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移植時の食事~⑩入退院

2月の最初の退院後8月の再手術、9月の退院まで、結局6回の入退院を繰り
返すことになる。


最初の退院の時点で、肝数値の悪さや足のむくみで、「このままでいいのだろ
うか。」との思いと、ずっと言われていた、シャントの問題で、薄々予期して
いた事ではあった。




その後の入院の理由は全て腹痛、それも突然の激痛。

色々原因を言われたが、後から分かったのは複合要素。






入院の理由が腹痛なので、まずは決まって絶食になる。

そして少し回復してくると3分粥程度から始め、ある程度普通に食べられる
ようになって退院、という繰り返し。



この頃、医師から常に言われていたのが、一日最低2リットルの水分補給と
便秘に気をつけること。

便秘は腹痛の原因の一つと言われた。


手術によってできた体の内部の空洞部分に腸が入り込み、その運動が他の臓
器等を刺激している、ということだった。



不思議なもので、自分では便をしっかり出しているつもりでも、入院時のX
線検査では腸に便の滞留が見られるのだ。



先生も看護師さんも、人の顔を見るたび、「便は順調に出てますか?」と聞
いてくる。
それもひつこいぐらいに聞いてくるので、便の滞留が他の臓器等に与える悪
影響の大きさを強く実感した。




この頃の薬からもそれが分かる。

便秘関連の薬だけで、


 ・アローゼン  ~ 0.5g×就寝時1包
 ・プルゼニド  ~ 12mg×就寝時2錠
 ・ラクツロース ~ 40mL×朝・昼・晩・就寝時4回
 ・ラキソベロン ~ 就寝時15滴


と、便秘の薬を飲んで便秘になってしまうのでは、と思ってしまう。






食べられるようになって退院しても、薬と水と、常にある腹痛で食欲が無い。

最初の頃はヨーグルトばかり食べていたような気がする。


そして少しでも食べ過ぎると調子が悪くなる。


薬の飲むのにも一回一時間位かかる時があるので、食事どころではなかった。
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移植時の食事~⑨自宅での食事

移植後の食事制限の原則以外に、自分の中で、ボーダーラインが難しいと考
えていたものがある。



1つは卵。
生卵はサルモネラ菌に感染する危険性があるということで、H大病院の術後
パンフでも、移植後6ヶ月間は厳禁、それ以降も食べない方が良い、となっ
ている。

じゃぁ、熱し方はどの程度で良いのか、と。
というのも、固めより生、生より半熟、というくらい半熟が好き。
自分の性格のようだ。

でも妻は、当然のように充分熱を加え、固くてバリバリ卵。




他に、牛乳(乳製品)
牛乳は必ず加工乳。そしてヨーグルトと共に病院食としてよく出された。
ヨーグルトがいいのかダメなのか、医療機関によっては食べない方が良い、と
されているところもあるようだ。

ヨーグルト、実はあまり好んで食べる方ではなかったが、自宅では3食以外
ではヨーグルトしか食べない、というくらい食べていた。
退院後、一番口に合ったものだ。
(ちなみに今はあまり食べたくありません)




そして納豆。
納豆はあまり食べない方が良い、という話しをどこかで耳にしていたが、病
院ではよく出た。
感染、という意味ではあまり良くないような気もするが、病院で出たものは
いいだろう、というのもあり、納豆好きとしては助かった。




あと、病院で良く出たのがほうれん草。
ほうれん草のおひたしは昼夜問わず、良く出された。
(おひたしを訛って言うと「おしたし」となるそうです)

これにオマケ程度に付いてくる醤油を垂らして食べると美味しかった。

よって自宅でもメインの副材。





醤油で思い出したが、絶対に醤油が必要な食材に醤油が付いてくる時と付か
ない時がある。
無い時は味も素っ気も、当然無い。

で、売店で自分で醤油を購入。一応薄味。





果物で良く出されたのが「朝バナナ」。
しかも一本丸ごと。

ご飯さえろくに食べられないのに、バナナまでは手が届かず。

果物といえば、グレープフルーツが薬との関係で駄目なのは周知の通り。
そしてもう1つ、入院中、イチゴが同じような理由で突然禁止になった。

それまで何度か食べていたので??

