『---映ゆ---』 目次
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「では、長をここへ」
「はい」 ずっと続いている豪雨の降りしきる中、ロイハノが村長を呼びに出た。
「婆様、この雨の中ロイハノには・・・」 セナ婆とロイハノの会話を聞いていたシノハが直言しかけたが、言葉尻が消えた。
今の己は言える立場ではないのだから。 だが、ロイハノは決して若いわけではない。 ロイハノの身を案じてしまうのは当然だ。
「ああ、じゃが一日も早く姉様にお伝えせねばならん。 姉様の事じゃ、そのタイリンとやらの事を気にされているであろうからな。 それにオロンガを出れば雨も止んでいるじゃろう」
「ですが、トンデンの“才ある者” 才ある婆様がセナ婆様の姉様ということがロイハノに知られたら」 オロンガ村がひた隠しにしてきたことも案じられる。
「ロイハノにはトンデンの“才ある者” に伝えるようにと言っておる。 その言葉だけで姉様の事を誰にも聞かん。 それが“才ある者” じゃ」
『オロンガの女』 の語りをロイハノがトンデン村に出向いてオロンガ村の“才ある者” に語ることになった。 今日までに、聞かれるであろう色んな語りをセナ婆がロイハノに語っていた。
そしてトワハ一人でトンデン村までロイハノを送り届けるには心もとない。 アシリと他3人を同道させる事にした。 トワハは道案内に、盗賊からはアシリ達4人でロイハノを守る。
ロイハノは歩くズークに座ることは出来ても、ズークを操ったり激しい揺れの中乗っている事は出来ない。 長い旅になることが目に見えている。
ロイハノに限らず“才ある者” は特別なことがない限り村の中に居る故、ズークや馬に乗って村を出ることがないからである。
タム婆だけは別だが。 あ、イヤ、タム婆の教えを乞うているトデナミもそうである。 トンデン村で一人生きたタム婆は、馬に乗ることが出来た。 と言うより馬がタム婆を乗せた。 だから、タム婆はトデナミにも馬に乗れるよう教え込んだ。
「どうじゃ? 少しは落ち着いて考えられるようになったか?」
ずっと続く豪雨の中、溢れかえった川に行くことも出来ずセナ婆の家にいた。 セナ婆がロイハノに語っている間、声は耳に入ってくるが聞くでもなく家の端に座っていた。
「婆様・・・分かっているんです。 我が困らせていることは。 困らせるくらいなら、逢わなければと思うのです。 でも、それだけで終わらない。
オロンガの雨は長い。 だから次の真円の月になるまではオロンガに来ないように言いました。 川でしか逢えないと思っていましたから。 でもその間、逢えないという事が辛いんです。 逢うことが困らせると分かっているのに、逢えない事が辛いんです」
「そうか・・・。 それでもこうして話してくれるようになった」
「ババ様・・・」 思わず垂れていた顔を上げた。
「思ったことを話せよ。 シノハが話したいと思う者に話せ。 わしだけにではなくていい。 ロイハノでも、アシリでも、リンラニでもいい。 ・・・皆、シノハのことを心配しておる」
ロイハノが心配をしてくれているのは重々に分かっている。 いや、ロイハノだけではない。 皆に心配をかけている、それも分かっている。 だが、
「ババ様が我のことを思って下さっているのは身体の芯まで沁みています。 それにロイハノにも。 ・・・我が話せるようになったのは・・・もしかしてロイハノがずっと声をかけてくれたからでしょうか・・・。 我に特別に飯を作ってくれたり、ロイハノには迷惑をかけてばかりです」
「ロイハノはシノハを失いたくない、そればかりを願っておる。 ロイハノはシノハのことを、わしと同じくらいずっと見てきたのじゃからな。 今トンデンに行くのは、シノハのことを思うと辛いじゃろうな」
もしロイハノが“才ある者” でなければ、シノハは我が子となる年だ。 わが子の様に気になるのであろう。
(まだ大丈夫じゃ。 他の者のことを考えられている間は、まだ・・・) 口に出して何を言うでもなく、心の声にセナ婆が小さく頷いた。
(婆様はロイハノが、ロイハノは婆様が心配してくださっていると仰る。 それにタム婆様も。 我はどれだけ心配をかけているのか・・・) シノハにも言葉に出来ない心の内があった。
「そのタイリンという者のことを思うと、すぐにでも姉様にお伝えせねばなるまい。 お伝えすれば姉様は良きに計らってくれよう。 じゃが、姉様のお歳を考えると一亥も早くお知らせせねばならん」
「はい」 いつも頭を垂れていたタイリンの姿が心に浮かぶ。
「シノハ」
「はい」
「ロイハノが帰ってきたときに心配をかけぬよう、しっかりと食えよ」
