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されどヘブスブリン

このちっぽけな点滴の為に右往左往する毎日です。



怒られました、検診から帰って妻に!

そう、「何でその場でヘブスブリンをやってもらわなかったの!」と。

まぁ、保険適用が復活してから、妻とはこの点滴のことで色々と話をして
きましたが、数値が安全圏とはいえ抗原が陽性になってしまったのは事実
です。

普通に考えれば、元々当然のように、いや強制的に投与していた(されて
いた)ヘブスブリン、保険適用がまた認められた今、投与を復活しない理
由がありません。


自分なりには将来的なことも考慮し、バラクルードで効果が出ている以上
投与しないつもりでいましたが、移植医療ということを考えた時、決して
自分一人では決められない、そんな思いもあり、投与することにしました。


というわけで今日朝一でコーディネーターさんに℡、午後からヘブスブリ
ンを投与して貰うだけに行ってきました、病院へ。
(ちなみに今日は3,000単位の投与でした。)




それにしても、いまだに疑問なのは、いくらバラクルードなど新薬で効果
が出ているにしろ、あれだけの状況で強制的に投与され、まさに決定打か
のごとく扱われていた「ヘブスブリン」の保険再適用となるにつけ、その
投与の、するか否かを患者の判断に委ねられたことです。


バラクルード等の効果が絶対のものとわかっている段階であれば別ですが。


それについては、先日の検診時、先生からは気になる言葉を聞いていたり
もするのですが。
ほとぼりが覚めたら、ブログに書きたいと思っていることでもあります。



ともかくこれでバラクルードの長期的効果は自分にとってはまたゼロに戻
りました。
ヘブスブリンが使えなくなった時には又、実験の再スタートです。



でも妻に言われた一言が、今の自分の、移植医療の現実だと・・・思って
います。


「今はそんな将来の事を考えるより、今再発しないこと、今元気でいるこ
とのほうがよっぽど大事でしょ。今、何かあったら将来も無いんだよ。」
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どう考えたらいいのか・・・

なんともいえない笑顔で、しばらく何も言おうとしないF先生を見て、

「あっ、何かあるな」

と瞬間的に思った。

いつもなら第一声は、

「元気そうだね」とか「変わりありませんね」とかだから。



「実はHbs抗原が陽性になりました」


笑顔で言われたものだから、冗談を言ってるのかと思った。



こちらが反応する間もなく先生の説明、それによると実は前回の検診時
(3月14日)の時点で既に陽性反応があったという。

値としては0.09で、基準値として設定している0.10を超えてい
ないので、無駄な動揺を与えてはいけないという考えで、伝えなかった
という話しだった。


で、今日の結果を待っていたらしいが、0.07で、逆に下がっている
ので問題は無いという。


この陽性反応、亀太郎さんともう一人の方に次いで三人目という。



問題は無いと言われても、そもそも数ヶ月前だったら即入院、ヘブスブ
リンの24時間投与になるところだ。

気にならないはずがない。


それでもF先生と相談の結果、バラクルードが効いているという判断の
元、ヘブスブリンも投与しないまま帰ってきた。

ヘブスブリンは自分の意思でいつでもできるのでそれは良いが、一番気
になるのは、陽性になった段階ですぐに知らせてくれなかったこと。

しかも前回の検診後、接点が無かったかというと3回もあるのだ。


・4月6日の肝炎の講演会

・4月11日、頭の鈍痛の事でコーディネーターさんに電話

・さらに4月13日にはヘブスブリン保険適用の説明会


陽性が判明したのが3月14日だから、少なくとも11日に電話した段
階で、何らかの手段を取ってくれていてもいいと思う。

頭が痛いと訴えているのだから。



元々100%の真実を伝えてくれていないのは入院中からずっと感じて
いたことだが、それはそれで、当然とも思うし納得していた。

ただ今回のことは、ヘブスブリン投与の判断を患者側にゆだねている以
上、医師側の独断とせず、ちゃんと伝えて欲しかった。


それによってこちらの考え方も変わるかもしれない。

うがった見方をすれば、だから伝えてくれなかったとも思える。



陽性になったからといって今のところ問題は無いらしいし、それ以外の
検査結果にも問題はない。

しかしなんとも煮え切らない思いのまま帰ってきたのも事実だ。



今後も(今までも)、重要な変化さえも伝えられぬまま、後になって
実はこうだった、という事があるかもしれない。

それが一番怖いのだ。


「後の祭り」になっても、きっと誰も責任をとってはくれない。
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なんか変

