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きた!!

いっきに降りました!雪!!
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Windows Vista

ウィンドウズの新バージョン Vistaが30日、ついに発売になる。

発売が延びていたので待ち焦がれた方も多いと思う。

XPによってかなり初心者向けに改良され、Vistaでまた、大きく変わって
きているようだ。

なんでも、立ち上げがかなり早くなったらしい。
3D表示ができるらしい。
新フォント(メイリオ・・・明瞭からきてる)になるらしい。
検索機能が格段に向上したらしい。
システムの信頼性が格段に向上したらしい。
・・・などなど。

これからXPに代わってVistaが主流になっていくんでしょうね。


思えばパソコンとの付き合いは長い。
24年前、いわゆるマイコンと呼ばれ、やっと一般の人が使うようになった頃。
まだ1台100万円以上していた頃からの付き合いだ。

当時はWindowsなど有るはずもなく、黒い画面に英字と数字だけが並んでいた。

言語もマシン語(機械語)とかベーシックとかしか無かった。
それからMS-DOSを経てWindowsが開発され、次々とバージョンアップされて
きた。

学生の時から新入社員、そして現在に至るまでパソコンの進化と共に歩んで
きたような気がする。

パソコンを始め、世の中色々なものがどんどん便利になった。
その反面、社会問題が増えたり、ハード自体も故障しやくすなったような気が
する。

便利になると弊害も増える。
電化製品は故障すれば簡単に修理できたり、買い替えたりすれば良い。
でも人間の体はそうはいかない。

人間の体だって完全に修理できたり、バージョンアップできたり、
そんな日が来るのだろうか。


でもやっぱり、機械には無い、愛情や思いやりの方がずっと大切なのかな。
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左足が!

結局、今日の検診では泌尿器科にかかり、おまけに膀胱の内視鏡までする
ことになってしまった。

内視鏡では問題ないので良かったが、血尿の原因は不明のまま。
医師に言わせると、何かはっきりとした病気があれば、対処できるけれども
このようなのが一番困るとのこと。

とりあえず大きな病気は無さそうで安心したが、来月また再検査だ。

肝臓が落ち着いても次々と色々なことが起こる。
もう開き直って、なるようになれって感じだ。


少し前から気になっていた足のむくみ。
最近特に左足が顕著だ。
肝機能値は標準に近いので、薬の副作用か、運動不足か。

健康だった頃は気にもならなかったことが、やはり少しの変化でも気になる
ようになった。

健康な皆さんも、少しでも体の変調に気付いたら、迷わずすぐ病院に行って
下さいね。
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尿が!

今度は尿!

一昨日から尿に血が混じるようになり、腹の具合も少し悪い。

食欲はあるのであまり心配していないが、明日26日の定期検査に尿の検査も
加えてもらうようお願いした。


手術後から血尿がなかなか改善されない。
検査の結果は常に+2か+3。
でも昨年9月には膀胱の内視鏡検査もし、12月の検査でも特に異常が
無いことが確認されている。

手術後ということで色々なことがある。
何か気になることがあった時、どうしても手術と結びつけて考えてしまう。

そこで、重要な本質を見落としてしまいがちだ。

自己判断があまりに危険であると充分思い知ったので、とにかく少しでも
気になることがあったら、医師に報告しようと思っている。

H大病院ではコーディネーターの方が常にアンテナを張って待っていてくれる。

多くの人のおかげで、こうして生きていられる。
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右腕が!

一昨日は整形外科へ。

右肩に始まり、右肘、右腕全体へと痛みが広がり、我慢しきれず病院へ行ってきた。
レントゲン検査の結果、骨に異常無し。
一年半近く振りに12月から本格的に仕事をはじめ、疲れは感じていたが、どうやら、筋肉不足が原因のようだ。

関節周囲の筋肉が足りないために神経に直接響くらしい。
ちょっと情けなくも、少しずつ鍛えねばと思う瞬間でした。

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まりもっこり

某店限定、まりもっこり! ↑↑↑
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ペコちゃん頑張れ!

