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昼饅

昨日27日は3週間振りの定期検診。
しかも前日の検査結果によっては、腹のチューブが外れるかもしれない
ので、期待と不安が微妙に入り混じって病院へ。


午前中の採血の後、去年の年末年始に同部屋の、Kさんと再会し、近況
報告で盛り上がった。
Kさんはすっかり元気になり、仕事にも復帰、地方出張にも出かけてい
るそうで、自分もかなりパワーをもらうことができた。

同じ病気を患い、同じ苦しみをあじわい、同じ治療を続けてきた方との
会話は本当に励みになる。
何だかんだ言っても、同じ立場の人間にしか分からない事って結構ある
のだ。


Kさんと別れた後は、診察が14時30分の予定だったので、運動不足
解消もかねて、いざ散歩へ!
天気が良かったので、ちょっと距離はあったが札幌駅まで向かった。

目的は一つ、そう「昼饅」を買うために!

今、大人気商品「昼饅」。ファイターズ優勝記念として、ヒルマン監督
にちなみ、1個88円の饅頭です。(グローブ、ボールの2種類あり)

ところがデパートに着いてみると、地下食料品売り場は人、人、人。
しかもオバちゃん、オバちゃん、オバちゃん。

ファイターズ人気というよりも、優勝記念セール恐るべし!?

ということで、もちろん直ぐ完売!
並ぶ間もない、オバちゃんパワーに屈した瞬間でした。



体調が良いので、そんな余裕を持ちつつ、病院へ戻り外科外来へ。

ところが、というか、やっぱり、というか、血液検査の結果、肝機能値
が上昇、チューブが外れるどころか、肝生検の為、一泊入院が必要と言
われショック!
とりあえず、週明けに造影検査をして判断するという事になった。

診察前に病棟の2人の看護婦さんと再会し「又お世話になる時は宜しく」
などと冗談を言っていたが、現実になりそうで後悔。

肝臓が正常に大きくなっていく過程で、拒絶反応が出るかもしれない、
と医師に言われていたが、そうであれば良いのだけれど??


とにかく3本のチューブと1袋の胆汁袋を、大事そうに持ち帰った昨日で
した。
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ありがとう!北海道日本ハムファイターズ!!

北海道日本ハムファイターズ 日本選手権シリーズ優勝、やりました!


11連勝以来、特に夏の終わりからの凄まじい勢い、感動しました。


再手術前の一番苦しい時期、術後のリハビリ期間、精神的、肉体的に
大変な時、大きな勇気をもらいました。


スポーツで感動する事、スポーツだから感動する事、負けて泣き、勝って
笑い、無機質な今の世の中だからこそ、その力は偉大だと感じました。


ありがとう!北海道日本ハムファイターズ!!



”クール”も
いいけど、やっぱりスポーツは”熱血” だ!だ!だ!




 ところで明日は検診日。
今日の検査の結果が分かる。
楽しみのような、不安なような、中途半端なこの気持ちが晴れ晴れすることを
期待している、んだけど。
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ちでじ。

ちでじ、「地デジ=地上デジタル放送」の略 って、んなもん略すな!
地上デジタルでいいだろう てなことを思いつつ、それなら、

ちでじ、「血で自(知)=血の検査で自分を知る」のほうがいいでしょ、
なんちゃって

などとバカを言いつつ、ついに明日は再手術後、初めての検査。
CTにエコー、シンチGSA と一日がかりの検査だ。

入院中だと毎日のように検査があったので、慣れてしまっていたが、
久しぶりでやや緊張している。
この結果次第では、3本のドレンをはずしてもらえるかもしれない。

半年以上、常に右脇腹に穴が開いていて、違和感や痛みが付きまとって
いる。
今でこそ、日中はあまり気にならなくなったが、就寝時はその存在感
が際立つ。睡眠不足にもなる。

胆汁をコントロールする為とはいえ、ドレンと袋をぶら下げていなけれ
ばならないのは、結構精神的にも疲れるのだ。

順調に回復している実感はあるので、肝臓の大きさもかなり戻ってきて
いるような気もする。

どんな結果になろうと、昨年の今の時期の最悪の状態に比べれば、本当
に夢のようで、色々なことに感謝、感謝である。
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子供に伝えられること。

