大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第212 回

2020年12月28日 21時47分40秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第210回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第212回



カミを挟んで浜辺に座ったハン。

「ダン、無茶をしてくれるな」

「ああ・・・。 沈むとは思っておらなんだ・・・」

「カミは高山(たかやま)の出だ。 泳ぐことなど出来ん」

修行の中では滝に打たれることはあったが泳ぐことは無かった。 泳がなければならない所に行くことなど有り得なかったからだ。

「え?」

声を出したのはダンだ。 カミは訝し気な目をしてハンを見た。

「カミ、吾のことを憶えてはおらんか?」

「ハン? ハンのことを?」

今更何を言うのか。

「カミが産まれた時には吾がどれ程喜んだか」

「意味が分からん」

「そうだろうな。 吾も忘れておった」

「何を言っておるのか」

「・・・カミ、お前は吾のお母の妹の子だ」

「は?」

「吾に兄弟はおらぬ。 だからお前をずっと見ておった。 お前を妹のように大切にしておった。 だから・・・」


突然に現れた黒装束の一人が言った。

『あの者を幸せにしたいと思うか?』

『当たり前だろう』

『だが、あの者はお父に足蹴にされておる』

『・・・嘘を言うな!』

『嘘ではない。 お前も分かっていよう』

分かっている。 だが分かりたくない。 カミの身体に痣があるのは知っていた。 その痣が増えるたびカミに訊いた。

『これは・・これはどうしたんだ?』

『なんでもない』

『何でもなくない! これ程の痣が、なんでもなくないなどとは無いだろ!』

『声を荒げないで! また父さんが怒る!』

『父さん? オジさんがこの痣を作ったのか!?』

結局それは最後に訊いた言葉となった。

『あの者のお父は草毒に侵されておる』

『草毒?』

『甘く心地よくさせる。 幻惑を見せる。 そのような草毒。 そんな時にその夢を裂く声を聞いたならば、夢は一気に冷め、近くにいる者に手をかける』

『手を? 手をかける?』

『それを止めたいとは思わんか?』

『当たり前だ!』

『では吾の手を取れ』

『・・・どうして』

『吾と共にあの者を救うためだ。 あの者のお母も手をかけられておる。 それをお前のお母に話せ。 お前のお母は分かってくれよう』


「・・・お前をお前のお父から守りたかった」

「吾のお父?」

何を呆けたことを、と言う目を送る。

「吾はゼンのようにまだ痛みなどない。 お前もそうであろう。 だが東の “古の力を持つ者” が言っておっただろう、いつかは痛みが出てくると」

「それがどうした」

「解いてもらうことでお前はお父に何をされていたか思い出すだろう。 お母が何をされていたのかも。 それは知らぬことで良いと思う。 思い出す必要などない事だ。 だがそれはもう過ぎ去ったことだ。 これから起こることではない」

「何を言いたいのか分からんな」

海に投げられたのが効いたのか、頭に血を登らせて怒鳴るようなことは無い。

「お前は小さな頃から痛みによく耐える子だった」

「ではそれで良かろう」

「それがいけなかった。 お前が痛いと、どうしてその痛みが出来たのかを言ってくれていれば、吾もそれなりにもっと早くに考えていたかもしれん」

「なんの話をしておるのか。 それにお前の手抜かりを吾のせいにするというのか。 それで吾がお前のお母の妹の子? なんだそれは? 嘘を言うならもっとそれらしいことを言え」

「吾がお前に一度でも嘘を言ったことがあるか?」

「・・・」

「ないであろう」

「あの東の者に毒でも盛られたんだろう。 しかりとせい」

「毒か・・・」

「ああ、そうだ。 何を飲まされた」

「・・・毒を飲んでいたのは・・・お前のお父だ」

ダンが驚いてハンを見た。

「は? また吾のお父かっ」

「これは覚えていよう。 お前が吾らの元に来た時、身体中に痣と傷があったのを」

「・・・」

ダンがその時のことを思い出したのか、苦い顔を作った。 カミの身体は目も当てられぬほどの痣と傷だらけであった。

「吾はお前の身体を守ってやりたかった。 だからお母とお父に話して師匠についた。 師匠につけばお前を守ってやれると聞いたのでな。 だがそれは叶わなかった。 お前を守ってやりたいということすら忘れてしまっていたのだから。 だが今はこれからお前を襲ってくる痛みからは守ってやれる」

「・・・」

痛みのことはショウワを見て知っていたし、さきほどケミが腹の底からの痛みに心当たりがあると、東の者に頷いていた。 それにゼンも言っていた。 ケミもゼンも東の者からの術にかかる前に言っていたことだ。 だからそれは真実なのだろう。

