予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
言いたいことも言えないそんな世の中じゃ
今日、母退院。
ステロイド剤を減量したことによる、リウマチ性筋痛症の再発。
再発といっても、痛みが強くなって、CRPが上昇して、白血球数が増加して
っていう。
退院してくれたことで確かに、やれやれってことなんだけど、どうもスッキリしない。
今回は、ステロイド剤減量っていう、逃れられない理由があってのことだけど、
この5年で4回...
今年92歳になる母だけに、しょうがないっちゃしょうがない。
でも、スッキリしない。
自分自身、来週また新規診療科の受診。
前立腺がんの全摘出から3年半、まだまだ再発の危険性は有る。
正直、自分の身で精一杯のところがあって、しかも妻を含めこの19年の夫婦の山谷は...
到底言葉では言い尽くせない。
母は...
これからまたステロイドの量を減らしていき、そうすると痛みがぶり返し、の
繰り返しになっていくと思う。
こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、ステロイドのリスクである感染症、骨粗しょう症、等々
そんなのどうでもいいから痛みの強くない状態で、ただそれだけで生活していったのでいいんじゃないの、って。
だって92歳だよ。
祖母と三人、
子、孫と暮らして30年、心配のほとんど無い生活30年、充分じゃないか。
未だ共働きの自分たち夫婦、将来の心配しかない二人。
こっちが...ダメになる。
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母、5年で4度目の入院
10日ほど前から痛みが増した母、一昨日の検査の結果、
CRP値と白血球数の増加があり、今日から入院。
検査で原因究明と抗生剤投与をしていくことになる。
今日は自身の定期検診の日でもあった。
ここ19年、基本、検診・検査は何よりも最優先してきた。
そもそも命に関わることだし。
でもこうなるとしょうがない。
一昨日急に決まったことだし、誰かの予定を変えなければならないと
なると、やっぱり自分。
しょうがない。
運良く、GW真っ只中、2日に空きがあって時間も変わらずに入れることができた。
ただ、できたからいいようなものの、前立腺がんの手術日に母が入院した時のように、
これから、調整がつかなくなった時どうするか。
そうなると家族総動員法発令ってことになると思うけど、
それはそれで大変なことも多い。
色々気にかけることが多くなっても、まず第一に考えなければと思うのは
1にも2にも自分の体調、ってことなんだと思う。
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生きることに手を抜かないでほしい
先々週末、父が発熱。
いつもの忠告を聞かず自分で運転して病院に行った事を後で知った。
で、熱が下がらず(むしろ39度近くまで上がり)夜中の2時半に
起こされるのはまだいい、百歩譲って運転も。
でも絶対ダメなこと、
PCR検査を受けてこなかったこと。
しかも自分で断って。
日夜生活を共にする母もそう、免疫抑制の自分もそう。
こっちは生死に関わる。
ずっと説明してきたんだけどね。
年甲斐も無く(歳だから?)自分勝手。
運転もコロナも命に関わるんだから!
結局、父たちではどうすることもできず、改めて病院へ
連れて行くことに。
とはいえ闇雲に行ってもと思い、自分用に買い置きしておいた
医療用検査キットを使い簡易PCR検査。
結果は、
運良く陰性判定。
ホント運良く、だ。
もしコロナだったら母には間違いなく伝染り、自分もかなりピンチ。
キットを買い置きしておいたのも良かった。
ずっと病気と付き合ってきて、一つ感じるのは、
誰も、
精一杯生きて欲しいのと、生きることに手を抜かないで欲しいのと。
生きたくても生きられない仲間、たくさん見てきたから。
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言いたいことはたくさんあるけれど
今も現役で剣道、しかも自ら車を運転して体育館に行く父。
ずっと言ってきたことだけど、免許返納。
今年94歳、すでに全然遅過ぎるんだけどさすがに運転は...
