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ギスギスした世の中には

歳を取って少しは人間が丸くなるかと思うと、そうでもなく、むしろ頑固さは日に日に増しているようで
妻と子には呆れられる回数が多くなったような気がする。


そして、たちの悪いことに(妻と子にしてみれば、だが)、その殆どに本人は気付いていない。




頑固さは、ある意味信念の裏返し(と信じて疑わない)だからいいとしても、一応、人には優しくあり
たいと常々思っている。

というのも、もうここ何年も、経済の低迷と「飽食の時代」のツケが原因なのか、それともTV界の
切れキャラ全盛のあおりなのか、なんでもかんでも怒ればいい、毒舌吐いてなきゃ生き残れない、みたい
な風潮が蔓延しているから。




TVで毒舌ぶってる人は、まぁそれしか残る道が無いのだから(断言!)しょうがいないにしても、
そこら辺にいる人が、いっつも怒ってばかりじゃたまらない。

そもそも楽しくない。


じゃぁ自分はどうかって言うと、これはもう反省しきり。




やっぱストレス溜まっているのかな。みんなも。

こんな世の中だし。







いざ腹が立ったら、それこそ手当たり次第、全てが怒りの対象になる。

一番怖いのは、自分を正当化する為の怒り。



自分にも非がある→自分は認めたくない→自分を正当化する為には→他人に非があることにする
→他人に怒りをぶつける



これをやられると、やられた方はたまったものではない。

多少自分にも非があるにしろ、やつ当りもいいところだ。





世間を見渡してみて、こういった流れが余りに多いような気がして。





と書いてみて、全て自分への戒めだと感じる。





なので反省を込めて、




例えば、

もう意地でも他人に優しくする。余計なお世話と言われても。

例えば、

もう何でも笑ってすませる。相手が引くぐらい。

例えば、

苦労を苦労と思わないようにする。過ぎてしまえばなんてことない。大概は。

例えば、

入院は出張と考える。宿泊セット持って。パジャマはいらない。

例えば、

手術はみんなの注目の的と考える。家族に優しくしてもらえる(貴重な機会、自分にとって)

例えば、

借金は借金できるだけありがたいと思う。本当に困るのは返せない時。

例えば、

無理にでも楽しみを見つける。

例えば、

違った角度から他人を見てみる。

例えば、

違った角度から自分を見てみる。

例えば、

いい歌を聴く。

例えば、

下手でも歌ってみる。

例えば、

「まずは自分」を少しだけ減らしてみる。

例えば、

「そんなこと言ったって、理想論だろぅ。今の世の中、そんなやわなことじゃ生きていけないしぃ~。
やっぱ自己主張して、やりたいように生きていければそれに越したことはないし~。
第一、楽しくないじゃん、そんなの。」
って言っちゃたらどうしようもないから、ここは一つ頭を切り替えて、人に優しくすることが、自分の
気持ちを清々しくすることに気がつく努力をしてみる。





「優しさの押し売り」

こんなギスギスした世の中は、これも大事かな、なんてことを思うのでした。


魔女の宅急便 サントラ音楽集
クリエーター情報なし
徳間ジャパンコミュニケーションズ
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拝啓、お元気ですか

ブログって、特にこのような病気の話題中心のブログって、いいなぁって思う。(手前味噌だけど)


基本、自分の好き放題書くのがブログだけれど、そんな、何気ない言葉の一つ一つに、実に多くの
人たちが、貴重な意見やら、たくさんの情報や、何より、力強い励ましの言葉を返してくれる。


