大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第209回

2020年12月18日 22時37分52秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第200回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第209回



ふり絞った声だった。 これ以上ガザンに近づけてはたとえ紫揺といえど、ガザンを止めることなど出来ないはず。

「・・・友、達?」

友達とはどういうことだ、セキに向けていた目を紫揺に戻す。

「わー、分かった分かった。 ガザン分かったからー」

紫揺の声が聞こえてくる。 続いてノソノソとガザンの下になっていた身体を起き上がらせる紫揺の姿が見える。 顔もどこも喰われていない。

「ガザン・・・」

紫揺が大きな身体を抱きしめた。
目を丸くして見ていたセミ五匹がジェットスプレーでもかけられたようにコロンコロンと落ちていった。

「ガザン、無事に戻れたんだね」

紫揺の逃亡を手伝った後のガザンを案じていた。 セキがガザンを連れて来てくれると聞いた時にはどれ程安堵したことか。

「あの時ありがとうね。 ちゃんとお礼を言えないままになるかと思ってた」

「グブ・・・」

何度か経験のある紫揺のヘッドロック。 息がしにくい。

「あ、ごめん。 苦しかったね」

セキが身体を起こすのが見えた。 ガザンはセキに尻を向けている。 セキの近くに阿秀が立っているのをまだ見ていない。 見させてはガザンがまた走り出すだろう。

「阿秀さん、すぐにそこから離れてください。 走って下さい」

セキの横に立つ阿秀に声を投げた。 それを聞いたガザンが振り返りかけたのを紫揺が止める。

「ガザン、まだだよ。 まだこっち向いてて」

ガザンの頬の肉をムギュッとつかんで横に引っ張った。 ナカナカに面白い顔になる。
阿秀が十分に離れたところを確認して立ち上がる。

「セキちゃんの所に行こうか」

あの状態でガザンに引っ張られていたのだ。 どんな怪我をしているか分からない。

一応リードを持つが、全くリードを引っ張ることなくガザンが紫揺の横を歩く。 その姿を阿秀と松の木につかまったままの格好をして、地に転がっているセミの抜け殻・・・いや、魂の抜け殻五つがじっと見ている。 若冲がやっと顔から手を離し「ヒッ!」 と一声上げた。

「セキちゃん大丈夫?」

セキの横に膝をつく。

「シユラ様・・・ごめんなさい」

「どうして謝るの?」

座り込んでいるセキの髪の毛と背中の砂をはたいて落としてやる。

「門のところで待ってるようにって言われてたのに」

「こっちこそごめんね。 待たせすぎちゃったね」

「そんなこと・・・」

「痛い所はない? 立てる?」

「はい、どこも痛くありません」

パッと立ち上がる。
子供は柔軟に出来ている。 これが大人なら、あちこちに無駄な力を入れて筋でもおかしくしていただろう。

「シユラ様、髪の毛がギトギト」

「あはは、ガザンの歓迎を受けたから」

顔は袖で拭いたが、髪の毛にまで気がいかなかった。 薄手とはいえ長袖が暑いと思ったが、こんな所で役に立つとは思ってもみなかった。

「セキちゃん、ごめんね。 まだ時間がかかるの。 セノギさんに頼んでセキちゃんを呼びに行ってもらうから、お部屋で待っててもらえる?」

「今度はちゃんと門で待ってます」

「でも退屈じゃない?」

「んっと・・・。 考えたいことがあるから」

「考えたい?」

「はい。 ちゃんと考えなきゃいけないことがあるって分かりましたから。 セノギさんが呼びに来てくれるまで考えながら待っています」

「・・・悩みがあるんなら言ってね。 ちゃんと答えられるような器じゃないけど、一緒に考えるから」

こんな時、ニョゼなら相手の気持ちに添って応えるのだろう。 自分が悲しくなる。

「・・・はい」

セキの返事に少しの間があった。 それが気になる。

「あの人達に謝っておいてください」

セキが阿秀たちに目を移す。 それにつられて紫揺も目を移した。
セミの抜け殻だった五つが背を伸ばし、ゴキブリまがいに落ちた若冲たちが阿秀の前に整列していた。

「お前たち・・・」

阿秀の隠された怒りが、腹の中でマグマのように沸々と煮えたぎっているのが分かる六人。
阿秀の怒りは、紫揺を守りに出なかったことだ。 こんな所でセミとゴキブリになっていただけだなんて、なんとしたことか! 祖に何と言い訳をするつもりなのか! そう腹の中で言っている。
六人に言い訳の余地はない。