ところが看護師さんが外国の文献で色々調べた結果、問題無しとなり解禁。
移植後の食事、奥が深い、と実感。




・・・・・・・・・
2月の退院後、3月にかけて少し仕事が出来るようになった。
決して肝機能値が良くなっているわけでもなく、繁忙期で、働かないと大変
だったから。

食欲はほとんど無く、忙しさにかまけて昼食を抜くということも。



食事以上に問題は両足のむくみ。

足首が太ももみたいで満足に歩くことが出来なくなった。


週一の検診では先生に「出来るだけ足を高くして寝てください。」って。

それにも限界があるんですけど・・・
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移植時の食事~⑧退院直後

2006年2月17日、退院。


退院後、体調の悪さ(痛み、倦怠感、むくみなど)以外に、日常生活の中で
大変だったのが、

・薬の服用

・食事

・水分の摂取

・血糖値測定とインスリン自己注射


が、4本柱。



薬は退院直前に6種類減ったものの、退院時で8種類。


・プログラフ(免疫抑制剤)        ~ 0.5mg×朝・晩2錠
・プレドニゾロン(免疫抑制剤、ステロイド)~ 5mg×朝2錠
・ゼフィックス(ウイルス抑制剤)     ~ 100mg×朝1錠
・ラクツロース(減アンモニア、整腸剤)  ~ 30mg×4回
・アミノレバンEN(肝機能改善)     ~ 50g×朝・昼・晩3回
・ウルソ(肝機能改善)          ~ 100mg×朝・昼・晩2錠
・ガストローム(胃粘膜保護)       ~ 1.5g×2回
・スローケー(カリウム補充)       ~ 600mg×朝・晩2錠


中でもアミノレバンは厄介で、これを飲むと一食分位のボリュームがあり、、
食事がままならなくなる。


結局、薬の為に食事が充分に摂れない、妙な状況だった。


おまけに、水分を最低でも毎日2リットル摂る指令(?)を受けていたので
それだけで腹が膨れる。
そもそも、ほとんど動かない(動けない、が正しい)ので腹の減りようがない。



それでも、移植後の食事の原則、

・感染症予防の為、生ものは厳禁(魚、野菜、卵など全て)。

・二時間以上作り置きしたものは食べない。

・野菜も必ず熱を加える(温野菜)。

・調味料は極力使わない。

・塩分控え目。


などは守ねばならず、食材にも気を使った。(妻が。)

何しろ退院したとはいえ、その後入退院を繰り返すぐらいだから、体調が良
いとはいえず、少しの事でも心配でならなかった。



アレはどうか、コレはどうか、と迷った時に参考になったのは、病院食の
メニュー。

元々、朝の回診で前夜のメニューを聞かれ、それに答えられないのが悔しく
て、ズルして付け始めた食事メニュー。


これが、退院後、メニューに悩んだ時に非常に役に立った。




病院で出されたものは、絶対に大丈夫だろうと。
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移植時の食事~⑦退院まで

12月、おかずは少しずつ食べられる量が増えていったが、ご飯がまったく
進まない。


結構大きな器に盛られるご飯、いつも1/3位しか食べられず、同室の人達
が、普通に食べ尽すのが不思議でしょうがなっかった。

食後に大量の薬を飲まなければならず、自然と抑えていたのもあるが。




食後、看護師さんがやってきて、食べた量(残した量)を申告するのだが、
看護師さんも、あの手この手を考え、おにぎりにしたらもっと量を食べられ
るのでは、と、8日から昼食のみ、おにぎりが出るようになった。

いったい、誰がにぎってくれていたのだろう??





2006年、年が明けても退院の目途さえたたない。

年末年始、外泊で帰宅しても食べられるものは限られる。

正月の豪華(?)メニューも自分には関係なし。



食材は全て熱を通し、野菜も温野菜、アレが駄目、これはいい、との問答。

「退院できても、食事は大変だね。」

は、妻の実感。(実際、大変だった。)




3日、病院に戻った時は、少しだけ、なんだかホッとした気持ちがあった。


6日、突然激しい腹痛、腸炎でまた10日間の絶食。




退院する為には体調の回復はもちろん、食事の復活も必要条件。

腸炎が良くなる頃から7分粥を始めても、なんだかもどかしかった。


相も変わらぬ食欲の無さと、いつ始まるかわからない腹痛の恐怖、それなの
に食べないと回復も退院も見込めない、楽しいはずの食事の時間が、苦痛の
時間でしかなかった。




それでも「アミノレバン」を飲み始めたことで数値が少しずつ良くなり、
1月下旬からは退院に向けての予行演習ともいえる外泊が始まった。

(インスリンの自己注射、薬や食事などの自己管理項目が多過ぎて、いきな
 り退院させることは絶対できない、と医師から言われていた。)



外泊が始まると、自宅では妻が食事のことで気を使う。

移植後一年間は感染症にかかるリスクが非常に高いので、外的な心配と同じ
かそれ以上に、食事メニューには神経を使ってくれていた。




退院の目途がたつと、必ず誰もが栄養相談を受ける。

栄養相談というか栄養指導だが、話しを聞いていて、一つの要素の為に一つ
の食材を制限すると、何かが不足したり犠牲になったりして、何を食べたら
良いのかわからなくなった。



結局、妻と二人で出した結論は、

『栄養があって新鮮なものを食べていれば間違いない』

ということだった。(??)




