大福 りす の 隠れ家

小説を書いたり 気になったことなど を書いています。
お暇な時にお寄りください。

国津道  第30回

2021年04月30日 22時38分50秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第10回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


     『国津道』 リンクページ




                                   



- 国津道(くにつみち)-  第30回



会社に行くと願弦を避けるように現場に足を運ばなかった。 願弦からの話に諾とせず朱葉姫のことを話さなかったのだから。 心配して訊いてくれたのに。

そして願弦も新年の挨拶に事務所に来ただけで、すぐに現場に戻りそれ以降は事務所に来ることはなかった。 元々事務所にはあまり来ないので不自然なことではない。 それに初日だ、忙しいのだろう。

「ん? 野崎さんどうしたの?」

廊下を歩いていると、男性社員が詩甫の絆創膏に気付いた。 その指が詩甫の顔を指し、手の甲に足にと徐々に下に降りていっている。

「あはは、こけちゃいました」

「こけたくらいでそんなことになる?」

「遊びに行った先で階段をずっこけたんですよ」

詩甫は言っていない。 声の主を見ようと振り向くとそこに加奈が立っていた。

「え? うそ・・・」

男性社員が加奈と詩甫を交互に見る。

「詩甫ってうっかりな所があるから、足を滑らせたんですよ。 以外でしょ?」

「あ・・・うん」

男性社員の間では詩甫はしっかり者だと思われている。 詩甫にとってそれは誤解であるとは思っていたが、何を言っても聞いてはもらえなかった。

「女子の間では当たり前の事なんですけどね」

加奈が男性社員を横目で見る。

「そ・・・そうなんだ」

「そうですよ。 何度も言ってますよね?」

加奈に目配せをされた詩甫が言う。 今までも何度も言っていたことである。

「・・・そうか、そうなんだ・・・。 えっと、大丈夫?」

「はい、加奈がよくしてくれましたから」

加奈に睨まれているような気がして及び腰になった男性社員。

「・・・そっか。 お大事に」

男性社員が去って行った。
その姿を見送って加奈が口を開く。

「大丈夫?」

「ごめん、心配かけて。 でももう、絆創膏ですむ範囲だから」

加奈にはラインで事後報告をしていた。 あくまでも身体のことで、だ。

「そういう意味じゃないよ」

「え?」

「座斎(ざさい)」

「え?」

今、話していた男性社員である。

「座斎、詩甫を狙ってるからね」

「は?」

「他の男だったら何も言わないけど、座斎はね」

「・・・どういうこと?」

加奈の言う狙っているというのは恋愛対象の事だろう。 それくらい分かる。 だが加奈の言う『座斎はね』 それはどう意味であろうか。

「なに? 詩甫は座斎がいいの?」

加奈が眉間に皺を寄せる。
その加奈を見て詩甫が思いっきり首を振る。

「そういう意味じゃない」

「だったら何?」

「座斎さんのどこがいけないの?」

思いっきり首を振った詩甫に負けないくらい、加奈が思いっきり息を吐く。

「詩甫・・・、知らないの? そっちのフロアーには広がってない?」

四階建てのビルである。 一、二階は商品倉庫で入出荷を兼ねている。 三階が現場に近い仕事をしている階で、入出荷の伝票や在庫管理をする詩甫の在籍する商品管理課と、営業課が受付を兼任している。
そして加奈の居る四階は労務課や経理課が入っている。