「ケミが言うにはショウワ様は腹からの痛みに身をよじっておられたらしい。 ゼンも吐き気と痛みに襲われていたそうだ」

「ショウワ様が?」

「ああ。 吾はお前をそんな目にあわせたくない」

「・・・吾が痛みに耐えられると言ったのはお前だ」

「カミ・・・一生耐えると言うのか?」

「・・・」

「お前のあの傷や痣がどうしてでき・・・。 いや、なんでもない」

知ったところでどうなるものでもない。 傷つくだけだ。

「言いかけておいてやめるのか」

「いい。 忘れてくれ」

「・・・忘れることなど出来るはずが無かろう。 今もこの身体に残っておるのに!」

カミがハンを睨み据えて言う。
ダンが口を一文字にしてカミから目を逸らす。

「カミ・・・」

ハンもダンも男だ。 初めてカミが来た時に師匠たちがカミの傷を見る為、カミを裸にした。 そのたった一度っきりしか見ていない。 それは目をそむけたくなるほどの傷と痣、それに火傷のあと、それが本来の肌の色を隠すように隙間なくあった。
今も残っているとは知りもしなかった。
ハンが両手を出してカミの頭を抱え込んだ。

「なにをっ!」

「・・・守ってやれなかった。 守ってやれなかった。 すまん、すまん、すまん」

「お前になど守ってほしく・・・」

ないわ。 まで言葉が続かない。 喉の奥で止まってしまった。
どうして自分の身体にこんなに傷があるのか。 その理由が原因が全く記憶にない。 だがそんな記憶など、思い出したくもなければ掘り起こしたくもなかった。 傷だ、痣だ、火傷だ。 きっとろくでもない理由だったのだろうから。
だがそう考えながらもどこかに不安はあった。
だから出てきたのは涙だけであった。

「すまん、すまん、すまん・・・」

ハンが十歳の時に師匠に迎えられた。 その時カミが五歳。 カミが影としてやってきたのは九歳の時。 五歳からの四年間、カミは一人で耐えてきたのだろうか。
お父とお母にカミの傷やカミのお母のことカミのお父のことを言った。 それを分かってくれてお父とお母はハンを師匠に預けてくれた。
だがその四年の間に、お母とお父はカミとカミのお母を助けてはくれなかったのだろうか。 いいや、それは責任転嫁だ。 ハンはカミのことを放りっぱなしにしていたのだから。

海の面(おもて)に波の飛沫がキラキラと輝いて見える。 一瞬、強い風がおきた。 見上げた空に白い雲が浮かんでいる。 雲が陽を遮る。 黒装束には有難い雲だった。

「いつまでも松の木を眺めててもなぁ・・・」

「言えてる」

五人の内、一人がチラッと桟橋を見た。

「おっ、阿秀がこっちに背中を見せてるぞ」

五人が一斉に振り返った。

「うーん? 紫さまは何処におられる?」

阿秀が桟橋の端にいて、此之葉は醍十と話しているのが見てとれる。

「・・・阿秀が持っていないか?」

持っているなどと、阿秀が聞いたらその口をつねるだろう。

「あ、持ってる持ってる。 靴が見える」

コイツもつねられるな。

「おい、その言い方はいかんだろう、阿秀に聞こえたらどうする」

聞こえなければいいのか?

「この距離だ、聞こえはせん。 取り敢えずは我らが阿秀に代ることが無いと分かった」

それも根本的にどうだろうか。

「それにしても長いな」

「ああ」

「あと何人残っている?」

「えっと・・・」

見ていた人数を頭に浮かべる。

「一人だ」

見ていた人数を頭に浮かべた者より早く答える者がいた。

「あと一人か」

「サッサとしろよ」

「北のことなど、どうでもいい。 それより紫さまに何があった?」

「その前に此之葉のこともある」

五人が目を合わせた。

「気になるのなら野夜が行け」

「いや、気にしているのは湖彩だろう」

言った相手に振り返す。

「だな。 湖彩が行け」

四人の総意がまとまった。

「お前ら―――」

「おい、阿秀が動いた」

野夜と湖彩と悠蓮、梁湶が若冲の声に身体ごと目先を動かした。
阿秀の抱きかかえていた紫揺が足を下ろしている。

「大事は御座いませんか?」

「はい。 もう大丈夫です」

そういう紫揺の足がふらついた。

「まだご無理では?」

紫揺を支えた阿秀が言う。

「うーん・・・。 ま、こけたらこけた時で」

「いえ、それは困ります」

「じゃ、こけません」

絶対にそんな気がないことは阿秀には分かっている。 完全なる舌先三寸だ。
うーん、と言って海に向かい伸びをしている紫揺。 その後ろに立つ阿秀。 いつ紫揺が海に落ちるか分かったものではない。

その阿秀の頭には疑問があった。 先ほど紫揺が言っていた防御とは、それはどういう事なのか。 紫揺の体調を知っておくために訊きたいことではあったが、それは五色の力に踏み入ることになるのだろう。 一介のお付きが訊けることではない。

