『黄泉がえり』っていう映画が流行ったけど、実は死んでいるんだけど本人はそれがわかっていない、ヒロインの竹内結子さんの役柄の様な感じ。



これ、真剣に思うんだけど、今、本当に生きてるのかって。




「あれ」以降、一生懸命仕事したり、時々大工になったり、のど自慢に挑戦してみたり等々って、なんか、生きてることを精一杯証明しようとしてきた

確認作業だったのかとも思う。





今日で肝臓移植手術から13年目。

13年、余分に生きさせてもらった。





【肝臓は肝硬変に陥っています。

肝細胞はほとんど大部分が壊死に陥っており、胆汁鬱滞を伴っています。...】



この診断時の肝臓のCT画像。







移植手術後、担当医師に、

「今まで移植して取り出した中で、一番小さな肝臓」

とまで言われた、殆ど機能していなかった肝臓。





いつもの普通の日常の中で、せめて今日だけは、自分に実際に起こったことを振り返って、いろいろな、たくさんの人たちに、

心から感謝したいと思います。
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脱、免疫抑制剤に道

最終的に免疫抑制剤の服用が不要になる可能性があること。


昨日行われた北大病院での会見、その詳細が今日の北海道新聞に大きく載っていた。






新たに分かったこと、

・「先進医療」申請をし、一部保険適用を目指すこと。

・今後、国内5施設で40人程度の臨床試験を行うこと。

・現在免疫抑制剤を服用中の患者の臨床試験を始めること。

・脳死下での適用も目指すこと。

・他臓器への応用を目指すこと。





かなり画期的だ。




現在免疫抑制剤を服用中の患者・・・可能性、あるの??

今春にも臨床試験を始めるという。


昨日の検診時にわかっていたら聞けたのに。

同時進行で記者会見が開かれていたんだからしょうがない。





で、思いだされるのが前回に行ったドナーの姉とのクロスマッチテスト。


記事にもコメントのある、山下先生に言われたのが、

「この検査をしておくことは、将来的にかんぞうさんの為にもなるかもしれません。」

という言葉。



「何のこと?」

と思いつつ、詳しく聞きもしなかったけれど、でも「そういうこと」なんだろうか。




別の紙面で患者さんが話しているように、免疫抑制剤を中止することに不安もある。

それでも、もし可能なら、試験でも何でも、できることならやってみたい。

どうせそもそも、感染症やがんのリスクは高いわけだから。


余分に10年、生きさせてくれたんだから。





医療の革新的進歩、その根拠となる関係者の不断の努力、頭が下ります。



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糸田さんの生体肝移植手術体験記

当ブログのブックマークにも登録させて頂いている、糸田敬弘さんの移植体験記、

生体肝移植手術を受けて 第3版

が、PDF版で公開されています。




改めて読んでみると、6年前の自分自身の体験とリンクして、複雑な思いとともに蘇えります。




体験記としても、貴重なデータとしても、見事なまでにまとめられていて秀逸です。

あまり思い出したくないことも多々あったことと思いますが、これから、移植を考えなければならない
人に少しでも役に立てれれば、という強い意思と相応の努力が感じられ、頭が下がる思いです。




中には、娘さんに書いて頂いたという、移植直後のICUでの管だらけの患者の様子(35ページ)が
あり、今更ながら見ると、自分も妻から聞かされていたものの、その壮絶な様子に絶句してしまいます。


読んでいると、やはり家族の強い絆が感じられ、患者である糸田さんの思い、ドナーである奥さんの思い、
お子さんの思い、取り巻く多くの方の思い、これらはすべて、移植経験者のすべての共通の思いであって、
医療としての移植だけではなく、患者は一人の人間なんだということを改めて再確認させてくれます。











一つの体験談として考えた場合、ブログというのは時系列的に考えると逆順になってしまいます。

このブログを読んでくださる方にとっても、更新日を追って読んで頂かない限り、いつ何がどうなったか
一見しただけではわからないだろうと思いますし、自分でも今となってしまえばよくわかりません。

ですので、今年の目標として、体験部分のみを抜き取って、時系列をはっきりさせてまとめてみたいと、
改めて思っているところです。
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シャント(バイパス)式移植手術

NOKINさんのブログの記事から、意外な事実を知る事ができた。


移植から4年半も経って。





それは移植手術に於ける「シャント(バイパス)式」と呼ばれる方法が、

「有効性や安全性が確立していないと評価され、現在もその方法は定着していない」

という事。(<asahi.com>の記事より)