心配していたHBs抗原が僅かながら陽性になってしまいました。

今は問題が無いらしく、ヘブスブリンの点適もしていません。

それよりもショックだったのは前回の検診時、既に陽性反応を示してい
た事と、それを伝えてくれなかった事。

先生は余計な動揺をさせたくなかった、と言ってましが、結果オーライ
で良いわけもなく、なんだか腑に落ちない気持ちです。
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待合室

間もなく検診。

今日も混んでます。年配の方が多いです。

どのくらい遅れるんでしょうか。

ヘブスブリンをどうするか、今も迷っています。朝、妻には「ちゃんと
やってきてね」と、釘を差されてきました。はいっ!
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嫌な予感

今日もまた、日が変わってしまった。


ずっと続く鈍痛に加え、ここのところ疲れが溜まっている。

仕事の忙しさによるものならいいが、寝ても覚めてもまったく疲れが取れ
ない。


こうなると日常の不安が一気に噴出してしまう。

どうしても肝機能の低下を心配してしまうのだ。


しかも最近は薬の副作用の為か、寝つきが一段と悪い。

どんなに眠たかろうが、どんなに疲れていようが、眠れない時は眠れない。



仕事ができない辛さが半端ではない事を身をもって知ってしまった以上、
忙しさは全然苦にならない。

ただ心配なのはまた病院に拘束されてしまうことだ。

しかもいきなり、というのが一番困る。


今週金曜日は定期検診、何事も無いことを願うしかないかぁ。



本来しなくてもいい心配、その心配が重荷になってしまう現実、これも又
この病気の宿命なんでしょうかね。
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自分のことは棚に上げて

キレる大人はなぜ増えた (朝日新書 90)
香山 リカ
朝日新聞社

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香山リカさんの「キレる大人はなぜ増えた」を読んだ。

と言っても立ち読み(忙しさにかまけて、本屋さんごめんなさい)。


じっくり読んだわけではないので(立ち読みです)、詳しいことは言え
ませんが、その中で一つ印象に残っているのが、人はみな「自分のこと
は棚に上げて」ものを言う、という部分。

これがネットの世界だと顕著になり、その結果、ネットでの誹謗中傷や
ブログ炎上につながるという。


最近のモンスターペアレンツにしろ、病院での患者の横暴な振る舞いに
しろ、そこにあるのは「自分のことは棚に上げて」ものを言う姿勢だ。


かく言う自分も、ブログで好き勝手な事をつらつらと言ってるわけで、
反省するところは多々ある。

申し訳ないと思う殊勝な気持ちと、自分のブログだからいいや、という
開き直りとも思える気持ちが混在しているわけです。



まぁ何かにつけて腹の立つ事の余りに多い今の世の中だけに、愚痴とも
叫びともつかぬ事を書いてしまうこともあるわけで、それはそれで、
「自分のことは棚に上げて」いることを充分理解した上での狼藉ですの
で、何卒お許しをお願い申し上げる次第でございまする。



この「キレる大人はなぜ増えた」、とても興味があるので、是非買って
読みたいと思っている。

時間ができたら、きっと・・、だからそれまで・・・、立ち読みで・・・

ごめんね、○ー○ャ○フォー~~ 
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『ロス:タイム:ライフ』

君station(初回生産限定盤)(DVD付)
ORANGE RANGE
SMR(SME)(M)