ここ北海道では、まもなくスキーの季節が始まる。


そこで夫婦のこんな会話。
私「暖かいうちにスキーのワックス掛けしなきゃね」
妻「お父さんは教えるだけにして、子供達にやらせてよ」

まだまだ本調子ではない私を気使ってのことかと思いきや、それだけ
ではないようだ。
妻「少しずつでも、子供達が何でもできるようにならなきゃ」

そういえば、今までは何でもかんでも自分でやってきたなあ、と少し
反省。
実家が農家で納屋のある環境。昔ながらの生活。
見渡せばすべて手の届く所にあったので、小さい時から何でもやって
きた。
そんな調子だから、自分でやらないと気が済まない。


でも妻の一言で大きく反省。子供達に伝えていかなければならない事
はたくさん有るんだなあ、と。
この一年、妻と二人の子供、たった三人だけで家庭を支えてきたのだ。
家庭内の事から学校の事、仕事の事、会社の事、そして病気の事。
妻にとって、子供達にとって、初めて対応しなければならない事が、
あまりに多すぎた。(数えあげたら切りがない・・・らしい)


自分が入院する度、子供達に「お母さんを手伝って、三人で協力して」
などと軽く言っていたが、これも強く反省。
子供達に何も伝えていないではないか。
できる事を子供達に期待しつつ、それ以上を求めていたのも事実。


自分の体だってこれからどうなるか分からない。
又入院なんて事もありえない事ではない。


子供達が社会人として親離れするまでに、自分から伝えられること、
教えられることはそんなに多くはないかもしれないけれど、大人にな
って普通に生活できるように、できれば子供達が父親になって、その
子供に何か伝えられるような、そんな環境造りができればいいな、と
思う今日この頃でした。




・・・ちょっと待て!スキーをするには体力が???
今日から虎の穴で地獄の特訓だ!!!
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生体肝移植手術

♪君の寝顔が~ 激しすぎるから~♪ のTVCMではないが、病室
のベッドで寝ていると、無防備になる。

体調が悪く、疲れて寝ているので仕方ないが、今思い出すと結構はず
かしかったりする。

誰かスポーツ新聞でも掛けておいてくれればいいのに・・・・・のに。





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<・・・一年前>

・・・2005.10月4日

とにかく今振り返っても、移植手術前後の事は、良く思い出せないのだ。

確かに当時の状態は相当悪かったらしく、いつ頃からか自分を意識できな
いでいた。

術前、ICUに移ったのだが、その時のことがわずかに思いだせるくらい。
医療機械や計測器具の鳴り止まない音と、やたらと明るい部屋。
医師と看護士が挨拶に来てくれたことは記憶にある。

何日ICUにいたのか、いつどうやって手術室に向かったのか、まったく
覚えていない。

10月4日、手術の日。
ドナーになってくれた姉は、歩いて手術室に入ったそうで、自分はICU
の隣の手術室へストレッチャーで。

朝8時手術室入室、終了翌朝2時30分。

手術の内容は ここ

術後、ICUに戻ってから、目覚めた時の記憶もない。

気付いた時は、脳の機能障害による恐ろしい体験が始まっていた。


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肝炎の前兆

退院して以来、人と会う機会が多くなった。

そして、ようやく病気のことを振り返って話せるようになってきた。
そこで良く聞かれるのが、発症する前のこと、病気の前兆である。

よくよく話しを聞くと、自分自身がのキャリアであったり、家族や知人に
キャリアの人がいたりと、B型肝炎ウイルスのキャリアが結構多いので驚
いた。
やはり自分と同年代、過去の注射針の共用など何か共通事項があるのだろ
うか。



----------
いつからこんなことになってしまったか。

2005年、直接のきっかけは8月14日、嘔吐してしまい、休日の当番
病院にかかったことから始まる。

確かに腹部の違和感と強い疲労感はあったのだが、その時は前日までの道
東への出張の疲れが出たのだろう、程度にしか考えていなかった。
もちろん自分がB型肝炎ウイルスを持っていることなど知らなかった。

だから、きっかけを聞かれても 「いや~それがさ~、ほんと急にさ」
と答えてしまうのだが、今冷静に考えてみると、関係あるかないか分から
ないが、前兆といえるものがあるにはある。

