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退院後の生活

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<・・・一年前>

・・・2006年 2月17日


とても長く感じた半年だった。

突然の発病、1か月の透析治療、移植手術、拒絶反応、肝性脳症、思いもよ
らない数々の出来事。

自分の中では一年以上は病院にいたような感覚だった。
実際、前年暮れに一度、父に「今年は何年?2006年?」って聞いた覚え
がある。
「違うよ、それじゃあ一年過ぎたことになるしょ」
「えっ、年越してないの?」
こんな感じだ。

だからこの日、半年振りの我が家があまりにも懐かしく、そしてなんとも言
えない違和感があった。

それでも我が家、また元の生活に戻れる喜びで一杯だった、と言いたいとこ
ろだったが、抱えるものが多すぎて、単純に喜んでばかりもいられなかった。


まず体調面では,まだまだ残る倦怠感、そして足のむくみ。
特に左足のむくみは日増しにひどくなり、元々履いていた靴は履けなくなって
いった。

そして薬の量。
退院時、かなり減ったとはいえ、やはり自己管理の上で飲むのは思ったより
大変だった。
「アミノレバン」は特に大変だった。
普通ではとても飲みたくはない味、それを毎日3食後に飲むので、食事の量
も考えてしまう。

他にも一日3回、体重・体温・血圧・血糖値の測定、摂取水分量や排便の回
数、etc・・・と一日に占める割合はかなりのもの。

体調の悪い時などは、一回の薬を飲むのに1時間かかったこともあった。


とはいうものの、やはり少しでも早く日常を取り戻さなければならない。

知らず知らずのうちに焦り始めていた。
半年の入院はあまりに長い。
仕事も早めに復帰しなければならない。
家庭のこともやるべきことは山積みだ。

それなのに自分の体は入院前の状態にはほど遠い。


それでも2月末からは少しずつ仕事を開始。
不思議な感覚と、なんとも言えない不安を抱えたまま、仕事は忙しくなって
いった。

もう入院することはないだろう、と思う気持ちと、このまますんなりいくこ
とはないのかな、と思う気持ちと。

・・・入り混じっていた。
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一度目の退院

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<・・・一年前>

・・・2006年 2月17日


退院が17日に決まった。

決まると退院に向けてやる事がたくさんある。
まず、薬を良く把握しなければならない。
外泊が始まった頃から、看護婦さんと薬剤師さんに教わってきたので、
少しはわかっていたつもりだったが、いざ退院となると簡単に考えるこ
とができず、何度もパンフレットを読み返していた。

そして血糖値の測定器のレンタル。
インスリンは処方されるが、機器類はレンタル。
これはH大病院の場合、第二内科の管轄となる。
以後の外来受診も、この件に関しては第二内科を受診することになる。

あと栄養相談も。
主に食事で注意しなければならないこと。
でもこれは、話しを聞いていて、あちら注意すればこちらかなわず、で
何を食べたら良いのかわからなくなった。
要するに、栄養があって新鮮なものを食べていれば間違いない、と勝手
に解釈してしまった。


14日には肝生検。
この時の先生の話しでこれまでの過程がやっと少しわかった。

・放射線科での治療を考慮しているうちに、それまで停滞していた肝機
 能値が、どんどん良くなってきたこと。
・それはおそらく、1月末から服用を始めた「アミノレバン」が有効に
 働いたのではないか、ということ。
・ただ、その状況があくまでも薬によって保持されているもので、今後
 シャントを閉じる必要性があるかもしれない、ということ。

こんな内容だったと思う。

どうしても引っ掛かるのはシャントの手術のこと。
そしてず~っとず~っと引きずることになる。


この日は(14日)、同室の3人が次々と退院していった。
今までも何度も4人部屋に1人になったことがあったが、それまでと違
って自分も退院を控える身、寂しさは無かった。

それから前日・当日までMRI、CT検査など受けつつ、2月17日、
やっと退院の日を迎えることができた。



2005年8月17日の突然の入院から、ちょうど半年が経っていた。
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退院できる?

今朝は月に一度の町内のゴミ掃除&廃品回収の日。

何年分もの図面と書類がクロゼットに詰まっていたので、これを機会に一気
に処分。と考え、不用な図面を次から次と廃品回収に。

3帖のクロゼットこんなに入っていたのかと、驚く程の量の図面の山。
今までは色々考え捨てられなかった物まで出した。
なんか病気を忘れるためと言わんばかりに捨ててしまいました。

後で困っても、その時はその時。スッキリした~。



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<・・・一年前>

・・・2006年 2月7日


この日の回診では以外な話しをされた。

思ってもいなかった放射線科での治療。
懸案であるシャントの手術を放射線科でやるというのだ。
やはり開腹手術は医師達も避けたいらしく、レーザーを直接患部に当てて
治療したい、ということで放射線科と調整中だということだった。

あまりに以外な話しだったので、あっ気にとられてしまった。
「なんで放射線科なの? 放射線科で何をするの?」

案の定、妻の反応もこんな感じだった。


こうしてシャントの手術に向けて、自分を取り巻く全ての人の迷走が始まっ
た。


ただ、こうも付け加えられた。
「現状はどんどん回復してきているので、今やる必要はありませんよ。
経過をみて、今後検討していきましょう」

これで少し安心したのだが、「今やらない」のではなく、「今やれない」
という状態だということに、後々気付くことになる。


それでも数値は良くなってきていたので、現実として”退院”に向け、具
体的な話しがあり、10日、家族と共に今後の方針を含め説明を受けるこ
とになった。
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