五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

源氏物語の牛車からツラツラ

2014年01月19日 | 第2章 五感と体感
各々のSNSで繋がっている友人知人の呟きから私の想像が広がることがよくあります。
昨日は源氏物語に登場する牛車の話題になり、またまた想像が広がっています。

源氏物語や平家物語は、日本で生まれアイデンティティを育んできた私にとっては自分のDNAを紐解く大切な存在です。

プライドの高い六条御息所が感情的に貶められる「車争い」は、光源氏の正室葵上に対する嫉妬が高まるきっかけとなっていきます。
源氏物語の登場人物の感情に焦点を当てて読み解いていくと、読んでいる自分が登場人物の誰かにいつしか自分を投影していることに気付きます。

平安後期の乗り物と云えば、牛車&輿や、馬です。しかもその当時の馬は、寸胴で足の太くそれほど背の高くない馬です。そして、水上は舟です。
牛車や舟、馬が登場する場面だけをピックアップしても、相当の面白さがあります。

夕顔が急死し、隠密に荼毘に付し弔いのために東山の袂に向かうのですが、途中の鴨川沿いで錯乱気味の光源氏が馬から落ちる場面や須磨に流される前に亡くなった父親桐壷帝の眠る下賀茂神社を牛車で通り、暗闇の糺の森をじっと眺めて父親に挨拶する場面や、方角を重んじるがために、近くに行くにも良き方角に進みながら回り道をして牛車を進ませたり、、、
現代に生きる私とは道具や衣服が違うだけで、湧き出す感情はなんら変わらないのです。

源氏物語は朝廷のごく一部の人々の物語ではあるのですが、感情の表出、考えることや概念、起こす行動は時空を超えて変わらないものであり、「人」の普遍性を描いていることに過ぎないのです。
その面白さに気付くと源氏物語から四百年ほど後の能楽の台本である謡曲の普遍性に惹きこまれていくのです。

平成に生きている私は何と幸せなことよ。。。

今では、戦時中の言論統制によって源氏物語を自由に翻訳できなかった谷崎純一郎の憂いとリベンジを垣間見る事も出来、与謝野晶子が鞍馬の庵で綴ったものも読むことが出来、訳の中から見えてくる作家や研究者の思いまで読み解くこともできるのです。

源氏物語を媒体にすることによって湧き上がる感情や思考、行動を自らが愉しむ人生と解釈すると、歴史のページの一枚に自分の存在を挟み込む様な感覚にもなるのです。

大寒の季節、温かい部屋でじっくりと源氏物語を読むことも春へのエネルギーの蓄積になるやもしれませぬ。

未だに、朝廷を舞台とした光源氏の色恋沙汰の源氏物語だと解釈しているとしたら、それは戦時中の言論統制の概念が根強く残った教育を受けてきたことの証かもしれません。

日本人のアイデンティティについてだけでなく人の思考と感情を紐解くためにも無くてはならない文学なのです。
ギリシャ神話と源氏物語の読み比べも比較文化の学びの宝庫です。

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