「あれはいったい何だったんでしょうね」

くるりと振り返った紫揺が言う。

「あの者の身体にあったという冷えですか?」

紫揺が頷くが、阿秀に答えられるものではない。

「あの冷えがあの人の足の裏から流れ出てきてたから、それに便乗して身体の中に溜まっていたものを出したんですけど、あんなものをどうして身体の中に入れたんでしょうか」

阿秀には首を傾げることしか出来ない。
紫揺にしては、どうしてそれが視えたのかという疑問は持っていないようだし、どうしてそれを出すことが出来たのかにも疑問がないようだ。

「足の裏から出てきてたってことは、足の裏から取り入れたんだろうと思ってましたけど、それだけじゃなかったみたいだし」

あくまでも阿秀は聞く姿勢である。 何かを言いたくても言える材料など持っていないのだから。

「狭い空間にいたから、私にも入ってきちゃ困るし、足の裏と万が一のために喉に赤の力で防御してましたけど、まさか皮膚からも入ってくるなんて思ってもみなかった」

これはシキから聞いた身体の内に出すというものだ。 赤の力で入ってこようとする冷気を火のような熱でもって迎え撃ったということであるが、赤の力の出し方など分かっていない紫揺である、単に想像をしただけであった。

シキのあの説明を聞いただけで、実践の経験などない。 一歩間違えれば足の裏や喉が焼けていたところであるが、そうならなかったのは、何も考えていない紫揺の性格がそうさせたのか、ビギナーズラックなのか。
それとも “ダイジコ” の為せる業なのか。 だが今の紫揺もそうだが、誰もそのことなど知らない。

「皮膚・・・?」

「肺呼吸とかエラ呼吸とかっていうじゃないですか。 多分、皮膚呼吸で吸い取っちゃったんだと思います。 だからそんなには入ってきてなかったから、大丈夫だって言いました」

そうですか、と言えばいいのだろうが、何とも返事のしがたい内容だ。

「だけどあんなに僅かでも身体中に力が入らなくなったのに、あの人ホントに凄い」

ケミ曰くの筋肉馬鹿だからだろうか。

そうだ! と言うと紫揺が歩き出した。

「紫さま、まだお歩きになっては」

「大丈夫、落ちませんから」

こけませんから、ではなかったでしょうか? そう言いたい阿秀が諦めて紫揺の半歩斜め後ろを歩いた。 この距離ならいつでも腕が伸ばせる。
此之葉と醍十の居る所まで来たが、何やら雰囲気がおかしい。

「此之葉さん大丈夫ですか?」

二人の顔を交互に見てから此之葉に問う。

「はい、私は。 それより紫さまが・・・」

「あ、もう大丈夫です。 元気になりました。 ・・・どうしたんですか?」

醍十の顔をチラっと見る。

「此之葉が俺の言うことを聞かないと言うんです」

え? と言う顔をしたのは紫揺だけではない。 阿秀もだ。

「私でなくとも誰も聞きません」

「あの・・・何の話ですか?」

いえ、と言いかけた此之葉を無視して醍十が言う。

「俺の認めたやつとしか結婚はさせないと言ってるんです」

は? どうして今ここでそんな話? いや、それより何がどうしてそうなる? 紫揺が思ったが、阿秀はそうでは無かった。

「此之葉はまだ冷や奴しか作れん。 そんな心配は無用だ」

此之葉自身が言っていたことである。
冷や奴。 それは冷えた豆腐を皿にのせるということ。 それだけのことであった。 決して手作り豆腐を作るということではない。
それに阿秀の中ではそこに薬味がついているが、此之葉が冷奴を知ったのは日本でである。 日本の食べ物の何もかもを美味しくないと言っていた此之葉には薬味の存在は無かった。

「え? 此之葉、そうなのか?」

東の領土では料理が出来てこそ嫁に出られる。 言い変えれば此之葉より葉月の方が先に嫁に出られるということだ。

「そうか、そうか。 此之葉、でかしたぞ」

此之葉の背中をグローブのような手でバンバンと叩く。
なにがでかしたのだろうか。 叩かれた此之葉がよろめきながら大きな歎息を吐いた。

心配することでもなかったのかと、喜んで此之葉を抱き上げようとする醍十から逃げる此之葉を置いてセノギの元まで歩いた。 もちろん阿秀がその半歩後ろを歩いている。

「セノギさん」

桟橋からゼンとケミと共にカミの様子を見ていたセノギが振り返る。

「シユラ様、お身体の具合は・・・」

「もうどうってことありません」

紫揺のそれに阿秀が眉間を寄せたのが分かる。

「ですが・・・」

「それより教えて欲しいことがあります」

阿秀の憂慮などどこ吹く風である。

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