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内科入院→施設入居→外科入院(←今ここ)


やっと落ち着いた頃を見計らって、

「母の老人ホーム入居まで」

をテーマに記事を書き始めたと思ったら、なんとその母が、母が、また入院。



今年2月23日、入院していた病院を退院し、そのまま施設に入居してから

わずか31日、まだ全然慣れてない生活からの入院。



マジで疲れる。

何らかの悪化、ならまだしも、自分の不注意による転倒からの圧迫骨折によるもの。



入居までの2か月間、調べ尽くし考え尽くし、打ち合わせも一杯した挙句のことで...



2023年に母は右大腿骨を骨折していて、それもあり、

次に転倒骨折でもしたらそれこそ寝たきりになる可能性も高く、転倒だけは特に気を付けてと言い続けて、

せっかく介護の充実した施設に入ったのだから、そこだけ注意して少しでも楽しく生活して欲しいと思う気持ち。


全部、吹っ飛んだ!




これでまた、先が見通せない。

色々なことが、見通せない。


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再び母入院

ちょうど1か月前、内科を退院し老人ホームに入居したと思ったら、

昨晩、母、また入院。

施設のベッド脇で転倒し職員に発見され、10日ほど前から痛みが増し、

そして昨日、内科の定期検診からの、隣の整形外科病院に。


結局、腰椎圧迫骨折。


完全に本人の不注意。

基本、NCを押しての車椅子移動って決めていたのに、ちょっとした不注意で。


さすがに疲れる。


全部済ませて帰宅しらのは21時過ぎ。

帰る頃にはめまいが…


なんたって前日、大腸ポリープを3個取ってる。

食も戻ってないところ。


ホームに入居して1か月、なのにこれから

間違いなくそれ以上の入院生活。


なんのこっちゃって感じ。


マジ疲れる。
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母の老人ホーム入居まで~3




「老人ホーム」とは、高齢者が入居して生活する施設の総称。


・・・・・
2025年1月4日

思っていていた通り、診察するまでもなく即入院。

この時点で面会は、電話予約の上、平日のみ週に1回は認められていた。

ところが後日、面会予約を入れようと電話すると、院内感染(コロナかインフルか)が発生し、面会全面禁止になったと。


連絡手段を持たない母、この事が後々非常に面倒なことになっていく。



2025年1月10日

荷物を届けに病院へ行き、3階と5階が感染拡大(母は4階)したことを告げられ、荷物は看護師に預けることになる。

治療としてはステロイド剤(プレドニン)を4㎜→9㎜

更に就寝前、強度の痛み止めの服用。


で、通常の2週間では退院出来そうもないことと共に、


‣自分一人での行動は今後も無理そうであること

‣自宅での24時間介護が無理なら介護施設への入居を検討した方が良いこと

‣早期にケアマネージャーと相談し物事を進めていく必要があること


こういったことを告げられた。



これが、2か月をかけての老人ホーム探し、入居までの始まり。


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母の老人ホーム入居まで~2



「老人ホーム」とは、高齢者が入居して生活する施設の総称。 


・・・・・
2024年大晦日

例年、親世帯と大晦日の夕食を共にする。

そこで初めて母の腰の痛みが酷くなっているのを知らされる。

2、3日前には大丈夫そうだったのに、今?、このタイミングでって。


それじゃなくても例年、年末になると体調を崩す母、なので12月中旬、

年越しだからといって決して無理せずに、と注意したばかり。

なのに...


大晦日に、しかも夕方言われてもどうすることもできず、ダメ元で年明け2日、

掛りつけの病院に電話、当然のことながら

「検査もできず、医師(担当医)も不在なので休み明け4日に来て下さい。」

と。


で、もうほぼそのまま入院だろうと準備して、4日朝一の予約で通院。

自宅から階段を下って自動車に乗せるまでが大変だった。3人がかりで、やっと。


動けず、食事もろくに摂れておらず、CRP値も上がっていたので当然入院。


これが、2020年以来、5度目の入院になる。

ただ、この時はまだ、いつものように入院して治療して、リハビリして

また帰宅できると思っていたんだけど...


