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どうして英語がしゃべれるようになったか

2015年01月17日 | 英語
海外留学経験なし。

英会話スクールに通ったこともない。

海外に長く住んだわけでもない。

なのに、英語が流暢にしゃべれるようになった。

それも、ごく最近になってやっと英語がしゃべれると自信を持って言えるようになった。



挑戦と様々な経験と旅を積み重ねることで少しずつ上達していった。


中学、高校と英語得意で好きだった。

しかしそれはあくまで受験英語でしかない。


旅が好きで、海外に興味を持っていた。


そして外国語大学に行った。

海外に行くには語学力を付ける必要があると思ったからだ。

だが専攻したのは英語ではなくスペイン語だった。

英語のスキルを磨くことが目的ではなく、世界を目指していたから、

スペイン語を喋れればより便利だと判断したのだ。


外大でも特に英語を勉強したわけではない。

家庭教師で中学生に受験英語を教えていたので、文法にはより強くなったが。


だから大学を出ても英語を話すことはほとんどできなかった。

大学を出ると総合商社に入った。

海外に行くためだ。


会社では外国語大学を出ているというだけで、英語がペラペラしゃべれると思われる。

正直きつかった。


メーカーの社長さんのアテンド兼通訳としてヨーロッパを回った。

冷汗をかきながら必死でこなした。

海外は大学以来二度目の経験だった。


それから数年、海外および英語とは縁のない暮らしをした。

だが会社を辞めて再び海外熱が復活した。

アメリカに行くことが増えた。

ただそれは単なる旅行だった。

まだまだ遊びなので日常会話程度で十分だった。


それでも、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの旅を経験しながら

海外に行くたびに少しずつ実践的英会話の応用力がついていった。


そして、学生時代から夢だった世界一周のチャンスが訪れる。

一年2か月、世界を放浪した。

中途半端だった英語とスペイン語も実用会話として磨きがかかってきた。

そうしなければ生きていけないからだ。


英語が世界中で通用することを肌で知った。

海外慣れしたことも重要な要素だ。

気後れしなくなった。

どこでも生きていける自信も付いた。


世界一周から帰った後も、アメリカやアジアに出かけた。

子供たちがアメリカに留学したことも手伝って、ホームステイで英語力に一層磨きがかかった。

それでも、まだまだペラペラにはほど遠かった。


旅先で断片的に英語をしゃべることができても、

議論したり、交渉したりする機会はなかった。


そんな折、英語で講演して欲しいという依頼がきた。

一瞬躊躇したが、思い切って引き受けることにした。

約一時間、また冷や汗をかきながらなんとか英語で話した。

この経験がやればできるという、大きな自信を付けさせてくれた。


その後、ホテルで英会話の合宿事業を始めるにあたり、

オーストラリア人と半年生活を共にした。

ここでも大きく英会話力を飛躍させた。


そして、JICAの経験。

ベトナムとスペイン語圏の中米・コスタリカへ派遣された。

現地でセミナーを繰り返すごとに英語、スペイン語と磨きをかけた。

だが、まだまだペラペラにはならなかった。


大きく飛躍したのは、やはり英会話喫茶・フリートークをオープンさせてからだ。

スタッフは外国人なのだから。

四六時中外国人と仕事を共にした。

打ち合わせは英語でしなければならない。

お客様との対応、交渉も英語だ。

日々そうしたことをこなしながら、英語力は飛躍的に伸びていった。


毎日が英語環境の中に身を置く。

海外に行く機会も増えた。

いまだ、まだまだ英語力、交渉力、コミュニケーション力とすべてのスキルが進化中である。



すべては経験で覚えた。

机上の勉強ではなく、現場で。

頭でなく、体で。

理屈でなく感覚で。


それには追いつめられて、どうしてもこれを英語で伝えたいというところまで行かなければならない。

なんとか自分の気持ち、言いたいことを分かってほしいと。

それがいい加減では、それ以上の進歩はない。

言葉に心を乗せないと上滑りするだけで、説得力はない。


まず何事にも興味を持つこと。

そして挑戦を惜しまないこと。

間違っても、失敗しても恥をかくことを恐れないこと。

それは英語だけにとどまらない。


何かを成し遂げようと思ったら、

死に物狂いでその中に飛び込んでいかなければならない。

捨て身で身を投じなければいつまでも傍観者の域を出ることはない。