そして、まさにその「シャント式移植手術」で助かったのが自分。


その方法の内容や実行の是非がどうであれ、自分は今こうして生きているわけで
別にどうこういうものではないが、移植後一年間、再手術までずっと言われ続け
たのが、この、シャントが問題だ、という事だっただけに少しビックリしている。





肝臓をもらう側にとって小さめの肝臓の移植を行う場合に採用される方法で、自
分にとって、あの時点での最良の方法だったのだと思う。



この方法論についても、再手術までの間に何度となく説明を受け、妻と二人、完
全には理解できないまま納得してきたつもりだった。





もし、あの時、これに変わる方法があったとしたらどんな方法だったのだろう。

これまで確認した事も無いし、今後聞くつもりも無い。





ただ、この4年半、夫婦でずっと言い続けてきた事が、

「最初からシャントを設けなければどうなっていたんだろうね。
 もしかしたら、その後の一年の入院は無かったかもね。」

「でも、結局、結果論だから・・・」





この思いはきっと消えないだろうけど、今があるからいいっか。

結果論、結果論。。
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臓器移植法

臓器移植法に基づく最初の脳死移植が実施されてから10年。



日本での脳死判定と臓器不足が解消されないまま、5月には世界保健機
関(WHO)の指導指針に臓器移植を自国で完結させるようにすることが
盛り込まれる方向のようだ。




わたしが移植をした2005年当時は海外移植が多く、自分の周りにも海外
での移植を望む人が数人いた。

それから一年以上経って、臓器を海外に求める日本に対して風当たりが強ま
ってきた。



15歳未満の小児の臓器提供を禁止している日本では、肝臓など分割できる
場合を除き、特に心臓移植は海外に道を求めるしかないのが現状だ。





日本での脳死移植は先進国の中で特に少なく、人口100万人当たり脳死臓
器提供者数は0.8人で、最も多い国の2%程度という。

それでも日本で年間約1万人が脳死になると言われているのに、条件的に厳
しいことで脳死移植が普及していないのだ。



色々と思いを巡らせると、とても難しい問題だと思う。



提供する側と提供される側、本人の意思と家族の意思、死生観、倫理観、判
定を委ねられる医師・・・




そもそも1997年に議員立法で成立した臓器移植法は、早期の改正・見直
しを前提にしているらしい。

そしてここにきて、色んな立場の、色んな意見がぶつかり合っているからか、
真逆の3案が改正案として提案されている。


・「家族同意案」
  ~患者の意思が不明でも、家族の同意だけで臓器提供を可能にすると同
   時に臓器提供の年齢制限を撤廃する

・「年齢緩和案」
  ~臓器提供できる年齢を「12歳以上」に引き下げる

・「規制強化案」
  ~現行法をさらに厳格にする




通常は広く多くの人達に関連することではないので、現状の混迷政治の中で
片隅に追いやられてきた問題だが、明日、誰の身に起こるかもしれない問題
でもある。


少なくとも、漢字の読み方や「西松建設問題」よりは遥かに重要な問題だと
思うのですが。
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移植医療の希望と不安

H大病院での移植外来で診療にあたっている患者数が300人を超えている
という。


段々と対応が難しくなってきていると同時に、5年後、10年後を考えると
もっと大変な事だと思う。




他の病気と違って、移植は、専門医によるアフターフォローが必要不可欠で
しかもこれから移植をしようとする人達のフォローはもっと大変だと思う。


特に北海道の場合、肝臓移植に限ってはセカンドオピニオンが叶わないので、
必然的に数少ない専門の先生方に頼る以外にない。



この辺の事は、将来の展望も含めて、一度先生方に聞いてみたいとは思って
いる。





そんな中で、身勝手かもしれないが、自分の位置付けっていうのもかなり気
になる。
将来の不安もやはり大きい。しかも近い将来の。




臓器移植法が改定され、保健適用も拡大し、移植医療の普及も広がっていく
中で、ついこの間まで、あまりにも特殊だった移植医療が、「あたり前の医療」
になってくると、その事を喜ばしいと思う反面、一人々に対する「手薄さ」
が出てくるのではないか、という心配も正直ある。


それでも、移植医療の拡大、普及によって、それまで助からなかった命が救
われる事になり、自分もまさにそれによって救われている。


拡大に伴って、それを支える基盤も整備されればいいのだが、せっかく改正
された移植法も、今では問題だらけで、そこに追い討ちを掛けるように医療
費抑制が声高に叫ばれている。