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母の老人ホーム入居まで~1


「老人ホーム」とは、高齢者が入居して生活する施設の総称。


自分自身の終活を進めていた中で、その中には当然、自分が将来入るかもしれない

「老人介護施設」というカテゴリがある。



そんな中、急に、というか、予想通り、というか、母の老人ホーム入居というけっこう大きな問題が起きてしまって...



そう、今まさに現在進行形で起きている、

母の老人ホーム入居までの話です。



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94歳と92歳の老父母と同居するっていうこと

90歳を過ぎても毎年年末、うま煮作り、昆布巻作り等々張り切る母。

ただ、ここ数年はそのたびに体調を崩しての繰り返し。

特に昨年は正月明け3日に、一切飲み食いができない状態に。



なので昨年末は早々に、無理せず、できることだけをやるようにと、

言ってたばかりで…


昨年末大晦日、階下に住む両親の所に行くと母、具合悪そう。

痛み増々の状態。


リウマチ性筋痛症の悪化だ。


アレだけ言ったのに、と思ってもしょうがない。

好きで痛んだわけでもない。


ただ、時期が悪い。病院、やってない。

もう少し早く伝えてくれれば…



とにかく新年を迎え、病院に連絡するも当然診てはもらえない。

4日の診察始めまで待たなくてはならなかった。


で、予想通り入院。


息子が帰省している中、慌ただしいったらありゃしない。

しかも病院は、感染症拡大のため、今日から面会全面禁止に。

母の現況を知れるのは看護師さんからの情報だけ。


この5年で5度目の入院、過去はリハビリで何とか生活復帰

できてたけど、今回はちょっと…厳しいかなぁ…



そうこうしてるうちに今度は父が、右手を強打し負傷。

細菌感染し切開治療と通院での点滴。

もうね、予定があって無いようなもの。


2人共、歳が歳だけに、まさにこれから色々な判断に迫られる

ことが出てくる。



大変は大変なんだけど、自分ら夫婦、究極の患者と究極の家族だった

過去(今もだけど)の経験が活きる活きる。

大概のことはどうとでもなっちゃう。


なんか、今の状況って20年前の「あの時」から予想されていたのかも

って、凄く考えさせられる。


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言いたいことも言えないそんな世の中じゃ

今日、母退院。

ステロイド剤を減量したことによる、リウマチ性筋痛症の再発。

再発といっても、痛みが強くなって、CRPが上昇して、白血球数が増加して

っていう。



退院してくれたことで確かに、やれやれってことなんだけど、どうもスッキリしない。

今回は、ステロイド剤減量っていう、逃れられない理由があってのことだけど、

この5年で4回...

今年92歳になる母だけに、しょうがないっちゃしょうがない。


でも、スッキリしない。



自分自身、来週また新規診療科の受診。

前立腺がんの全摘出から3年半、まだまだ再発の危険性は有る。

正直、自分の身で精一杯のところがあって、しかも妻を含めこの19年の夫婦の山谷は...

到底言葉では言い尽くせない。



母は...

