大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第205回

2020年12月04日 22時21分22秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第200回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第205回



「・・・阿秀」

ふと窓ガラスの向こうに目をやった野夜が、隣りに立ち海を見ている阿秀を呼ぶ。

「なんだ?」

振り向いた阿秀が野夜の視線の先を見る。

「・・・」

言葉が出ない。
つられて操舵席に居る若冲以外がその様子を見て息を飲んだ。
今はラウンジの中に色とりどりの花が咲いている。

「紫さま・・・」

此之葉があちらこちらに咲く花に目を這わせている。

「これはね私の中の気持ちが出たみたい」

「紫さまの?」

「はい。 此之葉さんの手が返事をしてくれて嬉しい気持ち。 ね、自信を持って下さいね」

「はい・・・」

目が涙に潤んでいる。

紫揺がそっと手を離すと咲いていた花が、一輪だけを残して光の粒となって弾けて消えた。 ラウンジの中が光の粒で一瞬輝いた。 残った一輪が此之葉の手の中にある。
そっと手を広げた此之葉。

「・・・これは」

「あれ? 居残りたかったのかな?」

何とも重みのない言葉である。

「頂いて宜しいでしょうか?」

「消えちゃうかもしれませんけど、それでも良かったら」

この場においてあまりにも軽々しい。

「有難うございます」

花を持った手を胸元に引き寄せるとそっと花びらを撫でた。

「・・・なんとも」

阿秀ではないのは確かだが、誰が言ったのだろうか。

「・・・ああ、紫さまのお力は計り知れんな」

祭で紫の力を見たが、見慣れるものではない。 野夜が本領で光石を割ったことを秋我から聞いて、その話しを阿秀に聞かせていた。 その事も含めて言っているのだろう。
五人と阿秀が呆気にとられている間に、船は海水をかき分けてどんどんと進んでいる。


「来られたみたいですね」

桟橋に立つセノギが言うと、座り込んでいた影たちが海原を見た。
影たちの服は全身を黒で纏っているいつもの服だ。 北の領土で着るのにはある程度、何枚かを着重ねるなど気候によって合わせているようだが、日本のこの土地のこの夏の盛りだというのに、顔以外の肌を見せることなく全身を覆っている。
ここは海の照り返しもある。 暑かろうにとセノギが思うが、影たちには服をかえる気が全くないようだ。

セノギはショウワからの手紙を口頭で伝えるのではなく、手紙そのものを見せた。 紫揺は東の領土に行った。 そしてこの手紙は東の領土に入ったショウワから預かって来たもので、一旦東の領土からこの地に来た紫揺が持ってきたのだということを添えて。

ショウワとセノギの前以外に姿を見せることを許されなかった影たちが、紫揺の前に姿を現すなどと、どれだけ驚いたのかは言うまでもない。 それどころか、この手紙は本当にショウワが書いたものか、と詰問されたほどであった。

船がどんどんと近づいてくる。
ずっと海面を滑ってくる船を見つめていた影たちになんの変化もない。

近づいてきた船が桟橋につけられた。 そしてエンジンが切られた。 この時には操舵席の若冲と紫揺を除く全員がラウンジに入っていた。
影たちがゆらりと立ち上がる。

エンジンを切った若冲は斜に桟橋を見ている。 紫揺が船から跳び下りた。 ここは手を貸すことを諦めていた。 出来るだけ北の者の前に姿を現したくない東の者たちだ。
阿秀も数日前のことがある。 紫揺が勝手に跳び下りたのだから、今回も大丈夫だろうという思いがあった。 そして滑ることもなくすっ転ぶこともなく紫揺が桟橋に足を着けた。

紫揺を迎えるようにセノギが近寄ってきていた。

「セノギさん、ありが・・・」

紫揺の言葉が一瞬止まったが、続けて言う。

「有難うございます」

セノギが一枚のメモを紫揺に差し出した。

「春樹さんから預かりました」

杢木の携帯番号が書かれているだろうメモ。 有難うございますと言って受け取ると、セノギ越しに後ろを覗き込んだ。
セノギの後ろで影たちの薄い姿がゆらりと動いている。

「あの方々が?」

「はい」

半身を捻じって紫揺に影たちが見えるようにした。
影たちに目を移し、そしてもう一度セノギに目を移し、また影たちを見て歩き出した。
影たちに近寄った紫揺が口を開いた。

