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移植患者にとってドナーとは、

手術後、昔のように笑えなくなったことの一つは病気と仕事の関わり
った。

そしてもう一つ、多分一生頭から消えないことが、ドナー(臓器提供者)
との関わり。


ドナーになってくれた姉。
生体肝移植はもちろんドナー無しでは成り立たない。

健康な体を危険にさらしてしまう生体肝移植。
その施術について是非を問う声もある。

もし患者であるレシピエント(移植患者)が健康を取り戻すことができ
ても、万が一にもドナーに身に何かあったら、移植手術自体が意味の無
いものになってしまう。


ワタシの場合、ドナーである姉は幸い順調な回復をみせてくれた。

術後は痛いだの辛いだのの言葉は、姉の口から一度も聞いたことがない。

それでも大手術に変わりはないわけで、何も問題が無いはずがない。


姉にだって夫もいれば、二人の娘もいるわけで、「姉と弟」のみの問題
では片付けられない。
まさに家族全体を巻き込んだ大問題になるのだ。

もし姉の身に何かあったなら、その責任まで負うことは到底できない。



それでも移植後、自分の状態が良くない期間は、やっぱりドナーはドナー
だから回復も早いし、そんな大変でもないんだろうな、なんてことを恥ず
かしくも思っていた。

今思えば本当に恥ずかしいし、申し訳ないと思う。


一年間の入院中、ドナーさんとも何人の方とも同室になった。
確かに手術から退院まで早かった。

でも皆、術後の痛みは相当なものだった。
そして何よりも気になっていたのは、ドナーさんに対する病院の対応だ。

レシピエントと比べるべきではないのかもしれないが、医師にしろ看護師
にしろ、あまりに冷たい。(そう感じただけなのかもしれないが)

痛みを訴えたまま数日で退院させられた人を何人も見た。


移植患者にとってドナーとは、そう考えるとその重さがひしひしと感じら
れてきてしまう。



レシピエントである自分がドナーより幸せな生活を送っても良いのだろう
か、とか、もし万が一、ドナーである姉が他の病気になってしまったら、
いったい自分は何かできるのだろうか、とか色々な想像が働いてしまうの
だ。

何も心配させない姉、その本心を伺い知ることはできないが、ドナーとし
ての心情はとても気になることである。

NOKINさんのブログに出会い、ドナーとしての思い、考え方、痛み、苦労
などを率直な意見として知ることができたのは、とても良かったと思う。


ドナーにはドナーとして、レシピエントにはレシピエントとしての独自の
思いは当然あるはずで、移植という大事を通して、共有すべきは共有して
いかなければならないのだと思っている。



「移植患者にとってドナーとは」、というより、むしろ今後は、

「ドナーにとって移植患者はどうあるべきか」

を考えて生きていかなければならないのかもしれない。
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