いろんな問題がいろんな世界で蔓延しているけれど、是非とも移植医療の道
がより良い方向に向って進んで行く事を願うばかりです。



だって、移植すれば助かる命が、そこにあるんですから。
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生体肝移植~肝臓がんの場合

入院中、多くの肝臓がんの方と同室になった。

皆、移植を受けられず放射線治療や外科手術などの為に入院している人達。




移植を受けられる為にはもちろんドナーが必要だが、たとえ運良くドナー
が見つかっても大きな障壁がある。

保険適用の問題だ。



私は幸わいにもドナー(姉)がいてくれて、保険も適用されて移植を受け
ることができた。

ところが、がんの場合は保険が適用される為の明確(??)な規定がある。



入院中、同室の方から何度も何人にも聞かされた事実、

→  「肝臓がんの生体肝移植」 


①肝臓以外の臓器や血管への転移などがない。

②ミラノ基準を満たす。

③前の治療が終了した日から3か月以上経過し、移植日の1か月以内に
行われたCT検査の結果でミラノ基準を満たす。



で、患者さんが皆話していたのが ②ミラノ基準。

これは

・がんが1個だけなら直径5センチ以下

・複数あるなら、直径3センチ以下のがんが3個まで

を満たすこととされ、初め聞いた時は全く理解できなかった。


よくよく考えてみると、「これらの要件を満たさなければ移植しても無駄」
ということか。

確かに脳死にしろ生体にしろ、ドナーの臓器は貴重で尊大だ。

決して無駄にはできない。


でも入院当時は、この基準を満たさず移植を諦めている人達と接するにつ
け、どうにもこうにも納得できなかった。




そして③の期間の問題も深刻だ。

しかもこの③が最も周知徹底されておらず、保険が効くものと思って受け
た移植手術の保険が適用されず、一部実費を負担しなければならなくなっ
た例もあるという。

これも入院中に聞いた話しだ。



これだけ移植手術が増え、「普通」の医療になっているにもかかわらず、
法整備も含め、その実体はなんとも心もとない。

H大のT教授やF先生も常々、忙しい中で移植医療の普及をはかっている。



助かる命が、「知らない」ことによって救われないのは本当に悲しいこと
です。
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特定疾患医療受給者証の更新

今月は「特定疾患医療受給者証」の更新月。

以前は、とかく審査に時間がかかり過ぎると言われ、実際、更新日を何日
も過ぎてから届いていたので、一時的に自己負担を強いられ、支払いに四
苦八苦していた。

なのでそれがわかってからは2、3ヶ月前から申請、それでも期限切れに
間に合わない事が多かった。

何度か道庁健康推進課に電話確認もしたが、審査に時間がかかるの一点張
り。
「早くしてくれるよう要望は出しているが、今のところどうする事もでき
ない」、といわれたのが一昨年のこと。


ところが昨年早々、道からの連絡で、

「有効期間の終期の前後1ヶ月間」

という更新期間を遵守するようにとの通達が。


時間がやたらとかかるので、早めに申請、それでも間に合わないという状
況をどう考えているのか、更に確認の電話をすると、

「現在、審査体制を確立し、早急に対応するようにしている」

という回答。

「それは間違いなく証明書の期限内に間に合わせてくれる、という事で宜
しいのですか」

と聞くと、

「そうです」

と。


昨年7月の更新の時は、その事に従い1ヶ月前に申請、しっかりと期限内
に手元に届いた。

しかし今回、期限が1月一杯で正月を挟む為、12月下旬に窓口となる区
役所に申請、12月中に道の方に提出してくれるかを尋ねたところ、年明
けになると言われ、嫌な予感が。

年が明け、今月になり再度確認したところ、10日に道に届け出たという
ので早速道に確認。

すると、やはり、

「10日に受け付けしています。審査に時間がかかっていて、1ヶ月以上
先になります」

思わず、

「それじゃあ、話しが違うじゃないですか。時間がかかるから早めに申請
すれば、1ヶ月前からと言われ、それに従えば間に合わない、じゃあ、ど
うすればいいんですか」

と訴えていた。

その後は先方も恐縮、直ちに確認して早急に対処して貰う、ことでとりあ
えず納得。


で、先程、道の健康推進課から電話があり、今日申請が許可された事、通
常、区の窓口を通して受け取るところ、時間が無いので直接送ってくれる
事、の報告を受けた。


まぁ、ある程度予想した事とはいえ、担当が変わるたび、こんな事をして
いては、「お役所仕事」と非難されてもしょうがないと思う。

もし信じて、確認の電話をしていなかったら、2月1日の検診には到底、
間に合っていない。


やはりどんな事でも、自分で判断して行動しなければ何も始まらない、と
いう事を再認識する事になった。





この「特定疾患医療受給者証」の詳細はこのサイトにあります。
地域によってその内容に多少違いがあるようです。
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もしも病気でなかったなら~移植の現実