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「人生において無駄に過ごしてしまった時間の累計=“ロスタイムライフ”
もしも、死の直前にその命の貯金を使えるとしたら…
あなたは何をしますか?」



一瞬ドキッとするようなテーマの土曜夜のTVドラマが面白い。



今ではすっかりTVの連続ドラマを見なくなってしまったが、唯一土曜夜
のこの時間帯のものには興味がある。

「ロス:タイム:ライフ」の前は「SP」だったし、以前は「ライアーゲーム」
が面白かった。



自分の人生に明確な期限が与えられたら、自分は何をするだろう、昔から
ずっと考えていた。

たぶん自分を見失い、何もできずに時間が過ぎ去っていく、と思っていた。

この病気になるまでは。


このドラマもそうだが、死を宣告されて冷静でいられるものか、そんなこ
とはあり得ない、死を目前に達観などできるはずがない、ずっとそう思っ
ていた。

だからドラマはあくまでドラマだけの世界、そう思っていた。

この病気になるまでは。



余命宣告されたわけではなかったが、「死」に限りなく近づいたことで
少しだけ見えてきたものはある。

「達観」とまではいかないが、いい意味での「開き直る」ことができる
ことは経験できた。



そういったことを思いながらこのドラマを見ていたものだから、とても
奇妙な感覚を味わうことができた。



全編に登場する温水洋一さんの趣きと、走り続ける審判団の様子が笑え
る。

番組は今週の特別版-後編で終わる。



2005年10月4日、病院のベッドの自分の枕元に、謎のサッカー審判
団が現れていたなら、自分のロスタイムは電光掲示板に何と表示されて
いたのだろう。


「あの日」から、【926日】が経過している。


の・の・りが気に^な_る~~~~~*`★◇
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B型肝炎の再発予防の治療の変更に関する説明会

ヘブスブリンが保険適用から外れて以来、H大病院の場合、

・バラクルード単独服用の人 ~13人、再発0人

・ヘブスブリン併用の人 ~11人、再発0人


結論から言うといずれの場合も明確な再発は皆無となる。

ヘブスブリンを投与している人はまず心配が無いという事だったが、バラ
クルードのみでも大丈夫だったことになる。



今日13時からの上記説明会に出席してきた。

亀太郎さんのように抗原が陽性反応を示した人も、測定感度の差で出てし
まったという事らしい。



とにかく問題なのは、移植患者の場合のバラクルード単独投与での肝炎再
発があるか無いか、そのデータがまったく無いという事だ。

逆に言えば、再発の可能性があるという事。


ヘブスブリン投与を再開する事のデメリットをもう一度良く考えて、結論
を出したいと思っている。



株式会社ベネシスホームページ
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病人の長い一日~その3(自宅編)