2006年2月17日、前年8月17日の入院から、ちょうど半年振りに
退院、でもまさか、ここから何度も入退院を繰り返すことになるとは・・・
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移植時の食事~⑥クリスマスメニュー

最初の入院から5ヶ月経った12月17日、朝の回診で医師より初めて外泊
の許可が下りる。


クリスマスの一日だけの外泊。



なんとか少しずつでも食事ができる様になり、外泊の話しも出て、どうせな
らと、クリスマスだけでも帰宅出来ないものかと、それでも遠慮がちに、少
し前から看護師さんに伝えていた。

検査数値は良くないが体調は安定している。


だから自分ではきっと大丈夫だと思っていたので、先生から許可を貰った事
で舞い上がる。

なんと言っても5ヶ月振りの我が家。



妻は妻で、早速、ケン○ッ○キーのチキンを予約。
他にも食べられそうなメニューを色々と考えていたようだ。



ところが・・・

12月21日夜、テーブルには休みに入る担当看護師さんからのメモ書きが。


  「血糖が高くインスリン注射が導入されたり、朝の採血時間まで
   帰って来るのが難しいので、現在、24日の外泊は延期の方向
   で考えています。
   外泊は年末年始にできるよう、それに向けて準備していきます。」



入院中は色んな種類のショックを受けたが、このメモは間違いなくベスト3
に入るショック!

浮かれ気分は一瞬にして吹き飛んだ。


スッカリ「その気分」の妻におそるおそる電話をすると、

「え~、なんで?? 先生はいいって言ってたしょ。」


と、当然の反応。


NSに向かい看護師さんと交渉するも、あえなく却下。

先生からの許可を盾に、言葉も荒く少々強気で攻めるも、「先生と相談の結
果です。」と言われればどうしようもなく・・・


確かにこの時点では、薬の自己管理が始まったばかり。
自己管理表も付け始めたばかり。

おまけに、6時、8時、20時と、薬の服用済みをNSにコールしなければ
ならない状態。


むしろ「まだ無理」という看護師さんの判断の方が正当。

採血と血糖値の問題は致命的だった。

特にインスリンの自己注射は22日にやっと始まったばかり。それも看護師
さんに見守られながら。





12月24日、クリスマスイブ。

昼食のテーブルには妻が買ってきてくれたチキン。

家族揃ってのはずが、二人だけのクリスマスだった。




夕食、4人部屋には自分一人。

クリスマスだからか、メニューは、ちらし寿しと鳥のから揚げ。

寂しさも落胆も、怒りも、何の感情も無く、ただただ口に入れていた。



そしてデザートで小さなケーキが付いていた。

血糖の関係で自分は食べられないケーキ。

この日の夜間当直は二人の看護師さん。

看護師さんにとってもクリスマス。

NSにケーキを持って行った。「良かったら二人で分けて下さい」と。




・・・・・・・・・
21日夜に貰った担当看護師Nさんの、外泊不許可を伝えるメモは今も持っ
ている。

何と伝えていいか悩んだのか、言葉を選びながら、何度も何度も書き直した
跡の残るメモが、今は心に響きます。
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移植時の食事~⑤食事制限の考え方

「できるだけ出されたものを食べるようにして下さいね。」



浮かれ気分を打ち砕く、看護師さんの「悪魔の声」。(のようにしか聞こえ
なかった。)