① 肩痛と頭痛
 2005年7月初旬、肩から背中にかけてのひどい痛み。
 すぐ後頭部にも痛みが広がったので近くの内科に行く。
 内科では特に血液検査をするでもなく、脳外科への紹介状を渡される。
 その足で脳神経外科へ行くが、やはり異常無しの診断。
 その後10日程で少し良くなったので、仕事の忙しさに間切れてしまっ
 た。
 
 この時、血液検査をしていたなら、というのが今にして後悔しているこ
 と。

② 低炭水化物ダイエット
 文字通り、炭水化物を控えるダイエット。
 上記の頭痛の後、健康も考慮し低炭水化物ダイエットを始めた。
 結果は当初70kgが66kg と-4kg減量。
 米飯類は食べられないが、野菜などは食べ放題なので空腹感はほとんど
 なかったが、食事の全体量は減っていたのかもしれない。

 これは全然関係ないのかな?


他に考えられる、前兆というようなものは思い浮かばない。
とにかく去年の夏、いきなり頭を打ちのめされ、秋・冬・春・夏と四季を
感じることもなく、一年ワープしてしまったような、夢のような感覚なの
である。
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2年振りの・・・

昨日は妻の○○歳の誕生日。
で、久しぶりに家族そろっての外食。

楽しいはずの食事だが、話題はどうしても一年前にさかのぼる。
昨年は、ちょうどICUから個室に移った日なのだ。

「去年の今頃はねえ」とか「どうなることかと思ったよ」とか
別世界のような話しなのだが、ほんの少し前まではその状態から
なかなか抜け出せないでいたのだ。

今となってはまったく当時の記憶は無く、もちろん誕生日の認識
など有るはずもない。
だから「おめでとう」の一言さえ、かけてあげられていない。

それどころか苦しみと悲しみの真っ只中にいたのだ。

女性にとって、○○回目の誕生日ともなるとあまりうれしくもな
いのかもしれないけれど、確かに○○年前にこの世に生まれてき
た証しなのだから、誕生日って貴重な一日だと思う。

去年の分まで祝ってあげることは簡単なことではないけれど、少
しだけでも、この一年間苦労かけっぱなしだったから、それには
到底及ばないけれど、感謝の気持ちが伝わっていたら良かったか
な。

昨晩は家族4人、久々に笑い合える楽しいひと時でした。



PS: Kさんご夫婦、結婚記念日おめでとうございました!
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生体肝移植手術に向かって PartⅡ

昨日、今日と北海道は一気に気温が下がった。

免疫抑制剤を服用している身にとってはこの季節、風邪などには特に
注意しなければならない。

自分でできる事といえば、手洗い、うがい、マスクの着用それに充分
な睡眠と栄養。
調子のあまり良くなかった頃は、結構適当だったりしたのだが、再手
術後、体調が回復してきてからは、逆に少し神経質な位、気にするよ
うになった。
そう、気持ちが守りに入っているのだ。

体のことを考えるとその位の方がいいのかとは思う。
今できる事はまだ限られている。思うようには体がついていかない。

でも、慎重に過ごしつつも、できる事はどんどんやっていきたい。
色々葛藤もあるけれど、悩みも不安もあるけれど、



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<・・・一年前>

・・・2005.9月20日

9月20日、K病院からH大病院に転院。

救急車が手配できないのと、日常の意識はまだはっきりしていたので
父の車でH大病院に向かった。
さすがにこの頃は体力的に相当きつくなっており、通常の入院手続き
をしている妻を待つ時間が、長く辛かったことを覚えている。


7階外科病棟の個室に入った。

K病院でも一ヶ月個室だったので個室には慣れていたが、それから向
かう現実を考えると、そこはかと無い不安感に駆られていた。

H大病院ではすぐ検査が始まり、毎日毎日検査の連続。
K病院でも考えられる検査は一通りしてきたが、やはりH大病院でも
一通りの検査。
MRI、CT、X線、脳波、心肺、呼吸器・・・
歯も手術に影響するので、歯科も受診した。

絶食ももちろん継続、点滴は24時間していたが、透析はやめていた
ので体調はどんどん悪くなっていった。
意識だけはそれまではっきりしていた(と自分では思っていた)が、
その意識もだんだん心細くなっていった。

移植手術日が10月4日に決まったのも、良く覚えていない。

妻は毎日来てくれて、身の廻りのことをやってくれていたが、今でも
良く思い出せない。

医師が何を言ったのか、看護士が何をしてくれたのか、顔さえも良く
覚えていない。

まったく自己判断ができぬまま、手術へと向かっていく。

あんなに移植手術を拒否していたのに、ドナーの姉に何も伝えられぬ
まま、妻に、家族に 「行ってくるよ」 とも言えぬまま、生体肝移植手
術の日を迎えることになる。
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尿が!

