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謝罪会見

今年は世の中、謝罪に始まり謝罪で終わりそうな、そんな一年でしたね。

政治家、官僚の不祥事による謝罪、スポーツ選手の謝罪、食品会社の社長の
謝罪、そして芸能人や著名人の謝罪、まあなんと色んな人がTVの前で、マ
スコミの前で、お客さんの前で謝ったことか。


そして今日は話題の二人(朝青龍、亀田大毅)のダブル謝罪会見があるとい
うことで、朝からワイドショーは大騒ぎ。

ワタシにとってはあまり興味が無いので、どうでもいい話しではありますが。


それでも謝罪の仕方一つで、その印象が大きく変わるというのをみるにつけ、
自分の非はきちんと反省しつつ、心から「謝る」事がいかに大切かを改めて
気付かされているところです。


と、言うわけでワタクシかんぞうも今年を反省して・・・トリプル謝罪会見!




「いつも感じている事ですけど、こうやってブログで好き勝手な事を書いて
いて、それを暖かく(?)見守っていて下さる方々、ありがとうございます。

自分の闘病体験を思いのまま書き綴っているにも拘らず、貴重なご意見や、
貴重な情報を頂ける事はこんなうれしい事はありません。

ブログを始めて特に思うのは、世の中には自分には想像もつかない、大変な
闘病生活を送っている人がたくさんいるという事、自分の苦労なんて大した
事ではないと思える程、頑張っている人がたくさんいるという事です。


自分と同じように移植が必要な状況であるにも拘らず、その思いが果たせな
い人達、

ずっと何年も移植手術を待ち望んでいる人達、

生きる為、海外にまでその道を求めなければならない人達、

それが叶わず、亡くなっていく人達、

今も病気の痛み、辛さに苦しみ、毎日を過ごしている人達、

不運にも何百万、何千万に一人の病気を患ってしまった人達、

そして計らずも命の期限を切られてしまった人達、



そういう人達にとってはきっと、


「何を甘い事を言ってるんだ」

「本当の病気の苦しさはそんなもんじゃないぞ」


と、思われていることでしょう。その通りだと思います。

こんなブログを書きながら申し訳ないと思っています。


でも自分にとっても家族にとっても、この2年間、特に発病から再手術まで
の1年間は、まさに青天の霹靂、人生を変えたものでしたので、一人の病人
のたわ言とでも思ってお許し願いたいと思います。


これからは、たくさん与えて頂いた励ましに、少しでもお返しできるように、
できるだけ情報発信できるように、そして何よりも、もっと好き勝手に、続
けていきたいと思っています。」






・・・朝青龍は今頃、空の上かな
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肩は痛いけど

忙しかったここ数日、ようやく今の仕事も先が見えてきた。

多忙期は仕事の性質上、仕事以外の事をする余裕がまったく無くなってしまう。

これは独立した時からの宿命でもある。

というか、就職した時から始まっている。


最初の会社に入社した頃はまだバブルがはじけていなかった時期で、建築業界
は異常な忙しさだった。
入社した4月、いきなり月180時間の残業。

2年目の春は月280時間の残業、3ヶ月間休み無し、午前3時以降の退社が
一ヶ月以上続いた事もあった。


その後転職、さらに独立してからは、寝る時間を作るのが難しい時期もあった。

でもさすがに病気になってからはそんな生活は無理。


退院時に医師に言われたのも、

「やっと仕事できるね。でもくれぐれも徹夜は駄目だよ」

だった。

か、悲しすぎる~う。


だってまさに「貧乏暇人」、ぁいや「貧乏暇無し」なんですもん!

く、クソ、絶~っ対、小金持ちになってやる!!


でも大金持ちは無理だぁ~。
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再手術へ向かって~精神科受診

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<・・・一年前>

・・・2006年 6月30日


28日には3回目の胆管ドレナージを予定していて、その為の27日の入院
のはずだった。

そこでチューブを太い物に替え、そこから内視鏡を挿入、胆管を探るという
嘘のような作業をするはずだったのだが。

28日、そのつもりで放射線科を受診、ところが診察室に入るなり、


「う~ん、Mさん、今でもチューブ、痛いんでしょ。」

「はい、痛いです。」

「これねぇ、これ以上チューブ太くしたらおそらくすごく痛いよ。たぶん、
3日間くらい、身動きできないかもしれない」


と言って、今挿入されているチューブと、今回入れ替えるはずだった物とを
並べて説明を始めた。

(えっ、今更・・・)

(じゃあ、なんの為の入院???)