ロイハノがいなくなれば、シノハの母親がセナ婆とシノハの飯を作るだろうが、シノハの母親はシノハの食が腹に入らないことを知らない。 だがシノハが抱えていること、今は誰にも言えない事はシノハの母、リンラニにも言えない。 それ故、母親はロイハノの様に少量で精のつくものを作らないであろう。 シノハを見ればしっかりと腹を満たすものを沢山作るであろう。
家の戸が開いた。 ロイハノが村長を家の中に入れる。 シノハが部屋の隅に移動した。
「長、雨の中悪かったのう」
「いえ、これしきの雨」 言いながらセナ婆の家の中を濡らさないように、濡れた衣を戸口で拭いている。
「ああ、構わん。 ここへ」
言われ、素早く雨を拭き取ると椅子に座るセナ婆の前に片膝をついた。
「婆様、ロイハノから聞きましたが、この雨の中ロイハノを出すのですか? それもトンデンになど遠い所に」
「ああ、ロイハノには悪いが急いでおってな。 雨が止むまでと言っておられん」
「ですが、ロイハノはズークにも乗れません」
「座ることは出来るじゃろう。 じゃからアシリについていってもらう。 ロイハノもアシリになら具合が悪いと言いやすいじゃろうからな」 アシリはロイハノが幼少のころ一緒に育ったロイハノの兄である。
「ロイハノ、本当にそれでいいのか?」 戸口に立つロイハノを振り返り聞いた。
「はい。 大切なお話をお伝えするのです。 ズークに乗れないなどと言っている場合ではありません」
「そうか・・・。 “才ある者” の話しか」 独語すると口を噤んだ。 “才ある者” の話はそうでない者には立ち入れない。
「婆様、それではトワハとアシリ、他に3人をつけるということですが、それだけで大丈夫でしょうか? もっと沢山つければどうでしょう」
「あまり目立ってものう」
(アシリ一人で充分だけどな・・・) 後ろを向いて部屋の隅で背を丸くして聞いていたシノハが思った。
渉とのことがなければ、己が同道するとすぐに言うであろうが、今はそれにさえ気付かない。
「そうですか・・・。 それで? いつ発つのですか?」
「明日にでも。 長から4人とトワハに伝えてくれ」
「はい。 それでは」 部屋の隅で座っている後姿のシノハに目をやったが、シノハのことには誰も触れるなとセナ婆から触れが出ている。 そのままセナ婆の家を出た。
長を見送るとロイハノが戸を閉めた。
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- 映ゆ - ~ Shinoha ~ 第111回
「では、長をここへ」
「はい」 ずっと続いている豪雨の降りしきる中、ロイハノが村長を呼びに出た。
「婆様、この雨の中ロイハノには・・・」 セナ婆とロイハノの会話を聞いていたシノハが直言しかけたが、言葉尻が消えた。
今の己は言える立場ではないのだから。 だが、ロイハノは決して若いわけではない。 ロイハノの身を案じてしまうのは当然だ。
「ああ、じゃが一日も早く姉様にお伝えせねばならん。 姉様の事じゃ、そのタイリンとやらの事を気にされているであろうからな。 それにオロンガを出れば雨も止んでいるじゃろう」
「ですが、トンデンの“才ある者” 才ある婆様がセナ婆様の姉様ということがロイハノに知られたら」 オロンガ村がひた隠しにしてきたことも案じられる。
「ロイハノにはトンデンの“才ある者” に伝えるようにと言っておる。 その言葉だけで姉様の事を誰にも聞かん。 それが“才ある者” じゃ」
『オロンガの女』 の語りをロイハノがトンデン村に出向いてオロンガ村の“才ある者” に語ることになった。 今日までに、聞かれるであろう色んな語りをセナ婆がロイハノに語っていた。
そしてトワハ一人でトンデン村までロイハノを送り届けるには心もとない。 アシリと他3人を同道させる事にした。 トワハは道案内に、盗賊からはアシリ達4人でロイハノを守る。
ロイハノは歩くズークに座ることは出来ても、ズークを操ったり激しい揺れの中乗っている事は出来ない。 長い旅になることが目に見えている。
ロイハノに限らず“才ある者” は特別なことがない限り村の中に居る故、ズークや馬に乗って村を出ることがないからである。
タム婆だけは別だが。 あ、イヤ、タム婆の教えを乞うているトデナミもそうである。 トンデン村で一人生きたタム婆は、馬に乗ることが出来た。 と言うより馬がタム婆を乗せた。 だから、タム婆はトデナミにも馬に乗れるよう教え込んだ。
「どうじゃ? 少しは落ち着いて考えられるようになったか?」
ずっと続く豪雨の中、溢れかえった川に行くことも出来ずセナ婆の家にいた。 セナ婆がロイハノに語っている間、声は耳に入ってくるが聞くでもなく家の端に座っていた。