今日は定期検診。

今回から3週間おきなので、病院に行くのも久しぶりだった。
去年の入院以来、こんなに病院と離れるのは初めてだったので
少し心配したが、血液検査の値は良好!でも尿に鮮血。

これは入院中からで、原因がわからない。
泌尿器科でも詳しく検査したが、原因が良く分からない。
なんでだろう?

一番考えられるのが、今まで散々苦しめられた結石!
その痛みといったら半端じゃない。
一晩中痛み止めを打ってもらった夜もあった。

医師からは水分を多く摂るよう言われている。
入院中は毎日1500ml位摂っていたのだが、自宅ではなかなか
上手く摂れていなかった。

明日からはペットボトル片手に行動だ!!
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夢と希望

今日10月4日は、1歳の誕生日です。(某CMのようですが)

昨年の今日、生体肝移植により新しい命(肝臓)を幸運にも得るこ
とができ、今こうして生きています。

長い長い、でもあっという間の一年間でした。

まったく突然の発病。考えもしなかったB型肝炎ウイルスの保菌者
であるという宣告。
劇症肝炎を発し、透析治療、生体肝移植、その後の拒絶反応との
闘い、何度も薬の変更、結石による激痛、6回の入退院、そして再
手術。
自分のふがいなさ、妻を始め家族への負担、先行きの無い不安、
なんといっても二人の息子に与えてしまった大きすぎる影響、今振
り返ってみても悲しくなるばかりです。
恥ずかしながら、病室で、ベッドで何度泣いたか分かりません。


それだけに、こうやって一年目を迎えられたことが夢のようで、も
う二度とこのような体験はしたくない、ずっと健康でいたい、家族
みんなで暮らしたい、こう願う気持ちは益々強く・・・


苦しい時、辛い時、そばには常に妻がいてくれました。
自分自身の苦しみを必死で胸にしまって、いつも力付けてくれまし
た。
再手術の後、ICUで目覚めた時、病室に戻ると思っていたので、
手術は失敗だったのかと思っていた。
「ICUにいるから心配してるかと思って。手術は大成功だよ。
やるべきことは全部できたって!」
朝早く、面会時間が始まると同時に、枕元に妻の声、最高にうれし
い瞬間だった。

父は雨、雪や吹雪の日も決して近くはない距離を、毎日見にきてく
れました。居るだけで大きな存在、自分には無理だなぁ。

姉は仕事帰り、妻と交代で、何もできない自分の為に、通ってくれ
ました。やっぱり姉も、この一年明るい顔しか見たことがない。
自分の前では皆、明るく強く振舞ってくれました。

子供達、学校帰り、真っ暗で寒い家に帰らせてごめんね。
遊びにも行けなかった。大好きなスキーも、サッカーも、勉強も見
てあげられなかった。本当に良く我慢したと思う。

ドナーになってくれた姉、ついに今まで、辛い表情や苦しい顔を見
せなかった。痛くないはずがない、体調だって悪かったろう。
二人の娘だってどんなに心配したことか。
手術後の姉、娘に「泣くんだったら来るなって言ったでしょう!」
二人の姉は強かった。そして強烈に優しかった。

妻の実家からは、遠いところ、義父母、義姉が何度もお見舞いに来
てくれました。義父と義姉は自らの病気と闘いながら。
それなのに義父、義姉の入院・手術の時、妻を実家に帰らせてあげ
ることさえできなかった。
義母は周りに3人も病人を抱え、大変だったろう。

たくさんの友人からの励まし、過ぎる位の勇気をもらいました。
自分の知らないところで、どれくらいの協力を受けたことか。
辛い時の人の優しさは、何十倍にも感じることを知りました。