長い入院生活の狭間で、外泊や一時退院で帰宅すると心底ほっとする。

病院という隔離された空間から開放されると共に、集団生活から自分の世
界へ戻れる瞬間だ。


ただそれは、病院で看護師さん達に管理、守られ、ある意味安心して生活
していた事から、すべて自己の責任で管理しなければならなくなることも
意味する。

移植から再手術までの6度の入退院で、満足した状態で退院したことは無
かったので、自己管理を含め、家族の負担も大きかった(らしい)。



入院中は自分が多少忘れていても、看護師さんがフォローしてくれたり、
むしろボケッとしていると、矢次早やに指示されたりする。

そんなこんなで、入院中とは違った緊張感が自宅にいても味わえるのだ。
やはり工程表でも作らないと自己管理できない。



【帰宅中のある一日】

 6:00  ・起床
       ・自己測定による「体温」「血圧」「血糖値」「体重」の
        計測      
 6:30~7:30
       ・洗面
       ・インスリン自己注射(15単位)
       ・朝食
 8:00  ・免疫抑制剤服用(プログラフ)(時間遵守)
 8:00~ ・朝薬服用(プレドニゾロン2錠、ゼフィックス1錠、
            ガストローム1包、ラシックス1錠
            スローケー1錠、ラクツロース40mL、
            ウルソ2錠、アミノレバンEN1包)
        恥ずかしながら薬の服用に1時間以上費やしていた。
        特にアミノレバンENには閉口、体調の悪い時は飲みきれ
        ないこともあった。
11:30  ・自己測定による「体温」「血圧」「血糖値」の計測
       ・インスリン自己注射(20単位)
11:30~ ・昼食
       ・昼薬服用(ラクツロース40mL、ウルソ2錠、
             アミノレバンEN1包)
13:00~ ・PCをいじったり、横になったり
       ・さすがに仕事はできなかった
16:00~ ・シャワー(体にドレンが挿入されているので、防水処理
        を自分でしなければならない。専用防水テープを使用、
        シャワーを終えた後は、挿入部分の消毒とドレンの固定)
17:30  ・自己測定による「体温」「血圧」「血糖値」の計測
        (血糖値は通常人指し指か中指から採血するが、回数が
         かさんでくると痛くて測定針を刺せなくなる)
       ・インスリン自己注射(5単位)
        (通常腹に注射針を刺すのだが、段々と固くなり刺す場
         所が無くなってしまうのには苦労した)
       ・夕食
18:00  ・夕薬服用(スローケー1錠、ラクツロース40mL、
             ウルソ2錠、アミノレバンEN1包)
19:50  ・病棟に電話確認(免疫抑制剤の服用量の指示を仰ぐ)
20:00  ・免疫抑制剤服用(プログラフ)(時間遵守)
       ・就寝前薬服用(ガストローム1包、ラクツロース40mL)
21:00~22:00
       ・就寝



入院中との違いは、回診と検査・採血が無いこと。

ただ、定期検診と泌尿器科や放射線科などの他科受診がほぼ毎週のように
あるので、むしろ入院中より忙しかったりする。

この頃はまだ車の運転ができる状態ではなく、公共交通機関で通院できる
状態でもなかったので、検診のたびに妻に会社を休んでもらい、送っても
らっていた。

     

水分摂取量のチェック、排便回数のチェックなどは病院にいた時と同じよ
うに毎日しなければならない。


自宅で良かったことと言えば、勿論家族と一緒にいられること。

そしてなにより、9時に電気が消されないこと。
寝る時間は自由だ。

それどころか、疲れて寝たくても、子供がうるさくて寝れないという贅沢
な悩みが出てきてしまう。


病院が懐かしくなってしまうのは困ったものだ。
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魂の闘い

薬害C型肝炎女たちの闘い―国が屈伏した日 (小学館文庫 い 9-1)
岩澤 倫彦,フジテレビ調査報道班
小学館

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何も言うことはありません。この訴訟の真実がわかります。

是非読んで頂きたい一冊です。
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けっしてあきらめない

昨日参加した肝臓病フォーラム、テーマは「肝移植からみた肝臓病」。

移植の担当医であるH大病院のF医師の講演がメインだったので、夫婦
二人で参加してきた。

いつもF先生に言われている事もあれば、初めて耳にする話しもあり、
興味深く聞かせて頂いた。


慢性肝炎から肝がんへの移行や、インターフェロン療法の効果やその副
作用による大変さなどが、専門医師の説明や患者さんの体験談として伝
えられた。

その中でF先生は、肝ガン・肝不全等の最新治療として「移植」の選択
肢がある事と、それがまだ患者のみならず、医師達にも周知されていな
い事、そして広くその移植医療を広める為、講演活動を行っている事な
どを話して下さった。