数日前、改めてじっくり説得。
とはいえ、今の状態から父母の一切合切を引き受けることは無理。
自分にも仕事がある。まだ止められない。
そもそも63にもなる今も、これからも、なんでここまで働けなければならないか、って話し。
その部分を話し出すと一言で伝えられないし、両親に言ってもねぇ、って。
だけど、言いたいこと、言わなければならないことは言った。
この30年、良いも悪いもお互い様、ああ言えばこう言われ、って話しで、
特に口に出すこともしてこなっかたけど、でも、
同居する前、家を建てる前、そこからの話しでいくと、ずっと我慢を積み重ねてきたのは、
自分たちであり、特に妻だ。
妻が両親と同居し始めてくれたのは妻が27歳の時。
しかも義祖母付き。
親の持ち家、とか、親所有の土地に、とか、親が家を建ててくれて同居、とか、
そんな感じなら結構有るパターンかもしれないけど、
・27歳の若さで、
・自分たちで土地探し、
・自分たちで設計・建築、
・高~い25年ローンを組んで、
・二世帯ということで間取りの制約が多くて、
・札幌という(一応)都会に田舎から両親+祖母を呼び寄せ同居、
って、こんなパターンはあまり無いだろうと思う。
自分たちがここまで歳を取り、終活を含め自分たち自身の老後を真剣に考えなければならない時、
今までと同じ若い感覚で生活をする両親を見るにつけ、やはり、さすがに、
ちょっとどうなの、と考える日々。
もちろん、最期まで、責任もって見送るつもりでいることだけは間違いないことだけど。
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90歳の母と、生きてくせめぎ合い
予想を大きく上回る早さで整形外科を退院してきた母。
早く帰りたいが為に相当リハビリを頑張ったようだ。
それはそれで素晴らしい、よく頑張ったと思う。
ただ、この4年で3回目の入院、手術。
歳なりに骨が尋常なく弱っているのは間違いなく、これからがより大変になっていく。
整形外科での通院リハビリを自ら断って退院してきたまではいいけど、だからと言って、このままの生活を
続けていっていいわけではない。
昨日、ケアマネージャーさんと打合せ。
今後について。
こちらの希望としては、デイサービス等で、せめてリハビリに通ってほしいところなんだけど、
そもそもが出不精の母のこと、ずっと拒否してきた。
ただ、今回は、自分の不注意と、おそらく頭の中と身体がかみ合ってない為に起きたこと。
最大限の注意をしてもらうのは当然として、やっぱりある程度の運動は絶対必要で、
なのでまずは、リハビリの体験版をデイケアで経験してもらうことにした。
ケアマネージャーさんと、色々と話しをしていると、本当は母のことなんだけど、
でもいつの間にか自分のことに置き換えて考えている。
だって、本当は、自分たちがそろそろそこを考える立場になってきている。
整形関係中心で、内臓関係にはほとんど悪い所が見当たらない母。
自分は、というと、整形もそうだけど肝臓や泌尿器や、内臓が中心。
命に直結。
90歳超えの母にたくさん要求するのは、実際凄く過酷のような気もして、
自然な感じで、なるようになる、って感じで暮らしていってもらうのがいいのかも、だけど、
だけど、見守る自分たちにも限界がある。
今進めている自身の終活だって、それが故に支障をきたしているのも否めない。
だから、90歳の親といえ、もっと真剣に生きて、って、
と思ってしまうのは、酷なのかなぁ。
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親と同居を始めて30年
昨夕、母が緊急入院、そして今日、手術。
大腿骨鼠径部骨折及び右鎖骨ヒビ。
昨日階段で転倒してから今日午前の手術まで、まぁ目まぐるしい展開。
救急車での転院もあり、すべて終わって帰宅したのが22時過ぎ。
母も90歳を過ぎ、いつ何があってもおかしくはないので、常に自分の頭の中では
シュミレーションしているし、準備もできている。
だからなんとか対応できるけど、それが無かったら大変、だとは思う。
医師の説明も、自分の病気の場合の対応と置き換えて考えられるからまだいい。
昨日の説明も(枚数も20枚くらいあった)、なんなら一個も説明不要って感じだったし。
でも、
医者の説明…なんだろう、こっち側には本来難しい話しばかり。
普通の人なら、きっと戸惑うことが多い気がするなぁ。
未だ面会禁止で、手術終了も電話連絡。
30分弱で終わった手術はいい。大変なのはこれからのリハビリ。