「これに替えて、無理にやってみても・・・、もう一度、第一外科の方と
相談してみるという事で、今回は止めましょう。」


(なんのこっちゃ~~)

と、思いきっり叫びたい気持ちを押えつつも、チューブが太くならなくて、
正直なところ、ほっとした。


しかし、この先の事を考えると、現状を打開する術が一つ閉ざされたわけで
先行きの見えない、なんとも言えない気持ちで一杯だった。




そして追い討ちをかけられるように、又、先生から新たな指示が。


【 精神科受診 】 


正式には「神経内科」だったと思うが、これを妻と共に受診してくれ、と言
う。
初めは耳を疑ってしまったが、要するに、特定できる原因が現時点で無いの
に、ここまで痛がるのは、精神的なものである場合も考えられる、と言うの
だ。

はっきり言って、この瞬間、それまでの事を全否定されたような思いが走っ
た。

「大して痛くも無いのに、精神不安定で、少しの痛みを必要以上に強く感じ
取って、大げさに騒いでいる」的なことを言われたのだから。


(これについては、後に「幻視痛」なるものがある事を知り、それと同じで
はないが、この時の判断が医学的に必ずしもおかしくはなかった、という事
を今は感じています。)


それでも30日、妻に休みを取ってもらい、揃って神経内科を受診。


「どうですか奥さんから見て、旦那さんの痛みの様子は?」

と聞かれて、キョトンとしていた妻の顔を今も思い出す。




第一外科の方では、この時、放射線科での治療の成果を過度に期待していた
節がある。後から感じた事だが。

そう、思うに、第一外科ではこの時、あきらかに手詰まり状態だったのだ。


この頃までに何度か、その時々の状況説明を受けていたが、改善に向けての
決定打がまったく無かった。


この時はもう、再手術しか改善の余地が無い所に限りなく近付いて
いたのに、なんと、その再手術さえ、やってみなければどうなるかわからな
い、そんな状態だったのだ。
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<・・・一年前>

・・・2006年 6月27日


18日の結婚記念日をなんとか自宅で迎えられたものの、腹痛はまったく治
まらない。
それどころか血尿もあり、痛みは増すばかりだ。

しかし、22日の泌尿器科の診察では石は見当たらない。
それはX線検査だけの判断で、なぜエコーをしてくれなかったのか、今にし
て思えば不思議だ。

当時は自分からお願いする心の余裕も無かった。



この頃もずっと痛み止めは欠かせない状態なので、必然的に薬の種類は多く
なる。

一日中、薬を飲んでいるような感覚で、食事はまともに取れなかった。

薬の服用に追いまくられていた。



【この頃の主な薬1日分】

・プログラフ(免疫抑制剤)        ~ 0.5mg×朝・晩2錠
・プレドニゾロン(免疫抑制剤、ステロイド)~ 5mg×朝2錠
・ラシックス(利尿剤          )~ 20mg×朝1錠
・ゼフィックス(ウイルス抑制剤)     ~ 100mg×朝1錠
・ラクツロース(減アンモニア、整腸剤)  ~ 40mg×4回
・アミノレバンEN(肝機能改善)     ~ 50g×朝・昼・晩3回
・ウルソ(肝機能改善)          ~ 100mg×朝・昼・晩2錠
・ガストローム(胃粘膜保護)       ~ 1.5g×2回
・スローケー(カリウム補充)       ~ 600mg×朝・晩2錠
・アローゼン(便秘薬)          ~ 0.5g×昼1包
・プルゼニド(便秘薬)          ~ 12mg×夜2錠
・ラキソベロン液(便秘薬)        ~ 10mL×夜15滴
・コスパノンカプセル(腹痛薬)      ~ 40mg×朝・昼・晩1錠
・ピリナジン(抗炎症薬)         ~ 朝・昼・晩3包
・ブスコパン(腹痛薬)          ~ 腹痛時1錠
・カロナール(腹痛薬)          ~ 腹痛時2錠

さらに、食事前に血糖値測定をし、その後、インスリン(ノボラピッド)注
射を、3回に渡り決められた量、自己注射しなければならない。


しかも自己管理表には、一日3回、上記に加え下記項目を測定・記述するのだ。

・体温
・脈
・血圧
・水分摂取量
・排便回数
・免疫抑制剤(プログラフ)の量と服用チェック


朝6時の起床、起床後すぐの採血に始まり、夜9時の就寝まで、静養という
言葉はまったく当てはまらない病院生活。


そんな病院生活に舞い戻るのに、それ程時間はかからなかった。

6月27日、翌日の3回目のチューブ交換・内視鏡治療の為、入院する。


5度目の入院だった。
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病院での再会

今週は月曜日からの、のどの痛みに始まり、鼻水、咳、頭痛、口内痛、と風
邪の諸症状で大変だった。

そして昨日はそのピーク、朝からめまいも混ざり、夕方まで満足に起きられ
ない状態だった。
ただ、なぜか高熱は出なかったので今日の定期検診を待つことに。



そして今日、外来で順番待ちをしていると聞き覚えのある名前の呼び出しが。

ふと顔を見上げると、診察室に入っていこうとするその人がなんと、中学校
時代の恩師であるS先生だった。

一番元気の良かった中学生時代、S先生には厳しい指導を受けつつ、優しさ
も溢れた素敵な先生だった。
今まで何人もの先生と出会ったが、本当に信頼し尊敬していた唯一の先生と
言える。