もう2年と言うべきか、まだ2年と言うべきか、生体肝移植手術を受けてか
ら2年がたった。



・・・・・・

今年もあと数日、本来、一年を振り返って、となるところだろうが、どうし
ても「あの日」からの思いが募る。


最近妻と話しをしていて、良く話題になるのが、「もし、こんな病気になっ
ていなかったならどうなんだろう」という事。


もちろん悪い事ばかりではなく、良い事も考える。

失われたものと得たもの、それは決して比較できるものではない。




何も他にできなかった一年間、仕事も遊びも、子供との振れ合いも、そして
収入も絶たれた。



先日新聞に、「臓器移植法10年」の記事で、ある男性の手記が紹介されて
いた。

自分と同じ当時40代の男性で、脳死移植を待つ重い肝臓病の患者の手記だ
った。



「今の医学でも、治療法が『脳死臓器移植しかない』と診断された気持ちが
おわかりいただけますか。
仕事、ローン、家族-。この先どうなるのか。いつまで持ちこたえられるの
か。さまざまなことを考えます」



さすがに心に響いた。

生体と脳死の違いがあるとはいえ、与えられた状況は同じ。

自分も最初、病気の状態を知ることとなり、真っ先に考えたのがこの男性の
思いそのもの。



不思議なもので、いざ生死を突き付けられても、一番最初に思ったのが
「生活」の事だった。



「一ヶ月は安静にしてないと」

と言われ「長いなあ、苦しいなあ、どうするべ」と思い、


「移植後は通常3ヶ月は入院が必要です」

と言われ「その間の収入は、生活は、医療費は」と悩んで、


3ヶ月経ち4ヶ月経ち、半年経っても良くならず、自分の立場もわきまえず、


「先生、とにかく退院させて下さいよ。生活がかかっているんですから」と
騒ぐ。


移植後1年たち、再手術に及ぶにあたっては、もう諦めと開き直りの境地。

生活の事を考え、一睡もできないまま病室のベッドでうなっていた事も何度
も。




いろんな事を犠牲にしながらも得たものも多かった。

何よりも家族の愛と思いやりを改めて知り、親籍・友人・知人の思いを知る
ことができた。


見知らぬ人たちとの交流もブログ等を通じてできた。


なんといっても病気の事を真剣に考えるようになり、そしていわゆる弱者の
気持ちが、恥ずかしながらこの歳になってやっと理解できるようになった。


”もしも病気になっていなかったなら”気付かなかったであろう事は多かっ
た。




年末になり、新年を迎えようとするたび、きっと毎年考えてしまうのではな
いか。

もしも病気になっていなかったなら、と。






・・・新聞の記事の続きには、


前記の男性、移植後3年余りして亡くなったという事

移植手術後間もない患者が亡くなった時、ある医師が

「これも移植医療の現実なのです」と言葉を発したという事


そして、移植を待つ患者数として

・心臓~  100人
・肺 ~  131人
・肝臓~  182人
・腎臓~11965人
・膵臓~  151人
・小腸~  1人
(11月末現在)


これらの事実が記されていました。
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「ドナーに感謝」

8月にH大病院で行われた脳死移植の患者さんが、退院時に会見されたと
記事になっていた。

心から手術の成功と退院、今後のご健康をお祈りしたいと思う。

患者さんは自分と同じ40代男性ということで、その置かれている状況や
今後の生き方に通じるものを感じてしまう。



それにしても驚くべきは、8月18日の膵臓、腎臓の同時手術から、わず
かに1ヶ月と少しで退院、というその回復力。

部位が違うとはいえ、自分の場合、同じ時期どうだったかというと、脳症
から覚めず、はっきりとした記憶さえ無い。
肝数値もままならなかった。


脳死と生体の違いはあるものの、貴重な善意で救われた命である事は同じ。
面識は無いけれども、お互いにより良い未来が来る事を願います。


そしてこの患者さんが話しているように、移植に対する認知度が少しでも
増加し、一人でも多くの「助かる命」が増える事を願う。



それは、脳死移植だろうと、生体移植だろうと、変わりはない。
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移植患者にとってドナーとは、