       ペコちゃんは、何の罪もないのに・・・



・・・・・・

先日、次男にとっては人生を左右するかもしれない出来事がありました。

結果は、本人にとって最高の形となりました。

でも、次男にとってはその結果よりも、ずっと努力してきた過程の方が、より
価値のあるものを手に入れたことと思います。

小さな頃から(今も小さいけれど)手のかからない子でした。
親が言う前に何でもやってしまい、「○○終わったの?」「もうやったよ!」
というような会話も日常茶飯事。

大好きなサッカーもスキーも、好きとはいえない勉強も、とにかく一生懸命やって
きました。

6年生にしては決して恵まれない、小さな体で、それだけでハンディを抱え、
でも、だからこそ、気持ちだけは負けまいとする態度が親の目からも見てとれました。

小さな体と、幼児のような表情の中に、誰にも負けまい、とする根性が自然と
身に付いていったのだと思います。

そんな次男も、父親である自分の病気には誰より敏感で、妻の話しでは、相当
心を傷んでいたとのこと。

敏感な性格なものだから、急激な環境の変化に、精神的にも身体的にもかなり
つらいものがあったと思います。

それでも母を助け、入院中見舞いに来ても、常に笑顔を振りまいていってくれ
ました。


しかし、今回かなった現実、一度は完全にあきらめたことでした。

病気の父親の何ともしがたい状況。
それに全力投球の母親の姿。

まだ6年生の次男はそれらを全て受け入れて、自分を納得させていたようです。

病気の先行きがまったく見えない頃、次男は母親に言ったそうです。
「○○○はさあ、○○には行けないんだよね」

母親である妻は「○○○は本当はどうしたいの?」

その後、妻が聞くたび、次男は本心を言わなくなったそうです。


それでも、頑張っていれば何とかなる、夢は必ずかなう、じゃないけれども、
周りの協力も得、目標を目指せることになり、それからというもの、目標達成
に向かってまっしぐらでした。

不思議なもので、次男の頑張りに引っぱられるように、私の病気も良い方向に
向かったような気がします。


私と同様、次男もたくさんの人に助けられています。
頑張れば、頑張っていればみんなが助けてくれる、自分の力だけではない
ことを次男もつくずく感じたと思います。


昨日次男に
「○○、頑張ったらいい事あるね」って言ったら、
「うん!!」

次男は満面の笑みで答えてくれました。

そう、頑張ったら本当にいい事がある、心の底からそう思ったかんぞうでした。


PS:ペコちゃんも頑張れ! ポコちゃんもね!!
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新庄の左眼

北海道を明るくしてくれた元ファイターズ新庄。

昨年、残念ながら現役引退してしまったが、その原因の一つが脚の故障と言われて
いたが、一昨日のテレビで、一番の原因は左眼の視力低下であった、と本人が語って
いた。父親が同じ状態で、自分も徐々に症状が現れてきたという。

右バッターにとって左眼の異常は致命的だ。

それにしても、言われないと分からないもので、あの明るいキャラクターからは
想像もつかなかった。


そういえば手術後、同じような患者さんと右腹を抱えながら、「人とぶつかると、
ホンと怖いよね。」と話していた。

大人の腕や子どもの頭、肩など、動きの激しいものの位置が、ちょうど肝臓の位置、
痛くてたまらない部分に当たるのだ。

外見的には点滴でも携えていない限り、普通の人と同じなので、相手に自分の状況
は伝わらない。

病院を出て街中を歩いた時などは、常に自分の手でしっかりとガードしていた。

身体の障害にもいろいろ有る。
一見して明らかに分かるものもあれば、言われなければけっして他人には分から
ないものもある、ということに、身をもって気付かされた。

表面的には元気で、明るくて、人に元気を与えてくれるような人でも、実際には
障害を抱え、また障害とまではいかなくても、人には言えないものを背負っている
人がたくさんいるのだろう。

そんな人だからこそ、他人の痛みを理解して、元気一杯振舞っているのだろうとも
思う。

難しいことだけど、是非そんな人間になりたいもんだ。


新庄はまた、「楽しもうよ。楽しまなきゃ自分の本当の力は出せないよ」 とひちょり
達に話していたという。

そう長くもない人生、楽しまないとだめですね。
病気になったのもまた人生。
多くの人に救われたのもまた人生。

これからの人生もいろいろたくさんあるだろうけど、何があっても、たとえそれが
辛いことだったとしても、それさえも楽しみに変えて生きていければ、
きっと笑って人生を終えられるような気がする。
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★1月もクリスマス★

