次男がいつもより1時間早く仕事が始まるというので、6時に台所へ下りて朝飯を作った。
鯵の干物と塩にしたカマスをグリルに入れて、シメジと豆腐と青葱で味噌汁を作り、胡瓜を糠床から出し、叉焼、胡瓜と鶏の胸肉の胡麻だれ、小松菜と揚げの炒め煮を出し、6時20分の飯の炊きあがりを待って朝飯を食べた。
昨夜、米を炊飯器にセットするときにとぎ汁をボールにとっておいたので、庭のゴーヤに撒いた。
今年も今の東側の日よけのために2本植えたが、多分もう10年くらい植えていると思うが、連作障害でこの2年数個しか結実を見なかった。
本来なら有機肥料をすき込んだ土壌に替えればいいが、何時もやろうと思って苗を買って来てしまい、多少土を替えて植えている。
そこで、有機肥料として米のとぎ汁を与えているが、根腐れしなきゃいいなと思っている。
庭の枯葉や枯れ枝で焚火が出来るとその灰を撒けば土壌の酸化が防げるのだが、宮台真司が分析しているように、転入者が増え、共同体の掟より法が優先して焚火が出来なくなった。
法は最近のものだが、掟はその土地の歴史と伝統に鍛えれれている。
まあ、どっちが優れているかお分かりだろう。
煙やCO₂の発生の問題より、土壌の酸化のほうが問題だと思うけど、それより前の問題として、広い庭を持った屋敷が分譲され、庭が無く樹木が無くなり、わずかな庭もコンクリートで固められ、セミやミミズなどの生物が居なくなった。
目先の利便性と利益を追いかけていると不都合が出て来るものだが、それに気がついたときには既に手遅れで戻ることは出来ない。