『---映ゆ---』 目次
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渉の残像を見送ると、すがるような目で見ていた渉の言葉が頭を巡る。
『嘘じゃないの。 ずっとシノハさんと一緒に居たいの。 いつもいつもシノハさんと居たいの。 ここに、オロンガに来てもいい。 うううん、来たい。 でも、それを言うことでシノハさんが苦しい顔になるのがイヤなの。 シノハさんが笑顔でないとイヤなの。
私がオロンガに来たらイヤ? 私がオロンガに来たらシノハさんの笑顔がなくなる?』
どうして渉にこんなことを言わせてしまったのか。
「我は・・・我は・・・ショウ様を困らせているだけなのか」
拳を握りしめる。 目を落とすと己の足が見えた。 その足で渉を支えられない。 握り締めた拳を開くと、その掌を見た。 この手も渉を支えられない。 爪が刺さるほどにもう一度拳を握る。 歯を噛み、強く目を閉じた。
そしてただ自嘲の念に駆られる。
「ショウ様・・・」
両手両膝をつきその場に座り込むと強く閉じていた目を開け、ずっと続く川上を見た。
それでも、渉を支えられなくても・・・オロンガの女のことを話して渉と共に生きて・・・。 いいや、そんなことは無理だと分かっている。 それは何度も何度も繰り返しおもった思い。
「ショウ様の顔を見ているだけで、声を聞いているだけで・・・。 そんなことで終れるはずがない。 倒れたショウ様に手を添えられない。 汚れた膝を払うことさえ出来ない。 そんな毎日を送られるはずがない」 尻をつき膝を抱えると顔を埋ずめた。
「・・・」 膝の中で目を瞑る。 目を瞑ると渉のすがる様な目をした顔が浮かぶ。
僅かな風に葉擦れの音がする。 川の流れる音がする。 どこかで小動物が何かを踏んだ音がする。 空を見上げればピーヒョロと鳴きながら天高く猛禽類が弧を描いている。 だが、どれもシノハの耳には届いていない。
シノハの目の裏で、すがる様な目をした渉の目から、大きな涙が落ちる姿が浮かんだ。 実際に渉が泣いたわけではない。 シノハの頭のどこかで無意識に、渉の心の中を姿として表したのだ。
コロコロコロ、ジョウビキの鳴く声がした。 顔を上げると河原にジョウビキが降りたちピョンピョンとはねている。
「ジョウビキ・・・」
何故この時宜に、と思う。 心が詰まる。 一つ瞼を閉じて息を吐くと再び瞼を開ける。
そんなシノハの想いも知らず、ジョウビキは淡々と己の世界にいる。 当たり前だ、と歎息する。
「・・・ジョウビキ、お前は幸せか?」
河原の小石をくちばしでつつくと虫でもいたのかくちばしを動かしている。
「仲間はどうした? お前も一人か?」 このジョウビキがずっと一羽で行動をしているのは知っていた。 だが、改めて聞いた。 理由などなく。
ジョウビキがシノハを見た。
「なんだ?」
じっと見ていたかと思うと空を見上げ一つ二つ首を傾げると、コロコロコロと鳴いて飛び立っていってしまった。
「ジョウビキ・・・」
ジョウビキを追って空を見ると、黒い雲がいつの間にか現れていた。
「・・・とうとうくるか。 ショウ様が当分来られないと言っておられて良かった」 言いながらも渉と逢えない事に胸の痛みを覚える。
渉と逢ってはいけない。 己が渉を困らせている。 だが、言葉で終れるものではない。 何度も何度もこれの繰り返し。 終わりなど、結果を出すことなどできない。
シノハの後ろでは、アシリに手を取られ岩を登ってきたロイハノが現れた。 ロイハノが急いでシノハに歩み寄る。
「シノハ、雨がきます。 村へ帰りなさい」
呼びかけられ振り返りロイハノを見たが、顔をそむける。
「シノハ!」
「我はここに居ます」 万が一、渉が来ては、と思うとこの場を離れられない。
「いい加減になさい! どうして婆様にご心配ばかりかけるのですか!」
「我は何ともありません。 ロイハノこそ危ないから村に帰って下さい」
「シノハ・・・」 覇気のない後姿に悲憤を覚える。
(どうして、どうして、こんなことに!)