手術後、昔のように笑えなくなったことの一つは病気と仕事の関わり
った。

そしてもう一つ、多分一生頭から消えないことが、ドナー(臓器提供者)
との関わり。


ドナーになってくれた姉。
生体肝移植はもちろんドナー無しでは成り立たない。

健康な体を危険にさらしてしまう生体肝移植。
その施術について是非を問う声もある。

もし患者であるレシピエント(移植患者)が健康を取り戻すことができ
ても、万が一にもドナーに身に何かあったら、移植手術自体が意味の無
いものになってしまう。


ワタシの場合、ドナーである姉は幸い順調な回復をみせてくれた。

術後は痛いだの辛いだのの言葉は、姉の口から一度も聞いたことがない。

それでも大手術に変わりはないわけで、何も問題が無いはずがない。


姉にだって夫もいれば、二人の娘もいるわけで、「姉と弟」のみの問題
では片付けられない。
まさに家族全体を巻き込んだ大問題になるのだ。

もし姉の身に何かあったなら、その責任まで負うことは到底できない。



それでも移植後、自分の状態が良くない期間は、やっぱりドナーはドナー
だから回復も早いし、そんな大変でもないんだろうな、なんてことを恥ず
かしくも思っていた。

今思えば本当に恥ずかしいし、申し訳ないと思う。


一年間の入院中、ドナーさんとも何人の方とも同室になった。
確かに手術から退院まで早かった。

でも皆、術後の痛みは相当なものだった。
そして何よりも気になっていたのは、ドナーさんに対する病院の対応だ。

レシピエントと比べるべきではないのかもしれないが、医師にしろ看護師
にしろ、あまりに冷たい。(そう感じただけなのかもしれないが)

痛みを訴えたまま数日で退院させられた人を何人も見た。


移植患者にとってドナーとは、そう考えるとその重さがひしひしと感じら
れてきてしまう。



レシピエントである自分がドナーより幸せな生活を送っても良いのだろう
か、とか、もし万が一、ドナーである姉が他の病気になってしまったら、
いったい自分は何かできるのだろうか、とか色々な想像が働いてしまうの
だ。

何も心配させない姉、その本心を伺い知ることはできないが、ドナーとし
ての心情はとても気になることである。

NOKINさんのブログに出会い、ドナーとしての思い、考え方、痛み、苦労
などを率直な意見として知ることができたのは、とても良かったと思う。


ドナーにはドナーとして、レシピエントにはレシピエントとしての独自の
思いは当然あるはずで、移植という大事を通して、共有すべきは共有して
いかなければならないのだと思っている。



「移植患者にとってドナーとは」、というより、むしろ今後は、

「ドナーにとって移植患者はどうあるべきか」

を考えて生きていかなければならないのかもしれない。
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59例目の脳死移植

1日、国内59例目の脳死移植が行われ、北大病院では肝臓の移植手術が
行われたそう。

11時間半程度で終了、肝臓は順調に機能し、一ヶ月位で退院できる見通
しだそうで、改めてその技術に驚かされます。

患者さんは自分と同じ劇症肝炎だそうで、無事回復し健康を早く取り戻さ
れる事を願うばかりです。
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診断書料金にも格差?!

先日の新聞で診断書料金の格差が取り上げられていた。

医療保険対象外で、病院によって金額に差があることは知っていたが、
なんと全国で、525円から5,250円まで差があるとは驚きだ。

H大病院では当たり前のように5,250円を支払っていたが、全国平均
の2,265円の倍以上もしていたとは。

それでも保険申請には必要なもので、2回の手術に8回の入院、毎回毎
に申請していたわけではないが、結構ばかにならない。



ただ、保険会社の種類や保険金額等の条件が揃えば、
診断書が必要でない場合があるのでご注意です。



当初、発病から入院、移植を経てその後数ヶ月は、患者として、保険だ
の保障だのと考える状態ではなく、全て妻にまかせっ切りだったが、と
ても大変な思いをしたらしい。

仕事と看病などでそれでなくても時間が無く、後で良く言っていたのは、

「こういう事を代理でやってくれる機関があればすごく助かるのにね」。



保険に関してはかなり不透明な事があり、しかも誰も教えてくれない。
自分で調べようにも、そんな余裕は家族にも無い。

頼りになるのは、同室の方を中心に患者同士の情報だったりする。


診断書の申請も含めて、患者に有意義な情報を伝えてくれるコーディネー
ターさんがいたら、とても頼りになるのに。
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病気と仕事


