世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

遊民族

2010年11月08日 | 人生
                        
                         アンコールワットにて




たとえユーミンのファンでなくても、


「遊民」 という言葉の響きには憧れる。



特に、

「高等遊民」 とくれば尚更だ。



明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉であり、

大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、

経済的に不自由が無いため、官吏や会社員などになって労働に従事することなく、

読書などをして過ごしている人のこと。



また、一時期は上級学校への入学や上級学校卒業後の就職が叶わなかった者が高等遊民となり、

高等知識を持った彼等が自然主義、社会主義、無政府主義などの危険思想に感化され、

それらが社会問題に繋がると考えられていた



と、ウィキペディアにある。



さらに、


高等遊民はなんら生産的な活動をせず、

ただ日々を雅やかに過ごしたり、

学問の延長として己の興味のある分野(趣味の活動を含む)を追い求めていたりした。



高等遊民はいわゆるインテリの範疇にも含められ、

また、大衆娯楽の仲間入りをした読書において、

文芸作品の作り手としての地位を持つ者もみられ、



他方では欧州から流入する西欧文明を旺盛に取り入れる際のクッションとして、


または日本の粋を体現する人々としての存在価値をも認められていた。




なお、上流階級の出である以上、その経済的な余裕も当時の人々の羨望を集めた。

いずれにせよ彼らは当時の大きな時代の変化の中で、その先端を行く存在であるともみなされていた。







現代においても、

読書三昧に耽ることも贅沢だと言えるが、



今は、「旅」 こそもっとも贅沢な遊びと言えるかもしれない。


「旅」 そのものには、


生産性がなく、

時間とお金がなければできない代物だから。





タビストを自称する身としては、

高等遊民とまではいかなくとも、



その実、「中等遊民」 とでも言えるかもしれない。




「遊民(ユーミン)族」 が増えることを望む。

それは、

「優民(文字通り、優れた民)」 ででもある。