五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

自分は何を求めているのか

2013年12月18日 | 第2章 五感と体感
人の好みはそれぞれです。

自分の主張をどの程度他者に表現するかは、その人の個性によって違うでしょうし、場の雰囲気によっても違うでしょう。

あたかも自分の好みが世界で一番の選択であるかのように主張している人がいたとすると、その人の現実吟味力がどのくらいであるかを推察したくなるのが私の傾向でもあるようです。幼い頃から自分の求めているものと他者の求めているものの差異を図ることで人との関係性のバランスを大事にしてきたように思います。学級委員になって壇上に立ち話し合いのまとめ役になることが多かったのは、多分、自分が調和を好んでいたからだと思うのです。
この傾向は、変わっていないな、、、と、ふと昔の事を思い出し、一人で苦笑いしていました。

昨日の四ツ谷勉強会は、四ツ谷会場最後の勉強会でした。

それに相応しく、テーマは「求めよさらば与えられん」でした。

自分の悩みや不安をどうにかしたいとき、与えられていないことはツラツラと頭に浮かんでくるものですが、果たして自分は何を求めているのか?と自問自答すると、案外きっぱりと求めているものが具体的に浮かんでこないことが多いように思います。

与えられていない事を憂う。
求めているものを思索する。

どちらが簡単に言葉に出てきやすいでしょう?

私自身も生き甲斐の心理学を学ぶ前は、不満足なことに対する不満感を主張することのほうが多かったように思います。

学びすすめるにつれ徐々に「求めること」の意識化が、生きていくうえでとても大事なことであることに気付いてきました。

昨晩は、クリスマスを迎える待降節にシュトーレンを頂きながら、イエスが悩める人に必ず尋ねる言葉を思い出していました。
「あなたは、どうしたいのか?」「あなたは、何が欲しいのか?」
イエスはずばりと聞くのです。
そして、その問い掛けに、今までふわふわと憂いでいた人が、我に帰るのです。

自分が求めているもの。
自分が好んでいるもの。
自分が選択したいもの。

それらは、他者が決めるものではありません。自分自身が決めるのです。

求めているものを与えられたとしても、人はひとりで死んでいくのですから。

待つことの喜びがある半面、孤独感と向き合うための待降節でもありましょう。

いろいろと考えるに相応しい四ツ谷の一日でございました。

四ツ谷勉強会は、来年から京王線つつじヶ丘の某学校の修道院の会議室へと場所が変わります。
詳細は、ユースフルライフ研究所の会報をご覧ください。

皆様との出会いに感謝し、楽しい学びの会を今後も続けていきたいと願っています。



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