「おっかしいなぁ、一つの階をとんで話が広がってるって」

「え? 何?」


夜、浅香が詩甫に連絡を入れた。
瀬戸は抒情詩的なことは一切考えなかったということらしい。 そして詩甫が望んだお婆の子孫との接触。

「ちょっとした言葉にも気を付けるようにと言われました」

どうしてそこまで気を張っているのだろうかと考えるが、門前払いをくらわされた瀬戸なりに何か感じるものがあったのかもしれない。

「家の場所はタクシーに言えばすぐにわかるということでした」

ドキン
詩甫の心が撥ねた。

「野崎さん?」

スマホの向こうから返事がない。

『・・・あ、はい』

「どうかしましたか?」

浅香が大蛇と思われる “怨” を疑った。 詩甫にまた何かあったのだろうか。

『いえ、何でもありません』

詩甫が言うように浅香の考え過ぎである。 浅香が家の場所と言った途端、もしかしたら何かのヒントではなく、核心に触れられるのかと思っただけである。

まだ鼓動が鳴りやまない。
週末、お婆の子孫に会いに行くことになった。



詩甫の初出勤の日の早朝に遡る。
お婆の子孫の家では早朝から七草粥の用意が始まっていた。 七草を山に摂りに行くということである。

「大婆、胃がもたれたろう」

大婆と言われたお婆さんが言った相手をねめつける。 その大婆は歳にもかかわらず正月から毎日餅を食べていた。

「長治、わしを馬鹿にしとるのか」

長治と言われた男が両手を振って否と応える。
この大婆は、あと千年ほど生きるであろうと思うくらいしっかりとしているのだから。

「そんなことあるわけないだろに」

長治が大婆と言った相手は曾祖母である。 長治の婆さんであり、曾祖母の娘は九十の歳手前で亡くなった。 長治が大婆と呼ぶ曾祖母は、御年百歳を超えて身体は思うようには動かないが、まだまだ内臓も頭の中もしっかりとしている。

大婆が長治をチラリと見た。

「次郎に電話があったようだが?」

次郎というのは長治の長男であり、浅香からの電話を受けた相手でもあり、瀬戸にすごみを利かせ玄関払いをした相手でもある。

次郎が電話で聞いた話を大婆にするはずはない。 誰が大婆に言ったのか・・・電話の会話を小耳にはさんで聞いていた長治の孫、次郎の子供あたりだろうか。
長治は次郎から電話のことは聞いていた。

「大蛇のことを訊きたいと言ってきていたようだ」

「・・・そうか」

「何年か前にも訊きに来た高校生が居たけど―――」

大婆が最後まで言わせなかった。

「次郎が追い帰したのだったかな」

当時の大婆はまだ九十代だった。 まだ、といっても大概だが、今は百歳を超えているというのに記憶がしっかりとしたものだと、話の先を取られた長治が舌を巻く。

まだ若かった次郎から長治を介して大婆はその話を聞いていた。
次郎にしてみれば、話が複雑になるようなら父である長治を呼ぶつもりだったが、それに及ばなかったと言っていた。

二人が話している高校生というのは瀬戸のことである。
当時の次郎は瀬戸の三、四歳ほど上であった。 瀬戸と同じ高校生ではなく働いていた。  高校生であった当時の瀬戸にしてみればそこが大きく影響を与えていた。

瀬戸が高校一年生であったとして、二年上の高校三年生はかなり大人に見える。 すごまれれば亀のように首を引っ込めてしまう。 それが三、四歳ほど上ということを知らなくとも歳上に見え、働いているとなれば持つ雰囲気が全く違う。

瀬戸が大学生ならば少しは違ったのかもしれないが、相手は完全に大人だ。 すごまれれば尻尾を巻くしかなかった。

長治が頷く。

「何かあればわしを呼ぶつもりだったらしいけど」

当時言った言葉を繰り返す。

「五十年かどれほど前か、朱葉姫様のことを訊きに来た者もおったが、二回も続けて大蛇のことか」

大蛇のこととなると大婆の機嫌が悪い。 それに今大婆が言った五十年ほど前の話はそんなことがあったと大婆から聞かされただけで長治が相手をしたわけではない。 どんな話だったのかを長治は知らない。

そこに明るい声が入った。
次郎の子供であった。

「大婆! 七草粥の材料が揃った!」

次郎の子供、それは長治の孫でもある。
朝早くから母親と一緒に七草を探しに出ていた。

「そうか。 順婆に持って行け」

順婆とは順菜という名前からきている。 長治の母親であり、大婆から見て孫であり、明るい声を出した小さな少年の曾祖母である。 曾祖母の母である高祖母であり大婆から見て大婆の娘は既に亡くなっている。

この少年から見て大婆は五代上の婆になる。 大婆が長生きなのもあるが、この家系は早婚である。

「うん」

長治が孫を見送ると、大婆に目を合わせる。
大婆がフッと息を吐く。

「大婆・・・」

「馬鹿どもが。 わしらが知っておればそれでいい。 次郎にそう言っておけ」



詩甫にとって正月休み明けの最初の土曜日の休日であった。 浅香と待ち合わせをしてお婆と言われている子孫に会いに来た。

その子孫が居る家の玄関の前に二人並んで立っている。 まだチャイムは鳴らしていない。

社に行くに、タクシーでいつも降りる場所を通り越してやって来た。
昔からの家らしく玄関の門など無く、車一台が通れる幅のアスファルトが敷かれた道路からそのまま敷地内に入る格好である。 周りの家も皆同じようなものであった。
この家のどこかに瀬戸の実家があるのかと、タクシーを降りた時には辺りをキョロキョロとしたのは浅香だけであった。