日本の何処かで、もしかしたら見たことも聞いたこともない町や、ひょっとしたらごく近くから。




本当にすごいことだと思うし、本当にありがたいことです。
ほとんどの人が顔も見たことがないのに。









顔を見たことがない、つまりは会ったことがない・・・

それって・・・


今日、ブログのカウンターは33万8千・・・実数はさらに多くなる。

2006年8月の開設以来、実に多くの人たちが訪れてくれた。


そのほとんどの人には会ったことさえ、無い。


その、たくさんの人たち、皆さん、元気なんだろうか。



病気ブログに来てくれる以上、みな、何かしらの不調を抱えている。

自分のこと以上に心配してコメントをくださった皆さん、元気にしているのだろうか。




たくさんの力を頂いたにも関わらず、こちらから何かしようにも、そこがブログの難しい所でも
あり、忸怩たるところでもある。





結局、顔が無ければ目が無い。声も無い。

ブログの限界なんだろうか。




皆さん、お元気にしてますか。
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24年目

年を重ねて、24年目ともなると、お互い、その時何を考えているかとか、機嫌の具合とか、そんなものが
なんとなくではあるけど、わかる。


唯一わからないのは、お互いの懐具合か。






自分にとってありがたいのは、基本、いつも妻が「いつも通り」でいてくれること。

自分に限らず、表面上、他者に対する感情の起伏がない。

自分自身、それが一番苦手なだけに、尊敬すらする。


唯一心配なのは、自分と金銭感覚がずれ過ぎているところか。






4歳差、40数年前の4年差が、こうも情報の差をもたらすのかと思う時はある。

社会現象とか、流行り歌とか、外国人と話しているのか、とか感じる時もある。


でも唯一共通しているのは、その価値観。






性格が合うか、っていうと、合う合わないは別として、生まれつきの性格は真逆。たぶん。


派手な妻、地味な自分

おしゃべりな妻、無口な自分

話しをするのが妻、聞くのが自分

買い物好きの妻、買い物して後悔する自分

行き当たりばったりの妻、先が見えないとうなされる自分

きちんと感情をコントールできる妻、AB型の厭らしさを隠そうともしない自分

育ちのいい妻、育ちの悪い自分

子どもに厳しい妻、子どもから厳しくされる自分

読む本はひたすらファッション誌の妻、B※※K OFでしか買わない自分

バッグはブランドにこだわる妻、そこだけは同じの自分

・・・etc





こんな二人でも、今日、無事、結婚記念日を迎えられた。

平成元年結婚だから・・・23回目?

長かったような短かったような。


これから二人にどんな人生が待っていることやら。

恐ろしいような楽しみなような。




ただ一つ、真理というかなんというか、性格は、きっと真逆の方が長続きするのかな、なんてね。



老夫婦
クリエーター情報なし
ブックローン出版
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頑張るということ

一時期、例えば闘病で、もう既に充分頑張っている人に、「頑張って。」って言っていいのかどうな
のか、ちょっとした話題になり、そして震災の後、再燃。

震災で家族を失い、家屋を失い、家財を失い、何もかも失くした人に、気安く「頑張って」と声を
かけることにどんな意味があるのか、果たしてそれが被災者にとってどんな言葉となるのか、かける
側の自己満足なのでは、と。



「がんばろう!!日本」キャンペーンとか、「絆」キャンペーンとか、一瞬、高揚させてくれる言葉
はたくさん産まれたけど、何かが引っ掛かる人も多いのではないか。

もちろん、自然発生的に湧き起こったものなら、なんの否定もできないけれど。






2006年8月、このブログを始めるにあたって、最初に決めなければならなかった「タイトル」。


それまでの一年間、今では考えられない痛みと苦しみに耐え、直後にどうなるかわからない手術を
控え、半ば開き直りとも、やけくそとも思える精神状態だった時。

自分と、自分を取り巻く全ての者への、正直な気持ちを素直に表わし「がんばれ!肝臓くん。。」と。


一年間充分頑張った(つもり)自分に、敢えて「がんばれ!」





病院のベッドの上で、いつも思い続けていたのは、「早く家に帰って仕事がしたい。」と「前のように
仕事ができるんだろうか。」


病気が治るんだろうか、とか、死ぬんじゃないか、とか、まったく考えていなかったと言えば嘘に
なるけど、圧倒的に頭の中を占めていたのは前者。

なぜなら、家族がいるから。家族の生活がかかっているから。



もし、置かれている環境が違ったら、あそこまで頑張れたかどうか。

きっと途中で挫折していたように思う。





みんな、「何か」に向けて頑張っているんだろうけれど、自分の夢とか、希望とか。

家族の為とか彼、彼女の為、親の為子の為。病気を治す為、お金を稼ぐ為。


目的が無いと多分頑張れないと思う。




逆に言うと、目的さえあれば他人に言われなくてもきっと頑張る。






「頑張る」という言葉が話題になってから、自分でも「頑張って」と言うのに一瞬躊躇する。

頑張り過ぎないことが人生を生きていく上で重要という見方もあるかもしれない。


でも、自分の中では、頑張っている人には「頑張ってるね。」と言うし、頑張れる人には迷いなく
「頑張って。」と言える人でありたいと思ってる。



頑張る、ということ、それは誰の為でもなく自分自身の為。




だから、どんな時でも目標を見失わないようにすることが肝心だと思うし、それが最大の努力目標だ。






それでも頑張って! M(身長165-175cm)半袖Tシャツ
クリエーター情報なし
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嫌な感じ。