・・・・・・・・・
ほ○か○っ○亭の「ミニうどん」は沈んでいた気分を一新するカンフル剤だ
った。


それに気を良くして最初に妻に頼んだのが、何故か「たまご焼き」。

しかも厚焼きのたまご焼き。



そして次に「五目ご飯」。

これが厄介だった(ようだ)。

たまご焼きと違って簡単にできない。手間が掛かる(らしい)。


それまで職場から直接病院に通っていた妻は、一度帰宅、それから慌てて
五目ご飯を作り、子供たちの準備も済ませ、病院に来る。

なんと言っても作り置きができない。2時間まで、と言われていたので、朝
出勤前に作る事ができないのだ。



姉は姉で、おかずやら味噌汁などを毎日のように持ってきてくれ、そのうち
量は食べられないものの、やっと「食べる喜び」を感じられるようになった。




この時、医師と看護師で食事に対する考え方は明らかに違っていた(ように
しか考えられなかった)。


食べられるなら食べたいものを食べた方がいい(そりゃぁもちろん駄目なも
のは駄目)、とする先生たちと、

できるだけ病院食を食べるように、と言う看護師さん。



こんな時、迷わず自分に都合のよい方を選択する。

都合、というのは自分だけの都合。


自分にとって本当に都合のいいのはどれか、それは別問題だ。




・・・・・・・・・
いつものように持参してくれたものを中心に夕食をしていると、入室してき
た看護師さんがチラ見して一言。

いつか何か言われるのかな、とは思っていたけど・・・


あえなく撃沈、いったん撤退することを決めた。



でも、この持ち込み食事が食欲を回復させてくれたことは確かだ。
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移植時の食事~④食べられるきっかけ

「食べられそうなら、食べたい物を食べていいですよ。」



まさしく、先生の「天使の声」。





それまで、あまりにも食事に関する制約が多く、好きなものを食べられるな
んて想像もしていなかった。

11月末だったのか、いきなり医師にこう告げられ、自分も妻も、聞き逃す
はずもない。


「え~、いいの?さっきいいって言ってたよね。」



そこから怒涛の攻勢が始まる。

それまで、自分はあくまで病院食だったが、少しずつ食べられるようになって
きた頃、夕食時に妻が、よくお弁当屋さんから弁当を買ってきて、ベッドサイ
ドで一緒に食べていたのだが、それがあまりに旨そうで、これなら少しは食べ
られるのに、と思い始めていた。


「何を食べたい?最初だから、うどんとかいいんじゃない?」

と妻に聞かれ、

「うん、それ。」

と即答。





そしてついに、8月の入院以来初めての、点滴と病院食以外の食事をする。

それが、コレ↓




ほ○か○っ○亭の「ミニうどん」だ。



これがっ、ホンとにっ、うまかった~!!


半分も食べられなかったが、食という点では初めて生きてることを実感した。
(けっして大袈裟ではなく)



そしてこれ以来、不思議と食「欲」が出て、あれが食べたい、これが食べた
い、と言いたい放題。

妻も姉も色々工夫して持参してくれ、あれ程病院食が食べられなかったのが
うそのようで、食と共に精神的にも元気になれたような気がしていた。




それなのに・・・

先生が「天使の声」ならば、看護師さんのは・・・「悪魔の声」、だ。
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移植時の食事~③移植後2ヵ月目


10月4日が移植手術、11月中頃に食事を始め、2ヵ月経った12月初め、
でも相変わらず食欲は無い。



食欲は無いのに薬はたくさん飲まなければならない。

一時より減ったとはいえ、この時点で14種類。
錠剤を飲むには大量の水が必要で、液剤はその不味さから勇気が必要。


一日数回の薬の服用だけで手一杯で、精神的にもイッパイイッパイだ。



しかもやっとの思いで食事を口に流し込み、腹一杯で一息ついていると、

看護師さんが、見ていたかのようにやって来て、


「かんぞうさん、お薬飲みましたか?」 と。


ぇ~~、「今、やっと少し食べたばかりですぅ。」


と必死の抵抗を試みるも、


「飲み終わったら教えて下さいね~。」ルンルン。。と看護師さん。

(憎たらしいことに、ルンルンと楽しそうに見えてしまうのです。鬼っ!)


と去っていく。




食事を取る余裕さえ無かった、という感じ。

確かに妻も、姉も、「出来るだけ食べないと」と言いつつも、病院食メニュー
には同情してくれる。

悪い場所が肝臓だけに、きちんとカロリー計算されているのは勿論、塩分は
控え目、当然薄味、そんなに言うなら一日三食、毎日食べてみてよ、と言い
たくなる。



~12月の、ある日のメニュー~

朝食 : パン、ゼンマイの煮物(薄味)、カマボコ(醤油は付いてない)、
    キャベツ・ニンジン・ハンペンの和え物(超薄味)

昼食 : ご飯、揚げ豆腐(超薄味)、ほうれん草のゴマ和え(薄味)、
    肉じゃが(微妙)

夜食 : ご飯、焼きシャケ(何か味が独特)、里いも、サラダ(マヨネーズ)



基本的に制約は多いのだ。

・感染症予防の為、生ものは厳禁(魚、野菜、卵など全て)