ここまで支えてくれた医師、看護師、休日の当番病院にかかったこ
とから始まった闘病生活。その病院がS病院でなかったら。
4ヶ所の病院の1つでも欠けていたら。
一人の医師、看護師が欠けていたら。F医師に出会わなかったら。

ほんの少しのタイミングとほんの小さな奇跡で、絶望の中から希望
を得ることができました。

私にも夢や希望はあります。
この先、その夢や希望が叶えられるのか。きっと難しいと思います。
でも、あきらめない力だけは、この一年で学んだので、目標に向か
って一日一日、あせらずゆっくりと過ごしていけたら、いつかは・・・


人間って、けっして一人では生きていけない!!
だから図々しくも、言っちゃいます。
みんな!これからもよろしくお願いしまっす!!!


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生体肝移植手術に向かって。

今日は秋晴れ。天気がいいと心も落ち着く。

余裕があるから、去年の今頃は、なんてことを考えてしまう。
最悪だった頃と比べても仕方ないのだが、今の状態につくずく幸せを
感じつつ、不安感を押し殺しながらの毎日です。


ここ数日、体内から出ているドレン(チューブ)の出入り口が痛い。
3本のうち2本はクランプで止められ機能していないのだが、1本は
毎日450~500mL位の胆汁を排出している。
順調にいけば、今月末には抜けるそうなので、それまでの我慢かな。




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<・・・一年前>

・・・2005.9月20日

K病院での一ヶ月間は、驚きで始まり、希望と絶望、そしてあきらめ
で終わった。

何とか移植手術を回避しようと、絶食に耐えながら、検査に継ぐ検査、
24時間の点滴、透析、血漿板交換、血液検査の結果に一喜一憂し、
期待を持ち、そして落胆。
まさに医師と看護師さん、透析の技術者の方、もちろん家族、みんな
で闘った一ヶ月だった。

でも、悪いなりに維持はしつつも、やはり回復するまでには至らなか
った。
O医師、A医師、最大限の努力をして下さり、H大病院のF医師共々
本当に真剣に対処して下さった。

9月中旬、最終的に3医師の判断により、これが限界とされ、移植手
術への準備に向かう。
2人の姉が適合検査を受けてくれていて、次姉がドナーとして適合し
ている、ということは聞かされていた。

初めて生体肝移植について説明を受けた頃は、「健康な体に傷を付け
るなんて」とか「何でそうまでして」とか、移植というものに強い
抵抗感があって、否定ばかりしていたが、この頃になると、体力の衰
えに気力の衰えが加わって、移植というものを考える余裕すら無くし
ていた。
なすがままだった。

生体肝移植手術をすれば助かるのか、助からないのか、ドナーとなる
姉は大丈夫なのか、見守る家族の気持ちは・・・
こんな大事なこと、この時にしか考えられないこと、情けないことに
自分の中にそれらを受けいれるものが、もう残っていなかった。


9月20日、大きな不安を抱えたままK病院からH大病院に転院する。

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臓器売買

臓器売買で初の逮捕者が出た。
昨年9月に行われた生体腎移植において、ドナー(臓器提供者)が
親族以外で、しかも金品の受け渡しがあったという。

肝移植とは、その歴史や基準でかなり違う部分もあるようだが、な
んとも言えない気持ちにさせられた。

もちろん法に反することで、絶対にあってはならないこと、これは
厳しく取り締まってほしい。
ドナーが見つからず、移植を諦めている患者さんはたくさんいるの
だ。でも皆、前向きに明るく、病気と向かい合って闘病生活を続け
ている。

K病院で透析治療を受けている時、周りはほとんどが腎臓の透析の
患者さんだった。明るく頑張っている人もいたが、辛そうな人は、
本当に辛そうで、それでも頑張っている姿にいつも勇気をもらって
いた。

人はみな長く生きたい。ずっと健康でいたいと思う気持ちは共通だ
と思う。
臓器売買の裏でどんな事実があったのか。移植しか生きる道がない
という現実の中で、患者と親族にどんな葛藤があったのか。

ただ悪いことは悪い、と片付けないで、是非、色々な観点から調査
をしていってほしいと願うばかりです。

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容疑者でもある患者が、布を頭にかぶせられ、車で運ばれていく
TV映像を見て、心の底から悲しくなった。






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