これからまたステロイドの量を減らしていき、そうすると痛みがぶり返し、の
繰り返しになっていくと思う。


こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、ステロイドのリスクである感染症、骨粗しょう症、等々

そんなのどうでもいいから痛みの強くない状態で、ただそれだけで生活していったのでいいんじゃないの、って。

だって92歳だよ。



祖母と三人、

子、孫と暮らして30年、心配のほとんど無い生活30年、充分じゃないか。

未だ共働きの自分たち夫婦、将来の心配しかない二人。


こっちが...ダメになる。


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母、5年で4度目の入院

10日ほど前から痛みが増した母、一昨日の検査の結果、

CRP値と白血球数の増加があり、今日から入院。



検査で原因究明と抗生剤投与をしていくことになる。



今日は自身の定期検診の日でもあった。

ここ19年、基本、検診・検査は何よりも最優先してきた。

そもそも命に関わることだし。

でもこうなるとしょうがない。

一昨日急に決まったことだし、誰かの予定を変えなければならないと

なると、やっぱり自分。

しょうがない。


運良く、GW真っ只中、2日に空きがあって時間も変わらずに入れることができた。


ただ、できたからいいようなものの、前立腺がんの手術日に母が入院した時のように、

これから、調整がつかなくなった時どうするか。


そうなると家族総動員法発令ってことになると思うけど、

それはそれで大変なことも多い。



色々気にかけることが多くなっても、まず第一に考えなければと思うのは

1にも2にも自分の体調、ってことなんだと思う。


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生きることに手を抜かないでほしい

先々週末、父が発熱。

いつもの忠告を聞かず自分で運転して病院に行った事を後で知った。

で、熱が下がらず(むしろ39度近くまで上がり)夜中の2時半に

起こされるのはまだいい、百歩譲って運転も。



でも絶対ダメなこと、

PCR検査を受けてこなかったこと。

しかも自分で断って。

日夜生活を共にする母もそう、免疫抑制の自分もそう。

こっちは生死に関わる。


ずっと説明してきたんだけどね。

年甲斐も無く(歳だから?)自分勝手。


運転もコロナも命に関わるんだから!



結局、父たちではどうすることもできず、改めて病院へ

連れて行くことに。

とはいえ闇雲に行ってもと思い、自分用に買い置きしておいた

医療用検査キットを使い簡易PCR検査。




結果は、




運良く陰性判定。

ホント運良く、だ。

もしコロナだったら母には間違いなく伝染り、自分もかなりピンチ。


キットを買い置きしておいたのも良かった。



ずっと病気と付き合ってきて、一つ感じるのは、

誰も、

精一杯生きて欲しいのと、生きることに手を抜かないで欲しいのと。

生きたくても生きられない仲間、たくさん見てきたから。



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言いたいことはたくさんあるけれど

今も現役で剣道、しかも自ら車を運転して体育館に行く父。

ずっと言ってきたことだけど、免許返納。

今年94歳、すでに全然遅過ぎるんだけどさすがに運転は...