・二時間以上作り置きしたものは×ダメ。

・野菜も必ず熱を加える(温野菜)。

・調味料は極力使わない。

・塩分控え目は当然。 etc・・・




特に閉口したのが野菜。温野菜はちょっと・・・

たまに生野菜ごときものが出てくるのだが、なんでも特殊な洗剤(?)で洗
浄したものらしい。




11月25日からは「自己管理表」も付け始め、水分摂取量も厳しくなる。

一日最低2リットルを課せられ、夜には看護師さんにチェックされる(自己
申告だけど)。



薬を飲む事で一日が始まり、水と食事で腹一杯、しかも病院食、こんな状態
なのに血液検査の結果は一向に良くならない。



あんな思いをして移植までしてこれじゃぁ、と思い悩んでいる時、先生が

「天使の声」を発したのを、聞き逃さなかったのは妻。



そこから姉の協力のもと、妻の逆襲は始まった。

でも、その事が、少しずつ食べられるようになる、大きなキッカケになった。
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移植時の食事~②移植手術直後

2005年9月、H大に転院してからも絶食は続く。


移植手術を行う事を前提とした転院で、あえて食事を復活させる必要もない。

各診療科を受診したり、MRI、CT、X線、脳波、心肺、呼吸器など一通
りの検査を受けるのも点滴に繋がれたまま。


点滴は24時間継続。


それでもH大に移ってから吐き気が酷かった記憶は無く、歯科も普通に受診
出来た。

体調は比較的落ち着いていたと思う。




今もよく妻に言われるのが、

『劇症肝炎の患者で、一ヶ月に渡り透析で命をつなぎ止め、数日後に移植手
術を受けようとする患者』

が、普通(?)に来院し、想像よりはるかにシッカリとしていた事に、
受けいれる看護師さん達が、一様に驚いていた、と。




そして10月4日移植手術。

10月10日にICUから個室に移動、今、この頃の記憶は皆無。



でも絶食がずっと続いていたのは確か。

通常、頃合いをみ計らい、重湯から始まり三分粥、五分粥、七分粥、全粥
と進んでいくと思うが、何しろそういう記憶が無い。



なんたって自分で意識して食べ始めたのが11月末。

それも嫌々。

そろそろ食事を口から摂らないと駄目だと言われ、無理やり始めた食事。

もちろん重湯から。

でも、全く食べられなかった。





絶食に慣れてしまっていて、そもそも食欲が無い。

病院食に全然馴染めない。

胃が受け付けない。



8月中旬から3か月半の絶食生活が身に染みてしまっていた。


さすがに「食べられない」事に対する看護師さんの目は、厳しかった。



救いは、妻と姉の、

「食べなさい、って言われても・・・、これ(病院食)じゃぁねぇ。」

という言葉。


そしてこの後、妻と姉の「逆襲」が始まる。
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移植時の食事~①発症から移植手術まで

カテゴリーの中で唯一記事の無かった「移植後の食事」。

一年間の入退院生活では絶食期間が長く、やはり制約も多かった。




・・・・・・・・・
発症時(2005年8月)、既に食欲は無い。



実はその1ヶ月程前から、健康の為、ダイエット(低炭水化物ダイエット)を
敢行、72kgまで増えた体重をベストの65kgにするべく、極力お米類を
避けていたが、結果、68kgほどまで減少していた。


そんな事があり、食べない、のか、食べられない、状態なのか自分ではよくわ
からないような感じだった。

ただ、おにぎり一つ食べることが、この時点では「出来なかった」。




そんなこんなで、徐々に吐き気をもよおし、ついには吐いてしまって休日当番
病院にかかることから闘病が始まる。




S内科で新札幌のSH病院を紹介され入院した時は、食欲は全く無し。

吐き気は増大。

しかも、点滴のルートを首(鎖骨の辺り)に取るのに、針をゴリゴリと数時間
掛けて入れられた時点でノックアウト。

食欲は完全に消え失せる。


肉体的に、というより、精神的に打ちのめされた形。




そしてすぐK病院に転院して、長い長い絶食生活は始まった。

(この時点でダイエットをしていたことを少し後悔、美味しいものを、たく
さん食べておけば良かった、と。)



K病院では一ヶ月、食べた記憶は無い。



長時間に及ぶ透析で体力が無くなり、動かないので腹が減らない。

栄養分は点滴で補っているので問題も無く、でも吐き気は定期的に起こる。




後にH大でお世話になるF先生が時々様子をみにきてくれたが、

「今の対処方法は間違いないですから、頑張って。」

と言われた中で、ただ食事に関してだけは、

「もし食べられるなら、少しでも食べた方がいいんだけど。」

と話していたのが印象に残っている。




後の事(多分、移植手術を想定していた?)を考えた時、少しでも体力を
維持する為には、口から食事を摂るのが一番よい、ということだった。
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