「屋敷や北の領土に行った時には、私をずっと陰から見守って下さっていたと唱和様からお聞きました。 有難うございました」

それは此之葉が東の領土を出る前に唱和から聞き、此之葉が紫揺に伝えたものだった。 紫揺が頭を下げる。
影たちの陰が濃くなり、その姿を完全に現し、そしてその五つの影が片膝と片手をつき頭を下げている。 全身黒ずくめ。 目だけを出し頭まで覆っている。

「唱和様からの伝言をお伝えします」

伝言などとそんなものはない。 唱和が言ったのは、影たちが紫揺の前に姿を現した後は此之葉に封じ込めを解いてもらう、それだけだった。 だから伝言ではなく説明なのだが敢えて伝言と言った。
伝言などと知らなかったセノギが驚いた顔をしたが、影たちに変化はない。 ピクリともなくその姿を保っている。

「これより東の領土の “古の力を持つ者” に、封じ込めを解かせる」

封じ込め? セノギが口の中で言う。

「それを万事に受けること」

紫揺の声は落ち着いて入る。 そして声を大きくして言った紫揺の声はラウンジにも響いてきた。
紫揺の言うところの伝言が終わった。

紫揺が言ったことの意味が飲み込めない。

「以上が唱和様からの伝言です。 封じ込めというものをご存知でしょうか?」

セノギと影に問うが誰からも返事はない。

「カミ、ケミ、ダン、ゼン、ハン、あなたたちは唱和様によって封じ込めという術を施されました」

名を呼ばれて影たちが下げていた顔の目を大きく見開いた。

「封じ込めとは・・・。 唱和様があなた達にした封じ込めとは、自分を忘れさせるものです。 自分が誰なのか、両親の名前は何なのか、どこで生きていたのか、そんなことを記憶の果てに封じ込め、ただただ唱和様の命じられるまま動くように、術をかけられたということです」

セノギが息を飲む。

「ですが誤解しないでください。 その唱和様も封じ込まれていたんです。 唱和様は先代に封じ込められ、そして唱和様の手足となるように、代々の影という存在を作るようにと術をかけられていました」

影の一つが身じろぎをした。

「皆さんには帰る家があります。 皆さんの本当の名前があります」

紫揺がゆっくりと息を飲んで続ける。

「唱和様は北の領土の人間ではありませんでした。 幼い時に北に攫われた東の "古の力を持つ者” でした。 北に攫われ、封じ込めの術をかけられた唱和様は、東の記憶を封じ込められました。 そして北の “古の力を持つ者” だという記憶を刷り込まれました。
唱和様の存在は北の “古の力を持つ者” として、紫を探すだけの存在として生きていくことになりました。 そして皆さんが唱和様の手足となるように唱和様から封じ込めを受けました」

先ほど一つの影が身じろぎをしただけで、それ以上動く様子もなければ、セノギも、離れたところに留まる船の中のラウンジにいる者たちにも動く気配がない。

「数日前、唱和様は東の “古の力を持つ者” によって封じ込めを解かれました。 過去の事を全て思い出され、唱和様が行ってきたことに目を向けられました。
唱和様は今、東の領土で幼い時に分かれた妹様と暮らしていらっしゃいます。 そして術をかけたままの皆さんを案じられています。 私はそのお手伝いに上がりました。
先ほども言いましたが、皆さんには帰る家があり、本当の名前があります。 その他にも色々あるでしょう。 唱和様が施した術を東の “古の力を持つ者” が解きます。 それを唱和様が望まれました。
本当なら、唱和様がお解きになるのが一番なのでしょうが、いま唱和様は東の領土に居られます。 お身体を考えると、簡単にこの地に来ることがままなりません。 ですから東の “古の力を持つ者” に頼られました。 そして今、東の “古の力を持つ者” があの船に居ます。 唱和様が依頼された力のある者です。 唱和様は皆さんの封じ込めを解いて欲しいとその者に願われました。
私としては強制はしませんが、今を逃されては後はありません。 東の “古の力を持つ者” は、もうこちらには来ることはありません。 今日だけが、今だけが解く時です。 影の方々どうされますか?」