手術後、昔のように笑えなくなったことの一つ、病気と仕事の関わり。

去年の今頃なら、ここまで早く、これだけ仕事ができるようになると
は夢にも思わなかった。
ところが人間贅沢なもので、少し元気になってくるともっとできるの
では、と考えてしまう。

でもできない。やはり病気前の6割から7割くらい。
疲れやすいというのはある。それは肝臓がどうのこうのというより、
おそら体力低下によるものだと思う。

そして筋力は明らかに衰え、右腕の痛みは特に夜中がひどい。
一日中PCに向かっているので、痛いし眠たいし。
なにせ一年以上運動らしい運動ができず、点滴に常に繋がれ、右腹
には胆汁の管が7ヶ月近く入っていたのだからしかたがない。

さらに2週に1度の通院だ。
明後日の検査の抗体値よっては又入院しなければならない。

仕事の調整は、はっきり言って付かない。
自営業なもので、仕事をしなければ収入はゼロ。



そういえば移植後、肝性脳症から覚めて正気を取り戻した頃から
「退院させて~」「頼みますよ~」
と先生に直談判して、困らせていたのを思い出す。

「あれだけの手術をしているんですよ、今はちょっと。もう少し落ち
 着いてからゆっくり考えましょう。」
「先生、仕事しないと生活できなくなりますから。ゆっくりしてる場
 合いじゃないんです。」

などという会話を何回もしていた。
あまりにしつこかったのか、入退院のたびに、
「仕事、無理しないように!」とか
「仕事してたの?」 
とか、そればかり言われるようになってしまった。

結局、仕事ができない期間はついに15ヶ月にも及んだ。
その間、妻はより良い条件を求めて2回職場を変えた。


命さえ助かれば後はなんとかなる、と思いつつ現実はやはり厳しい。
知り合いのKさんは2週置きの通院の為、職場を変えた。
同室だった一人の方は、経営する学習塾を他人に譲った。
病室にPCを持ち込んでいる人もいた。


病気と仕事、両立させるのは難しい。
せめて仲良くしなければと思う。

けっして、楽したいなんて考えているわけではないし、むしろ以前の
ように仕事がしたい。普通の生活がしたい。
こう思えるのも元気になった証拠で、贅沢なことで、今まさに厳しい
闘いをしている人には失礼なことかもしれない。


病気と・・、目の前の現実と・・、思い悩む毎日です。
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移植できるって幸せでしょうか?

移植手術以降、そして再手術で回復してからも、なんかこうスッキリしない
というか、日常生活を送っていて昔のように笑えなくなっている。

それは引っ掛かることがいくつかあって、その一つが、移植手術の説明を受
けた時に、当時の移植コーディネーターさんに言われた一言。

「移植できるっていうだけで幸せなのよ。」


移植できるって幸せなことですか?

もちろんその意味は、
「移植したくてもできない人がたくさんいるのに」
「移植すれば助かるのに」
「ドナーさんがいて、心良く承諾してくれているのに」
とか、前向きな意味を持った言葉だということはわかっていた。

でもやっぱり・・・。
移植しなくても済むならそれに越したことは無い。
だいいち、健康でいられるならそれが一番だし。

あの場面で健康な体と比べても何の意味もないということだろうか。

当時はまだ移植以外にも治癒の可能性があった時期。
移植、ましてや健康な体を傷付けることになる生体移植は真っ向から否定し
ていたので、反発心でいっぱいだった。

そんな時に投げ掛けられた言葉。

移植できるって幸せなことですか?


それでも結局移植によって命を救われたのも事実。
もし姉の肝臓がドナーとして適合していなかっら、ドナーを引き受けてくれ
なかったら、おそらく自分は今この世にはいない。

自分は運に恵まれていた。
多くの人に助けられた。

でも移植できたことが幸せなんだろうかと考えてしまう。



移植って我々にとっては、究極の最終手段なのでは。
誰だって永く生きていきたい。
どんなことをしてでも、何か可能性があればすがりつきたいですよね。
死ぬかもしれないと言われ冷静でいられる人はいないと思う。

移植できて幸せなどとは思えない。
喜んで移植手術を受けようなんて誰も考えていないと思う。

みんな苦しんで悩んで、迷って痛い目に遭って、不安に押しつぶされそうに
なりながら最終手段として移植の道を探るんだと思うんです。


・・・
「移植できるっていうだけで幸せなのよ。」

移植できることが幸せだとは思いません。
助からない命が移植によって生かされる、だから移植する。

そこに多くの人の思いが詰まっていること、それが幸せなんだと思うんです。
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