親と同居を始めてちょうど30年。
子供が小さい頃は両親に助けられることが多く、親が高齢化したこの数年は病気も増え、
入院、手術が両親共に増えてきて、手助けする事の方が圧倒的に多くなってきた。
30年、人生の半分。妻にしてみれば、自身の親と過ごした時間の倍近く。
この先、両親を含め、お互い、どんな人生が待っているのか想像もつかない。
わからないから面白いともいえるけど、終活の妨げになっているのは否めない。
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修羅場
これまでの人生最大の修羅場といえば、初めて肝臓移植の説明を受けた、
あの時、あの場所。
どこに誰がいて、誰がどんな話しをしたか、今でも鮮明に蘇る。
大変だったのは、移植手術の時もそうだし、ICUでの恐怖の数日もそう。
再手術も、それに至る経緯も本当に大変だった。
前立腺がんが確定するまでの数か月も辛い日々だったし、61年を振り返ると
大変なことが本当に多い。
そうなんだけど、やはり「あの日」。
生体肝移植しか助かる見込みが無くなる可能性、それは、自分以外の健康な家族の腹にメスが入るという事実、
その選択肢を与えられ、いずれ選択せねばならない日が来るとわかったあの日。
人生の決断という意味では、最大の決断でもあった。
実際には決断する余裕も、自意識も欠落していたんだけど...
ここ数年、夢と希望と、あらゆる決断と、置かれた環境と、これもまた数々の修羅場を潜り抜けてきた次男くん。
今また、人生を大きく左右する大決断の時。
DISH// - 沈丁花 [Official Video]
この歌の歌詞のように、
「選んだ道より選んだ勇気じゃない?!」
って言ってあげたい。
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羽田から広島へ
帰省していた次男くんは、年越しを前に横浜に戻る。
広島への転勤の為。
到底1人で処理できる作業量ではないので母親も応援に。
1月1日付けの転勤。なんだそりゃって感じだけど、まぁ本当に色々と大変な事情があっての結果。
しょうがない。
広島…行ったことがない。
結構あっちこっち行ってるつもりでいたけど、広島、行ったことがない。
北広島市、なら目の前なんだけど。
通勤の都合上、自動車を持たねばならない次男くん。
その準備も着々と。
車を持ったなら、
尾道巡り、
しまなみ海道、
呉、
厳島神社、
行ける所はたくさんある。
カープにサンフレッチェ、ファイターズにコンサドーレ、
どう?
大変なことはたくさんあるだろうけど、
楽しみもたくさん、ある。
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大変なことが増えていく
この数週間、なんだか毎日病院通いをしている感覚。
実際にはおそらく3日に1回くらいなんだろうけど、それでもそのくらいの頻度。
自分と母親と、息子くんと。
その時間のすき間に仕事をしているような…
還暦を過ぎ61になり、普通に仕事を、今までのペースで仕事を、
仮に自分が可能でも、周りの要素がそれを簡単にさせてくれなくなってきた。
難しくなってきた。
大変なことが多くなるのに、自分の肉体的衰えが増大していき…
なんか…大変だぁ。
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母の退院
一昨日、母が無事退院した。
結局、病名は「リウマチ性多発筋痛症」
ステロイド剤の投与で炎症は治まった。
今後は、外来でステロイド剤の減量を目指していくことになる。
このステロイド剤にしろ、鎮痛剤にしろ、服用しないで済むならそれに限る。
肝臓、腎臓に与える影響は大きい。
自分の場合、子供でもOKのカロナールでさえ、望みの量を処方してもらえない。
最多でも30日分のみ。
なので調子のいい時は服用しないようにしている。
カロナールでさえ。
それもこれも、やっぱり、メリットとデメリット。
痛みを抑えるメリットと他臓器にダメージを与えるデメリット。
これ、いつも妻と話しているんだけど、今、だから、であって、もっと歳を取ったり、
寿命の先が見えたり、そうなったら迷わず「痛みを緩和する」方を選ぶ。
もちろん無駄な延命治療は望まないし、最期はやはり、少しでも痛くない生活を送りたい、
と妻には伝えている。
だからと言って、そんな自分の考えを親に押し付けるつもりも毛頭なく、その辺はよく話して決めるつもりだ。