一つ息を吸うと、声を荒げてしまったことを自省する。
「シノハ・・・帰りましょう」
シノハの後姿は何の反応も示さない。
無理やりにでも連れ帰ろうか、いや、そんなことに従うシノハではない。 ではどうすればいいのか。 逡巡するロイハノから少し離れた後ろにいた影が動き、ロイハノの横に立った。
「おい、シノハ!」 アシリが大股でロイハノの横に歩み出た。
「お前に何があるか知らんが、いい加減にしろ!」
「アシリ、口を出すのではないです!」
アシリがロイハノの兄といえど、ロイハノは“才ある者” アシリに命ずる。 そのロイハノの言葉が耳に入らなかったのか、アシリの怒りが言葉に出る。
「毎日毎日ロイハノがここへ来るのにどれだけ大変な思いをしているか考えろ!」 ロイハノの前に出てシノハににじり寄った。
「・・・」 アシリの声は無視できない。 勿論“才ある者” のロイハノに対してもそうでなければいけないのだが、いや、それ以上なのだが、シノハにとってアシリは特別だ。
アシリの声に振り返り立ち上がると頭を垂れた。
「目を合わせられないのか!?」 アシリが問う。
“才ある者” として村の中だけで生きているロイハノがここまで来るのにどれだけ苦労しているかは言われずも分かる。 だからこそ、敢えて言われ、目を合わせることが出来ない。
「アシリ! 私のことなど今はどうでもいいこと! 今はシノハのことが一番なのですから!」
ロイハノが言うが、今の己はロイハノにもアシリにも目を合わすことなどできない。 アシリには場が違えば目を逸らすことさえ出来ないはずなのに。
途端、アシリの拳がシノハの腹を打った。
「グッ!」 腹の底から一声上げると、一瞬大きく目を開きそのまま気を失った。
「アシリ! なんてことを!」
ロイハノが驚いて大声を上げたが、アシリが前に倒れこんできたシノハをすぐに肩に担いだ。
アシリはシノハの使い、ゴンドュー村への使いの前人だった。 シノハがゴンドュー村へ顔合わせに行ったとき、ゴンドュー村へ同道したのは前人であるアシリであった。
そのアシリもゴンドュー村から拳を教えてもらっていた。 だから、アシリとシノハの関係は単なるオロンガの使いの前人、後人というだけのものではなかった。 互いにゴンドュー村で教わった基本である、目を逸らさず相手の話を真正面から聞く、という事が身についていた。 ついていたはずだった。
そしてゴンドュー村の村人は厳しいが、突き放すことをしない。 簡単に言えば自分が認めた相手には、徹底的に教えるという事なのだが、それは長くゴンドュー村に行っていたアシリが身につけていた。 だからアシリはシノハを突き放すことをしない。
「心配するな、シノハの身体ではこれくらいはなんともない。 が、見た目以上にかなり痩せていたな・・・。 あばらを折っていないことを天に祈っておいてくれ」 言うとシノハを担いで歩き出すと岩の手前で歩を止めた。
「エラン! ラワン!」 大声で叫ぶと2頭のズークが幾つもの岩を跳びこえてやって来た。
岩を跳び越えている間に肩に担がれていたシノハを目にしたのだろう。 ラワンがアシリに走り寄り、アシリの肩に担がれているシノハに顔を摺り寄せた。
「ラワン、シノハが起きてしまうだろう。 今は村に連れて帰るのが先だ。 シノハを乗せて歩いてくれ」 ラワンの背に気を失っているシノハを乗せると、ラワンが何度も背に乗っているシノハの姿を振り返る。
「ほら、シノハが目覚める前にさっさと歩いてくれ。 落とさないように歩けよ。 お前が先頭だ」
ラワンに命じると、もう1頭のズーク、エランにロイハノを乗せた。
「大回りになるが、岩のない所から帰ろう」
エランと共にいつからかラワンも毎日ここへ来ていた。 アシリがシノハを探し求めるラワンを己のズークと共に連れてきていたのだった。
「婆様・・・申し訳ありませんでした」 気が付いたときにはタム婆の家に寝かされていた。
「やつれてしもうて・・・」 頬がこけ、目の窪んだシノハを見た。
ロイハノが閉められた戸口に立っている。 外では強く雨の打つ音がしている。
「シノハ、語りの途中じゃったな」
「・・・婆様?」
「あと少し語りはある」 その言葉にシノハが希望を持った。
「はい」
「男と女が居なくなった話は覚えているな?」
「はい」
「男と女が居なくなったその後には赤子が残る」
「え?」
「赤子じゃ」
(赤子・・・?)