浅香が詩甫を見る。
詩甫の顔色は、待ち合わせをしていた時からあまり良くなかった。 何度か尋ねたが「何ともありません、大丈夫です」 と応えるだけだった。
再度浅香が問う。

「野崎さん、大丈夫ですか?」

俯いていた詩甫が顔を上げ浅香を見る。

「何かあるのなら、今回は止めておきましょうか?」

詩甫が首を横に振る。

「野崎さん?」

「すみません、緊張しているだけです。 何ともないです」

詩甫が緊張と言った。 それはどう言った類の緊張なのだろうか。 浅香が頭をもたげた時、後ろから少年の声が上がった。

「あれ? うちに用?」

七草粥が揃ったと大婆に報告した次郎の子供であった。
少年を見た後に思わず詩甫と浅香が目を合わせる。

浅香が詩甫から目を外して少年を見る。 まだ小学生だろう。 小学一年か二年。 口の利き方から二年生だろうか。 その少年が犬のリードを持っている。 散歩から帰ってきたところだろう。 犬が吠えまくっている。 充分番犬になる犬だ。

「あ、えっと・・・」

「父さんが言ってた電話をくれた人?」

しっかりとしている。 体躯の判断では誤ってしまうかもしれない。 小学校三年生かもしれない。
浅香が頷く。
この少年は電話でアポイントを取ったことを知っている。

「うん、今からお訪ねしようと思ってたんだけど・・・君―――」

君はアポイントを取った人の息子? と訊きたかったが、少年が先をとる。

「入って」

再度、浅香と詩甫が目を見合す。
浅香が瀬戸から聞いていたこととあまりに違いすぎる。 詩甫にしても浅香が瀬戸から聞いていたこと、そして瀬戸が書いていることとは違いすぎるとは思ったが、今日はまだ初見だ。 返事次第、訊き方次第で変わるのだろう。
そう思うと余計に緊張するのであるが。

少年が吠えまくり威嚇する犬のリードを引っ張り、玄関横に付けられたフックに掛けると「こっち」 と言って先を歩いた。
犬が浅香たちに向かって吠え続けている。
詩甫が尻ごんだが、玄関を潜るに犬に噛まれる距離ではない。

「行きましょう」

浅香が詩甫の横に付いて歩を出した。

少年が座敷に浅香と詩甫を案内すると「待ってて、父さんを呼んでくるから」 と言い残して出て行った。
瞳が生き生きとし白目部分が澄んでいた。 まるで生まれて間もない赤ちゃんの目を見るようであった。

座敷で正座をした詩甫と浅香。
浅香は正座が苦手だと言っていた。

「待っている間は足を崩していても良いんじゃないですか?」

「あー、はい」

空を見て返事をするが崩す気はなさそうである。 浅香もそれなりに緊張しているのであろうか。

暫く待たされた後、襖を開けて男が入ってきた。 背は特に高くないが見るからに筋骨が発達している。 座った目である。 角ばっている顎が余計とそう見せるのかもしれないが、この目で帰れと言われれば高校生ならば尻尾を巻くだろう。 改めて瀬戸の気持ちが分かった。

「大蛇のことを訊きたいって?」

男が座りながら言った。

少年が父親を呼んでくると言っていた。 この男が少年の父親であり、聞き覚えのある声である、電話に出た男に違いない。 あまり少年とは顔も身体つきも似ていないが、きっと少年は母親似なのだろう。

浅香が頷き「お忙しいところを申しわけありません」 と言い、まずは年明け早々に連絡を入れたことを詫び、次に浅香と詩甫の自己紹介をした。
男もそれに応え「わしは次郎」 と言い口を閉じた。

浅香と詩甫はアポイントをちゃんと取った来客である。 それなのに茶すら出されていない。
帰れ、と態度で示していることなのだろうかとは思うが、ここで帰るわけにはいかない。 瀬戸から言われている一言一言に気を付けながら、どれだけ迂遠になろうとも大蛇のことを訊かなくては何も始まらない。 あまりにも迂遠に訊く気はないが。

