デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

をぐり

2021-11-27 11:51:20 | 観覧雑記帳
タイトル「説経 をぐり」
観覧日 11月26日午後12時半開演(終演午後3時)
会場  江戸博物館小ホール

去年から全編上演をしている政太夫の「をぐり」の最終回となる3回目をやっと見ることになった。
政太夫が若松若太夫の弟子となっていたころ、私は説経節で「小栗判官」を聞きたいと自分でプロデュースすることになった。あれから30年近く経ったのではないだろうか。そのころ政太夫も小栗の全編上演にはかなり関心をもっていたが、若太夫にはそれだけの時間も体力も残ってはいなかった。でも「矢取の段」や「二度対面の段」を語ったのを自分でプロデュースし、聞けたことはほんとにう良かったと思う。その後政太夫は、横浜ボートシアターの遠藤作品に出演、説経節を語るなど、多彩な活動をするようになる。その中でも小栗についての思いは深く、全段上演に意欲を見せていた。一度遊行寺で全段ではないが、「をぐり」を語るのを聞いて、彼の成熟ぶりを実際自分の目と耳で確かめうれしかった。そして今回の全段上演のチャレンジ、コロナ禍の中でということもあったが、やりたいという思いは強かったのだろうと思う。私は残念ながら1回目と2回目はどうしてもスケジュールがあわず、これを見ることはできなかった。
それがやっと今回聞けた、それがまず第一にうれしかった。そして政太夫なりの「をぐり」の世界ができあがっているのもうれしかった。この公演は亡くなった遠藤琢郎の構成・演出によるという。この回は地獄で小栗の家来たちが、閻魔王にかけあって、小栗を餓鬼あみとして蘇生させるところから、青墓で照手と再会しての大団円までを語った。若太夫の三味線の演奏は野性的というか荒っぽいが(晩年目が見えなくなったということが大きいと思うが)政太夫の三味線の音色は多彩で、いろいろな表情まで伝える見事なものである。語りよりは奏でることが多いのだが、それでも閻魔の語りなどの表現力はたいしたものである。政太夫の持ち味が出ていると思ったのは、小栗の道行の場面である。実際に聞いて初めて実感できたのだが、相模の国で暗殺、遊行寺で蘇った「をぐり」が熊野の湯ノ峰温泉をめざす七カ国行脚の道行きこそが、この語りのメインだったのであろう。これを聞く庶民たちにとってこうした道行を聞くのは、想像力を駆り立ててくれるものではなかったのか。リズミカルにたどるその旅に思いを寄せ、いつのまにか拍子をあわせて、膝を叩きながら聞いていた。そしていつの間にか「をぐり」の世界に引き込まれて行った。三味線の伴奏で語られる説経節は、江戸時代にそのかたちをつくったのではないかと思う。小屋で、あるいはどこかの屋敷で語られるのを聞くのと同じような気持になって聞けたような気になっていた。政太夫が語った「をぐり」のテキストを遠藤がどのように構成・演出したのか、実際の説経節との違いはどこにあったのか、中世で語られた説経節との違いはどこにあるのか、そしてこの前見た青池監督の薩摩琵琶の山鹿さんの「をぐり」とはどこが違うのかなども気になってきた。
演じる方も、見る方もかなり体力がいるので、かなりきついとは思うのだが、「をぐり」全段を一挙に見るとこはできないのだろうか・・・などということをふと考えてしまった。自分がプロデュースできないかということも含めてなのだが・・・。
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