唱和からは解いて欲しいと言われただけだ。 影の意見を聞く聞かないなどとは言われていない。 それなのに強制はしないと言った。 何故なら自分で選んで自分で決めて欲しいと思ったからだ。

もし否と言われればどうしよう、何も言わずに逃げ出されたらどうしよう、その不安はもちろん抱えてはいるが、自分から飛び込んできてほしい。 それは譲れない。

精一杯言った。 これ以上自分の頭では何も考えられない。 今にもインパルスがショートしそうだ。
空白の、無言の時が流れた。 陽に照らされたさざ波がキラキラと光り、波が浜辺に上がっては引いている。 波が船底を撫でる。 船がゆらりゆらりと揺れる。

(・・・ショウワ様が東のお人だった・・・)

受け入れがたいことだが、それで納得のいけることがある。
ショウワは東の領土に北の領土がしたことを知らなかった。 重鎮と呼ばれるショウワが知らなかったことには頭を傾げるしかなかったが、攫われて来て紫揺の言うところの封じ込めをされたのなら理解ができなくもない。

元々北の人間であれば、封じ込めなどそんなことをする必要などないのだから。 それにショウワが “古の力を持つ者” だったとは・・・。

一つの影が動いた。 その影が立ち上がった。

「吾の名が分かると言われましたか」

「はい」

「吾が誰なのかが分かるということで御座いますか」

「はい」

「・・・」

「封じ込めを解いてもよろしいでしょうか?」

「その者は・・・東の “古の力を持つ者” は・・・」

此之葉を確認したいのであろう。 何をされるか分からないのだ、気持ちが分からなくもない。

「お待ちください」

船に向かって歩きだしデッキに上がると、そこから見えるラウンジのガラス越しに阿秀を見て頷いた。 阿秀が頷き返す。

「此之葉、紫さまがお呼びだ」

阿秀が立ち上がると、意を決したように此之葉が立ち上がった。
紫揺とは違う此之葉だ、阿秀の介添で船を下り、手を取られたまま歩くと此之葉が紫揺の隣に立った。

「この方が東の “古の力を持つ者” です」

唱和を見てきた影にとってあまりにも若すぎる。 最年少のケミより若いのではないか。

「このように若い者が?」

「私は唱和様が解かれるところに立ち会っていました。 この方が、唱和様を封じ込めから解放したんです。 立会人にはニョゼさんもいました」

まさかこんなことになるとは思っていなかったケミが、領土であったことをまだ報告していなかった。
前に立つ影の表情が動くのを見て、まだ背景をなにも知らないんだ、そしてこの影は領土に残っていた者と違うと踏んだ紫揺。

「お一人、先ほど領土から帰って来られた方に問います。 唱和様とニョゼさんが、北の領土を発たれ本領に行かれましたね。 その後に戻ってきたのはニョゼさんだけでしたでしょ? 唱和様は戻って来られていない。 違いますか?」

片手片膝をついたままのケミが頷いた。 影たちがそれを横目で見ている。

「ニョゼさんは東の領土に足を踏み入れることが出来ません。 領土での決まりごとがあるで。  そして東の “古の力を持つ者” も、東の五色である私も北の領土を踏むことはできません。 先ほどの領土での決まりごとによってです。
ですから本領で唱和様の封じ込めを解きました。 唱和様には簡単に移動できないことで、本領が手を尽くしてくれましたが、東の領土の “古の力を持つ者” が若くなければ本領になど行けません。 間違いなく、この方が東の “古の力を持つ者” です」

感情的にならず、あったこと事実だけをゆっくりとはっきりと話す。
もう肺に酸素が入ってこない気がする。 血液が流れている気がしない。 頭の中に溜まっている血液が膨張して今にも頭が爆発しそうだ。 これ以上何をどう言えばいいのか。