そこで改めて知らされた、というか気付かされたのが、肝臓病で亡くな
る方で、移植をすれば助かった可能性がある人がたくさんいる事。

それは、逆に言えば移植によって助けられた自分が本当に運が良かった
という事。


H大での移植までの道のりを考えてみても、どこかでほんの少し違う方
向に向かっていたなら、今の自分は無いと思う。

実際、H大病院で移植当時のコーディネーターさんに言われたのは

「ドナーが見つかって、ドナーを引き受けてくれて、移植ができるって
いう事だけで幸せな事なのよ」



移植医療の現場では今では「移植」はおそらく当たり前の医療、でも
一患者とすれば、日本ではまだ「移植」なんて別世界のお話し。

この両者の意識が少しずつ埋まっていけば、更に移植医療が発展し、
「助からない命」が「救われる命」に変わっていくのだろう。




生体移植、脳死移植共に、その倫理観が各所で語られている。

生体移植は、ドナーの健康体にメスを入れるという、決定的な事実があ
る。

この事は今も今後も自分自身、ずっと気持ちの中から消えることはない。


片や脳死移植は、すなわち人の死を待つという事。

昨日の講演でもF先生は、募金による海外渡航移植に触れ、これがすな
わち外国人一人の死を意味するということで、美談として語られるのは
どうか、と言われていた。


賛否両論、色んな意見が渦巻くのが「移植医療」の宿命でもある。



こんな状況下で一つだけ言えるのは、自分もそうだったが、患者は誰で
も助かりたいと思うこと。

その為に辛い検査を受け、痛みに耐え手術をする。

そこにあるのは昨日の講演のテーマでもあり、実体験でも語られていた、

「けっしてあきらめない」

ということ。


ずっと病気と闘って、既に充分「頑張って」いる患者にとって大切なの
はやはり、

「頑張らずあきらめない」

ということだと思う。
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肝臓病フォーラム

今日、肝臓病フォーラムに参加した。

テーマは「肝移植からみた肝臓病」
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「どうする?」って言ったって、どうもしない一日

ここ2ヶ月ばかり、ほとんど休みが無かった。

いくら回復してきたとはいえ、さすがに体力の限界。

20代の頃なら、3ヶ月休み無し、3日連続完徹なんてのもへっちゃらだ
ったのに。

なったてもう四捨五入したら50歳ですから。
(不思議な事に、精神構造は20代の時のままで、むしろ若者文化に侵
食されつつあったりして ←赤ちゃんがえりかっ



ということで今日は完全休養日。

って、自分の意思で決めようと思ったら、午前中から体が動かない。

意思が指図しようとしているのに、勝手に肉体が機能停止してしまった。
(せっかくガソリンの値段が下がったのに


夕方になって少し楽になったので、散歩を兼ねて近くのイ○ンへ。

歩いたおかげで、血行が結構良くなったのか、こうしてPCに向かえる
ようになりました。


やっり人間、休養が必要ですね。

でも休み過ぎはもっと恐ろしい事になるのが、自営業の宿命です。
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さぁ、どうする?

昨日、H大病院から、

「B型肝炎の再発予防の治療の変更に関する説明会へのご案内」

なるお便りが届いた。


ヘブスブリンIHが再度、保険適用になったことについての説明会だ。

どうしようか真剣に考えていたところなので、しっかり聞いてこようと
思う。


今の段階での自分の判断は、

私:新薬バラクルードで今のところ問題がないのでこのままいこうと思う。
  なにより又、保険の適用、不適用に振り廻されたくない。
  しかも血液製剤である以上、果たして永遠に供給されないのではない
  か、という心配がある。

妻:ヘブスブリンを投与することを前提に移植しているのに、保険が効く
  ようになって使用しない理由がない。
  なにより、将来の事より、今再発しない事が一番大事でしょ。


・・・、妻の勝ち、まったその通りで、返す言葉がありません。


でも、・・・、悩むんだよなぁ。




>肝移植後のバラクルード単独投与での長期成績はわかっていません。
 逆に言えば、我々が世界で最も経験があるのかもしれません
 (お便りの締めの部分から抜粋)


先生、こんな経験、あまりしたくないんですけど。

やっぱり、当初の説明通り、私達って実験台なんでしょうか。



まっ、これもまた、いい「経験」っていうことで。
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病人の長い一日~その2(病院の夜編)