「その赤子がどこに降りるかは天のみぞ知る。 どこかで新しく生まれた赤子は、その村の一番大きな葉に包まれて生まれてくるという。 父も母もない子じゃ」 思いもしない方向に向いた語りだった。
「一番大きな葉?」
「ああ、そうじゃ」
「一番大きな葉にくるまれて赤子が生まれてくるのですか?」
「ああ。 語りはそう言っておる」
「タイリン?」 シノハから洩れる言葉にセナ婆が皺を増やしたが、そのまま語りを続けた。
「何かが変わることがない限り、己で変わろうとしない限り、その赤子はずっとその負い目の中を生きていく」
「負い目?」
「そうじゃ。 一からやり直さねばならん」
「一から?」
「ああ、何もかもやり直さねばならん」
「やり直しとは?」
「それまでに、生きて学んだことが無になる。 どうにかしたいと思っていたことに挑んだことが何もかもなくなる。 すべて最初からやり直しじゃ」 セナ婆が目を瞑った。
「この命(めい)を持った者たちはどこかで分かり合っているという。 己の意識のないどこかで」 セナ婆が話を括った。
(え?・・・タイリンは、その赤子なのか? だから・・・だから、俺はタイリンが気になったのか? トビノイの葉に包まれていた・・・確かトビノイの葉が一番大きな時にタイリンが葉に包まれてあの沼にいたと聞いた。
タイリンは初めて俺を見た時、俺と何か話さなきゃと思ったって言っていた。 そうだ、だからどこかで記憶のあるタイリンが、俺がショウ様と逢った時にダメと言ったのか? 自分と同じことをさせないようにと・・・。 それは・・・タイリンは自分の選んだ道を後悔しているという事なのか?)
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- 映ゆ - ~ Shinoha ~ 第105回
渉の残像を見送ると、すがるような目で見ていた渉の言葉が頭を巡る。
『嘘じゃないの。 ずっとシノハさんと一緒に居たいの。 いつもいつもシノハさんと居たいの。 ここに、オロンガに来てもいい。 うううん、来たい。 でも、それを言うことでシノハさんが苦しい顔になるのがイヤなの。 シノハさんが笑顔でないとイヤなの。
私がオロンガに来たらイヤ? 私がオロンガに来たらシノハさんの笑顔がなくなる?』
どうして渉にこんなことを言わせてしまったのか。
「我は・・・我は・・・ショウ様を困らせているだけなのか」
拳を握りしめる。 目を落とすと己の足が見えた。 その足で渉を支えられない。 握り締めた拳を開くと、その掌を見た。 この手も渉を支えられない。 爪が刺さるほどにもう一度拳を握る。 歯を噛み、強く目を閉じた。
そしてただ自嘲の念に駆られる。
「ショウ様・・・」
両手両膝をつきその場に座り込むと強く閉じていた目を開け、ずっと続く川上を見た。
それでも、渉を支えられなくても・・・オロンガの女のことを話して渉と共に生きて・・・。 いいや、そんなことは無理だと分かっている。 それは何度も何度も繰り返しおもった思い。
「ショウ様の顔を見ているだけで、声を聞いているだけで・・・。 そんなことで終れるはずがない。 倒れたショウ様に手を添えられない。 汚れた膝を払うことさえ出来ない。 そんな毎日を送られるはずがない」 尻をつき膝を抱えると顔を埋ずめた。
「・・・」 膝の中で目を瞑る。 目を瞑ると渉のすがる様な目をした顔が浮かぶ。
僅かな風に葉擦れの音がする。 川の流れる音がする。 どこかで小動物が何かを踏んだ音がする。 空を見上げればピーヒョロと鳴きながら天高く猛禽類が弧を描いている。 だが、どれもシノハの耳には届いていない。
シノハの目の裏で、すがる様な目をした渉の目から、大きな涙が落ちる姿が浮かんだ。 実際に渉が泣いたわけではない。 シノハの頭のどこかで無意識に、渉の心の中を姿として表したのだ。
コロコロコロ、ジョウビキの鳴く声がした。 顔を上げると河原にジョウビキが降りたちピョンピョンとはねている。