海風が此之葉の髪の毛を揺らす。 サラサラと音が聞こえてきそうに此之葉の髪が揺れる。 無言の時はそう長くは無かった。

「吾は吾のことを知りたい。 ずっとそう思っていました」 立っていたゼンが言う。

紫揺が頷く。

「ですが・・・」

此之葉が紫揺を見て軽く頷いた。 東の持つ術がかかっていないということなのだろうか。 いずれにせよここからは此之葉がするということなのだろう。

「頭痛がするのですね?」

言ったのは紫揺ではなく此之葉であった。
影が驚いて此之葉を見た。

「頭痛で治まっている間はまだ我慢が出来ましょう。 ですが唱和様のように腹から上がってくる痛みとなってしまっては七転八倒になります」

まさに七転八倒とまではいかないが、腹に何やら異物がありそれが上がってくる気持ちの悪さから吐き気がしたり、少しの痛みを感じていた。 あれがもっと酷くなるということか。

ゼンが思うと同時にケミにも心当たりがある。 高齢の唱和であるから、暴れて痛がるということは無かったが、それでも背中をさすってくれと、今までに言われたことの無いことを言われたことがある。 ケミの身体がピクリと動いた。

「そちらの方、お心当たりがありますか?」

ケミが小さく頷いた。 ダン、ハン、カミが目だけで互いを見合わせる。

「頭痛も腹からの痛みも封じ込めの力が弱まってきている証ですが、だからと言って放っておいて解けるわけではありません。 痛みがあるだけです。 唱和様が施された術です。 その唱和様にかけられた術が解かれました。 これからどんどんと皆様の痛みは激しくなってくるものと思われます。 術を解けば痛みはなくなります」

少しの間を置いてまた続ける。

「我が東の領土五色の紫さまが先程仰いましたように、皆様には帰る場所があります。 帰る家があります。 待っておられる方々がいらっしゃいます。 それがご両親なのかご兄弟なのか、そこまでは知り得ません。
本来のご自分の名を思い出し、ご自分が何をしていたのか、何をしようとしていたのか、家族の名を何と呼んでいたのか。 私はそれを取り戻すお手伝いをいたします。 不安がありましょう。 それは重々に分かっております」

そこで一旦切ると、紫揺に向かって言う。

「ここでは人が多すぎます。 解いたあとに解かれた側の気が散ることになると思います。 それは不要に時間を長引かせるだけになって、ご本人も苦しいでしょう」

解かれた後、解かれたものは走馬灯のように記憶を甦らせる。 その妨げとなると言っている。
唱和が封じ込めを解かれた時のことを紫揺が頭に浮かべた。
解き終えた此之葉が「お座りください」 と言った後に、唱和が長く頭を垂れていた。 その時のことを言っているのだと分かった。

「じゃあ・・・えっと・・・」

屋敷には入りたくない。 どうしたものか。

「紫さま、船の中ではどうでしょう。 我々が外に出ます。 どうだ?」

此之葉を連れて来ていた阿秀が最初は紫揺に向けていた目を此之葉に向けて言う。

「そうしていただけるのが一番良いかと」

「では紫さまもよろしいでしょうか?」

「あ・・・でも、皆さん北の方とは・・・」

顔を合わせたくないんですよね、とはセノギと影たちの前では言えない。

「我々もあの方たちもあの時から時が止まり、また反対に流されてきました。 我々と同じです。 我々は紫さまにお会いできたことで終止符を打つことが出来ましたが、あの方たちはまだ流さたままです。 手を携えられるのであれば我々の我儘など小さなものです」

阿秀の言った言葉は簡単なものではないと思う。

「有難うございます」

紫揺が深々と頭を下げた。 そして頭を上げると会話を聞いていたであろうセノギを見た。

「セノギさん、いいですか? 安心してください、あの船の中には何の仕掛けも何もないですから」

その言い方、何か仕掛けがあるようにしか聞こえない。

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