「うん、分かった。 言っておくね」

途中までセキとガザンと共に歩き紫揺は左、セキとガザンは斜め右に歩いて行った。
桟橋の上がり口でセノギが紫揺を迎える。

「お怪我はありませんか?」

ガザンとの仲は知っているが、あの勢いでガザンが紫揺に跳びかかって紫揺を倒したのだ、心配もするだろう。 あまりの心配に “御座いませんか” と訊くところを “ありませんか” になってしまったほどだ。

「大丈夫です。 ちょっと顔がネチョネチョするだけで」

しっかりと歩いてきていたところは見ていたが、直接紫揺の口から聞くとホッと肩を下ろす。

紫揺の顔は、たとえ拭いたと言っても、ガザンのヨダレが一度ついた顔だ。 海水で洗おうかとも思ったが、そうすれば今度はパシパシするだろうと諦めた。

「デッキに行きます」

「私も行きます。 ハン一人では立てませんので」

紫揺が頷き二人で歩いた。 セノギはしっかりと三歩下がっている。

桟橋ではダンがゼンの横に膝を折り、今も抱えられているケミに声を掛けていた。

「よう堪えて受け止めたな」

ゼンがハンとカミに言っていたことを聞いていたのだ。 タオルケットの上からケミの頭を撫でてやっている。 ケミの泣く声が小さくなっている。 そして立ち上り歩き出したダンが、ハンの背中を呆然と見送っていたカミの肩に手を置いた。

「えらく言われたな」

カミからの返事はない。

「安心しろ。 幻妖などではない」

「・・・安心しろなどと」

「うん? それからなんだ?」

「・・・吾は。 ・・・吾が疑懼(ぎぐ)しているとでも思っておるのか」

「そんなことは思っておらん。 考え過ぎだ。 だが、誰もかれもがあんな状態で出てくれば、考えるところはあるだろう」

「・・・」

「なぁ、カミ。 お前はケミより少しばかり姉さんだ。 ケミの面倒をよく見てやった。 ケミは吾らの中で一番小さい妹だ。 そのケミが全てを受けとめたのだぞ」

「それがどうしたという。 それに吾はケミの姉ではない」

「ではお前の妹はどこにおる?」

カミがダンを睨み上げた。

「それとも姉か?」

「黙って言わせておけば」

「カミはそんな事すらも分からんのだ」

カミが手を伸ばしダンの胸元を掴んだ。

「それがどうしたと言う! 知る必要などない!」

「ある。 あるのだ。 忘れてはならないことがある」

「吾は! 吾の師匠とショウワ様さえ分かっておればそれでいいだけだ!」

「吾には兄が居た」

「ほー、それは自慢か? 兄が居たことを知っていると自慢したいのか!?」

「川に流された吾を助けてそのまま流された」

カミの握り締めていた手が緩む。

「吾は兄の亡骸に誓った。 毎日花を手向けに来ると」

「・・・ダン」

「だがな、ある日師匠が吾の前にやって来た。 吾は師匠に訊いた。 あの川に橋を作ってくれるのかと。 師匠はそうなるやもしれん、そう出来るように吾を迎えたい、そう仰った。 吾は兄に誓った。 暫く花は手向けられん、だが橋を作れるようになったら、すぐに花を持ってくると」

ダンの顔が沈んだ。 カミが掴んでいた手を離す。

「結局、橋は作れなんだ。 だがな」

兄の話をしてからまっすぐ前を向いていたダンがカミに目を落とした。

「あのままでいれば兄に誓ったことを忘れたままだった」

「・・・」

「カミ、お前にも何かがあるやもしれん」

「何か?」

カミが鼻をならした。

「それがあったとして何というのか? ゼンは自分の名を知ったと言う、ケミは母から苦いものがあったと言う、そしてお前は兄との誓いを思い出したと言う。 それがどうしたというのか? 容易い」

「容易い?」

「ああ、名を知って何が変わる? 苦いものを思い出してそれがどうなのだ? 吾らは辛苦して修行に励んだ。 それ以上に苦いものなど無かろう。 お前にしてもそうだ。 亡き者に花を手向けて何が変わる」

「本気で言っているのか?」

そうで無いことは分かっている。

「ああ、そうだ」

「そうか。 では少しは頭を冷やせ」

ダンがカミを抱え上げ、海に放り投げた。 一瞬のことだった。
あまりのことに一言も発することが出来ず、カミの身体が大きな飛沫を上げて海中に沈んだ。

二人の様子を見ていた二組。 その内の一組であるゼンが思わず立ち上がりかけたが、膝の上にはケミが居る。 そしてもう一組の紫揺とセノギは突然のことに呆気にとられていた。