「ジョウビキ・・・」
何故この時宜に、と思う。 心が詰まる。 一つ瞼を閉じて息を吐くと再び瞼を開ける。
そんなシノハの想いも知らず、ジョウビキは淡々と己の世界にいる。 当たり前だ、と歎息する。
「・・・ジョウビキ、お前は幸せか?」
河原の小石をくちばしでつつくと虫でもいたのかくちばしを動かしている。
「仲間はどうした? お前も一人か?」 このジョウビキがずっと一羽で行動をしているのは知っていた。 だが、改めて聞いた。 理由などなく。
ジョウビキがシノハを見た。
「なんだ?」
じっと見ていたかと思うと空を見上げ一つ二つ首を傾げると、コロコロコロと鳴いて飛び立っていってしまった。
「ジョウビキ・・・」
ジョウビキを追って空を見ると、黒い雲がいつの間にか現れていた。
「・・・とうとうくるか。 ショウ様が当分来られないと言っておられて良かった」 言いながらも渉と逢えない事に胸の痛みを覚える。
渉と逢ってはいけない。 己が渉を困らせている。 だが、言葉で終れるものではない。 何度も何度もこれの繰り返し。 終わりなど、結果を出すことなどできない。
シノハの後ろでは、アシリに手を取られ岩を登ってきたロイハノが現れた。 ロイハノが急いでシノハに歩み寄る。
「シノハ、雨がきます。 村へ帰りなさい」
呼びかけられ振り返りロイハノを見たが、顔をそむける。
「シノハ!」
「我はここに居ます」 万が一、渉が来ては、と思うとこの場を離れられない。
「いい加減になさい! どうして婆様にご心配ばかりかけるのですか!」
「我は何ともありません。 ロイハノこそ危ないから村に帰って下さい」
「シノハ・・・」 覇気のない後姿に悲憤を覚える。
(どうして、どうして、こんなことに!)
一つ息を吸うと、声を荒げてしまったことを自省する。
「シノハ・・・帰りましょう」
シノハの後姿は何の反応も示さない。
無理やりにでも連れ帰ろうか、いや、そんなことに従うシノハではない。 ではどうすればいいのか。 逡巡するロイハノから少し離れた後ろにいた影が動き、ロイハノの横に立った。
「おい、シノハ!」 アシリが大股でロイハノの横に歩み出た。
「お前に何があるか知らんが、いい加減にしろ!」
「アシリ、口を出すのではないです!」
アシリがロイハノの兄といえど、ロイハノは“才ある者” アシリに命ずる。 そのロイハノの言葉が耳に入らなかったのか、アシリの怒りが言葉に出る。
「毎日毎日ロイハノがここへ来るのにどれだけ大変な思いをしているか考えろ!」 ロイハノの前に出てシノハににじり寄った。
「・・・」 アシリの声は無視できない。 勿論“才ある者” のロイハノに対してもそうでなければいけないのだが、いや、それ以上なのだが、シノハにとってアシリは特別だ。
アシリの声に振り返り立ち上がると頭を垂れた。
「目を合わせられないのか!?」 アシリが問う。
“才ある者” として村の中だけで生きているロイハノがここまで来るのにどれだけ苦労しているかは言われずも分かる。 だからこそ、敢えて言われ、目を合わせることが出来ない。
「アシリ! 私のことなど今はどうでもいいこと! 今はシノハのことが一番なのですから!」
ロイハノが言うが、今の己はロイハノにもアシリにも目を合わすことなどできない。 アシリには場が違えば目を逸らすことさえ出来ないはずなのに。
途端、アシリの拳がシノハの腹を打った。
「グッ!」 腹の底から一声上げると、一瞬大きく目を開きそのまま気を失った。
「アシリ! なんてことを!」
ロイハノが驚いて大声を上げたが、アシリが前に倒れこんできたシノハをすぐに肩に担いだ。
アシリはシノハの使い、ゴンドュー村への使いの前人だった。 シノハがゴンドュー村へ顔合わせに行ったとき、ゴンドュー村へ同道したのは前人であるアシリであった。