先日4月1日、117円/㍑でガソリンを入れることができました。



・・・・・・

病人の夜は長い。


発病し入院するまで、夜9時に就寝するという感覚がまったく無かった。

9時に寝るなんて子供の時のいつ以来だろう。

ただ体調が悪ければ8時だろうが9時だろうが、とにかく横になっていた
いのは当たり前だが。



入院生活を振り返ると、就寝時間帯の状況は大きく3つに分かれる。



肝炎を発症し初めて入院、転院した病院での透析治療の一ヶ月間は【不安】。


先がまったく見えない状態で、夜通し不安感で満たされ、眠れない事も多か
った。
開き直っていられる時と、考えれば考えるほど落ち込んでしまう時が交互に
やってきた。


又、慣れないベッドに腰を痛くして、寝返りが辛くなったのはこの頃。



H大病院に転院し、移植後の数ヶ月は【恐怖】。

今思い出しても不思議でたまらない感覚の「肝性脳症」の期間だ。

おそらく「肝性脳症」を未体験の人には(医師や看護師さんも含めて)、
きっと「肝性脳症」を説明するのに「夢」「幻覚」という言葉で表現する
ことだろう。

でも実際にあの体験をした人には、それは確かに「現実」なのだ。

この「現実」ではない「現実」というのは、本当に超恐ろしい。


ICUで体験した「時間の逆戻り」はとても夢や幻覚では説明付かない。

だって、こんなはずはない、と冷静に判断している(つもり)自分を、し
っかり認識しているのだから。

苦しみの中で、ベッド脇の父に何度も日にちを確認し、帰ってくる返事は
いつも「11日」だった。
本当にもう戻れない(死ぬ)かと思ったものだ。


今考えても、意識レベルだけが本当に逆行(一種のタイムスリップ)した
としか思えない。


この体験をこの後ずっと引きずり、どんなに眠たくても眠るのが恐ろしく
て恐ろしくて、「あんな体験をするぐらいなら眠らなくてもいいや」と
暫らくの期間、睡眠恐怖症だった。

これが、なかなか「肝性脳症」が治らなかった原因の一つかもしれない。



肝性脳症が覚め、大部屋に移り、入退院を繰り返したその後の10ヶ月間
は【苦痛】。

それはずっと痛みとの闘いだった。

腹痛に加え、途中からは腹に穴を開けドレンが通されたので真上を向いて
寝る事しかできない。

熟睡できたのはたったの一日も無かった。



大部屋に移ってからは何十人もの人と同室になった。

実に様々な人がいる。

消灯とともにいびきをかいて眠ってしまう人、11時近くまでテレビを見
ている人、逆に朝早く起きて静かに音楽を聞いている人、不思議と自分と
トイレに行くタイミングが同じ人、同じように痛んで唸っている人・・・。


皆同じように言っていたのは、「夜は嫌だねぇ」。

皆きっと、自分の先のことや家族のこと、医療費のことや検査のこと、手
術のことなど、あれこれ考えて眠れない夜を過ごしていに違いない。

大多数の人が睡眠剤を使用していたようだ。



ベッドの硬さにも慣れた。廊下の明るさにも慣れた。
大きないびきや同じ病棟の小さな子供達の泣き声も気にならなくなった。

だけどひたすら感じた寂しさだけはずっと消える事はなかった。

やっぱり我が家が一番だという事だ。


騒ぐわけにもいかず、NSに行っても看護師さんの邪魔になるだけ。
徘徊するわけにもいかず、せいぜいラジオや音楽を聞きながら朝を待つ。

早ければ2時頃には目覚め、大体が4時頃には目覚める。


色々と余計なことを思いながら自分勝手に黄昏れていると、何度も聞いた、

♪「起床の時間になりました。今日は○月○日、○曜日です。」

という院内放送を聞くことになる。



朝6時になり、又長~い病院の一日が始まる。
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