カミが浮いてこない。 すぐに紫揺が走った。 ダンの居る所から海に飛び込もうと思ったのである。 ダンの傍まで行くと桟橋を蹴ろうとしかけた紫揺をダンが止めた。

「ムラサキ様のお手は煩わせません」

ダンが桟橋を蹴って海に飛び込み、沈んでいたカミを片手に海面に浮かんでくるとそのまま波打ち際まで運んだ。 カミが息を荒立てて咳をする。

もちろん誰が言ったのか、代名詞となりそうな “ちょこまか” とする紫揺が桟橋を下りた。

「お・・・おま・・・お前!」

ゴホゴホと咳をしながらも、殺される寸前の形相でカミが横に座るダンをねめつける。

「泳げなかったのか。 お前は高山(たかやま)の育ちか? それとも中心か?」

「お前・・・吾を殺す気か!」

「そうか。 死にたくなかったのか。 では、お前の全てを知れ。 生きていく以上はな。 全てを知ってから生きろ。 知ったことで生きたくないと言うならば死ぬことだ」

「・・・なにを!」

「このまま居られないショウワ様の下知を待つと言うのか? 居られない師匠の影を追うと言うのか?」

「お・・・居られなくはない! ショウワ様も師匠も居られる!」

「聞いたであろう。 ショウワ様は東に行かれた。 師匠はもう吾らの前に居られない。 分かっているだろう。 吾らはお前の仲間だ、吾らに頼れ。 お前のしたいようにしてやる」

「吾が・・・吾が死にたいと言えば殺してやるとでもいうのか!」

「ああ。 吾らがお前の首に手をかける」

「・・・」

「吾らはお前のことを想っている。 だからそんなこと・・・お前が望むことを叶えるのは容易い」

「吾を殺すことが容易いだと?」

「殺すことではない。 お前の望みを叶えてやるのが容易いと言っておる」

「この・・・!」

「なんとでも言え。 お前と時を過ごしてきたのは吾らが誰よりも長い。 だから言えることだ。 だが、短いながらもお前と時を過ごした者もいる。 その者たちはなんと考えるかも知れ」

紫揺に遅れてやって来ていたセノギはデッキに戻っていたが、紫揺は様子が気になり浜辺に下りてきている。
男とはここまで厳しいことが言えるのか。 なんと愛情に溢れた厳しさなのだろうか。
両親と別れてからは、紫揺の周りにこんな風に厳しく言った者などいなかった。 振り返ってようやく知った。
皆が甘えさせてくれていた、誰もが心配をしてくれていた。 皆に甘え誰もに心配をかけながらそれに気付かず、ただ受け取っていただけではないか。
ただ甘えていただけだった。

とぼとぼと桟橋に戻り、デッキに上がった。

「大事が無かったようですね」

紫揺を迎えたセノギが言う。

「はい。 咳こんではいましたが、そんなに海水も飲んでいないでしょう」

紫揺が窓越しに中の様子を見ると、此之葉がソファーに掛け、ハンが脚に肘をつき両手で顔を覆っている。 既に此之葉の術は終わっていたようだった。
此之葉が紫揺に目を合わせ小さく頷いた。 紫揺を呼んでいるのだ。

「タオルお貸りします」

デッキの横の桟橋には、セノギの持ってきた一枚のタオルケットと二枚のタオルが移動され置かれている。
タオルを一枚手にするとラウンジに入った。 セノギがデッキから窓ごしに様子を見ている。

「どうです? 少しは落ち着かれましたか?」

一度紫揺を見てからハンに目を戻した此之葉が問う。
ハンが一度だけ頷いた。 
ハンの前に膝を折った紫揺がハンの顔を覆っている手の甲にタオルをあてる。 「これ使って下さい」 と言葉を添えて。 ハンが素直に受け取り、顔をタオルで覆う。

「私の話を聞いてもらえますか?」

ハンが頷く。

「膝の痛みはどうしようもないですが、身体の調子がかなり悪いですよね?」

戸惑ったようだったが、少し遅れて頷いた。

「今からちょっとしたことをしますが、具合が悪くなったら言って下さい」

ハンの返事を待たず紫揺が立ち上がると、両手をハンの身体から少し浮かせ、添わせるようにして頭から順にゆっくりと下に動かした。
これは紫揺の思い付きだった。 セノギの肩を借りハンが船までやって来た時、ハン一人に集中した時に気付いた事だった。

(んんー? なんでこんなに氷みたいなエネルギーが身体中にあるんだぁ?) と醍十のような言い方で心の中で独語した。

セノギにハンをどこに座らせるよう教えながら、身体ではなく頭の中でちょこまかと思考を巡らせた。 その氷のようなものとは、単なる氷ではなく氷に塩を振りかけたほどの冷えを感じる。 いや、それでも足りないくらい。 こんなことでは骨が軋み、筋肉も内臓すらもまともに動かないだろう。
で、ちょこまかと頭の中を駆け巡った結果、温めればいいんだ、と安直に答えを出したのだった。

そう、紫の力で。

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