そのアシリもゴンドュー村から拳を教えてもらっていた。 だから、アシリとシノハの関係は単なるオロンガの使いの前人、後人というだけのものではなかった。 互いにゴンドュー村で教わった基本である、目を逸らさず相手の話を真正面から聞く、という事が身についていた。 ついていたはずだった。
そしてゴンドュー村の村人は厳しいが、突き放すことをしない。 簡単に言えば自分が認めた相手には、徹底的に教えるという事なのだが、それは長くゴンドュー村に行っていたアシリが身につけていた。 だからアシリはシノハを突き放すことをしない。
「心配するな、シノハの身体ではこれくらいはなんともない。 が、見た目以上にかなり痩せていたな・・・。 あばらを折っていないことを天に祈っておいてくれ」 言うとシノハを担いで歩き出すと岩の手前で歩を止めた。
「エラン! ラワン!」 大声で叫ぶと2頭のズークが幾つもの岩を跳びこえてやって来た。
岩を跳び越えている間に肩に担がれていたシノハを目にしたのだろう。 ラワンがアシリに走り寄り、アシリの肩に担がれているシノハに顔を摺り寄せた。
「ラワン、シノハが起きてしまうだろう。 今は村に連れて帰るのが先だ。 シノハを乗せて歩いてくれ」 ラワンの背に気を失っているシノハを乗せると、ラワンが何度も背に乗っているシノハの姿を振り返る。
「ほら、シノハが目覚める前にさっさと歩いてくれ。 落とさないように歩けよ。 お前が先頭だ」
ラワンに命じると、もう1頭のズーク、エランにロイハノを乗せた。
「大回りになるが、岩のない所から帰ろう」
エランと共にいつからかラワンも毎日ここへ来ていた。 アシリがシノハを探し求めるラワンを己のズークと共に連れてきていたのだった。
「婆様・・・申し訳ありませんでした」 気が付いたときにはタム婆の家に寝かされていた。
「やつれてしもうて・・・」 頬がこけ、目の窪んだシノハを見た。
ロイハノが閉められた戸口に立っている。 外では強く雨の打つ音がしている。
「シノハ、語りの途中じゃったな」
「・・・婆様?」
「あと少し語りはある」 その言葉にシノハが希望を持った。
「はい」
「男と女が居なくなった話は覚えているな?」
「はい」
「男と女が居なくなったその後には赤子が残る」
「え?」
「赤子じゃ」
(赤子・・・?)
「その赤子がどこに降りるかは天のみぞ知る。 どこかで新しく生まれた赤子は、その村の一番大きな葉に包まれて生まれてくるという。 父も母もない子じゃ」 思いもしない方向に向いた語りだった。
「一番大きな葉?」
「ああ、そうじゃ」
「一番大きな葉にくるまれて赤子が生まれてくるのですか?」
「ああ。 語りはそう言っておる」
「タイリン?」 シノハから洩れる言葉にセナ婆が皺を増やしたが、そのまま語りを続けた。
「何かが変わることがない限り、己で変わろうとしない限り、その赤子はずっとその負い目の中を生きていく」
「負い目?」
「そうじゃ。 一からやり直さねばならん」
「一から?」
「ああ、何もかもやり直さねばならん」
「やり直しとは?」
「それまでに、生きて学んだことが無になる。 どうにかしたいと思っていたことに挑んだことが何もかもなくなる。 すべて最初からやり直しじゃ」 セナ婆が目を瞑った。
「この命(めい)を持った者たちはどこかで分かり合っているという。 己の意識のないどこかで」 セナ婆が話を括った。
(え?・・・タイリンは、その赤子なのか? だから・・・だから、俺はタイリンが気になったのか? トビノイの葉に包まれていた・・・確かトビノイの葉が一番大きな時にタイリンが葉に包まれてあの沼にいたと聞いた。
タイリンは初めて俺を見た時、俺と何か話さなきゃと思ったって言っていた。 そうだ、だからどこかで記憶のあるタイリンが、俺がショウ様と逢った時にダメと言ったのか? 自分と同じことをさせないようにと・・・。 それは・・・タイリンは自分の選んだ道を後悔しているという事なのか?)