そんなS先生とは、十年程も前に同窓会で会っただけで、その後は年賀状の
やり取りだけになってしまっていたので、まさか病院で、しかも同じ受診科
でお会いする事になろうとは思ってもいなかった。


S先生は過去に3度程、手術をしている事、来週又手術を控えている事、そ
して自分の病気の事など伝え合い、いつか又お会いする事を約束して別れた。


中学を卒業し30数年、お互い病気を抱えて再会するのも何か変な感じだ。

できれば元気なからだで、クラス会など宴会の席で会える事ができたら。

ただ、今度会えた時には、お互い腹に傷を持つ者同志、腹を割って話せるか
な、なんて。



で、今日の結果は、抗原・抗体値に関しては診察の段階では数値が判明して
いなかった。

今回の症状は感染の兆候の症状とも重なるので、少し心配していたが、炎症
を示すCRP値が高かったのは気になるが、他は落ち着いていたので一安心。



でもこれから年末、宴会やらなんやらで暴飲暴食になりがちな時期。

まさに「がんばれ!肝臓くん。。」の時期だ。


・・・でも、・・・お酒飲めないんだった。

あっ!寿司もだ。
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もう少しで雪道

札幌の初雪は少し前に降ったらしい(わからなかった)。

でもって天気予報では明後日(木曜)からずっと雪マーク。


ということで、今日はタイヤを夏タイヤからスタッドレスタイヤへ交換。

去年もちょうどこの時期に交換したのだが、まだ胆管ドレンを挿入し排液
バックをぶら下げた状態だったので、2時間もかかってしまった。

とは言え、今にして思えば良くやったな、という感じだ。



で、今年。

今日は、さ、、、、、、30分。

で、できてしまいました。


成長したもんです。回復したもんです。


ただ、十字レンチを回すのが・・・・。


今、痛い右肩・腕が、何か叫んでいます。


てめぇ~、調子にのるなよ~~!



「ご、ご、ごめんなさい。。。」
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してはいけない退院

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<・・・一年前>

・・・2006年 6月16日


胆管ドレンが右脇腹に挿入されて以来、それまでの腹痛と相まって、常に
痛みがあるのが当たり前、違うのはその痛みがどれくらい痛いのか、とい
う痛みの強弱だけになってしまった。

そんなことだから、外泊時や一時退院で自宅に戻っても、まったく落ち着
かない。

痛みは特に夜中に増すので、おちおち寝てもいられない。
一応必死に痛みをこらえるのだが、夜中だとどうしても妻を起こしてしま
う。


ある時、外泊時にアンモニア数値が高くなり、軽い脳症状態になり、イン
スリンの自己注射ができなくなったり、針を駄目にし、病院に取りに行か
なければならなくなった時、妻に一日に病院と3往復させてしまった事な
どもあった。


孫の運動会で妻の母が来ていた時は、そんな様子を見かねて、
「こんな状態じゃ、あんた(妻)が倒れてしまうよ。こんなんで退院して
きても、大変になるだけだよ」
と言っていたらしい。


実際自分も、最初の頃は、体調よりも、退院できる、家に戻れる、という
うれしさばかりで、周りの事も良くわからず喜んでいたが、この頃になる
と自分でも、何故退院させられるのだろう、と考えてしまう事が多くなっ
た。


ただそれでも気になるのは仕事の事。
3月の退院時に少し仕事をしただけだったので、前年の8月からほぼ10
ヶ月、ほとんど仕事をしていない。

まったく思うように改善しない痛みと、相変わらず優れない体調のなかで
仕事ができない思いがつのって、どんどんストレスが溜まっていった。



病院では痛み止めの点滴をしてもらいながら、なんとか痛みを和らげつつ、
そんな状態なのに6月16日に退院する事になる。4度目の退院だ。

痛みは痛み止めの飲み薬と座薬で対応することになった。

前日の検査では、腎盂に結石がある事がわかった。


腸の動きと、胆管ドレンによる痛みと、さらに結石による痛み、何がなん
だかわからないままの退院だった。



唯一良かったのは、二日後の18日、17回目の結婚記念日を自宅で迎え
られたこと。
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三丁目の夕日

2005年の移植後、肝性脳症に苦しむ中で印象的だったのが、映画、
『ALWAYS 三丁目の夕日』。

何かの広告で映画公開された事は知ったが、入院中の為、当然映画を見られる
わけもなく、はっきりしない意識の中で、「あの漫画が映画化されるんだ」と
不思議な気持ちだった。