今日は朝から仕事で役所へ。

嫌な感じ。



でも、長居は無用、でパッパと片付け速攻で帰宅。

本当は午前中にやらなければならない仕事を、保留にしていたこともあって、昼休みさえ
取れない始末。

嫌な感じ。




昔はなんてこともなかった事が、今はとにかく疲れる。

昼食を食べられなかったせいか、夕方にはクラクラしていた。

嫌な感じ。




忙しいのは本当はいいことなんだけれど、それはそれで去年までは考えられなかった事態を
引き起こす。

さぁどうする。

今から悩んでもしょうがないけれど、でも悩みは大きい。

嫌な感じ。





どうなってんだ、いったい、この社会の仕組み。

おバカ政治家と悪代官官僚が紡ぎ上げるこの世界。

ホンっと嫌な感じ。




絶対ね、おかしいよ。

誰か、救世主いないのか、頼むよ。

永田町の、あの辺のと、丸の内の、あのすっとこどっこい共み~んな、そっくり取り替えて、
日本再生だ!


そうじゃなきゃ、日本沈没、だ。


やっぱ嫌な感じ。




「日本以外全部沈没」オリジナルサウンドトラック
クリエーター情報なし
ソニーレコード
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貧乏暇無し人生は

仕事がバタバタして、ブログ更新がおろそかになる。

単に忙しいだけなら、基本、仕事よりブログ優先なんだけれど、ここ数日、新規の依頼の連続で、精神的余裕
を無くしていた。



でもまぁ、将来的にはいいこと、中長期的に見ればいいことなのは間違いない。

ところがどっこい、いつどこでどうなるかわからないこの身体、もしもの時は、関係各所にゴメンナサイだ。





もうすぐ父の日だと思ったら、その直後は結婚記念日、それにしても一年中「・・・の日」で忙しい。

いったい、年間に何度祝い祝われればいいのか。忙しい。


これって日本人だけなんだろうか。



産まれ育った環境が、これがまた、誕生日だろうがクリスマスだろうが、いっさい御祝いごとをしない家庭
だっただけに、自身の家庭内で、妻に子供に、せっせと「お祝い奉仕」する自分が悲し×、嬉し△、忙しい◎、
そう、忙しい、のだ。精神的に。



忙しいのはいいことだ。





のんびりしたいなぁ、と思うことも、無いわけではないけれど、どうせあと何年か何十年か、知れてる人生、
ゆっくりするのは死ぬ時でいいかな、なんて考えたりもする。




数年後、子供たちが2人共就職した時、一気に重荷がなくなる。

忙しい生活に変わりはないだろうけれど、その時から何をするか、そろそろ真剣に、考え時かもしれない。
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総選挙

去年まで知らんぷりしていたくせに、今や握手券を手に入れ、総選挙にもしっかり投票していた
次男くん。

押しメンは「さしこ」、ではなかったらしい。




日ごろ、政治家のアホバカ振りにイライラのつのるばかりだったので、AKBの総選挙中継を見て、
少しだけ心が洗われる思いでした。



それにしても、一人一人のコメントに対して、ぶつぶつ独り言をつぶやく次男くんと、その横で
そっと涙を拭う妻、ハンカチの佑ちゃんが勝利インタビューを受けているので2画面表示をしたら
「見づらいっ!」と思いっ切り怒られるわたし。

平和だ。





イライラと言えば、東電の値上げに給与上げ、相変わらずの消費税論議にオザワの復権、河本の
同義的責任が問題なら、オザワの同義的責任はどうなんだ、えぇ。

どうよ、ヤワラちゃん。

なんかムカつくのは、みんなドロップ・キック!だ。


【プロレス Tシャツ】 ドロップキック 150
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週末

金曜日、昔なら「5時から男」に変身するには一番いい頃、今では「昼まで男」に成り下がっている。


土、日が関係無い仕事形態とはいえ、家庭内の生活パターンで考えると、やはり週末は疲れる。





子供が小さい頃、週末のたびにサッカーの応援やらキャンプやら、それこそ日曜大工だったり、ちょっと遠出
をしていたのが、シンジラレナイ。


なんと言っても、なんかしよう、というか、何かしなければ、と頭で思っても体が反応しない。





何もできない、のが不幸なのか、何かやらなければ、と思えることが幸せなのか。







それでもなんとか、少しでもエネルギーを充填すべく、努める週末。

結果、月曜の朝が、やっぱり一番元気だ。
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