数日前、改めてじっくり説得。

とはいえ、今の状態から父母の一切合切を引き受けることは無理。

自分にも仕事がある。まだ止められない。

そもそも63にもなる今も、これからも、なんでここまで働けなければならないか、って話し。


その部分を話し出すと一言で伝えられないし、両親に言ってもねぇ、って。



だけど、言いたいこと、言わなければならないことは言った。

この30年、良いも悪いもお互い様、ああ言えばこう言われ、って話しで、

特に口に出すこともしてこなっかたけど、でも、

同居する前、家を建てる前、そこからの話しでいくと、ずっと我慢を積み重ねてきたのは、

自分たちであり、特に妻だ。


妻が両親と同居し始めてくれたのは妻が27歳の時。

しかも義祖母付き。



親の持ち家、とか、親所有の土地に、とか、親が家を建ててくれて同居、とか、

そんな感じなら結構有るパターンかもしれないけど、


・27歳の若さで、

・自分たちで土地探し、

・自分たちで設計・建築、

・高~い25年ローンを組んで、

・二世帯ということで間取りの制約が多くて、

・札幌という(一応)都会に田舎から両親+祖母を呼び寄せ同居、


って、こんなパターンはあまり無いだろうと思う。



自分たちがここまで歳を取り、終活を含め自分たち自身の老後を真剣に考えなければならない時、

今までと同じ若い感覚で生活をする両親を見るにつけ、やはり、さすがに、

ちょっとどうなの、と考える日々。


もちろん、最期まで、責任もって見送るつもりでいることだけは間違いないことだけど。


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90歳の母と、生きてくせめぎ合い

予想を大きく上回る早さで整形外科を退院してきた母。

早く帰りたいが為に相当リハビリを頑張ったようだ。


それはそれで素晴らしい、よく頑張ったと思う。

ただ、この4年で3回目の入院、手術。


歳なりに骨が尋常なく弱っているのは間違いなく、これからがより大変になっていく。


整形外科での通院リハビリを自ら断って退院してきたまではいいけど、だからと言って、このままの生活を

続けていっていいわけではない。


昨日、ケアマネージャーさんと打合せ。

今後について。

こちらの希望としては、デイサービス等で、せめてリハビリに通ってほしいところなんだけど、

そもそもが出不精の母のこと、ずっと拒否してきた。


ただ、今回は、自分の不注意と、おそらく頭の中と身体がかみ合ってない為に起きたこと。


最大限の注意をしてもらうのは当然として、やっぱりある程度の運動は絶対必要で、

なのでまずは、リハビリの体験版をデイケアで経験してもらうことにした。




ケアマネージャーさんと、色々と話しをしていると、本当は母のことなんだけど、

でもいつの間にか自分のことに置き換えて考えている。

だって、本当は、自分たちがそろそろそこを考える立場になってきている。



整形関係中心で、内臓関係にはほとんど悪い所が見当たらない母。

自分は、というと、整形もそうだけど肝臓や泌尿器や、内臓が中心。

命に直結。



90歳超えの母にたくさん要求するのは、実際凄く過酷のような気もして、

自然な感じで、なるようになる、って感じで暮らしていってもらうのがいいのかも、だけど、

だけど、見守る自分たちにも限界がある。


今進めている自身の終活だって、それが故に支障をきたしているのも否めない。


だから、90歳の親といえ、もっと真剣に生きて、って、

と思ってしまうのは、酷なのかなぁ。


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母の退院

大腿骨骨折で入院、手術、転院、としていた母が昨日退院。

思ったよりも早かった。

っていうか凄く早かった。


やっぱり、90歳まで生きるような人は生命力、忍耐力、回復力が強いのか。



まぁでもなんだかんだ言っても90歳、これからはリハビリも必要になるし、注意も更に必要。

これからは、ケアマネージャーさんと話し合って、この先を決めていくことになる。



なんと言っても、この4年間で3度の入院。

歳だから、と言ってしまえばそれまでだけど。



1年間で、6回の入退院を繰り返した自分が言っても、説得力は無いんだけれど...



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親と同居を始めて30年




昨夕、母が緊急入院、そして今日、手術。

大腿骨鼠径部骨折及び右鎖骨ヒビ。



昨日階段で転倒してから今日午前の手術まで、まぁ目まぐるしい展開。

救急車での転院もあり、すべて終わって帰宅したのが22時過ぎ。



母も90歳を過ぎ、いつ何があってもおかしくはないので、常に自分の頭の中では

シュミレーションしているし、準備もできている。

だからなんとか対応できるけど、それが無かったら大変、だとは思う。



医師の説明も、自分の病気の場合の対応と置き換えて考えられるからまだいい。

昨日の説明も(枚数も20枚くらいあった)、なんなら一個も説明不要って感じだったし。

でも、

医者の説明…なんだろう、こっち側には本来難しい話しばかり。

普通の人なら、きっと戸惑うことが多い気がするなぁ。




未だ面会禁止で、手術終了も電話連絡。

30分弱で終わった手術はいい。大変なのはこれからのリハビリ。




親と同居を始めてちょうど30年。

子供が小さい頃は両親に助けられることが多く、親が高齢化したこの数年は病気も増え、

入院、手術が両親共に増えてきて、手助けする事の方が圧倒的に多くなってきた。


30年、人生の半分。妻にしてみれば、自身の親と過ごした時間の倍近く。




この先、両親を含め、お互い、どんな人生が待っているのか想像もつかない。

わからないから面白いともいえるけど、終活の妨げになっているのは否めない。


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伊豆大島1人旅、の父


伊豆大島一人旅の父、92歳。




耳が遠いだけのハンデ、身体は自分より強いかも。


残り数年、父との生存競争だ。


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修羅場

これまでの人生最大の修羅場といえば、初めて肝臓移植の説明を受けた、

あの時、あの場所。


どこに誰がいて、誰がどんな話しをしたか、今でも鮮明に蘇る。



大変だったのは、移植手術の時もそうだし、ICUでの恐怖の数日もそう。

再手術も、それに至る経緯も本当に大変だった。

前立腺がんが確定するまでの数か月も辛い日々だったし、61年を振り返ると

大変なことが本当に多い。

そうなんだけど、やはり「あの日」。


生体肝移植しか助かる見込みが無くなる可能性、それは、自分以外の健康な家族の腹にメスが入るという事実、

その選択肢を与えられ、いずれ選択せねばならない日が来るとわかったあの日。



人生の決断という意味では、最大の決断でもあった。

実際には決断する余裕も、自意識も欠落していたんだけど...




ここ数年、夢と希望と、あらゆる決断と、置かれた環境と、これもまた数々の修羅場を潜り抜けてきた次男くん。

今また、人生を大きく左右する大決断の時。



DISH// - 沈丁花 [Official Video]


この歌の歌詞のように、

「選んだ道より選んだ勇気じゃない?!」

って言ってあげたい。


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