第60回配信です。
一、前回配信の補足
石川健治教授の「憲法考古学」もしくは「憲法郷土史」(2016-06-26)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/cf4f5a44c409b736631232d49b35e0f1
石川憲法学の「土着ボケ黒ミサ」(2017-03-15)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5bf547fcd41f62a1df77cc76e0277f3b
中間整理(その1)(2019-09-26)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8b7645fa006c6cfc5f99c01bbfaf5ab8
二、赤江著「はしがき」の続き
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一般的には、無教会は、実存主義的で個人主義的なキリスト教信仰として理解されてきた。その典型は、フランス在住の哲学者・森有正による評伝『内村鑑三』である。森は、内村を「唯一神の信仰の人間的対応者」にして「凡ての誠実なるキリスト者の最高の現実」であると評し、そこに「真の近代人の信仰」を見出している(森1953)。
その一方で、無教会の思想は、イエス(Jesus)と日本(Japan)を意味する「二つのJ」や「日本的キリスト教」という標語を通して理解されてきた。たとえば、冒頭で触れた南原繁がそうであるように、内村の弟子たちのいく人かは、無教会キリスト教を理想主義的なナショナリズムの思想として受けとっている。そうしたこともあって、無教会はしばしば「日本的」なキリスト教であると評されてきた。
だが、「個人主義」や「日本的キリスト教」といった理解は「無教会の存在」あるいは「無教会の社会性」を取り逃がしている。そうした理解は、たしかに無教会の一面を捉えているとしても、その一面的な分かりやすさによって、個人にも国家にも還元できない無教会の社会性を見落としやすい。そこに欠けているのは、無教会を社会現象として捉えることであり、とくに信仰や思想には還元できない宗教運動としてのあり方を含めて考えるという視点である。
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森有正(1911‐76)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9C%89%E6%AD%A3
石川健治教授の「憲法考古学」もしくは「憲法郷土史」(2016-06-26)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/cf4f5a44c409b736631232d49b35e0f1
石川憲法学の「土着ボケ黒ミサ」(2017-03-15)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5bf547fcd41f62a1df77cc76e0277f3b
中間整理(その1)(2019-09-26)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8b7645fa006c6cfc5f99c01bbfaf5ab8
二、赤江著「はしがき」の続き
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一般的には、無教会は、実存主義的で個人主義的なキリスト教信仰として理解されてきた。その典型は、フランス在住の哲学者・森有正による評伝『内村鑑三』である。森は、内村を「唯一神の信仰の人間的対応者」にして「凡ての誠実なるキリスト者の最高の現実」であると評し、そこに「真の近代人の信仰」を見出している(森1953)。
その一方で、無教会の思想は、イエス(Jesus)と日本(Japan)を意味する「二つのJ」や「日本的キリスト教」という標語を通して理解されてきた。たとえば、冒頭で触れた南原繁がそうであるように、内村の弟子たちのいく人かは、無教会キリスト教を理想主義的なナショナリズムの思想として受けとっている。そうしたこともあって、無教会はしばしば「日本的」なキリスト教であると評されてきた。
だが、「個人主義」や「日本的キリスト教」といった理解は「無教会の存在」あるいは「無教会の社会性」を取り逃がしている。そうした理解は、たしかに無教会の一面を捉えているとしても、その一面的な分かりやすさによって、個人にも国家にも還元できない無教会の社会性を見落としやすい。そこに欠けているのは、無教会を社会現象として捉えることであり、とくに信仰や思想には還元できない宗教運動としてのあり方を含めて考えるという視点である。
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森有正(1911‐76)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9C%89%E6%AD%A3
赤江氏による『内村鑑三』(弘文社アテネ文庫)の引用の仕方には若干の疑問。
なお、同署は1953年に出版されたが、執筆は1950年の渡仏以前。(講談社学術文庫版「解説」)
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もちろんこれまでにも無教会の宗教運動としての側面を捉える議論がなかったわけではない。とくに社会学では、無教会運動は「ゼクテ」や「コミューン」といった概念によって捉えられてきた。吉見俊哉は敗戦後の大学制度の転換期に東大総長・南原繁が果たした大きな役割を論じるなかで、南原が「一高・東京帝大の学生時代を通じて内村の無教会派コミューンの中核的メンバー」であったことに注目している(吉見2011:185)。また、中野敏男は大塚久雄のナショナリズムを検討する文脈で「彼ら無教会派キリスト教徒の近代批判は、ゼクテ(信団)的な共同体を基盤とする強固な信仰と、それがもたらすエリートとしての自負や心情の『純粋さ』とによってとりわけ堅固なものとなっている」と論じている(中野2001:39)。
ただし、これらの議論の焦点は、無教会というよりは、そこで形成される主体のあり方にある。【中略】
無教会キリスト教を問いなおすことは、宗教と政治、教会と国家、学問と信仰、啓蒙と霊性といった、さまざまな問題について考えることである。しかも、それらの問題は、社会学だけではなく、宗教学・政治学・思想史・社会史といった学問分野にかかわっている。本書が試みようとしているのは、無教会という対象を、宗教結社と主体性をめぐる議論に回収するのではなく、それがもっている複雑さをそれ自体として捉えることである。そのとき、無教会をめぐる思考は、日本近代のさまざまな問題へと開かれて行く。無教会とは、そうした思考を展開するための場所なのである。
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