「婆様・・・分かっているんです。 我が困らせていることは。 困らせるくらいなら、逢わなければと思うのです。 でも、それだけで終わらない。
オロンガの雨は長い。 だから次の真円の月になるまではオロンガに来ないように言いました。 川でしか逢えないと思っていましたから。 でもその間、逢えないという事が辛いんです。 逢うことが困らせると分かっているのに、逢えない事が辛いんです」
「そうか・・・。 それでもこうして話してくれるようになった」
「ババ様・・・」 思わず垂れていた顔を上げた。
「思ったことを話せよ。 シノハが話したいと思う者に話せ。 わしだけにではなくていい。 ロイハノでも、アシリでも、リンラニでもいい。 ・・・皆、シノハのことを心配しておる」
ロイハノが心配をしてくれているのは重々に分かっている。 いや、ロイハノだけではない。 皆に心配をかけている、それも分かっている。 だが、
「ババ様が我のことを思って下さっているのは身体の芯まで沁みています。 それにロイハノにも。 ・・・我が話せるようになったのは・・・もしかしてロイハノがずっと声をかけてくれたからでしょうか・・・。 我に特別に飯を作ってくれたり、ロイハノには迷惑をかけてばかりです」
「ロイハノはシノハを失いたくない、そればかりを願っておる。 ロイハノはシノハのことを、わしと同じくらいずっと見てきたのじゃからな。 今トンデンに行くのは、シノハのことを思うと辛いじゃろうな」
もしロイハノが“才ある者” でなければ、シノハは我が子となる年だ。 わが子の様に気になるのであろう。
(まだ大丈夫じゃ。 他の者のことを考えられている間は、まだ・・・) 口に出して何を言うでもなく、心の声にセナ婆が小さく頷いた。
(婆様はロイハノが、ロイハノは婆様が心配してくださっていると仰る。 それにタム婆様も。 我はどれだけ心配をかけているのか・・・) シノハにも言葉に出来ない心の内があった。
「そのタイリンという者のことを思うと、すぐにでも姉様にお伝えせねばなるまい。 お伝えすれば姉様は良きに計らってくれよう。 じゃが、姉様のお歳を考えると一亥も早くお知らせせねばならん」
「はい」 いつも頭を垂れていたタイリンの姿が心に浮かぶ。
「シノハ」
「はい」
「ロイハノが帰ってきたときに心配をかけぬよう、しっかりと食えよ」
ロイハノがいなくなれば、シノハの母親がセナ婆とシノハの飯を作るだろうが、シノハの母親はシノハの食が腹に入らないことを知らない。 だがシノハが抱えていること、今は誰にも言えない事はシノハの母、リンラニにも言えない。 それ故、母親はロイハノの様に少量で精のつくものを作らないであろう。 シノハを見ればしっかりと腹を満たすものを沢山作るであろう。
家の戸が開いた。 ロイハノが村長を家の中に入れる。 シノハが部屋の隅に移動した。
「長、雨の中悪かったのう」
「いえ、これしきの雨」 言いながらセナ婆の家の中を濡らさないように、濡れた衣を戸口で拭いている。
「ああ、構わん。 ここへ」
言われ、素早く雨を拭き取ると椅子に座るセナ婆の前に片膝をついた。
「婆様、ロイハノから聞きましたが、この雨の中ロイハノを出すのですか? それもトンデンになど遠い所に」
「ああ、ロイハノには悪いが急いでおってな。 雨が止むまでと言っておられん」
「ですが、ロイハノはズークにも乗れません」
「座ることは出来るじゃろう。 じゃからアシリについていってもらう。 ロイハノもアシリになら具合が悪いと言いやすいじゃろうからな」 アシリはロイハノが幼少のころ一緒に育ったロイハノの兄である。
「ロイハノ、本当にそれでいいのか?」 戸口に立つロイハノを振り返り聞いた。
「はい。 大切なお話をお伝えするのです。 ズークに乗れないなどと言っている場合ではありません」
「そうか・・・。 “才ある者” の話しか」 独語すると口を噤んだ。 “才ある者” の話はそうでない者には立ち入れない。
「婆様、それではトワハとアシリ、他に3人をつけるということですが、それだけで大丈夫でしょうか? もっと沢山つければどうでしょう」
「あまり目立ってものう」
(アシリ一人で充分だけどな・・・) 後ろを向いて部屋の隅で背を丸くして聞いていたシノハが思った。
渉とのことがなければ、己が同道するとすぐに言うであろうが、今はそれにさえ気付かない。
「そうですか・・・。 それで? いつ発つのですか?」
「明日にでも。 長から4人とトワハに伝えてくれ」
「はい。 それでは」 部屋の隅で座っている後姿のシノハに目をやったが、シノハのことには誰も触れるなとセナ婆から触れが出ている。 そのままセナ婆の家を出た。
長を見送るとロイハノが戸を閉めた。