あまり読まない漫画雑誌の中で、唯一ビッグコミックオリジナルだけは時々
読んでいて、しかもそのなかでも一番好きだったのが「三丁目の夕日」。

そもそも昭和という時代が好きなので、懐かしさを覚えながら見ていた。


今、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』が公開中だ。
それに先だって、『ALWAYS 三丁目の夕日』が、先日TVで放映されたので、
やっと見る事ができた。

「あの漫画が何故映画に」と2年間思い続けてきたが、世間の評判通り、素晴
らしい映画だった。

内容もさることながら、2年前の自分の状態を思い出し、そして今の状態と重
ね合せて、とても感動した。


色んな問題が次から次と噴出する現代社会。
あの頃(昭和30年代)と何が違うのだろう。

一番感じるのは、みな、生き急いでいなかった、って事か。
今はみな、生き急ぐからストレスも溜まるし、ストレスが溜まるからその吐け
口を何かに求めようとする。

その「何か」を見誤ったら・・・。


自分の病気だって、もしあの時、あんなに生き急いでいなかったら、ここまで
は。


そして今では貴重な人と人との交流。
今の人間関係とは少し違うような、いわゆる「人情」といえるもの。



映画は、「当時の臭いがしない」という評価もあるようだが、現代とは決定的
に違う「臭い」は充分感じられた。


昭和50年代後半、圧倒的な人気アイドルだった薬師丸ひろ子さん、この映画
では鈴木オートのお母さん役。

なんだかとても時代の流れを感じて、違う意味で感慨深かった。




今年は是非、「映画館」で『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を見たいと思う。
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今だから

昨晩の妻、

「実はさぁ、今まで言わなかったけど・・・、移植手術の後、F先生(主治医)
に言われた事があるんだ」

わたし、

「・・・」

妻、

「今まで黙っていたんだけど、もう大丈夫だもんね」

わたし、

「何・・・????

妻、

「あのねぇ、移植の後ね、F先生が言ってたんだけど、「取り出した肝臓、
私が今まで手術してきた中で一番小さかった」って」

わたし、

「それって、ほとんど肝臓の機能を果たしてなかった、って事?」

妻、

「そう、透析とか血漿交換ずっと続けていたでしょ、それでなんとか・・・
だから移植前、透析とか止めたら急激に悪くなったでしょ」

わたし、

「確かに、H大病院に移ってからは、いつから記憶が無くなったのかも、良く
覚えていない・・・」




改めて思うのはウイルスの恐ろしさ。
あっという間に肝臓を破壊し、その機能を奪ってしまうのだ。


そしてこれも後から妻が友人に聞いた話しなのだが、ほぼ同時期に近くの学校
の先生が、同じ劇症肝炎で亡くなったというのだ。


失なう命と、ギリギリで助かる命、この境目ってなんなのだろう。

単に病状の差だけではないと思うのは、夫婦共通の思い。


休日救急のS内科→S内科の若先生が勤務するSH病院→SH病院から紹介さ
れたK病院→K病院と移植医療で深い繋がりのあるH大病院、という流れが何
処かで途切れていたなら、きっと・・・。

S内科で血液検査をしていなかったら、SH病院で適切な初期措置を受けてい
なかったら、K病院の透析治療が機能しなかったら、その間、移植の準備をし
てくれていなかったら、2年早く保険が適用でなかったら、ドナーが見つから
なかったら・・・。



妻の一言がきっかけで、改めて自分の運命と、命の大切さを感じた一夜でした。
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やまだようこさん

謎の人物「新井泉」。

今日のコメントに不思議(?)な文言がありました。
内容はコチラ

なにか強烈なメッセージかと思い、調べてみると、もっとビックリ!

ほとんど同じようなコメントが、たくさんの人のブログに書き込まれている
というのです。
しかも一年以上も前からずっと。

対象となる記事は、政治テーマだったり、病気・闘病がテーマだったりする
ようです。


この「新井泉」という人、その名を名乗るブログを開設している人がいたり、
あるブログでは政治家説や「危ない」人説が流れています。


嘘か本当か、口座を提示して志を求めていたりもするので、もし同じよなコ
メントが来たら、しっかりと「無視」しましょうね。


それにしても世の中にたくさん(?)いる「あらいいずみ」さんは、これを
聞いたら嫌な気分ですよね。


そしてそれ以上に今、嫌な感じでいるだろう人は「やまだようこ」さん。

前防衛事務次官に対する接待で批判されている「山田洋行」のニュースが
繰り返し流れると、きっといい気持ちはしないんだろうな、と思って見てい
ます。



ここ数日、時間を見付けては新たなサイトを構築中です。
完成したならば是非見て下さいね。
でも先は長いか・・・。時間が・・・欲しい・・・・。
このブログも勿論頑張って更新していき・ま・・す・・・。たぶん・・・
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