ステロイド剤を減量していく過程で、もし痛みが増して来たら、その時が考えもの。
でも、子としての望みはやっぱり、痛くない生活、だなぁ~。
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病院難民
以前、父が簡単スマホを初めて持った時、せめて簡単な文字を打つことができるように、って言ったことがある。
それはいずれ来る入院等、病院生活の為。
その頃はまだコロナ禍っていうわけではない時で、それでも、病室から、なんなら寝たままで連絡手段を
持つことが、いかに自分の為になるかっていうことを実感していたから。
それが今、このコロナ禍、面会は軒並み禁止で、入退院時の付き添いさえ許されていない所もある。
連絡手段が無いと、その時の状況がわからない、欲しい物がわからない、何もわからない、
患者側からすると、希望を伝えられない、外で何が起こっているかわからない、
なんと言っても、寂しい。
で、今の母。この状態。
情報弱者になると、おちおち入院なんかしてられない。
今の病院、電話(普通の)を与えられてる。
でも使えない。耳が遠いから。意味ない。
洗濯等の交換は全て看護師さんを仲介して。NSまでは行ける。
面会禁止の、
いい所、悪い所、それは、患者、見舞い、それぞれあるにせよ、
ことと場合によっては、入院すると病院難民になりかねない。
これから、歳取ることに甘んじて、時代についていけなくなることにならないよう、
これも頑張らなきゃと思う。
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母の入院
母が自らの誕生日に入院した。
90歳の誕生日。
リウマチ系から来る全身の痛みが酷くなったから。
治療は鎮痛剤と免疫抑制剤の投与が中心になるという。
思えば、前回、同じような症状で入院した(当時は外科、今回は内科)のは、
自分の前立腺がん手術の日。
なので色んなことが後手後手になり結構大変だった 。
これまで、
父も健在なので、通院等、極力両親二人に任せていたんだけれど、とにかく二人とも耳が遠くて、
まともな会話にならない。
看護師さんとも、もちろん医師とも。
どうやら、お医者さんの説明もよく聞こえてなくて理解していなかったみたい。
ここにきて、父もさすがに限界を感じたのか、病院関係は全てこちらに頼るようになった。
良いと思って任せてきたけれど、これからはさすがに...
もし、自分が元気で、ろくに病院にかかったことが無かったとしたら、上手く対応できるか、色々なことに、
って思うけど、なんと言っても、
自分が「患者のプロ」で、妻が「看病のプロ」のわが家。
なんか、これからの、老親二人の、一連の流れが、手に取るようにわかってしまう気がして、
それがいいんだかどうなんだか。
平成5年に二世帯住宅を建て、平成6年に両親、祖母と同居を始め、今年で28年目の共同生活。
当時妻は29歳。
同居歴だけなら、妻は「二世帯住宅のプロ」でもある。
その共同生活も、段々先が見えてきた。
そもそも、自分たちが自分たちの老後を真剣に考えなければならない時期。
でも正直、現状ではそれができない。
介護もそうだし金銭面も、家の処分さえも今は考えられない。
終活はどんどん進めてはいるけど、今後10年間の見通しが立たない。
今、自分にできること、と言うか絶対やらなければならないこと、
両親との生存競争に勝つこと、これに尽きる。
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病病介護
ヤングケアラーや老老介護。
CMでもそうだし、最近よく聞くようになった。
なんで最近そんなに?って思って妻に聞くと、
「だって、寿命が延びてきたからでしょ。」って。
確かにそうだ。
長生きする人が増えてきて、介護を要するようになってくると必然そうなる。
「老老介護」の定義を調べてみると、「介護する側」の年齢は主に65歳以上なんだとか。
わが家はまだ、ギリ当てはまらない。
その代わり、
「病病介護」
病気の自分が病気の親を介護。
運よく、まだ本当の意味での介護には至っていないが、ただ、両親共に90歳超え。
病院の送り迎え一つとっても、自分自身の通院と被らないように、っていうところから始まる。
これが、いつ本格的な介護になり、逆に、いつ自分が動けなくなるか...
「病病介護」
いつその時が来てもおかしくない。
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