年末年始、春のような天気だったのに、いまやすっかり一面雪、雪、雪。北海道の冬はこれからでしょうか。
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メールのチカラ

      正月太りでこんなになってませんか? ↑↑↑




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<・・・一年前>

・・・2005.11月下旬~

移植手術後、しばらくは携帯電話を与えられなかった。

持っていたとしても使えなかったのもあるが、とにかく外と連絡が取れないので、
脳症のせいで被害妄想の時など、「家が地震の被害にあったのに連絡が取れない」
と言って騒いで看護婦さんを困らせたりしていた。

字を書く事と同様に、手先の細かい作業がとにかく辛かった。

手の震えが止まっていなかったし、目の焦点も定まらない。

連絡したい時にできないものだから、かなりストレスを感じていた。

そんな状況なものだから、肝性脳症が薄れ、自己判断がある程度できる様になり、
妻から携帯電話を与えられた時はうれしかった。
今や当たり前の事が、その時はものすごくうれしかった。

病院なので、使用できる場所と時間は決められているのだが、皆メールはOKと
いう感じで、最低限のマナーは守りつつ、病室で使っていた。
(本当は病室ではメールも禁止なのだが)

検査の無い時、回診の無い時は皆ひまだ。
時々看護士さんがやってくるくらい。

しかも夜になるにしたがって、皆寂しさや不安感が募ってくる。
そんな時、メールのやり取りはとても大切な時間となるのだ。

携帯電話を手にして以来、妻や友人と何度メールをやり取りしたかわからない。
少なくとも自分にとって最大の武器だった。

言葉で伝えられないことが、メールで、文字で、伝えられることがある。
そういう意味では、ブログなんかも同じようなものだと思う。

このブログは、2度目の手術の2週間程前に始めたのだが、ブログを通じて自分
を客観的に見る事ができた。
嫌で嫌でたまらなかった手術を冷静に乗り切ることができたのも、ブログの力が
かなり大きかったと思う。

そして今、こうしてブログを発信し続けることが、自分の為になり、病気と前向
きに向き合うことのチカラになっている。


・・・励ましのメールや報告のメール、涙で打った落胆のメール、必ず元気付けて
くれた妻からのメール、叱咤激励のメール、たまには”喝”!!のメール、

妻とのメールのやり取りで、携帯電話の容量はすぐに一杯になった。
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肝性脳症からの脱出

  紅白に、あまり興味はないけれど、やってくれました DJ OZMA!!



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<・・・一年前>

・・・2005.11月下旬~

多分、11月下旬か12月初めだったと思う。

移植手術以来ずっと苦しめられてきた肝性脳症の症状が薄れていき、夜もあまり変な
幻覚に襲われることが少なくなってきた。

一つの要因は免疫抑制剤の種類を換えたこと。

それまで服用していたプログラフという免疫抑制剤を一時的にネオーラルという薬に
換えて以来、自意識が鮮明になってきた。
もちろん移植手術から日にちが経ち、状況が改善してきたこともあったのだろう。

とにかく12月に入ってからは周囲も驚く程、意識がしっかりしてきた。

夜に恐ろしい体験をする事もずっと減ってきた。

恥ずかしながら、この頃になってようやく、自分の体におこったこと、事の重大性に
気付き、理解し始めてきたのだ。

そして自分の中ではすでに一冬が過ぎ去り、入院して2度目の冬を迎えようとしてい
た。時間の感覚が麻痺していた。

毎日来てくれていた妻に色々聞かされ、少しずつ手術前のことからの状況がわかって
きた。

それでも手術のことはもちろん、その前後のこともまったく思い出せなかった。
それは今も変わらない。

手術後のことも2ヶ月間位は断片的にしか覚えていない。
強烈に覚えているのは、色々な経験をした肝性脳症の恐怖だけだ。

とにかく”気”は戻った。


12月、一度退院の話しもあったが、話しだけで終わってしまった。

体調も段々良くなり(あくまでも前に比べて、という程度だった)、早く我家に
帰りたかったが、実際の状態は自分の思っているのとは、かけ離れていたようだ。


段々と、段々と、自分の思いとは裏腹に、病院の主へとなっていくことになる。
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新年だ~~!!

      ★皆様にとって良い年でありますように・・・★
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