「電話で言っていました、大蛇のことをお伺いしたいのですけど」

昔語りとは言わないようにしていた。

「大蛇の何を」

返事をしてくれるだけ有難い。

浅香が詩甫に目を合わせた。 事前に作戦を組んでいた、瀞謝の時の記憶を話せということである。
詩甫が小さく頷くと、小さくゴクリと唾を飲む。

「お社があるお山に大蛇が居るということ―――」

次郎が目を剥いて詩甫の言葉を遮(さえぎ)る。

「い! 今何と言った!?」

「お社があるお山に大蛇が居ると・・・」

次郎が目を剥いたまま動かない。 どうしたものかと思ったが、そのまま続けて話した。

「その大蛇のことを教えて頂きたく、今日お伺いしました」

「だ、誰に訊いた」

この二人はこの村の者でも、この地域の者でもない。 どこで誰に聞いたのか。

「え?」

「あの山に大蛇が居ると誰に訊いた!」

あまりの剣幕に驚いたが、事前に瀬戸から聞かされていたことを浅香からそれなりに聞いている。 構えはある。 それに浅香と考えた嘘の話も立てている。

「直接聞いたわけではありません。 私の母の実家は九州ですけれど、何百年も前はこちらに住んでいたようで、実家の蔵の整理を手伝いに行った時に、いつの時代かは分からない程前の日記のようなものが出てきたんです。 そこにあのお山に大蛇が居ると書かれていました」

そこからは瀞謝として生きていた時の話をした。 社の掃除をしに行っていたと。 瀞謝が日記を書き記しているわけではなかったが、詩甫の記憶にある。 それを日記のようなものと称して話した。 それに母親の九州の実家には蔵などない。 浅香が考えた事であった。

「お山には大蛇が居ると言われていた。 大蛇に睨まれると本人だけではなく家族も睨まれる。 そして不幸が降りかかると言われていたようですが、書き記した私の先祖は親にそう言われながらも、行くなと言われながらも、あのお山にあるお社に行っていたようです。 嫁いだ日を最後に何も書き記されてはいませんでしたが、先祖は・・・日記を残した先祖は、何度も日記に書いていました。 お山の大蛇とは誰の事なのかと」

「誰?」

大蛇とは言え、それは蛇である。 大きな蛇、それが大蛇である。 単なる蛇。 普通はそう考える。 それなのに “誰” と訊いた。

「大蛇(だいじゃ)は大蛇だろう。 大蛇(おおへび)だ」

詩甫が首を振る。

「お山に大蛇が居ます。 その正体を知りたいんです」

「正体?」

「日記を残した先祖は何百年も前に亡くなっています。 ですがずっと大蛇のことを気がかりにしていることを書き記していました。 見ず知らずの所に嫁いだのも、先祖がお山のお社に行くことを阻止したいと先祖の両親が考えたものでした。 そうしなければお山に居る大蛇に先祖が睨まれ家族に不幸が訪れると考えたから、そう書き記してありました」

次郎がゴクリと唾を飲んだ。

「日記を残した先祖の疑問を・・・先祖は今はもう生きてばいません。 私が何を教えて頂こうとも先祖の耳には聞こえないでしょう。 ですが心で分かってもらえると思っています」

そう、詩甫の耳で聞けば瀞謝の心に聞こえるのだから。

詩甫が座布団から身を外すと手を着いて頭を下げた。

「お願いします、大蛇のことを教えてください。 大蛇と言われるのが誰のことなのかを」

昔々は “大蛇” と言えばそのままの姿の蛇を想像しただろう。 誰かがその姿を見たかもしれない。 だが詩甫は近年に生きている。 山に大蛇(おおへび) は居るかもしれない。 ニシキヘビなどは相当に大きい。 だが大蛇と恐れられるほどだろうか。 とぐろを巻いて何十メートルもの大きさがあるだろうか。

無いだろう。

どこかで歪んでいる。 思い込まされている。
思い込ませたのは大蛇の皮を被った誰かかもしれないし、この地の他の人間かもしれないし、この地の者ではないかもしれない。 だがそれは知識のある者、力のある者。 そうでなければここまで昔語りとして残らないだろう。

詩甫を突く力のある者。 詩甫はあの時のことを誰かに突かれたと記憶している。 感触も残っている。
それは突く手のある者。
蛇に手などない。

次郎が立ち上がったのが分かった。

下手を打ったのだろうか。 下げていた詩甫の顔色が一瞬にして変わる。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする